2018年05月15日

ロシア製のネクタイ(2018.04.14)

↓ウラジオストクで求めたネクタイだ…
souvenir from Vladivostok 14-04-2018 (1)
↑4月に求めて持ち帰り、サハリンで使っている…

<АРМИЯ РОССИИ>(アルミヤ・ラッシー)とズバリ「ロシア陸軍」という看板を掲げた店が在って、中を覗けば軍仕様の衣類等の他、色々なグッズを売っている店だった。そこで「何か美しいネクタイ…」と気になり、1本が1100ルーブルで、普通にシルク系のモノなので好いよ思って求めたのだった…

さり気ない感じの、色々なシャツやジャケットに合う色合いで「☆」が着いている2本は殊に使い易い。華々しい赤も好みだ…

ネクタイというようなモノは、「多品種少量生産」で方々の色々なモノが在る筈だが…こういうさり気ない「ロシア製!」を身近に身に着けてみるのも面白い…

実は…今日もさり気なく、この中の1本を使っていたりする…
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2018年05月01日

搭乗待合に在るカフェで求めた珈琲:ウラジオストク空港(2018.04.16)

↓「店内で…」ということも出来たが…敢えて「持ち帰り…」ということにした珈琲を、自身の便の搭乗口周辺のテーブルに持ち出して頂いた…今般はカプチーノにした…
VVO in early morning 16-04-2018 (8)
↑窓越しに、利用予定の飛行機がボケて視えている…

↓<Coffee City>という店…空港内では何箇所かで視掛けたが…ウラジオストクの街では視なかったような気がする…
VVO in early morning 16-04-2018 (9)
↑どうでもいいことを考えながら、「必ず、またウラジオストクに来てみよう…」等と思って過ごしていた…
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“アムールヒョウ”のグラフィティー:ウラジオストク(2018.04.15)

↓巨大な橋梁や街が一望出来る辺りの建物の壁を視て、一寸驚いた…
on the top of hill, Vladivostok 15-04-2018 (2)
↑大きなアムールヒョウのグラフィティーに目を奪われた…

ウラジオストクを中心とする沿海地方には、希少な存在となっている豹や虎が居るのだというが…グラフィティーは、そうした動物の保護に関する活動に携わる団体が掲出しているモノであるように見受けられた…

希少な動物が居るという地域の特徴を想い起すのだが…こういうグラフィティーというのが、何か都会的で面白いような感じもする…
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2018年04月28日

ウラジオストク:GUM百貨店(ГУМ)の建物(2018.04.14)

雨も交じっていたような感じの中で街を歩いていた…

↓酷く巨大でもないのだが、重厚な感じがする古くからの建物だ…
DSCF1801_2_3_tonemapped
↑これがGUM百貨店である。「GUM百貨店」と日本語では呼び習わすが、ロシア語の「ГУМ」(GUM)という表現自体が「国営百貨店」の略称である…

↓スヴェトランスカヤ通の反対側からこの建物を眺めていた…
DSCF1804_5_6_tonemapped

ソ連時代に「ГУМ」(GUM)という名になって、現在はファッション系の小売業がテナントに入っている感じであるようで、他所の入ってみたい店で買物はしたが、ここにはとりあえず入らなかった…在るか否かも判らないが、機会が在れば是非寄ってはみたいが…

ソ連時代に「ГУМ」(GUM)という名になる以前、ここは「クンスト&アルバース」という店だったという。ドイツからやって来た交易商が起こした会社が在って、各種の小売り、卸売りの事業を展開していたということで、その会社が20世紀初頭に建てたのがこの建物であるようだ。「クンスト&アルバース」と言えば、かのエレオノラ・プレイが、会社を営んでいた後に領事館に勤めた夫が逝去した後に勤務した経過が在るようだ。そして1930年にこの店がこれまでどおりに運営出来なくなって閉鎖となり、それを契機にエレオノラ・プレイは永く住んだウラジオストクを去っている…

こういう、旧く豪華な建物が「無造作…」とばかりに、辺りで見受けられる街というのは面白い…
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2018年04月27日

A.S.プーシキン像:ウラジオストク(2018.04.14)

↓思索に耽って静かに佇む…そういう風情の像だと思った…
Pushkin at Vladivostok 14-04-2018
↑ウラジオストクのプーシキン通、<プーシキン劇場>というホールが在り、その辺りに佇む像だ…

雨が交じる中、時々「霙?」という感にもなったが…このプーシキン像の前辺りでは、「霙?」という状況になった…或いは、こういう霙のような感じも交じる降雨は、「晩秋まで…」ということになるのだろうか?
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2018年04月25日

新旧の海軍艦艇が視える海岸:ウラジオストク(2018.04.15)

ウラジオストクを訪ねたなら、海岸の緑地に展示された「ホンモノの第2次大戦期に稼働した潜水艦」というモノが視たかった。そんな願いを果たし、辺りをまた歩き始めた…

↓こういう光景に出くわす…
NAVY ships, Vladivostok 15-04-2018 (5)
↑手前は“記念艦”…相当古い代物だ…そして画の右側に“現役”のロシア海軍艦艇が一塊になっている…

↓角度を変えると、<黄金橋>が背景になっている“記念艦”は…<クラースヌィー・ヴィンペル>(Красный Вымпел)という名で、1910年に進水した船で、「草創期の赤軍=ソ連軍」で運用されたような船だ…
NAVY ships, Vladivostok 15-04-2018 (1)
↑残念ながら、中の見学はオープンしていなかった…

で…考えてみると…“記念艦”の背後の巨大な橋は、船とは「100歳余りの差」ということになる…

↓今度は“現役”の一群に眼を向けた…
NAVY ships, Vladivostok 15-04-2018 (3)
↑“356”という番号の船の奥に、小型の船が脇に停泊している大きな艦が視える…「艦対艦ミサイル発射筒」が多数積載されて、何やら物々しい…

この物々しい艦…“011”という番号が視えたが…<ヴァリャーグ>(Варяг)という「ミサイル巡洋艦」であると見受けられる…全長が192mで、全幅が20mという大型の艦である…

<ヴァリャーグ>(Варяг)は1983年に進水し、1989年に竣工している。ソ連時代、この艦は<チルヴォーナ・ウクライーナ>(Червона Украина)という名だった。「赤いウクライナ」という意味ということだ…1990年代の情勢変化を踏まえ、1995年に現行の<ヴァリャーグ>(Варяг)に改名されている。因みに、日露戦争の時代にも同名の艦が在って、勇戦した経過が在る…

この<ヴァリャーグ>(Варяг)…ロシア海軍の太平洋艦隊の旗艦なのだそうだ…そんな訳で「司令本部に近い場所」に停泊している場合が多く、海岸を歩いていると視えることも在るという訳だ…

こういう具合に、「本当に新旧」な海軍艦艇が視えるウラジオストク…「海軍の街」という貌が覗く…
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“オリヴィエ・サラダ”(Салат Оливье)=「ロシア風サラダ」とも言われる定番… (2018.04.15)

サラダ等の前菜、スープ、メイン料理という具合に「順次、皿を出す…」という「コース料理」というような流儀は、ロシアの貴族の邸宅で始まった流儀という説が在るようだが…ロシアの料理店で食事を摂る場合、“コース”的に順次料理が運ばれて来るという感じが「普通」かもしれない…

ウラジオストクで、建物の地下に入っているロシア料理の老舗レストランで食事を愉しんだ際にも、サラダ、スープ、メイン料理という組み合わせにビールを1本加えるということにしたのだった…

↓直ぐに出て来たビールの後に登場したのは、こんなサラダである…
dinner at Vladivostok 15-04-2018 (4)
↑“オリヴィエ・サラダ”(Салат Оливье)と呼ばれる定番なモノだが、「蟹の身」が加えられている…

「蟹」と言えば、日本国内では「北海道?」かもしれない…或いは「北陸?」とか「山陰?」というイメージもあるだろうか…ロシアでは「蟹」と言えば「極東?」であるらしい…「極東の代表的都市」でもあるウラジオストクの老舗レストラン…「蟹が加わる」というのも「土地らしさ」の演出なのであろう…

“オリヴィエ・サラダ”は、ロシア国外で「ロシア風サラダ」と言われる場合も在るらしい。ロシアでは大変にポピュラーだ。極々身近なことを言えば、ユジノサハリンスクのスーパーに在る惣菜コーナーで、「サラダの類」が売られていれば、大概はこの“オリヴィエ”が在る…

“オリヴィエ”というのは人名である。これは19世紀後半にモスクワで大繁盛した高級フランス料理店の料理長だったベルギー人、リュシアン・オリヴィエの名に因むのだという。オリヴィエが創り出したサラダは大変な人気であったそうだ…

オリヴィエが創り出したサラダは大変な人気であったというが、彼が精確なレシピを特段に伝えていなかったため、何時の間にかこの料理は流行らなくなったようだが…ソ連時代にオリヴィエが居た店での勤務経験が在ると称する料理人が「“オリヴィエ・サラダ”はこういうモノだった」として“首都風サラダ”なるモノを売り出した。そういう契機が在って、“オリヴィエ・サラダ”は「ポピュラーなサラダ」になって現在に至っている…「19世紀後半の…」という起こりが語られることは在るが、実質的には「ソ連時代から一般化しているメニュー」という感でもある…

新旧様々なモノ、由来も色々なモノが入り交じった感のウラジオストクで、その発祥や普及に色々と謂れが在る他方で“定番化”している料理に、些かの「土地らしさ」の演出が加わったメニューを頂く…何か「特別なことをしている」感がして面白いものだ…
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ヤコヴ・ラザレヴィチ・セミョーノフ(Яков Лазаревич СЕМЕНОВ)=「ウラジオストク最初の住人」の胸像(2018.04.14)

ウラジオストク空港からウラジオストク駅へ向かうバスは、アレウツカヤ通という道路を進んで駅前の「レーニン像の下辺りの降車場」に着いたのだが、道中の車窓を視ていると、沿道に一寸した食事が摂れそうな店が色々と見受けられた。

レーニン像の辺りから予約した宿を探しながら歩き、存外にアッサリと宿が見付かった。「チェックインにはやや早い?」と思えたが、普通に受付けてくれた…部屋も感じが好く、とりあえず嵩張るモノを置いて一息入れ、直ぐに街へ出た…

とりあえず、レーニン像を目印にしてアレウツカヤ通という道路を歩き始めた…

↓何か非常に「渋い…」感じの胸像に直ぐ出くわした…「型に填まったつまらないイメージ」との誹りは免れ悪いかもしれないが、「如何にも昔のロシアの、多少地位が在った人物?」というような風貌だ…他方で「物々しい昔の軍服」のような衣装でもない…
Semenov, Vladivostok 14-04-2018 (2)
↑やや古めかしい集合住宅的な高層建築の前に、やや地味な感じで据えられた胸像である…

↓胸像の台座にプレートが据えられ、この人物の紹介が在る…
Semenov, Vladivostok 14-04-2018 (1)
↑「ウラジオストク最初の住人にして企業家、名誉市民のヤコヴ・ラザレヴィチ・セミョーノフ」と在る…

少し気になったので調べてみた…

ヤコヴ・ラザレヴィチ・セミョーノフ(1831-1913)は交易商であり、1861年にウラジオストクに居を構えて事業を軌道に乗せて行くという人物だというが、軍人や官吏以外の“民間人”としてウラジオストクに居を構えた最初の例と伝えられているのだそうだ…

1861年と言えば、ウラジオストクの街が「拓かれ始めたばかり」な時期に相当する。そんな頃から、清国との交易に携わる、漁業への投資を行う等の事業を手掛ける。殊に、申告で需要が在る昆布を調達して送り出すという事業が大きな成果を挙げたらしい…そして1913年、82歳にして他界するが、それまでの半世紀程の間、ヤコヴ・ラザレヴィチ・セミョーノフはウラジオストクに在って活動していたということだ…

ウラジオストクには様々な“貌”(かお)が在る…軍港の街、工業の街、学術活動の街、文化活動の街と色々だが、草創期から港湾を「入口」に拓けた街であることから「交易の街」でもあるのだ…ソ連時代には“軍港”が前面に出ていて、“交易”に関しては近在の別な港にその機能を譲っていたような側面が在ったようだが、現在では国内外の様々な地域との物流拠点にもなって“交易”という貌を取り戻している…そのウラジオストクの貌の一つを創ろうとした人物…それがこの「最初の住民」たるヤコヴ・ラザレヴィチ・セミョーノフかもしれない…

「とりあえず昼食…」とフラフラと「初めて!!」な街の中を歩き始め、街の歴史上、なかなかに大切な役目を担った人物を記念する胸像に出くわした訳である。
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2018年04月24日

ウラジオストク都心部の案内標識(2018.04.15)

↓早朝に辺りを歩いた際に気付いて写真に収めてみた…
morning at Vladivostok 15-04-2018 (6)
↑多分これは「歩行者向け」を意図した標識だと思った。掲出されている高さや文字の大きさからである…

上から…鉄道駅、マリーナ、博物館、客船ターミナル、アートギャラリーが記され、「↑」で方向が示されている。ロシア語と英語の文字…そして最も目立つのは“ピクトグラム”的なモノである…

ウラジオストクには色々な国や地域からの来訪者が入り込んでいる様子が、極短い滞在期間で歩き回っただけでも伺えたが…この種の案内はロシア語と英語とで、色々とゴチャゴチャ書いてはいない…好いと思った…

自身では全然使わないが…「↑」の横に「バーコード」が在る…これをスマートフォン等の端末に読み込ませると、ネットで当該箇所の情報でも出て来るのだろうか?こんなモノが入っていることから、比較的近年に設置された標識と想像出来る…

こういう「来訪者を迎える工夫」は何処の国や地域でも、各々に色々と取組んでいるようだ…
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2018年04月23日

朝の<中央広場>:ウラジオストク (2018.04.15)

↓早朝の…殆ど人が居ない状態…この種の広場は、こんな時間帯に写真を撮るというのが、個人的には好きだ…
morning at Vladivostok 15-04-2018 (4)
↑日中のウラジオストクに着いて歩き回り、正面に視える「社会主義政権下の藝術」という雰囲気が色濃く滲む銅像の一群を視て、「明日の早朝に…」と思い付いて本当に足を運んでしまったのだった…

中央の、かなり高い台座に載せられている、旗を手にした赤軍兵士の像が在る背後の坂道がオケアンスキー通なのだが…坂道の半ば辺りから上、視えている高層建築が霧に霞んでいる…前日の深い霧が「継続中」な感であった…

こういう様子に、「今日も遠景が視え悪い状態?」と思ったのだが、ここの後に辺りを半ば迷いながら歩き回って、宿で一息入れてから戸外に出ると霧は晴れ、時々陽射しが覗く場面も在る「散策には悪くない状況」となったのだった…
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2018年04月22日

<生神女昇天寺院>(2018.04.14)

ウラジオストクのスヴェトランスカヤ通を歩いた…「視える筈?」の巨大な橋が、深い霧や雨で視え悪い中、橋の方角へ進んでいた…

「随分近くに来たが…かなり視えない…」と「橋が視えずに少し残念…」という位に思っている時…鐘の音が聞こえた…「正教の教会?!」と思えば…

↓鐘楼を備えた教会が在った!
Vladivostok on 14-04-2018 (16)

スヴェトランスカヤ通は「海岸に沿って延びている大通」というイメージだが、そこと交差する道路の多くは丘陵状の地形に沿った坂道だ。この教会も少し小高くなった辺りに建っていて、スヴェトランスカヤ通から階段で敷地に上がるような感じになっている。

上がってみると、掲出された看板に「Храм Успения Божией Матери」 と教会の名前が読めた…とりあえず…<生神女昇天寺院>としたが…この教会のウェブサイトも在って、その伝統が紹介されている…

1861年6月、<ウスペンスキー聖堂>という教会が「ウラジオストクで初めてのロシア正教の教会」として開かれた…この<生神女昇天寺院>は、その「ウラジオストクで初めてのロシア正教の教会」の流れを汲むのだそうだ…

<ウスペンスキー聖堂>は正教の活動の拠点として発展して行くのだが、1938年に破壊されてしまった。

1997年頃から「再建」の動きが起こり、2001年に現在の<生神女昇天寺院>が登場しているようだ…

↓なかなかに趣きが在る感じだ…
Vladivostok on 14-04-2018 (17)

↓建物の横に、少し人が集まることも出来るような広場的な場所が在り、そこから建物全景を眺めた…
Vladivostok on 14-04-2018 (18)
↑「華やかで大きな…」ということでもない建物だ…様子を眺めていれば、存外に人の出入りは見受けられ、何か「地域の協会として親しまれている」という雰囲気も伺えた…

ウラジオストクはロシア艦隊の拠点となることが構想されたと同時に、「極東の富」を利用する交易港を擁する街として歩んだ…「最初の民間人住民」とされるような交易商が居を構え、「これからいろいろな人達が住み、往来するように…」という時期に、早速に教会が登場した…嘗てはそれが「当然」だったのかもしれない…例えば…「箱館のロシア領事館」が登場したのは、ウラジオストクが拓かれる少し前という時期だが、そこにもロシア正教の聖職者がやって来ている…少数の関係者のために「必要!!」とされた訳だ…(箱館に関しては、日本に正教がもたらされる切っ掛けになって行ったのだが…)

1990年代のロシアは「ポストソ連」とでも呼ぶべき「ゴチャゴチャした」感じであった…そういう状況から抜け出して新たな歩みを始める中、「街が歩み始めた原点へ…」と、「極東の富」を利用する交易港を擁する街が志向され、ソ連時代の「イデオロギー?」か何かで排されたような「ロシア人の伝統的な心の拠所」のようなモノの「復旧」が志向されたのかもしれない…

<ポクロフスキー司教座聖堂>の再建が志向された頃と、<ウスペンスキー聖堂>の再建が志向された頃とに大きな差は無い…が、後者は現在の<生神女昇天寺院>という形で「より早く登場」することが出来た訳だ…或いは、用地の都合等が在って、現在の形で計画したということなのかもしれないが…

それにしても、この教会の鐘の音…深い霧に煙る海岸部に、スヴェトランスカヤ通を行き交う車輛の走行音に負けじと鳴り響いていたが…何か強く心に残った…「旅行ガイド」的な情報では、余り取り上げられていない場所のようにも思うのだが…「古くからの人々の心の拠所を取り戻そう…」というような感で、「地区で最初の境界の流れ」を意図して建てられた、何となく親しみ易く、「正教関係の建物らしい」というような美しさが在る教会…記憶に残る…
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<ポクロフスキー司教座聖堂>(2018.04.15)

ウラジオストク空港からウラジオストク駅へのバスによる移動の中、「酷く大きなロシア正教のモノと見受けられる教会」が視えて気になっていた…

滞在2日目の「宿での休憩を挟み、朝、日中、夕方と3回で歩く」という展開の“3回目”で、気になった大きな教会を目指した…

駅前のアレウツカヤ通を行き、スヴェトランスカヤ通に入り、<中央広場>が視える辺りのオケアンスキー通の上り坂を行く…坂の上に大きな教会が視える…

↓交通量が多目な辺りの道路に地下通路が設けられていて、そこを通り抜けて地上に出ると、大きな建物が間近に視えた…
at the Pokrovsky Cathedral, Vladivostok 15-04-2018 (1)

↓入口辺りに、「2004年から2007年に再建」の旨が入ったプレートが在る…
at the Pokrovsky Cathedral, Vladivostok 15-04-2018 (5)
↑<ポクロフスキー司教座聖堂>と呼び習わされている教会だ…破壊されてしまった経過が在るモノだが、見事に再建されたという訳だ…

↓“クーポル”を組み合わせた、独特な様式が面白い…
at the Pokrovsky Cathedral, Vladivostok 15-04-2018 (3)

↓やや雲が多い中、輝く屋根が独特な存在感を示していた…
at the Pokrovsky Cathedral, Vladivostok 15-04-2018 (11)
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2018年04月21日

エレオノラ・プレイの像(2018.04.14)

ウラジオストクのスヴェトランスカヤ通を歩き、伝統を誇る<GUM>(百貨店)の華麗な建物等が在る辺り…少し不思議な銅像が佇んでいる…

↓こんな具合に、階段の辺りで何かをしようとしているようなポーズで佇んでいる女性…
Eleanor Lord Pray, Vladivostok 14-04-2018 (3)
↑等身大よりはかなり大きい感じで、存外に目立つので足を停めて眺めた…

何となく思い浮かべたのは…幼少の頃から小学生位までに親しんだ、外国の児童文学に原案を求めたアニメ作品の“世界名作劇場”のようなモノに出て来る劇中人物…要は、それらの作品の原案の小説の背景になっている「19世紀後半から20世紀初め」というような時代の衣装を身に着けた、「良家の奥様」風な女性の像だということである…

↓「この女性は何者?」と思えば、確りと「Eleanor Lord Pray」とフルネームが記されている…
Eleanor Lord Pray, Vladivostok 14-04-2018 (1)

このエレオノラ・プレイは、1894年から1930年までウラジオストクに住み続けていて、その間に実家、親類、友人と方々に盛んに手紙を出していた女性で、その手紙が現在に伝えられているのだという。そのエレオノラ・プレイの像が、長く住んでいたウラジオストクに登場したということだが…その像を視ると、益々「この人物?」と気になる…

エレオノラ・プレイに関しては、「英語による情報」は存外に多く、色々なことが判った…

エレオノラ・ロード・プレイ(Eleanor Lord Pray)(1868-1954)…米国メイン州で産れている…

1894年、フレデリック・プレイと結婚した。シベリアで交易を手掛けた一族の出で、ウラジオストクで<アメリカンストア>という会社を営んでいたチャールズ・スミスという人物が在る。エレオノラの夫であるフレデリックは、このチャールズ・スミスの妻であるサラの弟だ。義兄の会社を手伝うことになり、ウラジオストクへ渡る際に妻のエレオノラを伴った。この時、彼らは太平洋を越えて横浜に至り、横浜からウラジオストクを目指したようだ…

義兄のチャールズ・スミスが1898年に逝去し、<アメリカンストア>という会社の権利は義姉のサラ・スミスが引き継ぐ…

1906年には娘のドロシーが産れている。1916年に、このドロシーを上海のアメリカンスクールで学ばせることにしたが、義姉のサラも上海に移っていた。

1918年には<アメリカンストア>は閉鎖を余儀なくされるが、夫のフレデリックは在ウラジオストク米国領事館の職員となり、ウラジオストクで勤務を続けた。エレオノラもウラジオストクに留まり続けた。

1923年、夫のフレデリックが逝去する。その後、エレオノラは<クンスト&アルバース>というデパートで働いていた…が、1930年にその<クンスト&アルバース>が閉鎖を余儀なくされると、エレオノラ・プレイはウラジオストクを離れた。そして上海で娘や義姉を合流した。

やがて帰国し、1954年にワシントンDCで他界したそうだ…

大雑把に纏めると上記のような感じだが…1894年から1930年の35年間程…彼女自身の「人生の“ド真ん中”」で「人生の半分」をウラジオストクで過ごしている訳だが、「時代が畝っていた」という時期でもある…

1894年と言えば、皇帝ニコライ2世が即位した年だ。ニコライ2世は皇太子時代にウラジオストクへ立ち寄って、駅の起工式も在ったのだが、1890年代はウラジオストクが「新興都市」として大いに発展していたような時期でもある…そして日露戦争が在って、第1次大戦が在って、革命や内戦や外国の派兵というような出来事も在った…

こういう中、新たな土地での新しい暮らしに心弾ませる場面や、一定程度の熟し方が見受けられた社交生活も在って、他方に血腥い戦乱のニュースに気持ちを曇らせる場面や、第1次大戦期には「ドイツ系の姓」というだけで追い払われるようにウラジオストクを去る羽目になった知人達の行く末を案じるような場面も在った訳だ…

そういう揺れた時代の様々なことが活き活きと活写された彼女の手紙は、「大変に貴重な史料」であり、彼女の後裔にあたる人達も含めて多くの人達が参照しているようだ…

↓何気ない銅像なのだが…その背後になかなかに「凄い物語」が在るということになる…
Eleanor Lord Pray, Vladivostok 14-04-2018 (2)
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霧の下の街…:ウラジオストク空港周辺(2018.04.16)

S7航空のA320が離陸すると、間も無く霧を突き抜け、明るく高い空に上昇し始めた…機窓から覗く「下界」は霧に覆われていた…

↓こういう具合に、一面が霧で、一部の背が高い建物や構造物が霧の層から少々抜き出ている感だ…
'S7 3209' on 16-04-2018 (6)

ウラジオストク空港は、海辺に在る街の中心部から40km以上内陸に入った辺りである。「ウラジオストク市」の管轄区域を少しだけ出る…眼下の街が何と呼ばれる場所なのかはよく判らないが…深い霧の中で、人々が朝の一時を過ごしていたことであろう…
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ウラジオストク市章(2018.04.14)

↓ウラジオストクの市章のレリーフを見付けた…
Central Square, Vladivostok 14-04-2018 (1)
↑1880年代から「虎」の市章が用いられているようである、背後に港を象徴する錨を組み合わせるモノや、そうではないモノ等、幾分のバリエーションは見受けられるようだ…

この市章は<軍事功労都市>という、2010年11月4日付の大統領令に関するモニュメントに貼り付いていたモノだ。何となく気に入ったので、写真に収めた…

古くは、虎が家畜を襲うようなことも在ったというが、虎は「地域のシンボル」とされている。所謂「アムールトラ」というモノである。「シベリアン・タイガー」というように呼ぶ場合もあるかもしれない。ロシア語では「ウスリースキー・ティーグル」(ウスリートラ)と呼ぶことが多いのだろうか…大きな雄の個体で、体長が3mで体重が300kgという次元になるという。トラの仲間では「世界最大級」であるそうだが、推定で500頭前後しか棲息していないのだという…
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2018年04月20日

霧の立ち込むウラジオストク空港の早朝(2018.04.16)

未だ暗い早朝のウラジオストク空港に着いてみると、辺りは深い霧に包まれていた…

そういう中ではあったが、順調に搭乗手続きや保安検査を経て、搭乗待合に入った…

↓利用予定の飛行機は視え悪い位置ではあったが…駐機場の様子を窓から眺めていた…
VVO in early morning 16-04-2018 (6)
↑夜遅くに着いたと見受けられる機体が色々と待機している様子が視えた…

滑走路の向こうの遠景…霧で視えない…こういう状態でも、普通に各便は離陸していた…
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“サリャンカ”=美味いロシアのスープ… (2017.04.15)

滞在2日目の「宿での休憩を挟み、朝、日中、夕方と3回で歩く」という展開の“3回目”…宿から<ポクロフスキー司教座聖堂>へ向かった後に坂道を下りて、「宿から然程遠くない辺りで適当に夕食を摂って…」という考えだった…

そして入ったのは、「1923年創業」を謳う、建物の地下に入っているロシア料理のレストランだった…

方々からの来訪者を多く迎えているウラジオストクに在って、店はウラジオストク駅と<中央広場>との間というような位置に在り、「ロシアの街の老舗でロシア料理」と外国人の来店も多いと見受けられる。英語や写真が色々と入ったメニュー表が備えられていた…

そういうメニュー表を何となく眺めて…「“ロシア料理”ということでコレが!しかも“老舗”というから…きっと美味い筈…」と考えて頼んだメニューが在る…

↓コレだ!
dinner at Vladivostok 15-04-2018 (6)
↑ロシア語で、「スープを頂く」ことは「飲む」ではなく「食べる」である。その「食べるスープ」という表現が似合う一皿…“サリャンカ”である。

“サリャンカ”は、肉や野菜、殊にピクルスが入り、色々な調味料が入って少し濃い味がする…酸味、辛味、塩気と様々な味が混然となっていて、具材の肉や野菜を「ドンドン食べる」という感じになる…この店では「肉の“サリャンカ”」と「魚の“サリャンカ”」とが在ったが、私は「肉」を選んだのだった…

“サリャンカ”は、18世紀頃からロシアの貴族達の間で「ウクライナ由来の料理」が流行り始めた中で拡がったと考えられている料理らしい…「18世紀頃から」ということで、「比較的新しい」というように言われているようだ…

所謂「ロシア料理」と呼ばれる様々なモノの中…「殊更に美味いモノ」の一つとして「覚えておくべきモノ」ではないかと、私自身は考えている…と言っても、日本国内の所謂「ロシア料理の店」というような場所では「圧倒的な知名度」の故に「“ボルシチ”ばかりが売れる」というのも見受けられるらしいが…それはそれとして、“サリャンカ”は美味い!!

ここでは、脇に添えられたサワークリームを「少し多い?」とも思える程度に入れて、ガツガツと頂いた…たった一回頂いたに過ぎないのだが…何となく「忘れ難い味」という感だ…
posted by Charlie at 15:13| Comment(0) | HDR/2018年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

蒸気機関車 <Еа3306>:早朝のウラジオストク駅にて… (2018.04.15)

前日は朝からユジノサハリンスク空港に向かって飛行機に乗り、昼過ぎに着いたウラジオストクでは、必ずしも「散策日和…」でもない中で歩き回り、何時の間にか宿で休んでいて、結局早起きしてしまった…

↓前日の「深い霧」のような状況が暗い早朝にも続いていた…ひっそりと静まった感のウラジオストク駅が視える…
at Vladivostok Railway Station in early morning 15-04-2018 (1)
↑後で判ったのだが、駅舎正面に掲げられている<ВЛАДИВОСТОК>(ウラジオストク)のサインは、本来は「光っている」のだが、既に消灯されていた…

駅舎の奥の方、船が発着するターミナルの看板は未だ灯りが入っている。更に奥の巨大な橋梁だが、暗さに加えて霧のために殆ど視えない。辛うじて橋梁上の街灯の灯りが「微かな点線」のように視えている…

盛んに列車が発着しているでもない早朝、恐らく確りと警備されているであろう駅舎に入ることは躊躇われ、アッサリ諦めたが、奥の客船のターミナル側へ通じる歩道橋は自由に出入り出来た。

↓その歩道橋から、貫録が在る蒸気機関車が広いホームに展示されている様子が視えた…
at Vladivostok Railway Station in early morning 15-04-2018 (2)

↓歩道橋からホームに降りることが出来た…大きな蒸気機関車を眺めた…
at Vladivostok Railway Station in early morning 15-04-2018 (3)
↑第2次大戦期の沿海地方に於ける鉄道関係者の功績を讃える意味を込め、往時の代表的な機関車を展示しているということのようだ…

↓ランプを点した状態での静態保存展示…なかなかに好い!
at Vladivostok Railway Station in early morning 15-04-2018 (4)

蒸気機関車は<Е>(イェー)と呼ばれる形式で、製造年次や仕様の違いで、<Е>の後に小さなアルファベットが付される。この車輛は<А>である。「小さな字」を手書き以外で巧く表記出来ないので、便宜的に<Еа>としたが…この機関車は3306号機だ…1943年頃のモノらしい…

↓「1520mm」と幅が広い軌道のソ連・ロシアの鉄道で使用する機関車…それも恐らくは様々な車輛を組み合わせた長大な編成の列車を牽引する機関車なので、非常に大きく迫力が在る…
at Vladivostok Railway Station in early morning 15-04-2018 (5)

↓「旅客列車の高速化」を意図した型に見受けられる巨大な動輪ではなく、「パワー重視」な動輪であると見受けられる…
at Vladivostok Railway Station in early morning 15-04-2018 (6)

↓辺りの「立入禁止」のテープが鬱陶しいが…こういうことでもしなければ、この運転台によじ登る人が絶えないことであろう…
at Vladivostok Railway Station in early morning 15-04-2018 (7)

↓一定の敬意を払われて、行き交う「後輩」の車輛や、興味深げに近付く旅客の目線を受け、ゆったりと余生を送っている感な蒸気機関車だ…
at Vladivostok Railway Station in early morning 15-04-2018 (9)

第2次大戦期には、ソ連の鉄道は兵員や物資の輸送でかなり重要な役目をになったのだというが、こういう型の機関車が各地を巡っていた訳だ…
posted by Charlie at 07:30| Comment(0) | HDR/2018年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<Золотая Бочка>(ザラタヤ ボチカ)=ロシアのビール (2018.04.15)

ウラジオストクで、「1923年創業」を謳う、建物の地階に在るロシア料理店に入った。夕食を愉しんだ訳だ…存外に小さな、少し味わいのある店内だった…

席に案内され、料理を頼んだ際に「飲物?」ということになった…「ビールでも…」と言えば「ロシアのビール?」ということになり、「それが好い…」と応じると「<Золотая Бочка>(ザラタヤ ボチカ)は如何か?」となって「それを頼む!」ということになった…

↓適当に冷えた、好い状態のビールが出て来た!
dinner at Vladivostok 15-04-2018 (2)
↑色が薄い、日本国内で広く親しまれているタイプにやや近い感じのビールで飲み易かった…

<Золотая Бочка>(ザラタヤ ボチカ)という名だが…「黄金の樽」というような意味になる…が…「ビールの銘柄の固有名詞」ということで、「ザラタヤ ボチカ」と記憶したい感だ…
posted by Charlie at 04:51| Comment(0) | HDR/2018年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月19日

「ロシア柔道の祖」の記念碑:ウラジオストク(2018.04.15)

↓海岸に沿った、緑地のように整備されている辺りに、不思議な像が在る…
Judo monument, Vladivostok 15-04-2018 (1)
↑遠くから「鳥居」らしきモノが見えて「何なんだ?!」と近付いた。3人の人物…柔道着姿だ…

講道館柔道を学んだロシア人、ワシリー・オシチェプコフが嘉納治五郎から、嘉納治五郎の弟子の一人である苫米地英俊の立会いの下に黒帯を授けられている様子なのだということだ…このモニュメントは2016年9月に除幕したらしい…

ワシリー・オシチェプコフは1914年にウラジオストクで柔道場を開いたのだそうだが、それが「ロシアの柔道」の事始めらしい…そして体育大学の教員であったワシリー・オシチェプコフは、1920年代終わりから1930年代にかけて、柔道に着想を得た格闘技を考案した。サンボである…

ワシリー・オシチェプコフは日本の柔道に惹かれて、真摯にそれを学び、学んだことを教員として伝えようとしていただけなのだが…1937年10月、「粛清の時代」の波に呑まれ、「日本のスパイ」という妙な嫌疑で収監され、獄中で心臓発作のために他界してしまった…が、1957年に名誉回復はされている…

今や柔道は、寧ろ「JUDO」という位に世界中で親しまれている。ロシアにそれをもたらした人物が、初めて柔道場を開いたのが、様々な人やモノが行き交うウラジオストクであったというのは、少し面白い…

↓3人の人物像は、概ね等身大だ…ワシリー・オシチェプコフは、講道館に在っては「抜きん出て長身」であったのであろう…
Judo monument, Vladivostok 15-04-2018 (2)
posted by Charlie at 17:55| Comment(0) | HDR/2018年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>の建物:日没後の風情(2018.04.15)

↓夕食を愉しんだ後、戸外に出て「おぉっ!」と注目した…
in evening at Vladivostok 15-04-2018 (1)
↑「角」を利用した美しい建物である…

非常に美しい建物だが、スヴェトランスカヤ通がアレウツカヤ通と交差する辺りで、双方共に交通量が多いことから、写真撮影にはやや不向きな感もする…

建物は<アルセーニエフ記念沿海地方総合博物館>として利用されている。沿海地方各地の多くの博物館が、この総合博物館の支所という扱いになっているらしいが、ここが本部であるのだという…

「沿海地方総合博物館」の前に在る「アルセーニエフ記念」だが…これはウラジーミル・クラウディエヴィチ・アルセーニエフ(Владимир Клавдиевич Арсеньев)(1872-1930)という、沿海地方の色々なことを広く紹介する功績が在った人物を記念している。往年の日ソ合作映画の『デルスウザーラ』に、このアルセーニエフをモデルとする劇中人物が在り、その役をソ連では非常に有名な俳優で、ロシア時代に入っても活躍を続けている、かのユーリー・ソローミンが演じていた…

そしてこの建物だが…1918年から1924年まで、横浜正金銀行の支店が入っていたそうだ…

「横浜正金銀行」?1879年に創設され、国外との取引に関連した業務を主に担っていた銀行だという…1946年まで活動を続け、当時新設された「東京銀行」に営業が譲渡されている。やがて「東京銀行」は1996年に三菱銀行と合併し、行名が何度か変わって、現在は「三菱UFJ銀行」となっている…

現在は博物館になっている建物に在ったという「横浜正金銀行」の活動は限定的な期間であったようだが、ウラジオストクから退いた後、関係業務はハルビン支店に引き継がれたのだそうだ…

街角の美しい建物に、様々な歴史の物語が…こういうのが愉しい!!「博物館」ということなのだが…或いは「建物そのもの」も、「博物館の大切な展示品」と言えるかもしれない…
posted by Charlie at 16:30| Comment(0) | HDR/2018年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日没後…:レーニン像の背中とウラジオストク駅舎(2018.04.15)

俄雨が交じったような時間帯も在ったが、早朝の霧が日中には晴れ、「曇時々晴れ」という感の一日だった…結果的に「3回に分けて」という感で動き廻った…

ゆったりと夕食を愉しみ始めた辺りには未だ明るかったが…「1923年創業」を謳うロシア料理の店での食事に満足し、外に出る頃には陽が落ちてしまって、暗くなっていた…

↓自身にとっては、空港からのバスが到着した辺りという訳で「初めて下立ったウラジオストクの街中…」ということになるのだが、この辺りの景色が気に入った…
in evening at Vladivostok 15-04-2018 (7)
↑酷く早い時間帯に空港へ発つので、こういう具合に眺めるのは「今般の滞在で最後の機会」となった…

レーニンの背中…駅舎…<ВЛАДИВОСТОК>の文字は、早朝には電飾が消えていたが、紅く輝いている…更に、駅の背後にはあの巨大な橋梁の上に据えられた街灯の光が“点線”を形成している…

↓やや退いた感じの眺めだ…
in evening at Vladivostok 15-04-2018 (4)

今般、極短い期間ながらウラジオストクに滞在し、「最初から最後まで」という感で付き合ったのがこの光景…強く記憶に残る…また何度でも出くわしたい光景である…
posted by Charlie at 00:00| Comment(0) | HDR/2018年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月18日

帆船のグラフィティー:アレウツカヤ通(2018.04.15)

交通量の多い通に新旧様々な建物が在るのだが…

↓壁に帆船の美しいグラフィティーが施された建物を見付けた…
Vladivostok 15-04-2018 (P7700) (2)

↓建物はこういう感じで建っている…
Vladivostok in early evening 15-04-2018 (1)

↓画の右奥が西寄りに相当するようだ…
Vladivostok in early evening 15-04-2018 (3)
↑雲がやや多い中、傾いた陽が放つ光線が空を独特な状態にしている…そういう背景が好い…

何か…“帆船”という画の題材が凄く「港町らしい」感じで面白い…

1枚目の画はP7700、2枚目と3枚目とはX100Fでそれぞれ撮影している…
posted by Charlie at 22:27| Comment(0) | HDR/2018年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

A.I.ソルジェニーツィン像(2018.04.15)

↓「何処かで視た顔…」と足を停めた…
Solzhenitsyn at Vladivostok 15-04-2018 (1)
↑「等身大」とすれば、モデルの人物は「かなり大柄」ということになるであろう…そんな大きさの像だ…

↓何か「遠い未来を見詰める」かのような、「深い想い」が籠ったような目線を感じさせる…
Solzhenitsyn at Vladivostok 15-04-2018 (4)
↑背後にはロシア海軍の艦艇も見受けられるのだが、海を背に佇んでいる像だ…

像のモデルは…アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン(Александр Исаевич Солженицын)(1918-2008)である…

ソルジェニーツィンは、『収容所群島』や『イワン・デニーソヴィチの一日』が話題となり、1970年にノーベル文学賞を贈られた作家である。が…1974年に「ソ連の市民権を剥奪し、国外へ追放」ということになってしまう…(因みに「ソ連の市民権を剥奪し、国外へ追放」というのは、1929年にかのトロツキーに対して取られた措置が在って、ソルジェニーツィンの例はそれ以来だったようだ…)

ソルジェニーツィンは、ドイツやスイスで暮らした後に米国へ移り、主に米国を拠点としていた…そういう状態は1994年まで続く…

↓ソルジェニーツィンは海を背に、歩を進めようとしている…
Solzhenitsyn at Vladivostok 15-04-2018 (3)
↑これは…「上陸」というイメージだ…

「ソ連の市民権を剥奪し、国外へ追放」という措置が取り消され、「ロシアの市民権」を取り戻したソルジェニーツィンは、ウラジオストクからロシアに帰還し、シベリア鉄道で各地を巡ったのだという…

ウラジオストクのソルジェニーツィン像は、「帰還した作家が上陸」ということを記念するモノであるようだ…

来訪者が或る程度多い感じの、海岸の緑地に設けられた像だが…注目している人は見受けられなかった…私は「あのソルジェニーツィン…」と、なかなかよく出来た像を見入っていたのだった…
posted by Charlie at 18:30| Comment(0) | HDR/2018年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<С-56>(S-56)(2018.04.15)

ウラジオストク都心部の大きな広場の傍に在る海沿いの道を進むと、都市緑地として整備された一画に行き当たる…

↓陸に揚げられた型で、巨大な<黄金橋>を背景に船が鎮座している…
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (1)
↑やや「変わった形?」な船だが…これはソ連軍の昔の潜水艦で<С-56>(S-56)という…

“С”(エス)は「Средняя」(スリェドニャヤ)から来ているそうで、「中型の」というようなことであろう。1939年に進水し、第2次大戦期に活動、1955年に退役している。1975年から、金角湾を望む場所に揚げられて、展示されている。辺りは第2次大戦の戦没者を記念する広場が設けられている…

↓延長は77mに及ぶということで、なかなかに細長く大きい…
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (2)

第2次大戦期の潜水艦?これは「常時、海中に在る」というような近年のモノとはイメージがことなる。殆どの時間は洋上を航行していて、作戦行動や攻撃から逃れるという限られた場面で海中に潜航することになっていたのが、第2次大戦期の潜水艦である…

↓洋上で戦闘に及ぶことも在る訳で、こういうような艦砲が据えられている訳である…
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (15)
↑近年の潜水艦は、「艦の上で乗員が動く」ことが殆ど想定されていないが、第2次大戦期の潜水艦は細長い甲板が設えられていて、こういう艦砲を操作するような場面も在ったようだ…

↓<С-56>は博物館になっていて、中に入ることが出来る…そして入場料の100ルーブルに加えて、50ルーブル払うと、写真撮影も許可になる…(ロシアの博物館では「在る」パターンのようだ…)
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (5)
↑流石に、潜水艦の艦内は狭隘だ…

艦内には、この艦の沿革等を紹介する「普通の展示」も見受けられるのだが…それ以上に「艦そのもの!」が「大変に貴重な展示」である…

入口は艦尾の側で、艦首側へドンドン進む。第2次大戦期の潜水艦…「水圧に耐える」、「損害を受けた際への備え」ということで、頑丈な隔壁で艦内が区画分けされ、「他の区画」への通路は狭い…

↓恐らく「指揮所」であった場所であろう…潜望鏡が在る…
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (7)
↑潜望鏡は機能していないようで、恐らく艦橋部から甲板へ出られる階段が現役時代はこの辺りに在ったのだと想像したが、それは撤去されていた…

↓艦首の魚雷発射管が据えられた辺りへの通路だ…
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (8)
↑乗員の寝台も在ったようで、「上がらないで下さい!!」の貼り紙も見受けられた…

↓大きな魚雷、乗員の寝台、4本の魚雷発射管…なかなかの迫力だ…
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (9)

↓「2番管に装填!」という感じに展示されている…
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (13)

↓魚雷発射管の蓋は、レニングラードの工場を示すと見受けられる語が確りと鋳造されている…
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (11)

何れにしても…第2次大戦期の潜水艦というのは…なかなかに大変な乗物だったことが判る…以前に楽しんだ『Uボート』という映画に出て来る潜水艦に一寸似ている…殆ど同じ時期の艦なので、それも当然なのだが…

↓こんな時代の潜水艦の「中」まで視られるような事例…余り思い当たらない…そういう意味でも、大変に興味深く見学した!
'S-56' at Vladivostok 15-04-2018 (17)

ウラジオストクを訪ねるということで「あれ!!」と覚えていたこの潜水艦…出会うことが叶って好かった…
posted by Charlie at 00:33| Comment(0) | HDR/2018年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする