2018年01月18日

1月17日に思い付いた事…

穏やかな天候が続いている…結構なことだ…

「大きな災害が在った」と伝えられる日付が過ぎると、その特定の日付に何かが発生するという訳でもないことは理屈として判っていながらも、何となく「無事にこの日が過ぎたか…」と安堵感のようなものを覚える…

かの<阪神大震災>が発生した1月17日が無事に過ぎた…

あのニュースが伝えられていた時…“特撮映画”に在る「巨大な怪獣が街で暴れた後」とでも形容する他無いような、大地震の威力にとにかくも驚いたものだった。例えば「高速道路の高架区間は、こういう具合に壊れてしまうのか!?」と、信じ難い感じだった…やがて、とりあえず外に出されてしまった多くの人達が、寒い1月の状況で大変だという話しが伝わって、何気なく窓の外を眺めた…稚内は当然ながら積雪期で吹雪くことも頻繁だ…「北海道でこの種の災害が起これば、地震そのものに起因する死傷を免れても、外の寒さでとんでもなく難儀する…」というようなことを考えていた記憶が在る…

その災害が語り伝えられる1月17日が過ぎたが、実はあの災害の後に“問題意識”が起こり、以降も色々と研究されている事項が在る…

「大災害で大変なことになってしまった」というその時、地域に居合わせた大勢の人達は各々に大変だった訳だが、「殊更に大変」という人達の存在がクローズアップされ始めた。“外国人”である…

<阪神大震災>の後にも、大きな災害は幾つも発生してしまっているが…「何時の間にか隣近所に、存外な数の“外国人”も在る」という社会になっていることに気付かされ、「どうすれば善いのか?」という話しになった訳だ。

非常事態の対応も含め、「誰しもが安心出来るまちづくり」というような問題意識…所謂「多文化共生」というような問題意識は、大雑把に言えば「<阪神大震災>で気付いたこと」に起源が在る訳だ…

「誰しもが安心出来るまちづくり」というような言い方をすれば…それは寧ろ“バリアフリー”とか、高齢者や乳幼児に関係すること等を思い浮かべるのかもしれない。が、それだけでもない。「災害時の避難」のような、誰にでも関係在りそうな事案が含まれる。そして、そういうことには日本人も外国人も差は無い…また定住している人達も、何かで訪れていたという状況下の人達も差は無い…外国人であっても、一定の年数に亘って居住していれば高齢者や乳幼児に関係する問題が生じる場合も在るであろう…また、滞在中に不運にも怪我でも負ってしまうと、誰であろうと少なくとも一時的には“バリアフリー”というような問題に関わりが生じてしまう…

だから「誰しもが安心出来るまちづくり」というような言い方をする際、寧ろ意識して「高齢者や乳幼児や、老若男女全般、加えて居住者も居合わせた滞在者、来訪者も」と考え、「日本人、外国人の別無く」と考えるべきなのであろう。

この、<阪神大震災>の後に気付いたことから起こっているような、「誰しもが安心出来るまちづくり」という概念が、所謂<多文化共生>というモノであろう。

しかし…<多文化共生>というような用語が出て来ると、何処となく「少し特殊な分野?」というような受け止められ方もしてしまうような気がする。何かの切っ掛けで気付き、そこから拡がって纏められて来た概念が在って、その概念を示すような用語が登場する…そういうのは普通かもしれないが、用語が登場した時点で概念に含まれている普遍性が薄められ、何となく隅に追いやられるか、多くの人の念頭に上らなくなる…そういうことも多々在る…

実は最近、2016年に神戸に立寄った際の写真を偶々視ていて、「神戸と言えば…」とカレンダーを視れば「1月17日」が眼に留まった…それで<阪神大震災>を思い出し、更に<多文化共生>に想いが至った訳だ…

↓因みに、これが偶々視ていた神戸の写真を含むアルバムだ…
>>Photomatrix - NOV 21, 2016


この神戸の画でもないが…思い付いて何処かを訪ねて徘徊するというような…そういうことをしたい願望が、最近は酷く強まっている…「アクシデント」で「お預け」になってしまった経過の故に、願望が「渇望」になってしまっているのであろう…
posted by Charlie at 09:45| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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