2017年01月30日

<はぼろ温泉サンセットプラザ>前(2016.12.03)

北海道の日本海側、やや北寄りの羽幌町…稚内・札幌間を移動する場合、何となく“中間点”というのか、「やや稚内寄り」というような感じの場所だ…

↓稚内・札幌間の都市間バスは、その羽幌町の<はぼろ温泉サンセットプラザ>前で休憩停車をする…
Haboro on DEC 03, 2016 (2)
↑時々、北上するバスと南下するバスが仲良く並ぶことも在る…稚内・札幌間は2つのバス会社が共同運行しているが、この日は北上中も南下中も同じ会社の車輛が使われていた…

この日…乗車していた北上するバスがここに着いて休憩停車…好天なので戸外で寛いでいると、南下中のバスも到着して停車した。その南下中のバスから「視たことの在る人が?」と思えば友人の一人で、札幌を経て新千歳空港へ向かおうと、バスで移動中だったのだという。互いに少し驚きながら笑った…
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2017年01月29日

砂川サービスエリア(2016.12.03)

札幌都心の大通エリアの東寄りに在る<バスセンター>から、「稚内行」の都市間バスは出発する…私は多くの場合…動き出して「やや混み合っている場合も多い札幌の街の路」をバスが走行している間に、居眠りに陥ってしまう…そして「何処を走っている?」と思いながら気付くと、バスは高速道路の上を快走している…

↓「高速道路の上か…」と思っていれば、バスは砂川サービスエリアで最初の休憩停車だ…
Sunagawa on DEC 03, 2016 (4)
↑駐車場からサービスエリアの建物を往復する…好天の日は、冬でも一寸気持ちが好い…

このアイボリーホワイトにグリーン系や黄色系のアクセントが配されたバス…比較的新しい車輛である場合が多く、乗り心地は好い…また自身では余り利用しないが、車内でWiFiも使える場合が多い…地元の稚内では「自家用車等以外で札幌辺りを往来」という場合、交通手段としてこの都市間バスを思い浮かべる方が多数派を占めるかもしれない…
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2017年01月06日

大阪城天守閣(2016.12.01)

大阪に滞在した折り…何か妙に「あの天守閣が視たい…」という気持ちが高まった…

2016年は、クライマックスで“大坂城”が舞台となるテレビドラマを愉しく観ていた経過が在って、大阪に滞在していた日にも放映が在ったのを視たというのが影響していたのかもしれない…

地下鉄の1日乗車券を手に、大阪市内を動き回っていた日の夕刻近く…大阪城を訪ねた…

↓こういう具合に、木立の間から天守閣の上層階が覗くような感じ…意外に好きだ…
Osaka Castle on DEC 01, 2016 vol02 (3)

↓正しく“足下”のような位置に近寄ったが、「遠くから望む」に留まらず、間近に寄ったのは久し振りなように思った…
Osaka Castle on DEC 01, 2016 vol01 (3)

↓天守閣へ登楼する場合の入口も見える側に着いたが…既に入場受付を締め切った後だった…
Osaka Castle on DEC 01, 2016 vol02 (13)

↓傾く陽の光が劇的という程でもなかったが…次第に暗くなる中に巨大な天守閣というのは、なかなかに趣が在るモノだった…
Osaka Castle on DEC 01, 2016 vol01 (6)

↓引揚げるに連れて辺りは暗くなった…
Osaka Castle on DEC 01, 2016 vol01 (12)

この大阪城天守閣…「昭和天皇の即位を記念」というようなことも在って1930年代に入って登場した鉄筋コンクリート造のモノだが…既に昭和も遠くなっている中、「そういう時代」を伝える文化遺産という性質を帯びて来ているかもしれない等と感じた…この天守閣…現在見られるこの種のモノとしては最大級であるとは思うのだが…それでも遠くから見ると、辺りの高層建築の陰になってしまっている…昭和の初め頃、何度か大阪に行啓した天皇陛下が登楼した経過も在るのだそうだが…当時は、ここが「辺りで最も高い」建築物だったそうだ…
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三原駅で待機中の227系電車(2016.11.23)

↓「福山から呉線経由で広島」と考えて、未だ暗かった福山駅から列車で出発し、途中の三原駅に至った…
Mihara Station on NOV 23, 2016 (1)
↑福山から三原の区間では、少し眼に馴染んだ「黄色の115系電車」だった…「夜の残滓」が色濃い中での移動だった…

↓三原駅の「隣りのホーム」で待機していた、呉線を経由して広島駅まで向かう列車だ…
Mihara Station on NOV 23, 2016 (2)
↑広島圏に投入された、新しい車輛の227系電車を初めて間近に視たのだった…

↓「休日の早朝」ということで、車内は空いていたので、車内の様子も写真に撮っておいた。
Mihara Station on NOV 23, 2016 (4)
↑なかなか座り心地が好いシートだった…2015年登場の車輛と言うが、マダマダ真新しい感じがする車内だ…

考えてみると、呉線の広駅以東の三原駅から、広島駅へ直通する列車は本数が限定されているようなので「少し貴重」な乗車経験だったかもしれない…が、この時は竹原駅まで乗車した…
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2016年12月23日

機窓:遠方に富士山…(2016.12.02)

飛行機に搭乗し、窓側の席に…基本的には窓からの眺めを愉しんでみたいと考えるのだが…時には座って程無く居眠りに陥り、気付いた時に一面に雲が拡がっている様子を視て「私は?何処に居るのだ?!」と慌てる場合も在る…

12月2日に神戸空港から新千歳空港へのフライトを利用した。神戸を離陸した飛行機は、日本海側に向かいながら北上する航路を飛ぶ…今回は、居眠りに陥るという時間は極々僅かで、窓からの眺めを愉しんでいた…

↓こういう様子を視た!
views from airplane window on DEC 02, 2016 vol02 (19)
↑画の手前側は、頂きが雪を被っている、本州を貫いて拡がる山地であろうが…奥に富士山が!!

特に機内で案内が在ったでもないが…「日本海よりな高空から本州を見下ろす」という状況の中、視えている型の山は、そして大きさも富士山以外には考え悪い…「関西から北海道」の日本海寄りを飛ぶ航路の場合、窓から見える富士山は「山梨県側からの眺望」ということになるであろうか…

それにしても…飛行機で本州方面の上空に出て、「富士山が見えた」ということになると、何となく嬉しいものだ…「だから、どうした?」という話しではあるかもしれないが…
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大阪:桜川駅の出入口(2016.12.02)

出先で数日間滞在し、滞在中に動き回る場合、“出発点”、“帰着点”というような型で利用する最寄駅に関しては、何か「勝手な愛着感」が湧く…

↓これは大阪の宿を発ち、神戸空港を目指した場面…何度も利用した桜川駅に「今回の最後の機会」として入った時の画だ…
Sakuragawa Station on DEC 02, 2016

何処かから立ち去る場面で…天候が酷く悪ければ、無事に移動が出来るのか否かが心配になるばかりだが…雨天であると、私が立ち去ることに関して「この場所が惜しんでくれているのか?」等と思う…そして好天であれば…「また、何時でも来て…」と微笑みかけられているような気分になる…

何度も利用した桜川駅の画を見て、何やら酷く懐かしい気分が込み上げるのだが…或いは「また何時でも寄ってや…」と笑顔で送り出してくれたのかもしれない…
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2016年12月22日

大阪:地下鉄御堂筋線の駅名表示(2016.12.02)

↓<大阪歴史博物館>の展示で、地下鉄御堂筋線が紹介されている…開通した頃の車輛の形状を示し、往時の人達のような服装の等身大人形を据えて、大きさの感じが判る。電車の車輛は、近年のモノより「やや小ぶり」である…
Osaka Museum of History on NOV 27, 2016 (15)
↑1933(昭和8)年に「梅田・心斎橋」の区間が開通したというが、これは「日本初の公営地下鉄」でもあったのだという…地下鉄御堂筋線は、既に80年以上も動いている訳だ…

開業した当初の御堂筋線は、当時の街を縦横に走っていた路面電車と比べると「階段を下りて乗車」ということが在り、加えて運賃も相対的に高く、人気が低かったらしいが…現在では新幹線の新大阪、JR大阪駅が在って阪急や阪神のターミナルになる梅田、大阪市役所の本庁舎が在って京阪の通っている淀屋橋、南海や近鉄のターミナルで阪神も乗入れている難波、JR天王寺駅と近鉄の南大阪線の大阪阿部野橋駅に連絡し、序に阪堺の路面電車も利用可能な天王寺と「大阪の南北の交通結節点を貫く」という路線―所謂「関西5大私鉄」の各社ターミナルと繋がる。JRでも在来線の大阪駅と新幹線の新大阪駅という「2大ターミナル」に繋がる…―で、本町や心斎橋のような商業地も通り、2014年辺りの資料に拠ると「1日平均113万人」が利用しているのだという…現在、“御堂筋線”と言う場合、その区間は江坂・中百舌鳥間の20駅24.5qを指し、1987年にこの区間が全通しているそうだ。一部は大阪市の域から食み出して、吹田市や堺市に駅が設けられている…

こういうような、伝統も在り、物凄く利用されている大阪の地下鉄御堂筋線だが、何かで大阪に立寄った際には、多分「必ず」滞在中に1回や2回は利用している…以前に大阪滞在に関して「夜遅くに着いて、翌日の午前中に新幹線で九州に去った」ような「極短い滞在」に終始した時でさえ、天王寺・新大阪間でこの御堂筋線を確り利用したことを覚えている…そういう「大阪へ足を踏み入れれば、“必ず”と言って差し支えない程に御世話になる」存在の地下鉄だ…

今般、大阪に滞在した中でも御堂筋線を何度も利用したが…少し気になったのは、各駅で見掛ける駅名表示だった…

↓梅田駅である…
Osaka Underground on DEC 02, 2016 (4)
↑「うめだ」と読み仮名付で「梅田」の漢字が記され、「Umeda」とローマ字が在って「M16」という番号が明記…そして手前が「M17」の淀屋橋で、次が「M15」の中津であることが示されている…この「M16」というような番号だが、車内で流れる録音によるアナウンスでも英語が流れて「エム シックスティーン…」というように確り案内していた…

↓本町駅である…
Osaka Underground on DEC 02, 2016 (3)
↑「ほんまち」と読み仮名付で「本町」の漢字に、「Hommachi」というローマ字…ここは「船場西」と呼び習わされる地区で、その旨が駅名表示の真中に加えられているが、基本的な書式は梅田駅と全く同じだ…

こういうものが「気になった」のは…「シンプルで美しく、非常に視易い!」と思ったからだ…

御堂筋線の列車に乗車してみれば…老若男女の色々な人達が居る。ぼんやり乗車して聞こえる話し声と言えば…大阪なので関西風な話し口調の日本語が最も多いが、「何処の地域から?」と思える、少し違う話し口調の日本語もよく聞こえる。そして外国語…多少判るモノも在れば、「○○語?」と推測、推定可能なモノも在り、更に「少なくとも日本語以外であろう…」というよく判らないモノも聞こえる…

そういう状態でありながら…何処かの地下鉄の駅に在るような、ハングルや“簡体”や“繁体”という2種類の中国語文字などが「ゴタゴタ」と加わっていない…恐らく、「1日に100万人以上」が利用するという地下鉄なら、何処かの地下鉄の駅に在るような文字を読む人達が、数千人や数万人は居る筈だ…それでも…無い…そのことに驚いたが、同時に好感も抱いた。

馴れた人は駅名を一瞥すれば、何処を通っているか、何処に着いたかが判る…不慣れな場合、恐らく乗客の相当な割合の人が、漢字、平仮名、ローマ字(アルファベット)が在れば「駅の呼称」はとりあえず判る。漢字に関しては、幾つかの読み方が考えられる場合が在って難しいかもしれない。例えば「本町」は「ほんまち」だが、同じ漢字を「ほんちょう」と読ませる住所は方々に在るであろうし、「もとまち」という場合も、更にもっと変わった独特な読み方をする場合さえ在るかもしれない…が、これは仮名文字とローマ字で「ほんまち」である旨がハッキリ判る。更に、「ほんまち」と発音し悪いという場合や、不慣れな固有名詞を記憶し悪いという場合でも「M18」という番号や、「赤い色で図等に示される“M”の路線…」と御堂筋線を認識して、地下鉄を多くの人が利用出来る…

要は、読み仮名付で漢字、ローマ字、路線の記号と駅番号という「シンプルで美しい」表示が在れば、乗客の圧倒的多数は「困らないのではないか?」と思うのだ…

伝統も在って、非常に多くの人達が利用している御堂筋線を便利に利用しながら、少し変わったことを考えていたかもしれない…が、こういうような「公共のモノのデザイン」というようなことに関しては、色々な場所を訪ねて、モノを色々と見ながら考えることが、存外に重要なように思う。
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広島駅の227系電車(2016.11.23)

広駅から乗込んだ快速列車で広島駅に到着した。

広島駅から岩国駅を目指そうとしたが、到着したホームで待っていれば、乗車すべき列車が現れることが判った。午前中に、大崎下島の御手洗で求め、バッグに入れて在った<大長みかん>を1個取り出し、渇きを癒しながらホームで寛いでいた…

↓到着した列車は、折り返し広駅へ向かう快速列車になる様子だった…
Hiroshima Station on NOV 23, 2016 (4)
↑発車に向けて待機している乗務員さんは女性だ。JR西日本のエリアでは、女性の乗務員さんに出くわす確率が高いように思う…

↓こういう具合に、227系が並んで停車する様子も見受けられた…
Hiroshima Station on NOV 23, 2016 (6)
↑急速に227系の出番が拡がっている様子が伺える…左側は、乗車することになる岩国行になる車輛だ…

↓車内の保温を顧慮し、少し待機している場面では「ボタンを押して扉を開閉」ということになっている…
Hiroshima Station on NOV 23, 2016 (7)

こうして視ると…「227系のステンレスに赤のアクセント」が、「広島辺りの鉄道の風景」に急速に浸透している様子が伺える…

結局、思ったとおりに岩国へ227系で移動したが…機会が在れば、この227系で広島エリアを縦横に動き回ってみたいものだ…
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2016年12月21日

電車の前面に映り込む駅構内―阪急 河原町駅(2016.11.29)

阪急の京都線は、京都都心部の四条の地下を通って起点・終点の河原町駅に至る…

↓河原町駅に着いた列車の多くは、折り返しで大阪方面に向かう…出発まで、ホームで待機する…
Kawaramachi Station on NOV 29, 2016 (2)
↑この列車は大阪のターミナルである梅田駅を目指すことになる…

スッキリした地下駅である河原町駅だが…「ピカピカの車体」というのが御馴染な阪急の電車が停車していると、ホームの床に貼られた点字ブロックから天井の照明に至るまでが、立体的な車輛に複雑な形に映り込んで一寸面白い…暫し眺めてしまう…

停車中の列車は“特急”である。9300系電車という形式で、2003年に登場した京都線の“主力”とされる車輛のようだ…

阪急京都線の特急は河原町を出ると、烏丸、桂、長岡天神、高槻市、茨木市、淡路、十三の各駅に停車しながら、43分間で梅田に到着する…因みに、主に早朝に運転される河原町・梅田の各駅に停車する普通列車は64分間で両駅を結ぶそうだ…

今般の旅では、この「ピカピカの車体」の阪急の列車を多用したように思う…
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2016年12月20日

呉線 竹原駅から広駅(2016.11.23)

竹原駅から、広島駅を経て岩国駅を目指そうとした。

竹原駅に掲出されている時刻表では「三原・福山方面」、「呉・広島方面」という具合に列車が案内されていた。後者、西へ向かう「呉・広島方面」の案内を視る…

時刻表の発車時刻の数字脇、上辺りに列車の行先を示す文字が在る。竹原駅を出る「呉・広島方面」の列車の行先として“広”という文字が付いたモノが多かった…

これを視て…「“広”は“広島”の略なのだろう…」と私は思った。辺りでは広島駅が圧倒的に大きく、各列車が広島駅を目指すのは当然のように思える…

↓そう考えていたところに105系電車が現れた…列車の先頭には“広”の一文字が行先として表示されていた…
Takehara Station on NOV 23, 2016 (3)
↑とりあえずこの列車に乗車した…105系電車は「少し懐かしい感じの内装」で、何となく味わい深い感じがして好感を抱いた…

↓小一時間もこの105系に揺られていたが…列車は“広”という一文字の名を有する駅に到着した…
Hiro Station on NOV 23, 2016 (1)
↑乗務員さんが下車する乗客の様子を見守っているが、ここまで運んでくれた黄色―中国地方で多く見掛けた単色塗装…個人的には、こういう感じの塗装は好きだ…―の105系電車は、とりあえず回送になるようだった…

広駅は呉市内に在る駅で、1935(昭和10)年に呉駅からの呉線延伸の際に開業したそうだ。広駅は先行開業し、数ヶ月後に現行の「呉線」の「三原・海田市」の区間が全通したという。

「広」という地名に関して調べると、「潮が引くと広い干潟が海に現れていた」とか「川の上流の集落と、下流の集落の間の広い平坦な場所」というようなことから「広」と言い習わされるようになったというように伝えられているようだ…

↓広駅では、広島駅へ向かう快速列車が待機中だった。これに乗車した。
Hiro Station on NOV 23, 2016 (3)
↑2015年から登場という新しい車輛だ!<レッドウィング>という愛称が冠せられている…

この車輛を視て、「呉線は広駅が境目で、広駅以西は広島駅との往来が盛ん…」と思ったのだが…広駅は<広島シティネットワーク>と称する広島都市圏で運用している列車のネットワークで、「呉線の東端」と位置付けられているようだ。呉線の広駅以東から広島駅を目指す場合、一部の“直通”以外は「広駅で乗換」となる…

広島周辺は、新しい車輛も投入して「都市圏の利便性向上」が目指されている様子が伺える…今般は、「広島カープの<ファン感謝デー>?広島の街が混み合って…」と一寸尻込みで、錦帯橋が眺めたかったという理由も在ったので岩国に素早く移動してしまったのだったが…機会が在ればもっと親しみたい感じだ…
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2016年12月19日

福山城(2016.11.22)

↓列車の車窓から、何度か視たような気がするが…初めて間近に仰ぎ見た福山城である…
Fukuyama Castle on NOV 22, 2016 (9)

「翌日は広島県内で移動」という場合、神戸から西へ進むなら、広島県の東端側に在る少し大きな街である福山辺りに辿り着いて、そこを翌日の起点にするのが「好さそう…」と思っていて、福山に一晩滞在することとしたのだった…

↓「福山駅の裏」というような場所の小高い部分が福山城の公園になっていて、域内にはこうした城門も見受けられる…
Fukuyama Castle on NOV 22, 2016 (4)

福山城は1622(元和8)年に完成し、備後福山藩の政庁で藩主の居城となっていた。近代化以降、城の用地が色々に利用されて来たが、天守閣の辺りは残り、1945(昭和20)年までは天守閣の建物が残っていたというが、空襲で損なわれてしまい、1966(昭和41)年に現在の建物が建ったという…城の建物に関しては「戦禍で損なわれ、戦後に…」というのが実に多いように思うのだが、この福山城もそうした例の一つということになる…

↓天守閣の建物は博物館として利用されているようだ…
Fukuyama Castle on NOV 22, 2016 (8)

↓少し角度を変えて見上げてみた…
Fukuyama Castle on NOV 22, 2016 (14)

正面から天守閣が綺麗に視える側とは違う側の、公園の通路を歩いてみると、“防衛拠点”として工夫が凝らされた「城の出自」のようなものが仄かに感じられ、一寸面白い…

↓好天に恵まれたこの日、天守閣の下辺りの、森になっている辺りの様子が美しかった…
Fukuyama Castle on NOV 22, 2016 (15)

結局、この日は「福山城の麓」というような位置に在る宿に滞在した…そして翌早朝から「更に西…」を目指して列車で移動を始めたのだった…
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2016年12月18日

フェリー<やまと>で潜った明石海峡大橋(2016.11.27)

新門司(北九州)から神戸までフェリーで移動した。夜行の便になっていて、宿泊が取り悪い土曜日の宿泊を兼ねながら、休んでいる間に九州から関西へ移動出来るということで、「なかなかに好いアイディア!」と喜んでいたが…フェリーの名が<やまと>という名で、かの漫画『沈黙の艦隊』に登場する潜水艦に付けられた名と同じなので、個人的にはそれが可笑しかった…

誰かに煩わされることも無ければ、誰かを煩わせてしまう心配も無い、スッキリと1人で静かに休める個室が取れたので船内ではゆっくり出来た。有名な橋梁の辺り等について、定時運航の場合にどの位の時間帯に通り過ぎるのか、船室に在った“案内”に記されていた…

その案内によれば、明石海峡大橋の辺りを、日出の遅いこの時季、明るくなるような午前7時辺りに通過するのだという…それを知り…その時間帯に、外が視える辺りに陣取って様子を伺った…外は…前夜の出発の頃から、ずうっと雨が降っているままだった…

↓少し離れた辺りに橋が視えて来た…
Ferry 'YAMATO' on NOV 27, 2016 vol01 (3)
↑雨交じりな感じだが、空は少しばかり「朝の紫」というような色彩を帯びている…

↓ぐんぐんと橋が近付く…
Ferry 'YAMATO' on NOV 27, 2016 vol01 (4)
↑陸側からこの橋を視たことも在ったが、こうして船で洋上から近付くと「更に大きい」感じに視える…

↓船が半ば橋の下に入るような位置…
Ferry 'YAMATO' on NOV 27, 2016 vol01 (5)
↑この角度!船上ならではな感じだ!!

↓橋の下を潜り抜けた!!
Ferry 'YAMATO' on NOV 27, 2016 vol01 (6)
↑高さとしては<あべのハルカス>に比肩するような次元であるという、大橋梁を支える柱は半ば雨雲が被ってしまっている…

この明石海峡大橋を潜り抜けると…神戸港まで「もう一息」という感じになる…<やまと>は淡々と瀬戸内海を東へ進み続けたのだった…
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2016年12月17日

通天閣からの眺望(2016.12.01)

大阪の“新世界”に建つ通天閣は、国の「登録有形文化財」(2007年5月登録)になっているそうだ…最近、偶々知ったのだが…「登録有形文化財」とは言っても、高さ108mの塔で、地上87.5mに展望室が在る“展望塔”だ。

現在の通天閣は1956年に完成した“2代目”の塔で、今年で60年だ…

↓今般、この通天閣辺りを訪ねた際には「60周年」という懸垂幕が掛かっていて、暗くなってから塔を輝かせる広告電飾の改装工事を行っているということだった…
'SHINSEKAI' area, Osaka on DEC 01, 2016 (4)

通天閣に関しては、近年の大坂に立寄った経過を振り返ると、上記の画のように“新世界”のエリア内で見上げて「通天閣が在る風景」を愉しんでみるばかりで、本来の“展望塔”としての利用(=塔に上って眺望を愉しむ…)をしていなかった。随分以前に一度上がった記憶が在るばかりだ…

↓という訳で、今般は塔に上ってみた…
Views from 'TSUTENKAKU' tower on DEC 01, 2016 (5)
↑展望室脇の構造が視えるような角度で敢えて見下ろして写真を…高い場所を不得手とする方には、やや気持ちが悪い画角かもしれない…

大阪で「地下鉄の1日乗車券」を利用して動き回っていたが、通天閣の入場券は、その「地下鉄の1日乗車券」を提示すると100円割引になる。大阪で少々時間が在って、「折角寄ったから、何箇所か名所にも立ち寄って…」ということなら、「地下鉄の1日乗車券」は「便利でお得」ということになる。私は、こういう「公共交通の1日乗車券」で気楽に巡ることが出来る街に立寄るのが好きだ。

↓地下鉄の恵美須町駅側を見下ろす…アスファルトではなく、タイル貼りになっている<通天閣本通商店街>から通天閣を仰ぎ見られる…
Views from 'TSUTENKAKU' tower on DEC 01, 2016 (10)
↑商店街の端に地下鉄の出入口が在るのだが、少し踏み込んだ言い方をすると、その出入口から商店街の路が視えると同時に通天閣を仰ぎ見る型になる…

↓この記事の最初の画、「フグの看板越しに仰ぎ見る通天閣」ということが出来る辺りを見下ろした…
Views from 'TSUTENKAKU' tower on DEC 01, 2016 (6)
↑地上で視ると非常に大きな「フグの看板」も、何やら小さな丸いモノにしか視えない…路を真っ直ぐに進むと<スパワールド>の玄関前を抜けて、向こうの道路にぶつかるようになっている…

↓「この方向は大阪城…」と思いながら視たが…現在の天守閣が出来た昭和の初めには「非常に大きなモノ」であった筈ながら、現在では「大きなビルの陰」のようになっていて、一寸キョロキョロと探してしまう…
Views from 'TSUTENKAKU' tower on DEC 01, 2016 (7)
↑“大坂城”ということで天守閣を初めて築いた豊臣秀吉や、<大坂の陣>の後に天守閣を再建したという徳川幕府の関係者がこういう様を視たら?何と思うであろう…(因みに、徳川幕府が再建した天守閣は火災で損なわれてしまい、幕末期の<鳥羽伏見の戦い>の時期に大坂城が「揺れ動いた事態の舞台」だった頃、天守閣は無かった…)

↓動物園の在る天王寺公園が視える側には、あの<あべのハルカス>が聳え立っている様が視える…
Views from 'TSUTENKAKU' tower on DEC 01, 2016 (3)

↓高さが300mの<あべのハルカス>の三分の一にも満たない高さの通天閣の展望室だが、「高い場所」なので、JR天王寺駅近辺で見上げる<あべのハルカス>とは一味違う感じに視える…
Views from 'TSUTENKAKU' tower on DEC 01, 2016 (21)

↓そして通天閣の展望室には、「福の神」とされる<ビリケン>が鎮座している…
inside 'TSUTENKAKU' tower on DEC 01, 2016 (3)

この<ビリケン>だが、米国発祥のキャラクターで、英語では<BILLIKEN>と綴るらしい。米国のセントルイス大学がマスコットに採用していて、スポーツチームの愛称が“ビリケンズ”というそうだ…

↓<セントルイス大学 ビリケンズ>のグッズを売っているサイトに、「米国の<ビリケン>」の画が在るが、大阪のモノとはやや違う…
>>SLU Apparel - Saint Louis Billikens Apparel, Billikens Gear, Clothing, Store, Gifts | Official Saint Louis University Shop

↓<ビリケン>が鎮座していた、「5階」となっている展望室から、こういう階段を通って「4階」に移動し、そこから下りるエレベータに乗る…
inside 'TSUTENKAKU' tower on DEC 01, 2016 (5)

通天閣の中は、動く所で可能な場所には悉く物販や各種サービスの営業が行われている状況で「流石に大坂屈指の名所…」と妙に感心した…

思えば以前に通天閣に上った時、<あべのハルカス>は全く無かった…既に60年も経つこの通天閣は、移り変わる大阪の街を見詰めながら永い月日を過ごしている…これからもそう在り続けることであろうが…また訪ねてみたい感じだ…
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2016年12月16日

早朝の太宰府天満宮(2016.11.26)

旅行の“前半”を「気が向くままに動き回る」、“後半”を「大阪を拠点に関西で過ごす」ということにしていた。

“前半”は、「神戸市内 >> 福岡市内」のJR乗車券を“上陸地”の神戸で入手し、「後戻りしない限り、何度でも途中下車が出来る」ということで方々に寄りながら西へ進んだ…そして、山陽路で想定以上に時間を費やした…福岡入り後、九州を巡ろうという想いは在ったのだが諦めて、“後半”へ繋ぐべく「新門司(北九州) >> 神戸 のフェリーで関西へ」という段取りにした…

そうした中でJR二日市駅に近い宿で過ごすということになった。“二日市”と聞いて思い出したのは…以前に太宰府天満宮を訪れた際、西鉄の列車を乗換えたのが西鉄の二日市駅であったということだった…

西鉄とJRとだが、概ね並行して走っている区間が在り、同じ駅名の駅も見受けられるのだが、両者の距離が存外に離れていて“乗換”ということにはなっていない例が幾つも見受けられる。二日市もそういう例の一つだ…しかし、JR二日市駅に関しては、西鉄の紫駅が徒歩3分程度で着きそうな場所に在る。西鉄の紫駅と二日市駅の間は1駅に過ぎず、太宰府駅へ向かう列車に乗るのは簡単だ。復路も同じ経路を折り返して、然程時間も要しない…

こうした状況に身を置くことになり…「早朝の太宰府天満宮訪問」を思い付いたのだ!!

↓太宰府天満宮の境内は、午前6時には既に“開門”しているらしい…が、日出の遅めなこの時季、6時台後半の「もう少しで7時?」という時間帯でも灯りが残っている…
Dazaifu Tenmangu Shrine in early morning on NOV 26, 2016 vol02 (1)
↑この日は「多少の雲が交るが、概ね晴天」という感じだった…日出を前に少し明るくなっているのは判るが、未だ薄暗いような気もする…

↓橋の脇の灯りには、確り「梅の紋」が入っている…
Dazaifu Tenmangu Shrine in early morning on NOV 26, 2016 vol02 (2)

↓何時も来訪者が多い場所だが、流石にこんな早朝となると、出くわす人も少なめだ…
Dazaifu Tenmangu Shrine in early morning on NOV 26, 2016 vol02 (3)

↓辺りに菊が飾られていたのが「時季らしい」感じである…
Dazaifu Tenmangu Shrine in early morning on NOV 26, 2016 vol02 (4)

↓方々の受験生が“恃み”としている<天神様>だけに、絵馬が非常に多く在った…
Dazaifu Tenmangu Shrine in early morning on NOV 26, 2016 vol02 (11)

↓境内には随所に大きな樟が見受けられた…
Dazaifu Tenmangu Shrine in early morning on NOV 26, 2016 vol02 (8)
↑こういう大きな樟のようなモノは見慣れないので、何となく興味深く視る…

以前に一度寄っている割には「新鮮!」な感じで太宰府天満宮の境内を散策したのだが…“前回”ということになる2013年12月には、強めな雨が交っていたのだった…そして、太宰府天満宮の後に九州国立博物館に寄っていて、太宰府天満宮の印象が“中和”されていたのかもしれない…

何時でも何処でも可能な訳でもないとは思うのだが…この太宰府天満宮のような「有名な神社」という場所は、「朝一番!!」というような時間帯に立寄ってみるのが、非常に好いのかもしれない…
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2016年12月15日

西鉄 紫駅(2016.11.25-26)

JR二日市駅の傍に宿に滞在することにした夕方、「そう言えば西鉄が少し離れた場所で並行して走っていた筈で…」と宿の方に西鉄の駅に関して尋ねた。

宿には“周辺地図”のようなモノが用意されていて、それを視ながら話したのだったが、西鉄二日市駅はやや距離が在るものの、その手前に相当する各駅停車の普通列車が発着している駅は「JRの二日市駅辺りから3分かそれ位…」ということだった。

少し暗くなってしまっていたが…「明早朝に西鉄の列車を利用して、太宰府天満宮を訪ねてみようか…」と思い付いたので、駅の場所を確かめようと思い立った…

↓これがその、JR二日市駅辺りから歩いて3分というような感じで着いてしまう西鉄の駅だ…
Murasaki Station on NOV 25, 2016 (1)
↑「紫」の漢字が1文字…確か女性の名前で、この1文字で「ゆかり」と読ませる例が在った筈で、何か独特な読み方でも在るものかと思った。太宰府に近いこの辺りは、古代からの永い歴史も積み重ねられているので「想像もしないような読み方」でも在るのかと思ったのだが…実にストレートに「むらさき」なのだ…

この駅は踏切を挟んで、各方向のホームに通じる駅舎が建てられている“双胴型”と呼ばれる構造になっている。画で視えている側は、西鉄二日市駅の方向へ進む列車が発着するホームに通じている…狭いながらも、存外な台数の自転車を置くことが出来る駐輪施設も設置されている…

こういう様子を視て、少し笑いが込み上げた…「紫」の漢字が1文字で「むらさき」と読み、「Murasaki Sta.」とアルファベットも記されているのだが…電光の色もパープル(=紫)なのだ…

↓翌早朝…ICカード乗車券に対応の改札口だったので、手持ちの<ICOCA>で改札を通ってホームに入った…
Murasaki Station on NOV 26, 2016 (1)
↑駅名表示のバックに紫色が使われている…恐らく、西鉄の数在る駅でもここだけであろう…

↓左右が非対称な、少し個性的な形状の車輛…西鉄の駅や沿線で多く見掛ける型のモノ…静かに現れたこの列車で、西鉄二日市駅に出て、太宰府行に乗換えた…
Murasaki Station on NOV 26, 2016 (2)

この紫駅は「筑紫野市紫」という住所に所在している。“紫”は所在地の住所だという…古代には、この辺りで紫色の染料の原材料になる草を取っていたことから、「筑紫」というように“紫”の文字が出て来たらしい。

現在、この辺りは筑紫野市の範囲になるが…筑紫野市は1955年に成立した筑紫野町が1972年に市制施行したものだが、筑紫野町以前には「二日市町」が在った。二日市町が1895年に町制となる以前、辺りの村々が合併して二日市村が成立する。この二日市村の立ち上げに加わった村に「紫村」という村が在ったそうだ…或いはこの「紫村」が、古代の染料の原材料となった草に纏わる故事との関連で起こった地名だったのかもしれない…

ということで、この紫駅が在る筑紫野市の紫という地区の名は、古い紫村の名と関連が在るのかもしれない…

↓スッカリと明るくなった頃…太宰府天満宮から引揚げて、この紫駅に戻った…
Murasaki Station on NOV 26, 2016 (3)
↑往路と逆側のホームに着き、JR二日市方面に向かうには、出口の後に眼前の踏切を渡った…

最初に視た時に「“紫”という駅名で、紫色の電光看板…」というのに笑いが込み上げてしまったのだったが、一寸した散策の往復に駅を利用して、何か親しみが湧くようになった。紫駅は、西鉄の駅としては現時点で最も新しい2010年の開業だという。これからも、この地域と共に永い歴史を紡いで行くのであろう…
posted by Charlie at 18:02| Comment(0) | HDR/2016年11月-12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

奈良:春日大社(2016.11.30)

「今更、説明無用…」という程度に有名な春日大社に立寄った…

近鉄奈良駅―近年、奈良に寄る機会には専らこちらを利用している気がする…―から、興福寺の五重塔が視える辺りを通り抜けて、奈良公園の一部を成している参道に入り、「何時の頃から、こういう様子なのか?」という森を視ながら進めば春日大社だ…好天であれば、なかなかに好い散策路だと思う…

↓春日大社の建物が視えるような辺りに近付くと、こういう鳥居が在る…
Kasuga Taisya Shrine on NOV 30, 2016 vol01 (1)

↓この鳥居の傍にこういうモノが…
Kasuga Taisya Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (11)
↑鹿が多く居る奈良公園で「最大?!」と思えるような大きな鹿…これは春日大社の手水場だ…

春日大社では「武甕槌命(タケミカヅチ)が白鹿に乗ってやって来た」とされ、鹿を“神使”としている。そこで奈良公園の鹿が居る訳だが…その“神使”の鹿を模った像が、春日大社の手水場に据えられている…

↓参道では「今日は僕が御当番で、御神燈の番をしています…」という風情の仔鹿を視掛けて、少し微笑ましい気分になる場合も多々在る…
Kasuga Taisya Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (8)

↓黄金色に染まった銀杏の葉が散っていて、春日大社の建物に使われている朱色との対比が美しかった…
Kasuga Taisya Shrine on NOV 30, 2016 vol01 (5)

↓春日大社には、こういう小さな灯篭が数え切れない程に多く在った…
Kasuga Taisya Shrine on NOV 30, 2016 vol01 (6)

↓今般“特別拝観”ということで、中に入ってみれば暗い場所が設えられ、灯篭に灯りを入れたイメージを視ることが出来た…
Kasuga Taisya Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (20)
↑永い歴史を誇る春日大社の、本格的な儀式の雰囲気を垣間見た感で興味深かった…

↓注連縄が施された大きな木…永い伝統を誇る神社らしい感じがして、こういうモノを視るのは好きだ…
Kasuga Taisya Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (14)

↓朱塗り、白い壁、檜皮葺と「往古の姿」を伝え続ける春日大社…
Kasuga Taisya Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (23)
↑今年は<式年造替>(「20年毎」に行われ、今回が「第60次」とのこと…)が終わったというようなことで、殊更に多くの来訪者を迎えているようだ…

考えてみると、春日大社には何度も立寄っていたが…今回は確りと“特別拝観”で中の方も視たので、何か「より身近」に感じられるようになった…また奈良を訪れる機会が在れば…春日大社に立寄ってしまうかもしれない…
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興福寺 五重塔(2016.11.30)

少し前に「興福寺の僧が書き残した史料を基礎に“応仁の乱”を論じる」という内容の新書を読んでいて、「興福寺…奈良か…」と何となく頭の隅にその名が少しハッキリとした型で残っていたのだが…実際に奈良に立寄り、興福寺辺りを散策した…

往時のような“大伽藍”ということでもないにしても、興福寺の境内には様々な建物が在る。そして、興福寺に伝えられる貴重なモノを視られる<国宝館>も在るのだが…

↓それでも「興福寺」と言えば「五重塔」であるように、個人的には思う…こういう形が凄く気に入っている…
Kofuku-ji Temple on NOV 30, 2016 vol03 (11)
↑この辺りへ行く機会が在れば、離れたり、近付いたりと、色々に様子を視たくなる存在だ…

↓好天な中でやや日が傾き、空の様子が少し面白い感じになった…
Kofuku-ji Temple on NOV 30, 2016 vol03 (10)
↑そういう中で五重塔が佇む姿が好かったのだが…この塔は高さ50mにもなるという…国内に現存のこの種の建造物としては、京都の東寺に在る五重塔に次ぐ高さであると聞いた…

↓何度か寄った経過が在っても「気付かずに…」という事柄は在るものだ…今般、「近くの猿沢池に映り込む五重塔」というモノが美しいということに、偶々気付いた…
Kofuku-ji Temple on NOV 30, 2016 vol02 (3)

↓池の辺りから視ると、五重塔は少しだけ高台になった辺りに建っている…
Kofuku-ji Temple on NOV 30, 2016 vol03 (7)

奈良に関しては、2015年10月、2016年4月と何となく寄っていて、今般も立寄り、然程長くない期間で3回寄っている。ほんの少しだけ、この興福寺五重塔が聳え立っている眺めが「眼に馴染んだ」ような気がしている…
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2016年12月14日

京都の<大阪屋>:「かやくうどん」(2016.11.28)

暗い早朝に大阪を発ち、無鄰菴、南禅寺、梅小路公園、京都鉄道博物館、西本願寺と朝から京都で動き回り、「いい加減に酷く空腹…」と思いながら京都駅周辺に出ようと歩いていた時だった…

↓こんな店を見付けた…
lunch time at Kyoto on NOV 28, 2016 (1)
↑京都に在って大阪を屋号に掲げている?

“大阪”という文字に最初に引かれたが…うどんの店だ!

店に入ってみれば…近くに住んでいる風な方、近くでお勤めという風な方、明らかに旅行者風な国内外の様々な人達と、「適当に混ざり合った」という具合で、「昔ながらのうどん等が食べられる食堂」という雰囲気の店だった。価格帯も「普段着のランチ」という感じの手頃なものだ…

↓頂いたのは「かやくうどん」というモノ…
lunch time at Kyoto on NOV 28, 2016 (2)
↑“大阪”は「昆布の問屋が在る街」ということで命名したのであろう。美味い出汁に、ツルツルと軟過ぎず硬過ぎない麺で、具材の細々したモノともマッチする…

“かやく”と聞いて「何?」と思ったが…「五目○○」と雑多な具材を入れたモノが在るが、要はその「五目○○」の関西風な言い方が「かやく○○」であるらしい…

とりすましたモノや、わざわざ手を掛けて準備したモノは…私には無用だ…こういう“普段着”な食事が、出先では好ましい…
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京都:晩秋の木屋町(2016.11.29)

4月に関西に入った際、「京都市内へ…」という動きの日には阪急の河原町駅を入口にした…その結果、地下に在る駅から上って直ぐの木屋町辺りの様子が何となく気に入った…

↓今般も河原町駅に到着し、木屋町辺りの様子を視たが…4月とは随分様子が異なっていた…
Kiyamachi, Kyoto on NOV 29, 2016 (1)
↑川の上に掛かっている枝は、スッカリ葉が落ちてしまっているか、葉の色付きがかなり進んだ状態だった…

こういうように、季節毎に“表情”が異なる場所へ、違う季節に寄ってみることは興味深いものだ…

↓4月の同じ場所の様子はこちらでご覧頂ける…
>>京都:木屋町の桜(2016.04.06)
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電車の前面に映り込む軌道―阪急 桂駅(2016.11.29)

「ピカピカの車体」というのが御馴染な阪急の電車だが…

↓こういう光景に見入ってしまった…
Katsura Station on NOV 29, 2016 (8)
↑停車中の電車の前面に、目の前の軌道と、反対側に停車中の列車や空が映り込んでいる…運転台の在る乗務員室の正面の窓硝子に映っている軌道が、連続してマルーン色の車体にも映り込んでいる!?更に…右側の電車が左側に停車中の電車の車体にも映っている…

如何にも「ピカピカの車体」というのが御馴染な阪急の電車らしい!!

場所は桂駅で、列車は桂・嵐山間を往来している普通列車だ…6300形という形式で、1975年から1978年までに製造された車輛で、画に在るのは嵐山線向けに2008年から2009年にリニューアルが施されたモノであるようだ…

この画のような「一寸したこと」に旅先で気付くと、妙に嬉しいものである…
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2016年12月13日

西宮:<白鷹 禄水苑>(2016.11.29)

西宮は“灘”と呼ばれる地域の一画を占めていて、古くから酒造が盛んで、「西宮 銘酒の街」と謳っているような感じだ…

そんな街を好天の中で歩き回り、<酒蔵通>と名付けられた一帯に至り、辺りの様子を視てみた。

↓こういう場所に至った…
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (3)
↑<白鷹>という銘柄…申し訳ないが、個人的には馴染みが薄い銘柄だ…しかし、西宮の老舗で、伊勢神宮で使われる酒を造っているのだという…

この<禄水苑>は、<白鷹>が営んでいる売店、資料館、そして利用はしなかったが飲食店から成っている。ここの売店や資料館を興味深く視た…

↓入口を入った辺りの売店の奥、資料展示が在る方への通路に、趣深い提灯が在った…
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (25)

↓この<禄水苑>は、中庭が一寸素敵だった…
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (14)

↓こういう“伝統”が滲む老舗の看板…好い!
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (10)

↓大き目な模型を使って、<白鷹>が興った時代の「樽廻船」を紹介していた…
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (8)

“灘”は江戸時代になると、大消費地の江戸に向けて商品の酒を送り込む際、「船を使い易い」という意味で畿内各地(今の言い方では関西各地)の酒造業が盛んだった各地よりも有利だった。そういうことで売上が伸び、生産も伸びて行った…

船で江戸へ商品を送る場面で、当初は“菱垣廻船”と呼ばれた、大坂周辺の色々な貨物を集める船に灘の酒も積まれていた。しかし、他のモノと混ざることで荷役が煩雑になってしまったり、余分な輸送時間を要してしまうようになってしまっていた。そこで、「灘の酒」というような、樽詰めの特定のモノに貨物を特化した“樽廻船”というモノが登場した。灘の酒造業者達は、その“樽廻船”で商品を江戸等に送り出していた。

<白鷹>は1862年に起こったという。江戸時代の終わりの方になる。既に、江戸時代の期間を通じて発達してきた物流システムが“完成”の域に達していたような時期だ。その時代であれば、<白鷹>の創業者達は、造った酒を専ら“樽廻船”で江戸等に送り込んだことであろう…

↓西宮が戦禍の影響を受け、街が再建されて行くような昭和20年代頃まで、現在の<禄水苑>辺りが名実共に<白鷹>の本拠地で、蔵や店、創業家の御一家が住む住宅も在ったということで、精密な模型でそういう様子が紹介されていた…
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (24)

↓<禄水苑>の資料展示には、創業家に伝わる生活用具等、「昭和の頃までの家族、家庭生活」を伺わせるような展示が在り、これが「他所には余り無い?」感じで興味深かった…
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (21)

↓関係者の皆さんが使っていた半纏…現代では、社名ロゴを入れた作業ジャンパーか何かが出て来るところであろうが…こういうモノ!何となく好い…
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (20)

↓売店でカップ酒を求めて、中庭でゆったりと頂いてしまった…
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (27)
↑スッキリと美味い吟醸酒だった…つい“広告風(?)”に写真を撮ってしまった…

↓非常に雰囲気が好い中庭が、本当に気に入った!
'HAKUTAKA' at Nishinomiya on NOV 29, 2016 (30)

ふらふらと歩いて出くわし、何となく入った<白鷹 禄水苑>だが、灘の酒造、酒蔵に携わった人達の歩みが判る展示が好く、建物や中庭の感じが好い、「お奨めな立寄り場所」という感じである…
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2016年12月12日

京都:<鶏どろラーメン>(2016.11.29)

私は、出先で食事を摂る場面で、ラーメンを選ぶ比率が低い方だと思う。米飯モノやハンバーガーのようなモノが多い。麺類なら、うどんが好い…

そんな私だが…

↓京都でこういう光景を視た…
'Gion Kyoto Ramen' on NOV 29, 2016 (5)
↑<祇園京都ラーメン>という店を見付けたのだった…

この日は、大阪・桜川の宿で朝食を頂いた後に「阪急と阪神の全線で乗り降り自由」という1日乗車券を手に、西宮市内を巡って、阪急電車で京都の嵐山に至り、嵐山の後に河原町に出て祇園界隈を歩いていた。その間…色々と面白いモノが多く、食事らしい食事を摂らずに居た…強いて言えば、茶や珈琲を求めた、嵐山のコンビニでアイスクリームを求めた、西宮の<白鷹>でカップ酒というような按配だったのだ…

↓思わずこの<祇園京都ラーメン>に近寄ってしまった…
'Gion Kyoto Ramen' on NOV 29, 2016 (4)
↑ラーメンとしては手頃な普通の値段…昼や夕方の混む時間を外れているので、店内はゆったり出来そうだった…

↓何種類か在ったラーメンの中、<鶏どろラーメン>というモノを眼に留め、頼んでみた…
'Gion Kyoto Ramen' on NOV 29, 2016 (2)
↑「鶏どろ」と言うが、本当に鶏の出汁が濃く、少しどろっとしたスープだ。何処と無く「味噌ラーメン風?」ではあるが、そういうことでもない。独特なスープ!麺は、博多等で見受けられるような、細くて真っ直ぐなモノだった…

散々に動き回った日の午後に「一寸エネルギー補給」というには、これはなかなかに好かった…

店内でラーメンを頂いていれば…空いていると見受けられる時間帯の店内だが、客が全く途切れるようなこともなく、存外に出入りが在った。何やら外国人の家族連れが現れ、若い店員さんが「ウォーター?プリーズ!」と、随意に飲めるように置かれた水差しを差し出すようなことをしていた…更に、何種類か外国人向けのメニュー表を用意しているらしく、それを示す場面も在った。京都は…何処でも外国人を含めて、大勢の来訪者で溢れていたことが記憶に残る…

余り出先ではラーメンは選ばないが…つい惹かれてしまった<祇園京都ラーメン>で出くわした<鶏どろラーメン>は好かった!
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レストア中の「D51 200」―<京都鉄道博物館>(2016.11.28)

↓梅小路蒸気機関車庫の脇、デッキのようになっている少し高い位置から眺められる場所で、蒸気機関車のレストア作業が進められていた…こういう画を撮るなら、HDR画は非常に好い!
Kyoto Railway Museum on NOV 28, 2016 vol02 (19)
↑こういう状態の蒸気機関車を視られるのは、一寸貴重かもしれない…D51…最も多く製造された型の蒸気機関車だ…サハリンへ輸出された仕様まで存在する程である…

梅小路蒸気機関車庫は、国鉄からJR西日本に継承された。結果、JR西日本は蒸気機関車の動態保存に関して、様々なノウハウを持つことになった訳だ…思えば「1930年代生まれの蒸気機関車」の場合、蒸気機関車が一線を引いた1970年代までの期間に対し、一線を引いて現在に至るまでの期間の方が、何時の間にか長くなってしまっている…

私自身、同年代では少数派なのかもしれないが…「現役最後の頃に貨物列車を牽引していた蒸気機関車」を幼少の頃に視たことが在る。岩見沢市内の踏切だった…聞けば、岩見沢を起点・終点としている室蘭本線が、最後まで蒸気機関車を普通の貨物列車や旅客列車に運用していた区間であるようだ…蒸気や煙が出て、動輪が動いて、長い貨物列車がゆっくり進んでいた様は、「金属の大きな生物が、息を荒げながら蠢いている」様子のようで、「とんでもないモノを視た…」と思ったものだ。あの時の蒸気機関車…多分このD51形だと思う…

この「D51 200」に関しては、今後のJR西日本による「蒸気機関車牽引のイベント列車」の“主力”という具合にして運用して行く計画であると伝えられている。<SLやまぐち>や<SL北びわこ>というような列車に、この「D51 200」が投入される計画らしい…

ところで…私がこのD51を眺めていた時だった…直ぐ脇に居た親子連れの母親が、小さな子どもを相手に「電車をバラバラにしてなおしている」と言っていた…聞くともなく聞こえて、思わず「モーターで動く電車と蒸気機関車を一緒にしないでくれ!!」という言葉が喉元に上って来て、思わず言葉を飲み込んだ…何時の間にやら、鉄道車輛全般、列車全般を“電車”と言うようになっている訳だ…
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2016年12月11日

石上神宮(いそのかみじんぐう)(2016.11.30)

「崇神天皇7年」??崇神天皇(すじんてんのう)とは3世紀から4世紀頃に実在したと考えられる第10代の天皇である…その天皇の在位中に創建?

そういう“伝説”というような創建の歴史を有しているという神社が、奈良県天理市に在る石上神宮(いそのかみじんぐう)だ。大和朝廷の軍事面を司って活躍したと伝えられる豪族、物部氏の氏神だった神社でもあるという…

「天理市を訪ねる」ということなら、JRや近鉄の天理駅を目掛けて列車で行けば好い。今般は近鉄の列車で天理駅へ行ってみた。沿線は、奈良市内の一部を除くと、寧ろ田や畑、或いは森が視えるような感じで、天理駅の近くは住宅街が拡がって、やがて「小規模な都市の中心」という風情になって行く…天理市は6万7千人程度の人口規模であるようだ…

“伝説”というような創建の歴史を有している石上神宮に興味を覚え、天理駅に出たが…結局「片道30分弱」という道程を歩くのが合理的ということになるかもしれない…路線バスが天理駅前から石上神宮の近くまで走ってはいるのだが、「1日に数本」という、利用し悪いレベルなのでである…

訪ねた日は好天でもあり、「天理市?こういう感じか…」とフラフラと歩いた。「片道30分弱」という道程の半分位は、屋根が在る商店街になっている道筋で、原則的に車輛が進入しない、非常に歩き易い道だった…その商店街が途切れた辺りに、一寸驚いてしまうような大きな建物―私が視た事の在る範囲で言えば…西本願寺の大きな御影堂を1.5倍か2倍位に拡大したような建築物が3棟も連接されたような感じだった…―が在り、看板を視て天理教の本部であると知った。その天理教本部の辺りを通り過ぎて更に少し進むと、石上神宮に入る辺りに通じる道路に行き当たる。その道路に行き当たる辺りにコンビニが在り、一息入れてから石上神宮に向かった…

↓森の中に入って行くような感じで設えられた道を進むと、“布留社”という石上神宮の古い異称が刻まれた灯篭が在って、木々の向こうに鳥居が視える…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 vol01 (1)
↑遥かな古代に興った社の、名状し悪いエネルギーが籠っているような…そういう気がする空間だ…

↓社殿の手前に楼門が設けられている…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 vol01 (7)
↑何度となく修繕されているのであろうが、屋根の感じが如何にも「古くからの伝統を伝える社」という風である…

↓楼門を潜ると、拝殿が視える…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (8)
↑この拝殿で参拝をするのである…

↓拝殿の奥に本殿が在るが…本殿は明治時代に設けられたのだという…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (13)
↑永く石上神宮は本殿を持たず、現在の本殿の場所そのものである“禁足地”が御神体という扱いだったが…調査の結果“七支刀”という古代の祭祀に用いた剣が出土したことから、それを祀る本殿を設けたそうだ…

↓境内の辺りには、大きな木も多く見受けられた…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (19)
↑これは葉が落ちてしまった銀杏のようだ…とにかく大きかった…

↓葉が「通行の邪魔」になるような様子でもなく、銀杏の大木の足下に「絨毯のような」という次元を踏み越えて、何やら「マットレス?」という程度に夥しい量の銀杏の葉が積もっていた…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (16)

↓凄く気持ちが安らぐ空間が拡がっている。来訪者も非常に多いという訳でもなく、静かであったこととも相俟って、何となく「らしい!」と思える「伝統の社」の空間だった…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (20)

↓鶏の小屋が?視えているのは…確か“烏骨鶏”という、少し珍しい種類の鶏だ…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (23)
↑石上神宮では、40年程前に寄進を受けたことが切っ掛けで、鶏を境内で大切にしているそうだ。色々な種類の鶏が境内を徘徊していて、何やら餌を啄んだり、元気よく「コケコッコー!」と声を発していた…夜に動物の襲撃を受ける場合が在り、身軽な種類の鶏は高めな枝にジャンプして、そこで休むらしい。そういうことがやり難い種類の鶏達のために、画のような小屋を用意しているのだそうだ…「暁を告げる」として鶏は神聖視されている側面も在る。そんな鶏は、思えば来年の干支だ…ここで出会えて善かったかもしれない…

↓この石上神宮の辺りの森は、常緑樹が主流を占めている様子だ…紅葉した木が若干在ったものの、遥かな古代から続く社のエネルギーを包むような緑の葉が繁っている感じだった…
Isonokami Jingu Shrine on NOV 30, 2016 vol02 (25)

「単純に駅との間を往復するだけで小一時間」ということで、多少の“ゆとり”が無ければ訪ね悪い側面も否定し得ない場所だが…今般は「数日の関西滞在で、ゆっくりと気が向くように方々へ…」ということだったので、ここを訪ねることが叶ったように思う。今般は非常に好かった!
posted by Charlie at 07:39| Comment(0) | HDR/2016年11月-12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

南禅寺の水路閣(2016.11.28)

↓名刹南禅寺の一隅に不思議な建造物が在る…煉瓦造の建造物で、辺りの木々の間に覗く感じが美しい…
Nanzen-ji Temple, Kyoto on NOV 28, 2016 vol03 (18)
↑これは琵琶湖から京都への水路、<疎水>の一部を成すモノで水を通す水道橋である…

↓アーチが組み合わさった不思議な外観だ…
Nanzen-ji Temple, Kyoto on NOV 28, 2016 vol03 (14)

<疎水>は1885年から1890年の第1次、1908年から1912年の第2次と2回に亘って整備されているのだそうだ…

Nanzen-ji Temple, Kyoto on NOV 28, 2016 vol03 (22)

この水路閣…以前にも一度観ているが…なかなかに好い!!
posted by Charlie at 04:48| Comment(0) | HDR/2016年11月-12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする