2014年02月06日

福岡:“おさんぽバッグ”(2013.12.21)

何処かを訪ねて、その記念になると同時に、地元へ戻ってからも愛用出来るような品物を入手…意外に嬉しく愉しいものだ…

↓福岡市博物館の売店でこんなモノを入手した…
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↑名付けて“おさんぽバッグ”である…

福岡市内の博物館や美術館に、城下町として起こった福岡の歴史を思わせる武士や兜、福岡タワーなどが可愛らしいデフォルメのイラストになって鏤められている。そして、さりげなく“FUKUOKA”のロゴが入る…全般が紺色で、白で配されたイラスト等が目立つが、それで居ながら落ち着いている…

“おさんぽバッグ”の名の如く、「一寸出る場面で、細かいモノを入れる」というような用途の布製バッグである。

やや大き目なモノと、私が入手した小さ目なモノとが売られていた。大き目なモノの方はやや生地が薄く、小さ目なモノの方はやや生地が厚めだった…「厚めな方が、丈夫で長持ち?」と考えて小さ目な方を入手した…

最近、これに細々したモノを入れて持ち歩く場面が多くなっている。大き過ぎないのが好い…A4版のクリアファイルがスッポリと入るか入らないかの小さ目なバッグではあるが、「帰宅途中に2リットル入ペットボトルのミネラルウォーターを求めた…」というような場合には、そのペットボトル1本がスッポリ収まる…小さ目ではありながらも小さ過ぎないのである…

福岡のグッズ…福岡から遠い北へやって来て、雪の中で活躍してくれている…

今日の日中は…以前に呉で求めたキャップを被り、過日サハリンで求めた防寒ジャンパーを着て、この福岡のバッグを持って歩いていた…“土産尽くし”で動いていた次第だ…
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2014年01月27日

擦り切れてしまった501…(2013.12.21)

2009年に入手したダークインディゴの501…何となく気に入っていて愛用していたジーンズである…

↓2013年12月21日に撮影した…
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↑左膝辺りの一部が擦り切れてしまった…

何時も折れ曲がって、生地が弱くなっていた感の箇所が在り、2012年12月辺りから少々目立つ感じだったのだが…終に一部が擦り切れて、少し大きな穴が開いた…

12月の旅の際に穿いていて、擦り切れた…その時に多少汚れたので、一度洗ってそのまま置いて在るが…やや目立つ穴になってしまったので、その後穿いていない…

このジーンズは入手して以来、方々に出掛けた場面で穿いていたことが多いジーンズだ…道内は言うに及ばず、関西から九州、更にサハリンにも何度か行っている…

とりあえず置いて在るが…これからどうしたものか?想い出多い1本なので、アッサリ棄てる気にもならない…

ということを考えていたが…未だ一度も穿いていなかった新品の501が在ったので、今日からそれも着用し始めた…“シュリンク・トゥ・フィット”(洗って縮むとサイズがフィット)という代物の新品なので、ほんの少し大きい感じなのだが…
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2014年01月24日

長崎の路面電車:1502(2013.12.15)

↓長崎で見掛けた路面電車だが…
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↑各地で見掛ける機会が多い車輛の雰囲気だ…

例えば…

↓札幌でも似たような感じの車輛を視掛ける…
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この長崎で見掛けた1502…、1993年から1997年にかけ製造された1500型の1輛で、現在は7輛が活躍中であるという…

「似ている!」と思った札幌の路面電車…この8500型は1985年に登場しているものだというが、或いは1980年代から1990年代に路面電車と言えば「こういうような雰囲気」が定番だったのかもしれない…

色々な年代の車輛が活躍する各地の路面電車だが…或いは登場した時代毎に「流行り」のような形状が在るのかもしれない…
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2014年01月22日

長崎:孔子廟(2013.12.15)

2012年に長崎に初めて立寄り、後から「“積み残し”だったな…」と気になっていたモノの一つが孔子廟だ。

1893(明治26)年に、在日華人が清国政府の協力を得て建設したという長崎の孔子廟…かなり本格的な「中国の伝統」を伝える建物だと聞いていた。

場所は、グラバー園や大浦天主堂の近くでもある。路面電車の第5系統の終点・起点となる石橋停留所から徒歩圏内だ…

↓敷地の入口から入場すると、立派な門が在る…
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↑孔子廟の正式な門ということになるらしい…

そして門を潜ると…

↓こういう具合に“大成殿(たいせいでん)”という本殿が在る…
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↑ここに孔子が祀られている…

この孔子廟は、魔除けと慶びを表現するという朱色で彩られ、屋根は黄色だ…古来、中国では屋根の色は中に住む人の格に応じて決まった色を用いるようにしていたのだという。黄色というのは皇帝の色だという。この孔子廟は、大変に尊い孔子が居る場所ということで、黄色の屋根が選ばれていることになる。

孔子が鎮座する“大成殿”の周囲には多数の人物像が配されている。これは孔子の高弟達であるという。「72賢人」と呼ばれる、様々な活躍や挿話が伝えられる人物達だという。残念ながら…余り詳しくはないのだが…

この“大成殿”の奥に<中国歴代博物館>というものが在る。孔子に関することと、中国の歴代王朝のことを紹介した展示である。個人的に一寸注目したのは、入口辺りに長崎税関による“保税展示場”という許可が掲示されていたことである。中国など、外国のモノを一時的に展示できる場所で、展示品にそうした「期間を切って、展示向けに持ち込んだモノ」が在ることを窺わせる。具体的にどれがそれに該当するのか判らなかったが…

孔子は、古代中国の社会に在って、必ずしも恵まれた境涯でもなく、高い身分で在った訳ではないが、永く読み継がれる多くの言葉である『論語』を遺している人物で、“信仰”の対象にさえなっている…

↓それにしても、孔子廟の建物は随分見事に飾られている…
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↑中華文化圏の国々を訪ねた経験は無いが、何かこうした「如何にも!!」という装飾が施された立派なモノを視ると、そうした国々を疑似体験したような感じだ…

この長崎の孔子廟…とにかくも「見事…」を連呼しながら、詳しい知識が在るでもないながらも、存外に夢中になって視ていた…何か「不思議な力」が感じられるような気がする…

↓去り際に…龍が舞う屋根を見上げた…
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↑中華文化圏にルーツを有する人達も多く居るという長崎の地に在って、こうした華麗な装飾はそうした人達の矜持のようなものを呼び覚ますものなのかもしれないが、同時にこの“龍”は様々なモノが入り交じった長崎が平和に栄え続ける様を見守ってくれているような気もした…

この日は、神社やカトリックの教会にも立ち寄っていた。そしてこの中国の信仰に関連する孔子廟である…振り返ると、何か不思議な気もするが…或いは、こうした「色々なモノが混在している」のが「長崎らしさ」ということなのかもしれない…更に踏み込むと、色々な起源を有するモノが不思議に溶け合っているというのは、“日本文化”の特長の一つなのかもしれない…

>>長崎:鎮西大社諏訪神社(2013.12.15)

>>長崎:浦上天主堂(浦上教会)(2013.12.15)

2012年に初めて立ち寄り、何となく2013年にも立寄って、長崎では色々なモノに触れることが出来た。所詮は「俄か」であって恐縮だが、スッカリ“長崎ファン”になってしまったかもしれない…
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福岡市博物館(2013.12.21)

福岡タワーが見える辺りに出て、少しキョロキョロと辺りを探して…

↓福岡市博物館の建物を見付けることが出来た…
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↑空が映り込む、硝子張り部分が多い建物だ…展示をしている場所、収蔵庫の他、色々な目的に使うスペースも備えている大きな建物である…

福岡市博物館は、従前からの資料館が手狭になっていたことを踏まえ、アジア太平洋博覧会(よかトピア)の開催に合わせて建てられた。建物は博覧会会期中にパビリオンとして利用され、その後1990年に博物館として整理されて開館し、今日に至っている。

ここは“金印”を所蔵していることで知られている博物館だ…“金印”というのは、高校の日本史の教科書、或いは小中学校の社会の教科書でも見た記憶が在るのだが、中国の王から「倭の王に封じる」というような意味合いで贈られたと考えられる、古代の印章である。金で出来ているから“金印”だ…

とりあえずこの“金印”が視たかったのだが、確り視てきた!!その「小ささ」に多少驚いた…何か、拡大した写真を教科書で視て覚えていて、「人の握り拳位は在る?」と勝手に思っていた…意外だった…

「印章」ということで考えると、「こんなもの…」なのかもしれない。官公署等の書類に押されている場合が在る角印の、小さ目な印象を受けるモノのような大きさだ…何か印章というよりも、「小さな金属塊」という感じもする。昔は金や銀の重量を測って、重量で貨幣価値を示していたそうだが、この金印はそうした「軽量して値を示すような仕組みの貨幣」のようにも見える。少し離れると、何となく「コインのような大きさ」にも思えた。或いはこういうような大きさの金の塊は、宝飾品を造る工房にでも在るのかもしれない…見付けた人は、「光っている?何?小さな金塊?!」というようなことで拾い上げたのであろうか?小さなモノながら、色々なことを想いながら視た…

この金印は、常設展示に踏み入って直ぐに在ったのだが、見学した常設展示は「福岡の歩み」が時系列に学ぶことが出来るようになっている。大変に興味深く見学した。

福岡は、古代から大陸との交流の舞台となっていた…中世にも博多が交易港として栄え、「日本初のチャイナタウン」と紹介されていたが、宋(日本の中世に中国に在った国の呼称)の商人達の中で博多に定住して活躍する人達も在ったのだという…戦国時代には、大名達の争いの舞台ともなったが、豊臣秀吉の時代に博多の町が現在の基礎になる型に整備されたという…そして幕藩体制の時期に城下町の福岡が整備され、博多と福岡が双子都市として歩み、明治以降の近代に向って行く…

こういうような経過が、豊富な収蔵品や解説図、ビデオ等で詳しく紹介されている。近代に至るまでの経過に関する展示も面白かったが、近代以降の展示にも街の雰囲気等を伝えるモノが色々と在って愉しめた。更に、戦後の経過を紹介した辺りでは、福岡が非常に盛り上がった“西鉄ライオンズ”も取上げられていて、レプリカか本物かは判然としなかったが、黄金時代の選手達のユニフォームが綺麗に並んで飾られていたコーナーも在った…

↓私が訪ねた際、館の入口を入ったホールには、“山笠”が飾られていた。
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↑その巨大さに驚く…弁慶と牛若丸の物語を題材にした人形が据えられていた…

福岡市博物館を訪ねると、様々な伝統、色々な経過を持っている福岡の歩みというものに、手軽に親しむことが叶う。なかなかに好い場所だ…

↓見学後に振り返った…
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↑新しい建物だが、なかなかに趣が在る…

この辺りは「アジア太平洋博覧会(よかトピア)を契機に整備が進んだ」と見受けられる地区だが、海岸部であり、広い歩道も整っていて散策するのが愉しい雰囲気も在る。何時かまた訪ねてみたい…
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福岡タワー(2013.12.21)

12月20日は夜になって博多に至り、翌21日の午前中は福岡市内で過ごした。

偶々滞在した宿の建物の構造が、外の音が伝わり易い感じだったからかもしれないが、夜の間に「不意に強い雨が降る」音がした。そういう状況で朝を迎えて、「どんな様子か?」と戸外を窺うと…特段に雨は降っていなかった…

「これは僥倖である!!」と宿を出て街を歩き始めた…地下鉄と徒歩での移動である…

↓福岡タワーが見える辺りを歩いた…
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確か2011年にここを訪ねて展望室に上がった…

↓2011年に福岡に寄った際の画…
>>Fukuoka on DEC 18, 2011 - a set on Flickr

1989年のアジア太平洋博覧会(通称:よかトピア)にあわせて建設されたとのことで、高さ234mだという…

実は…この福岡タワーを見上げながら「再訪しようか?」と思わないでもなかったが…未だ行っていなかった福岡市博物館を優先した…

青空の中に福岡タワーが佇んでいて美しい光景だが…暫くして昼近くになると、強めな雨が降り始め、遠くに雷鳴も聞こえるような状態になった…
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2014年01月21日

佐世保(長崎県):“佐世保バーガー”(2013.12.19)

実はハンバーガーのようなモノは大好きである…ということで“佐世保バーガー”というような「音に聞こえたモノ」には興味津々である…

12月19日は、「九州に到達し、機会が設けられるなら是非訪ねよう」と少し前から密かに目論んでいた平戸へ向かうことを念頭に、平戸方面へ向かう松浦鉄道の始発に相当する佐世保を目指した。途中の肥前山口駅でノートパソコンを開き、佐世保で夜を明かす宿も駅の近くに確保した。そして佐世保に到着である…

佐世保で宿に入り、早速宿の人に尋ねたのは“佐世保バーガー”に関することである。到着したのは午後7時近く…一息入れて「午後8時辺りにでも訪ねて、店内で頂く」ということがしたかった…“佐世保バーガー”の店だが…やや距離が在ったり、午後6時閉店であったり、駅構内に店を出している所は「持ち帰り専用」だったりと、宿の人と話していてもなかなか条件に見合う場所が無い…「こんな所までやって来て…ダメなのか?!」と思い始めたが…

と…「ここへ来る途中、あっちの方に、妙に明るい一画を視掛けましたが、あの辺は?」と尋ねてみた…すると「あそこは繁華街で…そうだ!“ビッグマン”が在りますよ!」と、宿の方も思い出してくれた…

↓そんな経過で、少し歩いて辿り着いたのが“ビッグマン”という店だ…
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↑「街角のハンバーガー店」という好い雰囲気!!趣が在るというものだ…

佐世保駅近くの道路から、物凄く明るく見えた商店街辺りに、色々な種類の店が在る飲食店街が拡がっていた。店を開けたばかりという雰囲気の艶やかな方に「こんばんは…」と声を掛けられるような中で、辺りをぐるぐると巡りながら、終いにはその辺で客待ちをしていた年配のタクシーの運転手さんに尋ねてみるなどして、やや苦心して辿り着いた場所だった…薄暗かったので、鮮やかな店構えが見付け難かったのかもしれないが…

↓“佐世保バーガー”のイメージキャラクターがこれらしい…2003年に、かの『アンパンマン』のやなせたかし氏が、佐世保市からキャラクターの使用許可を求められた際、「それなら新しいキャラクターを!」と水兵服を身に着けたハンバーガー人間がデザインされたのだという…なかなか味わいが在るキャラクターだ…
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↑“佐世保バーガー”の店では、こういう具合のキャラクター入り看板を設えている場所も在るようだ…“認定”の店が用意するモノなのかもしれない…

“佐世保バーガー”とは何か?特定のハンバーガーを示すのではなく、佐世保市内の店で提供される「手作りで」「注文に応じて作り始める(作り置きをしない)」こだわりのハンバーガーの総称である。だから、店毎の色々なモノが在る…

佐世保は海軍基地の街で、大戦中は空襲を受けて被害も甚大であったが、占領期以降は米海軍の拠点が設けられていた。1950年頃から、“朝鮮特需”で経済が復興する中で、加えて米軍関係者を顧客にする店が起こる等、外食業も盛んになって行く…そんな中で米軍関係者から伝わったらしいハンバーガーというものが佐世保に登場したという。

この「佐世保のハンバーガー」というのは長く受け継がれていたが、1999年頃に旧軍港都市の交流というような場面で、佐世保のハンバーガー店が出店し、「そう言えば佐世保のハンバーガー…懐かしい…」と佐世保勤務経験を有する自衛隊関係者等の間で話題になったということが在ったらしい…

そうした経過を踏まえ、2001年頃からは佐世保市で「名物」的に宣伝するようになり、2007年には“認定制度”というものも設けられているという…

「手作りで」「注文に応じて作り始める(作り置きをしない)」ということなのだから…店舗で出来立てが頂きたかった…そんな細やかな願いが叶い、結局2つ頂いてしまった…

↓こういう“新作”と…
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↓こういう“伝統的”な感じのモノである…
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こちらのお店では、極端に大きいとか小さいということもなく、普通な「食べ易い」感じの、佳い材料で作った「らしい」ハンバーガーを愉しむことが出来た。

正直…その気になればあと数個は頂けたが…夜にハンバーガーのようなカロリーの高いモノを摂り過ぎるのは好くないかもしれない…

近年は、一口にハンバーガーと言っても色々なモノが在る。この佐世保で頂いたモノに「近いかな?」と思わせるモノも全く無い訳ではないと思う。しかし、佐世保在勤経験者が「懐かしいな…」と思い出すような存在感が在ること、そして「他所に先駆けて登場した可能性が高い」ということ等が“佐世保バーガー”の個性なのだと思う…

佐世保に関しては、平戸を訪ねようとした際の経由地として「夜到着、朝出発」ということをしてしまって、訪問から約1ヶ月を経て尚「後ろ髪を引かれる思い」が強く残っている…“佐世保バーガー”を再び頂くべく、そして“積み残し”という感が強い佐世保の様子に親しむべく、また訪ねてみたいと思う…
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長崎:眼鏡橋(2013.12.15)

「長崎の代表的名所」と言えば、色々なモノが挙がり、また意見も分かれることであろうが、“眼鏡橋”はその「代表的な名所」の一つに数えることについて、大きな異論は出ないと思う。

↓2012年に初めて訪ねた長崎でも、眼鏡橋を視に行っていた…
>>長崎・眼鏡橋(2012.12.19-20)

12月15日…多少の曲折を経ながら辿り着いてから一夜明けた長崎で、路面電車の一日券を手に好天らしい朝の戸外に出て、とりあえず宿の近くのコンビニで求めた珈琲を啜りながら考えたのは…「先ず、眼鏡橋を視に…」ということだった…

大波止停留所から電車に乗り、築町停留所で乗換えて賑橋停留所へ向かう。長崎で一日を過ごして泊まり、翌朝に何処かへ向けて出発というような、急いだり慌てたりという必要が全くない状況だ…ゆったりと眼鏡橋を視に行った…

朝の早めな時間帯ではあったが…入替り立代りに、続々と旅行者のグループが現れた。或いは「有名」の証左でもある…

↓グループの人達が途切れた合間を視ながら写真を撮っていた…
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↑川面の近くに下りて視る…水面に橋の姿が映るのだが、正しく命名由来になっている“眼鏡”のような型になる…

1634年に初めて登場したという眼鏡橋である。琉球で視られた例を除くと、恐らく国内で初めての石造アーチ型橋ということになるらしい…

↓河岸から眼鏡橋の様子を望む…
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↑河岸が遊歩道或いは緑地風に整備されていて、なかなかに画になる…

少しずつ光が強くなる中で眼鏡橋を眺めていた…何回訪ねても、その都度毎に「画になる様」を見せてくれる…
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柳川(福岡県):濠の在る風景(2013.12.19)

12月の旅は「風雨が強く、歩き回り悪い」という場面も多かった…

12月19日は朝から太宰府を訪ねたが、存外な風雨の強さであった…それでも…何となく柳川を目指した…そして柳川に至る手前辺りから、乗っていた西鉄電車の車窓は明るい感じになり、柳川駅前に出てみれば「晴れた!!」という感じになっていた…

「歩き回ってみようか…」と辿り着いた場所で、丁度天候が好転しているという事態は、大変に嬉しいものだった…

柳川では、古くからの街並みの一隅を占めているという「北原白秋生家」という場所を目指してみようと考え、駅辺りの観光案内所で地図を入手した。目指そうとした「北原白秋生家」は「50分?結構掛かりますよ…」ということだったが、2時間や3時間歩き回るには悪くない好天だったので、地図を頼りに歩き回った…

柳川は古くからの城下町で、鉄道が通ったのは時代が下ってからということであるため、古くからの街並みは駅からやや離れている。柳川に限らず、古くからの街ではよく見受けられる状況だが…

↓少し歩くと濠が見えた…
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↑所謂“川下り”―濠を行き交う遊覧ボート―の様子が見えた…「時代劇の小舟」そのものだ!船頭さんが竿で小舟を操っている…

城の防御施設であったモノ、城下町での輸送のための水路というようなモノが、近代以降も長くその姿を残している…“水郷”とも呼ばれる柳川に特徴的な濠というモノだ…

少し背が高いような、大き目な施設は濠から少々離れた場所に見受けられ、濠の周辺は多少新旧が入り混じっている住宅風な小ぶりな建物が並んでいる。そして、濠の周辺には様々な植栽も見受けられ、なかなかに美しい…

濠から多少離れた辺りの、幅が広い道路をぐんぐんと進む方が、目的の地点にとにかくも至ろうということなら便利と見受けられるが、景色が美しいことから、多少遠回りかもしれないとは思いながらも、敢えて濠の傍を歩くようにしていた。

↓濠の縁の樹に花が!!
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↑複雑に広がる濠には随所に小さな橋が架かっているのが、少し向こうを視ると判る…

何か「古くからの住宅街」風な、濠の縁に建物が見受けられる所も多いのだが、「公園の中の小川」という趣になっている箇所も見受けられた。

↓公園風な場所は、正しく「心地好い水辺」の趣だ…
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↑水辺に棲む鷺も翼を休めていて、“川下り”に使われている小舟が繋がれていた…

↓古くからの小さな橋、植栽が入り混じり、何とも名状し難い独特な風情を醸し出している箇所も見受けられた…
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↑非常に背が低い橋だ…

この非常に背が低い橋の辺りの雰囲気が面白く、暫く眺めていたが…“川下り”の小舟が、背の低い橋の向こうに現れた…

「小舟はどうする?」と思って視ていると…船頭さんは姿勢を低く、舟の上にしゃがみ込むようにして、小舟の先を橋の下に押し入れた…橋の下で、しゃがんでいる船頭さんは橋の裏面に掌を当てるようにして小舟の方向を整え、更に橋の裏面を掌で押すようにして、小舟を橋の下から出した。船頭さんはすうっと小舟の上に立ち、また竿を手に舟を操り始める…なかなかに素早い技だった…驚いてぼんやりとしてしまった…

この柳川の濠の在る風景…「風雨が強い場面が多かった中での好天」ということで殊更に記憶に残るのだが…余所には「在りそうで無い」という趣が忘れ難い…
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2014年01月20日

知覧(鹿児島県):<ミュージアム知覧>と武家屋敷(2013.12.17)

↓鹿児島で「知覧を訪ねる」と言えば、ここは外せないと思うが…
>>知覧特攻平和会館

知覧は戦時のことを伝える他にも、「近世の薩摩」というような雰囲気をよく伝える地区が残る町である。

知覧は、中世には大きな城を擁していた要衝であったが、所謂“藩政”の近世には“麓”(ふもと)と呼び習わされた独特な集落が形成されていた。江戸時代、“一国一城”と言われるが、大名の領内で城や陣屋は「原則一箇所」ということになった…島津家の領国では戦国時代末期の拡張路線の経過が在って、武士身分の人達が余所よりも多く、地方の城を完全に廃止して領主の居館・政庁となった鹿児島城の城下に全てを吸収することが出来ない状況だった。そこで各地に“麓”と呼ばれることになる武士達の集落を築いた。

“麓”は城に準じるような型で、一帯の区画整備を行い、当該地域に住む武士達の住宅を建てているもので、鹿児島県内の各地にそうしたものが残っている。それらは“武家屋敷”と呼び習わされることになる。

↓こうした「知覧が辿った経過」については、この<ミュージアム知覧>に詳しい…
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↑この<ミュージアム知覧>で町の経過を勉強出来たお蔭で、風雨の中で多少苦心しながら、また酷く濡れながらの“武家屋敷”散策であったにも拘らず、それなりに楽しむことが出来た。

<ミュージアム知覧>は<知覧特攻平和会館>の隣である…料金的にかなりお得な“共通入場券”というモノも在る…

<知覧特攻平和会館>は「雨の平日」という条件ながら、それなりに来訪者が在ったのに対し、<ミュージアム知覧>は「貸切か?!」という具合であった…

折角“共通入場券”も在るのだが…私が視掛けた様子では…<知覧特攻平和会館>の入口で「そこには何が在りますか?」という来場者の問いに対し、「昔の農具等が在って」と答えていた。確かに昔の農具は在って、それはそれで目立っていたが、<ミュージアム知覧>では「“武家屋敷”として知られる街並みが造られる歩みのあらましなどを紹介する展示」が記憶に残る。そちらを前面に出すべきではなかろうか?ジオラマやビデオを駆使して、知覧の歩みが判り易く紹介されていたし、武士達が住んでいただけに刀剣や甲冑というような「らしい」モノも少し在った…“武家屋敷”は知覧の「素晴らしい見どころ」な訳で、<ミュージアム知覧>についても、それに絡めて紹介すべきだと思う。

<ミュージアム知覧>で少々予習し、“麓”と呼び習わされた地区へ、雨の中をゆっくり歩いて進んだ…

↓“麓”であった武家屋敷の地区は、街路に少し特徴が在る…
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↑「端から端」が「真っ直ぐ見通せない」ような型にデザインされているのだ…遠くに雨に煙る山が見えるのだが、路の先は行き止まりになっている…

「端から端」が「真っ直ぐ見通せない」ような型の路というのは、「防衛施設の一部でもある」という考え方で拓かれた城下町で見受けられるものであるが、この“麓”もそういう発想で築かれていることが判る。

こうした路の脇に武士達が住んでいた住宅が並ぶ。住宅は石垣や塀に囲われたように各戸毎に並ぶのだが、入口を入ってから「真っ直ぐに建物に入れない」ようになっている。石垣や塀の間の門を入ると、眼前に更に塀等が配されていて、「コ」の字や「己」の字のように動かなければ、建物の入口や庭の辺りに出られない…こういう構造…“城門”に見受けられるものである。攻め方の人数が一気に城内へ踏み込むことを避け、可能であれば門の周辺で攻め方の進行を妨げる攻撃を加えようという発想で築かれたモノだ…敵が町に押し寄せるような状況を想定し、各自が家に篭って抵抗することを想って築いたのであろう…

区画の整理の仕方、各住宅の建て方は全く「城下町をもその一部と考えている大きな城」のようであり、または「○○城のXX丸の中」という按配だ…“麓”とは、遺構を訪れる我々の眼には「城に準じたモノ」というように見えるが、これを築いた人達や、ここに住んでいた人達にとっては「城そのもの」であったことが伺える…

↓住宅であった場所の一部には見事な庭が伝えられ、それらを見学することが出来る…
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↑決して仰々しいお屋敷というのでもない、普通な住宅というように見える建物ながら、庭はなかなかに趣向を凝らしていた。

植え込みの型を何かに見立ててみる、例えば上記の写真では「鶴と亀」という“隠しテーマ”も在るようだ…こうした庭は“和風”な感じもするが、何か他地域の庭園に見られる雰囲気とは若干異なる“当地風”が感じられる。こうした庭園に見られるようなデザインにした樹だが、知覧では街路樹のデザインに採り入れている例も視掛けた…

↓空き地になっていた場所には四阿が設けられて休憩も出来た。雨だったので利用したが…
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↑周辺に紅く小さな紅葉が散っていた…雨に湿って、独特な趣である…更に「12月に視る濡れた落葉」というようなものは、12月半ば以降は積雪が半ば当然な地域から訪ねている眼には、少しエキゾチックなモノに映る…

なかなかに風雨が強く、やや苦心しながら一帯を視て回った…

↓雨が強く、足元が水浸しのような箇所も多かったが、各所で視た庭は何れも味わいが在った…
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↑敷地の外の、何か「南九州の山林」という趣が強い木々が“背景画”として組み入れられたような、この日の最後に視た庭園が記憶に残る…池には鯉が居て、写真には入っていない手前には、実を付けた“桜島小みかん”の樹も在った…「実っている柑橘類の樹」というのも、「遠く九州の地を訪ねている…」という感慨を呼び覚ましてくれる代物だ…

一口に「武家屋敷」とは言っても、それを伝えている地域毎に色々な特徴が在るものだ…知覧の、住んでいた人達にとっては「城そのもの」であったことを覗わせる「防衛機能を重視した計画に基づく町」であったモノ―「何世代かに亘って築いた?」という想像をさせてくれる程のモノ―も視たが、もっと「住機能」を重視したように見える島原のモノも面白かった。こうしたモノにはもっと触れてみたいと想う…

正直、「折角来たから…」と歩き回ったのだが、この武家屋敷の独特な趣の記憶と同じ程度に「ここは雨風で大変だった…」という記憶が強く残る…次の機会が在るか否かは判らないが、今度は好天の日に訪ねて、この独特な趣を満喫したいものだ…
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2014年01月19日

鹿児島:<こむらさき>のラーメン(2013.12.17)

日頃は「腹空いた…」を連呼しているような傾向も在るのだが、旅に出ると、食事を摂るという営みがいい加減になってしまう。「気が向くままに動く」というような、休暇の時にはそうした傾向が際立つ…“朝食なし”ということで安価な宿に泊まってみたり、起き出して間もなくに戸外へ出て昼頃まで動き回っているとか、早朝5時頃の始発列車で動き始めてみたりというようなことを連発してしまう…食事は「いよいよ空腹になった時」ということになる…

鹿児島では、早朝から桜島を眺めに出てみたのだったが…雨が強く、全然視られなかった…それを残念に思ったが…それはそれとして、知覧を訪ねてみることにした。バスでの往復…復路は途中から路面電車ということにした。

鹿児島中央駅に戻ると、普通の昼食時間帯は終わっているような感じだった…鹿児島中央駅の駅ビルの地階に入り、食品スーパーを視付けた。知覧で樹に実が成っているのを視て興味を覚えた“桜島小みかん”を探してみると、手頃なモノが在った。

“桜島小みかん”を抱えて宿に引揚げようとしたが…酷く空腹だった…朝、「桜島が見えなかった…」と鹿児島中央駅辺りに戻って、知覧へ向かうバスが出る前にコンビニに入り、“枕崎鰹”なる握り飯を眼に留め、それを頂いたというだけで、他は水、茶、珈琲を頂いただけだった…そして風雨の中、距離にすると存外なものになりそうな程度に歩き回った…空腹を覚えない筈がない状態だ…

鹿児島中央駅の駅ビルの地階は、食品系の店、フードコート、各種飲食店が入居している…何気なく辺りを視て、フードコートの一画を視た。最初に眼に飛び込んだのは“長崎ちゃんぽん”の文字…申し訳ないが、前日に長崎・島原・熊本・八代を経て鹿児島にやって来ていて、長崎で“ちゃんぽん”は頂いた…「もう一捻り…」と思って辺りを伺うと…

↓こういうモノを!!
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↑鹿児島の老舗ラーメン店の支店だ!!

札幌ラーメンのような縮れた麺ではなく、細いうどんのようなスッキリした麺で、豚骨を基調にしたと思われるスープがなかなかに好い…この辺、南九州の味に縁深い福岡在住の友人は「“札幌ラーメン”の“味噌ラーメン”に何処と無く通じる」との感を抱いていると言うが、私も同感である…

鹿児島は「佳い肉が多く出回っている」ような感だが、具材としてチャーシューを刻んだモノが乗っている…この刻んだチャーシュー!!皿に山盛りにして、パクパクと頂きたくなるような感で、凄く美味い。そして、この店ではキャベツを入れているのだが、これがラーメンに凄く合う。

この店は、天文館地区で昭和20年代に起こった店で、永く営業を続けて親しまれている老舗である。その天文館地区の店の方も、2013年3月に寄った記憶が在る…駅ビルが出来た時、恐らく「鹿児島らしい味を供する店を是非!!」ということで、駅ビルを運営する会社との間で相談が在って出店したのだと推測するが…ここで出くわすことが出来て善かった!!

鹿児島中央駅の駅ビルだが、この老舗のラーメン店の他にも、名物のカキ氷“白くま”を供する店等も出店している。存外に好い場所だ…

実は私は“ラーメン党”という訳でもない。寧ろ“○○丼”というようなモノを好む部類だ…が、それでも時には「美味いラーメン」は好い。この時は、風雨の中を歩き回って「多少冷えた…」感じだったことも在り、熱いスープが心地好かったことを思い出す…
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<かごっまふるさと屋台村>(鹿児島):呑兵衛焼き(2013.12.17)

「鹿児島の日が落ちた…今日は日が上ったのが判らないような雨模様だった…鹿児島まで来て、雨で桜島が見えなかった…私は残念だが、これは珍しいぞ!雨の中で知覧まで出掛けて歩き廻った…なかなかに感動するモノも在ったが、酷く濡れてしまった…とりあえず着替えて夜の部の始まり…鹿児島の夜と言えば“屋台村”だ…」という具合に、勝手に少し気分を盛り上げて、雨がなかなか上がらない感じの中で“屋台村”に出掛けた…

鹿児島の屋台村は26店集まっているという…訪ねたことが無い場所を“開拓”というのも愉しいが…想い出に残る場所に「また来てしまった…」と立ち寄り、想い出に残る味や「最近登場しました…」というようなメニューを頂いてみるというのも好い…

前日に屋台村に寄った時…「ここでは初めて“鶏刺”というモノを頂いたのだった…」と思い出し、宿へ引揚げる前に慌しく“鶏刺”を頂いた…そして「明日ここに来て、席が空いていたらゆっくり寄ろう…」と「初めての“鶏刺”」という想い出が在る店を後にした…

雨の中でふらりと現れてみると、件の店に空席が在った…

↓そこで頂いてみたのがこれである…
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↑名付けて“呑兵衛焼き”というメニューである…

これは鶏刺と、“酒盗”と呼ばれる「鰹塩辛」を合わせて炙るという代物である。鶏刺に塩味が着く…そして“酒盗”の独特な味わい…なかなかに魅力的な組合せだった!!

名付けて“呑兵衛焼き”というメニューであるが…実際、非常に酒が進む…ここで“酒”と言えば…本格焼酎(芋)のお湯割り…或いは水割りにして、暫らく置いたモノを温める“燗付け”である…

“酒盗”は国内の何処に居ても手軽に取り寄せられそうだが…鶏刺はそういうことにはなり悪いであろう…故に、“呑兵衛焼き”を頂くとすれば…またここを訪ねなければならないであろう…

「この雨にやられているが、鹿児島の夜は始まったばかりだ…明日の朝の空の色は何色だ?明日は色が判るようになる前に、直ぐそこの中央駅から出発だ…」と少し呑み、小雨の中でコンビニの珈琲を求めて宿に引揚げ、深く眠った…
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2014年01月18日

博多駅:JR九州のポスター(2013.12.14)

12月13日夜の新千歳・関西便欠航を受けた“仕切り直し”で、12月14日に福岡へ飛んだ…「博多駅に着いてから、込み合うエスカレーターに乗ったり、広い構内を歩き回る方が余程時間を要する…」と驚いてしまう程呆気なく、福岡空港から博多駅に着いた…

博多駅から長崎駅に向かうことにした…<九州ネットきっぷ>であれば、<2枚きっぷ>とか<4枚きっぷ>と呼ばれている往復券、回数券の「1枚分」と大差が無い料金で特急列車を利用可能なのだ。「博多の“指定休憩所”」と呼んでいるネットカフェから<九州ネットきっぷ>を手配した。

そんなことをやって博多駅へ向かった…乗車する予定の列車まで、多少の間は在ったが、九州の大きな駅では、個性的なデザインを前面に押し出したような個性的な車輌や、最近では少数派になっているように見える、独特な塗装を施した国鉄時代以来の車輌が行き交う様を視られるので、少し位の間は寧ろ好ましい位だ…

↓駅のホームでこんなモノを視掛けた…
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↑博多・佐世保間で活躍する783系、博多・長崎間で活躍する885系と、特急用車輌の大きなイラストだ…

これは<2枚きっぷ>とか<4枚きっぷ>と呼ばれている、往復券、回数券の告知をするポスターだ…「鉄道駅に鉄道会社が掲示するモノ」としては有り触れた…否、当然なモノかもしれないが、何となく眼に留まった…

何かこうやって使用車輌を前面に押し出した列車利用を呼び掛ける広告に触れると、“普通な主要都市間の特急列車”というモノが「乗ること自体に大きな意味ある体験」という次元の“豪華客船”か何かのような扱いをされているように思えた…こういう辺りに、関係者の皆さんの列車運行への矜持や愛着のようなものを感じる…

ここでは博多・佐世保間、博多・長崎間の列車のポスターだったが、各地でこの系譜ということになる色々なポスターを視掛けた…写真に撮ったのは、ここだけだったのだが…

結局、このポスターにある「博多→長崎」の885系に乗車した…あのレザー張のシートで、西へ向かう夕陽を追う様に進み、暗くなった長崎駅の行き止まりホームに到着したのは…愉しい体験であった…
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2014年01月17日

平戸大橋(2013.12.20)

平戸が“島”で、九州側と橋で結ばれているということは、種々の資料を視て承知していた。とは言っても、漫然と「地図上の線」として承知していることと、大きな橋梁の実物を視ることとの間には隔たりが在るように思う。「地図上の線」としての橋は、何処にでも在りそうな「通過した時に橋であることが意識し悪いモノ」も「海上の大きな橋梁」も「同じような線」にしかならないからだ…

佐世保から松浦鉄道のディーゼルカーに揺られながら進んだ。車内に貼り出された停車駅案内を時々見ながら、目指すたびら平戸口駅が近付いて来たことに気付く。海が見え隠れする車窓になり、大きな橋を支える背が高い柱が見えた。赤く巨大なモノだった…

海岸部が平坦で、陸側が丘陵状に盛り上がっているような地形はよく在ると思うのだが、たびら平戸口駅はその丘陵状に少し高くなった辺りに在る駅だった。鉄路も、その少し小高くなった辺りに敷かれている感じだ。駅前でキョロキョロと様子を窺ったが、車窓に視た巨大な橋の一部は見えない…

「駅前にバスが現れるでもなく…」と辺りを歩き始めた際、とりあえず平戸大橋の姿が視たかった…海岸部の道路に出て、列車で来た辺りを遡るかのように歩いた。然程広くも無い道路だが、とりあえず車輛の往来が途切れ悪い感じであった…

↓やがて橋の姿が見えた!!鮮やかな朱色に塗られた吊り橋である…
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↑「船で渡る」以外に訪ね悪かった平戸を“陸続き”にする大きな橋だ…

この田平と平戸の間の海は「平戸瀬戸」と呼ばれるそうだが、「平戸瀬戸」を横断する橋の総延長は665mで、橋が結んでいる「平戸瀬戸」の上に相当する部分(中央径間)は465.4m在るという。橋桁の下の高さは30mに及ぶという…9階、10階のビルの屋上のような高さで、465.4mも海を横切っている訳だ…

この橋は1966年に長崎県が計画し、1969年に計画が国から建設計画が認可され、1973年に着工し、1977年に開通・供用となったそうだ。既に、開通以来35年以上になる訳だ…

平戸大橋を含む区間は、開通時(1977年)から2010年に「無料開放」となるまでは有料道路だったそうだ…

もう少し元気だったら―この平戸大橋の姿を視ていた時に田平天主堂を示す看板を視て向かい始め、往復7km程度を歩いて、或る程度エネルギーを使ってしまっていた…―橋に備えられた歩道を歩いてみるということもしたかもしれないが…結局、“平戸口桟橋”から“平戸桟橋”までのバスに乗って橋を往復した…橋に差し掛かった辺りで海が見え、大きな柱を始めとする橋の構造物が見え、見る見る間に平戸側の陸地が近付き、何時の間にか平戸の街中に至ってしまった…

↓平戸の“平戸桟橋”から少し歩いた辺りからも、平戸大橋は見える…
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↑海と陸との境目に巨大な柱が立てられ、車輛や歩行者が行き交う部分が吊られるという、構造の巨大さが、こちら側から見た場合の方がより強く感じられたような気がした…

こうした巨大な橋梁というようなものは、何処で何度視ても、各々に見応えが在る…平戸大橋…再会することが在れば、今度は朱色が映える青空の下であることを希望する…
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田平天主堂(カトリック田平教会)(2013.12.20)

長崎県内では、現在の長崎市の一部ということになる地域や、九十九島や五島のような多くの島嶼が見受けられる地域等で、永い禁教の時代を挟んでいても、キリスト教の信仰が受け継がれて来た。明治期に入り、信教が自由となったと思われたものの、激しい弾圧が行われたという経過も在ったが、それでも信仰は受け継がれ、やがて広がった。

明治期以降、長崎県各地でキリスト教の信仰を受け継ぐ人達等が、祈りの場となる教会の建築を目指した。人々の想いが結実した、“天主堂”と呼び習わされることになる教会は各地に登場した。その一つが田平に在る…田平天主堂だ…

こうした「西海の天主堂」というような各地の教会建築について、太宰府の九州国立博物館で上映されていた「文化財紹介の映像プログラム」で視て感心していた翌日に田平に至り、そこで「田平天主堂→」という看板を偶々視掛けた…

こういう「タイムリーな発見」は行動に直結する…「昨日の映像で視た田平天主堂?行くぞ!!」と後先を考えずに歩き始めた…

“平戸の瀬戸”を渡る風がやや冷たく、「ひんやり感」が若干強いように思え、多少雲も多かったが、雨は降っていなかった。降雨にやや悩まされていた旅の中、「雨が降らなければ、歩くのは苦でもない…」と元気よく進み始めた。

当初…何やら丘陵状の地形になっている辺りを少しばかり上がって、少し進むとか、「一寸先の枝道を一本入って…」というような場所に田平天主堂が在るものだと勝手に思っていたが…「多分、数百メートル…もう10分近く矢印の方向に歩いたが?」と思い、何処かで案内看板を見落として見当違いの方向に進んでいるのかという不安も覚えたが…また「田平天主堂→」の看板が現れた…“2.1km”と距離が記されている…最初は“km”と在ったかもしれないが、“m”と視たか、或いは「タイムリーに興味深いモノへの道筋…これは好い!!」と気持ちが逸って距離表示を見落としてしまっていたようだ…

「要は…往復で1時間とか1時間半歩く…許容範囲か?例えば天候の好かった12月15日は長崎に居て、歩いた時間は相当なものだった筈で…大丈夫であろう…平戸だの田平だのと、“次の機会”は望めないかもしれない…行くぞ!!!」と考えて前進した…

進んだのは。丘陵の地形に沿うような、カーブを描いた緩やかな上り坂だった…周辺は、何かの畑や林が見受けられる…日が落ちてしまったら真っ暗になりそうな状態だ…バス停が在ったので、発着時刻を見てみたが…何やら1日に指折り数える程度の運行で、当分バスは動かない感であった…

何か、本当にこの道で好いものかと心細さを覚えた…そうしていると、風に流れる雲が割れ目を作り出し、割れ目から光が射し込む様が上空に見えた…「“御導き”というようなことか?」と思った…そのまま進めば、地元の農業高校らしいが、大きな建物やグランドという「学校らしい」モノが眼に留まり、何やらグランドでサッカーをやっている少年達が居た…正直、そこに至るまで2台か3台の車が通るのを視掛けた程度だったので、何か妙に安堵感のようなものを覚えた…そして!!「田平天主堂→」の看板が現れた…“900m”…近い!!

丘陵の地形に沿うような、カーブを描いた緩やかな上り坂という道を歩む歩調が少し早まった…もう少しで田平天主堂が…

↓思っていると、田平天主堂は堂々たる姿を現した…
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↑丹念に煉瓦が積み上げられた天主堂…「凄い…」と感嘆の声が漏れた…

田平の瀬戸山…明治期に入って、各地からこの地に移り住んだ人達が開墾を行っている…その各地から移り住んだ人達の中に、長崎県内各地のキリスト教を信仰する人達が在った。この信徒達の祈りの場となる教会が建築されることとなり、各地の教会建築で活躍した鉄川与助が、この田平での仕事を行うことになる…

鉄川与助とは、長崎県内で活動したド・ロ神父から教会建築のこと等を学んだという棟梁だ。現在も五島の各地に残る“天主堂”、そして田平天主堂や方々の教会建築を手掛けた人物だ。自身がキリスト教の熱心な信者ということではなかったそうだが、人々の熱い想いを受け止めるような立派な建築を多く遺している…

田平天主堂は1916年に着工し、1918年に完成した。地元の信徒達を指導した中田藤吉神父が中心となり、多くの人達の勤労奉仕も在ったという。田平天主堂は煉瓦造だが、煉瓦を接ぐ材料として石灰と赤土を混ぜた“アマカワ”を用いている。その“アマカワ”に使う石灰は、中田神父や信徒達が貝殻を集め―自分達で消費したモノを集めた他、近隣の街で回収したという…―てそれを焼いて造ったのだという。

↓鉄川与助が手掛けた煉瓦造の建物としては後期の作になるというが、“傑作”と言われているそうだ…なるほど、見蕩れてしまう建物だ…
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↑多くの人達が想いを込めて用意した“アマカワ”で、丹念に積まれた煉瓦を接いでいるのだが、瓦に十字架を入れるなど、細部も凝っている…

↓上空の風が強めであったのか、雲が流れて極短い間だが青空も覗いた…
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↑祭壇に相当する部分の裏側である…見事に「欧州諸国で見受けられる様式」が容れられている…

↓正面の鐘楼…
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↑非常に重厚だ…

管理事務所的な感じの休憩所が在り、流石に身体が冷えたので多少温まらせて頂いた…居合わせた係のおじさんと言葉を交わしたが、冬季にたびら平戸口駅から歩いてやって来るというのは珍しいらしい…私にしてみれば、汗をかき難い冬だから歩けたのであって、暑い夏季なら途中でダウンしてしまったことであろう…また近年は、観光バスが立寄る場面も増えているそうだ…

この田平天主堂は、公式には「カトリック田平教会」と言い、現在も信徒達の祈りの場として普通に機能している…丁度、そうした関係の催事と縁が薄い時間帯と曜日に折りよく御邪魔した型である…

一頻り見学した後、また平戸大橋が見えるような、バスの運行も多そうな辺りを目指して歩き始めた…

↓振り返ると、雲の切れ間から天主堂に光が降り注いでいる…
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この日は、何か「極々小さな巡礼の旅」でもしたかのような、不思議な気分だった…或いは微妙な昂揚感のようなものを感じた…更に言えば…「北の、地の果て」から「西海の地」に辿り着き、天主堂へ至る道を歩いた経験は、今般の旅の“ハイライト”だったかもしれない…

静かな丘陵に堂々と佇んでいた、巨大とまでは言い難いものの、十分に大きく、多くの人達が思いを込めて煉瓦を積み上げて接いだ天主堂に、薄暗い冬の空から光が差し込んだ様…これが忘れられない…
posted by Charlie at 18:58| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<かごっまふるさと屋台村>(鹿児島):豚丼(2013.12.16)

鹿児島中央駅の近く…聞けば、嘗てはホテルのビルが在ったという遊休地になってしまっていた一画なのだそうだが…そこに<かごっまふるさと屋台村>が在る…2012年4月に始まったそうだが、2012年12月に初めて立ち寄り、2013年3月にも立寄った…そして2013年12月にも寄った…

↓私をあそこに引き付ける要因の一つがこれだ…
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↑この「鹿児島の豚丼!!!」―私は勝手にそう呼んでいる…―がとにかく好い!!

誰かが“番台”と言っていたが…人が一人入れるスペースが在って、その前に鉄板を据え、鉄板の周りに小さなカウンターが設えられた店だ…所謂“屋台村”の小さなお店なのだが、「豚丼をお願いします!!」と頼むと、眼前の鉄板で玉葱を刻んだモノと一緒に豚肉―鹿児島県は豚肉の生産では、他県を圧倒する「シェア1割以上」の“日本一”なのだ!!―の塊が出て来て、店主氏がヘラで肉を切りながら玉葱と一緒に焼き上げてくれる…そして甘味が加わった、独特な美味さが在る「鹿児島の醤油」をベースに造ったタレが塗され、奥から出て来た丼の御飯に盛り付けられる…「お待たせ!!」等とこれが供される瞬間は、正しく“至福の一瞬”なのである!!

<かごっまふるさと屋台村>は「鹿児島県の美味いモノ」への拘りを大切にしているというが…“畜産王国”の彼の地では肉料理が好い…ということでフラフラと寄ったのが最初であった店で、この「鹿児島の豚丼!!!」に出くわした訳だ…鹿児島に関しては「3000kmの距離も、この味に再会出来るのであれば…」と思っていると言っても過言ではないかもしれない…

「鹿児島の豚肉」と言えば…幕末期、後に15代将軍となる京都に在った一橋慶喜が偶々口にした薩摩の豚肉を酷く気に入り、非常に強く欲しがるので、薩摩島津家の京屋敷で活動していた小松帯刀が国元から苦心して豚肉を取り寄せていたという話しが在るらしい…この話しのために、一橋慶喜は「豚を召し上がる一橋様」ということで、密かに“豚一”と渾名されたそうだが…

「鹿児島の豚丼!!!」を強く推奨する私自身も…言わば“豚一”なのか?焼いた豚肉にタレを付けて、米飯と合わせる豚丼は北海道でもポピュラーだが…鹿児島の屋台村のモノは、また格別だ!!頂いてから丁度1ヶ月経ってしまったが、その間に何度思い出したことか!!
posted by Charlie at 06:56| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平戸(長崎県):アゴめし(2013.12.20)

平戸大橋を渡って平戸に上陸することを意図した日…たびら平戸口駅前で「バス…ここには余り来ないようだ…とりあえず…」と歩き始め、平戸大橋を遠望してみようとして進み、前日の九州国立博物館で観た紹介映像の故に関心を抱いていた田平天主堂への「→」を発見し、そこへ向かってしまった…結果的に往復で7km程度を歩き回る羽目になって、「とんでもない回り道」の末に平戸上陸を果たした…

何とか乗込んだバスで“平戸桟橋”という辺りに着いて、とりあえず「漸く着いた…」とぼんやりしてしまったが…観光案内所が眼に留まった…訪ねてみたかった“オランダ商館”への道順が判る地図を頂いたのだったが…既にピークと見られる時間帯を過ぎたランチタイムであったことから、直ぐ近くで食事が摂れる場所に関して、案内書のお兄さんに尋ねてみた…「何を召し上がりますかね?海のモノ…刺身なんかは?」ということになり、文字どおり眼前に見えていた場所を教えて頂いた…

平戸周辺は、地形の関係で複雑な潮流の海域で、色々な海の幸に恵まれているようだ。観光案内所で教えて頂いた店は、リーズナブルな価格帯で刺身や魚料理が頂ける場所だった…

そこで少し気になるメニューを視付けた…

↓刺身の盛り合わせに合わせて頼んでみた“気になるメニュー”だが…見掛けは特段に奇異ではない…
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↑このメニュー…「アゴめし」という…

「アゴめし」??“めし”は米飯のこととして、“アゴ”が判らない…実際、私の少し後にやって来た旅行中と見受けられる人達も「“アゴめし”??」と疑問の声を上げていた…

“アゴ”というのは“トビウオ”のことである。あの大きな胸鰭を広げて、海面近くを滑空するトビウオである…トビウオは、九州や日本海側の一部では“アゴ”の別名で呼ばれるのだそうだ…長崎県内等、九州の北西部辺りでは出汁の材料として“アゴ”が好まれているようだ。夏季が旬で、焼いたり揚げたり、または刺身で頂くらしい…

「アゴめし」は、この“アゴ”の出汁と身を入れた炊込みご飯だった…身の感じはサンマやイワシを想起させるような感じだった…

期せずして、非常に「当地らしい」感じのモノを頂いたのは忘れ難い…
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2014年01月16日

佐賀:焼鳥(2013.12.21)

佐賀で「思い出の味」ということになる“親子丼”に出逢えるということで張り切ったが、肝心の店がやや込み合っていて、更に「もう直ぐ“帰国”なので軽く呑みたい…」等と思い、気になった焼鳥の店に入った。

小さな店だったが、忘年会と見受けられる人達のグループが奥の小上がりに何組も居た様子だった。一寸した人気店と見受けられた…“職人”というような風格が漂っていた店主氏が、若いスタッフ達に「X卓…○○に手が着いて数が減り始めたら次の△△を出す…その次は□□にする…」等と、自慢の料理を順次気持ち好く愉しめるような配慮が行き届いている感だった…なかなかに素敵だ!!

↓カウンター席に陣取って、何気なく眼に留まった…
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↑日本酒の箱だ…

“九州”と聞けば焼酎を想起するが、日本酒も各地で醸造されている。佐賀は“酒”と言えば寧ろ日本酒なのかもしれない…県内各地に日本酒の酒造蔵が多く在って、それらを巡っているファンも多いらしい…

↓“冬”は熱燗である…
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↑何となく「熱燗が合う!!」と思えた酒だった…

銘柄は<鍋島>というそうだ…佐賀は、鍋島家中による領国統治の中心となった政庁と領主の館を兼ねたモノということになる佐賀城の城下町だったのだ…こういう「如何にも“御当地”」な感じの酒が好い…

適当に幾つかの肴を頼んだが、何れもなかなかに好かった…出て来た端からどんどん平らげてしまった…

↓“なんこつ”は「名物」を謳う人気メニューだ…
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↑黒酢が掛かっている…程好い酸味と甘味とが、カリカリに焼き上がった“なんこつ”に合っていた…きっと、色々な工夫を重ねて行き着いたメニューなのだと思った。

↓やや驚いたのはこれだった…
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↑焼鳥としては定番な感じの“鶏皮”なのだが、「“鶏皮”とはこんなに美味いものか!?」と思い、思わず「もう一つ!!」と追加してしまった…

十分な厚みが在って、厚み部分が良質な脂質なのであろう…丁寧に串に巻いた表面がカリカリに香ばしく、噛んだ時に口に入る皮の裏が柔らかく、トロトロなのだ…秀逸だった…

恐らく、良質の肉がリーズナブルな価格で出回っているような地域故に、こうした「こんなに美味いものか!?」にも出逢えるのであろう…

また何時か、<鍋島>の杯を傾けながら、「こんなに美味いものか!?」と驚かされる場合さえ在る焼鳥を摘んでみたいものだ…

2012年に佐賀を歩き回って愉しかったので、実は2013年にも未だ寄っていなかった場所を訪れてみたいと考えていたが…結局、雨が強くなってきた福岡から追われるように出て、佐賀に夕方近くに着き、翌朝は早朝から吉野ヶ里歴史公園を訪ね、その足で福岡空港へ移動したために佐賀は殆ど歩き回っていない…これも“積み残し”だ…
posted by Charlie at 07:32| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐賀:親子丼(2013.12.21)

「全く初めて」ということでもない「2回目以降」の訪問先で、「見覚えの在る場所」に至ると安堵感を覚える。私の場合、街中のような場所を歩き回る際は、気付かない間に看板や信号機や公共施設や商業施設等の「無数の目印」を記憶して、それを頼りに動き回る性分らしく、「見覚えが在る」に安堵する度合いが強いようだ…

そういう安堵感に加えて、「見覚えが在る」モノに関して“好感触”が残っている場合、それと再会したことを喜んでしまう…

↓佐賀駅の傍に在る場所だ…“駅前横丁”と称しているが、正しく佐賀駅の周辺である…
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↑小さなテナントビルというようなモノだと思う。数店の飲食店が入居している。時節柄“忘年会”関係と見受けられる人達の出入りも少し目立った…

2012年に「全く初めて」で佐賀に至った際、ここに立ち寄ったことを思い出した。そして…

↓「思い出の味」を求めてしまった…
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↑親子丼である!!

鹿児島県等、九州の南側ではなかなかにポピュラーなようだが、九州方面では“鶏刺”というものをよく見掛ける。鮮度の高い鶏肉を刺身にして、薬味や調味料と合わせて頂くというものである…

この親子丼は、その“鶏刺”に利用可能であるという鶏肉に、店主氏達の表現を借りると「ミディアムレア」で火を通して仕上げるものである。半ば“鶏刺”の表層近くに火が通っているので、何処となく「鰹のたたき」を想起させる面も在るのだが、食感の素晴らしい鶏肉が柔らかい卵に包まれ、出汁の中に浮かび、それが米飯と非常に合う…

九州というのは肉用家畜の肥育が盛んな土地である。故に鮮度の高い肉類がリーズナブルな価格で出回るのであろう…

親子丼…何も佐賀の名物料理というのでも何でもないと思う。駅の傍の、普通に地元の人が出入りする、店主氏達2人で切り盛りしていると見受けられる小さな居酒屋の当たり前なメニューだが…非常に愛おしい味だ!!

「翌日に福岡から飛行機…」というシチュエーション…或いは「この親子丼」を頂く可能性を求めて、「佐賀に前泊」というのも“在り”かもしれない…
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2014年01月15日

鳥栖駅(佐賀県):813系電車(2013.12.19)

九州各県のJR線で活躍する様々な車輛に乗車したが、九州北部の“福岡都市圏”とでも言えるような地域では、編成が長めな「大都市近郊型」というタイプの電車を多く見掛けた…

↓そうした車輛の中、何となく記憶に残るのがこの813系だ…
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↑快速列車として運用されている事例が目に留まることが多かった。実際、自身でこの車輛に乗車した際も快速列車であった例ばかりだった…

振り返ると…2010年のことだった…下関のビルに設けられた展望室から北九州を望み、「こんなに近いなら…」と下関駅で門司行の列車に乗車してみた…北海道内の長めなトンネル区間―例えば、旭川から深川に向かう途中の区間や、旭川・富良野から帯広方面へ向かう場合の新得駅の手前辺りのような場所…―を思うと「余りに呆気ない…」ような感じで九州に上陸してしまった…関門海峡の海底トンネル区間を含めて7分間程度で上陸してしまったのだ…産れて初めての九州上陸をアッサリと達成した時、既に夜になっていた…「九州に至ってしまった?とりあえず…九州で最も大きな駅であるという博多に辿り着いてみるか?」と予備知識の無いままに、「博多の方角に行く列車は??どれに乗れば善い??」と何本かの列車で移動してみた。門司や小倉と博多との間が、何となく思っていた以上に遠いと感じたことが思い出される。その時に、やや要領を得ずに乗り込んだ列車に使用されていた、「見慣れない…否、視たことがない車輛?JR九州の車輛か?! 」と考えてキョロキョロしながら乗っていたのが、確かこの813系だったと思う…後に関連書籍に当たることになる、所謂“水戸岡デザイン”との邂逅でもあった…

その後、2012年、2013年の旅を通じて随分とJR九州の列車を利用させて頂き、色々な車輛も眼に馴染んだが、813系は「JR九州と出逢った」というような、何となく思い出に残る車輛だ…

この813系は、1994年に初登場して以降、細部の仕様が変更されてはいるが、2009年に至るまで順次増備されてきた経過が在るようだ。

基本的には3輛ユニットで動くようになっていて、一部は運用する区間の事情で2輛で動くようになっていたり、ワンマン運行に対応するようにしていたらしい。が、最近は「2輛ワンマン運行」の区間は増備された817系が活躍しているので、“福岡都市圏”を中心とした長編成の列車で見掛けることが多くなっているようだ…

↓大牟田・鳥栖間―西鉄からJRの乗換えが円滑に出来るということで、敢えて大牟田に出た経過が在った…―で乗車した際、近くの席が空いていたので、内装の写真も撮ってみた…
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↑セミクロスシートというようになっていて、1時間前後、またはそれ以上の乗車でも疲れ難い…シートに使う布地には色々なモノが在るようだが、この車輌では赤地に黒系の模様のモノが選ばれている…

この813系辺りから、例の“水戸岡デザイン”が前面に出ているようで、この車輛の外観にもそれが感じられる。基本的に金属色のボディーだが、JR九州のコーポレートカラーの赤に加えて黒が組み合わさった車体正面の感じは、華やかであると同時に力強い感じがする…

これからも、きっと出くわす都度毎に「全く初めて乗ったJR九州の車輛…」ということを思い出すであろう。加えて、それに様々な機会の様々な状況の思い出がどんどん重なって行くのだと思う…また出会ってみたい813系だ…

ところで…鳥栖駅で撮影した、記憶に残るJR九州の車輌の写真が色々と在るのだが…鳥栖駅は博多・熊本間を南北に結び、肥薩おれんじ鉄道になっている区間を挟んで鹿児島に至る鹿児島本線と、長崎方面へ延びる長崎本線とが交差する場所である関係上、何度か立寄って列車を乗換えた。2013年12月は、「長崎県内と、それ以外の地域を適宜往来」というような様相でもあったのだ…そうした意味で、何となく馴染んだのだが、実は駅前に出たものの強い雨のために、その辺を歩き回ることを断念したというような場面も在った…或いは、「後の日程」を気にして、敢えて駅前に出なかったという場面も在ったが…「鳥栖駅周辺の様子に親しむ」というのも、何となく“積み残し”という気分の事項である…
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熊本フェリー <オーシャンアロー>(2013.12.16)

縁が薄い土地を訪ねてみて、少し変わった乗物を利用して移動をする…意外に愉しいことだと思う。

「島原から熊本へ船で渡った」という話し…航路に関して、知られていると言えば知られているものの、知らない方も存外に多いように見受けられる…

↓利用してみたのはこの航路だ…
>>熊本フェリー|長崎(島原・雲仙)と熊本を最短時間で結ぶ高速カーフェリー『オーシャンアロー』

「従前の約1時間を約30分に短縮した高速フェリー」というもの…強く興味を抱いた…と言うよりも、「とりあえず一度乗船してみなければならない」とまで思った。と言うのも、自身も港町の住人であり、フェリー航路というものに強い関心を寄せているからなのだが…

島原鉄道で島原外港駅まで向かい、静かな駅から海側へ3分も歩けばフェリーターミナルに着いてしまう。上記のサイトの熊本フェリーの窓口は直ぐに判り、切符を求めた。熊本のフェリー乗場から熊本駅までのバス乗車券もセットになった切符が在る。これが1100円だった。30分程度の乗船に加えて、バスは20分と少しを要する。妥当な料金…否、安価だと思った…(現在は100円値上げになったようだが、それでもリーズナブルな価格だと思う…)

早朝から動き回っていて、食事らしい食事も摂らずに居たので、ターミナル内でうどんを頂いた。九州の流儀のうどん…やや麺が柔らかいような感じがするのだが、それもなかなかに好い…

<オーシャンアロー>は静かにターミナルで待機中というのではなかった…熊本から到着して、直ぐに折り返すようになっていた。ということで、その雄姿はターミナルから見える岸壁には無かった…

↓暫く様子を視ていると、<オーシャンアロー>はスルスルと滑るように港に入って来て、手慣れた様子で接岸した。
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↑想像していた感じより大きいようにも、小さいようにも思えた…一寸「微妙な大きさ」という感じの船だった…

接岸して程なく、車載甲板の大きな扉が開き、埠頭に設けられている橋に沢山の車輛が吐き出された…そして待っていた多くの車輛が、積込車輛に割り当てられた待機所方向へ移動している…

そんな様子を視ていると、案内が在って乗船が始まった。長い通路に列になって待っていると、何かコンサート会場に入る場面や、スポーツの試合を観戦する場面のように、差し出した切符を係員が次々と集めて、係員に切符を渡した乗客が次々に船内に吸い込まれた。

船内は、ホテルのロビーや、古くから在る店舗面積が広い喫茶店のような、5人、6人が一寸したテーブルを囲んで座るような按配のラウンジ風な場所と、講演会を聴くホールのようにシートがずらりと並べられた場所とに大別出来た。

↓船の進行方向側には、別料金が必要な指定席のシートが並んでいた。
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↑船内は見る見る乗客で溢れたが、この指定席シートは空いていた…

結果として、熊本が近付くに連れて雲が少し多目になって行ったのだが、島原港は晴れて気持ちが良く、「私の基準」では寒いという程でもなかったので、外の様子が視易いデッキに陣取った…

↓カモメが沢山居た…
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↑カモメは“渡り鳥”で、こうして視られる時季も在れば、視られない時季も在るのだそうだ…

このカモメに関して…餌を撒いて大騒ぎと言う人達が大勢居て驚いた…単に「声が大きい」というだけなのかもしれないが…そうやって大騒ぎしていた人達の中にアジアの方々から来ている外国人グループが非常に目立っていた…日本語の話し声が殆ど聞こえない程だった…

カモメに餌を撒いて大騒ぎという状況下、船が動き出すと、島原半島の山々が見る見る遠ざかった…小さな船のように、“高速”が強く意識されるのでもない。稚内で利用したことがあるフェリーも含め、一般的なフェリーは15ノット程度の巡航速度であるというが、<オーシャンアロー>は30ノット程度であるらしい。船が或る程度大きいためか、「通常の倍程度」という速度は意識し悪い―高速道路を乗用車で走る時と、バスで走る時の、速度の感じ方の差に似ているのかもしれない…―ものだったが、「山の遠ざかり方」を視て速度を感じた…

外の様子を視ていて、船内の様子を覗いて、売店を冷かして、珈琲を一杯頂いてというようなことをしていた間に、熊本の沿岸、養殖漁業等をしていると見受けられる様子が見えて、直ぐに熊本に到着した…30分程度という時間など、あっという間に経ってしまう…

熊本に着いてみれば、ターミナルの通路と船を結ぶ扉が開き、正しく「催しが終わった後のホールの出口」という感で、次々と乗客がターミナルに出て行った…

↓熊本のターミナルの方が、船の全般的な雰囲気がよく見えるかもしれない…
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熊本では、島原と逆の向きに船が接岸していた。「車輛はどうやって出す?」と思えば…船の前側と後側の両方の扉が開閉可能なようだ。島原で車輛はトンネルに入るような要領で前進し、熊本に着いた時点でそのまま前進して上陸出来るということである…これは便利だ…

或る程度広い船で、何となく過ごす30分間…快適とか、快適でもないという次元ではなく、正しく「あっという間」であって些か驚いた…機会が在れば、また乗船してみたいものだ…
posted by Charlie at 18:26| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月14日

JR九州 キハ125(2013.12.20)

黄色の鉄道車輛…国によっては“警戒色”の黄色を好んで車輛の正面等に使用し、「接近時に目立つように」としている例も在るらしい…北海道内では例が思い浮かばないが、黄色い鉄道車輛というモノは、各地には存外に多いかもしれない…

↓たびら平戸口駅から松浦鉄道の列車に乗り、伊万里駅に到着後、道路を渡った正面のJR乗場に向かうと、黄色いディーゼルカーが乗客を迎えていた…
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↑このディーゼルカーは、伊万里駅に到着した列車がそのまま折り返すということで、やや長めに停車していた…

黄色のディーゼルカー…JR九州の“水戸岡デザイン”が容れられたように見える外観だ…

一瞬、以前に乗車したこともあったキハ200ではないかとも思ったが、少し様子が違った…キハ200は2輛ユニットで動くようになっている。眼前に在る車輛は1輛運行だ…1輛運行対応ということで、キハ220というのも在るが、それとも違う…

↓これはキハ125という車輛だ…
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↑前後2箇所の乗降用扉で、1輛でワンマン運行が可能なタイプのようだ…

ローカル線で用いていた車輛を更新しようということで、1993年に最初のモノが登場し、唐津と大分に配備されたという。2006年には大分の一部車両が唐津に移った。

現在JR九州では、「1輛でワンマン運行が可能なディーゼルカー」という車輛に関して、キハ220を標準仕様としているようで、唐津や大分で現在運用中のモノ以降、キハ125は製造されていないようだ。そうした意味で、やや希少な車輛に乗車出来たかもしれない。

車輛には「Y-DC125」というロゴが入っている。これは、"YELLOW ONE MAN DIESEL CAR"(黄色のワンマンディーゼルカー)というのを略して考えたロゴらしい…

このキハ125は、新潟鐵工所が地方鉄道向けに設計製作していた“NDCシリーズ”というモノの一つだという。島原鉄道のキハ2500は、これの“兄弟”に相当する。言われてみれば、やや外見も似ているかもしれない…この“NDCシリーズ”の“兄弟”は他にも方々で活躍しているそうだ…

この日は伊万里から唐津までこのキハ125に乗車し、唐津で福岡の地下鉄に直通している列車に乗り換えたのだった…通学の高校生が多めな時間帯の乗車だった…が、日が傾いてからの乗車で、沿線の様子は見え難かった…次の機会が在るなら…沿線の様子が判り易いような状況下で乗車してみたいものだ…
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松浦鉄道 MR-600(2013.12.20)

松浦鉄道は、旧国鉄の“特定地方交通線”であり、廃止が検討されていたものを転換した第3セクターの鉄道である。沿線自治体等が出資している。1988年から松浦鉄道の列車が運行されている。

“西九州線”と呼ばれる松浦鉄道の路線は、“伊万里鉄道”を起源とする東側の有田・伊万里間、“佐世保軽便鉄道”を起源として“松浦線”として建設された伊万里・佐世保間から成り、93.8kmの区間だ…

「夜に着いて、朝に発つ」という型になり、若干未練が残った佐世保から松浦鉄道の列車に乗り、「日本最西端の駅」であるというたびら平戸口駅で下車して平戸市内で過ごした後、たびら平戸口駅から伊万里駅までの区間を乗車した。伊万里から有田は13kmであるそうだが、佐世保・たびら平戸口・伊万里でこの“西九州線”の大半に乗車出来たことになる…

↓佐世保駅で迎えてくれたのは、こういう車輛だった…
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↑1輛でワンマン運行のディーゼルカーだ…そしてここは、明確に“行き止まり式”な線路になっていた…

この“西九州線”だが…券を提示したり、運賃を支払ったりというようなことは、殆ど悉く「乗務員対応」になっているらしい…<旅名人の九州満喫きっぷ>を手にこの路線を利用しようとしていたが…佐世保駅で券にスタンプを押してくれる係員が見当たらないので、JRの改札に行ってスタンプを押してもらって、それから利用した…

↓「肥前 WEST LINER(ウェストライナー)」という愛称が付けられているそうだが、新しい感じの車輛だった…
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↑2006年から2011年で導入され、2007年から運行しているMR-600という型だ…現在21輛在るという…とりあえず…“新鋭”な車輌である…

何やら車輛の全面に丸いヘッドマークが付いて、地元の医院と見受けられる名前が在る…松浦鉄道では、こういうようなものも含めて、熱心に広告を募っている様子だ…

考えてみると、旧国鉄が廃止を検討した路線を3セクとして受け継いでから四半世紀を過ぎている…初期の頃に活躍した車輛は老朽化も目立ち始めていて、更新もされている…正しくこのMR-600は3セクの登場当初に活躍した車輛の入れ替えである訳だ…

↓車輛の横に、松浦鉄道のキャラクターである“マックスくん”が描かれていた…
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車輛の中は、ロングシートになっている箇所、4人掛けボックスになっている箇所、2人掛けボックスになっている箇所が在る。なかなかに利用し易い…が…車内に御手洗は無いように見受けられた…

12月の旅を振り返り…何か、随分と色々な場所に出向いては「1輛ワンマン運行のディーゼルカー」に乗車していたような…気がする…そして、それぞれが「何となく懐かしい」感で、若干の時間経過と共に色々な様子を思い出す…
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島原鉄道 キハ2500(2013.12.16)

島原鉄道…「黄色いディーゼルカー」という印象が強い…

↓主流を占める…と言うより、この型の車輛しか見なかったような気もする…
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↑画は、島原駅から島原外港駅に向かおうとした際、反対側のホームに現れた諫早方面の列車を捉えたモノである…

この黄色いディーゼルカー…キハ2500と言う…

キハ2500は、老朽化していた車輛の置き換えということで1994年に初登場し、1997年、2000年に増備されたという。現在、島原鉄道の全ての列車がこのキハ2500で運行されているのだという…なるほど、「この型しか視なかった」という感じがした訳である…

ワンマン運行の列車が多数派を占めている状況と見受けられるが、各車輛は基本的に1輛運行出来るようになっているが、時々2輛連結の場合も在る。実際、諫早から島原に向かった際には、通勤・通学の時間帯でも在り、2輛連結で車掌が乗務していた。そしてその車掌が、車内での案内から、駅での乗降客への対応と一手にやっているようで、ホームを小走りに動き回っていた様子、何か一生懸命やっていて沿線の利用者の信頼と敬意を獲得しながら自信に溢れて活躍しているような様子が非常に記憶に残る…

↓車体には「島原の子守歌」を主題にしたイラストが入っている…何か、島原鉄道のマスコットマークという感じだ…このイラストは目立ち、南島原駅で見掛けた地元の幼稚園児による画の中でも、黄色い列車の車体にこのイラストらしいものが描き入れられていた程だ…
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↑画は島原外港駅で停車した車輛の脇で撮影したものである…

島原鉄道の黄色いディーゼルカーだが、黄色は「豊穣」を象徴するものらしい。そして青いラインが入っているが、これは「有明海」をイメージするそうだ…

諫早・島原間、島原・島原外港間と2回乗車したに過ぎないが、何か「妙に懐かしい」感じだ…或いは、多くの人が思い浮かべる「故郷のローカル線」というような空気感が、島原鉄道の列車には溢れているのかもしれない…
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肥薩おれんじ鉄道 HSOR-100(2013.12.16)

「肥薩おれんじ鉄道」とは、八代・川内間の116.9kmのことで、嘗ての鹿児島本線の一部である。2004年の九州新幹線部分開業を契機に、この区間が“3セク”となった。

↓この肥薩おれんじ鉄道を走る車輛は、こんなディーゼルカーだ…2003年から準備された車輛とのことで、未だ新しく、綺麗な感じだった…
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↑八代駅で出発前に撮った画だ…基本的に1輛運行でワンマン運転となっているようだ…

「鹿児島本線の一部」であった八代・川内間は電化されている区間である。しかし、電車を走らせるとすれば、2輛をユニットとするモノを使用せざるを得ず、普段の輸送量に見合わなかったり、車輛の購入価格や整備維持費のことなどを色々と考慮して、この“HSOR-100”というディーゼルカーを導入したのだという。

八代・川内間の電化はそのまま残っていて、JR貨物が電化関係設備を管理しているそうだ。貨物列車は電気機関車が牽引して、この区間を走行している。JR貨物が肥薩おれんじ鉄道に線路の使用料を払う型になっているようだ。

↓車輛には、肥薩おれんじ鉄道のマークが大きく描かれている…
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↑この沿線…ミカンの類…柑橘類を名産としているような地域が連なっている…“おれんじ”…秀逸な命名かもしれない…

八代・川内間で乗車した写真の車輛は、標準的な塗装のもののようだ。“おれんじ”のイメージで橙色や緑なのだろうが…些か“JR東海風”と思えなくもなかった…この標準的な塗装の他、“イベント”的に変わった塗装を施すものや、ラッピング広告のものも在るらしい。

八代駅に列車が着く前、運転士はホームで待機していて、八代まで来た運転士と交代する。私が乗車した時は、女性の運転士だった。八代を発って、出水に至ると運転士が交代した。どうも、熊本県内は八代所属の乗務員、鹿児島県内は出水所属の乗務員という分担になっているようだ。

この肥薩おれんじ鉄道だが…沿線の高校生の通学等での利用が目立つ他、人口の少ない区間なので、利用者は少な目であるようだ。早朝から移動していた流れで乗車したため、時々居眠りもしながらの移動だったが…(八代駅で球磨焼酎と水を求め、多少呑んでいたということも在ったかもしれない…)ぼんやりしていて、不意に「貸切?!」と他の乗客が居ないかキョロキョロしてみるような場面も在った程に空いていた…

そんな状況で川内に至って、私自身を含めて指折り数える程度の乗客が下車した…私は川内から鹿児島中央に向かう列車に乗換えたが…以降の区間は、近隣で最大の都市である鹿児島の“生活圏”であるらしく、通学の生徒が多くなる時間帯であったことも手伝い、鹿児島中央まではかなり列車内が込み合っていた…肥薩おれんじ鉄道が多少気の毒に思えた…

肥薩おれんじ鉄道が走る区間は、車窓が美しいことで知られる区間である。海岸が素晴らしい!!その旨は、録音を流す車内放送でも言及―不知火海、東シナ海の紹介が在った…―されている。私が乗車した日は、天候が下り坂で「やや惜しい…」感じではあったのだが…

肥薩おれんじ鉄道は、常用する沿線住民が少な目でなかなか大変な中、「観光での利用の喚起」に力を注いでいると見受けられる…実際、「最近は厨房と食堂」という具合に改装した車輌を“おれんじ食堂”と称して運行して好評を博しているとも聞く…

私が乗車したのは、全く普通な列車だったが、使用されているディーゼルカーは新しいモノで快適であったし、使い易い御手洗が備えられていて、やや時間が長めの乗車も苦にならない…次の機会が在るのなら…「輝く海」を眺めながら乗車してみたいものだと、このディーゼルカーの写真を眺めている…
posted by Charlie at 18:21| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする