2016年04月28日

黎明―稚内港北防波堤ドーム(2016.04.28)

「日出る国の黎明♪仰げ希望の光♪」というのが、御厄介になった高校の校歌の冒頭部だった…他の歌詞は、年月を相当に経て記憶が曖昧になっているが…“黎明”(れいめい)という言葉…何となく気に入っている…何かの作文でさり気なく使うと、「面倒な漢字は使ってくれるな…」と無粋極まりないことを言われる場合が在って、そんな時には一人静かに憤慨しているのだが…

稚内で「黎明の頃」というような情景を視ようと思うと、「相当に早起き?」ということをしなければならないような時季に入って来た…「光の夏」というものに入ろうとしている訳だが、稚内では桜もマダマダで、未だ少々寒い…序でながら…昨日何気なく視た気象情報では、4月29・30日辺りの予報に「雪だるまマーク」が表示されていた…

前夜に軽く呑み、「何時の間にやら…」という具合に少し深く眠り、「あぁー!眼が醒めた…」と起き上がってみると…「夜と朝との“境界”」のような時間帯だった…前日もそういう具合の時間帯に起き出してしまったが、今朝は前夜以上に明るい感じだった…

↓昨日の様子とは随分と異なる…今朝は雲が非常に少ない…
Wakkanai in morning on APR 28, 2016 (1)
↑起き出して外を伺い、「明るい…」という印象が強い筈だ…

↓蒼、紫、橙のグラデーションの用紙に、エアブラシが何かで描き込んだような雲が空に散っている…
Wakkanai in morning on APR 28, 2016 (8)

↓早朝から、屋蓋の下でウォーキングに精を出している人達も在ったようだ…
Wakkanai in morning on APR 28, 2016 (10)

↓今朝も風は微弱で、海面は鏡面のようになっている…
Wakkanai in morning on APR 28, 2016 (15)

↓朝陽が上がって来た…
Wakkanai in morning on APR 28, 2016 (22)

↓昨日とはかなり色合いが異なる空だ…
Wakkanai in morning on APR 28, 2016 (20)

「XXXX年XX月XX日の空」というようなモノ…考えてみれば「一生に一度」しか視られない訳だ…毎日空を見上げて、「今日しか視られない空を、今日も視ることが出来た…」等と思っていれば…「つまらない…」と思える日々の感じも、多少は「輝かしい」とか「価値在る」ような気になれるのかもしれない…私は…ただ「面白い」ので写真でも撮ってみようとするだけだが…
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2016年04月27日

夜明けの頃―稚内港北防波堤ドーム(2016.04.27)

「未だ暗い…」とも「少し明るくなった…」とも表現し得るような、言わば「夜と朝との“境界”」という具合に表現したくなるような時間帯というものが在ると思う。そういう時間帯に眼が開いてしまった…

殊に雲が多目な場合、そういう時間帯では「未だ暗い…」という感が強くなる。しかし今朝は、その雲が低空で切れていて、雲が切れた低空に関しては「少し明るくなった…」という感が強かった…

どういう様子なのか、戸外の様子を視に出てみた…空気は未だひんやりとしている。さり気なく、低目な温度設定にした暖房器具を使い続けてしまっているような様子だ…風は微弱で、戸外がキツいという感じは免れていたと思う…

↓雲が「舞台の緞帳」のように空に降りていて、“裾”が開いていて、そこから暁の空が覗くような按配である…
Wakkanai in early morning on APR 27, 2016 (4)

↓高くなっている辺りに上がってみると、「日が昇るのが見える辺り」は、例えば『宇宙戦艦ヤマト』やら『銀河英雄伝説』のようなSFに出て来る宇宙艦隊が、仰々しい大砲を使う時の画でもあるかのように、不思議な強い光を発している…
Wakkanai in early morning on APR 27, 2016 (7)

↓海側へ廻り込む…静かで鏡面のようになっている海面に、「舞台の緞帳」を思わせる雲が覆う空が綺麗に映り込む…
Wakkanai in early morning on APR 27, 2016 (11)
↑消波ブロックと稚内港北防波堤ドーム、遠くの丘陵が在る宗谷側の陸地が、「空の中」に嵌っているようにも見える…

↓宗谷丘陵の向こうの朝陽が高くなって来た…
Wakkanai in early morning on APR 27, 2016 (18)

↓宗谷丘陵側の空が、刻々と色を変えている…暁色の空を背景に、宗谷丘陵に林立する、風力発電の巨大な風車のシルエットも見える…
Wakkanai in early morning on APR 27, 2016 (19)

こうやって日が高くなり、何時の間にか雲が散り、空は明るい感じに…今日は晴天になるようだ…

どうでもいいが、「好天」というのは、ただそれだけで些か気分が好いものだ…
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2016年04月26日

大阪城公園(2016.04.03)

<青春18きっぷ>を手に札幌駅から新千歳空港駅に向かい、神戸空港へ飛んだ後に三ノ宮駅に至り、<青春18きっぷ>をそのまま使って大阪方面へ移動した。新今宮駅近くの宿に至ってモノを置き、また<青春18きっぷ>を手に大阪市内等を巡ってみることにした…

↓大阪環状線の列車に乗り、大阪城公園駅に至った…
Osakajokoen Station on APR 03, 2016 (1)

↓大阪環状線では、何か「酷く懐かしい…」感じがする車輛による列車が運行中だった…
Osakajokoen Station on APR 03, 2016 (2)
↑何時の間にか「かなり昔…」となってしまった、東京で過ごした学生時代に新宿駅等で視掛けた型の車輛だと思う…東京辺りでは、随分以前から既に視掛けなくなってしまっている型だ…

JR西日本のエリアでは、1990年代以降、更に比較的近年に登場している車輛の他、「懐かしい…」感じの国鉄時代に初登場している車輛も存外に多く視掛ける…車輛の内装は、何処かの時点で改装した様子も伺えるのだが…外見は「懐かしい…」感じ、または改めて塗装したユニークな色になっている…この大阪環状線のオレンジの車輛は、何か酷く「懐かしい」感じがした…

大阪城公園駅から少し進めば…正しく公園の領域に直ぐに至る…

大阪城…古くは“大坂城”だった訳だ…かの豊臣秀吉が築き、「大坂夏の陣」で落城して破却され、徳川幕府が城を新たに築き直した。徳川幕府の時代、“大阪城”には天守閣が設けられたそうだが、落雷に起因する出火というようなことで建物が損なわれてしまい、江戸時代を通じて「天守閣が無かった時期」の方が長いらしい…幕末期、「鳥羽伏見の戦い」というような出来事の辺りで、幕府方の将士が大坂城に集結し、総大将だった徳川慶喜が密かに脱出してしまって混乱し、散り散りに彼らが大坂を離れて行った経過というものが在ったが…そんな時代には、城代や関係者がが政務を行う役所として機能していた建物や、賓客が滞在するような場所や、有事に集まった将士が詰める場所等は在ったであろうが、今日も址が視られる石垣に囲われた「巨大な陣地」で、目立って背が高い建物は無かった様子だ…そして明治期に“大坂”の“坂”は「士が反する」に通じる文字で縁起が悪いと“大阪”に改められた。大阪となって、西日本最大級の都市として発展した中、「大阪の城に街のシンボルとして天守閣を!!」ということになり、昭和天皇の即位を記念して各地で行われた記念建設事業の一環に取り上げられ、現在の天守閣が出来たのだ…

↓公園の中を進むと、程無く遠くに大きな天守閣が見える。
Osaka Castle area on APR 03, 2016 vol03 (4)
↑そして、公園の域内も方々に桜が見事に咲き誇っていて、方々で「花見」に興じる大勢の人達が集まっていた…

↓天守閣は、各地の城郭建築を参考にし、古い屏風絵等も視て、「豊臣時代に少し寄ったイメージ」でデザインされているらしい…
Osaka Castle area on APR 03, 2016 vol03 (2)
↑豊臣時代風な、黒地に金で唐獅子を描いたような壁が設けられているが…聞けば、豊臣政権辺りの時代まで、城の建築では「黒い壁」が主流で、「白い壁」は徳川時代以降に一般化したらしい。そういう意味で…大阪城の感じは、寧ろ徳川時代風なのかもしれない…

↓公園ということになっている城の敷地の各所に桜が溢れているような感じ…大阪に入った日に、実に豪華な光景に触れることが出来た感だ…
Osaka Castle area on APR 03, 2016 vol03 (16)

↓公園の端の方へ行けば…こういうような様子が見受けられる…
Osaka Castle area on APR 03, 2016 vol01 (11)
↑殊に秀吉の時代等は、当時の“大坂城”は「周囲を圧する大きな建造物」であったに違いないのだが…現在となっては、城の周囲に「天守閣よりも背が高い」感じの、大きなビルが多数林立している様子が視られるようになった…

今般は…「桜!!」ということで大阪城公園の中を散策してみた…何度か辺りを通っているが、大坂城の周辺を歩いてみるというのも、少し気に入っている時間の過ごし方だ…
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2016年04月25日

神戸・灘:菊正宗酒造記念館(2016.04.08)

関西滞在の中、伊丹で酒造業の歴史に纏わる場所を訪ねたことが契機となり、「神戸空港へ向かう道中で、“灘”に寄ってみよう!」という気持ちが高まった…

所謂“灘”というのは、現在の西宮市の海側から、神戸市の東寄りの海側に拡がっている、嘗ては「灘五郷」という具合に呼び習わされていたという地域だ…聞けば、伊丹辺りよりも、酒造が盛んになった時期は少し遅い様子だが、江戸時代を通じて「沿岸を行く船を利用した広域流通網」が発展して行く中、灘は「船に樽の酒を積み込み、大消費地の江戸に売る」というビジネスを発展させ、江戸時代の終わり頃には伊丹等の他地域よりも大きな売り上げを誇るようになって行ったのだという…

滞在していた宿で、何となく辺りの情報を視て…「大阪から阪神電車で神戸三宮方向へ進むと、神戸市内の東寄りに相当する“灘”を訪ね易そうだ…」ということに思い至り、それを実行した…

阪神電車で魚崎駅に至った後、六甲ライナーという、ポートライナーと同じ会社が運営する“新交通システム”或いは“AGT”に乗り込んで南魚崎駅に至った…同じような“AGT”だが、六甲ライナーはポートライナー以上にダイナミックに港湾用地の水路の上になっているような場所を進み、かなり高い位置に停車するようになっていて面白かった…

↓<菊正宗>の記念館に至った…
Sake maker 'KIKUMASAMUNE' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (2)
↑趣深い古い建物を活かした記念館だった…

<菊正宗>は万治2(1659)年に興った酒蔵を起源と考えている、概ね350年以上の伝統を誇る老舗ということになる。灘では“丹波杜氏”と呼ばれる職工集団が活躍して、酒造の様々なノウハウを開発、蓄積して来た歴史が在るが、<菊正宗>は「生酛造り」と呼ばれる、より生命力が強い酵母を活かす手法を大切にしているのだという…

↓記念館の入口…奥には、酒造の歴史を伝える展示コーナー、「生酛造り」を紹介するビデオを上映している場所、売店が在る…
Sake maker 'KIKUMASAMUNE' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (4)

↓伝統の看板や、往年の容器が陳列されていた…
Sake maker 'KIKUMASAMUNE' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (6)
↑こういう感じ…好きだ…

↓建物の周囲の庭も雰囲気が好い!!
Sake maker 'KIKUMASAMUNE' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (7)

実はこの<菊正宗>の記念館だが、かの阪神大震災で大きな被害を受けてしまい、建物を数年がかりで復元した経過が在るのだという…兵庫県の沿岸部では、そうした「震災と復興と」という経過を辿っている箇所に存外多く出くわす。壊れてしまっても、何とか受け継がれたモノを伝えようと尽力した関係者の皆さんには、本当に敬意を表したい…灘の酒造に纏わる歴史を伝える場所では、壊れてしまった建物の他方で、何とか残った古くから受け継がれた資料(史料)を大切に取り出して、復元した場所でまた展示している…<菊正宗>で視掛けたモノの中にも、そういうモノが交じっていると聞いた…

↓<菊正宗>の近所に、都市緑地が整備されていて、桜がなかなかに好い状態だった…
Nada area, Kobe on APR 08, 2016

<菊正宗>の傍の緑地を動き回ったのは昼食時辺りだったが…何か近くの小学校の複数の学年に及ぶと見受けられる児童の一団と、弁当箱や飲物が入った袋に敷物というようなモノを手分けして抱えた引率教員と見受けられる大人のグループが歩いているのを視掛けた…或いは、近所の小学校で「お花見ランチ」でもしようとしていたのかもしれない…

実を言えば、“有名銘柄”の<菊正宗>の酒は、これまで余り親しんでいなかったのだが…この記念館訪問を縁に、<菊正宗>に眼を向ける機会が増えたような気がする…
posted by Charlie at 18:48| Comment(0) | HDR/2016年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

神戸:“ポートライナー”の軌道(2016.04.08)

“ポートライナー”というのは“通称”、“愛称”であって、正しくは「神戸新交通ポートアイランド線」と言うのだそうだ…

“ポートライナー”は、神戸の交通結節点となっている三宮から、神戸港内の人工島であるポートアイランドを、更にその少し先の人工島である神戸空港を結ぶ交通である。

今般、新千歳空港と神戸空港を往復したが、神戸空港に到着した際と、神戸空港から出発した際に、この“ポートライナー”を利用した。

「小ぶりな電車」という趣の車輛が専用軌道を行き交うのだが…利用の際に乗場に入ってみれば“フルスクリーン型”と呼ばれる、「完全に壁になっている」型のホーム扉が設置されていて、車輛の様子を写真に収めるということはし悪い…

↓そう思っていたのだが、何やら編成の最後尾、窓が大きく広がった辺りの座席に陣取ることが出来て、写真を撮り易い停車時等に一寸様子を撮影してみた。
'PortLiner' in Kobe area on APR 08, 2016 (1)

「電車の最後尾」で、こういう画のように軌道が見える?通常、電車の編成の後尾の部分、“行先”に辿り着いて折り返すと先頭になる部分には“乗務員室”が設けられているから、こういう画は撮影が出来ない…しかし、“ポートライナー”では出来るのだ…

↓ビルの谷間を縫うように、高低を変えながら、道路の上や港湾用地の上に設けられた専用軌道を、“ポートライナー”の車輛は進む…
'PortLiner' in Kobe area on APR 08, 2016 (2)

この“ポートライナー”は、「自動案内軌条式旅客輸送システム」と呼ばれるものだ。英語で“AGT”(Automated Guideway Transit)と言うそうだ。

「自動案内軌条式旅客輸送システム」というのは、専用軌道の上に“案内軌条”が据えられ、それに従ってゴムタイヤで走行する仕組みであるのだという。乗務員が原則的に乗務せずに車輛を動かす「全自動無人運転」ということも出来るシステムなのだという…

↓反対側へ向かっている編成と擦れ違った…
'PortLiner' in Kobe area on APR 08, 2016 (4)
↑軌道を視ると、車輪が載ると見受けられる箇所の間に、少し凸になったモノが並行している。恐らくこれが“案内軌条”なのであろう…

↓恐らく遠隔操作ということになっていて、常時誰かが視ているのであろうが…“無人”で車輛が動き回っているというのが、何か酷く不思議な気がする…
'PortLiner' in Kobe area on APR 08, 2016 (7)

“ポートライナー”は1981年に、この種のモノとしては日本で初めて運行を始めている。そして神戸空港が2006年にオープンすることになると、空港まで延伸している…

↓“ポートライナー”は、教育機関、研究機関、医療機関、オフィスビル等が設けられているポートアイランドを巡って空港へ至る路線で、何時も存外に乗客が多い感じがする。
'PortLiner' in Kobe area on APR 08, 2016 (6)
↑空港の発着が多い時間帯や、通勤・通学の利用が多い時間帯にはかなり混むらしい…

神戸空港・三宮は18分と案内されているが、何やら「SF映画の乗物のようだな…」と思いながら、軌道の周辺の様子を車窓に眺めていると、何時の間にか到着してしまう…なかなかに気に入ったモノの一つである…
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2016年04月23日

神戸・灘:白鶴酒造資料館(2016.04.08)

大阪市内から神戸空港を目指すには幾つもの経路が考えられる。要は、神戸の交通結節点となっている三宮に至って、空港へ向かうポートライナーに乗れば善いのだが…その三宮への経路が幾つか考えられる。

今般は阪神電車を利用した。「桜の通り抜け」を愉しんだ、造幣局に近い天満橋駅から京阪電車と地下鉄を乗り継いで梅田駅に至り、阪神電車に乗車した。西宮を経て神戸の三宮に至るのだが、その経路上に灘と呼び習わされる地区が在る。

灘…伝統的な酒造の盛んな地域ということになる。水が佳く、近在から米を調達し易く、出来た酒を各地へ運ぶ際に海運を利用し易かったということで、江戸時代に酒造業がどんどん盛んになったという経過を有する地域であるという…

灘には幾つか、酒造メーカーによる資料館等が見受けられる…その中から<菊正宗>と<白鶴>に立寄ってみた…

何れの資料館も愉しかったのだが…<白鶴>で観た景色が強く記憶に残る…

↓<白鶴>の、鶴が羽ばたく図案の大きな看板が高い位置に掲げられた、大きな工場、或いは本社ビルのようなモノが遠くから見え、敷地の入口に至ると画のような少し古い建物が眼に留まる…
Sake maker 'HAKUTSURU' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (13)
↑大正時代から昭和40年代まで酒造に使用されていた蔵を転用した資料館である…

塀で囲われた敷地の入口に、警備員が常駐する詰所のようなモノも在る。眼に留めた古い建物が資料館らしいが、随意に入って差し支えないものか否か逡巡してしまった。すると警備員氏が現れて「どうぞ!御自由に見学なさってください」と促してくれたので、「ありがとうございます…」と敷地の中に進んでみた…

↓庭に桜が!!この「古い建物と桜」という感じが、実に美しい!
Sake maker 'HAKUTSURU' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (16)

↓入口には菰樽が積み上げられている…
Sake maker 'HAKUTSURU' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (5)

<白鶴>は18世紀半ば、1743年に興った酒蔵をその祖と考えていて、270年もの伝統を有していることになる。この資料館では、そうした伝統を受継ぐ酒造りというものに関して、実際にそういう作業が行われた場でもあった場所を活かして判り易く紹介してくれる。

↓伝統的な用具を展示し、同時にそれらを使って作業をする人達の様子を再現した人形が設置されている…
Sake maker 'HAKUTSURU' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (6)

↓威勢の良い掛け声が飛び交っていたであろう、2階にモノを揚げるような作業の様子も再現されている…
Sake maker 'HAKUTSURU' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (7)

↓桶も、こうやってずらりと並んでみると、なかなかに見応えが在る…
Sake maker 'HAKUTSURU' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (9)

↓菰樽を仕上げている様子まで再現されていた…
Sake maker 'HAKUTSURU' museum at Nada, Kobe on APR 08, 2016 (10)

この<白鶴>の資料館…酒造業の伝統を受継いで来た人達の汗や息遣いが感じられるような雰囲気も在り、なかなかに好い。そして、建物外観も見栄えがする。この日は、翌日に予定していたという催事準備で車輛が入っていたり、モノが置かれていて、建物の写真はやや撮り悪かったのだが…

当然ながら…阪神電車での移動で、運転するでもないので「試飲」(“限定”の<蔵酒>という、なかなかに好評であるというモノ…これが好かった!!)もさせて頂いた…

<白鶴>に至った際には、<菊正宗>の辺りからぐるりと辺りを少し長く歩いたが…実は<白鶴>は阪神電車の住吉駅から存外に近いことを、三宮へ移動しようと駅を目指した際に知った…是非、再訪してみたいと思いながら、住吉駅で電車を待っていた…
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2016年04月22日

大阪:「桜の通り抜け」の造幣局とその周辺(2016.04.08)

「荒天で動き悪かった」という事情は在ったにせよ、大阪から神戸に向かってフライトを掴まえて北海道へ飛ぶ前日は、「ゆったりと休んだ」型になった。4月8日は、朝から動き始めて、何箇所かに道草して神戸の三宮駅に至って、ポートライナーで神戸空港を目指すという段取りになった…

大阪滞在中に掲示物等を多く見掛けたのが…「造幣局の“桜の通り抜け”」という催事の告知で在った。「4月8日10時開始」ということであった…

「桜の通り抜け」という言葉は何度も耳にしている…丁度、大阪を離れる日が開始日ということで、何やら縁も感じて、現場に向かってみた。

地下鉄を乗り継いで至った天満橋駅から辺りに出てみれば…催しで大勢が近隣に訪れることを見込んだ露店の準備が忙しそうな様子や、催事の入口辺りに集まる人達が大勢居た…

正直なところ…「年中静か…」な場所に暮らしていて、そこに馴れ切っている関係で、人が多い場所は「少々苦手…」という意識が在る訳だが…それでも「とりあえず観たい!!」と、造幣局の“桜の通り抜け”の入口辺りに集まっている人々の中に加わり…門が開けられた後、造幣局職員の愛好会と見受けられるグループの人が演奏する“ファンファーレ”に拍手喝采を贈り、「後ろの方に続いてゆっくりとお進み下さい…」と一生懸命に言っている警備陣の声を耳に中に入った…

↓何やら色々な種類の桜が敷地内に植えられている…
Sakura at Japan Mint, Osaka on APR 08. 2016 vol02 (1)

↓色々な種類の桜で、開花時期が多少ずれるのか、色々な状態の桜が見受けられた…
Sakura at Japan Mint, Osaka on APR 08. 2016 vol01 (7)

↓かなり花の色が濃い品種も見受けられた…
Sakura at Japan Mint, Osaka on APR 08. 2016 vol02 (4)

↓煉瓦造調の建物の壁を背景に視る桜…なかなかに好かった…
Sakura at Japan Mint, Osaka on APR 08. 2016 vol02 (3)

↓桜と建物とが組み合わさって見える感じが、個人的には好きだ…
Sakura at Japan Mint, Osaka on APR 08. 2016 vol02 (13)

造幣局…「硬貨の製造等を行う場所」ということになる。他に勲章も製造しているという…紙幣は別な場所で印刷されるモノで、造幣局は飽くまでも硬貨を製造するのである。造幣局は1871(明治3)年に大阪に開かれ、現在まで続いている。場所も現在の場所の辺りで変わっていないという。

この造幣局の場所は、大名の藤堂家が大坂屋敷を営んでいた場所なのだという。藤堂家では、屋敷の庭に様々な種類の桜を植えて大切にしていたのだそうだが、造幣局が藤堂家の屋敷跡に設けられた際、その桜の木々も引き継いだのだという。そして明治時代には、既に一般の見物人を迎えることも行っていたのだそうだ…

大阪は第2次大戦期の戦災も激しかった経過が在る場所で、造幣局もそうした被害を免れなかった。桜も被害を受けたが、戦後になって色々な種類の桜を改めて集めたのだそうだ。

こうした「この場所に様々な桜が在る経過」は、実は後から調べて知った訳だが…約560mと言われる敷地の道筋を、様々な花を観ながら進むのはなかなかに面白かった。敷地内をゆっくり進んで…30分余りを要した…

混雑することから、この敷地の路は“一方通行”としていた。着いた時とは反対の側に出た…

出てから、直ぐ傍の橋を渡り、大きく回り込んで天満橋駅辺りを目指すことにした…

↓造幣局の対岸の河川敷にも、桜が多く植えられていた…
Around Japan Mint or Temmabashi area, Osaka on APR 08, 2016 (6)

↓花の向こうに、造幣局の建物が見えていた…
Around Japan Mint or Temmabashi area, Osaka on APR 08, 2016 (9)

「桜の通り抜け」が、明治時代からの伝統を有する催事であったというのは後で知ったことだが、こういう「広く受け入れられている季節の催事」に出くわすのは、なかなかに好いと思う。他方…造幣局には誰でも見学出来る博物館も在るという。混雑する催事の期間は休館だったようだが、機会が在れば、そういう場所にも寄ってみたい…

何となく、好い経験が出来た…
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2016年04月21日

旭川:夜明けの旭橋(2016.04.21)

最近は利用頻度が高くなっている旭川の宿で、午前4時台に眼を開けた…窓の外を伺えば…未だ暗いようではあったが、僅かに明るい…この時季の、少し早めな「夜明け前」という時間帯に入っている…

↓午前4時台…旭橋辺りに足を運ぶと、未だ灯りは点いていた…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa in early morning on APR 21, 2016 vol01 (4)

↓午前4時30分過ぎには灯りが消えた…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa in early morning on APR 21, 2016 vol01 (9)

↓旭橋を渡り、河川敷の南西側に出て、東寄りの空を背景に旭橋と川を眺める…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa in early morning on APR 21, 2016 vol01 (13)
↑画面左側が、暁の色を帯びている…この「色が変わる空」と旭橋の位置関係…季節が変わると、少し変わって来る…

↓旭橋の向こうに朝陽が顔を出した…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa in early morning on APR 21, 2016 vol01 (16)

↓“旭日旗”のように、朝日の光が拡がり始める…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa in early morning on APR 21, 2016 vol01 (18)

↓晴れた朝は清々しい…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa in early morning on APR 21, 2016 vol01 (20)

↓朝の光で、旭橋も少し彩りが変わって来た…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa in early morning on APR 21, 2016 vol01 (22)

こういう画を素早く整理してしまおうと、今般はノートパソコンを何となく持って来ていた。善かった…

朝、美しい光景に出くわすと「好い事が在りそう…」という気がするものだ。「気がする」で終始する場合も多いのだが…今日は、午前中から「北上の旅」という型になる…
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2016年04月20日

旭川:旭橋―日が長くなる季節の夕暮れ(2016.04.20)

旭川まで出て、少しばかり時間が在ると…旭橋を眺めに出る…「気に入っている眺めだから…」という以上の理由など無い…或いは…殊にこの2年か3年に関しては、拙宅の極近所で、思い付いて散策する都度に写真を撮る稚内港北防波堤ドームを「例外的存在」として除外してしまえば、「最も頻繁に写真に撮る光景」が旭川の旭橋ということになってしまうかもしれない…何かで必要な訳でもないので、敢えて数えるようなことはしないが…

その旭橋の辺りへ向かったのは、日が傾いた辺りだった…冬季の催事で雪を河川敷に集めた経過が在って、そういう箇所はしつこく雪が残っているものの、粗方雪は融けて辺りは“春”という雰囲気だった。日中の気温はプラスの15℃に届くような按配…夕刻に川を渡る風は多少冷たかったが、それでも「少し温かい」感じで、天候も好く、辺りの散策は心地好かった…河川敷では、積雪期に滑り止めに撒いた砂や、その他の溜まってしまった汚れを取り除く清掃作業にも着手している様子が見受けられた…

↓街側から図書館の脇を抜けて旭橋の辺りに至ると、「西側から橋を眺める」感じになる…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa on APR 20, 2016 (25)
↑夕刻には、金属の構造物に光が当たる感じで、なかなかに見栄えがする…

↓橋の下を潜って東寄りの辺りへ出る…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa on APR 20, 2016 (7)
↑夕陽に染まる西の空を背景に、旭橋が浮かび上がる感じになる…

この辺り…「河川敷の遊歩道」というような按配に整備されていてベンチが設けられている箇所も在る…好天なので、そういうベンチに腰を下ろしてのんびりとして、刻々と変わる光と景色を愉しむのが好い…

↓光が明るい他方、やや雲も多めに見えるような、少し不思議な空の感じだった…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa on APR 20, 2016 (15)


↓街へ続く道路の側の様子を伺ってみる…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa on APR 20, 2016 (17)

↓最初に眺めた辺りに戻る…橋の“色”が一寸違って見える…
Asahibashi-Bridge, Asahikawa on APR 20, 2016 (24)

旭橋…実に奥が深い…出くわす都度に様子が変わるのが愉しい!!
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京都:七条大橋(2016.04.06)

↓京阪電車の七条駅だ…
Shichijo Station on APR 06, 2016 (2)
↑「ホーム上に駅名の看板が見えない?」と辺りをキョロキョロと視ていると、自販機の上辺りの位置に在った…一寸面白いので写真に収めてしまった…

「七条」は「しちじょう」がとりあえず正しいようだが、少し前に読んだ本では、京都の人達の中には「ひちじょう」、更に「ひっちょう」と呼ぶ方も多いそうだ…初めてこの駅を知り、ここで下車してみたのは随分以前だが、その時は「ななじょう」だと思っていた…

この七条駅は、地下に設けられている。京阪電車はこの七条駅の少し手前から地下の軌道に入り、京都市内の起点・終点になっている出町柳駅までの各駅は、地下鉄の駅のようになっている…

↓七条駅で地上に出てみると、鴨川の端の辺りに出て、年季の入った橋が見える。
Shichijo area, Kyoto on APR 08, 2016 (3)
↑この橋が、鴨川に現在架っていて使われている橋としては「最も古い」モノということになるそうだ…

↓七条大橋は、5連の鉄筋コンクリートアーチ橋で全長82m、幅員18mに及ぶ…
Shichijo area, Kyoto on APR 08, 2016 (11)
↑1911(明治44)年着工で1913(大正2)年に竣工している…開通時に敷設された路面電車の軌道が1978(昭和53)年に廃止されたり、戦時中に金属製の欄干が木製のモノに取り替えられ、後年になって金属製のモノが復活というような変化は在るが、橋そのものは「100年超」の永い時を超え、この場所で鴨川や行き交う人や車輛を見詰め続けていることになる…

↓橋の辺りから、川の端に下りられる…
Shichijo area, Kyoto on APR 08, 2016 (6)
↑辺りは自転車で通り抜けたり、散策やジョギングが出来るような設えに整備されている…

この古いコンクリートの橋である七条大橋…勝手に親近感のようなものを抱くようになったのは…稚内港で「屋蓋式防波堤」と呼ばれ、現在は「北防波堤ドーム」と呼ばれている構造物を造る際、「コンクリート造アーチ橋梁」を建設する技術が参考にされた経過が在ると知ったからだ…今般、京都市内を動き回っていて「そう言えば七条大橋…」と思い、一寸寄道してみたのだった…

鴨川の水は、少し少なめな感じであった…その川面を渡り、川辺を吹き抜ける風は、寧ろ“春”で、冷たくキツい訳でも無かった…集まって「見事!」というような感じでも無かったが、辺りに桜が咲いている様子も見受けられた…

こういう場所から戻って、日が経つ程に関西方面の様子が懐かしくなるのだが…こういう「“観光名所”という程でもない…」ような場所の感じも懐かしい…
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2016年04月19日

大和郡山城址の桜(2016.04.04)

“大和郡山”…時代モノのファンとしては「何となく聞く機会が在る地名」のような気がする…

戦国時代末期、大和国で力を持っていた筒井順慶が郡山を本拠地として、城下町も築いた。やがて豊臣秀吉政権の下、秀吉の弟で、陣営に在って様々な活躍をしていた豊臣秀長が大和と紀伊を知行地とし、郡山城を本拠地とした。本拠地と官位に因み、豊臣秀長は「大和大納言」とも呼ばれている…

こういう経過が在って、時代モノのファンとしては「何となく聞く機会が在る地名」となっている大和郡山である…江戸幕府の体制になって以降は、何家かの大名が郡山に入ったり、幕府直轄になっていたようだが、18世紀に柳沢家が入り、明治維新まで郡山城は柳沢家を主としていた…

明治時代以降、城は破却され、一部の遺構を残すのみとなり、広大な敷地の一部は公共施設等に利用されるという「よく在るパターン」になっていたようだ…が、1960年に県の史跡となり、1980年代に一部の建物の復元も為され、公園としても親しまれるようになっている…

↓多少、雲が多めで雨も混じるような中で郡山城址の辺りに至ったが、この時季は桜が見事だ!
Koriyama Castle, Nara pref. on APR 04, 2016 (8)
↑毎年4月上旬には<お城祭り>と銘打って、桜を愛でるようにしているようだ…

↓天守閣の建物が設けられていた天守台等、大きな石垣が「往時の栄華の片鱗」を現代に伝えてくれる感だが、その石垣の周囲に相当な数の桜が植えられている…
Koriyama Castle, Nara pref. on APR 04, 2016 (14)
↑桜そのものは、明治時代に入って、郡山に入った柳沢家を興した柳沢吉保―吉保は5代将軍綱吉の下で権勢を振るったと伝えられる人物で、時代劇『水戸黄門』シリーズでは“敵役”として随分な頻度で登場していた…18世紀に郡山城に入って、辺りを収めた柳沢家の初代ということになったのは、この吉保の子である吉里である…―を主祭神とする柳沢神社を城の敷地に開いたことを契機に植えられるようになったのだそうだ…柳沢神社は1870年代後半に興したそうだが、その時期からにしても140年程度は経ていることになる…

↓巨大な石垣の辺りに咲く桜も好いが…建物が再建されている辺りは、桜も少し見栄えが増すような気がした…
Koriyama Castle, Nara pref. on APR 04, 2016 (1)

↓豊臣秀長は「大和大納言様」と慕われたそうだが、今でも「大和郡山市の礎を築いた」と考えられているのであろう…再建された建物には、豊臣家が用いた桐紋が付けられていた…
Koriyama Castle, Nara pref. on APR 04, 2016 (20)

「大和大納言様」こと豊臣秀長…これまでに読んだことが在る時代モノの小説で、“悪役”的な描かれ方の作品に出くわした記憶は無い…概して“好人物”として描かれる…これまで読んだ中、強い印象を抱くのは、かの藤堂高虎を主役とする『虎の城』に登場した秀長である。仕える主人を何度か換えながらの人生を辿った高虎が、終に巡り合った「本気で敬愛出来る主人」という秀長だった。腕っぷし自慢の高虎の目線では、秀長は武勇に優れた武者でもなく物足りないが、秀長の凄さはそういう部分に在るのではない。秀吉陣営で“経済戦”というような側面、戦場で、または統治すべき地域で展開する土木・建築等を取り仕切り、家中の人間関係の要となっていて、諸大名との折衝の中心的な役目を担った人物で在り、高虎は秀長から多くを学びながら秀長を補佐し、最終的には秀長の筆頭家老のようになって行く。そういう様子を、この郡山城址を視て思い出していた…

この大和郡山城址…「聞いたことが在る地名」な割に、何となく何度か通過したことが在り、一寸寄ってみたいと思っていたのだが…そういう単純なことの他方、奈良県内で「桜が佳い場所」という話題になると、時々名前が挙がっているので、「この機会に是非!!」と立寄ったのだった…

↓こういうような雰囲気…非常に好い!!
Koriyama Castle, Nara pref. on APR 04, 2016 (29)

この日は、古市や富田林で雨の状態で、橿原神宮辺りで少し晴れ、その後も雨だったが、大和郡山では曇天だった…やがて奈良市内方面に至って少し風が強まり、ゆっくりと大阪市内方向へ引揚げたのだった…

“大和大納言様”の城…奈良県内では知られた桜の名所…大和郡山城址に立寄ることが出来て、何か非常に好かった!!
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0℃前後の稚内港(2016.04.19)

日曜日…“夜”とは言い難い時間帯に眠ってしまい、日付が改まった辺りで起き出し、また何時の間にやら眠ってしまって、普通に朝から“月曜日”として活動した…そういうことをすれば、“月曜日”も早めに眠気が射す…眠気に抗わずに、素直に休んだ…

迎えたのは火曜日の朝…存外に明るいのだが…時間帯は早く、午前5時にも至っていなかった…急速に日が長くなっているということだ…

一寸、戸外を伺うと…間近にエゾシカのグループが居た…彼らと眼が合えば…彼らの側は「妙な動物が出て来たから行くよ…」とばかりに辺りに移動を始めた。やがて彼らは、近隣の民家の軒先で草を食んでいたが…彼らの眼には、この辺りの街並みも「森の一部」のように見えているのかもしれない…

そんなことが在ったが、切らしてしまった煙草でも求めようと、一寸辺りを歩いてみた…凄く「冷えた空気感」に包まれている…風は微弱で、天候も好いので、戸外を歩くこと自体は問題無いのだが…

↓利尻・礼文へ向かうフェリーが待機している中央埠頭が見える辺り…
Wakkanai in early morning on APR 19, 2016 (2)
↑冬季間に堆くなっていた雪は消えているが、薄らと雪が撒かれたようになっている…

昨日の朝の雪は、日中に少なくなってはいたが、夕方まで降雪が断続し、時に冷たい風もやや強く、何やら「積雪期の初期」というような様相だった…そういう雪が少々残っている…

↓稚内港北防波堤ドームが見える辺り…広場に堆くなっていた雪は消えているが、白い雪が散布されたようになっていて、表面の一部が凍り付いているようにも見える…
Wakkanai in early morning on APR 19, 2016 (3)
↑他方で、早々と灯りが消えていて、空は明るい…

↓舗装路面上の水分が、少々凍っているように見える…
Wakkanai in early morning on APR 19, 2016 (8)
↑気温は0℃またはそれ以下…

↓海側へ廻り込めば、浪は穏やかに見える…
Wakkanai in early morning on APR 19, 2016 (10)

↓拙宅近隣のフキノトウ…
Wakkanai in early morning on APR 19, 2016 (12)

関西方面で「数年分纏めて…」という勢いで、「盛りの桜」や「散りかけの桜」を観て来た記憶や印象が強いのだが、あれから1週間以上を経た…彼の地では、そろそろ「新緑が眩しい」という雰囲気にもなっているであろうが…北の稚内では…「春、未だ遠し…」という様相だ…ハッキリ言えば、4月19日にもなって、こういう具合に雪が降って気温が下がったというのは、近年では余り記憶が無い…
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2016年04月18日

雨の富田林寺内町(2016.04.04)

関西滞在の期間中、「風雨が強いので、歩き回るのは控えよう…」と、宿泊先の近在でゆっくりしていた日が一日在ったが…大阪入りの翌日も多少雨が交っていた…しかし「動き回り悪い…」という程度でもなかったので、主に近鉄各線を利用して、大阪府南東部の河内から奈良県内に入って、また大阪の滞在先に引揚げるというようなことをしていた…

若干の雨交じりな中、「半袖Tシャツの上に、“雨避け”として裏地が打たれていない厚地デニムのジャケット」というような服装で動き回っていたが…考えてみれば、稚内では5月下旬位、或いは6月にでもならなければ「一寸…寒い…」感じの服装だ…しかし、4月上旬の関西では、そんな程度で好かった…雨ではなかった日は、ジャケットは止めて、長袖の普通のワークシャツ姿だった…

旅行の際、雨はやや困る…動き難く、敢えて動き回ると「辛い…」場合も発生する…この日も「大したことは無い…」と雨の中を動き回っていたが、次第に「濡れた」が累積し、昼頃には多少辛くなって来た面も否定出来ない…加えて、雨天では写真を撮り悪い…屋根の下などに入ってレンズを拭うような道具は「必携!」だ…

そんな感じでも、古市で誉田八幡宮を観た後、近鉄電車で富田林に至った…

↓富田林駅から少し進むと、こういうような雰囲気の古い町並みに出くわす…
Old Town at Tondabayashi on APR 04, 2016 (3)

富田林は「寺内町」と呼ばれていた経過が在る。「寺内町」というのは、寺院と半ば一体となって町が形成されていて、寺院を中心に住民等が纏まっていて、或る程度強い自治組織も形成されていて、時代が下ると近隣地域の商業の中心というような機能も負って行ったという存在だ。自身の経験の範囲で「寺内町」としては、奈良県内の今井町に立寄ったことが在った…

富田林…初めて立寄った。何やら市内に学校が幾つも在るようで、何種類かの制服姿の高校生と見受けられる若者達を多く見掛けたが、到着したのは通学や通勤で少し賑やかになり始めるような頃合だった…最初に富田林駅に着いてから出た出口が、寺内町とは逆側だったらしく、それに気付いて線路を渡る踏切を通り、何とか寺内町側に辿り着くことが叶った…寺内町が在るのは、大手銀行の支店等も見受けられる、より賑やかな側だった…

↓重厚な造りの住宅や、嘗ての店舗が多く残されている…
Old Town at Tondabayashi on APR 04, 2016 (4)

↓古い町並みが、雨に煙るような風情だった…
Old Town at Tondabayashi on APR 04, 2016 (8)

この種の古い町並みは、「人々が歩いて行き交う」というようなスケールで建設されている。故に歩き易いのだが…時には古い町並みの辺りに、かなり元気よく多量の車輛が行き交っている場合も全く無いではなく、そういう場所ではゆったり歩いていると「車輛に追い立てられる」ような具合になり、かなり気分が悪い場合も在る。しかし、ここはそういうこともなく、穏やかな感じで動き回ることが叶った…好きな感じだ!

↓なかなかに手が込んだ彫刻が軒に施されている…
Old Town at Tondabayashi on APR 04, 2016 (2)
↑瓦も、ディーテールに独自の紋様を施していて見事だ…

↓建物の敷地の中には桜が…一寸凝った感じに見える屋根の間から桜が覗いていた…
Old Town at Tondabayashi on APR 04, 2016 (1)

↓なかなかに雰囲気が好いが…「やや早過ぎ…」な時間帯、それに加えて雨が次第に強くなったので、駅の側に引揚げた…
Old Town at Tondabayashi on APR 04, 2016 (6)

↓結局、富田林駅傍で早朝から開いているドーナツ店を見付け、一息入れていた…
at Tondabayashi on APR 04, 2016 (1)

雨がやや強まった感だったのでドーナツ店で休み…辿り着いた場所で動くか否かは「その場の判断」ということにして、また列車を乗り継いで奈良県方面へ移動をした…

慌ただしい滞在となってしまったが、雨に煙る寺内町の雰囲気…好かった!機会が在れば、もう少し動き回り易い条件の下で再訪してみたい…
posted by Charlie at 18:05| Comment(0) | HDR/2016年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大阪:天満橋周辺の桜(2016.04.08)

関西方面から戻って以来、日々が過ぎて行くのが妙に早いような気がしている…この間「数年分の桜を纏めて観た…」という状態の中で撮った画を整理する等していたが、未だに作業が完遂した訳でもない…

↓北海道へ引揚げるフライトに搭乗する予定の朝、天満橋の辺りに向かった…
Around Japan Mint or Temmabashi area, Osaka on APR 08, 2016 (20)
↑大阪に着いた日の夕刻にも至った辺りだが…桜は「盛りを過ぎた」感じであった…

↓桜に近い河川敷に足を運ぶと…花弁が既にかなり散っている…
Around Japan Mint or Temmabashi area, Osaka on APR 08, 2016 (2)
↑それでも遠くから見て、未だ花が“雲”のように…凄まじい量の桜だ…

↓河川敷の遊歩道のようになっている箇所の足下…
Around Japan Mint or Temmabashi area, Osaka on APR 08, 2016 (3)
↑桜の花弁が絨毯のように敷き詰められた状態となっていた箇所が見受けられた…

↓遠くに大阪城天守閣が見える場所も在る…
Around Japan Mint or Temmabashi area, Osaka on APR 08, 2016 (18)

この大阪の天満橋辺りの様子…「4月8日」である…「4月18日の稚内」の様子を想うと、大阪辺りは…遠い…しかし、だからこそ、また行ってみたいと思う…
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雪の稚内…(2016.04.18)

土曜日の夕方辺りから日曜日の日中、雨交じりな感じであった稚内だが…日曜日の深夜に戸外を伺うと、雨が雪に切り替わっていた…

↓迎えた今朝の感じである…
Wakkanai in morning on APR 18, 2016 (2)
↑また「積雪期」のような感じになってしまった…

↓4月15日朝の雪よりも、少し積もり方が深いような気もする…
Wakkanai in morning on APR 18, 2016 (1)

↓フキノトウも、4月15日より深く雪を被った感じだ…
Wakkanai in morning on APR 18, 2016 (4)

方々の桜の話題が聞こえて来る4月頃…毎度「“春”から取り残されたような按配…」と、何となく思うのだが…4月半ばを過ぎて、こうやって雪が降ってみると…「当地に“春”はやって来るのか?!」という、妙な気分になる…

今の時点で、稚内は風が少々冷たく、未だ若干の雪交じりだ…天候が回復すれば、直ぐに融けるような積雪按配にも見えるが、気温が上がらずに、存外にしぶといかもしれない…
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2016年04月17日

神戸:北野の坂道を上がる(2016.04.08)

神戸空港からのフライトに搭乗する日、神戸の三宮に至った。搭乗の手続きをするような時間帯にはやや早く着き、神戸を少し歩こうとは思っていたのだが…立ち寄った灘の日本酒関係の資料館が愉しく、それ程潤沢に時間が在るでもない…

過去に神戸に立寄った経過では…海側の方向は少し歩いてみたが…山側を歩いてみたことは無かった…そこで辺りに在った案内図を視て、北野地区を目指してみることにした。

昨年10月にも海側に相当する博物館や市役所本庁舎が在る辺りを歩いて、三宮の阪神電車の乗場に至って、近鉄線直通で奈良に向かう列車に乗車したのだったが…高架になったJRや阪急の線路を挟んだ「逆方向」は、「緩やかな坂道」のようになっていて、遠くに山のようになっている様子が伺え、高めなビルも散見する感じだ…そちらの方角へ歩を進めた…

北野地区を目指すなら…三宮の駅辺りの緩やかな坂道を進むのでは、大回りになってしまうことを、途中で珈琲を求めたコンビニで一寸尋ねて知ったので、少し針路を変えて“北野坂”と呼ばれる辺りに至った。

“北野坂”というのは、やや急な坂道であった。が、何かの団体旅行客風なグループや、その他多くの歩行者が見受けられ、「この方角が北野…」と理解出来た…

↓坂道の脇が、段々状に整地され、建物が建てられているのであろう…
Kitano, Kobe on APR 08, 2016 (14)
↑瀟洒な建物が目立った…

↓有名なカフェチェーンが入居している建物…人の出入が殆ど途切れない感じだった…
Kitano, Kobe on APR 08, 2016 (10)
↑画で改めて視て、「存外に急な坂道」であることを強く実感した…

↓坂道を上がり切った感じの、広場のようになっている辺りに至ると、この<風見鶏の家>が目に留まる…
Kitano, Kobe on APR 08, 2016 (17)

↓広場に彫像が据えられている。
Kitano, Kobe on APR 08, 2016 (23)
↑恐らく旭川でも視掛けるモノと同一作者の作品なのだろう…“サキソフォン吹き”だ…多分、この神戸の北野に在るモノの方が古い、言わば“兄”であると思う…

↓辺りの花壇…既に綺麗に花が…
Kitano, Kobe on APR 08, 2016 (7)

結局、少し慌ただしく北野の坂道の辺りを歩き回った…三宮駅の方角へ向かいながら、「この辺りはもう少々ゆっくりと時間を設けて、何時かまた…」等と思っていたのだった…
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2016年04月16日

旭川:<サキソフォン吹きと猫>(2016.04.08)

少し長かった旅の復路…

「旭川を朝6時に発つ普通列車」で稚内に引揚げることにした…

旭川に入るには「多少遅い時間帯になっても差し支えない」ということで、札幌駅辺りから都市間バスに乗車した…高速道路にバスが入り込んだ辺りで眠気が射し、気付いた時には高速道路の「旭川・鷹栖」という出口の辺りだった…速度は普通なのだろうが「早い」感じがした…

到着した旭川…「金曜日の夜11時前後」という具合だ…この日は、大阪の造幣局で「桜の通り抜け」を視て、周辺を歩き回り、神戸側に進んで灘の酒造メーカーの資料館2箇所に立寄り、三宮から北野方面へ歩き、神戸空港に入ってスカイマークのフライトで新千歳空港に飛び、札幌駅へ移動してバスだ…長い一日で、長い移動となった…が、近年は馴染んでいる旭川に着いてみると、何か安堵感のようなものが沸き起こる…

↓これに出会った…
Asahikawa on APR 08, 2016 (5)
↑「金曜日の夜11時前後」に似合うのは、どんな音だろうか?

何度も出くわしているこの像…何度でも写真を撮っている「お気に入り」である…
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2016年04月15日

稚内:降雪と積雪…(2016.04.15)

稚内辺り…既に3月末辺りで雪が消えたような具合になっていたが…前の週末に少々降って積もり、それも消えていた…

↓今朝の按配だ…
Wakkanai in morning on APR 15, 2016 (2)

ベチャベチャなシャーベット状の雪が、少し積もった…

↓フキノトウに雪が被ってしまっている…
Wakkanai in morning on APR 15, 2016 (3)

何となく「今季は昨季よりも寒い…」と思っていたが…吹雪のような状況こそ(未だ)無いが、今季は「4月に入っての降雪」が近年では多いように思える…
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2016年04月14日

京都:木屋町の桜(2016.04.06)

4月5日に続いて、4月6日も好天に恵まれそうだと気象情報で知った時…「京都方面へ出よう」と思い立っていた…

滞在していた大阪の新今宮駅または動物園前駅の辺りから、京都市内を目指すとすれば幾つかルートが考えられた。<スルッとKANSAI>が利用可能なルートを検討し…大阪市地下鉄と阪急京都線を利用することにした…

「地下鉄や私鉄等複数の鉄道会社による列車の相互乗入直通運転」という形態は、大阪辺りでも存外に多く例が在る。動物園前駅を通る地下鉄路線の一つも、大阪北部方面へ延びる阪急の線路と繋がって、そういう方式の列車が運行されている。朝、そういうタイプの列車に乗って淡路駅に出ると、乗り換えて京都の河原町駅まで向かうことが出来る…

独特なマルーン色の塗装が施された阪急の電車は、大阪府の北部を抜けて京都府に入り、京都市の西寄りの辺りから地下になっている区間に潜り込んで河原町駅に至る…車窓から眺めた沿線は、次第に明るくなって光が強まる、爽やかな好天の朝という風情だったが、随所で桜が咲いている様子が視えた…

河原町駅と言えば…以前にJR京都駅傍の宿に陣取って、当時京都に在勤していた友人と会う機会が在った際、木屋町で地鶏を席に据えられたコンロで焼いて頂く店で一席設けた後に「ここで阪急の電車に乗って西に一寸、地下鉄で一寸南下すれば京都駅だから…」と、名残を惜しみながら別れた記憶が在る場所だ…辺りは「路上での喫煙は御遠慮下さい」の条例が適用されている地区になるのだが、河原町駅の祇園寄りな出口の辺りに“喫煙コーナー”が在ったことも思い出した…

河原町駅から京都市内に入ろうとしたのは…祇園白川円山公園というような、「桜が好い」と聞く辺りを歩き回る起点に好適と考えたからだ…記憶に在る出口も、その祇園の方向へ出るには便利だ…

↓その記憶していた出口から地上に出てみると、こういうような様子だった…
Kiyamachi, Kyoto in morning on APR 06, 2016 (14)
↑以前にこの場所に佇んだ記憶は間違いなく在るが…あれは盛夏である8月初めという時季だったので、イメージは大きく異なる…ハッキリ言えば、あの時は「普通に、葉が茂った街路樹が在る」という程度にしか思わず、敢えて写真を撮ろうというような気にもならなかった…加えて、日が傾いて薄暗くなった後の時間帯で、通行人も多かった…

未だ通勤や通学の人達や、街中を行き交う様々な人達が少ないような時間帯…何か「桜が待っていてくれた!!」というような気分になって、暫し桜を眺め入ってしまった…

↓少し廻り込むと、光の加減と枝の按配で、桜は少し表情を変える…
Kiyamachi, Kyoto in morning on APR 06, 2016 (6)

↓一部に住宅も在るのであろうが、主に飲食店や商店、幾つかの店舗が入居したような小型のビルが軒を連ねるように見える一画だが…道路脇の木は、悉く桜だった…
Kiyamachi, Kyoto in morning on APR 06, 2016 (1)

↓朝の光で眺める桜…非常に好い!!
Kiyamachi, Kyoto in morning on APR 06, 2016 (4)

関西滞在を通じて、「数年分纏めて…」という程度に桜を観た。京都に入った4月6日の一日だけでも相当な量の桜を観たが…考えてみると、この「河原町駅に着いて、地上に出た直後の木屋町」で視た桜は「初めて京都の地で、自身の眼で間近に観た桜」ということになる。普段からこの辺りを行き交っている人達にしてみれば、何でもないモノなのかもしれないが…私にとっては、何か「非常に大切なモノ」となってくれたような気がする…

この「木屋町の桜」…また何時か再会したい感じだ…
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2016年04月13日

桜と姫路城(2016.04.05)

曇天の日に大阪入りし、翌日は若干の雨の中を動き回り、漸く晴れた朝を迎えた日…「<青春18きっぷ>を手にJRを利用して、“一寸離れた辺り”を目指そう」と思いながら、宿に最寄りの新今宮駅辺りに佇んでいた…

JRの“快速”やら“新快速”というような列車は、多分「昔の急行列車」のような感覚で主要駅に停車しながら、端から端まで乗ると運賃が2千円前後にもなりそうな区間を、「北海道の特急列車」と比肩出来るような時速100q超で運行していた筈だ…それに乗車してみることを愉しみながら、「一寸だけ遠出…」と大阪駅に向かって移動を開始した…

動き始めたのは“早朝”という雰囲気が色濃い時間帯で、とりあえず西へ向かい、西明石駅に至った…そこから、通勤や通学の皆さんで込み合い始めた列車を利用して姫路駅に至った…

「桜が似合う」とか、「辺りの桜が素晴らしい」と聞く姫路城を訪ねてみようと思い立った…

移動中の車窓から、方々で桜が好い状態であるのを視ながら姫路に至ったので、姫路城辺りに関しても「きっと好い状態であろう…」と多少期待はした…姫路城そのものは、少し長く続いた大天守閣の修理が終わって、2015年春から観られるようになったとの報を受け、2015年10月に立ち寄った経過が在る。そんな訳で「桜が咲いた時季の雰囲気」を楽しめれば好いと思って訪ねた…

↓「石垣の向こうに大天守閣の威容を望む」というような地点に至れば、既に「桜の向こうに大天守閣の威容」という按配になっている…
Himeji Castle area on APR 05, 2016 vol02 (2)

↓大きな大手門から敷地の中に進んで…言葉を失った…
Himeji Castle area on APR 05, 2016 vol03 (7)

10月に寄った際、「敷地内に木々が植えられ、何やら公園的に整備されていて…」と思いながら漫然と視ていたのだが…それらの木々の相当なパーセンテージのモノが「桜の木」であり、敷地の広い部分に「花色の雲」のように桜が咲き乱れていたのだ…自身のこれまでの人生で「視た記憶が無い…」程度の多量の桜だ…驚いた…

↓何か「桜の雲海に浮かぶ大天守閣」というような状態が、方々で視られて、凄く嬉しくなった…こういう状態を「自身の眼」で視られた!!何か「酷く幸運!!」と思った…
Himeji Castle area on APR 05, 2016 vol (2)

↓敷地内は「桜が全く見えない場所」を探す方が難しいように思える程度に、方々に桜が溢れ返っていた…
Himeji Castle area on APR 05, 2016 vol02 (7)
↑何やら…「凄い所に来てしまった…」と、とにかくも驚いた…

↓こういうような具合に、濠と桜が見えるような感じも、なかなかに好い…
Himeji Castle area on APR 05, 2016 vol04 (6)

この時は…「平日の午前中」というような時間帯であった訳だが…「年中、朝から夜中まで静か…」な街から流れ着いた者の目線では“驚異的”と思える程度に、色々な人達が集まって来ていた…視た感じで直ぐに判る“外国人旅行者”という風な人達も多かった。如何にも「日本の城!」という感じの姫路城と、「日本の美!」という感じの“SAKURA”による「超豪華共演」が展開中の場所なのだ…恐らく…この日の、私も居合わせた時の姫路城では世界中の人達が夥しい枚数の写真を撮っていたことであろう…

↓「城の敷地に桜が植えられた」のか、「桜の園に城を建てた」のか、判らないような按配だった…
Himeji Castle area on APR 05, 2016 vol03 (12)

聞き及ぶ範囲では…江戸時代辺りまで、城で樹木と言えば、何かの折に松明として利用することを考慮して松を植えるのがポピュラーだったといい、明治期以降に“公園化”される中で桜が植えられ、「地元の定番の花見スポット」になって行ったらしい…ということは…「城の敷地に桜が植えられた」が正しい筈だが、それでもこの姫路城に桜の咲き乱れる時季に立ち寄れば「桜の園に城を建てた」というように思ってしまう…

↓これ程までに「夥しい桜」を視た記憶は無い…何か「凄い経験」をさせてもらったような気がする…
Himeji Castle area on APR 05, 2016 vol04 (8)

正しく、後から「数年分の桜を纏めて観たような旅」と振り返ることになるのだが…この姫路城での経験も大きい…
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橿原神宮辺り(航空母艦<瑞鶴>の碑が在る<若桜友苑>など)(2016.04.04)

多少の雨にも拘らず、誉田八幡宮や富田林寺内町を訪ねてみた日…往路の道筋を辿って滞在していた宿に引揚げるのも面白くないので、「ぐるりと辺りを大きく廻って…」というようなことを思い付いた…

大阪府の南東部に相当する河内から、近鉄電車で少し東寄りに進むと奈良県に入り込む。橿原神宮前駅に至ると、近鉄の幾つかの路線が交差する。そこで富田林駅、古市駅を経て橿原神宮前駅に向かった。

橿原神宮前駅…自らは、戯れに“寒冷地仕様”と自称する程度に暑さを不得手としているのだが、夏に関西方面に出たことが在った…その時、橿原神宮に至ったことが在る…輝く夏の空の下に深い緑…強い光線が輝き、蝉の声が静かな鎮守の森に響き渡る中、神武天皇の伝説の地に築かれた広大な敷地には「天地の力」のような何かが渦巻いているような、少し不思議な気がしたことを思い出す…

橿原神宮駅から、奈良県内を南北に走る経路で北上して大阪方面へ引揚げることを念頭に移動を開始してみれば…何やら「雨の晴れ間」に当たった…雨の中で、橿原神宮の広い敷地のような場所を歩き回るのは多少草臥れる…しかし、晴れて来たのなら別だ!寄ってみることにした…

↓橿原神宮前駅の、橿原神宮側の出口を出た直ぐの辺り…桜が美しく咲き誇っていた…
Around Kashihara-Jingu-Mae Station on APR 04, 2016 (1)

↓巨大な鳥居に迎えられる…雨上がりなので、木々の緑が少し活き活きしているようにも見える…
Kashihara Jingu Shrine area on APR 04, 2016 (2)

↓建物も相変わらず重厚な感じだ…
Kashihara Jingu Shrine area on APR 04, 2016 (4)

この日、何か「不自然な感じ」を禁じ得なかった…忙しそうに何かを運び出している様子、資材を集めているような様子、「ドローン使用禁止」の看板等が在った。聞けば、前日にここで非常に大きな催事が在って、その後片付けをしていた様子だった。大きな催事とは、神武天皇の崩御から2600年を記念する催事のことである…

↓夏に訪れた際に視た記憶が在る木だが、春の空と光の下では、見え方が違う…加えて、雨上がりで緑が活き活きして見える…
Kashihara Jingu Shrine area on APR 04, 2016 (5)

↓本殿等が集まっている辺りから、北門という出入口を潜り、周辺部に出てみると桜が多く咲いている箇所に行き当たった…
Kashihara Jingu Shrine area on APR 04, 2016 (8)

↓なかなかに立派になっている木が、存外に多い本数集まっていて、少し見応えが在った…
Kashihara Jingu Shrine area on APR 04, 2016 (10)

↓辺りは<若桜友苑>と呼ばれていて、旧海軍の関係者が戦没者の慰霊の意味も込めて整備を始めた小公園だった…
Kashihara Jingu Shrine area on APR 04, 2016 (15)

↓歴戦の航空母艦<瑞鶴>…勇戦の末に撃沈されてしまった経過だが…そうした経過を伝え、戦死した関係者を慰霊する記念碑がここに設けられていた…
Kashihara Jingu Shrine area on APR 04, 2016 (12)
↑偶々、<瑞鶴>も活動していた時期の、航空母艦を駆使した海戦に纏わる話題を扱った本を読了したばかりでもあったので、興味深くこの記念碑を見入っていた…

↓辺りには随所に桜が咲き乱れていたが、一部は花弁がかなり散っていた…
Kashihara Jingu Shrine area on APR 04, 2016 (19)

「桜が好い時季」に関西方面へ…非常に運が好かった!「春以外の時季」に立ち寄ったことの在る場所に関しても、桜が散見する中で訪ねると、かなり様子が異なって見えた…
posted by Charlie at 07:44| Comment(0) | HDR/2016年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月12日

大坂:天満橋周辺の夜桜(2016.04.03)

衝動的に「何処かへ行こう…」と思い付いて“時間”を設け、新千歳・神戸の往復航空券を押さえた…そして大阪市西成区内の安価な宿を知って予約し、「関西方面で桜でも眺めて…」ということにした…

神戸空港に下立ち、ゆっくりと宿に向かい、モノを置いた後に街へ出てみることにした。思い付いて目指したのは大阪城辺りである…

大阪城辺りは花見客でなかなかの賑わいという按配であった。ゆっくり宿へ引揚げようとして思い付いたのは「JR京橋駅から、大阪環状線で宿の近くのJR新今宮駅へ向かう」ということだった。

そして「多分、こちらが京橋駅であろう…」と辺りの景色を眺めながら歩いたが…辿り着いたのは、京阪電車と地下鉄に乗車出来る天満橋駅の辺りだった…

「少し…“動線”がズレてしまった…」と思いながら、辺りの様子を伺った…

↓天満橋の辺り…川辺に凄い数の桜が!!
Temmabashi area, Osaka on APR 03, 2016 (19)
↑多少驚いて見入ってしまった…

この日は…<青春18きっぷ>を使っていたので、JR駅を探そうと辺りを歩いたが…日が傾いて薄暗くなって来たことから…京阪電車を利用し、天満橋から京橋へ移動し、京橋からJRに乗車して新今宮へ引揚げることにした…そう思いながら天満橋駅を目指した…

↓天満橋がライトに浮かび上がる感じになった…
Temmabashi area, Osaka on APR 03, 2016 (4)

↓川辺の桜も照明に浮かび上がる!!
Temmabashi area, Osaka on APR 03, 2016 (13)

↓「水辺の商都」でもある大阪…ボートで川を巡るというのもポピュラーなようだが…ライトに浮かび上がる桜を愛でる人達を乗せたボートも川を行き交っていた…
Temmabashi area, Osaka on APR 03, 2016 (10)

↓麗しい!!
Temmabashi area, Osaka on APR 03, 2016 (6)

かなり肌寒かった札幌から一気に神戸に飛び、曇天だった大阪に入れば、こんなに多くの桜が迎えてくれた!!
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2016年04月11日

京阪電車の萱島駅(2016.04.06)

↓京都側からの列車で萱島駅に到着…「普通の私鉄の駅」という以上でも以下でもない感じだ…
Kayashima Station on APR 06, 2016 (1)
↑大阪府寝屋川市に在る駅だ…

京阪電車は、大阪の淀屋橋から京都の三条、更に出町柳との間で、色々な区間、色々な停車駅設定の列車が行き交っている。経路は、地図で視ると「昔の京・大坂の街道」を概ね辿っているようにも見える。或いは、京阪電車で大阪城の見えるような京橋辺りから、淀や伏見を経て京都市内に向かった際には、何となく「幕末の“鳥羽伏見の戦い”で幕府方が進撃して、撤退した経路のような…」というようなことも思った…

萱島駅は、京都側からの列車であれば、寝屋川市駅辺りの車輛基地が一寸見えたその少し先という感じになる場所だ。京阪電車の寝屋川市駅と天満橋駅の区間は“複々線化”が施されており、大阪・京都の両都市を結ぶ輸送力はかなり強化されているのである…

↓鉄路は高架上に敷設されていて、ホームも高架の上なのだが…改札へ向かう階段の側へ進むと、少し不思議だ…
Kayashima Station on APR 06, 2016 (4)
↑ホームの上の方に、樹木が突き出して見える…「緑化」ということも在ろうが…「高架線のホームに木が植えられている」という例は聞いたことも無い…

↓改札を潜って外に出た。外から視ると、どういう具合なのか判った!
Kayashima Station on APR 06, 2016 (10)
↑地上に大きな木が在って、その木が空に伸びて行くことが出来るように、高架に隙間を設けていたのだ。だから「高架のホームに木を植えている?」ようにも見えたのだ…

↓木の真下辺り…四角い穴が高架の一部に設けられ、そこを大きな木が潜っているのが判る…
Kayashima Station on APR 06, 2016 (13)

↓この場所は神社だった…大きな楠が神木のようになっていて大切にされていた…
Kayashima Station on APR 06, 2016 (8)
↑複々線化の工事に際し、楠が立っている場所を高架が通ることとなり、木を切り倒す話しも在ったらしいが…木を残そうと、現在のような型に設計変更が行われた…1977年から、この「楠が聳えるホーム」が供用されているのだという…

↓神木の脇で、大阪方面へ向かう列車が発着をしている…
Kayashima Station on APR 06, 2016 (6)

以前から「高架線を大木が突き抜いているような駅」とは聞いていて、何となく「視てみたい」と思っていた。今般、京都から滞在していた大阪へ引揚げる場面で、京阪電車で移動することにしたので、敢えて寄ってみた訳だ…一寸、面白いモノを視た感じだ。
posted by Charlie at 08:23| Comment(0) | HDR/2016年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

京都・円山公園:<祇園枝垂桜>(2016.04.06)

衝動的に“時間”を設けて関西方面に出たが…桜が観たかった…「桜の名所」として挙げられる場所が関西方面には多い…天候模様を視ながら何ヵ所か、大阪からアクセスし易い近畿地方各府県で動き回ろうと思っていた…

大阪に滞在して近畿地方各府県の「桜の名所」を眺めに出るとなれば、京都市内に入り込む1日を設けるのも一興…否、そういう時間を多分「設けた方が好い」と思った…そこで…大阪市地下鉄、阪急、京阪を利用して京都を訪ねる日程を設けた…

未だ日が高くない間に大阪を発ち、阪急の京都線沿線が次第に明るくなる様子を車窓に眺めながら、「朝の通勤、通学の皆さんで忙しそうになる少し前」という時間帯の京都市内に至ることが出来た。阪急の京都線の終着・始発となる河原町駅の辺りを起点に、祇園方面をとりあえず歩き回った…

祇園白川辺りで、古い建物や小川が在る辺りで桜が咲き誇っている様を視た後、「祇園のランドマーク」と勝手に思っている八坂神社を目安に円山公園に入った…

↓観たかったのはこれだ!!
A famous tree of Sakura at Maruyama Park, Kyoto on APR 06, 2016 (1)
↑円山公園のシンボルのようになっている<祇園枝垂桜>だ!

精確に高さがどれ位なのかは判らないが、何となく思っていた以上に背が高い木で、何か「職人が技巧を凝らして造り込んだ?」かのように、複雑で精緻な感じで垂れた枝が拡がり、枝が花に彩られている。そしてこの日の、「好天な朝の蒼」という色合いの空に凄く映えている。

公園内は桜の木が多く、何やら「お花見会場」という様相になっている場所が拡がっていたが、早朝なので人込みも無く、落ち着いてこの<祇園枝垂桜>を眺めることが適った。

↓近付いたり、離れたり、立ったり、しゃがんだり、視る角度を変えてみたりと、随分ゆっくりしていた…
A famous tree of Sakura at Maruyama Park, Kyoto on APR 06, 2016 (12)
↑そして、そうやって“位置”をほんの少々変えるだけで、「見え方」が千変万化だった…実に興味深い…

↓角度が変わると、背景の空も色が変わって面白かった…
A famous tree of Sakura at Maruyama Park, Kyoto on APR 06, 2016 (19)

↓枝の垂れた感じ…何か江戸時代辺りの、裕福な家の若い女性が愛用していたというような簪の飾りを想像させてくれた…
A famous tree of Sakura at Maruyama Park, Kyoto on APR 06, 2016 (17)
↑永い歴史を誇る京都辺りは、様々な工芸を手掛けた職人が多く居て、色々なモノを造って来た歴史も有しているのだろうが…この枝の感じは、そういう伝統を受け継いで発展させた職人が造り込んだかのような、繊細で精緻な美しさを感じさせてくれた…

今般の関西訪問・滞在の中で夥しい桜を観た訳だが…「ベスト」は選出不能だ…何れも各々に好かったのだ!

しかし…「数年分の桜を纏めて観たかもしれない」という気分が沸き上がったのは…或いは、今般の経験を纏めるようなそのフレーズを思い浮かべたのは、この<祇園枝垂桜>を観ていた時であったと思う…
A famous tree of Sakura at Maruyama Park, Kyoto on APR 06, 2016 (18)

この、「花盛りの時季の<祇園枝垂桜>」と好天な日の朝に出くわすことが出来たというのは、非常に幸運だった!!
posted by Charlie at 21:29| Comment(0) | HDR/2016年4月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

稚内:4月の雪(2016.04.10)

深めな眠りから醒めると窓辺が明るい…室内で“茶代わり”の<明月 ホワイトプレミアム>を一寸頂き、戸外の様子を何気なく伺う…

↓「何や?これ?」という按配…
Wakkanai in morning on APR 10, 2016 (3)

昨夜遅くから、早朝の時間帯に雪が断続的にチラチラと降ったのであろう…

↓“冬”風な感じである…
Wakkanai in morning on APR 10, 2016 (4)

↓多分プラス1℃程度なのであろう…べチャッとした感じの雪が、薄らと積もった按配だ…
Wakkanai in morning on APR 10, 2016 (1)

「数年分纏めて桜を観た」状況から戻ってみれば…こういう「冬の残滓」のようなものの中に…妙な感じがする…
posted by Charlie at 06:44| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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