2014年04月16日

コレクション:2014年3月の旅から

思い立って出掛けて多くの写真を撮ったが、それらが粗方纏まった。整理した写真はウェブギャラリーに公開したが、それらを“コレクション”に纏めた。

>>Collection: Voyage:MAR 2014(Nagoya, Kobe, Osaka, Kyoto, Tokyo and others)(incl. Photomatrix)

“コレクション”には、“セット”と呼ばれている纏まりが幾つか入っている…今回は撮影日を基準に“セット”を設けている。以下に各々のセットを挙げておく…各々のセットの画をクリックしていただくと、そこに収められた写真を御覧頂けるようになっている…

↓3月21日
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - MAR 21, 2014' set on Flickriver

↓3月22日
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - MAR 22, 2014' set on Flickriver

↓3月23日
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - MAR 23, 2014' set on Flickriver

↓3月24日
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - MAR 24, 2014' set on Flickriver

↓3月25日
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - MAR 25, 2014' set on Flickriver

↓3月26日
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - MAR 26, 2014' set on Flickriver

↓3月27・28日
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - MAR 27-28, 2014' set on Flickriver

正しく「出掛けたから写真を撮った」のか、「写真を撮りたいから出掛けてみた」のかよく判らないような様相だ…

これらの写真を眺めながら…“再訪”を願うようになっている場所も多い…
posted by Charlie at 19:46| Comment(0) | HDR/2014年3月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月15日

京都・伏見:中書島駅と月桂冠大倉記念館(2014.03.24)

京都の街の南側に相当するようだが、伏見が在る。伏見は、川を利用して大阪方面との間で舟運が盛んだった時代、行き交う荷物や人々で賑わったようだ。

大阪・京都間を京阪の列車で動いた。大阪の都心部から大阪府北部の色々な街が連なる中を抜け、京都府の領域に至ってみると「高校の頃の古文の時間や日本史の時間に出て来たような?」という気がする地名が連なって淀に至る。淀というのは、かの「鳥羽伏見の戦い」で、撤退する幕府方が拠ろうとしたものの、幕府方は入城を断られてしまったという場所である。そこを越えると、その「鳥羽伏見の戦い」が在った伏見地区になる。

伏見地区に在っては、中書島駅が“宇治線”に乗り換える場所でもあることから、優等列車も停車するようになっていて、古くからの伏見の街に近い駅である…

↓中書島駅の前に、こういうモノが飾られている…

↑この地域に立地する酒造会社が送り出す銘酒の名が入った樽だ…随分色々と在り、全国放送のテレビでコマーシャルが流れていた記憶が在るようなモノや、遠く北海道内の小売店でも、わざわざ探すまでもなく見受けられるようなモノも含まれている…

伏見は古く「伏水」とも書いたそうだ。水質が佳いとされていた地域で、古くから酒造業が盛んな地域であった。水質が佳いことに加えて、舟運の拠点なので、大阪方面の集落や“大都市”ということになった大阪へ、江戸時代辺りからは全国に向けて次第に整備された輸送網のハブ機能を担うに至っていた大阪を経て、瀬戸内海から中国地方、四国、九州、或いは太平洋岸を経て大消費地になって行った江戸(東京)等、方々に送られて販売されたのであろう…

現在では、輸送と言えばトラックな訳で、伏見の川辺に荷物を沢山積んだ船が行き交う訳でもないが、伏見では美しい川辺や川辺に並ぶ建物の景観が好い場所も幾分見受けられた。

伏見に立寄った時には天候も好く、温かかったので街の散策が愉しかったのだが…

↓こういう場所に出くわした…

↑何やら“蔵”という設えの古い建物が並んでいる…

↓“蔵”の辺りを進むと、“杉玉”をぶら下げた玄関が…

↑古くから“杉玉”は酒造を行っている“蔵”の象徴だ!!

ここが「月桂冠大倉記念館」である。300円の入場料が要るが…館内の売店で300円で販売されている小さな容器の清酒が土産に貰えるので…「清酒を求めて、清酒の製造の歴史を知る記念館へ…」というような感となる…

↓伏見は「水が佳い」として酒造業が盛んになったというが、記念館に入ると酒造にも用いているモノと同じ水を試飲出来る…

↑「寒い国」から「春の温かさが心地好い」ような場所に行って歩き回り、やや喉が渇いていたので、「佳い」と評される水は非常に有難かった…なるほど、スッキリした清冽な水だ…

↓嘗ては実際に色々と利用されていたであろう巨大な樽が飾られていた…


この記念館…酒造に纏わることや、この会社が世に送り続けた酒のラベルやポスター等、なかなか面白いモノが視られた。が、それ以上に「老舗の古い建物等が醸し出す雰囲気」というのが好かった!!

↓記念館の入口辺りに、この建物に在った部屋の設えと見受けられるものが設えられていた…

↑「日本の古い商家」という感じで、恐らくは昭和の初め頃まではこんな雰囲気の場所も方々に在ったのであろう…何か、奥で“番頭さん”が帳簿を整理していたり、手前の火鉢の辺りで関係者が雑談や商売の話し―京言葉?大阪弁?何か、関西方面の方達が話し込んでいる声が聞こえそうな気がした…―をしているような様子が思い浮かんだ…

実は京都には何度か立寄ったが、伏見地区に足を踏み入れたのは初めてだった…なかなかに気に入った!!訪問から未だ1ヶ月経っていないが、再訪を願うようになっている…
posted by Charlie at 18:59| Comment(0) | HDR/2014年3月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

東京:早稲田の桜(2014.03.26)

稚内では4月に入ってから雪が降ることは然程珍しくもない。稚内に限らず、北海道内の街でも時々見受けられることだ。しかし今年、稚内は3月までの“少雪傾向”という状況が在ったので、何か「積雪期が去ろうとしている中で、“積雪初期”のような雰囲気…」という、やや奇異な状態になってしまった…存外に量が在って、「直ぐに融ける“春の雪”」と言いながらもしぶとく積雪が残る…

こういう今季の稚内の妙な雰囲気も在るのだが、北海道育ちの私は、“4月”のことに“初旬”に関しては、余り好印象を持っていない。3月末までのしつこく残る雪が融け出し、雪融け水とシャーベット状の雪が交じり合い、場合によってはテカテカの氷まで残る早春の戸外は、気分好く歩けるでもない場所だ…

4月初旬は「年度初め」で、入学式等も行われる。心華やぐ「スタートの季節」ということになるのであろうが、幼少の頃から“4月初旬”については「気分好く戸外を歩けるでもない、真冬以上に鬱陶しい感じの時季」という位に思っていた。今でも多少はそういうように感じる…

それでも、一時期“新宿区民”であった頃、“4月初旬”について本当に「心華やぐ“スタートの季節”ということになる」ということを実感したことが在った…

↓これの御蔭である…
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↑“新宿区民”であった頃に住んでいた辺りの桜である…

かなり久し振りに、“新宿区民”であった頃に住んでいた辺りに立寄ってみて、写真の桜を視付けて足を止めた。辺りの建物等は趣を変えてしまっていた中、この桜だけは「私が知る時代」と同様に、時季を迎えて咲き誇っていた!

「心華やぐ“スタートの季節”」ということになる4月初旬に、「産れて初めて視た」感の桜がこれなのである…

何か「パッとしないな…」と時間を設けてフラフラと出掛けてしまったが…この桜を視て、「心華やぐ“スタートの季節”」ということを思い出したというだけでも…善かったのかもしれない…
posted by Charlie at 20:52| Comment(0) | HDR/2014年3月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東京スカイツリー(2014.03.26)

「東京は御無沙汰…」と強く感じていた要因の一つにスカイツリーが在る。オープンの前から話題になっていたが、634mの高さを有するという構造物を、放映された映像や公開された写真というもの以外、「何らかの型で、自身の眼で」視たということが無い状況が続いていた。

↓昨年12月、全くの予定外で東京上空を飛び、上空からスカイツリーの姿を認めることが出来た…

↑「暁の大東京」という状況の中、林立する高層建築群が点在する東京でも一際背が高い塔である…

12月のこんな出来事を経て、「一寸近くで視てみたい…」という好奇心が疼きだした…

地下鉄の一日券で東京の中を動き回っていたが…日本橋周辺の三越前から、半蔵門線で押上に向かうとスカイツリーが近いことが判った…

↓早速行ってみた…

↑「上空の雲を突き上げる」ような感じで、スカイツリーが佇んでいた…

634m…圧倒的に大きい訳だが…何か「大きさ」を感じるというよりも、「大き過ぎるので“遠近感”が麻痺してしまう」ように感じた…

↓近くの川の縁に咲いていた桜の上に、「雲を突き上げる」ような巨大な姿が見えた…


この日は雲も多かったので…「スカイツリーからの眺望」ではなく「スカイツリーの眺望」を愉しんでみようと思い立ち、押上から浅草へ歩いてみた…

↓スカイツリーが在る地区は、高層建築群が目立つでもない、普通な住宅や店舗、“ビル”と名付けられていても3階建、4階建程度と見受けられる建物が多く、「634mの塔」は異様に目立つ…


↓浅草の吾妻橋辺りにまで来てスカイツリーが見えると…「街の新しい風景」という具合に、近隣で視た際の異様さが薄らぐ気がした…


それにしても…こんなモノが建ってしまう技術…驚くばかりだ…
posted by Charlie at 07:21| Comment(0) | HDR/2014年3月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

桜と日本橋交番(2014.03.26)

大きな街の中を歩く時、随分と以前から、私は然程意識せずに、辺りのモノの中から“目印”を見出して、それを目安にしながら存外に自在に街の中を歩き回る性分であるようだ…そうした“目印”となるモノにも色々在ると思うが、「交番」というのは有効だ。実際…久々に夜の新宿に入り、暗いことに加えて、色々と新しいモノも多く、どの辺りに居るのかが判り悪くなり掛っていた時に、「記憶に在る“交番”」を視掛けて、殆ど即座にどの辺りに居るのかが判った程だ…

↓日本橋で交番を視掛けた…

↑最初は桜に目が向き、桜の真ん前に交番が在ったのだ…

この交番…年末年始にテレビ放映されたのを観た『麒麟の翼』という映画―原案の小説も面白そうだが未読である…―の中で、交番の巡査が目の前の日本橋で倒れ込んでしまった男を目撃し、「どうしましたか?!」と駆け寄った辺りから劇中の事件が始まっていた…というのが記憶に新しい…

この交番の様子を視て…どういう地域であれ、交番に詰めて警察官として働くのは苦労も多そうだが…交番のような、街角の小さな建物に静かに寝起きして、眼前の木を眺めて式の移ろいを知るというような…そんな暮らしが出来れば、なかなかに好いかもしれないなどと考えていた…不埒な考えかもしれないが…

それにしても…日本橋の直ぐ傍に佇む小さな交番と桜の木…何か味わいが在る風景だ…
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2014年04月06日

豊橋駅前停留所(2014.03.25)

大阪→米原→大垣→豊橋→興津→熱海→東京→新宿…という経路で、一日仕事で移動した…「東海道普通列車の旅」は、“乗り継ぎ”が過ぎる程に円滑で、乗換駅では跨線橋の通路が込み合い、何となく慌てる…そういうことをしていると、時々途中駅で一寸息を入れたくなる…

今回…豊橋駅で一息入れて、駅前で食事を摂るなどしたが…

↓駅前で視掛けた!!

↑自動車のディーラーによるものと見受けられる広告塗装の路面電車!“三河”という看板だ…愛知県は西側が“尾張”で、東側が“三河”である…豊橋は東側だ…

豊橋は、東海地方で唯一、現役の路面電車が視られる地域だったことを思い出した!!

豊橋駅の出入りは、駅前の通の上に通じている大きな歩道橋の上で行われるのが主流になっている様子だ…駅舎2階の出入口である…そこから出てみれば、歩道橋の下に路面電車の乗場が設けられている。この駅前停留所の手前までが複線で、電車は一旦停止して、単線になっている停留所に進入し、乗降を済ませるとまた発車していた…

↓カラフルとも言い得るが、寧ろ「渋い」感じの車輌が目立った…


諸般の事情で「25日中に東京に入ろう…」と考えていたので、この豊橋の路面電車で豊橋市内を巡ることはしなかったが…「何時か…」という想いが膨らんだ…
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2014年04月04日

東京:早稲田大学大隈記念講堂と大隈重信像(2014.03.26)

“新宿区民”だった時代に相当な頻度で動き回っていた、早稲田大学の大隈講堂の周辺へ足を運んでみた。買物やら銭湯やらコインランドリーというような些末な用事を足す行き帰りに、「一寸風に当たりに…」という按配で戸外に出る場面等、この大隈講堂が見える辺りは、数え切れない程に歩き回っている。

思い起こすと、“稚内市民”ということになるのが確定的な情勢となった頃、「余りにも目に馴染んでいた」ような、住んでいた辺りの様子を写真に撮ってみようと思い付き、確か池袋へ寄った折りだったと記憶するが、コンパクトカメラと小さな三脚を仕入れて「写真を撮る」ということを始めた。爾来…今日に至るまで、写真は趣味と言うのか、生業とは関係が薄いものの「暮らしの一部」というのか、何か「大きな存在」になっている…

大学の授業というモノが始まるのは「4月に入ってから」というのが定石で、3月末近くは春休みで、朝の時間帯であれば「ひっそりとした感じであろう…」と思いながら、この大隈講堂辺りへ向かってみた。嘗ては「日常生活の背景」というような景色だった場所だが、今となっては「かなり久し振りに眺める光景」ということになる…

↓想定に反して、何か妙に賑わっている…
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↑着飾っているというのか…女性は“ハイカラさん”スタイル―着物に袴―が目立つ…

実はこの日は卒業式―正しくは“学位授与式”と言うようだ…―だった。以前は、3月25日の午前、午後に幾つかの学部や研究科の卒業生をそれぞれ集めて卒業式をやっていたようだったが…最近は学部や研究科が増えているので、2013年度は3月25日の朝、昼、午後、3月26日の午前、午後と5回(!?)に分けて、大学構内の体育館で式を催している様子だ…私が大隈講堂周辺に寄った際は、「26日午前」の式に出る卒業生の皆さんや、観に来た御家族が集まり始めていた訳だ…

大隈講堂は、早稲田大学を創設した大隈重信が逝去した際―1922年―に構想されたモノだ。1923年に関東大震災が発生したことや、少し先行した図書館の工事が進んでいたこと等も在って計画の進行はやや滞ったが、1925年頃から計画が盛んに動き始め、1926年に着工して1927年に竣工している。

↓講堂の時計塔が目立つ…
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↑何処となく“英国風”な感じがするデザインだと思う…

この時計塔は125尺(約37.8m)の高さに設計されている。125尺?これは大隈重信が「人間は本来、125歳までの寿命を有している。適当なる摂生をもってすれば、この天寿をまっとうできる」と唱え、来訪者に「我輩は百二十五まで生きるのじゃ」と豪語したとも伝えられていることに因むのだという…そんな訳で、早稲田大学は“125”にこだわりを持っていて「開学125年」を謳って記念行事を催すようなことをやっている…有名なラグビーチームのユニフォームにも、2007年シーズンには“125”というエンブレムを入れていた程だった…そう言えば、その2007年に近くを通り掛る機会が在った…この辺りに寄るのはそれ以来だった…しかし、これほどゆっくりと辺りを眺めてもいなかったかもしれない…

↓その大隈重信が他界して10年を経た1932年、早稲田大学の敷地に銅像が出来た。
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↑早稲田大学の総長として、学内の儀式等に臨む際のガウン姿だ…像の高さは298cm在るそうだ…

銅像はステッキを手にしている。これは右脚が不自由だったからである。外務卿を務めていた頃、乗っていた馬車に爆弾を投げ込まれて重傷を負った時、右脚を失った…(佐賀の記念館では、その事件の後に造って、御本人が使っていたという義足が展示されている…)

↓なかなかにリアルな感じで、「こんにちは!」と声を掛けたら返事でもしてくれそうな気がする…初めて視た時から思っていたのだが…かなり以前のテレビドラマ『水戸黄門』で黄門様役を演じていた俳優に一寸似ているような気がする…或いは大隈重信自体が、晩年は「ドラマの黄門様」でもないが、“御意見番”的に発言する場面も在って、名を成した政治家であっただけに、そういうことを通じて独特な存在感を示していたのかもしれない…
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↑襲撃を受けて右脚を失い、身体が不自由になってしまったにも拘らず、大隈重信は政治家として、学校経営者として、最晩年に至るまで精力的に活動していたことが知られる人物である…こうして自らが拓いた学園の敷地に佇み続け、集まり散じる人々を見詰めている…

嘗ては「日常生活の背景」という感であった風景をかなり久々に視た…時にはこういうことも悪くはない…撮ってみた写真を眺め、「また何時か…」等と考えている…
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2014年04月02日

京成成田駅:<モーニングライナー>(2014.03.27)

成田で夜を明かし、成田空港へ早朝に向い、「帰国」の“ジェットスター”に搭乗する計画だった…

「少しだけ小雨?」という状況下で京成成田駅に向かう。京成でもJRでも構わなかったのだが、京成の列車の方が、出発時刻が速いことを確認済みだった…

「平日の早朝」ということになる時間帯だったが、東京方面へ向かう列車の利用者は存外に目立った…

↓そんな中でこういう列車が現れた…
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↑“空港アクセス特急”で、京成の看板列車のようなイメージの<スカイライナー>に用いられる車輛だ…

何やら“ライナー券”というモノが無ければ乗車出来ないという案内が駅構内に流れていた…

↓気になったので調べると、<モーニングライナー>と呼ばれる列車のようだ…
>>車内設備・デザイン | スカイライナー成田空港アクセス | 京成電鉄

朝の時間帯、東京方面へ急ぐ利用者が、込み合う列車を避けて悠然と座って出掛けることが出来るようになっているという次第だ…

勝手に想像したのは…成田空港に近い側の何処かに停めて在る特急車輛を、「東京方面から空港へ」という利用者が増える時間帯に回送しなければならない筈だが、その回送しなければならない車輛に利用者を乗せる…そんな発想から登場した列車ではなかろうか?

小雨のやや薄暗い駅で、照明に浮かび上がるような、少し“未来的”な感の鋭角さと、若干の丸みを備えたような個性的なデザインの車輛が映える…

かなり久し振りに成田空港を利用したが…考えてみると、過去に成田空港を利用した際には、九分九厘は京成やJRの「普通の列車」を利用して東京方面から空港に入っている。何度か、東京方面とを往来するバスに乗車した記憶も在るが…何時かこの<スカイライナー>のような“空港アクセス特急”にも乗車してみたいものだ…
posted by Charlie at 23:08| Comment(0) | HDR/2014年3月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

名古屋:名古屋市庁舎と愛知県庁舎(2014.03.22)

名古屋には「記憶に残る建物」が色々と在ると思う。名古屋駅に着いてみれば、駅ビル自体を含めて辺りに巨大なビルが林立しているし、栄地区にもテレビ塔や個性的な外観の構造物が目立ち、かの名古屋城の天守閣も在る。

そうした中で、私としては「最も強く記憶に残っている」のは…

↓これである…
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↑手前の名古屋市庁舎と、奥の愛知県庁舎である…

名古屋の地下鉄の市役所駅から、名古屋城方面の出口で地上に出てみると、背中側にこれらの建物が在る。

初めて名古屋に立ち寄った2009年のことだったが、「名古屋城が視たい!」と地下鉄で動き、その市役所駅から最初に出た際には背中側だったので判らなかったのだが、名古屋城を視た後に駅側へ引揚げた時、これらの建物が目に留まり「あれは!?一体、何の建物だ!?」と驚いたのだった…何やら物凄く幅の在る道路―名古屋は幅の広い道路が縦横に整備されている印象の街だ…―を横断し、近くに寄ってそれぞれ市庁舎、県庁舎である旨を確かめたのだった…

↓名古屋市庁舎は、真ん中辺りが高くなっていて、遠くから見ると“山”という字のような型をしている…
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↑何となく、ソ連時代のロシアで見受けられた“スターリン・ゴシック”を想起しないでもない…

↓塔のようになっている部分の上に、和風な屋根が乗っている…
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↑「普通なビル」と「和風な意匠」が、「一寸、強引?」な感じで混ざっている。

↓市庁舎以上に「!?」と思ったのが県庁舎である…
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↑角張った「普通なビル」に「名古屋城の屋根の一部??」というような形状のモノが組み込まれている。

↓何か非常に不思議な雰囲気を醸し出す形状だ…
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この名古屋市庁舎や愛知県庁舎は、1930年代に登場したものだ。名古屋市庁舎は1933年に、愛知県庁舎は1938年に竣工している。名古屋市庁舎は手続が円滑に進み、1930年代前半を覆った不況の影響も少ない中で竣工したようだが、愛知県庁は着工に至る手続に手間取り、そのうちに不況の影響も在って、随分と苦心しながら着工して竣工した経過が在るようだ…

これらが竣工した後、第2次大戦期を潜ることになるのだが…名古屋は、かの零戦を製造していた三菱グループの航空機工場を擁する等、重要な工業地域であったことから空襲も激しく、戦禍も大きかった―高校生の頃に観た『零戦燃ゆ』という映画で、ヒロインが爆撃で落命してしまう場面が在ったのだが、それが名古屋への空襲という状況だったことを思い出す…―のだから、1930年代の流行を伝える建物がこうして並んで残って今日に伝わり、更に現在でもそれぞれ市役所や県庁の庁舎として利用されているというのは貴重かもしれない…

「普通なビル」に「和風な意匠」を採り入れた独特な様式は、1930年代に流行ったという、「帝冠様式(ていかんようしき)」と呼ばれるモノである。ナショナリズムの台頭を受けて登場した、鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根を載せた和洋折衷の建築様式である。

この“帝冠様式”に関して、個人的にはサハリンのユジノサハリンスクに在る、樺太時代の1937年に竣工した博物館の建物に馴染みが在る。

↓“帝冠様式”の参考例ということで、名古屋の市庁舎や愛知県庁舎と直接には関係無いが、ユジノサハリンスクに在る博物館の画を…2014年1月末の撮影である…「日本の城がロシアに?!」という不思議な感じがするものだが、樺太時代の1937年に竣工した博物館の建物だ…
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↑名古屋市庁舎や愛知県庁舎と比べれば小ぶりな感じの建物ではあるが、1930年代に流行った“帝冠様式”というものを好く伝える建物である…

街の建物…何となくそれらの周囲を通り過ぎることも多いのかもしれないが、よく見ると建てられた時代毎の流行りが反映されていたり、建てた人達の想いが反映されているのが感じられ、興味深いものだ。

名古屋市庁舎や愛知県庁舎は、昭和に元号が改まり、「新たな時代への先進!!」という意気が盛んな中で、国内屈指の大都市を支える地方の役所として立派なモノを造ろうとした「好い意味での気負い」が感じられる建物だと思った。他方で、殊に愛知県庁舎は初めて視た際に「不思議だ…」と大いに目を奪われた…

何れにしても、この名古屋市庁舎と愛知県庁舎は殊更に記憶に残る建物だ…
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東京:新宿中央公園の桜(2014.03.26)

歌舞伎町で朝を迎え、高層ビル群を眺めながら西新宿を散策し、「地下鉄の一日券で都内を巡ろう」と考えていた。新宿地区には…訳が判らなくなる程に多くの地下鉄駅が在るが…“都庁前”という大江戸線の駅が、あの都庁の巨大なビルの傍に在った筈であることを思い出した…

↓文字どおりに林立するビル群の間を歩き回ると、特徴的な都庁のビルが見えるようになってくる…

↑あのビルの周りを歩くと、きっと“都庁前”という駅の入口が在る筈と、そちらへ向かった…

都営交通のマーク―銀杏の葉を模ったモノ―と、東京の地下鉄では馴染みの「路線図に載せるカラーの環」のマークと、“大江戸線 都庁前駅”というような看板が在って、地下へ延びる階段かエスカレーターらしきものが在る入口…というものを探していたのだが…

↓探していた駅に気付く前に桜に気が付いた!!

↑なかなかに美しい…

JR新宿駅側から都庁ビルの姿を求めて進み、都庁ビルを通り越した辺りに緑地が在った。「新宿中央公園」というそうだ…そこに桜が植えられていた。前夜、「今日はコートなんか着ていられなかった…」と温暖であったことを話題にしていた人が居たが、数日温かい状態が続いていたらしく、御蔭で花が咲いたのであろう…

↓林立するビル群を背景に桜が咲いている…無機質な鉄筋コンクリートと硝子を背景に咲く桜…何か桜の“生命”が、その存在を主張しているかのようにも思えた…

↑何か…「大東京の桜」というイメージだ…

新宿中央公園…行き交う人達が足を停めていたり、散策をしている人が居たり、ジョギングやウォーキングに勤しんでいる人が居たが、そうした人達の中にも桜を見上げたり、持ち合わせたモノで撮影をしている様子が存外に多く見受けられた。使い古されて手垢が着いたような表現だが、ビル群の一隅の緑地で桜が咲き誇っている様は、正しく「大都会のオアシス」という感だった…

桜が咲くのは「マダマダ先」な地域の住民としては、こんな具合な「大東京の桜」が見られたことは僥倖である。

↓桜の背景に都庁ビルが見える箇所が在る…

↑なかなかに美しいと思った…

この日は曇天であったが…「大東京の桜」は忘れ難いものになった…
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東京:西新宿の高層ビル群(2014.03.26)

「東京」と聞いて思い浮かべるモノ?随分と幅が広いように想うのだが…

↓私は「東京」と聞けばこういう様子を思い浮かべる…

↑西新宿に林立する高層ビル群である…

歌舞伎町からJR新宿駅側に進み、高架を潜って西側へ向かう辺りからのビル群の眺め…ここは、高田馬場から西武新宿線で新宿に出る場合に通る道筋でもあり、私にとっては何となく「眼に馴染んだ感」な風景だ…そういうことも手伝って、何となく「東京」と聞くと思い浮かべる光景の一つとしてこれを挙げたいのである…

久々にこの「目に馴染んだ」感だった風景を愛でたが…何か違和感だ…「私が知っている時代」には無かった新しいビルが建っていることに気付いた…

何処の地方でも、この10年、20年の間に新しいビルが建っている。ビルは利用することを目的に建てられる筈だが、「建てること自体が目的?!」というような状況のモノも雑じっているのかもしれない…東京も、この10年、20年で色々な情勢変化を潜り抜けていることは疑いないが、どんどん新しい大きなビルが登場している…どういう情勢下でも、東京の場合はそれだけビル利用の需要が在るのであろうし、建設資金を集めることも可能なのであろう…

↓そんなことを想いながら、西側へ進むと、多分最も早い時期から在ると思われるビル群が見えて来た…

↑昭和40年代の末から昭和50年代の初め…1975年前後に制作されたテレビドラマや映画の背景に、これらのビルと思われるモノが映っていた記憶が在る…

以前に聞いたのは…新宿駅の西側は“淀橋浄水場”という広大な施設が在って、新宿駅西口から少し離れると、小さな商店や飲食店が集まった商店街的な場所と住宅地とが拡がっていたらしい。浄水場を他所の場所にして止めてしまい、生じた用地の開発が始まって順次ビル群が登場したようだ…

↓ビルの脇には、小庭園風な緑地が綺麗に整備されている…

↑それは好いが、文字どおりに大きなビルが林立している一帯を歩くと「鉄筋コンクリートの“巨木”の森を行く」というような、不思議な感覚に包まれる…

↓「目に馴染んだ」筈のビル群を見た際に感じた“違和感”の原因…新しいビルだ!

↑一寸変わった型をしている…

↓新しいビルを近くで見上げた…

↑SF小説の『銀河英雄伝説』に出て来る“宇宙戦艦○○”のような、巨大な宇宙船を思わせる形状だ…

「東京」と聞けば思い出す西新宿の高層ビル群…「相変わらず」な感じと「変わった?」という感が同居していた…それにしても、こうして写真を撮ってみれば…存外に画になるものだ…
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2014年03月31日

京都:伏見稲荷大社(2014.03.24)

道草もしながら淀屋橋から出町柳まで京阪の列車に乗車した。“一日券”を手に「小さな旅」という具合に動き回るのは愉しい。考えてみると、訪ねてみて楽しみ、「善かったからまた…」と足を運んでいる場所は、何れも便利な乗物の“一日券”が在るような場所であるという気がする…

10年以上前に視た記憶が在る「京阪のる人、おけいはん」という宣伝が未だ京阪の各駅の構内等に在った…勿論、“シリーズ”の最近のモノで、京阪を利用して京都を訪ねるようなイメージのポスターだ…私は、何か妙にウケていたが…

大阪側から京都側へ進み、中書島から先へ行くと「いよいよ京都市の領域か…」という感じの名前な駅が続き、七条駅の手前から列車は地下を走るようになって出町柳に至る。

その中書島から先に“伏見稲荷”という駅が在ることに気付いた。出口を案内する表示に“伏見稲荷大社”と在ることも、列車の窓から見えた…京都でランチを愉しんだ際、御一緒した友人にその旨を話すと、「訪ねたことが無いのであれば、あそこはなかなか楽しんで頂けると思う!」ということだった。

京都という場所は、放っておいても時季を問わずに来訪者が溢れているように見えるが…それでも京都旅行を促す広告は多く見掛ける。交通関係、宿泊関係等々、益々の利用増を望む業種が関連しているのであろう。友人によれば、伏見稲荷大社の写真は、その種の広告にも登場しているという。それに触れた友人は、「行き易い場所に住んでいる」ことに思い至り、一寸訪ねてみたのだという…

そんなことを記憶に留めながら、出町柳から淀屋橋までの京阪の列車を利用することにした。七条で下車して七條大橋に道草の後、伏見稲荷で下車して、この伏見稲荷大社を訪ねてみた。

伏見稲荷で下車し、出口案内の矢印に従って進むと、直ぐに“参道”という趣の場所になる。平日ではあったが好天で、なかなかに多くの国内外からの来訪者が見受けられる状態だった…

↓通常は狛犬が見受けられる箇所に狐が居る…
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↑“稲荷”と言えば狐である…全国に3万位在るという稲荷神社の総本宮に相当するのが、この伏見稲荷大社であるという…

↓建物も豪華に見える…
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↑朱色は「魔除け」の意味合いもあるらしいが、「神社」と聞けば思い出す色でもある…

↓“千本鳥居”と呼び習わされているモノ…
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↑寄進された鳥居が無数に立ち並んでいて、「朱色のトンネル」のようになっている。方々で写真を視掛けた記憶も在るモノだ…

「朱色のトンネル」のようになっている鳥居を潜ったが、方々の団体や企業や個人が鳥居を寄進している旨が刻まれ―「○○市○○○○」というようになっているが、「○○市」というような場所には京都や大阪の周辺だけではなく、各地の地名が見受けられた…―ていたのが見えた…偶々写真では、それが見え難くなっているが…

↓鳥居の寄進に関する案内も在った…
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伏見稲荷大社だが、神社の在る山全体が神社の領域になっているのだという。

↓全体図が掲示されている…
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↑山を一回りすると「概ね2時間は要する」という案内も在った…午後4時前にここに着いた感じであったのだが…「全部観ると…薄暗くなってしまいそうだ…」と考えて山全体を視て回ることは断念した…

国内外の来訪者が非常に多く、「京都の有名な場所!!」という空気が溢れる他方、相当に古い時代―伏見稲荷大社が開かれたのは、奈良時代の初め、西暦711年とされている…―からの信心の象徴というような、少し神秘的な雰囲気も醸し出している…伏見稲荷大社はそんな場所だ…機会が在れば再訪してみたい感じだ…

↓「鳥羽伏見の戦い」で幕府方が進撃して撤退した経路のようなコースで大阪・京都間を京阪電車で動いた日の画…
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2014年03月30日

名古屋・熱田神宮(2014.03.22)

3月21日の早朝時点で「この休暇…どうするか…」と思案して、何となく“ジェットスター”に出くわし、名古屋へ飛ぶことになった…

名古屋は2009年に関西から東京への移動途中に立寄った、加えて2010年に横浜から関西方面への移動途中に立寄ったという記憶が在る程度だ。何れも極々短い時間の滞在に留まっている…縁が薄い…そうした中…熱田神宮に関心を持っていた…

熱田神宮…かの“桶狭間の戦い”で、織田信長の軍勢が集結した場所と伝えられ、熱田神宮を出発した彼らは大軍で移動中の今川義元の本陣を襲撃して、東海地方随一の勢力を誇った今川義元を討ち取ってしまったのである…

そんな故事を思い出す熱田神宮だが…開かれたのが西暦113年(!?)と伝えられていて、その歴史は「1900年」とされている…記録の定かではない、遥かな昔からの歴史を誇る神社ということになる…どのような場所なのか、興味が沸く…

中部国際空港から名古屋駅へ向かう途中に神宮前駅が在る…“神宮”とは熱田神宮に他ならない…名古屋駅まで行ってしまわないで、金山駅辺りで列車を下りて、地下鉄の一日券を利用して名古屋市内を動いてみようと思っていたのだが、金山駅の手前の神宮前駅で下車してみた…

神宮前駅で下車してみれば…なるほど、熱田神宮の前だった…神前結婚式をやっている訳で、その種の集まりにやって来たと見受けられる、改まった和装で歩いていた人達等も視掛けた…神宮前駅と熱田神宮との間の道路も、なかなかに車輌の通行量が多かった…

↓境内に入ってみれば…好天に恵まれた休日で、色々な祝い事と見受けられる人や、参拝者や、私自身のような名古屋周辺への来訪者が大勢居た…

↑多くの人に敬慕される名門の神社であることがよく判る状況である…

↓「桶狭間の戦い」に勝利した織田信長が寄進したと伝えられる塀…“信長塀”と呼ばれている…

↑仕事にはストイックであったらしい信長が眼を光らせて、堅牢な塀を造らせたのであろう…この辺りも第2次大戦期の空襲被害が在った場所であるそうだが…それでもこうして残って伝えられる塀である…

↓梅の花が美しかった…白梅が碧い空に映える…

↑「温暖な土地へやって来た…」という感が強まった…

↓「神社の神事」と言えば“御神酒”な訳で…愛知県酒造組合が県内の銘酒を納めているのであろう…

↑「愛知県は酒蔵が多い…」と一寸驚いた…

↓推定樹齢1000年以上という巨木…注連縄が飾られている…

↑この辺は深い森の中でもない…1000年も前に植えられた木である…育ち続ける木を、何人の人が見上げたのであろうか?遥かな昔からの人々の営みを想う…

熱田神宮…思い付きで初めて立寄ったが…なかなかに気に入った!!
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中部国際空港:名古屋鉄道2200系(2014.03.22)

中部国際空港は2005年に開設されているが…2014年3月に至って、初めて利用することになった…

朝のフライトで中部国際空港に飛ぶ前の晩になって…「名古屋の街中へ出るには?」と調べてみて、速くて安価なのは名鉄の列車であることに思い至った。向かう地点によっては、バスが安価な場合が在るであろうと思うが、恐らく列車の方が速いであろう…

利用した“ジェットスター”の到着する場所は、後発航空会社で在るためにターミナルの端に相当する箇所で、存外に長く歩くことになる…とりあえず「出口」を目指した後、「鉄道駅」或いは「列車」を示すピクトグラムに従って広い空港ビル内を進み、名鉄の中部国際空港駅に辿り着いた…手持ちのICカード乗車券の中から、何となくICOCAを取り出して改札を潜った。名古屋市内までの運賃に足りる残高が在った…

↓改札を潜ってみれば、こういう具合に列車が待機中で乗客を迎えていた…

↑左側が名古屋市内方面へ向かって、岐阜に至る特急だ…特急料金が必要な訳ではない…手前側に連結されている指定席車に乗る場合は、指定券が必要だ…

↓先頭車輌側に廻って、間もなく発車する列車に乗車した…

↑なかなかに美しい車輌だ!!“赤”は「名鉄の色」として長く親しまれているものとのことで、各所で名鉄の車輌を視掛けると、赤いモノが目立った…

名鉄で特急用に用いている車輌…幾つか種類が在るようである。この2200系は、中部国際空港と名古屋圏を結ぶ空港線の登場に合わせて投入され、増備されている車輌であるようだ。乗車に指定券が必要な特別車2輌と、それが不要な一般車4輌の6輌運行が基本のようだ。

利用してみて感じたのは…「札幌・新千歳空港間の移動時間に似ている」ということだ。何れも、街の駅と空港の駅との間が40分を切る程度となっている。空港と街とを往来する乗客、沿線を移動する乗客が入り交じって、車内がなかなかに込み合っているというのも、札幌と名古屋とで共通していた…

そう言えば…知人が、京都に用事が在った際に中部国際空港を利用したという話しをしていたことが在った。北海道から京都へ向かう場合…「新千歳空港→関西国際空港→京都」と「新千歳空港→中部国際空港→名古屋→京都」との所要時間に大差が無いというのである…これを聴いて「そういうことも在る?でも、中部国際空港の様子を知らないから、判り難い…」と思っていたが、中部国際空港・名古屋間の列車が速く快適である旨を経験してみると、大きく頷くことが出来るというものだ…
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2014年03月29日

大阪城天守閣を望む(2014.03.24)

大阪の京橋…古くは、京都との間を結ぶ道筋が始まる辺りとされていた地域だ…この辺りには様々なオフィスが入居する高層建築も見受けられるが、大阪城に近い地域でも在る…

↓京橋駅から少し歩くと、大阪城の威容を望むことが出来る…

↑朝の光線に浮かぶ様が、なかなかに好い…

随分以前に…現在では“合併”で姿を消した航空会社の券を“マイレージ”で入手可能となった際に関西を訪ね、初めて大阪城を見学した…大阪城をこうして近くから望むのは、多分その頃以来だと思う…

↓望遠レンズで少しアップに…

↑なかなかに華麗な装飾が施されている…

暫し見入ってしまった大阪城の天守閣である…

大阪城だが…“大阪”が古くは“大坂”であったことから、築城当時の正しい名前は“大坂城”ということになるのであろう。豊臣政権下に築かれ、「大坂夏の陣」で豊臣家が壊滅した後、徳川幕府が再建した城である…現在の遺構の多くは、徳川幕府の手になるモノということになる…

この城を築いた豊臣秀吉は壮麗な天守閣を建てさせたというが、それは1615年の戦いで焼失してしまった…徳川幕府による再建工事は1629年に完成したそうだが、1665年に落雷で天守閣は焼失してしまった…以降、永く天守閣は無い状態であった。幕末の様々な動きが大坂で在り、鳥羽伏見の戦いで戊辰戦争が開戦する辺りには大勢の幕府方の人達が詰めていた訳だが、その時代には「天守閣が消失して久しい」状況だった訳だ。

明治期以降は大阪城の用地を主に陸軍が使用していたが、1928年に昭和天皇―在位中は“今上天皇陛下”と呼ばれ、「昭和天皇」というような呼び方は崩御の後に決まるものであるが…―の即位を記念して大阪城の整備が計画され、1930年から“復興天守閣”が着工し、1931年に完成している…

現在の“復興天守閣”は古い史料に当たって、豊臣時代のモノと徳川時代のモノとの“折衷”的なデザインになっているのだそうだ…2007年に外壁を塗り替えた際、5層目を「豊臣時代の画に近い感じ」にしてみたとのことである…

それにしても…豊臣政権下と徳川幕府下で、各々に大坂城の天守閣は短い期間―豊臣政権下では20年間程度…徳川幕府下では30年間程度…―で焼失してしまっているのだが…現在のモノは戦禍も通り抜けて80年間以上も残り、「大阪のシンボル」のようになっている…面白い!!
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大阪:大阪城が描かれたマンホールの蓋(2014.03.23)

昨年11月から愛用しているカメラ“P7700”はバッテリーの持続が長く、使用中にバッテリーが切れた例は無かったのだが…名古屋を早朝に発って、神戸まで動いて、大阪に至った日は…大阪でバッテリーが切れてしまった…実際、後から振り返って驚く程度に写真を撮ってしまっていたのだが…

その「バッテリー切れ」の後、大阪駅の近くで「予備のカメラ」という役目も担ってもらうことにしていた“S95”を引っ張り出し、思わず撮ってしまったのが…

↓こういう画である…
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↑煉瓦風の材料を敷き詰めた歩道に、彩色が施されたマンホールの蓋が在るのを眼に留めた…

マンホールの蓋…鋳物なのだと思うが、重い金属の円盤で、何となく「幾何学的な凹凸が円を描くようになっていて、真中に設置した自治体のマーク等が在る」というものを思い描くのだが…何時の間にはそういうものでもなく、地域毎に凝った意匠の“蓋”を視掛ける機会が増えたように思う…

この大阪のモノ…「“大阪”と言えば…大阪城!!」ということで、イラスト化された天守閣が描かれている…

他所へ出掛けてみて、足下も視ながら歩き回ってみる…こういうような次元の“発見”が出来て愉しい!!

↓名古屋、安土、長岡京、神戸、大阪と動き回った3月23日の画…
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京都大学:“総長カレー”(2014.03.24)

関西方面に出て、時間にゆとりが在るからには…何度か「会うことにしよう…」と連絡を取っていたにも拘らず、それが実現出来なかった経過の在る友人と会って、例えばランチでも愉しむようなことをしてみたいと思い付いた…

連絡が取れて、ランチでも愉しむことになった。会う場所は、先方の都合が好い場所に私が出向けば善い…先方が普段詰めているオフィスというのが京都大学辺りということで、京都大学正門辺りで待ち合わせた…出町柳駅から徒歩10分程度ということで、「では滞在する大阪から京阪電車で!!」ということになったのだった…

久々に会えた友人の提案により、正門傍の大学構内に在るカフェに入った…

↓ここに入り「京都大学でしか頂けない名物が…」ということで、頼んでみたのがこれ!!
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↑“総長カレー”なるものの“ステーキ”という代物である…

何でも…カレー好きだった京都大学の総長が監修したカレーで、我々が入った構内のカフェでのみ提供しているというものだそうだ…

ややサラりとした感じで、スパイスと色々な材料の甘味が溶け合っていて、なかなかに好い!!そして具材の肉に替えてステーキというのが好い!!「美味いじゃないか…そして、ここは“学食”系統の店で、安価だ…素晴らしいじゃないか!!」と話し合っていた…米飯は“五穀飯”というモノにしてみたが、これがカレーに合う…

↓気になったので、一寸調べてみれば地元放送局による紹介記事が見付った…
>>総長カレー|KBS京都
↑レトルトが出ていて好評を博しているという紹介も在る…「なかなかに有名だったのか…」と感心している…

全くの思い付きだが…こういう企画…方々の大学でやり出すと面白いのかもしれない…

あの好天の日に、「半袖Tシャツの上に上着」という出で立ちで京阪電車に乗り、「鳥羽伏見の戦い」の幕府方の進攻・撤退コースに相当する箇所を移動して向かった京都で頂いた“総長カレー”…友人と愉しいランチタイムを過ごしたことと相俟って「想い出の味」になった…
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京都:七条大橋(2014.03.24)

永い歴史を有する京都である。“京都”と聞けば、色々なモノが思い浮かぶことであろう。色々な特色が在る街だ…

京都の特色の一つに…「川と橋」を挙げても善いように思う…街を貫く鴨川には多くの橋が架けられている…

↓これはその一つである…
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↑地下に在る京阪電車の七条駅から地上に出ると直ぐに見える鴨川に架かっている橋だ…

“七条”…「ななじょう」ではなく「しちじょう」と言うのが正しいようだ…札幌でも“北七条”、“南七条”というような住所が在るが、そちらは「ななじょう」と言っている…そんなことを思い出しながら、随分以前に「しちじょう」が正しいと聞いて、妙に感心した記憶も在る…

この七条駅傍の橋は“七条大橋”(しちじょうおおはし)と言う…

七条大橋は「街で活躍し始めている路面電車が通行可能なように…」ということで、1911年に着工して1913年に開通したのだそうだ…同時に路面電車もこの橋を走り始めていて、1978年まで走っていたそうだ…

明治末に着工して大正の初めに開通…鴨川に現在架かる橋では、この橋が最古参であるようだ…

↓5連アーチの鉄筋コンクリート…長さ82メートルで、幅は18メートルだそうだ…
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↑1935年に大きな水害が発生したそうだが、それに耐えて残っている橋梁である…

「鉄筋コンクリートのアーチ型橋梁」と言えば…それを造るノウハウを活かして建造されたのが、稚内港北防波堤ドーム…往時の呼び方で言う「屋蓋式防波堤」である…そういう意味で、この「古くからの歴史を誇る街を貫く川に架かる、最古参の“鉄筋コンクリート造アーチ型橋梁”」というモノを眺めてみたかった…

この七条大橋の辺りは河川敷が整備されていて、ジョギングをする人達や、賑やかに自転車で駆け抜ける若者達が見受けられた…

↓「鳥羽伏見の戦い」で幕府方が進撃して撤退した経路のようなコースで大阪・京都間を京阪電車で動いた日の画…
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2014年03月28日

A320の機窓から望む青森県と北海道(2014.03.37)

成田空港から“ジェットスター”の「銀色のA320」に乗り込んだ。成田空港第2ターミナルビル内の国内線エリアの中で、アルファベットが振られた場所が在って、そこでチケットを検めてからバスに乗って駐機場に向かうと、待機している銀色のA320が迎えてくれる…そこでタラップを上がり、入口扉辺りの乗務員にチケットを見せて漸く着席だ…

精力的に動いた旅の復路で、「乗ってしまえば北海道へ“帰国”…」という安堵感も大きかったのだと思うが、着席して程無く、離陸して上昇するのが全然判らなかった程度に眠ってしまった…雨交じりな、多少薄暗い感じの中で着席した筈だったが、気付けば窓辺が眩しかった…機長からのアナウンスが流れ、新千歳空港が濃霧で「天候回復」を期待しながら進んでいる旨と、山形上空を飛行中というようなことだった…とりあえず…「只管に雲の上を北上中」という感であった…

「成田空港の在る房総を含めた関東地方から東北の南側まで、広く雲に覆われている訳か…」と思いながら蒼天の下に海のように拡がる白い雲を眺めていると…

↓雲が切れた!!
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↑津軽富士が見えた!!

青森県周辺は晴れている様子だ…が…津軽海峡や函館近辺と思われる辺りはまた白い雲で覆われた…

↓また雲が切れた!!
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↑手前の雲が浮かぶ辺りは海で、陸地は北海道の胆振地方である…アニメや特撮のSFモノで、宇宙船が着陸する何処かの惑星を思わせるような光景だ…

この後…新千歳空港の濃霧がなかなか晴れないということで、A320は少し旋回し始めた…「引揚げるような展開になると拙いな…」と不安が過ぎった…12月に飛行機を利用した際、東北地方の北の方まで来ていながら、いきなり羽田空港に向かってしまったケースを思い出した…あの時は雪で、除雪の問題が生じていたらしいが…今般はそんなことも無い…上空から見る限りでは、結構広い範囲で晴天になっている…

結局、危惧していた事態は杞憂に終始した…定刻よりも15分程度遅れたようだが、A320は無事に着陸した…なるほど霧模様だったが、霧は次第に晴れていた…

考えてみれば、往路の「札幌・名古屋」はこの「東京(成田)・札幌」の便が折り返していた訳で、着陸後に駐機場へ動いた際に見えていた飛行機は、往路で見覚えが在るものばかりだった。全く同一では無いにせよ、同じ便で運用する同型の、見覚えが在る飛行機という意味だが…

今回は飛行機の利用で、往路でも復路でも、なかなかに好い風景を愉しむことが叶った…
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2014年03月25日

東京駅(2014.03.25)

「東京…御無沙汰…」と少し強く思い始めた切っ掛けは、「東京駅のニュース」に触れたことであったように思う…“中央停車場”として登場した頃の外観を再現したという話しで、興味津々だった…

“ネタ”として「東京について、私は“出入禁止”…」とふざけていたのだが、この程漸く東京を訪ねる機会を設けられた…朝8時59分に大阪駅を発車する列車から始まり、列車を乗り継ぎ続けた…豊橋駅での休憩を挟み、熱海駅からの快速で東京駅に辿り着いたのは19時9分…<青春18きっぷ>の旅である…

「“中央停車場”として登場した頃の外観を再現」というのは“丸の内口”のことなので、到着して直ぐにそちらに向かった…

↓改札口は豪華な宮殿のような、ドーム状の屋根の下に設けられている…
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↑つい立ち止まって見上げてしまう…

↓外に出て建物外観を眺める…
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↑なかなかの威容だ…

↓正面側に回り込んでみた…
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↑周辺の高層ビルに負けない存在感だ!!

↓“南”の側にKITTEと名付けられた東京中央郵便局のビルが在り、6階の“屋上庭園”が建物を鳥瞰するには好適だ…
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↓とりあえず東京駅の画から公開し始めた3月25日撮影の画…
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実は今般、首都圏入りを果たそうとした秘めていた“理由”の一つが「東京駅を肉眼で眺め、写真も撮りたい!!」ということであった…そういう意味で、東京駅の威容を視ることが叶ってかなり満足している…
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2014年03月22日

A320の機窓から望む富士山(2014.03.22)

12月に飛行機に乗った際には、往路も復路も“仕切り直し”が入った…

1月末と2月初めに飛行機に乗った際は、往路も復路も“機材繰り”とやらで遅れたり、「気侭に遅れている」としか思えないような搭乗前日時点での時間変更が在った…

こうなって来ると…「だから飛行機は嫌いだ!!」と叫んでみたくもなるが…今回は利用している乗物が順調に動いていて、非常に気分が好い!!

「札幌・名古屋」のフライトを利用した。新千歳空港へ向かう際に雪模様に見舞われたが、何やら“俄か雪”風で、直ぐに天候は好転した。空港では、それぞれのカラーの各航空会社の飛行機が、機体を輝かせながら離発着していた…シルバーの“ジェットスター”の機体…そんな中でも目立っていた…

多少転寝しながら機内で過ごしていたが、非常に天候が好いため「右手に函館が見える」というようなアナウンスが入った…私は左側に陣取っていたので、それは見られなかった…

やがて…「左側に富士山が見える」というアナウンスが入った…

↓こういう具合に視えた!!
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↑これまでに視た記憶に乏しい光景だ…

「札幌・名古屋」のフライトは、新千歳から南下して函館辺りから日本海岸を経て長野県上空を掠めて名古屋のやや南に在る中部国際空港に向かうようだ…

富士山が見えるのは、その長野県上空辺りを斜めに横切って名古屋を目指している辺りだ…本州の背骨のようになっている山岳地帯が連なり、山間に都市や農村が築かれている様子が少し見え、太平洋側の平地を睥睨するように突き出ている富士山が「山脈の向こうに聳え立っている」ように見える…面白い!!

最近の飛行機利用で「やや嫌な感じ」であったり、搭乗時の保安検査が煩わしかったりと、飛行機は「今ひとつ?」という意識が強いが…今日のような光景は強く記憶に残り、飛行機が目的地に着いた場面での客室乗務員の決まり文句でもないが「また機内で…」と思ってしまう…
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ジェットスターのA320(中部国際空港)(2014.03.22)

“時間”を設けた他方、その使い方に関して煮詰めていなかった中、「何となく」で出くわした“ジェットスター”だった…

“ジェットスター”で、「とりあえず稚内を離れてみようと思い付いた時点」で、「札幌・名古屋」、「東京(成田)・札幌」の航空券を求めたが、「少し早めな時期に申し込む、大手航空会社の何れかの区間の片道?!」というような額で「各々を片道」という型の航空券が入手出来た。何か「LCC(“ローコストキャリアー” 低料金を“売り”にする航空会社)恐るべし…」という感じがしている…

「札幌・名古屋」の便で、LCCである“ジェットスター”を初めて利用した…要するに…「預ける手荷物」が無い状態で、「ネット予約」で決済まで済ませて、空港では係員にお願いせずに“チェックイン機”を利用して手続きし、保安検査を潜って搭乗…というだけのことだ…考えてみれば、既に何度もやっていることなのだ…「要るサービス、要らないサービス」を利用者が主体的に選び「要らないから、その分を一寸でも安く」という“合理性”が在るのかも知れない…“ジェットスター”そのものは、航空機移動がより身近なオーストラリアで興ったものらしいが…

“ジェットスター”の場合、欠航等に際する“振替”措置等に関して、従前の航空会社と対応が異なるらしいが…単純に、例えば「札幌・名古屋」の便を利用しようとするような場合、然程気にならないかもしれない…

新千歳空港では“ジェットスター”は「最も後発なグループ」になる会社なので、ターミナル内の使用場所は「端のそのまた端」というような感だった…

“ローコスト”を実現する故…或いは何処の航空会社もやっている運用だが…今日は東京から札幌に着いた機体が、そのまま名古屋へ向かう便に使用されていた。こういう種類の機体のローテーションを“機材繰り”と言っている訳だ…少し前に、その“機材繰り”が「どうなっている?!」という航空会社にも出くわしたが…

今回のフライトは大変に順調で、定刻よりやや早い程度に名古屋に着いた。札幌に姿を現したのも定刻だった…

中部国際空港でも「端のそのまた端」というような感だった…そういう場所になると…飛行機の勇姿が鑑賞し難く、やや寂しいものも在る…

↓しかし中部国際空港では、出口へ移動する途中に見える場所が在った!!
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↑思わずゆっくり眺めてしまった…

“ジェットスター”では、地上職員も客室乗務員も、非常に鮮やかなオレンジの上着を着用している。飛行機にも、その色の☆印がアクセントとして使われている…そして、客室乗務員は鮮やかなオレンジの上着の下に黒系の制服を着用しているが、飛行機にも黒が少し使われている…

「席数を増やす」という意図で、席の間隔が詰まっているという噂も在るが…それは事実かもしれないが、体格が大柄な部類の私が利用しても「然程気にならない」範囲のことであった。他社でそういうのを利用したことも在ったが、機内での飲料等は有料である…“車内販売”の要領で、客室乗務員が“機内販売”するのである。今回は利用しなかったが…

↓全体に「メカ!!」という按配のシルバー…そこに黒やオレンジでマークが記されている…一寸好きだ!!
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↑A320は珍しい訳でもない機種だが…カラーリングで随分とイメージが変わる…

「飛行機での旅行」自体、既に特殊なものではなくなっているが…こうしたもののお陰で、更に身近な存在になるのかもしれない…
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岩見沢駅(2014.03.21)

稚内駅を10時51分に出る列車は14時17分に名寄駅に到着する。その時点で待機中の旭川行快速列車は14時35分に発ち、旭川駅に16時3分に到着する。エスカレーターを下って、また上がって隣のホームに出てみれば岩見沢行の列車が待機中で、列車は16時8分に出る。滝川駅での15分間の停車を挟み、列車は17時51分に岩見沢駅に着く…

↓上述の経路で岩見沢駅に辿り着いた…
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↑跨線橋を上がると、旭川から乗車して来た紅い711系電車が右側に見える…

左側の新しい感じの車輌…これは18時5分に札幌方面へ発つ列車だ…これに乗車すると、札幌方面への移動は円滑だ…

しかし…空の色が好いので、岩見沢駅辺りで一息入れることにした…

岩見沢駅は、鉄道輸送の上では“札幌都市圏”の東北端に相当する地域の駅で、岩見沢・札幌間は列車本数も多い。ここで気侭に休んだと言って、次の列車は然程待たずに現れる…

↓デザインが高く評価されているという岩見沢の駅舎…
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↑こういう光加減…黄昏の暗くなり始めた空を背景に、硝子張りの部分から灯りが漏れ、中の営みが覗く様…なかなかに好い…

岩見沢駅の周辺は古くからの商店街のようになっている箇所が見受けられるが、「祝日夕刻」に相当するためか、殊更に静かであった…

列車での移動の中、拙宅から持ち込んだミネラルウォーターを空けてしまった後は何も頂いていなかったことから、見掛けたコンビニで珈琲を求めて頂いた…

↓日没周辺の時間帯、空の感じは目まぐるしく変わる…
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↑黄昏の紫系が“ナイトブルー”になり、灯りは一層際立つ…

↓ホームに出ようとすれば、特急列車が到着していた…岩見沢駅は特急列車が停まる駅だ…
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↑列車は、網走から旭川を経てやって来た<オホーツク>で、岩見沢での乗降が終わると札幌へ急ぐ…<オホーツク>は「やや希少」になってしまったキハ183が使用されている列車だ…

↓3輌の721系と、3輌の735系を連結して6輌編成となっている列車が待機している。札幌方面へ向かう…平仮名の縦書きで、ビール会社の広告が付いた“いわみざわ”も確り在る…
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↑列車の先頭側だが、721系である。721系はクロスシートで、735系はロングシートである。721系の方が、座り心地は好いので、そちら側に陣取った…「6輌」という体裁での運行…北海道内の普通列車では“札幌都市圏”ならではのような気がする…(特急列車では、各地で乗客が多めな時季に6輌編成、またはそれ以上が見受けられる…)

乗車した列車は18時45分に岩見沢駅を発ち、江別駅で5分間程の停車を挟み、19時34分に札幌駅に着いた…

「とりあえず札幌に出る」ような場面では、岩見沢まで来ると「最終行程」というような気分になる…他方、通り過ぎるばかりで、当世風な美しい駅舎や、本数が比較的多いホームに列車が待機していて背景の空が好い様子というような“風情”を愛でる機会が意外に少ない…こういうことが出来る「一寸立止りながらの旅」は、「普通列車の旅」の大きな愉しみである!

↓岩見沢駅の風情を含め、公開し始めた3月21日撮影の画…(画は可能な時に追加する予定…)
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - MAR 21, 2014' set on Flickriver
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