2013年01月31日

長崎・上野彦馬生誕地(2012.12.19)

冬の朝はなかなか明るくならないが、その辺の事情は北国の稚内であっても、西の長崎であっても大差が無い…

前日の夜に長崎に到着し、一夜を明かして早朝から動き始めた。コンビニで珈琲を求めて啜り、その日の運行が始まったばかりの路面電車で移動した。「時間帯の割には?」と思える程度に多くの乗客が居た電車は、寧ろ“夜”のような街並みを走っていた。

電車を下りて、有名な眼鏡橋を視に行こうと歩き始めた。電車は存外に多くの乗客を乗せて動いているが、未だ行き交う車や通行人は多くない静かな街並みを行き、電車の停留所に在る周辺図で見当を付けた辺りをゆっくりと目指す。

やがて川が在って橋が架かっている、眼鏡橋の辺りに着いた。「この辺りだ!」と周囲を視る。

↓すると、こんなものが…
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見覚えが在る“坂本龍馬”と、「誰だった?」と咄嗟には思い浮かばなかった人物が…よく見ると、“上野彦馬”と在る…

暫し考えて思い出した。「有名な坂本龍馬の肖像写真を撮影した写真師」が上野彦馬であることを思い出した。“史上の人物”としては「屈指の人気者」で在る坂本龍馬との関わりで、上野彦馬の生誕地を示す記念碑に、上野彦馬自身の像と並んで坂本龍馬像が登場した訳である。坂本龍馬は有名な写真のポーズだ…

長崎は、かの坂本龍馬が活動した街で、彼の足跡を訪ねて市内を巡るというのも、長崎ではなかなかに人気が在るコースらしい。という訳で、「彼の有名な写真を撮った人に縁の…」と眼鏡橋の近くにこの碑も登場したのだろう…

この碑を視てから、私は眼鏡橋を視て愉しんだのだったが、偶々出くわした上野彦馬という人物に一寸興味を覚えた。

肖像写真が残って、それが少し知られた人物であると…「写っている人物」は話題になることが多いが、「撮影者」は「名前が出る場合も在る」という位であろうか。“写真”というものが日本国内で撮影されているのは、江戸時代の終わり頃で、“普及”という次元になるには相当の時間を要した訳だ。坂本龍馬のような、幕末期に活躍した人達辺りから、その姿が写真に残っているのだが、「それを撮影」ということであれば、「日本史上では最初期の写真撮影者」ということになる。

上野彦馬は天保9(1838)年生まれで、明治37(1904)に逝去しているそうだ。

上野彦馬は、オランダ軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトを教官とする医学伝習所に学んだ折りに写真の事を知ったようで、、文久2(1862)年には江戸に出ていて、同年中に長崎に戻って“上野撮影局”という「日本最初の写真館の一つ」を開業したのだという。幕末期には長崎で様々な人物の撮影を手掛けることになった。

明治時代になってからも、上野彦馬は写真家として活動を続けている。彼は西南戦争を取材して写真を撮影したことから、「日本初の戦場カメラマン」とも言われるようだ。

全くの偶然で、なかなか興味深い人物の存在を思い起こすことになった…それにしても…「日本で最初の方」に写真を手掛けた上野彦馬のような人達は「銅像を暗い早朝に、カメラ手持ちで手軽に撮影出来るようになり、撮った画は現像しなくても視られる」という状況を想像しなかったことであろう…
posted by Charlie at 18:21| Comment(0) | HDR/2012年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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