この町については、“日本酒ファン”という立場で、北海道内では御馴染の銘酒“国稀”を造る会社が所在する場所として記憶していた。
そういう意味で「何時か訪ねてみたい」と漫然と思っていたが、なかなか機会を設けることも出来なかった…「機会を設ける」にしても“切っ掛け”が見出せなかったと言う方が精確かもしれない…
そこに“切っ掛け”が登場する…4月に旭川を訪ねた折り、同行者の一方が列車で札幌へ発つ運びとなっていたので、他の同行者の方や旭川で会った関係者の皆さんと一緒に旭川駅に見送りに向かった。そこでJR北海道のチラシを見掛けて頂いてしまったのだった…
JR北海道では、「ゆったりと車窓を愉しむ旅をしませんか…」というコンセプトの下、窓を大きめに設えた客車をディーゼル機関車で牽引する観光列車、名付けて<ノロッコ号>というものを運行している。5月上旬の連休時期、その<ノロッコ号>が旭川・留萌・増毛間で運行されることを知った…
<ノロッコ号>が旭川・留萌・増毛間で運行される時期…資金は無いが暇は在る…そして、この時期には“三連休おでかけパス”(普通列車)が発売される…旭川から戻ってからの約10日間というもの、「“三連休おでかけパス”(普通列車)…<ノロッコ号>…増毛…」という事が頭の中を巡る場面が多かった…
そして「5月4日、5日辺りは好天?」という情報を得て、5月3日に出発を決めたのだった…
前段の話しで字数が嵩んでしまって恐縮だが、こうした経過が在ったことで、何か「非常に好い型で増毛と出逢った」と感じるのだ。
“増毛”という名称だが、これはアイヌ語の「マシュキニ」「マシュケ」に由来するという。「鴎の多い所」という意味らしい…
「鴎の多い所」…確かに、輝く日本海を望む海岸に在る小さな街なので、鴎は視掛ける…何となく納得出来る命名だ…
北海道は日本海側から拓けている。江戸時代の物流の主要ルートの一つに「北前船による交易路」が在る。大阪から瀬戸内海を抜けて日本海に入る船は、沿岸を北上して北海道にまで至った。そういう船が北海道で身欠き鰊や昆布を仕入れた訳だが、北海道の日本海岸ではそういうモノを供給する漁場が各地に開かれた…
増毛もそうした漁場の一つだった…18世紀半ばには既に松前の商人が番屋を設けているという記録が在るのだそうだ。やがて19世紀に入ると、北海道では「ロシア船との摩擦」も発生し、“北方警固”ということで主に東北地方の大名が幕府の指令を受けて武士団を送り込むというようなことが在った。増毛にもそういう武士団が来ているという。(“北方警固”については、私が住む稚内でも同様の経過が在った…)
そして明治期以降、増毛は当時大変な隆盛を誇っていた鰊漁の拠点として賑わったという。
↓増毛の歴史はこちらに詳しい…
> 増毛町|増毛町の歴史 - 増毛物語
私は「列車でふらりと出掛けて、辿り着いた街を散策する」というような旅行スタイルが大好きなのだが、増毛は「そういうことをするために在る」というような感じさえする場所である…
その「辿り着いた街を散策する」という中で写真も撮る…5月5日に立寄った折りには「天候不順な中で束の間の…」という按配な好天に恵まれたことも在り、後から自身でも少々呆れる程度に写真を撮ってしまった…
増毛は静かな街だが、嘗て繁栄した経過を有するために「趣の在る旧い建物」が存外残っていて、静かな町並みを彩っている…
↓或いはその種の「趣の在る旧い建物」の筆頭格なのがこれだ…
> 北海道増毛町 旧商家丸一本間家
「趣の在る旧い建物」は勿論これだけではない。色々と在り、それぞれに好い!!
↓増毛で撮影した写真で創ったHDR画はこちらに纏めておいた…(「今ひとつ??」というものも混じるが…)

>Photomatrix - Mashike on MAY 2011
とにかくも、増毛は「写真好き」な方は結構愉しんで頂けそうな場所だ…「画になる」ものが多いと思う。
ここまで綴ったようなことで、増毛が気に入ってしまったのだが…気に入ってしまった事由の一つに…「青空に映える桜を視た」というのが在るかもしれない…「北国としては」という留保条件は当然附帯するが、「比較的温暖かもしれない」という話しも在る。「5月5日に桜が視られた場所」としては、もしかすると「国内最北?」だったかもしれないとも思う…
追記
「1981年公開」なので、やや旧いのだが『駅 STATION』という映画を御覧頂くと、街の雰囲気が判る…『駅 STATION』という映画には、夏の様子も冬の様子も出ている。町の全面協力で、長期ロケが敢行された経過が在るらしく、現地では「永遠の名作」という扱いだ…“観光案内所”で大々的に紹介している…