2015年01月02日

長崎駅:787系電車(2014.12.20)

「九州の旅」等と聞けば…「美しいデザインの車輌で運行される列車に乗って…」というようなことを思い浮かべる…

そうした“評判”が高まった契機となったのは…水戸岡デザイナーの声望を高めることにもなった、特急列車用の787系電車であろう。

787系電車は、登場当初は北九州から鹿児島までを縦断する特急<つばめ>に投入され、やがて九州新幹線部分開業後は博多・新八代を連絡する<リレーつばめ>として運用され、九州新幹線前線開業後には各地の特急列車として運用されている…

「各地の特急列車として運用」なので、「そのうち乗車機会も?」と思っていたが、なかなか出くわさなかった…今般!佐賀・長崎の移動でこれに乗車出来た!!

↓乗車して、指定席に掛ける…渋い椅子だ…


↓JR九州の車内販売をやっている列車で見掛けるコーヒー…これを一寸楽しみにしている…

↑「九州7県を結ぶ各列車」というイメージなのだろうが、「7羽のツバメ」のマークのカップが好い…(自宅やオフィスで使うようなマグカップで、このマークが入ったモノでも在れば…「入手!!」したいところだ…)

↓目的の長崎駅に到着…


↓“行き止まり式”な長崎駅は、列車の写真が撮り易い…


↓小雨模様だった長崎駅であったが…このメタリックグレーの車輌…雨も似合う…


少々短めな滞在とはなっても…「何となく気に入っているから、寄ってみたい…」と足を伸ばした長崎へ、「気になっていた…」車輌の列車で向かったというのは、何か凄く嬉しかった…
posted by Charlie at 09:51| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長崎:眼鏡橋(2014.12.20)

佐賀から長崎へ移動し、“移動手段”を確保すべく路面電車の“1日券”を入手して動き始めた。昼食を愉しんでいた間に天候が好転した…

↓辿り着いたのは眼鏡橋である…


“眼鏡橋”…石造アーチ型橋梁の一般名詞でもあるが、この長崎の古い橋を即座に思い出す名でもある…

1634(寛永11)年に初登場し、1648(慶安元)年に破損して修復され、以降長く修復されながら使用されている。1982(昭和57)年の水害では深刻な被害は受けたものの、流失は免れているという…

↓雨が多少続いた後なのか、川の水量が多い感じがした…


↓中学生か高校生と見受けられるグループが、何やら写真でも撮ろうと川の方に下りている様子が見えた…


眼鏡橋辺りは、老若男女がそれぞれに愉しんでいるという風情が好い…更に“日本語以外”の話し声が聞こえている場合も少なくない…

何か非常に「長崎らしい」或いは「“長崎”と聞けば思い出す」ような感じの場所だ…
posted by Charlie at 09:25| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

門司:100型電車(2014.12.15)

夜の門司港駅に到着し、辺りを歩き始めた…

↓路面電車が現れて、一寸驚いて足を停めた…


この電車…100型という、西鉄が運用していた車輌だそうだ…1940年に初登場し、1962年に現在の姿に改造されているのだという。1971年には自動ドア化されている。1985年に“西鉄北九州線”の一部廃止を受けて、この100型は引退したそうだ…

↓何か、妙に味わいが在る…

↑或いは、こういう夜に出くわしたことで、「より強い印象」を与えてくれたのかもしれない…

“西鉄北九州線”はなかなかに隆盛を誇った鉄路であったということだが、1970年代以降はやや退潮し、代替道路の開設や、国鉄の列車が充実したこと等を踏まえて順次路線の廃止が進んだという経過のようだ…

100型電車…これは概ね「往時の姿」の塗装になっていると見受けられるが、この門司港の現在の場所では、2010年から展示されているそうだ…
posted by Charlie at 19:44| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿児島・仙巌園:島津義弘公着用甲冑(複製)(2014.12.18)

↓鹿児島中央駅前からこんなバスに乗る…これは鹿児島市営交通の“1日券”で利用可能なバスだ…

↑市内の主な名所を楽に回ることが出来るこのバス…私にとっては「鹿児島のお気に入り」でもある…

何気なくバスに乗り、城山で眺めた「桜島が冠雪している様」が素晴らしく、「今日はこの絶景を愛でて、夕方は屋台村でゆっくりしよう…」というように考えた…

城山で言葉を交わした売店を営んでいる方によれば、「12月に冠雪するのはやや珍しい」ということでもあり、「であれば…“桜島が浮かぶ風景を愛でる”という島津侯の想いで築かれたという<仙巌園>辺りを訪ねるのが善さそうだ…」と考え、城山で再びバスに乗車した…

島津家の別邸でもあった仙巌園…錦江湾を池に、桜島を築山に見立てた、庭園と建築群…加えて<尚古集成館>という資料館も在る。直ぐ傍の海岸も、なかなかに風景が好い…

そこをバスで訪ねると…

↓入口でこういう厳しいモノが来場者を迎えてくれる…

↑入場券を求めて入る辺りに鎮座している…

↓少し引くと、こういう感じだ…

↑島津義弘公が着用したという甲冑の複製である…(戸外に置いて在るので、“本物”とは考え悪いが…“本物”なら、資料館のような場所の屋内で厳重に管理する筈だ…)

島津義弘(1535-1619)?戦国時代末期、弟達(歳久、家久)と共に兄の義久を助けて活躍した武将である。色々な挿話が伝わる人物だ…

後年、兄の義久に後継者が無かったことから、息子の忠恒を兄の養子とした。忠恒は徳川幕府体制下での“薩摩藩”を興したことになるが、彼は同名の叔父が在るにも拘らず、「徳川家康の偏諱を賜る」ということで家久を名乗るようになっている。

こういう具合に「“薩摩藩”を興した家久」の実父であることから、島津義弘の事跡等は当主だった島津義久の事跡以上に喧伝されている面も在るのかもしれない…

島津義弘の即席だが、現在の鹿児島県内に留まらず、“真幸院”と呼ばれていた現在の宮崎県えびの市辺りにも残っている。勢力拡大を図っていた彼の時代、島津義弘はその先頭に立っていた感が在る…また、“対豊臣政権”の問題で、色々と苦労をした人物でもあり…更に…関ヶ原合戦の挿話も有名だ…

そういう色々な事情で…「昔の島津家の武将」とでも言えば、真っ先に名が挙がるような存在感を持つのが、島津義弘だ…

↓この甲冑とは…2回目の対面となった…


今回は好天に恵まれ―「好天!!」と視て訪ねるような場所かもしれないが…―た中で仙巌園を訪ね、何か鮮烈な印象が残った…
posted by Charlie at 12:28| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小倉駅:“メーテル”(2014.12.15)

前年同時期に「旅行初日のフライトが雪で欠航」という経験をしたので…「初日に着く予定の場所辺りで、宿の予約やら何やらをしても、無駄骨の場合も…」と思いながら進んだが、今般は順調に福岡空港に着き、地下鉄で博多駅に着いてJRのホームに出てみれば、直ぐに小倉方面へ向かう普通列車に乗ることが出来た…車中でノートパソコンを広げ、小倉駅近くに宿を取った…

小倉駅に着くと…

↓これに会いたい!!

↑“新幹線口”に在る…北九州市は『銀河鉄道999』の松本零士の出身地であるので、こんなモノが設けられている…

何か「メーテル!小倉の駅に着いたね!」という、“漫画やテレビシリーズのアニメそのまま”な姿で脇に佇む鉄郎の声が聞こえてきそうだ…

↓メーテルの方は、「こういう背格好の女性…居るかもしれないな…」という感じに纏まっている。顔は“漫画やテレビシリーズのアニメそのまま”な感じだが…

↑或いは…ロシアや北欧の女性で「こういう感じ」な方が在るかもしれない…

大きな駅の周辺にオブジェを据えるという例は色々と在ると思うが…作中世界で“宇宙船”を“列車”と呼んでいて、着陸する様々な天体を“駅”と呼んでいる『銀河鉄道999』の劇中人物のオブジェ…秀逸である!!
posted by Charlie at 11:46| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

関門人道(2014.12.15)

門司港駅から歩いて、暗い夜道に多少の苦戦もしながら、和布刈(めかり)という高台に上がって関門橋の眺望を愉しんだ…暗がりに、デジカメを手に単独行…正しく「寒い国から来た男」(=不審なスパイ?)というようにも思えて、何やら妙に可笑しかった…

高台から下りながら歩いていて「往路はこんな場所を通ったか?」というエリアに入り込んでしまい…

↓暫く進めばこんなものに出くわした…


何やらエレベーターが付いている…公衆トイレも在るが「単なるトイレ」とは明らかに異なる…

↓エレベーターで地下に…

↑「歩行可能な海底トンネル」が関門海峡に設けられている!!

↓「この先は長州じゃ!!討ち込め!!」とばかりに、トンネル内を進んでみた…


以前、札幌都心部に在る商業施設の、荷物の搬入等を行う地下部分にお邪魔したことが在った。何かここは、そうした「大きな施設の地下」という雰囲気だった…緩やかな下り、やがて緩やかな上りで門司・下関を結んでいる通路だ…

何やら車輌が通行しているトンネルから発していると思しき不思議な音も聞こえている。少し驚くのは、門司や下関に住む人達と見受けられる、トレーニングウェアー姿の皆さんが多く見受けられたことだ。延長800m弱のトンネル…ジョギングやウォーキングに好適と受け止められているようだ…

↓トンネルの中間点辺りであろう…「海の底の徒歩で渡ることが出来る県境」というモノである…


↓「県境」を踏み越えて振り返ってみた…


関門海峡は“源平合戦”の古戦場でもある。源義経ら源氏の将兵と、平家陣営が船を繰り出して戦った場所だ…

2014年には俳優・菅原文太の訃報を耳にして、随分熱心に観ていた記憶の在る『武蔵坊弁慶』というテレビドラマを思い出していたところだった。源頼朝役だった菅原文太は関門海峡の戦いの場面には居なかったが…

その場面では、平家陣営随一の勇将、平知盛が洋上で主人公の弁慶が乗る船と対峙し、勝敗が決したことから降伏を促そうとする弁慶に対して「武蔵坊弁慶!!さらばじゃ!!」と知盛は錨を抱えて入水自殺してしまう…好敵手の悲壮な最期に弁慶は「知盛よ!!」と絶叫する…

こういう「男達の戦い」の脇で、平家の衰亡で世を儚んだ陣営の関係者が続々と入水自殺してしまう悲しい場面が在る…平家の隆盛をもたらすことになった、未だ少年であった前帝に女官が言う。「海の底は浄土にござります。参りましょう…」とである…

関門海峡のトンネルの中、思い出していたのはそんな場面だった。「海の底は浄土にござります」ではなかった…「海の底は県境にござります」であった…

↓振り返ると…「この先が鎮西じゃ!!進め!!」という具合になる、反対側の入口だ…


↓下関側の出入口辺りにはバス停が在る…

↑ここからバスで下関駅に向かい、この日の宿を押さえた九州側の小倉に引き上げた…

「源平合戦の古戦場の海底を、歩いて渡っている」等と考えていたが…下関駅へ向かう途中に“壇ノ浦”という名前の停留所も在った…

“帰国”後、山口県や福岡県と縁が在る方と話した際、関門人道が面白かった旨を話題にしたところ、「行ったことが無い!?」と驚かれた…そんなものかもしれないが…この「海の底の徒歩で渡ることが出来る県境」…類例も思い当たらない、なかなかに興味深い場所だ…
posted by Charlie at 11:19| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

博多駅周辺で視たJR九州広告 「決めなきゃ、ダメ?」(2014.12.22)

福岡空港へ向かうべく、博多駅へ向かって歩いていた中、大きな広告看板に眼を留めた…

↓こういうモノと…


↓こういうモノだ…


九州域内で列車を利用して旅行…九州で最も人口が多いのは福岡圏であろうし、他地域から九州に着く場合も博多を起点に動く場合が多いであろうから、こうした広告は福岡圏を中心に展開しているのだと想像する…

それにしても「決めなきゃ、ダメ?」というのは、なかなかに秀逸なコピーのように思う…

「決めなきゃ、ダメ?」と言われれば…それは“単純疑問”のようにも思えるが、同時に「両方にしてしまっては拙いのか?!」という“反語”のようにも、「これは難問だ…」という“含意”が滲むようにも思える…

今般…大分県と鹿児島県とでは、私は鹿児島県で過ごした時間が長かったが…日豊本線の列車で、道草しながら縦断の大分県も好かった…

「決めなきゃ、ダメ?」…旅行先に関して、私は常々発している問いだ…

ところで…この広告看板のモデルを務めている女優がなかなかに好い…
posted by Charlie at 10:24| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月31日

都城駅に停車中の<ななつ星in九州>(2014.12.17)

雪のえびのを発ち、列車は東側へ向かった。小林や高原(たかはる)というような、朝には積雪が見受けられた地域で、既に積雪は無く、空も晴れていた…宮崎県というのは、日南海岸の側、都城辺りのような少し内陸、えびののような山側と“三層”の気象状況なのかと思った。宮崎・都城・えびの間は鉄道の距離で102kmも在る…気象状況が多少異なっても、不自然でもない訳だが…

↓列車が都城駅に着いた。素晴らしい晴天!!ただ…時々吹き抜ける風がひどく冷たかった…

↑左手…少し不思議な列車が停車中だ…

↓停車中だったのはこれだ!!

↑2013年の登場以来話題の<ななつ星in九州>である!!

↓「機関車が長い編成の客車を牽引」という列車自体が「やや珍しい?」存在になっている昨今…こういう眺めはなかなかに壮観だ!


<ななつ星in九州>そのものは、昨年12月に長崎駅に停車中の様子を視た。あの時は辺りが暗く、「発車直前」という状況下、勇壮な出発を見送っただけだったが…今回は都城停車を半ば終え、隼人へ向けて出発する準備中で、素晴らしい好天の下だった。少しゆっくりと車輌を眺める暇が在った。なかなかに幸運だ!!

↓実に美しい機関車だ!!

↑電化されていない区間に入る場合も在り得るので、ディーゼル機関車が用いられている…

↓これは12月27日に旭川駅で視掛けた、JR貨物が運用しているディーゼル機関車だ…

↑<ななつ星in九州>の“専用機”は、この機関車を改装したモノである…

↓<ななつ星in九州>の“専用機”は、正しく「ピカピカ!」だ…

↑旭川で、更に札幌周辺でも視掛けるJR貨物が運用しているディーゼル機関車と「同じモノ??」という感じだ…

↓ピカピカの機関車が、ピカピカの客車を牽引している…


↓車内からは「通り過ぎた軌道」が見える展望窓だ…これはJR九州が手掛ける「展望の素晴らしさ」を謳う他列車にも在ったデザインのように思うが…こういうのは好さそうだ!!

↑恐らくこの辺りはラウンジ風な内装なのであろう…美味い珈琲のカップや、九州各地の銘酒のグラスを傾けながら、こんな場所に座って旅をしてみたいものだ…

↓ランチのために西都城駅へ移動しようとすれば、反対側から<ななつ星in九州>が見えた…

↑何らかのサービスの準備なのか、制服姿の凛々しいスタッフの皆さんが働いている様子が、窓から少々見え隠れしていた…

↓停車している場面に出くわして、「憧れの目線」を注ぐばかりの<ななつ星in九州>だ…


この列車…大変に話題になっているが…或いは「途轍もなく“九州”を“イメージアップ”した」と言えるのかもしれない…或いは「既に“投資分”位の“プライスレスな功績”を挙げている」という一面さえ在るかもしれない…

結局、日本国内で新幹線以外の“旧国鉄”の軌道であれば、<ななつ星in九州>は殆ど何処にでも乗入れは可能かもしれない。登場当初、「方々に乗入れて…」というようなコメントも耳にした記憶が在るが…私はそういうのは「野暮の骨頂」だと思う。「JR九州が誇る列車」は、「九州に視に行く」、「九州に乗りに行く」ものだと思う…

それにしても…<ななつ星in九州>は「視掛けるだけで、少し幸福な気分に…」という存在だ…
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宮崎県えびの市の雪景色(2014.12.17)

「旅に出て写真を撮る」のか「写真を撮りに旅に出る」のかが判らないような按配で、旅から戻ると暫くは「写真の整理」で明け暮れる…実際にそういう行動を取っていなくても、頭の中が写真のことで一杯になってしまう…

今般、「12月の九州」に関しては「寒波を運んで来たか?!」と福岡在住の友人に冷やかされるような状況が在ったのだが、馴染んだ場所、過去に立寄った場所、未知の場所を問わず「寒波の故に現れた光景」とも出くわす経験をした…

“宮崎県”と聞けば…「温暖な地域」というイメージが強い。北海道では“厳冬期”の真っ只中で、“雪まつり”のような「雪と氷の祭典」ということをやっているような時季、彼の地では「プロ野球チームのキャンプ」が行われていたりする。北海道が「氷点下の気温で吹雪も在る」というような時季に、「外で走り回ったり、投げ込みや打撃練習や守備練習をすることが出来る」という訳である…北海道でも、野球をやっている人達が体力維持・強化を念頭に戸外を歩いたり、走ったり、高校のチームで見受けられるようだが、近所で除雪作業を手伝って身体を動かすという例は在る…しかし、氷点下気温や吹雪も在るような場所で、白球を手にした練習は困難なのだ…

そんな宮崎県の中を暗い早朝から動き回った…

↓宮崎駅から鹿児島方面へ向かう始発列車に乗って都城駅に着くと、吉都線の列車が待機している…

↑入れ替わりに通学の高校生が乗降する列車だ…全国で活躍する“40系ファミリー”のディーゼルカーで運行されている列車だ…

暗い車窓を見詰めていたが…何やら「雪?」というモノがチラチラとして、沿線に若干の積雪も見受けられた…

列車は都城から西方の山の中へ進む…明るくなるに連れて「雪景色の中を行く」感じになって来て驚いた…近くに乗車していた高校生が「雪…やばい…」と言っていた…ここで言う“やばい”は、最近の若者が用いる「“凄い”こと全般を形容」というのではなく「好ましくないと見受けられる状況の惹起」という“私の世代”にも判り易い意味合いであろう…「雪…やばい…外に出たくないな…」と言いながら、近くに居た高校生は下車して行った…

↓えびの駅に着いた…


↓“赤”の“JRマーク”は“九州”なのだが…何か「東北地方某所?」という趣も在る…

↑えびの駅は1912(大正元)年に“加久藤駅”として開業し、1990(平成2)年に現在の名称に改称したそうだ。大正時代の開業当時の雰囲気を伝える建物だ…

↓「えびのに寄ってみよう…」と思い付いたのは、この地で蒸留されているという<明月>が美味かったからに他ならない…

↑こうして看板を見付けると嬉しい!!

↓辺りを歩き始めたが…雪が降り頻る…


↓荒涼とした雰囲気だ…

↑正しく「田んぼの真ん中」のような場所で、「徒歩で動いているのは自身のみ…」というような状態で、何ら“目印”も無いような場所を歩き回っていた…

↓雪に覆われた田にカラスが…

↑寂寥感が募る光景だ…

凡そ「“宮崎県”と聞いて思い起こす」風景ではない…この時は、「来る21日に知事選」ということで、“宮崎県知事候補”のポスターが貼られた掲示板も見掛けたので、「間違いなく宮崎県内」な筈だが…

↓こんな様子を見ると、「間違いない!!宮崎県だ!!」と不思議な安堵感を覚える…

↑他方…雪が「似合わない!!」感じの木だ…

↓「更に凄い!」と思ったのはこれだ…

↑「柑橘類が木に実っている」という様子は「九州!!」という感じで、見掛けると嬉しいのだが…「柑橘類が実っている木に雪」というのは、「異様?!」に思えた…

↓一部、“ワンメーター”の区間はタクシーに乗せて頂いたが…結局、えびの駅からえびの飯野駅まで、降り頻る雪の中で2駅間を2時間も歩いた…

↑「どうしようもない私が歩いている」とは、えびの辺りに立寄った経過も在るという種田山頭火の句だと言うが…正しくその「どうしようもない私が歩いている」という気分だった…

↓列車の運行状況はこういう感じ…

↑「10時19分の都城行」を逃すと、更に2時間待ち…乗車することにした…

↓この列車で、雪が降り頻ったえびのを後にした…

↑私がホームに出た後、何人かの人が列車を利用すべく現れたが…近くに居た方は、歯をガタガタ鳴らして震えていた…

或いは「貴重な経験」をする結果となったえびの訪問である…
posted by Charlie at 10:32| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月30日

「都城焼き肉三昧舟盛り御膳」(2014.12.17)

大分県をゆっくりと抜けて宮崎県に入り、宮崎駅近くに泊まった翌朝…暗い間から動き始め、都城からえびのへ出向き、えびので酷い雪に降られて驚き、丁度「ランチには好適…」と思えるような時間帯に都城に引揚げて来た…

鹿児島へ南下すると、前々日夕刻に門司港にも至っていて、前日は小倉を起点としていることから「日豊本線を普通列車で踏破」という、「だからどうした?」という記録を達成出来ることになる…

↓そんなことを思いながらも、「空きっ腹では動けない…」と「都城でのランチ」ということで思い出していたものがこれだ…
>>肉の都・都城「都城焼き肉三昧舟盛り御膳」【宮崎県 都城市 新・ご当地グルメ】

旅に出ると…とにかくも動き回ってみることや、気に入った風景に出くわして写真を撮ることや、面白そうな資料館の類を見学することに一生懸命で、食事を疎かにしがちなのだが…時には「訪ねた場所らしい」ものを愉しみたい…

“新・ご当地グルメ”というようなモノは、「何時の間にかやっていない…」というのも実は多いような気がするのだが…都城の「都城焼き肉三昧舟盛り御膳」というものは「知る人ぞ知る」という具合で存外に好評と見受けられる…

都城は鶏肉、豚肉、牛肉の何れもの産出額が日本一で、言わば「肉の都」なのだそうだ。私の目線では、“九州”自体が「肉用家畜の肥育が非常に盛んな“畜産王国”」というようにも思え、「肉料理が得意な土地柄」と勝手に思っているのだが…その九州に在って、都城は格別に肉生産が盛んだというのだ…

そこでこの「都城焼き肉三昧舟盛り御膳」というものをやることにしたのだそうだが…上記サイトに在る「出している店」の情報を何となく視ると…西都城駅近くのホテル―都城では「地元の老舗!!」としてお馴染みなようだ…―が、「列車で動き回って、都城で食事を摂る際に…」ということでは利用し易いように見受けられた…

西都城駅から鹿児島中央駅まで、<青春18きっぷ>を手に普通列車で移動しようとすると…多少、列車の本数は限定的なので、西都城駅に着いた際、駅員さんに時刻を尋ねてみて、「次」と「次の次」の列車の時刻を頭に入れて、件の老舗ホテルを探した。何階建てかは確かめなかったが、少しだけ背が高い建物で、西都城駅を出て蒸気機関車の動輪が飾られている辺りへ歩を進めると看板が見えた…

↓館内に足を踏み入れて、一寸視ると直ぐにこの看板に出くわす…


なるほど、地元の老舗ホテルだ。何処と無く“歴史”を想像させるロビーの雰囲気だった…館内では地元企業の皆さんが参画していると見受けられる団体の集まりが開催中であったり、「夕刻の準備」と見受けられる、何かの団体の忘年会会場を示す掲示が在った。そんな中で「ホテルのフロント!!」という風な場所にスタッフの皆さんが居たので、眼にした看板を示しながら「都城焼き肉三昧舟盛り御膳」について尋ねてみた…「確かめて参ります!」と一人が奥に引っ込み、程無く現れると「出来ます。20分程度準備に要するので、お待ち頂くことになりますが…」と言う。私は一向に構わない。ロビーのソファーに陣取って待つことにした…

「次」または「次の次」の普通列車で鹿児島へ向かうことにしたので、ロビーでノートパソコンを広げて鹿児島の宿を押さえていると…何やらホテル従業員がお茶を出してくれた。有難かった…

やがて…「準備が出来ました!」と呼ばれたので、ロビーの在る1階奥に在る、色々な用途に使うと見受けられるスペースに行ってみた…「こちらへどうぞ…」と通された席で…

↓「うわっ!」と驚いた…

↑本当に“舟盛り”に鶏、豚、牛の肉!!3種類のタレ…画面からはみ出ているが、旅館・ホテルの朝食等で米飯を供する御櫃が「ドン!!」と置かれている…

これ…「本当に1600円!?」と一寸驚く…

↓「焼き肉三昧」とロゴが入った小さな火鉢…誂えたのか?これに火を入れてくれた…

↑早速、これに順次肉を載せる…

↓火が通って来た!!ガツガツと頂いた…

↑柔らかい、宮崎県産の生肉…好い!!

或いはこれは…「昼間から多少贅沢な気分で“肉の都”と言うべき街のモノを一寸試してみる」という主旨で、本当は「もっと佳い各種の肉」が在るのだとも思ったが…意外に満足度は高かった!!

結局のところ…都城は停車中であった<ななつ星in九州>をゆっくり眺めて、この「都城焼き肉三昧舟盛り御膳」を頂いたというだけだったのだが…「好天に寒風」という、あの日に特有な状態と共に、何となく「忘れ難いモノ」を残してくれたような気がする…
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上空から:首都圏へ南下するANA058―工業地域と富士山(2014.12.15)

頻繁に飛行機に乗る訳でもないので、「上空からの眺め」が良好な場合には、少し心躍るものが在る。個人的な希望を言えば…「どの辺りを飛行中」とか、「右側の○○な型のモノが△△」というような情報が、もう少し判ると嬉しいが…

12月15日、「札幌・東京+東京・福岡」と、如何にも「航空会社の看板路線」という雰囲気の2本のフライトを乗り継いだ。何れのフライトも人気が高い路線で、何やら込み合った感じの機内ではあったが…早めに予約をした段階で、窓側の席、それも主翼に視界を妨げられない後方を押えてあったので、比較的好天な中で機窓を愉しんだ…

↓着陸に向けて高度を下げる旨が伝えられ、次第に「下界の様子」が見え易くなるが…羽田へ向かう場合、「遠くに富士山」という場合も少なくない…

↑画面の手前が恐らく千葉県か茨城県で、東京湾が霞み、遠くが西側で富士山が見えている…

↓東京湾を回り込むように羽田空港に近付いているのであろうが、手前に見えるのは千葉県内の工業地域であろう…

↑画面の真中より少し上辺りの港に、「丸く大きな専用容器」を連ねた“LNG船”と思われるモノが見える!!或いは、「サハリンから東京湾に到着の船」かもしれないと注目した…

↓更に高度が下がった…画面奥の富士山の手前には、横浜辺りと思われる高層建築が見えている…

↑画面真中辺り…巨大なタンカーが東京湾内の埠頭に入ろうとしているのであろう。巨体を取り囲むようにタグボートが何隻も集まって、慎重に誘導している様子が覗える…

こうして北海道から南下して来た飛行機は無事に羽田空港に下りた…私は空港内を少し動き、直ぐに福岡へ飛んだので、眼下に眺めた首都圏に入ることは無かった…
posted by Charlie at 16:49| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月29日

<はやとの風>から<しんぺい>に乗り継いだ吉松駅(2014.12.19)

吉松駅という駅は、“鹿児島本線”の旧ルートである肥薩線と、“日豊本線”の旧ルートである吉都線とが交差している駅である。場所柄、機関車を換えたり、機関車に補給を行う必要性が在り、嘗ては「鉄道基地の町」という様相でもあったようだ。

2013年に、「肥薩線経由で鹿児島から福岡まで北上」ということをやってみた経過が在り、吉松駅には立寄っていたが…今般、吉松駅を“乗換駅”として利用した。

鹿児島中央駅から<はやとの風>で北上する。嘉例川や大隅横川を経て、列車が吉松に至ると、隣のホームに赤い<しんぺい>が待機している。北上を続ける場合は、そのまま<しんぺい>に乗り換えると好い…

↓こういう具合に2本の列車が吉松駅で並ぶことになる。

↑右の黒い列車が鹿児島中央駅から乗って来た<はやとの風>で、左の赤い列車が人吉駅まで乗って行く<しんぺい>である。

↓<はやとの風>は鹿児島方面へ引揚げるようだ…


↓人吉へ向かう<しんぺい>の更に左隣りには、都城へ向かう吉都線の列車が待機中だった…

↑結局、“40系ファミリー”の黒、赤、白の色違いが吉松駅に集合していたことになる…

<しんぺい>は、何故そういう列車名なのか?

人吉・吉松間の路線が開通した頃の逓信大臣だった山縣伊三郎と、鉄道院総裁だった後藤新平に因み、「人吉→吉松」の列車を<いさぶろう>と、「吉松→人吉」の列車を<しんぺい>と名付けたそうだ。

この人吉・吉松間には矢岳第一トンネルという2,096.17メートルのトンネルが在る。人吉側からの入口には、山縣伊三郎が揮毫した「天険若夷」(「てんけんじゃくい」は「天険、夷(い)の若(ごと)し」で、「天下の険しい難所を平地のようにした」という意)の額が、吉松側からの入口には後藤新平が揮毫した「引重致遠」(「いんじゅうちえん」は「重きを引いて遠きに致す」で「重い物を引いて遠くに至ることが出来る」という意)の額がそれぞれ在るという。揮毫者の名を冠する列車が、揮毫した額に向かって走ることになるように、「人吉→吉松」の列車を<いさぶろう>、「吉松→人吉」の列車を<しんぺい>としたのだそうだ…

「天険若夷」と「引重致遠」という額…苦心の工事でトンネルを開き、鉄路を敷いて輸送の可能性を拡げたという、当時の関係者の「鉄道開通に賭けた情熱の迸り」が感じられるように思う…

↓待機中の赤い列車…<いさぶろう・しんぺい>の専用車輌である…

↑<いさぶろう・しんぺい>と言うと「何かのキャラクター?」という感じだが、実は鉄道開通時に、トンネルに掲げる額を揮毫した、往年の関係者の名前を頂いているという話しである…

↓車内はこういう具合…「往年の客車」を意識したらしいが…なかなかに見栄えがする!!


↓この吉松から人吉を目指す場合、列車は<しんぺい>だ…


この<はやとの風>から<しんぺい>に乗り継ぐコース…初めて利用したが、なかなかに愉しい!!早くも「是非、また機会が在れば…」と思っている程である…
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2014年12月28日

鹿児島:<ドルフィンポート>辺りから夜明けの桜島を望む(2014.12.19)

「“行ってみよう!”と訪ねた“鹿児島市内で最初の場所”」であり、桜島の眺望が美しい<ドルフィンポート>の辺り…夕刻に足を運んだ翌朝…再度、足を運んでみた…

桜島は、鹿児島中央駅から天文館、更に鹿児島市役所や鹿児島駅というように拡がっている側、“市街”から視て「東側」に相当する。<ドルフィンポート>辺りから眺めると、薄暗めな桜島の背後になる空が暁色に染まり、後背側から強い光で照らし出すような具合に朝陽が上がって行き、桜島と海と街を照らし始めて、新しい一日が始まる訳だ…

12月の半ば…日が上る時刻は、他時季よりも遅めである…「普通な時間帯に起き出した」という次元―今般停まった宿に近い停留所で、路面電車の発着も見受けられるようになっている時間帯…―で、一寸散策に出ると、好天でさえ在れば見られることになる…

桜島の背後の空…正しく「暁の空」だった。桜島の向こうの、大隅半島側の山地の向こうから朝陽が上がる筈だが、空は刻々と色を変えていた…



12月17日から12月19日辺り…「シーズンでは最高の寒さ」ということになっていたようだ。好天の日中には「積雪も見受けられる北海道から訪ねている」自身としては、「温かい訳でもないが、酷く寒いとも思えない」という感じだったが…早朝は少々風が冷たく、「軽く刺さる?」感じだった。<ドルフィンポート>の辺りで、思わず上着のポケットから取り出したニットのキャップを被りながら、刻々と変わる朝の光に照らし出される桜島を見入ってしまった…







桜島に見入った後…路面電車が通っている辺りまでの道すがらに在るコンビニで、「宿の部屋で“茶代わり”に…」と<黒白波>のペット容器を購入するなどしていた…そんなモノ等の入ったレジ袋をぶら提げて電車に乗ると…「朝の通勤・通学」という趣の時間帯になっていた…
posted by Charlie at 04:43| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月26日

福岡空港&新千歳空港:ANA 特別塗装機 “スターアライアンス”のB777-200(2014.12.22)

飛行機での移動…何やら非常に煩わしく感じる“保安検査”を潜り抜け、待合スペースに入ると、安堵感というのか、フライトへの期待感というのか、なかなかに愉しい気分が沸き起こる。

そうした中で、飛行機の姿が近くに見えると、愉しい気分が更に盛り上がる…

確か…他界して久しい、岩見沢に住んでいた祖母は「鉄の塊が空の上に浮かぶ?信じられん…そんなモノには乗りたくない…」と言っていて、私が学生だった頃、“親父殿”に伴われて、従姉妹の結婚式に顔を出そうと<北斗星>で東京に登場したことが在った。空港で飛行機を見ると、何となくそういう挿話を思い出してしまうが、「大勢の旅客を乗せて、標識が在るでもない雲の上を迷わずに、目的地へ向けて安全に飛ぶ」という飛行機は、「凄い発明!!」だとつくづく思わずには居られない…

↓福岡空港で眼に留めた機体…B777だ…現在では大手航空会社の“主力機材”の一つに数えられているモノだ…

↑やや見慣れないマーキングである…「明確な宣伝」と言うのか、「キャラクター」というようなマーキングでもない…「何処の会社の飛行機?」と思いながら眺めていた…

↓何やら、作業員が色々と動き回っている。出発準備中のようだ…

↑よく視ると…私が利用予定のANA289便の搭乗ということになっている位置に駐機中だ…

↓これはANAの機体だった…「安全のしおり」に画が在る、「白と青」が「ANA機!!」というイメージだが…

↑これは、ANAが参加している<スターアライアンス>の宣伝のために、その塗装を施したということなのだろう。各機種で行っているようである…

↓新千歳空港に着いた…こちらの到着の通路の方が、機体が見え易い…何か…渋い感じだ…

↑よく視ると、機首側に「ANA機」を示す、通常塗装で使用している青系の色で構成する帯が描かれていた…

B777-200について、ANAでは2014年3月末現在で28機を運用しているそうだが、その中の2機が“スターアライアンス”の特別塗装機であるようだ…

「28分の2」という確率…高いような、低いような感じだが…こういう“特別”に出くわして搭乗出来るというのは、少し運が好いような気がする…前年同時期には、空路の乱れの影響を被る場面が在ったのだが、今般はそういうこともなく、愉しい空の旅となった…

こういう具合に空港の駐機場で、貨物を下ろしていたりする飛行機を視ると…「おい!この寒い中、無事に着いたぞ!!“次”はどうなっているんだ!!今日はマダマダ飛ぶぞ!皆の衆!!早く支度をしてくれ!」と飛行機が意気込んでいるかのように見える…実際…我々が御世話になる旅客機は、日に5回や6回は飛行して、移動距離は相当なものになる筈だ…そしてそれは、非常に大勢の人達の努力で支えられている…こうして飛行機を眺めながら空港の出口へ歩むと、そうした大勢の皆さんへの感謝というものも沸き起こる…

こんな殊勝なことを言いながら…“欠航”というような話しに影響を受けると…「止めちまえ!!馬鹿野郎!!」という具合に荒れてしまうのだが…それもまた、運航に向けた関係者の努力への信頼と期待の高さ故というものかもしれない…

※参照
>>事業規模│企業情報│ANA
posted by Charlie at 08:20| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月25日

名寄駅(2014.12.23)

「稚内から他地域を訪ねて、引揚げる場合」について、“選択肢”は然程潤沢ではないかもしれない…と言うより、稚内は他地域との交通アクセスに関して、或る程度の“制約”を免れ難いかもしれない…

そうした中…<青春18きっぷ>のようなモノを駆使して「普通列車で移動」というやり方は、「趣味人の道楽」に留めておくには「惜しい」と思える場合もないではない…

「稚内から他地域を訪ねて、引揚げる場合」について、「速くはないが早い…」と形容しているのは、「旭川駅を午前6時5分に発ち、稚内駅に午前11時56分に着く」という普通列車を利用する方法だ…前日夕刻、或いは夜中までに旭川入りし、泊まるなり夜を明かすなりして、早朝の旭川駅に乗り込んで列車に乗る…「気付けば○○」という具合に「半ば居眠りも可」という状況で列車に乗っていると…“ランチタイム”には稚内である!!私の場合…稚内駅近所の、頻繁にランチに寄る店が営業している日なら、「駅から直行」でそこに寄り、「ごきげんよう…」等と「何時もの席」を占めて昼食を愉しんでから行動する…

そんな旅が、この数年は気に入っているのだが…

↓最初の「気付けば○○」は名寄駅であることが多い…


名寄駅では数分間の停車だが、何やら乗務員の交代等が行われている様子だ…

旭川・名寄間に関しては「大きな街の旭川に対して、旭川に向かう人達をそれなりに多く擁する小さな名寄」という関係性が見受けられ、この間の列車は「相対的に混む」ように見えるのだが、名寄以北は急に“静か”になる…

北海道の冬季の列車内…強めな暖房で、長く乗っていると少々ぼんやりとして来る場合も無いではないが…少しばかり長めな名寄の停車時間でホームに出ると…「シャキッ!!」とする…氷点下10℃前後が頻発するのが、名寄辺りの冬季だ…低温で雪が多目な内陸の気候である…

↓乗降が落ち着き、乗務員交代も完了し、発車準備が整い始める…

↑冬季のこの時間帯…殊に天候が好い日には「冬の朝!!」という美しい風情が見られるように思う…

↓冬の列車の後尾は何時もこんな感じだ…走行する都度に線路の雪を掻き上げ、そんな雪が車体後部に付着してしまう…

↑えびの辺りではくいう状態にはなっていない…結局「北海道の氷点下気温の下での粒子が細かい雪」であるが故に発生する現象なのだ…

更に…上記の画では、画面左側が跨線橋の出入口になるのだが、屋根に夥しい量の雪が積み上がっている…こういう状況を視て…「名寄…雪が多い地域…」と嘆息する…

この列車…マダマダ長い行程の三分の一程度を進んだ辺りである…
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福岡:<JR博多シティ>のイルミネーション(2014.12.21)

博多駅…「九州最大の都市」で、他地域と九州とを結ぶ玄関口というような感でもある福岡に在って、「街の玄関」というような存在感を占めているような感じがする…

福岡という街は、「古くからの商人町で港町」の“博多”と、「江戸時代を通じて一帯の領主だった黒田家の城下町」であった“福岡”との「ツインシティー」(双子の街)として発展してきた。“国鉄時代”以来、九州内外の各地とを結ぶ列車が発着する駅は博多駅で、“JR時代”に至ってもそれは変わらない。他方、“福岡”側には、正式には「西鉄福岡駅」と言うらしい西日本鉄道の駅が天神地区に設けられていて、西鉄の列車が発着している。更に“天神”は、市内外、県内外と福岡の街中とを行き交うバス等が発着する場所という性格が在り、「街の玄関」と言って差し支えない。

そうした事情は在るものの、個人的には、縁薄い地域については「列車で他地方から向かうと着く場所」を何となく「玄関」と受け止める傾向に在る。関西や中国地方からの新幹線等の列車は博多駅に到着していて、東京や札幌などから空路で空港入りする場合にも、「街へのアクセス」としては博多駅への行き方が真っ先に上がると思う。(尤も、福岡空港からの地下鉄に乗ると、博多駅を通り過ぎて、そのまま天神駅に行くことも可能になっていたりするが…)そういう訳で、私は「博多駅」を「街の玄関」と認識している…

この博多駅に初めて辿り着いたのは…2010年12月のことで、事前に何らの思惑も無いままに何となく「やや遅い時間帯」に辿り着き、周辺を何となく歩き回り、偶々現れたバスの行先“ヤフードーム”に興味を覚えてその辺りへ出て、駅の傍へ戻ってからは“休憩所”で夜を明かして、翌早朝には門司へ向けて出発してしまったのだった…そんな訳で、博多駅を詳しく知ることが出来た訳でも何でもないが、当時は…「何やら?工事中?」という感じで、しかも夜のやや遅めなくらい時間帯で「よく判らない?!」という按配だった…

そういう事情から、「実質的に初めて博多駅と向き合った」という感じなのは…2011年12月に、福岡へ立ち寄った時だった。その時には、現在の<JR博多シティ>と呼ばれる大きな駅ビルがオープンしていた。2011年3月の「九州新幹線全線開業」の少し前にオープンしたようだ。

その2011年に立ち寄った際、博多駅から新幹線の列車で夜に鹿児島へ発ったのだったが、列車に乗る前に駅に至り、少々驚いたことを忘れられない。何時の頃からか、12月辺りに「大きな駅の駅ビルや周辺でイルミネーション」というようなことをやることは珍しくなくなったが…<JR博多シティ>で見掛けたモノに関して…「自身で承知している“駅前のイルミネーション”に類するものとしては、恐らく“全国屈指”だ…」と思った。とにかく華やかだった…

各地の大きな街に関して、12月のイルミネーションのような「街を飾り立てる」ようなことに関して、「そういうのが好き?」とか「そういうことが得意?」と見受けられるような街も在るのかもしれない。2011年に初めて<JR博多シティ>を視た際には、「或いは博多(福岡)も街を飾り立てるのが好きだったり、得意だったりするのか?」とも思った。他方…<JR博多シティ>としては「開業初年」だった訳で、「スタートなので景気好く!!」と張り切ったのかもしれない…

それから3年…2014年12月に至るまでに、この<JR博多シティ>のイルミネーションを何度か視ているのだが…「“駅前のイルミネーション”に類するものとしては、恐らく“全国屈指”だ…」という感じは、変わっていない。「開業初年」に「張り切った」ということだけでもないようなのだ!!

偶々、今般の旅でも視た<JR博多シティ>のイルミネーション…振り返ると「少々文字数が嵩む」程度の付き合いに、何時の間にかなっていた…

今般、<JR博多シティ>のイルミネーションを視たのは、“帰国前夜”に博多に泊まった際にであった。

昼頃に長崎駅からの列車で博多駅に到着し、その足で市内を少し動き回った後、予約してあった宿に入った。博多駅に着いてから宿に入るまでの間、曇天ではあったが降雨は見受けられなかった…

“夕刻”が近付き…友人と会う約束も在り、その前にも辺りを散策しようと外に出ようとした。身軽な出で立ちで宿の入口に至り、戸外を視て「?」と思った。「存外な強さ」を伺わせる雨音が聞こえた…傘を使うことにした…用意の折畳式傘を使用することにしたのは、今般の旅の終盤に至ったこの日が初めてとなった…

雨音を傘越しに聞きながら博多駅に至った…何やら、人の出入りが少なめな屋根の着いた通路の出入り口らしきモノが在った。“雨避け”に好適と思えたので、何となく佇んだ。よく見ると、そこは「地下駐輪場」の入口で、階段とスロープで自転車を押して地下のスペースに入れて、逆に々会談とスロープで自転車を押して地上に出す。どうも午後に至ってから降り始めた、または降り方が強くなったらしく「雨…強くなった…」と自転車を押して空模様を伺い、やがて意を決したように自転車で出発する「地下駐輪場」の利用者が散見した。雨の中、傘を片手に自転車を操って出て行く人も居た。私自身は敢えてやったことのないことなので、やや驚きながら、そんな様子も視ていた…

好い按配の“雨避け”を得て、<JR博多シティ>の様子を伺う。「日曜日の午後。夕方の時間帯に入る辺り」ということで、ビルの前に設えられた催しのステージにミュージシャンが登場して演奏を行う段取りが在ったようだ…

↓とりあえず、出演するミュージシャンの“サウンドチェック”の音が聞こえる中、未だイルミネーションは点灯していない…


↓「午後5時になりました!」と司会者の声が聞こえ、ミュージシャンの演奏が始まる旨を紹介しながら、イルミネーションの点灯が告げられた…

↑辺りは「少し眩しい?」という位になる…

博多辺り…午後5時では「完全に暗い」感じでもない…が、「明るい」でもない…イルミネーションの華やぎが悪くない時間帯だ…

↓雨で広場が湿っていて、若干水が溜まっているかのような箇所も多く、“水面”にイルミネーションが映っている…

↑刻々と辺りの暗さが増すと同時に、イルミネーションの輝きも増して行く…或いは「イルミネーションというものの魅力」であろう…

こうやって<JR博多シティ>の「休日の夕方」というものが、雨天をも厭わず、「華麗な幕開け」を見せた…

「何度視ても…ここは凄い…」という思いを新たに、友人と会うことにしていた天神地区に向けて、地下鉄で移動した…

それから…愉しい一時を過ごし、宿に引揚げるべく、上機嫌で博多駅に戻って来た。雨は少し弱くなっていた…

↓未だ、少しにぎやかな音楽も聞こえていたが、イルミネーションは「雨交じりの夜」を青紫に彩っていた…


能書きが長くなった序だ!!2011年から2013年の、<JR博多シティ>のイルミネーションの画も、ここに掲載しておきたい…

↓2011年12月18日…

↑この時は…枕崎―稚内から全行程を鉄路…―へ向かう途中に寄り、友人と会って呑んだ…呑んでから、新幹線に乗る前に駅へやって来た場面で視た光景だ…

↓2012年12月21日…

↑この時は…確かビル内で水戸岡デザイナーの展覧会が開催中で、立寄ってなかなかに愉しかった…九州を一回りして、後先を考えずに佐賀から博多に至り、この後はハードロックカフェで呑んで、“休憩所”で夜を明かし、翌日は下関や門司港に寄ってから小倉に泊まったのだった…

↓2013年12月18日…

↑アジア系の外国人の青年に話し掛けられ、彼の記念写真のシャッターを押してあげたという出来事が在った…この後、友人と食事を愉しみ、カプセルホテルに泊まって、翌朝は太宰府や柳川と「福岡県の定番!!」な場所を西鉄で巡って、そのまま佐世保まで行ってしまった…

如何であろうか?私自身の行動も振り返ると妙だが…それは置いておき…こうして過去画像も視ると、「開業の年」の2011年から、この<JR博多シティ>のイルミネーションは、毎年華やかである…

何となく思うのだが…ここのイルミネーションが華やかさを保っている間は…この国も「豊かで平和」な状態なのかもしれない…などとである…

ハッキリ言えば…私自身にとっては、通勤や買物というような「日常生活の範囲」というものを「100%逸脱している場所」である<JR博多シティ>だが…2011年以降、何となく「毎年1回」視ているような按配で…何時の間にか「これを視ないと、無事に12月を迎えられないような気がする…」と感じる程度に、私の頭の中で“定番”になり始めていることに思い至る…不思議なものだ…
posted by Charlie at 18:38| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿児島:<ドルフィンポート>辺りから日没が近付く時間帯の桜島を望む(2014.12.18)

2011年に「鹿児島に至る…」ということになった際、一寸思い立って鹿児島市の観光の御担当にメールで照会してみた。「路面電車で鹿児島中央駅辺りから訪ね易いエリアで、桜島の眺望が楽しめる場所は?」と尋ねてみたところ、丁寧な回答を寄せて頂いた。

そこで挙がっていたのが「<ドルフィンポート>の辺り」である。親水緑地風になった港の一部で、商業施設になっている建物が在る場所だ。ここへ向かうには、路面電車で<いづろ通>停留所に向かい、そこから海の側に少し歩くだけだ。海岸沿いの道路の車輛交通量が存外に多く、横断歩道はやや待つが…親水緑地のようになっている辺りが近付くと、「桜島でごわす…」とばかりに「海に浮かぶように見える山」が姿を見せる…

2011年に初めて鹿児島に至って以来、ここは「行ってみよう!」と訪ねた「鹿児島市内で最初の場所」のようなもので、「早速気に入った!!」という場所ともなった。鹿児島に寄る機会が生じる毎に足を運んでいる。

訪ねる都度、各々の時間帯や天候によって雰囲気が異なる桜島が見えるのだが、2013年12月に立ち寄った折には…少し強めな雨のため、この場所で桜島の姿を視ることが出来なかった…

その「昨年は視られなかった…」という想いが在って、「今回は…」という気持ちが高まっていたのだが…この12月18日は「桜島を眺めることに尽きた…」かのような一日の過ごし方となった…

“12月”としては「珍しい」らしいが、桜島に冠雪が見受けられた。何箇所か場所を変えながら、この「冠雪している桜島」を眺めていたが…日が傾く頃になって、「“行ってみよう!”と訪ねた“鹿児島市内で最初の場所”」であり、桜島の眺望が美しい<ドルフィンポート>の辺りに足を運んでみた…

この日は、朝はやや雲が多い感じであったものの、次第に天候は好転して行った。昼頃には「見事な蒼空!!」というような様子さえ見受けられた…

↓<ドルフィンポート>の辺りでは、こんな感じの風景に迎えられた!!


↓或いは…夕刻近くになると、「雪で染まる岩肌」の部分が少々少なくなった…または少な目に視えるような気がする…

↑西日の故に何とも言い難い色彩の岩肌…低い辺りの濃い緑…沿岸や港の営み…紺碧の錦江湾…豊かな色彩感が溢れている!!

桜島の位置だが、これは鹿児島中央駅から天文館、更に鹿児島市役所や鹿児島駅というように拡がっている側、“市街”から視て「東側」になる。だから、「日が西側に傾く」時間帯になると、桜島の「市街から見える側」にスポットライトのように光が当たる。日中は「上から」で、朝は「背後側から」と一日を通じて「陽の光が当たる方角」が違うので、「時間帯毎に感じが違う」のが桜島の風景である。

こんな風景が望める街…実に素晴らしい!!
posted by Charlie at 08:14| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月24日

鹿児島:みなと大通公園のイルミネーション(2014.12.18)

鹿児島に2系統運行されている路面電車だが、両系統とも行き交っている区間が在る。<高見馬場>から<鹿児島駅前>の区間だ。精確には、1系統と2系統の<高見馬場>停留所は場所がずれていることから、次の<天文館通>と<鹿児島駅前>は完全に同じ軌道を使用していて、停留所も同じである。「お乗り間違えのないようにお願いします」というような運転士さんによる案内も時々耳にする区間だ。

この区間で電車を利用していると…「次は市役所…<市役所前>です」というアナウンス―停留所名を2回言うようだが、一回目は最後まで名称を言わず“市役所”で、二回目は“前”まで付けて“市役所前”と言っている…―がテープで流れる停留所が在る。何処と無く歴史を感じさせる鹿児島市役所本庁舎を仰ぎ見る場所に停留所が在るのだが…

↓市役所庁舎の真ん前が都市公園になっている…なかなかに心地好さそうな「街中の緑地」である…

↑既に暗くなって、少し経っていた午後6時前に着いた…噴水がライトアップされて華やかだ…水を噴く部分にランプが仕込まれているようだ…

↓市のウェブサイトで、どういう場所なのか紹介されている…
>>鹿児島市ホームページ |みなと大通公園

“12月”という時季にこうした噴水を見ると、私自身のような「寒冷地に棲息」という者は「非常にエキゾチック!!」と少しばかり嬉しくなってしまう。“12月”と言えば…「積雪期に管理困難」な噴水は「確り閉鎖」で、やや言葉が悪いが“残骸”のような寂しい様相を呈しているものなのである…そして積雪期には深い雪に完全に埋もれて、そこに噴水が在ったことを半ば失念してしまう…

↓対して、ここの噴水は随分と景気良く…

↑制御プログラムで、噴き上げる水の高さや場所をランダムに変えて、「水流と光のショー」のような様相を呈している…

↓やがて噴水が少しの間静かになり、公園の木々等のイルミネーションが点る…


↓暗くなるに連れて、イルミネーションと噴水の光が、暗い街に華やぎを添えるような按配になる…


直ぐ傍のコンビニで求めた珈琲を啜りながら、暫しこうした様子を眺めていたが…何か「心身共に…少々寒々しい…」という妙な気分になり、殆ど一日中動いて桜島の眺めを追っ掛けていた疲れが少し強まった感じで、そそくさと鹿児島中央駅近くの屋台村に路面電車で移動し、焼酎のお湯割りを美味しく頂いた…
posted by Charlie at 23:12| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<はやとの風>が停まる大隅横川駅(2014.12.19)

1903年1月に国分(現在の隼人駅)―横川(現在の大隅横川駅)間の鉄道が開通しているそうだが、この「鉄道が開通したような頃」の駅舎が未だに残って使用されている例が在る。嘉例川駅(かれいがわえき)と大隅横川駅(おおすみよこがわえき)である。

この1903年1月に開通したという隼人駅―大隅横川駅間を含む経路を行く列車<はやとの風>は、鉄道開通当時の趣を伝える駅に確り停車する実に在り難い存在である…この列車に乗って「鹿児島から北上」の移動を愉しんだ…

↓大隅横川駅に<はやとの風>が到着した様子…

↑列車の後尾側から…

↓こういう駅舎だ…

↑「開業当初(100年以上前)の様式」とでも言うのか…先に視た嘉例川駅に似ている…ここでは、新年の門松の準備もされていた…

大隅横川駅も「100年超」の駅舎だが、色々とあったようだ。1945年7月30日、辺りが空襲を受けていて、駅舎には機銃の銃弾痕が残っている柱も在る…

現在の大隅横川駅辺り…大変に静かな場所だが、空襲当時は周辺の建物が相当に被害を受けてしまったようだ…それでも…駅舎は残った…そんな挿話を聞くと、何か駅舎への「地元の皆さんの思い入れ」のようなものも覗える…

↓空襲の件を伝える掲示が行われている…

↑ホームから改札口側辺りの柱に瑕が残る…

駅舎内には、夥しい数の爪楊枝に彩色を施してパネルに貼り、「駅舎の画」を造ってしまったモノが飾られている。これは地元の生徒の制作らしい…一寸驚いた…

↓なかなかの力作…一寸見入ってしまう…


この大隅横川駅でも「旧くで新しい感じ」な<はやとの風>が停まっていると、何か“時間”がそこで交錯しているかのような、不思議な感じがする。



この大隅横川駅の駅舎は、地元自治体が建物を買い取った経過も在るということで、地元で大切にされている。「そこに駅舎が建っている」という「事実自体」を或る種の“産業遺産”とか“文化遺産”と捉え、「守り伝えたい…」としているような様子が感じられる。

“移動手段”として偶々<はやとの風>を利用した型であるが、こうした「一寸は知られた駅舎」で「敢えて数分間停まってみる」だけで、何か「大切なものを伝えて頂いた」という気分になれた。そういうのが「鉄道の旅の好さ」の“核心”なのかもしれない…

↓<はやとの風>…「記憶に残る列車」となった…
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<はやとの風>が停まる嘉例川駅(2014.12.19)

嘉例川駅(かれいがわえき)という駅が在る。この駅は、「鉄道が開通したような頃」の駅舎の姿を現在に伝えているというような駅である…

大変に興味が在ったのだが…この駅に関して調べると「列車で訪ね悪い駅」という思いが募ってしまう。

「列車で訪ね悪い駅」というのも“修辞矛盾”のようだが…極限られた本数の列車が運行されている区間で、駅での短過ぎる停車中に写真でも撮るということにもなり悪く、1本列車を見送ってしまえば、次が「数時間待ち」という状況さえ在るような場所なのだ…

そういう中…<はやとの風>を知り、これへの乗車機会を設けることが叶った!!

<はやとの風>は、「鉄道が開通したような頃」の駅舎の姿を現在に伝えている嘉例川駅等の「観たい!!」駅で敢えて数分間停車してくれるのである。停車時間内に駅舎の見学や写真撮影などが可能である。実に在り難い!!

↓嘉例川駅に<はやとの風>が到着…

↑列車の後尾側から…

↓列車の先頭側に回り込む…


「鹿児島から北上して熊本県内、佐賀県内へ」ということをする場合、他の経路も在ると思ったが…<はやとの風>を選んでみた。

嘉例川駅は1903年(明治36年)1月に営業を開始したそうだ。1903年1月に国分(現在の隼人駅)―横川(現在の大隅横川駅)間の鉄道が開通していて、それに伴って途中の嘉例川駅も開業している。この駅舎は開業当初からの木造建築である。

↓本当に“年輪”が感じられる建物だ…


<はやとの風>は、“40系ファミリー”の少し古いディーゼルカーを改装している車輛を用いている列車だ。眼に馴染んだディーゼルカーの形状ながら、黒系の塗装が施されている。鹿児島中央駅で黒系の<はやとの風>を視た際には「やや斬新な感じ…」と思ったのだが、嘉例川駅で視ると…「往年の蒸気機関車のイメージ」で黒系を採用したのだろうか、等と感じた。



「旧くて新しい」感じの<はやとの風>が、「鉄道が開通したような頃=1903年」からの建物が残る駅で停車する様…何か“時間”がそこで交錯しているかのような、不思議な感じだ…
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2014年12月21日

鹿児島中央駅の新幹線ホームを鳥瞰出来る喫煙コーナー(2014.12.19)

昨年12月、鹿児島中央駅に寄った際には何やら工事中だった…商業施設となる駅ビルの“新館”を建てていたのだ…

今年9月末にその“新館”がオープンしたと聞いていた。鹿児島中央駅に到着した時も、昨年のような“工事中”は無かった…

<はやとの風 4号>で“昼食後”な時間帯に鹿児島を発つことに決めたことから、「“新館”を一寸眺めて、何処かで少々早めに昼食を摂って…」程度のことを考えた…

“新館”は7階まで在る…各フロアを眺めていて、7階に至った…何気なく“喫煙コーナー”が眼に留まった…中に入ってみた…

↓真正面の硝子窓にこんな光景が!!


居合わせた場所は、鹿児島中央駅の新幹線ホームの真上だった…到着して折り返す列車が、ホームで待機している様子が見えた…この日は素晴らしい天候で、各車輌も青空に映える!!

何か「好い場所!!」が偶々見付った感である…この“青磁色”(?)というようなN700系新幹線…2011年に博多・鹿児島中央間、2012年に新大阪・熊本間で乗車したことがあるだけなのだが…眺めながら「また何時か…」という想いを抱いていた…
posted by Charlie at 02:25| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿児島中央駅のコインロッカー(2014.12.19)

馴染みが薄い土地で視掛ける“広告”は、地域でポピュラーな産業や、地元企業の名前を知る切っ掛けとなり、なかなかに面白かったりする…

鹿児島では…焼酎の広告をよく視掛ける…鹿児島中央駅は、市内や近在の焼酎の消費者のみではなく、遠来の人達も行き交っているので、焼酎のブランド名等を宣伝するには好適な場所と考えられているのであろう。色々な焼酎の広告を視掛けた…

↓これが秀逸だった!!


「微妙な位置に<桜島>の看板?」と思っていたのだが…コインロッカーにラッピングを施してあるのだ!!

「うわぁ!!」と注目したのだが…場所柄、旅行者や買い物客が存外にコインロッカーを利用している様子が見受けられた…

コインロッカーというようなものは、何処でも似たようなモノで、沢山在ると「何処に荷物を預けたか?」となる場合も在るかもしれないが…こんなに煌びやかにラッピングが施されていれば、場所を覚えて見つけ易いかもしれない…

<桜島>はポピュラーな製品で、北海道内のコンビニでさえ視掛ける焼酎だ…一升瓶とロゴの他、命名由来となっている“桜島”のイラストも美しい…
posted by Charlie at 02:07| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長崎県美術館 屋上庭園から望む長崎港(2014.12.20)

今般の旅も終盤に差し掛かっている…鹿児島から佐賀へ移動し、「ここからどうする?」と迷ったが、長崎へ足を運んだ…結局「長崎ファン」なのかもしれない…

小雨な中で到着し、昼食を愉しんでいた間に晴れ、晴天の中を歩き回れば雲が多くなり、雨が交じった…更にまた雨が上った…

長崎で宿泊したことが在る宿…考えてみれば現在居る場所ばかりだが、ここは長崎港から出る旅客船のターミナルや、ウォーターフロントの商業施設等に近い場所だ…最近、近くに“長崎県美術館”が在ることを知った。

長崎県美術館は、港の緑地に近い。「海辺の公園の中の美術館」という趣だ…夕刻…とりあえず雨が上っているので、この長崎県美術館に足を運んでみることにした…

美術館の展示を愉しもうという趣旨でもない…屋上庭園の眺望を愉しもうとしたのだ…

長崎県美術館は、展示を観るのは有料だが、中には無料で入ることが出来、屋上庭園にも入場料は不要だ…

屋上に出てみれば…海を渡る風が存外に冷たい…ニットのキャップや手袋を上着のポケットから出して着用した…

↓とりあえず…女神大橋や造船所が「煙っている」感じに見えた…


残念ながら雲が厚めで、見ている側が西の空の筈だが、夕焼けに染まるでもなかった…そうした中で次第に灯りが目立つようになって行く…

↓画面左端に大浦天主堂が見える…

↑大浦天主堂と言えば…密かに“信仰”を護って来た人達が“発見”された切っ掛けになった場所で、1865年の出来事だったという。年が明ければ150年…往時はライトアップこそ無かったであろうが、現在のようにビルが在るでもないから、日中は遠くからも天主堂の威容がよく見えたことであろう…

↓目を転じると稲佐山が見える…

↑一昨年と昨年は、長崎で天候に恵まれたこともあって、稲佐山に日没の少し前に上った…山頂部の風はなかなかに冷たかったが…あの山頂から、この時に居た辺り等を望んでいたことになる…

↓女神大橋も照明が目立つ感じになって来た…


今回の長崎…極短時間の寄道で、“新規”に何処かを訪ねてみたという程のことは無かったが…この長崎県美術館は初めてである…

長崎県美術館の後…宿の傍の<スターバックス>で、一番大きなサイズの珈琲を買込み、宿に持ち帰って頂いたが…とんでもなく眠くなり、寝入ってしまった…気付けばかなり遅めな時間帯になっていた…そんなことも在る…

長崎の夜景…稲佐山のような“鳥瞰”も好いが、こういう感じも好きだ!!
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2014年12月19日

鹿児島:西田橋(石橋記念公園)越しに望む桜島(2014.12.18)

仙巌園の辺りから“シティービュー”に乗車した。“シティービュー”は決められた順路を巡回して運行しているのだが、2系統在る。仙巌園は両系統のバスが停まるが、往路と復路で乗車したバスが偶々別系統のバスだった…

海岸の美しい眺望を楽しみながらバスに乗っていて…往路では通らなかった石橋記念公園辺りの停留所を通ることを思い出した…

停留所が近付くと下車希望の押しボタンを押して、「西田橋はここでしたよね?」と運転手氏に尋ね、「あちら側ですよ」と指し示されながら下車した…

↓西田橋の在る辺りから、こういう具合に桜島が視える…

↑以前に鹿児島を訪ねた経過の中でも寄ったことが在るのだが、バスの中で「今日は見栄えがする筈…」と思ったのだ…

天保年間、甲突川に石造の橋が架けられて永く使われていたが…“五大石橋”と呼ばれていたモノの2つが水害で損なわれたことから、残った、また傷んだ3つを公園内に移築しているのだ…

その3つの橋の中、西田橋は“領外”への街道に通じる道筋と繋がっていて、島津家中の要人や関係者が通り過ぎた場所でもある…歴代の島津侯が参勤交代で渡り、将軍家に嫁した篤姫のような身分の高い女性を含む一行が渡り、島津斉彬侯の特命で各地を駆け回ったという若き西郷隆盛のような人達が渡ったという橋だ…更に…今回は敢えて寄らなかったが、近くに資料館が設けられていて、“建築技術”の観点でも興味深い西田橋の紹介も在る。

↓こうして桜島を視ると…「相当に高い山?」というようにも思える…


この後…路面電車の停留所が在る鹿児島駅辺りへ少し歩いたが…ペット容器の焼酎を求め、「絶景に乾杯!!」と“茶代わり”にコンビニの店先で頂いた…
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鹿児島:磯海水浴場から桜島を望む(2014.12.18)

城山を訪ね、概ね30分間隔の運行で市内を巡るバス“シティービュー”を待とうとベンチに腰掛けて居た時、辺りの売店を営んでいる方と言葉を交わした。

「今日は桜島の眺望が殊更に佳い」という主旨の話しになったのだが、“冠雪”という状態が見受けられるのは、大概は「2月頃」なのだそうだ。「12月中」は「一寸珍しい」らしい。

実は昨年…鹿児島に寄った時がやや強い雨で、桜島の姿が見えなかったので、非常に残念に思っていた。或いは…「去年は申し訳なかった…」と“桜島どん”が美しい姿を見せてくれたのかもしれない…そんなことを思い、“僥倖”に感謝!!

そういう想いで、仙巌園と尚古集成館とを、久し振りに訪ねて美しい風景等を愉しんだが…宿の在る方へ引揚げる前に、一寸道草を…

↓こんな様子を…

↑天候が好転し、「輝く蒼天と錦江湾」に桜島が浮かび上がる感じになって来た…

陽が高くなり、桜島の陰影が濃くなって来た…素敵だ!!
posted by Charlie at 05:52| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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