小樽の手宮地区は「北海道で初めて鉄道が敷設された場所」として知られている。1880(明治13)年のことで、日本国内で3例目の鉄道だったという。
鉄道が敷設されたのは、需要先へ積み出す港へ石炭を輸送するというのが主目的であった。当初は、旅客輸送は然程盛んでもなかった。若干の「要人の移動」に利用される例が在った程度のようだ。と言うよりも…1880(明治13)年当時の北海道は、開拓の途上、或いは始まったばかりであり、大きな旅客需要が望めるような大きな都市は未だ無い…
その北海道の鉄路で運用する機関車は、米国のピッツバーグに在った会社に発注され、北海道に輸入された。
この機関車が「7100型」である。計8輌在った。
1880年(2両) : 1, 2(製造番号368, 369)
1882年(2両) : 3, 4(製造番号487, 488)
1884年(1両) : 5(製造番号643)
1885年(1両) : 6(製造番号672)
1889年(2両) : 9, 10(製造番号1009, 1010)
※7、8は欠番らしい…
この時代の米国と言えば…時代は正しく、所謂“西部劇”の時代な訳で、機関車も「西部劇に登場するようなスタイル」そのものな姿で出来あがった…
この7100型の1輌が、小樽市総合博物館に展示されている。
↓小樽市総合博物館の“目玉展示”扱いだ…多分、一番好い場所に鎮座している…
↑正しく「西部劇に登場するようなスタイル」そのもので、馬に乗った列車強盗でもやって来そうな感さえするが…こういう姿の機関車が、開拓者達の入り込んだ北海道を駆けていた時代に想いを巡らせながら観た…
機関車には、番号の他に歴史上の人物に因んだ愛称を付されている。1 - 6には番号順に、「義經(義経/よしつね)」、「辨慶(弁慶/べんけい)」、「比羅夫(ひらふ)」、「光圀(みつくに)」、「信廣(信広/のぶひろ)」、「しづか(静/しづか)」と命名されている。1889年製の2輌に関しては、どういう訳か、こういう命名はされなかった。
この機関車は、「7100型」という形式名ではなく、寧ろ“愛称”でお馴染みな車輌となっていると思う。小樽に在るのは、1885年に登場している6号機で、“しづか”という名が冠せられている。これは“義経”(源九郎義経)が愛したと伝えられる女性の名だ…
↓機関車の横には、確りと「SHIZUKA」(じづか)と名前が入っている!!
機関車は永く色々な運用がされていたり、放置されていた経過が在るが、“しづか”は“義経”と共に1952年に往時の姿に綺麗に復元され、1962年から「北海道鉄道記念館」(小樽市総合博物館の前身)に展示されて今日に至っている。
小樽市総合博物館は、この明治時代の機関車の他にも色々な鉄道車輌を保有しているが、大半が屋外展示である。冬季は、それらの車輌を保護するカバーに覆われてしまっていて観ることが叶わない…「観られる時季に!!」と再訪を期したが…それでもこの“しづか”は、なかなかに好い!!
この“しづか”の撮影も、例によって「S95手持ち」だが、好い具合の画になった!!
posted by Charlie at 18:49|
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HDR/2011年12月の旅
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