「崇神天皇7年」??崇神天皇(すじんてんのう)とは3世紀から4世紀頃に実在したと考えられる第10代の天皇である…その天皇の在位中に創建?
そういう“伝説”というような創建の歴史を有しているという神社が、奈良県天理市に在る石上神宮(いそのかみじんぐう)だ。大和朝廷の軍事面を司って活躍したと伝えられる豪族、物部氏の氏神だった神社でもあるという…
「天理市を訪ねる」ということなら、JRや近鉄の天理駅を目掛けて列車で行けば好い。今般は近鉄の列車で天理駅へ行ってみた。沿線は、奈良市内の一部を除くと、寧ろ田や畑、或いは森が視えるような感じで、天理駅の近くは住宅街が拡がって、やがて「小規模な都市の中心」という風情になって行く…天理市は6万7千人程度の人口規模であるようだ…
“伝説”というような創建の歴史を有している石上神宮に興味を覚え、天理駅に出たが…結局「片道30分弱」という道程を歩くのが合理的ということになるかもしれない…路線バスが天理駅前から石上神宮の近くまで走ってはいるのだが、「1日に数本」という、利用し悪いレベルなのでである…
訪ねた日は好天でもあり、「天理市?こういう感じか…」とフラフラと歩いた。「片道30分弱」という道程の半分位は、屋根が在る商店街になっている道筋で、原則的に車輛が進入しない、非常に歩き易い道だった…その商店街が途切れた辺りに、一寸驚いてしまうような大きな建物―私が視た事の在る範囲で言えば…西本願寺の大きな御影堂を1.5倍か2倍位に拡大したような建築物が3棟も連接されたような感じだった…―が在り、看板を視て天理教の本部であると知った。その天理教本部の辺りを通り過ぎて更に少し進むと、石上神宮に入る辺りに通じる道路に行き当たる。その道路に行き当たる辺りにコンビニが在り、一息入れてから石上神宮に向かった…
↓森の中に入って行くような感じで設えられた道を進むと、“布留社”という石上神宮の古い異称が刻まれた灯篭が在って、木々の向こうに鳥居が視える…

↑遥かな古代に興った社の、名状し悪いエネルギーが籠っているような…そういう気がする空間だ…
↓社殿の手前に楼門が設けられている…

↑何度となく修繕されているのであろうが、屋根の感じが如何にも「古くからの伝統を伝える社」という風である…
↓楼門を潜ると、拝殿が視える…

↑この拝殿で参拝をするのである…
↓拝殿の奥に本殿が在るが…本殿は明治時代に設けられたのだという…

↑永く石上神宮は本殿を持たず、現在の本殿の場所そのものである“禁足地”が御神体という扱いだったが…調査の結果“七支刀”という古代の祭祀に用いた剣が出土したことから、それを祀る本殿を設けたそうだ…
↓境内の辺りには、大きな木も多く見受けられた…

↑これは葉が落ちてしまった銀杏のようだ…とにかく大きかった…
↓葉が「通行の邪魔」になるような様子でもなく、銀杏の大木の足下に「絨毯のような」という次元を踏み越えて、何やら「マットレス?」という程度に夥しい量の銀杏の葉が積もっていた…

↓凄く気持ちが安らぐ空間が拡がっている。来訪者も非常に多いという訳でもなく、静かであったこととも相俟って、何となく「らしい!」と思える「伝統の社」の空間だった…

↓鶏の小屋が?視えているのは…確か“烏骨鶏”という、少し珍しい種類の鶏だ…

↑石上神宮では、40年程前に寄進を受けたことが切っ掛けで、鶏を境内で大切にしているそうだ。色々な種類の鶏が境内を徘徊していて、何やら餌を啄んだり、元気よく「コケコッコー!」と声を発していた…夜に動物の襲撃を受ける場合が在り、身軽な種類の鶏は高めな枝にジャンプして、そこで休むらしい。そういうことがやり難い種類の鶏達のために、画のような小屋を用意しているのだそうだ…「暁を告げる」として鶏は神聖視されている側面も在る。そんな鶏は、思えば来年の干支だ…ここで出会えて善かったかもしれない…
↓この石上神宮の辺りの森は、常緑樹が主流を占めている様子だ…紅葉した木が若干在ったものの、遥かな古代から続く社のエネルギーを包むような緑の葉が繁っている感じだった…

「単純に駅との間を往復するだけで小一時間」ということで、多少の“ゆとり”が無ければ訪ね悪い側面も否定し得ない場所だが…今般は「数日の関西滞在で、ゆっくりと気が向くように方々へ…」ということだったので、ここを訪ねることが叶ったように思う。今般は非常に好かった!
posted by Charlie at 07:39|
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HDR/2016年11月-12月の旅
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