2015年12月04日

鹿児島:ザビエル公園(2015.10.24)

鹿児島の街で、“天文館”という繁華街の呼称をよく耳にする。路面電車の停留所にも<天文館通>という名前が在るが、他方で「天文館○丁目」というような住所は無いようだ…

繁華街の天文館辺りだが、歩き回ってみると「一寸、面白い!」というものに存外に出くわす…

↓こんなモノに出くわした…
St Francisco Xavier at Kagoshima on OCT 24, 2015 (1)
↑古い建物の、壁の一部のように見える代物だが…それを以て“記念碑”のようにしているようにも見える…

これは、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルを記念して明治時代に建てられた教会の一部で、第2次大戦下に消失してしまったという建物なのだという…教会そのものは後年再建されていて、この“記念碑”のようになっている壁の傍に在るのだが、辺りは「街の小さな公園」という感じになっている。<ザビエル公園>と呼ばれる。

天文館地区というのは…藩政期(江戸時代)に「暦の作成」を目指して天体観測を行う場所を設けていたことに因む呼び名であるという。当時、辺りは島津家中の重臣達の屋敷が集まった地域だった。<かごでん>のガイドさんの受け売りだが、重臣達の屋敷というのは、今で言えば「一寸した規模の小学校の敷地全部」という感じの広いモノだったという。そういう屋敷の敷地が連なっているということは…灯りを使う建物の密度が薄く、夜間に星を望み易かったということになる…

「一寸した規模の小学校の敷地全部」という感じの広い屋敷を構えた重臣達…そういう人達は“千石”というような規模の知行を島津侯から与えられていた…そこで…辺りは寧ろそれに因んで「千石」という通称になって、それが後年に地名化した…この<ザビエル公園>辺りは、「東千石町」という住所だ…

↓古い壁の辺りに、少し年季が入った胸像が在る…
St Francisco Xavier at Kagoshima on OCT 24, 2015 (3)
↑「S. FRANCISCO X.」…Sは「聖」で、「フランシスコ」の名はそのまま綴られ、「ザビエル」の姓はXに略されている…

1549年、イスパニアの宣教師フランシスコ・ザビエルは鹿児島・祇園之洲に上陸したと伝えられる。祇園之洲というのは…現在は<石橋記念公園>が設けられ、移築した江戸時代の石造橋梁が在る辺りに近い場所の海岸部だ…この教会の壁の一部を利用した記念碑は、1949年にザビエルがやって来て400年であることを記念して設けたものなのだそうだ…

↓直ぐ傍に3人の人物の像が据えられていた…概ね、人物達の等身大の像である…
St Francisco Xavier at Kagoshima on OCT 24, 2015 (4)
↑これは1999年に設置されたものらしい…ザビエルがやって来てから450年の記念ということだ…中央がザビエル、左がヤジロウ、右がベルナルドだという…

ザビエルはヤジロウと共に鹿児島に上陸し、後年欧州へ出ることにもなるベルナルドと出会っているという…ザビエルは、鹿児島には1年間程度居たようだ…

ザビエルは鹿児島の後、肥前平戸、周防山口、更に堺を経て京に至り、山口や平戸での活動の後に豊後府内(大分)に入る。1551年に鹿児島のベルナルドらを連れて日本を離れている…そして1552年、ザビエルは中国で他界した…

「キリスト教伝来」や関連する様々な事柄は、日本史の中ではなかなかに大きな出来事の筈だ。そういう出来事を伝えるモノが、「街角の、近隣の子ども達が遊んでいる様子さえ見受けられる場所」にさり気なく置かれているのが、何となく好かった。
posted by Charlie at 21:21| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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