大阪滞在中に掲示物等を多く見掛けたのが…「造幣局の“桜の通り抜け”」という催事の告知で在った。「4月8日10時開始」ということであった…
「桜の通り抜け」という言葉は何度も耳にしている…丁度、大阪を離れる日が開始日ということで、何やら縁も感じて、現場に向かってみた。
地下鉄を乗り継いで至った天満橋駅から辺りに出てみれば…催しで大勢が近隣に訪れることを見込んだ露店の準備が忙しそうな様子や、催事の入口辺りに集まる人達が大勢居た…
正直なところ…「年中静か…」な場所に暮らしていて、そこに馴れ切っている関係で、人が多い場所は「少々苦手…」という意識が在る訳だが…それでも「とりあえず観たい!!」と、造幣局の“桜の通り抜け”の入口辺りに集まっている人々の中に加わり…門が開けられた後、造幣局職員の愛好会と見受けられるグループの人が演奏する“ファンファーレ”に拍手喝采を贈り、「後ろの方に続いてゆっくりとお進み下さい…」と一生懸命に言っている警備陣の声を耳に中に入った…
↓何やら色々な種類の桜が敷地内に植えられている…

↓色々な種類の桜で、開花時期が多少ずれるのか、色々な状態の桜が見受けられた…

↓かなり花の色が濃い品種も見受けられた…

↓煉瓦造調の建物の壁を背景に視る桜…なかなかに好かった…

↓桜と建物とが組み合わさって見える感じが、個人的には好きだ…

造幣局…「硬貨の製造等を行う場所」ということになる。他に勲章も製造しているという…紙幣は別な場所で印刷されるモノで、造幣局は飽くまでも硬貨を製造するのである。造幣局は1871(明治3)年に大阪に開かれ、現在まで続いている。場所も現在の場所の辺りで変わっていないという。
この造幣局の場所は、大名の藤堂家が大坂屋敷を営んでいた場所なのだという。藤堂家では、屋敷の庭に様々な種類の桜を植えて大切にしていたのだそうだが、造幣局が藤堂家の屋敷跡に設けられた際、その桜の木々も引き継いだのだという。そして明治時代には、既に一般の見物人を迎えることも行っていたのだそうだ…
大阪は第2次大戦期の戦災も激しかった経過が在る場所で、造幣局もそうした被害を免れなかった。桜も被害を受けたが、戦後になって色々な種類の桜を改めて集めたのだそうだ。
こうした「この場所に様々な桜が在る経過」は、実は後から調べて知った訳だが…約560mと言われる敷地の道筋を、様々な花を観ながら進むのはなかなかに面白かった。敷地内をゆっくり進んで…30分余りを要した…
混雑することから、この敷地の路は“一方通行”としていた。着いた時とは反対の側に出た…
出てから、直ぐ傍の橋を渡り、大きく回り込んで天満橋駅辺りを目指すことにした…
↓造幣局の対岸の河川敷にも、桜が多く植えられていた…

↓花の向こうに、造幣局の建物が見えていた…

「桜の通り抜け」が、明治時代からの伝統を有する催事であったというのは後で知ったことだが、こういう「広く受け入れられている季節の催事」に出くわすのは、なかなかに好いと思う。他方…造幣局には誰でも見学出来る博物館も在るという。混雑する催事の期間は休館だったようだが、機会が在れば、そういう場所にも寄ってみたい…
何となく、好い経験が出来た…