2015年11月24日

京都御所―「一般公開」に遭遇(2015.10.30)

何処かへ出掛ける場合…「出先で少し変わった催し等をやっている」ということを承知した上で、それを「目掛ける」とか「場合によってそこにも…」と考慮に入れた上で出掛けるという場合も在ろう…が、特段にそうしたことを事前に承知せずに出掛けて、正しく「遭遇」という感じになる場合も在るであろう。

今般、その「事前に催し等を承知せずに出掛け」、正しく「遭遇」という感じになる場合という出来事が在った。京都御所の「一般公開」である…

京都で、思い付いて西本願寺に向かってから島原に寄り、京都駅に出てまた街を動き回ろうとした。何かで「平安京が建設されたような頃の大きな模型が在る資料展示コーナーが在って…」と聞いていて、うろ覚えで最寄駅らしい地下鉄の丸太町駅に行ってみた…うろ覚えで駅に向かい、「とりあえず出口案内でも視れば判るだろうか?」と思って案内を視たのだが、今一つ要領を得なかった…他方…丸太町駅は、嘗ての“御所”に近い辺りで、案内の中に<蛤御門>という文字を見付けた…

<蛤御門>と言えば…<蛤御門の変>という幕末の事件が知られる。長州勢は京都を追われる型になり、“巻き返し”の謀を巡らせるが<池田屋事件>でそれも潰えてしまう。そして長州勢は武装した軍を起こして京都に進撃し、幕府側勢力と武力衝突し、京都の市内や近郊で戦闘が展開した…<蛤御門>はその戦闘の舞台となっている場所である…

幕末辺りに、何かの事件が在った場所として知られているような場所に関して、その場所が綺麗に残っている場合も在るが、「小さな石碑が在るだけ」というような場合も多い…<蛤御門>は「どういう按配だろうか?」と近付いてみた…

↓<蛤御門>は、“門”の体裁を留めて残っていた…
'Hamaguri Gomon' gate of Imperial Palace at Kyoto on OCT 30, 2015 (1)

↓門扉に「鉄砲の弾の痕?」と見受けられる、やや不自然な傷が…
'Hamaguri Gomon' gate of Imperial Palace at Kyoto on OCT 30, 2015 (2)
↑幕末に戦闘が行われたということを静かに伝えるような感じだ…

こういう様子を暫し眺めていると…門の辺りに警備員が配置されていることに気付いた…何となく思う以上に人の出入りも見受けられた。門の奥は、言わば公園になっている筈で、人の出入り自体はどうということもない…しかし!そのうち、タクシーやバスが門を潜って道路に出る光景が見受けられ…しかもそれが断続するようになった…「“禁門”とも呼ばれた、御所へ続く門の一つである<蛤御門>が、“駐車場ゲート”になっているのは、一体どういうことなのだ!?!?」と思い始めた…

やがて、門の辺りに配置されていた警備員と通り掛かった人の会話が聞こえて、「<蛤御門>が、“駐車場ゲート”になっているのは、一体どういうことなのだ!?」の事情が判った…御所の「一般公開」が実施中で、別な入口から敷地の駐車スペースに入れたタクシーやバスは、<蛤御門>を出口に指定されていて、御所の見学を終えた人達を乗せて出て来ていたのだった…

「一般公開」ということは?特段に事前申込をしていたでもないが、見学が可能かもしれない…と考えて入口へ向かってみれば…手荷物検めは在ったが、無料で中を見学することが出来た!!建物に上ることは出来ず、指定の順路を巡って、建物や庭園等の様子が眺められるのである。こういうものは「何時でも」という訳にも行かない…ゆっくりと見学させて頂くこととした。まさしく一般公開に「遭遇」した感である…

↓入口から入って程無く眼に留めたのは、「大正天皇の即位の際に整備」という部分だった…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (13)

京都の御所…天皇陛下の宮殿である訳だが、現在の京都に“平安京”が拓かれて以来、御所は存在した。しかし、火災や自然災害や騒乱で建物が損なわれた経過が非常に多い…

平安時代が進む中、摂関家が大きな発言力を持つ時代や、院政の時代というようになって行くが、次第に“御所”は特定の決まった場所ではなく、天皇の代替わりの都度、或いは在位中でも、有力者の屋敷等を移動していた様子である。“里内裏”と称するそうだ…

14世紀に入り、所謂“室町時代”になってから、御所は「現在の場所」に定まったという。これも“里内裏”と呼ばれたものの一つということになろうが、それでも概ね現在地に固定したようだ…

現在の京都御所は、14世紀前半辺りからの伝統を受継いでいることになるのだが、それ以降も京都で戦乱や火災は多く見受けられ、残念ながら御所の建物も損なわれたり、再建されたりを繰り返している。現在の建物の多くは、明治天皇の前の代、孝明天皇の時代に出来たモノのようだ。

明治天皇が東京に遷った後、御所や周辺は一時荒廃傾向を帯びてしまうが、明治天皇がそれを残念がったことから整備されるようになったのだという。更に、大正天皇や昭和天皇が即位した際には、京都の御所で儀礼が催されているという。殊に大正天皇の即位の際には、一部新築も含めて、建物に随分と手が入った様子だ…

↓御所の主要な建物である<紫宸殿>を囲むように設けられている部分…何か「昔の都…」を想像させるような造りで、これが空の蒼にもよく映えていた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (29)

↓凄く大きな生花が飾られていた。恐らく「一般公開」に合わせて準備したのであろう…見事だった!!
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (24)

↓これが、天皇が公的な祭礼等を行う<紫宸殿>だ…<右近の橘>の側から視た感じ…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (46)

↓<紫宸殿>の真正面から、天皇が着座するとされる辺りを見上げてみる…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (42)
↑確か…この種の場所は「直視しない」のが、昔のマナーだったかもしれないと思いながら、暫くこういう角度で視ていた…

↓何箇所も設けられている門は、菊の御紋が飾られていて、地味なようでいて、華麗な感じがした…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (32)

↓「盛り」には未だ少々早い感じではあったものの、なかなかに美しく紅葉している木々も見受けられた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (38)

↓女官達の人形を配置して、中の様子を紹介している箇所も在った…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (53)

↓大小様々な建物が組み合わさって、内部は少し複雑な様子になっていることを想像させてくれるような様子が見え、少し面白いと思った場所…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (57)

↓庭園が一寸好い感じだと思って眺めていた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (67)

こういう具合で、色々な建物が配置され、庭も設えられている御所の公開された区画を随分ゆっくり歩いて観て回った。天候も好く、なかなかに好い時間ということになった…

↓京都御所の画を多数含む、10月30日撮影の画を集めたアルバム…
>>Photomatrix - OCT 30, 2015

↓興味深く見学をし、出口から街の道路へ続く側に出ると、こういう看板が在った…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (82)

公開されていた区画では、“宮内庁”という腕章をした係員が居たり、<皇宮警察臨時警備本部>というような札が掛かっている場所が在ったりという様子を眼に留めたが…恐らく、宮内庁や皇宮警察の関係者の皆さんの間では、この「京都御所公開」は年2回の定例的な一大行事で、きっと色々と大変なのであろう等と考えながら、烏丸御池駅の側へ歩いて行ったのだった…

室町時代位から“御所”だった伝統が在る一画ではあるが、より直截的には「幕末の様々な出来事の舞台」だった場所で、見学しながら色々な事が想い起された…その後、御所は明治時代から昭和の初めまでにも色々と使われた場所ということにもなる。

京都御所に関して「見学出来る」というように、事前には全く思っていなかったが、正しく“公開”に“遭遇”してしまった…御蔭で興味深い経験をさせて頂いた…実を言えば、「京都に寄ることが叶えば…こういう場所を訪ねて…」と全く考えていなかったということでもないが、それらを吹き飛ばして「御所の一般公開」で時間を費やしたが…それはそれで善い…一人で好き勝手に動いているのだから、そういう“計画外”も「在り」という型の行動をしてみるのも悪くは無い…
posted by Charlie at 21:31| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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