2014年08月31日

関西国際空港:待機中のJetStarのA320(2014.08.02)

旅行に出るような場面…雨はやや困る…動きが制約されてしまうからだ…

7月30日から8月3日に関しては…「雨だ…」ということになったのは8月2日だけだった…京都市内から大阪市内を経て関西国際空港へ移動する途中、雨が降っていることに気付いた…大阪市内で極短い道草をした場面では、持っていた折畳傘―以前に鹿児島の天文館に在るコンビニで仕入れたモノ―を一寸使ったが…その後も雨は少し強めになった。本町駅から地下鉄に乗って、南海なんば駅に着いてしまうと、以降は“屋内”同然の条件だ…列車から下りて、空港ビルに入って、手続をして昼食を摂って、保安検査を潜って飛行機に乗るだけなのだ…

↓関西国際空港の待合は、飛行機の様子を視て写真を撮るということが、比較的やり易いように思う…

↑JetStarの銀色の機体が、やや強めになる雨の中に佇む…

↓濡れた駐機場に、機体下部が映り込んでいる…なかなかに強い雨になっている…

↑“人口島”である空港と、近隣の泉佐野市とを結ぶ橋等の構造物が遠くに霞む…

この日は…機材繰りで少々出発が押したが…席に着くと安堵して、居眠りしてしまったようだ…

↓気付くとこういう感じだった…

↑「雲の上は明るい青空」というのは判るが…雨の日に「機上の人」になると、何時も不思議な感じがする…

↓JetStarのA320に搭乗した日の画…
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2014年08月29日

阪急・梅田駅(2014.08.02)

阪急電鉄…幾つかの会社の合併や分離が在って、現在の神戸線、宝塚線、京都線を軸に幾つかの支線を運行する体制に至っている…

以前、稚内から枕崎まで各種列車の乗継で到達した際の帰路、大阪・札幌のフライトに乗る前日朝を目掛けて、鹿児島・大阪間の夜行バスで大阪の梅田に到着したということが在った。その時、阪急電車の乗場を案内する表示を見掛け「阪急電車…乗ったことがない…こういう機会に…」と思い立ち、京都線で大阪・京都を往復してみた…あの時は、京都で何箇所か名所を訪ねて大阪に引揚げ、宿を見付けて泊まり、関西空港へ移動して北海道へ引揚げたのだったが…

今般は7月31日から8月2日の期間で、関西地域の各私鉄を自由に利用可能な“スルッとKANSAI”を手にしていた。8月1日に大阪側から京都側へ向かった際には京阪電車を利用した。8月2日に京都側から大阪側へ移動する場面では、阪急電車を利用してみることにした。

“阪急”というのは、会社が興った頃の正式社名だった“阪神急行”を縮めた呼称なのだそうだ…大阪・神戸を結ぶ神戸線がこの会社のルーツらしく、「阪急」と聞けば「大阪から西へ…」というイメージが少し強いかもしれない。或いは、かの有名な宝塚歌劇のスポンサーだという経過から、宝塚線のイメージも強めかもしれない。が、大阪・京都間の「大阪から北東へ向かう」という按配になる京都線もなかなかに賑やかだ…今般は「京都から南西」という、京都・大阪のコースを利用した訳だが…

初めて阪急の京都線を利用した時、駅の案内放送で「○号線」という案内の仕方だったことに気付いた。その方式は…現在も変わっていなかった…こういうディーテール…何時も、何となく気になる…

阪急京都線は、京都市内では地下を走る。地下鉄の京都駅から烏丸駅に至って阪急京都線に乗換える感じは、何か「東京メトロから都営地下鉄への乗換」を思い出すような雰囲気だ…列車は進むに連れて乗客が増え、下車する人が在る他方で乗車する人も在るというように入れ替わりも交えて大阪市内方面へ進んで行く。乗車したのは昼前の時間帯だったが…各学校は夏休み期間で、土曜日でも在るので、学校の制服風という若い人達―この旅行の期間、学校のスポーツ系クラブのTシャツやポロシャツ、またはジャージという出で立ちの人達は存外に見掛けた…制服姿は稀だった…―や、スーツ姿やオフィスでの夏の略装という雰囲気の人達は目立たなかった…車内は老若男女、様々な人が溢れている。何をしている方なのか、和服姿の方も見掛けて、或いは「京都周辺らしい?」等と思っていた…住宅が多そうな場所、沿線各市の中心的な場所と見受けられる地域を通り抜ける。地上に出て暫くした辺りで窓から街並みを伺うと、雨が降っていた…

↓雨の中、大阪の梅田駅に着いた…着いた列車は直ぐに京都方向への折り返し運転となるようだ。“河原町”と行先表示が出ている。この日乗車した烏丸の隣の駅で、京都線の京都側起点だ…

↑沢山のホームが在るが…片側を下車用にして、反対側から折り返し列車の乗客を乗せるというような利用の仕方をしていた。多少古い感じながら、ピカピカのタイルが貼られたホームだ…この駅も、色々な変遷が在って今日の型に落ち着いているようだが…

↓関連で…8月1日夜の画だが、京都線の京都側基点となる河原町の様子だ…「週末の夜」を過ごして帰宅するような人達が多いと見受けられ、なかなかに賑わっていた…

↑8月2日に京都・大阪間で乗車した車輌と違う型で、列車種別も違うが、車輌は同じ色の塗装だ…「同じ色」と言っても…車輌の導入時期が異なると「まぁ…えぇやろ…」―関西方面を舞台にしたドラマの劇中人物のような口調…―という感じで関係者が妥協する程度の差異は在るだろうし、濃い目な色である以上は経年変化で色合いも若干変わり、光加減で見え方も多少異なるであろうが…

↓阪急の電車…何か典雅な感じがする…

↑「もう少しゆっくり眺めていようか…」というような気分にもなった…

阪急の各車輛…格別に新しいモノが目立つでもなく、殊更に古いモノが頑張っているような印象でもない。“普通”では在るのだが…結局、殆どの車輛が“阪急マルーン”と呼び習わされている独特なカラーで統一されていて、非常に落ち着いた感じがするのである。このマルーン色に銀色の窓枠という基本が徹底している。一部の比較的新しい車輛に、白に近いアイボリー色のアクセントが入っている位だ…極々一部にステンレスの銀色という車輛も在るらしいが…視掛けなかった…

この“阪急マルーン”…京都線だけではなく、神戸線や宝塚線も同じ色だ…そして各列車は“特急”。“急行”、“普通”と停車駅が異なる列車種別も在る―“特急料金”が要る列車は設けられていないようだ…―のだが、列車種別を問わずに同じ色だ…或いは「どの路線も、どの列車も同じように御利用頂く」という意志表示なのかもしれない…

阪急という会社は、創業期の経営陣がなかなかに積極的で、「自社鉄道沿線の宅地開発に関わり、宅地の住民に自社路線を利用してもらう」という「顧客を創出する」というようなことや、「ターミナル駅にデパートを設けて、自社路線を利用する通勤客等に買物をして貰い、更に買物に出たい人達に自社鉄道を利用してもらう」という「交通インフラと商業施設が相互に補完しながら発展を目指す」ようなビジネスモデル…現在ではどこの鉄道会社でも考えているようなことだが、阪急はそうしたものに関して「日本での起こり」とも言える取組をしてきた経過を有している。そういうように“鉄道周辺”に目を向けて事業を続けている阪急だが…他方で、「どの路線も、どの列車も同じように」と各路線の各列車の車輛に同じマルーン色の塗装を施して走らせている様子を視ると、「“鉄道”への愛着と矜持」のようなものも感じる。「通りすがりの“一見”」に過ぎない立場で阪急電車を利用したが、何か嬉しくなるものが在る…

何か典雅な感じもするマルーン色の阪急電車…また機会が在れば利用してみたい…

↓京都・大阪間を阪急電車で移動した日の画…
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2014年08月27日

東寺(2014.08.02)

8月2日の朝は京都で迎えた。関西国際空港からの“ジェットスター”に乗る手筈とした日であったが、京都から関西国際空港はやや遠いとは言え、「朝一番…」という次元で出発する必然性も無かった…何か「早起きして何処かを視て…」という気分だった…

前夜に友人と会って、木屋町で軽く日本酒を頂いたことが善かったと見え、深く眠ってスッキリ起き出した感であったのだが…何やら曇天の朝だった…

「京都駅から然程遠くない辺りを一寸散策…」と考え、思い浮かんだのは東寺だった…

↓「以前に立寄ったことも在った…」と振り返ると…2009年12月に立寄っていた…
>>Kyoto : Toji-Temple - an album on Flickr

以前に立寄った日は“冬晴れ”の日であったが…今般、近鉄京都駅から大和西大寺行の始発と見受けられる電車で一駅、東寺駅から数分で辿り着いてみれば…

↓やや雲が多い中に、かの五重塔が聳え立っているのが見えた…多少蒸し暑い感じもした…


↓“東寺”と書き込まれた提灯が在る門から、境内の様子が見える…


始発のような電車で訪ねる早朝…有料拝観の建物が在る箇所等には入ることは出来ないが、門が空いているので一寸境内に入ることは出来る…

東寺というのは、現在の京都の前身である平安京が築かれた際に、「平安京を護る」というような意図で造営された寺である。当時、この東寺と西寺の外、平城京等の寺院が移転することは認められなかったという。現在、“京都”と聞けば「有名な寺院が多々在る」という感だが、平安京が登場した当初には、寺院は数える程しか無かった訳だ…

この東寺はかの弘法大師こと空海に下賜され、真言密教の道場として歩んでいくことになり、今日に至っている…

東寺が在った場所は、平安京の南東の端辺りに相当した地区のようだ。現在では「京都駅に近い辺り」という感だ。思い出したのは、2009年に立寄った際、往路は京都駅辺りから歩き、復路は東寺の近くからバスに乗って京都駅に向かったということだった。今般は近鉄電車を利用した訳だが…

↓東寺の五重塔は目立つ…京都駅を発着する列車の窓からも五重塔が見え易いことから、何か「京都のシンボル」というイメージさえ在ると思う…

↑五重塔は高さ54.8mで、この種の木造の塔としては日本一の高さを誇るそうだ…実は「第2位」と思われる興福寺の五重塔を奈良で視て、「日本一は…京都の東寺だったか…」と頭の隅に浮かんでいたことから、ここに寄ってみたという一面も在るのだが…

東寺の五重塔は9世紀末頃に初めて登場したというが、落雷や不審火で何度も消失している。現在のモノは5代目で、1644(寛永21)年に徳川家光の寄進で建設されたモノだそうだ。370年経っている…

この東寺の様子を何となく見ていたところ…ぽつりぽつりと雨も落ちて来た…やや按配が悪いので、宿に引揚げ、少しゆっくりしていた…

↓東寺に寄ってみた日の画…
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2014年08月23日

近鉄奈良駅(2014.07.31)

7月30日夜に名古屋に入り、7月31日には奈良県内に足跡を記した…関西の私鉄各線を自由に利用出来る“スルッとKANSAI”を手にしていたので、大和八木を基点に近鉄線を随分と利用した…

↓近鉄奈良駅である…


随分以前に近鉄奈良駅のビルの前には行ったことがあったような記憶が在るのだが…中に入ったのは初めてだった…大きな“地下駅”である…

何か、この種の「大きな“地下駅”」と出くわす場面が何度か在った旅だった…

知らなかったのだが…奈良を発着する列車は、大阪難波から更に西へ進み、神戸の三宮にまで至っている…阪神線に乗入れているということなのだろう…こうやって、広い範囲で複数の会社の路線に乗入れて、交通網がどんどん便利になっている…

実は、朝早くから動いていて、やや暑い中だったので奈良で長く歩き回ることを断念した経過も在ったのだが…同時に“スルッとKANSAI”を手に、便利な交通網で動き回ることに関しても、私の基準に照らしてやや控え目に終始していた…この“三宮”という行先表示の列車が写る近鉄奈良駅の写真を視ると…「また何時か…」という想いが強まる…

↓7月31日の画…
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2014年08月20日

南海なんば駅の<ラピート>(2014.08.02)

大阪の“なんば”には各鉄道会社の路線が乗入れている。大阪を訪ねると、周辺を歩き回らない場合でも「列車乗換」で“なんば”に立寄る場合が在ると思う。

「関西空港を利用する」という場合…私は“なんば”経由を好む…

↓理由はこれだ!!<ラピート>である…

↑「関西空港を利用する」という“用事”の有無と無関係に、何か「乗ってみたい…」と思わせる列車である…

↓南海なんば駅は、階段やエスカレーターで上った場所にホームが在る…

↑ここの雰囲気!!意外に好きだ…

エスカレーターで上がった辺りに「ずらり!!」と各方面の列車が発着するホームが並ぶ。右寄り側に空港へ向かう列車が発着していて、改札も在る…

<ラピート>は、乗車券の外に特急指定席券が必要だ。今般は“スルッとKANSAI”で乗車したが、駅で別途に指定席特急券を求めた。

関西空港が開港する頃、「空港と街とを結ぶ」ということでこの<ラピート>が登場した。既に、「なんば・関西空港」を走り続けて20年になる…

↓この独特な形状…「鉄人28号」のような“貌”だが…何か「SFメカ」のようだ…


↓独特な雰囲気に見惚れてしまう…


<ラピート>の専用車輛は「50000系電車」と呼ばれるそうだ。6輛編成である。関西空港の利用者の増減で、この列車の利用者も増加や減少と様々に変化しているようだが、最近は関西空港に乗入れる航空会社が増える傾向の中、この列車の利用者数も若干伸びているらしい。

「関西空港を利用する」という機会が然程多い訳でもないので、この列車に乗る場面も少ないのだが…大阪のミナミから関西空港までの、別段珍しくもない街並みの中を行く列車ながら、乗ると何か妙に嬉しくなる列車だ…

この列車で関西空港駅に着いてみると…幼稚園児らしい少年と、その母親と祖母と見受けられる女性2名の3人連れがホームを右に左に動き回っていた。「何をしている?」と思えば…比較的近くに住んでいる家族らしく、少年がお気に入りの<ラピート>を眺めに駅へやって来たという風だった。その少年でもないが、この<ラピート>は機会を「わざわざ」設けてでも眺めてみたい気がする列車だ…

↓<ラピート>に乗車した日の画…
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2014年08月17日

大阪・道頓堀:グリコの看板(2014.07.31)

「○○へやって来た…」という“実感”と言うのか、「納得出来る」とでも言うような場所…各地に或る程度は存在すると思う。

大阪のような大きな街、或いは広い都市圏を形成しているような地域の場合、その「大阪へやって来た…」という“実感”や「納得出来る」という感覚になる場所は幾つも在るような気がするが…

↓この景色をその「大阪へやって来た…」が“実感”出来る眺めに挙げる人は意外に多いように思う…


事前には別段に知らなかったのだが…ここに見えるグリコの看板は今日、8月17日で消灯し、工事を経て秋に新しいモノになるのだそうだ…7月31日、<あべのハルカス>から宿へ引揚げようとする際にこの光景に触れ、「大阪にやって来た…」という感を強く抱いたという場面が在った…期せずして、「もう少しで消灯…」を見る機会を得たことになる。

私が7月31日に視たグリコの看板は“5代目”なのだそうだ…“初代”は1935年に登場して1943年の戦時中に撤去…“2代目”は1955年から、“3代目”は1963年からそれぞれ登場した。“4代目”が1972年から1996年までで、“5代目”は1998年に登場して現在に至ったのだという…

↓2003年には「大阪市指定景観形成物」というものに認定された看板であるとのこと…


新しいモノが登場したら…視に行きたいものだ…

↓7月31日の画…
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2014年08月15日

興福寺(2014.07.31)

7月31日は、早朝に名古屋を発って橿原市内に至った後、近鉄電車で少し北上して奈良市内に入った。薬師寺に立寄ってから大和西大寺駅周辺で道草し、近鉄の奈良駅に至った。

近鉄奈良駅は各方面との列車が発着し、正しく地域を代表する駅になっているのだが、その周辺も奈良市内や周辺とを結ぶバス路線が集まっている場所だ。そして、歩いて動き回ることも可能な範囲に、なかなかに有名な場所も多く在る。

近鉄奈良駅周辺の名所…「最も近い」のは、恐らく興福寺であろう…

↓道案内的な標識の“奈良公園”という方向に少しばかり行くと、「如何にも伝統を誇る寺」という風情の五重塔が聳え立っているのが眼に留まる…

↑この五重塔が見えている辺りの周辺が興福寺である…

興福寺の五重塔は730(天平2)年に創建されていて、通算5回の被災・再建を経て、1426(応永33)年頃に建てられたモノが今日眼にする五重塔であるという。オリジナルの登場は1300年近くも前で、現在のモノも600年近くも前だ…

この五重塔は、約50mの高さであるという…過日、消防が用いる車輌の話しを偶々聞いたが、稚内市内に在る10階建、12階建のビルの上層階のような場所での救助を想定して備えられている消防の梯子車は、最高で40m程度の高さに届くという。ということは、この興福寺の五重塔は「今日の10階建や12階建のビルに比肩する高さ」ということになる。稚内では、10階建や12階建のビルはかなり目立つのだが…この興福寺の五重塔も、永い間に亘って、周辺ではかなり目立つ代物であったことであろう…

↓五重塔の足下に東金堂が見える…


ここでも強い陽射しが輝く碧空の下で、鮮烈な色彩と、強い光が造り出す明暗のコントラストに触れて「夏の煌き」を感じながら、暫し散策していた…

↓南円堂というそうだが…何か独特なデザインが好い…


この南円堂は813(弘仁4)年の創建で、現在のモノは4回目の再建となる1789(寛政元)年頃の建物だという。

↓少し引くと、独特なデザインの建物がよく見える…


興福寺は、駅から近いことも手伝って、なかなかに多くの来訪者が見受けられた。(私自身も含むが…)こういう場所では…「シャッターを押してください」と、記念撮影をしたい方に頼まれるということが存外に多く在るが…最近はタブレットやらスマートフォンやらを預けられることが多い…正直…操作がよく判らない場合も在る…そういう場面では「確り写りましたか?」と尋ね、確かめて頂くようにしている…興福寺でもそういう場面が在った…

奈良市内…興福寺以外にも、散策に好適な場所が多い訳だが…前夜からの動きで、多少エネルギーを費やしてしまっているところに、陽射しが少々キツく思えるようになって来たので、とりあえず予約してあった大阪の宿を目指すことにした。奈良市内を動き回るのは…「また何時か…」ということにした…

↓興福寺に立寄った7月31日の画…
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2014年08月12日

石山寺(2014.08.01)

琵琶湖から瀬田川―川は京都で宇治川、大阪で淀川と呼び名を換え、大阪湾に注ぐ…―の水域を航行するクルーズ船<一番丸>―明治時代の外輪船を模した船というのに惹かれた!!―を利用してみようと思い立った時、船が着く辺りの石山寺を訪ねてみようと考えた。今般は船が在ったので迷わず訪ねてみたが、船と無関係に京阪電車利用で訪ねてみたいという思いも在った場所だ…

石山寺と言うが…辺りは独特な岩盤の地形で、古くから“石山”と呼ばれていた場所らしい。その石山寺は、なかなかに古い歴史を有している。奈良の大仏を建立していたような時代、大仏に施す鍍金(メッキ)に用いる金が産出することを祈願すべく、石山と呼ばれていた地の岩盤の上に庵が結ばれた。願いが通じ、2年後に陸奥国で金が産出した。そこから寺が起こったのだそうだ…概ね1250年もの伝統を受け継ぐことになる…<一番丸>のガイドさんは、この金の産出という故事から、参拝すると「金運が開ける」という話しも在ると紹介していた…

↓船を下りた辺りからは、直ぐに石山寺の門に至った…

↑京阪電車の駅よりも、<一番丸>が着く場所の方が、石山寺には近い…

↓寺の境内に入る辺りの眺め…

↑木々が茂る中、提灯が沢山下がっている箇所に通路が設えられている。実際は「寺の境内の小道」に過ぎないのだが、何か「森の中に築かれた参道」という趣も感じられる…

↓少し日が高くなり、陽射しが若干キツくなり始めるような時間帯だった…

↑境内の樹木や構造物が造る影と、光が当たる部分の落差…それが非常に鮮烈だった…

↓茂っている葉の下は日陰なのだが、何か「緑の光線」を感じた…

↑葉の表面が強めな光を受け、光が透けて緑色に輝く葉が、枝の影に覗き、辺りの建物も見える…

石山寺の境内を歩き回ると…個々の建物等よりも、こうした「光線と樹木と建物が創り出す雰囲気」に魅せられた…木陰のような場所を歩き回ると、逆に気に降り注いでいる夏の光の強さを一層意識する…という感じであろうか?

↓地名の由来となっている岩盤を伺わせるモノが見受けられる…

↑上の方に建物も在る…

↓岩盤が壁のように見える箇所の上、平らになった場所に多宝塔が在った…


今般の旅の“キーフレーズ”のような感となっか「夏の煌めき」というものを感じながら、この石山寺の雰囲気を愉しんだ。平安朝の時代の貴族社会では、この寺を訪ねて参籠するということをする人達も見受けられたという。かの紫式部は、この石山寺に参籠した際、かの『源氏物語』の着想を纏めたという伝承も在るという。河岸の古い寺で、境内で木々や建物が織り成す光と影…そんな場所でじっと時間を過ごしていると、“物語”のように、色々なことが頭を過るかもしれない。

↓石山寺の訪問で気になったのがこれ…

↑旧い画に在る“鬼”の姿を刻んだ石板が、石山寺に入る門の近くの小さな庭に飾られていた…

これは石山寺の伝承を題材にしたものであるという。石山寺で活躍した名僧が他界することになる際、自身は“鬼”となって石山寺の活動と世の安寧とを護ると誓ったという。暫く経ち、弟子にあたる僧が師を偲んでいたところ、寺の入口で金色の鬼を視掛けたという。「師は、その言葉のとおりに寺や人々を護っている」と、鬼の話しは伝承された…そして私が視掛けた石板も据えられた訳だ…

この石山寺は、「狭義の文化財」ということになるモノも擁している場所だが、寧ろ「全般の雰囲気」や「“鬼”の挿話や、紫式部の挿話のような伝承」まで全て含めて「広義の文化財」という感を強く抱く場所だ…

今般は「夏の煌めき」というような時季に立ち寄ったが…この石山寺の辺りは、時季を換えて、春、秋、冬に訪ねても各々に趣が在るかもしれない。更に…石山寺が在る坂本石山線の沿線も、なかなかに趣が在る…早くも再訪したくなっていることに気付かされる…

↓石山寺に立寄った8月1日の画…
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2014年08月10日

「4輌編成の地下鉄」が「路上」に?! ― 京阪京津線:浜大津・新栄町間(2014.08.01)※ビデオ在り

「4輌編成の電車」は珍しくもない。それが地下鉄であろうと、地上を走るものであろうと、然程気にはならない。地下鉄は地下のトンネル内を走るのが普通だが、地上区間もあれば、他の地上を走る鉄道に乗入れている例も多々在る。

そういうように考えると、どうということもないのだが…路面電車に見受けられる“併用軌道”の区間で「4輌編成の地下鉄の電車」が動いていると…少し不思議だ…

京都市内を横断する地下鉄東西線の一部列車が、京阪京津線に乗入れるようになっている。少し詳しく言えば…京津線を通って浜大津へ行く京阪の列車が、京都の地下鉄東西線を出入している…

京都の地下鉄東西線で浜大津を目指す時は…4輌目までの乗車位置で待機しなければならない。浜大津ではなく六地蔵へ向かう列車は6輌で、ホームはそれに合わせて出来ている.一寸注意が要る…

京都の地下鉄東西線を走った4輌編成の電車は何時の間にか地上に上がり、終点の浜大津に近付く…そこで…不意に路面電車の要領で、市街の道路の真中に敷かれた軌道の上を静かに走り始める…一寸驚いた…

↓これが京都の地下鉄東西線に乗入れている「4輌編成の電車」である…

↑浜大津から京都市内側への復路で乗車した車輌だ…

↓復路に浜大津から京都市内方向へ向かう場面で、後方に陣取って「4輌編成の地下鉄の電車」が併用軌道を走る様子を動画に収めてみた…


こうして眺める分には…普通な路面電車の後方展望と余り違いが判らないが…不思議な感じがしたのだった…

>>浜大津駅(2014.08.01)
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琵琶湖・瀬田川クルーズ<一番丸>(2014.08.01)※ビデオ在り

2012年に滋賀県に御邪魔した経過が在って、「名古屋から京都に向かう途中…」というような地味な印象ながら、美しい風景や興味深い史跡や文化財を擁する地域に関心を向けるようになっていた。現在の滋賀県に相当する近江国というのは、近畿地方から北陸方面、東海地方から近畿方面という交通経路が交錯する地域として重要で、地上の街道も湖上の舟運も大いに利用されたという歴史を負っているのだが、現在でも各地との往来が容易で、訪ね易い地域でもある…

滋賀県の旧称である近江国だが、これは「淡海(あはうみ)」が転訛したと考えられる。或いは琵琶湖の通称そのものを国名化してしまったとも考えられているようだ。滋賀県を指して“湖国”等とも言っているようだ…何気なく日本地図を視ると…滋賀県の領域は、かなりの部分を琵琶湖が占めている…

“湖”と言えば…遊覧船を思い浮かべるのだが…「夏の湖で遊覧船というのは、風流というものにおじゃる…」と考えていると…「明治時代の蒸気船(外輪船)を模した船によるクルーズ」が在ることを知った。強い興味を覚え、これに乗船してみることにした…

この「明治時代の蒸気船(外輪船)を模した船によるクルーズ」では<一番丸>という船が用いられ、琵琶湖畔に聳え立つ“大津プリンスホテル”の前と“石山寺”の辺りとを往来しているという。運航予定を調べてみれば、8月1日は朝の“大津プリンスホテル”・“石山寺”間の便が運航される事が判った。

前夜に滞在した大阪難波駅近くの宿を早朝に発ち、地下鉄で淀屋橋駅へ向かい、京阪電車で京都の三条駅に向かい、地下鉄の三条京阪駅で京阪京津線の浜大津駅へ直通する電車に乗り、浜大津駅では坂本石山線の南下する側の電車に乗車して錦駅に至った。

↓高いビルなので直ぐに見付ると思ったが…「こちら側が湖??」と思いながら、少し交通量が多い道路に出て、漸く判った“大津プリンスホテル”である…


この“大津プリンスホテル”のフロントで<一番丸>の件を申し出ると、券を求めることが出来る。乗船のみの券と、石山寺の拝観券が付いているモノが在る。石山寺を訪ねるつもりだったので、拝観券が付いた券を求めた…

↓<一番丸>がやって来て乗船出来るようになるまで間が在ったので、湖岸を散策し、ベンチに腰を下ろして蝉の声を聞きながら、湖を渡る温い風を受けていた…


“大津プリンスホテル”に近い辺りの琵琶湖岸は、遊歩道風に整備されていて、なかなかに居心地が好かった…

やがて…思ったよりも小柄な<一番丸>が姿を見せた!!

↓“大津プリンスホテル前”に<一番丸>が到着する様子…


<一番丸>から下りて来た係員が入口を開けて、乗船開始である…

↓レトロな外観が好い!!


↓舷側に“外輪”が据えられている…


↓明治期の洋風建築を思わせる内装の1階船室…

↑お洒落なカフェのようだ…

↓2階デッキが心地好い感じだった…

↑この2階に陣取って“石山寺”を目指した…

船が動き始めると、ガイドさんが辺りの様子や歴史や伝承等、色々なお話しをする…なかなかに愉しい。

記憶に残るのは…「急がば回れ」という慣用句が、現在は大きな橋が架かっている草津市、大津市の間での様子に因むものであるという話しだ。船での貨客輸送も盛んであった土地で、速く快適な船での移動を志向する旅人も多かった他方、小舟での移動は存外にトラブルも多かったことから、「少し遠くても陸路を着実に進む方が速い」ということで「急がば回れ」というフレーズが生まれたのだそうだ…

多分、石山寺を訪ねるだけなら、“大津プリンスホテル”を探して辿り着いた錦駅の先の石山寺駅まで、電車で向かった方が速かったのであろうが…幾つもの橋の下を潜り、湖と沿岸の様子やボート競技の練習をしている様子を眺めながら、ゆったりと石山寺近くに船で着くというのも、なかなかに風雅で好いものだ…

↓船は石山寺近く、瀬田川の岸に到着した…


↓クルーズに関する詳しい情報はこちらで…
>>【琵琶湖】瀬田川リバークルーズ(遊覧船)|レークウエスト観光
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2014年08月08日

薬師寺(2014.07.31)

私が幼少期を過ごした家は、「新興住宅地の新しい区画に、比較的早く建った住宅」である。一人フラフラと近隣を動き回り、家を建てている場面を随分と視ていた。やがて「自身よりも若い建物」ばかりに囲まれるかのように育った訳だが…結局「街が興る」場面を視ていたことになる…

どんなに古い街にも、そうした「街が興る場面」が在り、経年変化が在る。私が「興る場面」を視ていた住宅街とて、時間の流れの中で家々の増改築や修繕が在り、住民の世代交代や、転出や転入が繰り返されている…私自身が幼少期に視ていたような新興住宅街ですらそうなのだから、「千年を超える歴史」を誇るような地域であれば、そうした変化はきっと凄まじいものである筈だ…

710年に平城京が興り、今日の奈良市に至るまでには凄まじい変化が在った筈だ。往時は立派なモノが建っていた場所が田畑になっている例も在るであろうし、往時は寂しかった場所が賑やかになっている場所も在るのであろう…

そういう訳だからこそ「千年の時を超えて受継がれた何か」というようなものが尊い…

↓奈良市内の住所だが…西ノ京駅が在る…

↑「西ノ京」とは…「平城京の西側」ということから起こった地名のようだ…が…“京”(みやこ)という趣でもない場所だ…小さな商店や住宅が見受けられるような按配でしかない…

↓それでも「西ノ京」に“京”の面影を視ることも出来る!!

↑これは薬師寺の大講堂である…

薬師寺というのは697年に飛鳥の地に完成したものの、平城京遷都を受けて平城京内に改めて建設され、718年に完成したものであるという。それ以来、千年を超える期間に亘り、壊れたり、修理をしたり、再建したりを繰り返して今日まで続いている寺院なのだ…

今日の薬師寺…寧ろ再建の建物が多いのだが、それでも「奈良時代の何か」を強く感じさせてくれるような場所になっていると思う。より下った時代の典雅さ、強さと美しさ、趣向を凝らす部分というのとはやや趣を異にする清々しさのようなものや、新たに伝えられた意匠や様式をストレートに造ったような率直さ…或いはそれが「奈良時代の何か」の魅力なのかもしれない…

↓これは金堂である…
https://www.flickr.com/photos/21158367@N06/14816951716/in/set-72157646058197211/

↓これは西塔である…

↑屋根が6枚に見えるが、中間に在るのは裳階(もこし)というモノで、三重塔である…

奈良時代…高い金属加工技術水準が在り、こうした建築物には凝った飾りが施された。それも含めて、精巧に再建されている…

この西塔の再建時には東塔がモデルになっている訳だが…東塔は発掘と解体修理の最中で、当分は見られない…

西塔は東塔より若干背が高いが…それは「やがて木が縮んで、殆ど同じ高さになる筈」ということで取られた措置なのだそうだ…

↓金堂と西塔…

↑実に鮮やかだ!!

奈良時代の人達…きっと夏の好天の日には「こんな色彩」を視ていた…のだと思った…正しく「夏の煌き」である!!

↓薬師寺に立寄った7月31日の画…
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2014年08月07日

浜大津駅(2014.08.01)

滋賀県大津市…「京都の隣り」で、琵琶湖の南側の湖岸の広い部分が大津市に相当する…滋賀県の南西端辺りということになり、464.1平方キロメートルの面積を有し、約34万人の人口を擁する…滋賀県庁の所在地である…

この大津に浜大津駅が在る…

↓こういう感じの駅だ…

↑右が南下する列車、左が北上する列車である…

浜大津駅は、概ね琵琶湖南部の西岸を南北に結ぶように石山寺・坂本間を走る鉄路と、京都の地下鉄に直通する、少し西南の京都市内と大津を結ぶ鉄路が交差する位置に在る。乗換駅だ…

京都の地下鉄東西線は、東側の御陵駅で枝分かれする。宇治寄りの六地蔵駅を目指す鉄路と、浜大津へ通じる鉄路とである。

京都の地下鉄東西線の東側へ向かう列車がやって来るホームで列車を待っていると、六地蔵へ向かう列車と、浜大津へ向かう列車が概ね交互に現れる…「現れる」と言っても、京都の地下鉄東西線は線路の前に高めな壁が設えられたホーム扉が設けられているので、列車の姿は見え難い…

浜大津へ向かう列車に乗り込み、暫らく進む。御陵を越えて、列車が地上に出る。浜大津の手前で…“特例”となっているらしいが、「4輌編成の路面電車」という、珍しい状況で走行するので驚く…

↓そして列車は浜大津に着く…

↑浜大津に着いた列車は少しだけ進んで、方向を換えて反対側のホームに入り、また京都市内へ向かう…

↓石山寺方面へ南下する列車…永く「京阪の電車」と親しまれているグリーン系の塗装だ…

↑この路線では、この種の車輌が活躍している。2輌運行だ…

↓この路線では“広告ラッピング”も比較的多く見掛ける…


↓交通安全や防犯の啓発という意図で“パトカー”風に“広告ラッピング”という事例…各地の路面電車等で見掛ける…この石山寺・坂本の路線でも2輌運行でそうしたモノが走っている…

↑この“パトカー”風な“広告ラッピング”…「滋賀県警」と書かれている…

↓この時は宇治へ向かおうと、六地蔵行へ乗り換える御陵を目指し、京都市内へ向かう列車に乗って浜大津を発った…

↑行先の太秦天神川…そこまで行くと“嵐電”に乗り換えられるのだが、この石山寺・坂本の京阪電車も、少し雰囲気が“嵐電”に似ているかもしれない…

この種の地元密着風で小規模な輸送手段に見える他方で、来訪者としても重宝な乗物…旅の機会に少し利用して眺める程度のコンタクトに過ぎないが、それでも何か“愛着”のようなものを抱いてしまう…

↓浜大津駅に立寄った8月1日の画…
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2014年08月06日

京都・宇治:平等院鳳凰堂(2014.08.01)

“文化財”と呼ばれるものは多々在る。より広義に“文化財”とは「文化活動の結果として生み出されたもので、文化的価値を有するもの」ということになろうが、日本国内で少し狭義に“文化財”と言うと「有形文化財」、「無形文化財」、「民俗文化財」、「記念物」、「文化的景観」、「伝統的建造物群」の6種類に分類されて、“文化財保護法”によって護る努力が行われている対象を指す訳だ。

日本国内で狭義に用いる方の“文化財”だけでも、実に多くのモノが在る訳だが…そうしたモノの中で「学校の教科書に記述が在ったり、写真が載っていた」というようなモノ…何か「格別!!」なような気がする。

宇治に在る平等院鳳凰堂は、その「格別!!」な“文化財”の一つと言って差支えないと思う。更にこの平等院鳳凰堂は、日頃使う“10円硬貨”の「日本国」の文字と「十円」の文字との間に図案が刻まれている。或いは平等院鳳凰堂は、「格別の中の格別」というモノかもしれない…

大津を訪ねた後、京阪京津線が乗入れる京都の地下鉄で京都市内側に入り、そこから京阪電車に乗って宇治を訪れた。

大津でクルーズ船を利用した際、ガイドによる説明を聴いた。「琵琶湖から流れ出る唯一の川である瀬田川は、京都では宇治川と、大坂では淀川と名を換え、やがて水は大阪湾に注ぎます」とである。宇治駅を出ると、その宇治川に架けられた宇治橋が眼前に現れ、橋を渡ってから川に並行するように少し進むと平等院の入口に至る…

↓これが平等院鳳凰堂だ…


↓屋根の上の鳳凰に因んで“鳳凰堂”と呼ばれるようになったという…創建時は“阿弥陀堂”、または単に“御堂”と呼ばれていたという…


↓鳳凰は、鋳物に金を貼っているようだ…

↑貴重な“本物”は別途保管で、来訪者が屋根の上に認める鳳凰は、精巧なレプリカであるそうだ…

この平等院は“寺”なのだが…何か「神社」とか、「御屋敷」というようにも見える…一寸独特な雰囲気だ…

鳳凰堂に関しては「一寸違う!!」という話しも在るらしいが、平安時代の高位貴族の屋敷に見受けられた“寝殿造”に準じた形式が見受けられるようだ…宇治という土地は、平安貴族が別荘を営んでいた例が見受けられた地域であったという。この鳳凰堂だが、これは“宇治殿”と呼ばれていた、藤原道長の別荘を、その後継者で息子の藤原頼通が寺院に改めたというのが起こりであるらしい。なるほど「御屋敷」なのである…そしてこの鳳凰堂は、最盛期を迎えていた“摂関政治”の中心的一族の栄耀栄華の片鱗を伝えるものでもある…

平等院鳳凰堂は、創建時に“阿弥陀堂”と言ったように「阿弥陀如来を収める堂」だった。これが設けられるに至ったのは…1052(永承7)年が「末法の初年」とされていて、その“末法”を回避する願いを込めて“阿弥陀堂”を設けることとしたのである。1053(天喜元)年に“阿弥陀堂”は落慶した…

↓堂内には阿弥陀如来坐像が安置されている…堂の扉の一部から阿弥陀如来の貌が微かに覗く…

↑阿弥陀如来坐像は、当時は最高の評価を得ていたという仏師、定朝が制作を手掛けたと伝えられているという…

↓阿弥陀如来が鎮座する鳳凰堂は、正面以外の角度から視ても、なかなかに美しい…


この美しい姿…「西方極楽浄土をこの世に出現させたような」ものを意図したのだという…

「西方極楽浄土をこの世に出現させたような」ものをここに設けるに至ったのは何故なのか?当時、「釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れる」という末法思想が広まっていて、天災や人災も発生していた中で「極楽往生を願う」という「来世の救済」を求めようとする志向が起こり、それが強まっていた。殊に貴族たちが、そうした考え方の故に、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営していたという。

現在は鳳凰堂として知られるこの“阿弥陀堂”も、正しく「末法思想の故に貴族たちが造営していた阿弥陀如来を本尊とする仏堂」そのものということになる…

↓この鳳凰堂を視ていると…或いは「前面の池に映り込む姿」も考慮に入れて設計したのではないだろうか、という気がしてきた…

↑建物そのもののデザインも秀逸なのだが、これは「映り込み」との“ペア”で更に映えるように思う…

平等院鳳凰堂だが、この2年程は覆いが被せられて修理中だった。今年の3月に修理工事が終わって公開が始まった。或いは、修理工事が終わった直後に「一寸した話題」になるであろう時期を過ぎ、「少し落ち着いた」辺りで、修学旅行の団体等が殆ど居ない学校の夏休みに相当する時季に、ここを訪ねる機会を設けられ、ゆっくりと美しい姿を眺めることが出来たのは幸運だった…尾廊という部分には未だ覆いが被っているが、正面の美しい姿は普通に視ることが出来るようになっている。近年は、有名な場所に関して「修理工事中」という例も時々視るが、貴重な文化財は時折修理もしながら後世に受け継がなければならないものであろう…

↓平等院鳳凰堂に立寄った8月1日の画…
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“あべのハルカス”からの眺望(2014.07.31)

「○○と田舎者は高い所が好き」と巷間では言う場合も在るらしいが…「高い場所から街を一望」というようなことは、存外に愉しい。尤も…「天候次第」という側面も在るのだが…

「夏の煌き」というようなモノを感じながら、橿原市内を歩いて奈良市内に至り、大阪入りして多少道草し、予約した宿に至った。

宿の部屋に入ってみると…着衣は「洗濯の直後?!」というように汗で濡れていた…とりあえず脱ぎ捨てて一息入れる…暫らくして、替えを抱えて行ったTシャツは替えたが…ジーンズはその辺に置いたモノを再度着用した…汗で湿ったものが冷えて、何やら不思議な着用感だった…

宿の傍のなんば駅から地下鉄を利用し、天王寺駅に至る…“ハルカス”の展望室を目指す…

今年3月にグランドオープンしたばかりの人気施設であるという“ハルカス”…「混んでいたら引揚げよう…」位の気分で訪ねてみると…「普通?空いている?」という按配だった…他方で、入場券窓口や展望室の入口に相当するフロアへの“シャトル”エレベーターへ連なる通路には何人もの係員が配置されていて、入口に相当するフロアでもそうした状況は継続中だった。「相当な混雑」に対応する体制を敷いている…

「何やら、凄い体制で運営している…」、「“日本一の私鉄”である近鉄グループの仕事か?見事な手配り!手抜かりが無い…」等と思いながら至った展望室そのものは、各地の高層建築や、山の上の展望台と何ら変わることもない…大きく頑丈な硝子越しに“大大阪”の様子が一望出来た!!この日、展望室を目指したのも…

↓こういう具合に天候が好かったからである…

↑これは“ハルカス”の「足下」に相当する地区で、何気なく見上げた空だ…多少陽が傾いて、空の微妙な色合いも悪くない…

↓展望室では、この「北側」という眺望が、何となく気に入った…

↑この方面には四天王寺が在って、大阪城も在るという…

↓大阪城を見付けた!黒く見えるビルの半分位に小さく見える…


“大坂”は、「“太閤の城”の城下に栄えた商業地」として発展し、江戸時代にも「天下の台所」だった。最初の大坂城は、「豊臣政権の威光を示す」とばかりに建てられた豪華な天守閣が聳えていたという…“大坂の陣”でそれが瓦解した後、今度は「徳川幕府の威光を示す」とばかりに、巨石を用いた石垣が築かれて、立派な建築が林立したという…その後、火災で焼失したことを受けて、少し長く天守閣は姿を消す。幕末期に幕府側の将兵が大坂城に集まっていたような頃には、天守閣は無かった…そして「街のシンボル」として現在の天守閣が建てられる訳だが…何れにしても、豊臣政権関係者にせよ、徳川幕府関係者にせよ、「天守閣の倍にも見えるような高さの楼閣が真横のような場所に建ち、周囲をその種の建物で囲まれる」とか、「天王寺辺りで天守閣を容易に鳥瞰可能な楼閣が登場する」というようなことは、空想さえ出来なかったと思う…

そういうことを思いながら、展望室内を歩いて眼を「西側」に転じる…

↓「滲む街の陽を〜♪」という按配だ…

↑歌の歌詞は「2人〜♪見ていた〜♪」となるが…私は「1人見ていた」訳だ…

実は…宿を出た際には「甲子園球場や大阪ドームでプロ野球の試合を開催しているらしい…“ハルカス”の後にでも?」と考え―タイガースやバファローズの熱心なファンということでもない…嫌いでもないのだが…何となく“球場”が視たかったのだ…殊に、甲子園球場は何かで映像を視る都度に「美しい…」と思っているので…―ていたのだが…“大大阪”上空に展開する「光のショー」に魅了され、少々長居をしてしまい、ビル内に入居する百貨店を冷やかして宿に引揚げて休んでしまうことになる…

↓やがて日は沈んだ…

↑灯りも点き始めた…

↓“通天閣”…

↑酷く鋭角に見下ろす型だ…「北側」から「西側」へ動く途中位に見える…

通天閣が登場したような時代であれば…「航空機から見下ろす」という状態は想定出来たであろうが…誰しもこの“ハルカス”のように、「地上300mの展望室」を備えた建物が登場するとは思わなかったことであろう…

この“ハルカス”の展望室…「夥しい来訪者を手抜かりなく迎える…」というような状況に迎えられて入ってみると、“大大阪”に流れた遥かな時間の流れを何となく想い起こす見事な眺望が拡がる…そして刻々と色を変えた夕空に魅せられ、街の灯りが点き始めるのを視ると…「灯りの数位の人生がこの街に…」というような、しんみりした気分になる…

↓“ハルカス”に立寄った7月31日の画…
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序でながら…“ハルカス”の出口はビル内に入居している百貨店の上層階に向けられた飲食店街に通じていて、営業時間内であれば、更に進むと百貨店の各フロアに至る。そのまま地下まで行けば…地下鉄乗場は直ぐ傍だった…

>>あべのハルカス(公式ウェブサイト)
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2014年08月05日

橿原神宮(2014.07.31)

関西エリアの私鉄を利用し易い“スルッとKANSAI”で動くことを想定し、チケットが有効なエリアへの第一歩を大和八木に記すことにした。今井町を訪ねてみたかったからだ。大和八木に至ることに決めた時、直ぐ近くに橿原神宮前駅が在って、橿原神宮を訪ね易いということに気付いた。そこで寄ってみることにした。

旅では、思い付いて訪ねてみようとする場所の近くに、別な興味深そうな場所も在ることに気付き、それらを合わせて訪ねて楽しみが増すことが在る。私は、多少不慣れな土地でも鉄道やバス等で、普通の地元の人に交じって動き回ること自体をも「旅の楽しみの一部」と思っているような部分が在るので、こういうことはよく在る…

橿原神宮を擁する奈良県橿原市は、奈良県下では36万5千人程度の人口を擁する県庁所在地の奈良市に次ぐ、12万5千人程度の人口を擁する街である。市内の大和八木駅や橿原神宮前駅では、近鉄の各路線が交差していて、交通が便利な場所である。

>>面積・人口等一覧/奈良県公式ホームページ

八木西口駅から橿原神宮前駅へ近鉄電車で移動する。

↓到着してみた駅は…何処となく「神社の本殿??」という印象も受けるものだった。

↑駅構内の「橿原神宮→」という表示に従って出た出口の辺りである。

結果的に橿原神宮と駅との間を往来しただけに終始したが、橿原神宮の側は「神社の近所の静かなエリア」という感じがした。他方、駅の反対側には大き目な建物の姿が鉄道施設越しに覗き、「商業地区?」という感じがした。どうも、大和八木駅側の方が橿原市の中心的な市街に相当するらしいが…

↓静かな市街を歩き、橿原神宮の鳥居に至った…橿原神宮では“社務所”を“橿原神宮庁”と呼ぶらしい…手前の柵に書いてある…

↑未だ午前中でありながら、少し高くなった太陽の強い光に炙られるかのような中、この場に暫し佇んだ…

木製と見受けられる大きな鳥居が見え、灯篭が並び、“鎮守の森”という趣の樹木が在る…色画用紙のような碧空に、誰かが注意深く描いたかのような白い雲が少しばかり散っている…光線は強力なスポットライトのように辺りを照らしている。碧空も木々の緑も眩しい…地面の砂や、鳥居等の構造物が光る感じがする…じわりと額から汗が噴き出すのが判る…やがて「ジワーッ」という蝉の声が辺りに響き渡る…

次第に、「ジワーッ」という蝉の声に包まれるような気になる中、強烈な夏の光の中で、「夏の煌めき」というような表現が頭の中を過った。他方、じっと橿原神宮の鳥居の方を眺めていると、天地の様々なモノに込められた“力”のようなものが、周囲で静かに渦を巻いて蠢いているような錯覚に囚われる…

或いは、明確に“神道”と呼ばれるモノが現れて、それが宗教として体系化されたり、一般的な習俗の中に根を下ろす遥か以前の時代…夏の日の静寂という中、蝉の声のようなものばかりが聞こえる場所に佇んだ古人は「こういう感覚を覚えていたのか?」というような気がしてきた…

↓辺りに渦巻く、天地の“力”のようなものに導かれるような…「とりあえず遠路辿り着いた…」とばかりに、何も考えずに足を動かすような…或いは不慣れな暑さ故に呆然としてしまっているような感で歩を進めると、橿原神宮の各種の建物が在る辺りに至った。

↑本殿が在るエリアへ踏み入れる辺りの門には、向かって右側に“皇紀二千六百七十四年”という掲示が在る…

橿原市の命名の由来にもなっているらしいが、橿原神宮が在るのは、遥かな昔に「畝傍橿原宮」(うねびかしはらのみや)と呼ばれていた地であるという。畝傍橿原宮というのは、初代天皇である神武天皇の宮のことである。或る意味では「建国の地」ということになる場所だ…故に「何らかの力」が溢れ出ている地なのかもしれない…

神武天皇の宮が在ったとされる地に、神武天皇を祀る神宮を設けようという民間有志の動きが高まり、1890(明治23)年にこの地に橿原神宮が創建されたという。そういう場所であるが故に、神武天皇の即位を元年としている“皇紀”による年号が、門に掲げられている訳である…

↓本殿の辺りはとにかく広く、少々驚いた…

↑丁寧に砂が整えられた向こうに、なかなかに美しい建築が見える…

↓“神社建築”ということでは、古いモノも色々と在る中、橿原神宮は相対的に新しいのかもしれない…しかし、皇室に縁が深い神社であり、何か独特な厳かな雰囲気が感じられた…


↓催事でも何でもない夏の一日…私自身を含め、時折訪れる人の姿は在るものの、広大な境内は静かだった。或いは、この「広大さ」が何か「渦巻く天地の力のようなモノ」を感じさせるのかもしれない…

↑静かな境内の中、強い陽射しが創り出す大きな木の影さえも、何かを「主張している」ような気がした…

橿原神宮は、何か「不思議な力」が満ちているというような気にさせてくれる場所だった…或いはこれが、古人が“八百万の神々”という概念を纏めるに至った「自然と対峙する」という営みだったのかもしれない…

やや大袈裟なことに考え至ってしまったが…「私鉄沿線の乗換駅になっている駅―駅舎は一寸立派だと思うが…―に近い、静かな市街の端」に過ぎない場所に、独特な雰囲気を湛えた橿原神宮が在るのは非常に面白い…そしてここで浮かんだ「夏の煌めき」という表現…今般の旅の中で繰り返された印象を一口で表すフレーズともなった…



別な季節、別な状況で橿原神宮に寄ったのであれば…きっと違った感じ方をしたことであろう…この「夏の煌めき」という中で橿原神宮に出逢うことが叶い、非常に善かった!!
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今井町(2014.07.31)

“今井宗久”という人物が安土桃山時代に活躍していた。「大物茶人」として知られた商人である。

↓その今井宗久が主人公の小説を愉しく読んだ経過が在る…
>>『覇商の門』

「安土桃山時代に活躍した商人」というような人達の中には、出自が不明朗な人達も在り、“時代モノ”の小説等では、その辺りで作家の想像力が羽ばたく。『覇商の門』での今井宗久は「今井町の出身」とされていた…

今井町?奈良県の真中、やや東寄りな橿原市(かしはらし)の一隅を占めている地域だ。戦国期に「寺内町」として起こり、永く“自治都市”的な歩みを続けた地域で、明治期以降も古い町並みがよく残った場所である。

今井町は、名古屋・大阪間の路線と橿原神宮前・大和西大寺・京都間の路線とが交差する大和八木駅の近くに在る。より詳しく言えば、少し橿原神宮前駅寄りの八木西口駅の傍だ…

↓未だ「朝の通勤時間帯」風な大和八木駅で既に「眩しい…」という感じだったので、何かの行事らしい小学生のグループからお年寄りに至るまで、老若男女で賑わう近鉄電車で八木西口駅まで一駅を“スルッとKANSAI”で移動した…


八木西口駅は「私鉄沿線の静かな駅」という佇まいであったが…

↓数分も歩けば、既に「時代モノドラマのセット??」という感である…

↑嘗ては“自治都市”の防備のために川を利用したり、濠まで巡らされていたらしいが、水辺が公園として整備されていた…

↓明治期の建物らしいが、なかなかに立派だ!!


今井町は“自治都市”として発展し、商工業で蓄積された資本から金融業―お金を貸す―を営む人達も多くなり、江戸時代前半位には大和国に在って“金融センター”的な存在感を示していたらしい。そういう「豊かな地域」という状況で、江戸時代の感覚では「相当に大規模な町」でもあったため、為政者が重税を課すようになり、江戸時代の後半辺りからは多少勢いが衰えたようだ…

↓古い町並みを、建物の庭から覗く、手入れが行き届いているように見える木々が彩っている…


↓古い建物が折り重なるように並び、独特な街並みを形成している…


この「時代モノドラマのセット??」という感さえ抱く街並みだが…「普通に生活が営まれている」場所である。目立ち過ぎない程度に店や医院の看板が在ったり、市議会議員のポスターも貼られていて、自販機も設置され、目立ち難いようにバイクや自動車も停まっているし、家々に表札も在ったり、住人が練習しているらしいピアノの音も聞こえた…

街が築かれて、永い歩みを辿って来た中では「当たり前」だった街並みも、現在となっては「貴重な文化遺産」、「史跡」である。多くの人達の理解と協力、そして努力によってこうした町並みが後世に受継がれるのであろう…

↓今井町は、この称名寺の「寺内町」として起こったという…

↑寺の境内は、何やら工事中だった…通に佇むと…折り重なるような建物の間に強烈な夏の日差しが注ぎ込んで来た…

↓嘗ての濠も一部が復元整備されている…

↑町で有力者であったという今西家の建物が濠に映える。建物脇の木を植木屋さんが弄っていた…

↓「豊かな地域」であったことを覗わせる、凝った飾りも見受けられる瓦の屋根…土蔵風な壁…これらが若干の雲を浮かべた碧空に映える!!


何か「朝の寄道」という感で訪ねた今井町だが…再訪してみたくなる場所だ…



↓今井町に立寄った7月31日の画…
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2014年08月04日

近鉄名古屋駅の特急(2014.07.31)

名古屋・大阪間は人の往来も多く、色々な交通手段が在る。

過去にはこの名古屋・大阪間について、“青春18きっぷ”を手にJRの東海道線で移動したことが在った。他に新幹線で通り過ぎたことも在るが…

そうした経験の他方、この名古屋・大阪間については“近鉄特急”もポピュラーであることを聞いていた。

名古屋在住の方から伺ったことが在る。「関西へ出る場合、京都なら先ず新幹線を選ぶ。大阪なら新幹線の外に近鉄が在るので一寸考える。大阪に着いてからは、新大阪駅の新幹線よりも、色々な電車での移動が便利な大阪難波駅が好ましい場合が多いので、近鉄特急を利用する場合が多い」ということだった。多少、興味が沸く…

今般、「夜に着いて、早朝から動き回る」ということをするのに便利なフライトを利用出来たので「夜遅くに名古屋入りで、早朝から“近鉄特急”」という方法で関西に入ることにした。

↓巨大なビルが目立つJR名古屋駅の構内で、案内表示に従って近鉄の列車の乗場を探すと、それは地下だった…


↓地下に、地上の建物の中と同様に必要な施設が全て収まっていて、なかなかに広い。

↑その日の特急券発売を開始するような早朝の時間帯に駅に入った。

↓利用した特急は朝一番の列車だったようだが、5番ホームに入線して、乗客を乗せて発車である。

↑“行止り式”な5本のホームが地下に収まっている…何か“秘密基地”めいている…

↓発車時刻の少し前に、特急列車が入線した…

↑“電車”のメカニズムは、2輌が一組、4輌が一組というようになっていて動く。ということで4輌や6輌(4+2)で列車が編成されている旨の案内が表示されているのであろう…

何処ででも、列車を利用すると時々感心するのだが…「○号車乗車位置」という案内表示が在る場所に、列車は「ピタり!!」と停車する…今般も「在ります」と言われて驚いて席を求めてしまった、“喫煙席”の“1号車”が定位置にピタリと停止した…この駅の場合、走り過ぎると“行き止まり”にぶつかってしまう構造なので、間違いなく定位置に停止する以外の状態は考え難いが…

近鉄は、乗車券に加えて特急指定席券を求めて利用する特急列車の伝統を誇る鉄道会社である。主要都市間や、主要都市と有名観光地等を“最速”で結ぶことを意図して停車駅が極端に少なめな「甲特急」と、沿線の幅広い利用者の乗車を念頭に置いていて主要駅にやや多めに停車する「乙特急」とがあり、それらが縦横に運行されて“ネットワーク”を形成している。この“特急ネットワーク”と、大阪圏を中心に幾多の鉄道の離合集散の歴史で成立した、「網の目のように拡がる路線網」とが組み合わさり、提供可能な輸送サービスの充実を図っている訳だ…

今般乗車したのは「乙特急」ということになる列車だった。“スルッとKANSAI”―関西の各私鉄に3日間乗り放題になるという乗車券。有料特急は特急券を買い足すことで乗車可能…―が利用可能なエリアということになる、大和八木へ向かうことにした…

↓名古屋駅で乗車した列車の中はこんな具合だ…

↑他の乗客が未だ稀だったので、思わず写真を撮った…「普通」に心地好い「特急列車のシート」という按配である…

名古屋の地下から発車する列車は、川や海や臨港工業地域を車窓に望み―この日の沿線は好天で心地好かった…―ながら進み、田園を抜けて山間部に入る。早朝の列車ながら、沿線でちょこちょこと乗降が在る…三重県と奈良県との境界辺りになる名張駅で車輌を2輌増結する。この辺りからは、日常的に大阪辺りとの往来をしている通勤と見受けられる人も目立つようになる…

↓大和八木駅に着き、ここまで運んでくれた列車を見送った…

↑私が下車しようとした時には、扉の前になかなかの行列が出来ていて、皆さんが勢いよく乗車した…三重県の名張辺りでも、既に「大阪通勤圏」というようになっているようだが、大和八木まで来れば、そうした傾向は更に強い筈だ…

今般、名古屋・大和八木間で乗車した車輌は「22000系電車」というモノらしい。“特急ネットワーク”を支える主力車輌のようだ…また乗車してみたい!!
posted by Charlie at 21:59| Comment(0) | HDR/2014年7-8月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月31日

新千歳空港:歴代客室乗務員制服の展示(2014.07.30)

時間的ゆとりが在ったので、札幌駅前からバスに乗車してゆっくりと新千歳空港へ向かった。

搭乗手続きを済ませ、「フードコートでゆっくりしてから保安検査を潜って…」程度に考えて空港ターミナル内を歩き回った。

↓こんな展示に眼を奪われた…

↑老舗航空会社の歴代客室乗務員制服だ…

左側手前が古く、右側の奥が新しい…ファッションの流行も採り入れられているように見える…

↓逆からも撮ってみた…


安全で快適な旅客輸送を目指している航空輸送の歴史の一面が判る…非常に「空港らしい!」展示だ…

こうした「航空会社の看板」、「客室乗務員の矜持」が滲む制服…非常に好いが、他方で「揃いのポロシャツ」というような、新興会社がやっている「合理的なユニフォーム」というのも嫌いではないが…

航空関係は制服が話題になる例も多く、この種の展示は「在りそう」な感じだが…鉄道駅でも、乗務員や駅員の歴代制服を展示するなどすれば面白いと思うのだが…
posted by Charlie at 03:04| Comment(0) | HDR/2014年7-8月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする