2011年12月29日

会津若松 鶴ヶ城(2011.12.17)

鶴ヶ城を初めて観たのは…2008年のことだった…

1808年…会津松平家中の武士達が大挙して宗谷の地に乗り込み、一部は樺太にも渡っている…これは、ロシア船との悶着が発生していたことを踏まえ、幕府が奥州の諸大名に命じた「北方警固」の一環である。

2008年…郷土の歴史を大切にしている会津若松の皆さんが、「北方警固200年」というようなことで、稚内を訪れたという話しが伝わった。それを聞いて思った。「そういう人達が居るなら…彼らがどんな場所から宗谷、樺太までの長い旅に出発したのか、それを観に行く“稚内の物好き”が一人位居ても良かろう…」とである。

そういう経過で鶴ヶ城を観に出掛け、そこから会津関連の本を色々読み、会津の日本酒も愉しむようになって行き、関係情報にも眼を向けるようになった…「典雅な外観の建物が堅牢な陣地の中核に聳え立つ」という趣の鶴ヶ城には魅了され、再訪をことある毎に思うようになっていた…

鶴ヶ城は戊辰戦争で損傷を受けてしまったことなどから、明治時代に取り壊されてしまっている。昭和に入ってから、地元の皆さんの想いを受けて天守閣等の再建が行われた経過が在る…それを承知で鶴ヶ城を見学し、会津若松の街を歩いたが…気になったことが在った…

鶴ヶ城の建物の一部が、市内の七日町に在る寺に移築された経過が在るらしく、その建物は現在も大切にされているのだが…その建物の屋根は赤茶色を帯びた瓦だった…対して鶴ヶ城の再建天守閣は黒っぽい瓦だった…

赤茶色を帯びた瓦は、粘土の中の鉄分の色が表出したもので、高温で処理されたものであるために寒さに強いとされ、山間部等の「冬は寒い!!」場所で好んで用いられたのだという。恐らく…会津若松でも、この赤茶色を帯びた瓦が城に用いられていた筈である…

そんなことを思ったのだったが…そのうち鶴ヶ城の改修工事が始まったという話しが伝わってきた…瓦を赤茶色のモノに換えるのだという…

「それは是非観たい!!」と思っていた。竣工は今年の3月だった。3月と言えば…大震災だった…「お城は如何に!?」と随分気に掛けたのだが…「お城は健在なり!!」という状況だった…会津若松では、強い地震で、一部の建物の壁が傷むというようなことは在ったらしいが、既にそれが判らないまでに復旧している…

↓前置きが長くなってしまったが…これがその、赤茶色を帯びた瓦に換わった鶴ヶ城である!!
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ここに寄った後に乗車した「SL X'masトレイン」に乗り合わせて話しをした会津若松在住の方によれば、市民から寄附を募り、寄附をした方の氏名が瓦の一部に刻まれているということである…

この日は積雪で屋根の一部が覆われていたが…それでも私はこの眺めが素晴らしいと思った。2008年に訪ねた折りには積雪が無かったからだ…こうして雪を被ると「奥州の要となる城」という風格、貫禄のようなものが加わるのではないかと思う…

↓石垣もほんのりと雪で染まっている…
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「城」と言えば…どうしても美しい建物が目立つのだが、“城”とは「堅牢な石垣等を組み合わせた防衛拠点」で、「優勢な敵に対峙して立て篭もる」という性質のものなので、石垣も「見所!!」だと思う。そして、その石垣と建物が組み合わさった見栄えがまた素晴らしい!!

↓鶴ヶ城の画…
wakkanai097 - View my 'Tsurugajo-Castle at Aizu Wakamatsu-HDR on DEC 17, 2011' set on Flickriver

福島県は3月の震災で最も激しい被害を被ってしまった3県の一つであるが…内陸部の会津地方は、現在では全く問題が無い。(寧ろ、夏の水害で鉄道の一部が未だに復旧工事中であったりする…)震災の少し後から、海岸部の本当に困っている地域の人々に手を差し伸べたのは、会津地方の皆さんである。それは記憶に留めたい…

一つ会津若松関係の話題を記しておきたい…地元で少し盛り上がっていたようだが…2013年の大河ドラマ…会津に関係の在る物語になるそうだ…明治時代の教育者、新島襄の妻であった八重が主人公になるのだという…彼女は、戊辰戦争当時は鶴ヶ城に篭って戦っていたのだ…

会津若松の鶴ヶ城…地元の歴史を伝え、未来を見詰めて佇む美しい姿が、強く印象に残る…
posted by Charlie at 20:04| Comment(0) | HDR/2011年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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