“博多側”には、九州各地を結ぶ鉄路や新幹線が乗入れ、福岡空港からも便利なJRの駅が在って、周辺が賑わっている。他方、“福岡側”では各種交通の結節点のようになっている天神周辺が、オフィスや商業施設の犇めく「都心!!」という雰囲気の強い地域になっている。
この“福岡側”の「天神」という地域名に関して、「所謂“天神様”が在って、そう呼び習わされた?とすれば、“天神様”は嘗て存在したのか、または現存しているのか?」と気になったことが在った…
↓鳥居の真中に<天満宮>と在る…所謂“天神様”だ!!

↑天神地区の一隅に、辺りの地区名の由来となった“天神様”である「水鏡天満宮」は確り現存している。
10月27日…小倉を起点に、日田を経て久留米に至ったところで雨が少し強くなり、福岡に至っても雨は続いた。福岡まで至ると…正しく天神地区に在勤である旧友の顔でも視たくなる…連絡を取って、夕刻に「コーヒーブレイク」を愉しむという運びになった…落ち合って街のカフェに入り、その「コーヒーブレイク」を愉しみ、一寸辺りを歩いた時にこの水鏡天満宮に行き当たったのだ…
水鏡天満宮…“天神様”として祀られることとなる菅原道真は、京から太宰府―天神に在る西鉄の駅から列車に乗って訪ねるのが便利な場所だ…―へ向かう途中に博多を経由しているという。その博多上陸の際、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだという故事が伝えられ、水鏡天満宮が興ったという。城下町・福岡の建設に際し、1612年に黒田長政が「福岡城の鬼門」ということで、現在地の辺りに水鏡天満宮を遷して現在に至っているということだ…
そういう訳で、ずばり「天神様が在る辺り」ということで、辺りは天神と呼び習わされることとなるのである…
↓車輛や人々の往来が盛んな地区の一隅が「すっぽり」と「静かな境内」というような趣になっている…

↑こうした「賑やかな中に静かな空間」という「不思議な感じ」が面白い…
↓朱塗りの建物が、日が傾いて薄暗くなった中に在ると、何やら「艶めかしい」感じもする…

↓ここの様子を何となく視ていると、時々参拝する人の姿も見受けられる。受験をする学生さんという雰囲気の方が目立つ…

よく知られている神社ではあるが、仰々しい感じでもない、「街の普通の神社」という雰囲気ではある…何度か立寄っている福岡の中で、何となく気に入っている場所の一つである…
この後…博多駅周辺で過ごし、夜行バスで広島へ移動したのだった…