2011年05月12日

撮影地:増毛

“増毛”は「ましけ」と読む。北海道の日本海岸、やや北寄りに位置する町である。

この町については、“日本酒ファン”という立場で、北海道内では御馴染の銘酒“国稀”を造る会社が所在する場所として記憶していた。

そういう意味で「何時か訪ねてみたい」と漫然と思っていたが、なかなか機会を設けることも出来なかった…「機会を設ける」にしても“切っ掛け”が見出せなかったと言う方が精確かもしれない…

そこに“切っ掛け”が登場する…4月に旭川を訪ねた折り、同行者の一方が列車で札幌へ発つ運びとなっていたので、他の同行者の方や旭川で会った関係者の皆さんと一緒に旭川駅に見送りに向かった。そこでJR北海道のチラシを見掛けて頂いてしまったのだった…

JR北海道では、「ゆったりと車窓を愉しむ旅をしませんか…」というコンセプトの下、窓を大きめに設えた客車をディーゼル機関車で牽引する観光列車、名付けて<ノロッコ号>というものを運行している。5月上旬の連休時期、その<ノロッコ号>が旭川・留萌・増毛間で運行されることを知った…

<ノロッコ号>が旭川・留萌・増毛間で運行される時期…資金は無いが暇は在る…そして、この時期には“三連休おでかけパス”(普通列車)が発売される…旭川から戻ってからの約10日間というもの、「“三連休おでかけパス”(普通列車)…<ノロッコ号>…増毛…」という事が頭の中を巡る場面が多かった…

そして「5月4日、5日辺りは好天?」という情報を得て、5月3日に出発を決めたのだった…

前段の話しで字数が嵩んでしまって恐縮だが、こうした経過が在ったことで、何か「非常に好い型で増毛と出逢った」と感じるのだ。

“増毛”という名称だが、これはアイヌ語の「マシュキニ」「マシュケ」に由来するという。「鴎の多い所」という意味らしい…

「鴎の多い所」…確かに、輝く日本海を望む海岸に在る小さな街なので、鴎は視掛ける…何となく納得出来る命名だ…

北海道は日本海側から拓けている。江戸時代の物流の主要ルートの一つに「北前船による交易路」が在る。大阪から瀬戸内海を抜けて日本海に入る船は、沿岸を北上して北海道にまで至った。そういう船が北海道で身欠き鰊や昆布を仕入れた訳だが、北海道の日本海岸ではそういうモノを供給する漁場が各地に開かれた…

増毛もそうした漁場の一つだった…18世紀半ばには既に松前の商人が番屋を設けているという記録が在るのだそうだ。やがて19世紀に入ると、北海道では「ロシア船との摩擦」も発生し、“北方警固”ということで主に東北地方の大名が幕府の指令を受けて武士団を送り込むというようなことが在った。増毛にもそういう武士団が来ているという。(“北方警固”については、私が住む稚内でも同様の経過が在った…)

そして明治期以降、増毛は当時大変な隆盛を誇っていた鰊漁の拠点として賑わったという。

↓増毛の歴史はこちらに詳しい…
> 増毛町|増毛町の歴史 - 増毛物語

私は「列車でふらりと出掛けて、辿り着いた街を散策する」というような旅行スタイルが大好きなのだが、増毛は「そういうことをするために在る」というような感じさえする場所である…

その「辿り着いた街を散策する」という中で写真も撮る…5月5日に立寄った折りには「天候不順な中で束の間の…」という按配な好天に恵まれたことも在り、後から自身でも少々呆れる程度に写真を撮ってしまった…

増毛は静かな街だが、嘗て繁栄した経過を有するために「趣の在る旧い建物」が存外残っていて、静かな町並みを彩っている…

↓或いはその種の「趣の在る旧い建物」の筆頭格なのがこれだ…
> 北海道増毛町 旧商家丸一本間家

「趣の在る旧い建物」は勿論これだけではない。色々と在り、それぞれに好い!!

↓増毛で撮影した写真で創ったHDR画はこちらに纏めておいた…(「今ひとつ??」というものも混じるが…)
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - Mashike on MAY 2011' set on Flickriver

>Photomatrix - Mashike on MAY 2011

とにかくも、増毛は「写真好き」な方は結構愉しんで頂けそうな場所だ…「画になる」ものが多いと思う。

ここまで綴ったようなことで、増毛が気に入ってしまったのだが…気に入ってしまった事由の一つに…「青空に映える桜を視た」というのが在るかもしれない…「北国としては」という留保条件は当然附帯するが、「比較的温暖かもしれない」という話しも在る。「5月5日に桜が視られた場所」としては、もしかすると「国内最北?」だったかもしれないとも思う…

追記
「1981年公開」なので、やや旧いのだが『駅 STATION』という映画を御覧頂くと、街の雰囲気が判る…『駅 STATION』という映画には、夏の様子も冬の様子も出ている。町の全面協力で、長期ロケが敢行された経過が在るらしく、現地では「永遠の名作」という扱いだ…“観光案内所”で大々的に紹介している…
posted by Charlie at 19:09| Comment(0) | 撮影地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

撮影地:稚内港北防波堤ドーム

拙宅近隣の最も気に入っている風景が「稚内港北防波堤ドームの在る風景」ということになる。

「気に入っている」に関して、理由が在る場合も在るが、理由がハッキリしない場合も在る。「稚内港北防波堤ドームの在る風景」が気に入っている事に関しては、後者の「理由がハッキリしない」という要素が大きいように思える。

“稚内港北防波堤ドーム”とは何か?

創建当初、この施設は「稚内港屋蓋式防波堤」と呼ばれたようだ。港の施設なのである。

稚内港は1905年に日本領ということになった樺太との連絡港として注目され、1920年代から整備が本格化した。当時は、現在の北埠頭に相当する地区が稚内港であった。

1920年代に入り、天北線(現在は廃止…)、宗谷線と鉄道が稚内に到達し、1923年には稚内・大泊(現在のコルサコフ)航路、1924年には稚内・本斗(現在のネベリスク)航路と樺太への定期航路も運航が始まった。

現在“ドーム”が在る辺りで貨物や旅客を船に載せようとしていた訳だが、冬季の風浪が激しく、貨物や旅客の輸送に際してはなかなか大変であった。当時は殊に「貨物輸送」と言えば鉄道であったが、埠頭に線路を引き込んでも高浪が埠頭に被って線路も傷んでしまうような状況が危惧された。またそのような場所で旅客が移動するのも危険である…そして、埠頭の位置は当時の稚内駅から1.5km程度とやや距離が在る―現在の稚内駅と現在の南稚内駅の中間辺りだった…―ため、「埠頭まで安全に鉄道を敷設したい」という考え方も在った。

ということで、「それでは屋根を…」と「稚内港屋蓋式防波堤」が設計され、1931年から約5年間に亘る工事を経て完成した。

これが“ドーム”として今日知られている施設の誕生なのだが、あのドームの屋根の下は列車のプラットホームになっていて、柱の前に線路が在って列車が発着していたのである。そして「稚内港駅」と旅客連絡橋も設けられ、樺太への船に連絡していた。

1945年に樺太への航路が途絶え、「稚内港駅」も廃止になり、“ドーム”は資材置場のような状況であった。建設時のコンクリート建築の技術では、海の砂を使用した関係で、1970年代には傷みも目立ち始めた…そして、線路を完全に撤去して北埠頭周辺を整備する際に再建を行った…1990から2000年代には耐震補強工事も施されている…

この“ドーム”は全長が427mで、太い円柱は70本で“屋根”を支えている。冬の高浪が酷い場合…この“ドーム”の屋根のかなり上の辺りまで浪が被って、飛沫が屋根を越える場合も在ったようだ…近年は「飛沫が屋根を越える」次元の高浪は聞かないが…

現在、この“ドーム”が在る北埠頭辺りは“緑地”として整備が進められている。数年の間に多少様子も変わることであろう…

この“ドーム”に関しては、以前から親しんでいるのだが…なかなか魅力的な被写体で、新しいカメラを入手してからというもの、散策に出て撮影という機会が増えている…

↓この“ドーム”を含む、2010年12月撮影の画を利用したHDR画像はこちらで御覧頂ける…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - DEC 2010' set on Flickriver

例えば札幌で“ドーム”と言えば「ファイターズの本拠地になっているスタジアム」であろうし、他所でも東京ドーム、ナゴヤドーム、大阪ドーム、福岡ドームとスタジアムが思い浮かぶケースが多いと思うが…「稚内では」、“ドーム”と言えば“稚内港北防波堤ドーム”である!!さもなければ…日本海側にある温泉の“童夢”(ドーム)であろう…
posted by Charlie at 18:16| Comment(0) | 撮影地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする