2013年08月27日

C57 180(2011.12.17)

少し前の写真が何気なく眼に留まり、懐かしさが込上げ、少し見入ってしまう場合というものが在ると思う…

↓こういう写真を眼に留めた…
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↑会津若松駅辺りで、新潟から到着した後、折り返し運転に備えるC57機関車だ。

会津若松駅の向かって左側の踏み切り辺りで、折り返し運転に備えるために車輌基地へ移動しようとしている場面なのだが、係員が誘導しながら動いたり停まったりを繰り返し、視ていて面白かったのを思い出す…

↓新潟へ向けて出発するため、会津若松駅に現れたC57を間近で眺めた時の写真…
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↑蒸気が出ている大きな動輪が好い…

この時は、確か0℃か2℃かというような次元の気温で、そこそこに積雪が在った…このシーズンは12月末から明けて2月頃に掛けて、各地で非常に雪が多かったことを記憶しているが、この時期は未だ「一寸した積雪」という風であった…

雪が積もる沿線を、熱い上気を吐き出しながら、この機関車を温かく見守る沿線の人達の想いを受け、私自身のような「遠来のモノ好き」を含むファンの期待と夢を乗せて、機関車は汽笛も高らかに新潟を目指した…

>>C57 180が牽引する列車に乗った直後に綴った記事…
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2012年01月26日

枕崎市役所(2011.12.19)

明るくなり始めた枕崎に着き、静かな街を歩き回っていた。冷凍鰹の水揚げの光景に愕いたが、行く先々が稚内同様か、それ以上に静かだった…

↓面白い建物だと思ったが…
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↑これが枕崎の市役所だ…

一寸調べてみると…町村制が施行された1889年に村が起こり、1923年に枕崎町となって、1949年に市制が施行されている。稚内もこの1949年に市制施行だった…2000年代に周辺の自治体で合併という話しが色々在ったが、枕崎市は合併を見送った…隣接する南さつま市、南九州市は合併で誕生した市である…

枕崎市は1970年頃から3万人程度の人口で推移しているが、近年は人口が減少していて、2010年の資料では2万3千人余りとなっている…

↓かなり年月を経ていると見受けられる市庁舎だ…壁に蔦が…
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↑視た感じでは、2階建てで、一部が3階建てのようになっている…

市庁舎の壁に「36代 木村庄之助」の懸垂幕…2011年に昇格した立行司だが、枕崎出身とのことだ…

最初に市役所前を通った時は、未だ市役所が執務時間に入っていないような朝の時間帯で非常に静かだったが…枕崎から発つことになった昼辺りでも、“市役所通”は静かだった…

枕崎を訪ねて1ヶ月余りということになるが…何か妙に郷愁のようなものを感じる…
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2012年01月24日

博多南駅(2011.12.18)

博多の近くに、一寸風変わりな駅が在ることを知り、興味を抱いていたのだったが、12月に立ち寄る機会を設けることが叶った…

そこは「博多南駅」という…駅名を聞けば「辺りで最も目立つ駅の名前に方角を付けた」ということで、然程珍しいようにも思えないのだが、やや変わった駅なのだ…

福岡市は九州最大の都市であり、そこで仕事をする人達等は「1時間前後で福岡に通勤可能」というような場所に住むようになる…福岡市周辺地域でも人口が増える。人口が或る程度増えると、「便利な交通」というものも求められる。

博多南駅の近くも、人口が増えている福岡市の周辺に在るのだが、辺りで鉄道はやや路線が限られている。しかし、そこには新幹線の車輌基地が設けられていた。博多駅に着いた列車が“回送”でやって来て、基地で出発準備を整えて、博多駅へ回送で向かうのである。これを視ていた住民達が、「あの回送の新幹線に乗せてもらえると、大変に便利なのだが…」ということに思い至った。

ということで住民の要望が高まり、博多南駅が登場した。博多からこの駅までの乗車券に、新幹線であるために“特定特急券”というものが加わり、290円で乗車出来るようになった。「博多駅まで10分で290円」ということで、「なかなかに好い!!」ということになった訳だ…

福岡には「友人と久々に会いたい!!」ということで立ち寄ったのだったが…とりあえずこの博多南駅で落ち合う相談―広大で方々に出口が在る博多駅よりも、この駅の方が待ち合わせに便利かもしれない…―にして、博多駅からここに向かった…乗車券と特定特急券というものを、何処でどのように求めるのか、何となく判らなかったので“みどりの窓口”に尋ねに行ったのだが…切符は“みどりの窓口”で購入すれば良いのであった…

博多駅の新幹線乗り場に向かうと、到着する列車が博多南行きになる旨の案内が在り、列車がやって来た…この時に乗車したのは、500系の<こだま>だった…博多南駅のホーム延長の都合で、8両編成以下の短めな列車を回送する場合、一部に乗客を乗せるようにしたと見受けられる…

500系は慌しく博多を出発し…街並みの中を元気に加速したが、直ぐに減速し、あっと言う間に車輌基地が見えて、博多南に着いてしまう…

↓ホームから車輌基地が見える…
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↑時間帯によって見える車輌は色々なのだろう…この時は、700系とN700系が多かった…

思わずホームでのんびりと新幹線車輌を眺めてしまった…

↓位置をずれると…500系と、熊本や鹿児島へ乗り入れる新しいN700系も在った…
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広くはないホームから車輌基地を眺めて写真を撮った…S95の手持ちである…

「“回送”を利用して便利に…」という面白い発想で登場した博多南駅…なかなか愉しい“寄り道”場所だった!!早くも非常に懐かしい感じがしている場所だ…
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2012年01月23日

鹿児島中央駅のキハ200(2011.12.19)

稚内から他の都府県を訪ねて列車に乗ると…電化区間は電車が走っている訳で、初めて視る車輌と出会う確率が高いが、未電化区間のディーゼルカーに関しては、見慣れた車輌の“兄弟達”に出会って、何となく嬉しくなる場合も在る…しかし…折角「滅多に行かない」場所に行ったのであれば、少し変わった車輌にも出会ってみたいものである…

↓鹿児島で見掛けて、記憶に残った車輌だ…
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これはJR九州が、九州各地の未電化区間で用いているキハ200である。1991年に登場した車輌ということだ。比較的新しい…

私がこれと出会ったのは指宿枕崎線だ。指宿枕崎線だが…鹿児島中央・指宿間と、指宿・枕崎間とでは、何となく「別な路線か?!」という印象さえ受けてしまう…

指宿・枕崎間は白地に青ラインのキハ40(北海道でも“兄弟”が活躍している!!)やキハ47の列車が、非常に限られた本数、運行されている…対して鹿児島中央・指宿間では、キハ40やキハ47に加えて、新しいキハ200がなかなか頻繁に行き交っているのである。前者は「純然たるローカル線」で、後者は「鹿児島市内、近郊の都市交通」という感じがした…

そんなことも思ったが、指宿枕崎線のキハ200は、なかなかに鮮烈な印象を与えてくれる。“NANOHANA”(菜の花)というロゴが入っていたりもしたが、「南九州の菜の花」をイメージした黄色のボディーが眩しい!!

ところで…私は4時51分に鹿児島中央から指宿へ向かう“菜の花”カラーのキハ200に乗車したが…通学の高校生が随分乗っていた。車中で居眠りという光景も見受けられたが…あの高校生諸君は、何時就寝、何時起床なのだろうか?!
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2012年01月22日

指宿枕崎線のキハ40(2011.12.19)と宗谷線のキハ40(2011.12.15)

最近は枕崎から取り寄せた本格焼酎を飲みながら、12月の旅を振り返ることが多いのだが、面白いことに気付いた…

↓指宿駅…枕崎へ向かう列車に、夜明け前に乗り換えた場面だ…
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↓旭川駅…日が傾いた辺りで、名寄からの列車が到着した場面だ…
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どちらも、使用車輌は「キハ40」である!!両者の内装は異なるのだが…

南九州の陽光を受けて走るディーゼルカー…粉雪を巻き上げて氷点下の大地を走るディーゼルカー…これが“兄弟”なのである!!

「だから?」というような話しかもしれないが…以前から何となく気に入っている“キハ40”に益々愛着が沸く話しだ…
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2012年01月17日

枕崎と鰹(2011.12.19)

枕崎に到着したのは、晴れた早朝だった…学校へ向かう子ども達や、交通安全の指導をしているらしい人が居るのが眼に留まったが…交通量も少なめで、街は静かだった…

静かな街に朝陽が降り注ぎ、なかなかに心地が好い状況の中、辺りを歩き始めた…

↓直ぐに港に至った…
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↑眼に留まったのは、釣り船と見受けられる船だった…

こんな中を静かに散策していると…この静けさを叩き割るかのような賑々しい音が聞こえてきた…最近は工事現場が喧しいという話しは聞かない…鉄工場か船舶修理場が仕事をしているのか?それにしては妙に早い時間帯だった…

正体不明な、かなり派手な音がする源を探ると…どうも港の一画に見える、少し大きな屋根の辺りらしい…そちらに近寄ってみた…

↓音の原因はこれだった…
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↑冷凍鰹を水揚げしていた…

鰹は「釣上げられた瞬間」の状態のまま漁船の中で急速冷凍されているようだ…ガッチリ凍っていると見受けられる。このガッチリ凍った鰹が「ガシャン!!」とクレーンで次々下ろされる。それを関係者が一つずつ仕分けして、ケージ状の箱に放り込む。観察した限りでは、鰹の体長で大雑把に分けているような感じだった…そのクレーンで下ろす音と、勢いよくケージ状の箱に放り込まれる音がなかなか凄い…そこにフォークリフトが登場し、鰹が詰め込まれたケージ状の箱を元気良く運んでいる…箱は大きなトラックにどんどん積み込まれていた…

恐らく鰹漁の季節には、こんな様子が毎日のように視られるのであろう…とにかく賑やかで、少し愕いた…

↓港から市街側に進むと、こんな標識に出会した…
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街の通に愛称を着けて、それを標識に記すというような例は何処にでも在りそうだ…“市役所通”というような呼称…これはありきたりだと思うが…“かつお街道”―「Katsuo Street」とそのままローマ字…―というのは、「鰹漁の街・枕崎」ならではであろう…

賑やかな水揚げの光景…大きなトラックに積まれた鰹は、各地の需要家の待つ場所へ輸送される…恐らくトラックは“かつお街道”を通り抜けるのであろう…

↓鰹は地元の加工業者にも卸されるようだ…
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↑こちらは鰹節を製造している場所らしいが、扉が開け放たれていて、こんな様子が視られた…

南の豊かな海と共に在る枕崎…そんな印象が強まる経験だった…
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2012年01月16日

鹿児島市中央公民館と西郷隆盛銅像(2011.12.20)

「南九州一の繁華街」であると言う、鹿児島の天文館の辺りを少し歩くと、神社や公園が在る一画に出る…

北海道で「12月の公園」と言えば、雪と寒さに備えて噴水等は当然のように止められていて、一面が深い雪に覆われ、近在の住民や近隣に通勤・通学する人達が通り抜ける場合は、そこの積雪が踏み固められているか、公園管理者が通行を考慮して除雪をしているかで、通行人は散見するものの静まり返っているものである。が、鹿児島市内の公園は、恐らく他の季節と何ら変わりがない状態になっていた…私自身を含む旅行者や、近在の人達が各々に散策していたり、座って休んでいる様子が見受けられた…当日、地元の人達は寒そうにしていたが、稚内から訪ねた身には寧ろ心地好い、柔らかい日差しを受け、降り注ぐ光に眼を細めながら一画を通り抜けていると、なかなか趣が在る建物に出会した…

↓こういう建物だ!!
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古びた石造の、少し大きめな建物である…建物の前に植えられた木…名前は知らないが、北国の住民の目線では「南国!!」という印象を受ける…

“鹿児島”と聞けば「南国」―実際“南国交通”というようなバス会社も在ったが…―とか、「豊かな歴史」というようなことを想起する。そうした意味で、この旧い石の壁が蒼天の下で独特な輝きを見せ、その前に南国らしい木が植えられている光景は「これが“鹿児島”!!」と思えるような雰囲気を感じた…

↓少し建物に寄ってみた…
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この建物は“中央公民館”というそうだ。中にホールや会議室が在るようだ…ホールは700席程度のものらしい…

調べてみると…この“中央公民館”は1927年に竣工した建物で、“鹿児島市公会堂”と言ったそうだ。戦災で傷んでしまったものが、戦後に修復されて今日に至っているという。中央公民館は創建時の外観を保っていて、国登録有形文化財となっているのだそうだ…

↓中央公民館までやって来ると、これが眼に飛び込んで来る…
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↑思わず「居た!!」と反応してしまった…西郷隆盛銅像…凛々しい軍服姿のものだ…

中央公民館の手前に、「記念写真はこちらで」という具合に一段高くなった場所が設けられているので、そこから撮った銅像だ…写真は…ズームを望遠寄りにした方が、落ち着いた画に纏められるかもしれない…

↓鹿児島の画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - Kagoshima on DEC 2011' set on Flickriver

鹿児島から戻って、然程時間を経た訳でもないが…何か妙に懐かしい…
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2012年01月13日

枕崎駅(2011.12.19)

寒さが厳しさを増す都度、12月に訪ねた鹿児島県が懐かしくなる…「懐かしく」と言う程に前の話しでもない訪問だが、それでも戸外の風景を視る都度、何か鹿児島県の様子が「遠い幻」のようにさえ思えてしまう昨今である…

枕崎へ至る列車…そして枕崎から出る列車…各々6本だった…その中、“朝一番”で枕崎を目指した…

12月の鹿児島…日の出は午前7時頃である。4時51分―駅は「開けたばかり」という感じで、異様に静かだった…―に鹿児島中央駅を出発すると、何か「真夜中の列車」のような感じで進む…西頴娃(にしえい)の辺りに至ると、空がやや明るくなるのが判る…

↓やがて到着する枕崎の様子だ!!
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好天に恵まれたこの日、到着した列車は逆方向へ向かうため、そのまま待機するのだが、何か「朝焼けの中に静かに佇む」按配だ…

早朝の列車で鹿児島中央から枕崎に移動してみたが…高校生を随分と見掛けた…彼らは、一体何時に起きて、何時に眠っているのだろうか?余計なお世話ながら、ふと気になった…聞けば、バスや自分の原付や自転車で通学をしている生徒が多いということだが…本数が限られた列車では、高校生諸君もなかなか大変だ…

この枕崎駅は“駅”と言うが…ディーゼルカーの2両連結が停止すると“目一杯”な長さのプラットホームが1面在るだけである。他の設備は…雨を凌ぐ屋根がとりあえず設けられてはいるが…何か“停留所”という趣である。“駅舎”は無い…この列車が停車している辺りの手前に駐車場とスーパーが在るのだが、そこが以前の“駅舎”だった場所のようだ…昔の駅舎の写真が掲げられてはいたが…

↓列車が停まる場所の周囲には、来訪者を歓迎する看板が幾つか在る…
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↑JRの南の起点・終点であることを教えてくれる看板だ…

駅の周辺には、列車やバスを待つ場所を兼ねた観光案内所と公衆トイレ等が在るのだが…

↓そんな辺りに、灯台型の大看板が在り、「南国!!」という感じの木が植えられている…
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次第に日が高くなり、蒼く輝く空を見上げ、こうした様子の駅周辺辺りで「JRの“北の端”を発ち、延々と列車を乗り継ぎ、5日目の朝に“南の端”か…」と感慨めいたものに浸ってしまっていた…私の場合、会津若松に寄り道をし、蒸気機関車C57が牽引するイベント列車に乗車したので、移動距離は3,174kmであったが…

↓静かな街で半日を過ごし、出発する際、列車の写真を…
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↑白く塗られた車体に青いライン…この列車はキハ47の2両連結だった…

最近は、枕崎の明治蔵で蒸留された酒を満たしたグラスを片手に、こんな枕崎駅の写真を眺めてぼんやりとする時間が増えてしまった…
posted by Charlie at 19:19| Comment(0) | HDR/2011年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月10日

鹿児島 仙巌園(2011.12.20)

“氷点下10℃”という具合になってみると…日中が“プラス10℃”というような様子が恋しくなる…直ぐに実際に出来る訳でもないが…「夏は稚内に住み、冬は鹿児島に住む」というような按配のことが出来れば…「年中快適!?」等と不埒なことを思わないでもない昨今である…

鹿児島を訪ねた際、“シティービュー”という巡回バスを利用して市内の名所を訪ねることを思い立った訳だが、“仙巌園”(せんがんえん)に興味を覚えていた。ここについて、人から「好い!!」と聞いていたことも在ったのだが、幕末期に当時の最新技術による殖産興業に向けた施設であった“集成館”の建物を利用した資料館が在るなど、何か惹かれるものが在ったのだ…

「遠路の来着、大儀である…」と労ってでも頂けた―稚内から鹿児島まで、往路は全行程を列車で訪ねた…鹿児島入りは4日目から5日目に日付が変わろうとする辺りだった…会津若松や福岡で寄り道したからでもあるのだが…―かのような素晴らしい青空の下、午前中の早めな時間帯から元気良く仙巌園を訪ねてみた…

↓仙巌園に入場すると、厳しい甲冑が来場者を迎えてくれる…
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↑安土桃山時代に活躍した島津義弘侯が着用したと伝えられる甲冑を模したものだそうだ…なかなか渋い!!

江戸時代には77万石の大名だった島津家は、鎌倉時代から南九州に続いた一族だ。戦国時代末期、島津義久・義弘兄弟の時代には薩摩、大隈、日向―これを“三州”と呼んでいるようだ…―を征し、九州全土を手中に収める寸前にまで勢力を拡大したのだったが、豊臣秀吉に降り、南九州の大名ということになった。関ヶ原の合戦では敗れた西軍に与した経過が在ったが、薩摩・大隈と日向の一部という版図を維持することが出来た経過が在る。

仙巌園は、この島津家が江戸時代に建設して利用した別荘なのである。“磯”と呼び習わされている地区に在り、錦江湾と桜島を借景とした見事な庭園が在る…

↓滞在した御殿様や一族の人々等が利用したことも在ったと見受けられる建築群の背後に、「青空に聳える桜島」が見える…
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こういう見事な情景に出会い、何か少々「時間を忘れる」という感も覚えた…「大名家の庭!!」という感の、手入れが行き届いた古木が散在する他方、半ば自然のままのような林が背後に在って、「12月半ば過ぎ」なのに紅葉している木も見受けられた。そして結構立派な竹林が在ったり、木の名前は知らないが、私のような北国の人間が視て「南国!!」と感嘆するような木も見受けられた…そういう庭園の背景に…桜島が聳えている!!

この仙巌園…見事な風景に加えて、記憶に残ったのは…「歴史好き!!」には興味津々な展示が多々在った資料館…そして売店で売られていた、“安納芋”の焼き芋の美味さ…であった…

資料館には、通商で栄えた薩摩の歴史や、永い島津家の歩みや、かの島津斉彬侯が導入した当時の最新技術に関することなどが在ったのだが…もっと細かいものに注目してしまった…かのロシア皇帝ニコライ2世が皇太子時代に来日した際、鹿児島に立ち寄った経過が在り、島津家が一行を歓待している。その関係で頂いたというロシアの勲章がさりげなく展示されていた!!

“安納芋”の焼き芋…通り掛った売店で売られていて、「“焼き芋”?!」と訝った…しかし…「サツマイモ」の“サツマ”は“薩摩”で、「土地の名物」であることに疑いはない…何となく興味を覚えて求めてみた。一口に「サツマイモ」と言っても様々な品種が在り、鹿児島県ではそれらが色々と栽培されている…“安納芋”は「非常に甘い」ことで知られる品種なのだそうだが…素晴らしく美味かった!!

↓というような仙巌園…忘れ難いものが在る…
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なお、各写真は何れもS95の手持ち撮影だ…

↓仙巌園を含む、鹿児島の画…
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2012年01月06日

京都 “嵐電”(2011.12.21)

正式な社名ではなく、通称の方がよく知られていると見受けられる“嵐電”…なかなかに愛くるしい電車であると思った…

一部が「京都で唯一の路面電車」となっているのだが、殆どの区間は専用軌道だ。四条大宮から嵐山の区間は複線で、途中の帷子ノ辻から北野白梅町は単線である。四条大宮から嵐山の複線区間の中、一部区間が路面電車になっている…

近年、妙に路面電車というものが気に入っていて、「京都の“嵐電”!!」と関心を高めて居たのだが…京都に寄って乗車する機会を設けた!!安価な一日券を四条大宮で求め、沿線を巡り、何箇所かの名所も訪ねてみた…電車を下りてから結構歩いたが、金閣や竜安寺を訪ねてみた他、嵐山にも寄ってみた…

↓こんな感じの電車が活躍している…
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近年、“嵐電”では「京紫」と名付けた色を“イメージカラー”ということにしていて、電車もその色のモノを前面に押し立てているようだ…

↓光の按配で、微妙に色の見え方が変わるのだが、「渋い」ようでいて意外に「華やか」な、「古都・京都の電車」らしい艶やかな感じになっていると思う。
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↑更に言えば…こういう具合に「全面パープル」という車輌というのも、他所では類例が少なく、個性が際立って結構なように思える…

電車のように動くモノ…HDR画を創ろうと思えば…どうしても停車中の画が多くなる…と言うより、それが基本のようになってしまう…

という訳で…

↓HDRではないが…“嵐電”の画…
wakkanai097 - View my ''RANDEN' tramcars at Kyoto on DEC 21, 2011' set on Flickriver
↑「京紫」が駅で擦れ違っている画等が在るのだが、なかなかに好い!!

何となく、「京紫」が艶やかで気に入ったことから、紫の車輌を多く撮影―HDR画もその「京紫」の車輌の画で創った…―したが、“嵐電”は鎌倉の“江ノ電”と友好関係に在るらしく、“江ノ電”を意識した塗装―緑系の組み合わせ―の車輌も見受けられた。更に、私が京都を訪ねた折りには1回しか見掛けなかったが、京都の菓子メーカーによるラッピング広告(淡いピンク色だった…)の車輌も在った…

こういうような電車…今後も各地に見に行ってみたい!!
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2012年01月05日

大阪・梅田 “空中庭園”(2011.12.21)

馴染みが薄い土地を訪ね、高い所からの眺望を愉しむ…意外に好きだ!!

大阪にはそういう場所は何箇所も在るようだが…

↓“空中庭園”という場所を訪ねてみた…
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↑こういう具合に下界を視ると…何かとんでもない高さに来た気がする…

2棟の高層ビルが連結されたような建物で、連結部の高い場所が“庭園”ということになっている。“庭園”というのは、“展望室”ではない。高いビルの屋上にそのままでられるような感じだ…

硝子に邪魔をされず、眺望を存分に愉しむことが叶うようになっている場所で、背が高い三脚が在れば写真も撮り易い…そうしている人達も見受けられた…私は背の高い三脚を持っていなかったので…手持ちで写真を撮るなどしていた…

↓こんな感じの眺望が好い!!
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ここは大阪駅周辺だが…大阪駅自体がリニューアルされたということであったが、周辺は未だ開発工事が続いていた…

↓空中庭園から、建設中のビルも多々在る様子が見受けられた…
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この場所…また、何年か後に訪ねると、きっと眺望も換わっていることであろう…

↓余り方々を積極的に歩いた訳でもないのだが…大阪の画はこちら…
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2012年01月02日

鹿児島 桜島の眺望(2011.12.19-20)

「鹿児島」と聞けば…「桜島の眺望」を思い浮かべる…南国の青空を背景に、時折噴煙を上げながら、市街を睥睨するような姿…是非見たかった!!

事前の情報収集―鹿児島市観光振興課さんに感謝!!―により、「駅から路面電車利用で訪ね易い」場所としては、離島航路の埠頭に近い“ドルフィンポート”の辺りが在り、他に“城山”が在ることが判った…

↓早朝からの「枕崎往復」から戻り、直ぐに向かった“ドルフィンポート”辺りでの眺望…
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桜島は鹿児島市街の東方に在る。夕陽の光が山に当たり、溶岩で形成された複雑な表面が浮かび上がる…

↓早朝の、日の出の時刻周辺の眺望…
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鹿児島市内の繁華街“天文館”のホテルに泊まり、「朝の散歩…」と称して出てみた時の眺望…未だ低い朝陽の光が山の後背になり、何か紫色を帯びている…なかなかに好い…

↓“城山”からの眺望…
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好天の中で夕刻まで過ごしたのだが、“シティービュー”というバスで“城山”を訪ねてみた…これも素晴らしい!!

「桜島の眺望」…強い印象を残してくれるものだった…

↓桜島の眺望を含む鹿児島の画…
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↑これを眺めながら…未だ行って帰って来たばかりであるのに、「また何時か…」等と考えている…
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鹿児島の路面電車(2011.12.19-20)

路面電車…近年、妙に気に入っている…

鹿児島も路面電車が活躍している街である。新幹線の発着する鹿児島中央駅―県内の方は旧名の“西鹿児島駅”から、時々口を突いて「西駅」と言ってしまうそうだが…―や、古くからの市街に近い鹿児島駅等の真前から電車が発着している…1回乗ると160円だが、“一日券”は600円で、なかなか安価で善い…

↓これは鹿児島駅前…各方面の電車が待機している…
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↑新旧様々な車輌が見受けられる。そして塗装も様々だ…

↓これは鹿児島中央駅前…
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↑丁度、両方向に進む電車が交差して停車しているところ…

↓電車の線路の辺りに、芝生が敷詰められているのが、鹿児島の路面電車の独特なポイントである…火山灰性の土で造った硬いパネルに芝生を植えて、それを貼り付けているようだ…自動車が通らない箇所はびっしり芝生で、「緑の中を電車が駆ける」という按配になっている…
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↑利用者は存外多く、乗車した殆どの時間帯で、存外賑わっていた…

「電車が好い!!」と思って、そのHDR画を創ろうとすれば…自ずと「停車中の電車」という画が主体となってしまうのだが…

↓HDRではない、なかなかに気に入った鹿児島の路面電車の画はこちら…
wakkanai097 - View my 'Tramcars at Kagoshima on DEC 19-20, 2011' set on Flickriver
posted by Charlie at 11:40| Comment(0) | HDR/2011年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

枕崎の“明治蔵”(2011.12.19)

「本格焼酎を造っているところ」というもの…これまで視たことがなかった…枕崎でその機会を設けることが叶った!!日本酒であれば、北海道内も含めて、各地で視る機会も在るが…さつま芋を使う本格焼酎は、視られる地域が限られてしまう面も在るかもしれない…

↓こういう場所である…
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↑地元では「寒い…」という話しになっていたようだが…日中がプラス10℃程度の晴天…私の眼には「南瞑の清々しい蒼天!!」と映じた空の下、明治時代以来の伝統を誇る建物が佇む様…美しい!!

館内に関しては「撮影は御遠慮願います」ということになっているのだが、明治時代以来の伝統が在るという、なかなか味わい在る外見の建物は撮影可である。

見学者が少ない朝の訪問で、マンツーマンで御案内頂いた…1本の焼酎に、芋や米や水と言った「豊穣」が職人達の手で凝縮されるプロセスというものが学べる場所である。

売店に試飲コーナーが在るが…随分頂いてしまった…

↓「御機嫌!!」で気に入ったものを幾分求めたが、殊更に気に入ったのはこれだ!!



明治蔵原酒


「明治蔵原酒」は、ロックにして拙宅で少しずつ頂いているが…スッカリと“さつま白波”が贔屓になり、目下滞在中の“居候先”でも、毎晩お湯割りを用意して頂いている…
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2012年01月01日

京都 鹿苑寺金閣(2011.12.21)

半ばは思い付き…半ばは“嵐電”に乗ってみたかったから…そんな按配で京都に立ち寄った…

“嵐電”の沿線には、色々と名所が在るのだが…何となく、「やや歩くらしいが、金閣にも行き易かった」ということを“嵐電”に乗ってから思い出した…

↓結果的に、拝観者を迎え入れるようになる直後に入った!!
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↑空模様を視て、「金箔押しの壁が輝く?」と期待したが…なかなかに素晴らしかった!!

金閣…全く初めて訪ねたのは高校の修学旅行だった…その後…何回か寄ったと思う…夥しい京都の名所や史跡の中で、理由らしい理由も思い当たらないのだが、私の中で何となく「代表選手」のように受け止めている場所でもある…

全く初めてであった頃…金箔がやや傷んでいたのだったが、その後修復が行われた…修復後は見栄えが凄く好くなった!!

↓若干の望遠で、壁面をアップにしてみる…
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↑朝の淡い光を受けて輝いている…

偶々、2012年最初の日にこれをこうして記事で御紹介することとなったが…2012年が、色々な意味で「輝かしいもの」になってくれることを願いたい…
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2011年12月29日

会津若松 鶴ヶ城(2011.12.17)

鶴ヶ城を初めて観たのは…2008年のことだった…

1808年…会津松平家中の武士達が大挙して宗谷の地に乗り込み、一部は樺太にも渡っている…これは、ロシア船との悶着が発生していたことを踏まえ、幕府が奥州の諸大名に命じた「北方警固」の一環である。

2008年…郷土の歴史を大切にしている会津若松の皆さんが、「北方警固200年」というようなことで、稚内を訪れたという話しが伝わった。それを聞いて思った。「そういう人達が居るなら…彼らがどんな場所から宗谷、樺太までの長い旅に出発したのか、それを観に行く“稚内の物好き”が一人位居ても良かろう…」とである。

そういう経過で鶴ヶ城を観に出掛け、そこから会津関連の本を色々読み、会津の日本酒も愉しむようになって行き、関係情報にも眼を向けるようになった…「典雅な外観の建物が堅牢な陣地の中核に聳え立つ」という趣の鶴ヶ城には魅了され、再訪をことある毎に思うようになっていた…

鶴ヶ城は戊辰戦争で損傷を受けてしまったことなどから、明治時代に取り壊されてしまっている。昭和に入ってから、地元の皆さんの想いを受けて天守閣等の再建が行われた経過が在る…それを承知で鶴ヶ城を見学し、会津若松の街を歩いたが…気になったことが在った…

鶴ヶ城の建物の一部が、市内の七日町に在る寺に移築された経過が在るらしく、その建物は現在も大切にされているのだが…その建物の屋根は赤茶色を帯びた瓦だった…対して鶴ヶ城の再建天守閣は黒っぽい瓦だった…

赤茶色を帯びた瓦は、粘土の中の鉄分の色が表出したもので、高温で処理されたものであるために寒さに強いとされ、山間部等の「冬は寒い!!」場所で好んで用いられたのだという。恐らく…会津若松でも、この赤茶色を帯びた瓦が城に用いられていた筈である…

そんなことを思ったのだったが…そのうち鶴ヶ城の改修工事が始まったという話しが伝わってきた…瓦を赤茶色のモノに換えるのだという…

「それは是非観たい!!」と思っていた。竣工は今年の3月だった。3月と言えば…大震災だった…「お城は如何に!?」と随分気に掛けたのだが…「お城は健在なり!!」という状況だった…会津若松では、強い地震で、一部の建物の壁が傷むというようなことは在ったらしいが、既にそれが判らないまでに復旧している…

↓前置きが長くなってしまったが…これがその、赤茶色を帯びた瓦に換わった鶴ヶ城である!!
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ここに寄った後に乗車した「SL X'masトレイン」に乗り合わせて話しをした会津若松在住の方によれば、市民から寄附を募り、寄附をした方の氏名が瓦の一部に刻まれているということである…

この日は積雪で屋根の一部が覆われていたが…それでも私はこの眺めが素晴らしいと思った。2008年に訪ねた折りには積雪が無かったからだ…こうして雪を被ると「奥州の要となる城」という風格、貫禄のようなものが加わるのではないかと思う…

↓石垣もほんのりと雪で染まっている…
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「城」と言えば…どうしても美しい建物が目立つのだが、“城”とは「堅牢な石垣等を組み合わせた防衛拠点」で、「優勢な敵に対峙して立て篭もる」という性質のものなので、石垣も「見所!!」だと思う。そして、その石垣と建物が組み合わさった見栄えがまた素晴らしい!!

↓鶴ヶ城の画…
wakkanai097 - View my 'Tsurugajo-Castle at Aizu Wakamatsu-HDR on DEC 17, 2011' set on Flickriver

福島県は3月の震災で最も激しい被害を被ってしまった3県の一つであるが…内陸部の会津地方は、現在では全く問題が無い。(寧ろ、夏の水害で鉄道の一部が未だに復旧工事中であったりする…)震災の少し後から、海岸部の本当に困っている地域の人々に手を差し伸べたのは、会津地方の皆さんである。それは記憶に留めたい…

一つ会津若松関係の話題を記しておきたい…地元で少し盛り上がっていたようだが…2013年の大河ドラマ…会津に関係の在る物語になるそうだ…明治時代の教育者、新島襄の妻であった八重が主人公になるのだという…彼女は、戊辰戦争当時は鶴ヶ城に篭って戦っていたのだ…

会津若松の鶴ヶ城…地元の歴史を伝え、未来を見詰めて佇む美しい姿が、強く印象に残る…
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2011年12月28日

7100型蒸気機関車6号機 “しづか”(小樽市総合博物館)(2011.12.16)

小樽の手宮地区は「北海道で初めて鉄道が敷設された場所」として知られている。1880(明治13)年のことで、日本国内で3例目の鉄道だったという。

鉄道が敷設されたのは、需要先へ積み出す港へ石炭を輸送するというのが主目的であった。当初は、旅客輸送は然程盛んでもなかった。若干の「要人の移動」に利用される例が在った程度のようだ。と言うよりも…1880(明治13)年当時の北海道は、開拓の途上、或いは始まったばかりであり、大きな旅客需要が望めるような大きな都市は未だ無い…

その北海道の鉄路で運用する機関車は、米国のピッツバーグに在った会社に発注され、北海道に輸入された。

この機関車が「7100型」である。計8輌在った。

1880年(2両) : 1, 2(製造番号368, 369)
1882年(2両) : 3, 4(製造番号487, 488)
1884年(1両) : 5(製造番号643)
1885年(1両) : 6(製造番号672)
1889年(2両) : 9, 10(製造番号1009, 1010)
※7、8は欠番らしい…

この時代の米国と言えば…時代は正しく、所謂“西部劇”の時代な訳で、機関車も「西部劇に登場するようなスタイル」そのものな姿で出来あがった…

この7100型の1輌が、小樽市総合博物館に展示されている。

↓小樽市総合博物館の“目玉展示”扱いだ…多分、一番好い場所に鎮座している…
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↑正しく「西部劇に登場するようなスタイル」そのもので、馬に乗った列車強盗でもやって来そうな感さえするが…こういう姿の機関車が、開拓者達の入り込んだ北海道を駆けていた時代に想いを巡らせながら観た…

機関車には、番号の他に歴史上の人物に因んだ愛称を付されている。1 - 6には番号順に、「義經(義経/よしつね)」、「辨慶(弁慶/べんけい)」、「比羅夫(ひらふ)」、「光圀(みつくに)」、「信廣(信広/のぶひろ)」、「しづか(静/しづか)」と命名されている。1889年製の2輌に関しては、どういう訳か、こういう命名はされなかった。

この機関車は、「7100型」という形式名ではなく、寧ろ“愛称”でお馴染みな車輌となっていると思う。小樽に在るのは、1885年に登場している6号機で、“しづか”という名が冠せられている。これは“義経”(源九郎義経)が愛したと伝えられる女性の名だ…

↓機関車の横には、確りと「SHIZUKA」(じづか)と名前が入っている!!
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機関車は永く色々な運用がされていたり、放置されていた経過が在るが、“しづか”は“義経”と共に1952年に往時の姿に綺麗に復元され、1962年から「北海道鉄道記念館」(小樽市総合博物館の前身)に展示されて今日に至っている。

小樽市総合博物館は、この明治時代の機関車の他にも色々な鉄道車輌を保有しているが、大半が屋外展示である。冬季は、それらの車輌を保護するカバーに覆われてしまっていて観ることが叶わない…「観られる時季に!!」と再訪を期したが…それでもこの“しづか”は、なかなかに好い!!

この“しづか”の撮影も、例によって「S95手持ち」だが、好い具合の画になった!!
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2011年12月26日

旧日本郵船小樽支店(2011.12.16)

小樽…北海道の発展を支えた経過の在る港町である…

札幌駅・小樽駅間は列車で40分程度…両市の間で通勤・通学というような例も珍しくはない程だ…旅行者は、札幌に滞在している期間の中で「小樽日帰り」という行動を取ることが圧倒的に多い…

「小樽を訪ねて…」と思い付けば、札幌に何かの用事で出た折にでも簡単に訪ねることは出来る筈だが、それでも存外訪ね悪い…

ということで…旅の途上、小樽に寄ってみることにした。

↓こんな建物が市内に在る…
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↑20世紀冒頭に登場した洋館である…

これは大手船会社の小樽支店だった建物だ。北海道内の産品を他所の地域へ運び出したり、北海道内で必要なモノを他地域から運び込むという場面で、海運業は大活躍だ。小樽は永く北海道内で最も隆盛だった港の一つで、大手海運会社の拠点も設けられていた…

この建物は小樽市の博物館として利用されていた経過が在ったが、建物そのものの歴史的価値が注目され、往時の内装が再現された…

↓こういう按配である…
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↑御覧のとおり、会議場である…

日露戦争終結後、樺太の北緯50度に日露両国の国境を設けることとなった。その際、国境線を画定する作業に関する、両国実務関係者による会議が、この会議場で催されたのであった。日露両国は佐官級の将校を代表に据え、法務や測量技術に明るい関係者(両国の軍で事務に携わっていたり、技官として測量任務に就いていた人達)、通訳官等からなる代表団を編成し、両代表団がここで話し合った訳である…

↓これは会議場の隣の部屋だ…
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↑“貴賓室”と呼ばれているが、会議後に両国代表が互いの仕事を労いながら杯を交わした場であったという…

こういう場所に寄るのは、なかなかに愉しいと思う。何か「本当の“現場”だけが有し得るもの」が伝わるような気がする…

また、こういう明治時代の建物の内装、外装共「画になる」ものだと思う。中に関しては、勝手に三脚を立てられる訳でもないので、手持ち撮影がし易いS95のようなカメラが非常に重宝する。

冬季のこの辺りは、やや寂しいが…夏季には周辺の広場と絡まった様子も美しいと聞く…

札幌から近くでありながら、余り寄っていない小樽だが…今回立ち寄ってみて、「もっと寄る機会を設けてみたい…」と思った…

↓小樽の画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - Otaru on DEC 16, 2011' set on Flickriver
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2011年12月24日

博多駅のイルミネーション(2011.12.18)

今年3月の「九州新幹線全通」に合わせて、博多駅は新しい駅ビルになった…昨年、このビルが工事中だった様子を眼にしていて、駅ビルに関心を持ってはいたのだが、実際に福岡に辿り着いてみると、他にも色々と在ってビルそのものは駅と発券窓口―博多南駅に行ってみて、そこで友人と落ち合った…その際に切符を求めたのだった…―を利用しただけで、素通り同然だった…

それは、それとして…夜になって駅前にやって来て、少々驚いた…

↓博多駅のビルはこんな様子だ…
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方々の様子を見聞しているつもりだが…或いは「日本一華やか??」とさえ思った…

近年は、方々でクリスマス・イルミネーションというものが盛んになっているようだが…こんなにまで華々しく駅ビルを飾り立てている様子…類例を思い浮かべられない…或いは、今年は「開業年!!」ということで殊更に力が入っているのかもしれないが…「蒼く輝く星々の中に浮かぶ宇宙要塞」というような趣である…

↓少し離れた、角度の違う眺めはこんな感じだ…
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↑バスターミナルやテナント店が入居する、駅に隣接するビルの、バルコニー状になっている2階からの眺めだ…

実は…つい先程まで、今日がクリスマスイブだったことを余り意識していなかったが…こういう光景を視ると、「多くの人の人生に輝き在れ…」などということを考えてしまう…

写真は…S95の手持ちで撮影している…既に後継機のS100が登場して話題になっているが、S95もマダマダ行ける!!

↓未だ多少増やすが…福岡のHDR画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - Fukuoka on DEC 2011' set on Flickriver
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2011年12月23日

西大山駅(JR最南端駅)(2011.12.19)

全て鉄道利用で、「稚内から枕崎まで」という旅をした…本州北部は郡山まで南下し、会津若松を経て新潟に向かい、北陸路から大阪に入って新幹線、更に指宿・枕崎線で動いたが、この分の移動が3,174kmだった…

「JR最北端駅」というものは頻繁に眼にしているが…「JR最南端駅」は視たことが無かった…

↓こんな様子である…
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プラットホームが設けられているだけの小さな駅である…この標柱の記念写真を目的に、明るい時間帯の列車は敢えて2分間停車する…

指宿・枕崎線だが、鹿児島中央・指宿間は通勤・通学や他の利用者がそれなりに多い。一部は鹿児島市内の住宅地を通っているようだ。列車本数は多く、黄色い塗装の“菜の花”号も往来している。指宿の向こうの山川・枕崎間は無人駅が延々と続く間だ…

「JR最北端駅」は北緯45度だが…「JR最南端駅」は北緯31度…日本は広い…
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<ラピート>(2011.12.22)

「関西国際空港を利用」と言うと…空港との往来に関しては色々なやり方が在る…その各々に長短が色々と在るとは思うのだが…

大阪市内からであれば、“南海電車”の“特急”というのは、有力な選択肢で在るように思うが、如何であろうか?なんば・関西国際空港間は40分強である…もしかすると、「なんばへ向かう方が面倒…」という状況さえ多いかもしれない…

実はこの「“南海電車”の“特急”」というもの…随分と以前に一度りようしているが、今回、久々に利用した!!

↓これがその「“南海電車”の“特急”」である…
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↑<ラピート>という愛称が在る…

この<ラピート>…斬新なデザインだが、斬新に「過ぎる」という視方も在るのかもしれない…兎に角目立つ…

↓何処となく“古典SF”の宇宙船を想わせる…
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↑「速さ」を想起させる<ラピート>という愛称…肯けるような気もする…

↓しかし…“空気抵抗”を顧慮しての凝った設計のようにも…思えない…
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↑何処となく『鉄人28号』のようでもある…

いずれにしても…とりあえず「画になる!!」鉄道車輌ではないかと思う…好き嫌いはかなりハッキリ別れそうだが…今回の画は、S95の手持ち撮影だ…三脚はやや憚られるような、なんば駅のホームで撮っているのだが…

“国際空港”へ向かう列車だけに、車内では聞き慣れない外国語での話し声も結構聞えていた…乗車券と特急指定券とをセットで求めて乗車する…近年は“乗車券”部分に関しては“ICカード”というのも「よく在る」ようだ。私は窓口で双方を合わせた型で求めたのだが、駅員さんに「乗車券も合わせてですか?」と尋ねられた程だった…

この<ラピート>で空港に向かい、日航機で大阪から雪の札幌へ飛び、更に旭川に北上した…今回、往路は「全て鉄道」を利用して「稚内・枕崎」(JRの南北の端)の行程で動いたが…復路は航空機利用で、かなり呆気なかった…その航空機利用を支えたのが<ラピート>である…

また機会が在れば、この<ラピート>を利用したい!!
posted by Charlie at 00:29| Comment(0) | HDR/2011年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月20日

急行<きたぐに>(新潟駅で発車を待つ583系電車)(2011.12.17)

鹿児島のホテルで寛いでいる…

稚内→旭川→札幌・小樽→郡山→会津若松→新潟→新大阪→博多→鹿児島中央→枕崎→鹿児島中央という移動だ…

↓この中、「新潟・新大阪」はこれを使った…
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↑急行<きたぐに>である…

3月のダイヤ改正で、この<きたぐに>は姿を消すことになったそうだ…

↓“座席”または“三段寝台”で使用可能という内装の583系電車…
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↑一時代を画したような車輌だったそうだが…定期運行での運用は…3月のダイヤ改正までだ…

今回の旅行では「思い付き」で乗車しているが…貴重な経験ということになった…
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2011年12月19日

C57 180(2011.12.17)※2011年最後の磐越西線SL運行

鹿児島中央駅傍のネットカフェで、「夜遅く到着。翌早朝に出発」というスケジュール故に、何となく眠れない夜を過ごしていたが…一寸ブログの記事を…

磐越西線の「新潟・会津若松・新潟」の蒸気機関車牽引列車の運行は、新津で保存されていた「C57 180」を動くようにして、1999年から続けられている。熱心なファンと沿線の皆さんの暖かい応援で続けられているものだ…

今回の旅が12月ということになったのには色々な理由が在ると思うが、その中の一つが「C57 180」だった。毎年、5月から11月の運行の後、12月に「SL X'mas トレイン」ということで運行を行っているというのだが、それが12月17日に催されることを知ったのだった。そして、それに乗車出来た!!

その「SL X'mas トレイン」がなかなかに愉しかった!!その想いを胸に…新大阪・博多の新幹線車中で、持ち込んだパソコンを駆使してHDR画を創った…

↓会津若松駅で出発を待つ様である…
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とにかく、なかなかの人出で、写真を撮るのも難しい…三脚は機動性を損ねるので、手持ちが好適だ…そういう場面で、S95が有効だ…

SLの写真…走行している様子を撮るのが善いのかもしれないが…静止している場面を撮って、HDR画を創るのも善いと思う…「雪が降りました」というような条件の会津若松から新潟のような区間で、上記を噴き上げ、憂愁を帯びた汽笛を鳴らす「金属製の生き物」を思わせる蒸気機関車は、非常に魅力的な被写体だ!!

↓何か、妙に気に入っている画である…
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↑12月であれば既に暗い時間帯…少し長めに停車して、水の補給等を行っている時に撮った画だ…

「動態保存の蒸気機関車を撮ったものを駆使したHDR」というもの…なかなか難しいかもしれないが、手持ちでも、暗くても、存外に良い画が撮れてしまうS95のような「強い味方」が手元に在れば、「或いは可能」かもしれない…
posted by Charlie at 04:22| Comment(0) | HDR/2011年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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