2015年11月16日

広島:赤煉瓦造の建物が渋い<郷土資料館>(2015.10.28)

広島での午前中は江波山に向かった。広島駅辺りから視て南西側になる江波山に対して、南東側には宇品地区、広島港が在り、そちら側にも路面電車の路線が延びている。<江波山気象館>を見学する等した後、路面電車を乗り継いで、宇品地区へ足を延ばしてみた…

宇品地区というのは、明治時代から港として軍民に利用された経過が在る地区で、広島の発展を支えていた側面が在る。殊に日清戦争の頃には、折良く山陽線が広島まで延伸された直後であって、他地域との間を鉄道で結ぶ他方で、宇品の港から戦地となった中国大陸との間を往来するということになり、広島に“大本営”も開かれて明治天皇が広島入りしたということまで在ったのだった…そうした経過から、広島に関しては“軍都”という呼ばれ方も在ったようである…

宇品地区に路面電車で至ってみれば、「少しだけ都心から離れた」という風情で、住宅街が広がる中にオフィスや商店等が散在しているような雰囲気だった…そういう中を歩き回り、ソースの芳香に惹かれて“お好み焼き”で腹ごしらえもしながら、<郷土資料館>という場所を目指してみた…

↓この日の青空の下に、赤煉瓦の建物がなかなかに映える!!
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (1)
↑これが<郷土資料館>である…

↓古い建物を整備して利用している資料館であることが判る…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (3)
↑建物そのものは、1911(明治44)年に登場したモノが基礎になっている。ここは陸軍の“糧秣支廠”と呼ばれた施設だった…

“糧秣支廠”というのは、兵士の食料である“糧”と軍馬の餌である“秣”を調達・製造し、部隊に送り込むことがその役目という軍関係施設である。より詳しく言えば、この赤煉瓦の建物は缶詰工場として使われた建物の一部であるという。往時は近くのグランド辺りまでのもっと広い敷地が“糧秣支廠”となっていて、缶詰に加工していた食肉を処理する場所まで在ったという…この建物は原爆を乗り越えた建物であるというが、一部の鉄筋に、爆風の衝撃による傷みの痕跡が残っているという…戦渦が著しい広島に在っては、明治期から昭和初期の建築は、他地域と比べて殊更に貴重な存在という一面が在るのだと想像する。そうしたことで、この建物は<郷土資料館>として整備され、街の歴史を学ぶ場とされているのであろう…

↓明治末年頃の煉瓦の積み方を伝えるという壁である…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (10)

資料館としては、正しく「街の歴史を学ぶ」という趣で、市内の小学校の見学グループが丁度館内に居合わせた。説明員が港が整備された経過や、古い道具が在る場所で昭和30年代頃までの生活の様子等を説明していた。<江波山気象館>で見掛けた小学生は、何やら歓声を上げていたが、こちらで見掛けた小学生は真面目に説明員の御話しに耳を傾けている様子だった…

常設展示の中では…申し訳ないが「殊更に関心を湧き起こすモノ」は少な目であったが、驚いたのは、缶詰の缶の代用品として用いられたと伝えられる陶器製の容器であった…硝子ケースに収まって、写真撮影はし悪い代物だった…正しく「大きめな湯呑みのような容器に蓋が付く」という雰囲気の陶製容器で、湯呑みか何かのような部分に「缶詰の中身」に相当するモノを詰めて蓋をしたのであろう…「戦時中の話し」として、“金属供出”と言って、寺院の釣鐘や公園の銅像から、子ども達が学校等に持参する弁当箱に至るまで、方々の金属製品を集めたという話しを聞いた―“弁当箱”で航空機や軍用車輌が出来る筈もなく…古びた釣鐘を鋳潰して、何が出来るのか?!何か「凄く妙な話し」と感じる…―記憶が在る…更に、この資料館の前に立寄った<江波山気象館>で、1939(昭和14)年頃から鉄筋コンクリート建築は「金属資材の調達難」で廃れたようになってしまったことから、1934(昭和9)年竣工の気象台は、「戦前の鉄筋コンクリート建築としては“末期”なモノ」という解説に触れたばかりでも在った…そういうことは聞いているにせよ、「軍で用いる缶詰」に至るまで、「金属の利用制限」が在ったとは…率直に驚いてしまった…

↓開催中だった“企画展”が、なかなかに興味深かった…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (11)
↑これは広島市が市内の個人から寄贈を受けた資料を中心に展示したもので、士官として出征した日中戦争で戦死した方が残したものや、関連事項の紹介という展示で「戦禍や身近な人の戦死が身近だった時代」を語ろうとするような企画だった…多少の語弊を怖れずに言えば「少し洗練された、戦時の歴史の見せ方」のようにさえ思った…

“H氏”とされていた方…この展示の“主人公”ということになる方だが…広島で育ち、京都の同志社で学んでから広島に戻って活躍し、士官として出征して戦死したということだが…少年期の学校のことを挙げながら、当時の教育や学校のことを紹介し…彼が打ち込んでいて、広島でも競技普及に尽力していたというラグビー―彼が学んだ同志社と言えば…今でも関西の学生ラグビーのチームとしては「伝統を誇る名門チーム」として有名だ…―の様子など、現在も一定の人気を持っているスポーツが普及していたという時代を紹介し…様々な書簡等から、中国地方各地に展開していた軍の部隊のことや、入隊した人達の様子や周囲の人々の様子を紹介し…広島で同じ学校に学んでいた経過が在って、顔見知りであったという軍医に看取られて戦地で最期を迎えた経過や、軍の士官としての“H氏”が遺した制服や身近な装備品等が紹介されていた…「昭和20年頃まで」という、場合によっては「やや遠い」ものにも感じられる“時代”が「かなり身近に迫って来る」ような感じの展示だった…未だ暫くはこの企画展をやっているらしいので、近くにお住まいの方や、広島を訪ねて多少の時間が在る方にはお奨めしたい感だ…

↓好天に恵まれたこの日…敷地の樹木が凄く鮮やかに見えたことが、何となく記憶に残る…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (7)

今般は<江波山気象館>と合わせ、街の歴史を語る建物を利用した<郷土資料館>に立寄ることが叶った。非常に善かったと思う…
posted by Charlie at 18:44| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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