2015年12月31日

札幌:“時計台”の氷柱(つらら)(2015.12.28)

札幌に住んでいた頃や、札幌を離れて以降、1990年代辺りや2000年代辺りには余り省みなかったが…2010年代辺りから、<時計台>が妙に気になり、写真を撮ってみる機会が増えたような気がする…

↓時計台は、相変わらず札幌都心部のビル街の谷間に、ひっそりと佇んで、街の人達や来訪者の往来を見守り続けている…
The Clock Tower of Sapporo on DEC 28, 2015 (5)
↑特段の“雰囲気”が在るでもない一画に、「明治時代の様子」を伝えるような建物が「ぽつん」と建っていて、或いは「ガッカリ名所」なのかもしれない…

この日は雪が時折舞い、何か「北国の都市らしさ」という風情が溢れてはいたが…

↓軒先が気になった…
The Clock Tower of Sapporo on DEC 28, 2015 (12)
↑氷柱だ…屋内の暖房で屋根の裏が温まり、積雪が融け、融けた水の滴りが凍結する…

↓こんな氷柱…創建以来、どの位の量が出来ては落ちて行ったのか?
The Clock Tower of Sapporo on DEC 28, 2015 (10)

↓どうしたものか、正面側は氷柱がやや少ない…
The Clock Tower of Sapporo on DEC 28, 2015 (7)

そう言えば!時計台は“演武場”と称し、北海道大学の前身である「札幌農学校」で、学生等が剣術や柔術に勤しむ場所に在った建物らしいが…「札幌農学校の剣術」と言えば、かの“永倉新八”が師範を勤めた経過が在った筈だ…“永倉新八”は幕末期の新撰組の幹部だった。松前家の江戸屋敷に勤めた武士の家に生まれ、剣術に明け暮れて“試衛館”道場の客分になっていたが、新撰組が登場する切っ掛けとなった動きに加わった…戊辰戦争の後、生き残った彼は松前家の伝で杉村家の養子ということになり、小樽に永く住んだらしい…そんな話しを思い出した…

或いは「ガッカリ名所」なのかもしれないと永く思っていて―今でも時々そう考えているが…―、余り省みなかった時計台だが…近年は「孤高なる明治の記念碑」という風情に惹かれるようになった…
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2015年12月30日

札幌の路面電車:(動画)<資生館小学校前>停留所(2015.12.29)

12月は日没が早めで「もう?!」と思う時間帯に街に灯りが入る…

<資生館小学校前>停留所が見える辺りに陣取り、小さな三脚を据えて動画を撮影する…意外に好きな時間の過ごし方である…

この時季…低温のため、バッテリーの電圧が下がり易い…

↓電車の鳴らす「警告音」が聞こえ、手前の“内回り”に電車(8512)が入って来る…そして<すすきの>停留所側へ進んで行く…

↑直ぐに<すすきの>側から、“外回り”に電車(212)が現れる…歩行者が道路を横断し終え、電車は静かに発車する…

↓この時間帯は、電車の前照灯に軌道が照らし出され、何となく美しい…
Tramcar with CocaCola ad. or 221 of Sapporo on DEC 29, 2015 (8)
↑加えて、この「コカコーラの広告」の“赤”が好い…

こういうものを眺めてゆったりと“年末年始休業”を過ごしている…
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2015年12月29日

札幌の路面電車:“コカコーラ”の真っ赤な広告塗装の221(2015.12.29)

札幌の路面電車にも「広告塗装(ラッピング)」が施された車輌が見受けられる。時々切り替わっている例も在るが、中には「かなり長く続いている?」というものも見受けられる…

↓この“コカコーラ”の真っ赤な広告塗装…随分長くこの色のような気がする…札幌の路面電車の“標準塗装”は緑系なので、この赤はかなり目立つ…これは、偶々乗車して、<すすきの>停留所で下車した際に撮った画だ…
Tramcar with CocaCola ad. or 221 of Sapporo on DEC 29, 2015 (2)
↑行先表示は「(外回り)循環」になっている…

「(外回り)循環」の行先表示を掲げた、“コカコーラ”の真っ赤な広告塗装の221…午前中の早めな時間帯に視掛け、昼近くに乗車し、やがて午後、暗くなり掛けた辺りと何度も視掛けた。結局「循環」の行先表示を掲げたまま、途中の<電車事業所前>停留所で乗務員の交代を時々行いながら、車輌はずうっとループを巡っていることになる…

↓12月の太陽が早くも傾きかけたような時間帯に、<山鼻19条>停留所に停まる場面を視掛けた…
Tramcar with CocaCola ad. or 221 of Sapporo on DEC 29, 2015 (5)
↑光の当たり方が好い…赤が鮮やかさを増している…

<山鼻19条>から「(外回り)循環」の電車は少し南下し、<幌南小学校前>で西方向へ曲がり、<電車事業所前>辺りで北上する方向へ曲がり、<西15丁目>で東方向へ曲がる。やがて<西4丁目>から南下し、<すすきの>から少し西の<資生館小学校前>に至り、そこから南下…そういう要領でグルグルと廻っている訳だ…

↓<狸小路>停留所で、路線案内を撮っておいた…
Tramstops (DEC 29, 2015)
↑こういう具合に“ループ”になり、「新たな人の流れ」も出来つつ在るように見えた…

↓街に灯りが入り始める頃、赤い電車は<資生館小学校前>に至った…
Tramcar with CocaCola ad. or 221 of Sapporo on DEC 29, 2015 (9)

“221”…流線型を帯びている年季が入った車輌だが、これに流麗なコカコーラのロゴと赤い車体色が妙に似合う!沿線で視掛けると、一寸心が弾む車輌でもある…
posted by Charlie at 20:35| Comment(0) | HDR/札幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

「歓迎光臨札幌的百貨店!」(2015.12.28)

札幌都心には、かなり広い地下街が設えられている。地下鉄で都心に出れば、その地下街に相当する部分を存外に歩くのだが…

↓大通駅辺りで、何やら不思議な看板を眼に留めた…
Welcome to Sapporo's Department Stores on DEC 28, 2015
↑私にも在った幼少の頃から、名前はよく知っている有名な「マチのデパート」の名前が2軒挙がっていて…店名は日本語だが、それ以外は中国語と英語である…書体から、これは台湾の中国語であろう…看板下部には、国外居住者は消費税を払わずに買物が可能であるという“免税”の旨、外貨両替を行う旨、台湾のクレジットカードが利用可能で在る旨、館内でWi-Fiが利用可能な旨が表示されている…

こういう看板が…多分、札幌市内で広告看板設置料金が最も高い部類と見受けられるような場所に掲出されている…これも“時代”というものだろう…
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札幌の路面電車:“ループ化”開業後のすすきの停留所―夕刻(動画)(2015.12.27)

「すすきの」と聞けば…電飾看板の灯りが溢れる様、殊にニッカの看板が在る“交差点”の様子を思い浮かべる…映画やドラマで、あそこの景色を写して「札幌」とでも字幕を示せば、劇中の主要人物が札幌に飛んで何かが起きると判るような…そういう感じだと思う…

<すすきの停留所>から“駅前通”に路面電車の軌道が通り、電車が入り込むようになると、辺りの雰囲気は少々変わった…

↓日が落ちた後の<すすきの停留所>である…

↑低床型のA1203が、灯りが溢れる中で“駅前通”方向へ進んで行く…

正しく「札幌の新しい風景」という具合だ!!今般の札幌滞在中、時間が在ればまた視たい!!
posted by Charlie at 12:50| Comment(0) | Movie Maker | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幸運??―2015-16の年末年始休業に突入…

「居候生活」(※「実家で寛ぐ」とも言う…)は3日目、実質2日目に入っている。

札幌は、稚内より寒い感じがする…或いは、こちらに来た辺りで「一段階気温が下がる」というような現象が生じたのかもしれないが…

12月25日午後に稚内を発ち、旭川を経て札幌に入ったのは12月26日午後であった。<青春18きっぷ>を手に、全行程を普通列車で移動だ…

旭川では、2月に気に入って以来、5月、8月、11月と臨時休業や貸切営業の故に、旭川に滞在していても立寄ることが叶わなかった店でゆったりと食事を楽しんだ…

↓これが、「九州で見受けられる鶏刺」的な感じの<鶏わさ>…
Evening at Asahikawa on DEC 25, 2015 (2)

↓建物の地階に下りて行く店だ…
Asahikawa on DEC 25, 2015 (4)

更に「営業している限り、旭川で時間が在れば、殆ど確実に寄る」店で<ズブロフカ>をロックで頂いた…

↓こういう感じで<ズブロフカ>を…
Evening at Asahikawa on DEC 25, 2015 (7)
↑少し久し振りとなった<ズブロフカ>…美味かった!!

↓旭川では、輝くクリスマスツリーを見掛けたのだったが…
Asahikawa on DEC 25, 2015 (2)
↑朝に旭川を発つ頃には、スッカリ撤去されていた…こういう「妙な素早さ」に毎年少々驚く…

↓旭川に寄れば“御挨拶”に立寄る<サキソフォン吹き>のおじさんは、夜から朝の雪で酷いことになっていた…
Morning at Asahikawa on DEC 26, 2015 (2)
↑こうやって雪が降っても、交通への影響は無かった…

札幌へ向けてはゆっくりと出発し、札幌駅周辺や新札幌駅周辺に道草で「居候所」(※「実家」とも言う…)に辿り着いた次第だ…

実質的に「居候生活」の“第1日”となった12月27日は、“ループ化”の営業を始めた、札幌の路面電車を視察することで明け暮れた感である。朝から夕方まで、昼食と“休憩所”での動画整理を含めて、札幌都心部で過ごしていた…

この間…巷では「一寸大変…」ということになってしまっていた様子だ…旭川から深川へ向かう途中のトンネルで火災が発生して列車の運行が乱れてしまい、更に吹雪で高速道路が止まったことで札幌・旭川間のバスが運休してしまい、「旭川以南に進み悪い」という事情が生じていた…

「たった1日の違い」で「移動の様子」は大きく変わった次第だ…「幸運」ということになるだろうか?

私が移動していた際には、「時季としては、やや雪が少ない?」という中、私が乗車した列車については目立った遅延も生じることなく、「愛すべき普通列車」を順調に乗り継いだのだ…

↓特筆すべきは「旭川・岩見沢の普通列車」で、電化されている区間ながら、電車ではなくディーゼルカー、それも旧いキハ40が使われていた。左が乗車した列車で、右は宗谷線を名寄方面へ北上する列車だった。
Asahikawa Station on DEC 26, 2015 (1)
↑因みに…名寄以北の普通列車はキハ54ばかりで、キハ40は原則的に見られない…

昨日は方々で悪天候であったらしいが、札幌は穏やかなものであった。但し、「手袋無し」で少々長く戸外に居るとキツい感じになるというようなことは在ったが…昨日は、一部箇所で見受けられる歩道橋に上がって、路面電車を眺めるというようなことはせず、“新規ルート”という型になる箇所を中心に、路面電車を眺めたり、一日券で乗車する等していたのだった…

↓新設された<狸小路停留所>の、風雪避けのアクリルに姿を映し込みながら、A1203が駅前通を北上…「新しい風景」という感じだ!
Sapporo on DEC 27, 2015 (23)
↑昨日は、こんな様子を眺めて楽しんでいた…

少しばかり、細かい用事を足しながら、漫然と過ごしている感だが…「年末年始休業」というのは、こういうようなモノなのかもしれない…
posted by Charlie at 12:24| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月27日

札幌の路面電車:A1203―夕刻のすすきの停留所(2015.12.27)

札幌の路面電車は、すすきの停留所と西4丁目停留所が結ばれて“ループ”となった。開業したのは12月20日…マダマダ目新しい感じでもある…

札幌市内での“居候”という展開になり、前々日に出発して旭川に道草し、前日に札幌入りした「実質的初日」にやったことは…「路面電車を観る」ということ…土日祝日に発行の<どサンこパス>という、「路面電車のみ乗り放題」という「310円」の一日券を手に、路面電車の沿線で一日を過ごすこととしたのだった…

↓夕方のすすきの停留所に低床型車輌のA1203が姿を見せた…
Susukino tramstop at Sapporo in evening on DEC 27, 2015 (20)
↑車輌の正面に掲げられる行先表示は「(内回り)循環」となっている…この表示が圧倒的に多くなった…他に「貸切」と、車庫に戻る場合等に用いているらしい「中央図書館前」というモノが散見した…

↓すすきの停留所の辺り…従前は「行止り」の軌道が一本で、到着した電車が折り返していたのだったが、現在は複線になって“内回り”の電車の向こうで“外回り”の電車が動いているのが見える…
Susukino tramstop at Sapporo in evening on DEC 27, 2015 (23)

↓この車輌…夜は車体に街の灯りが映りこみ、殊更に独特なイメージになる…
Susukino tramstop at Sapporo in evening on DEC 27, 2015 (27)

↓画面右上に、すすきの交差点のランドマークのようになっているニッカの電飾看板が見える…
Susukino tramstop at Sapporo in evening on DEC 27, 2015 (25)
↑左手は乗場の辺りに設置された屋根が見え、天井に灯りが跳ね返っている…

何か今日は…「新たな札幌の風景」が眼前に拡がったような…些か気分が高揚するような一日を過ごすこととなった!!
posted by Charlie at 22:39| Comment(0) | HDR/札幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

札幌の路面電車:“ループ化”開業後の様子(動画)(2015.12.27)

札幌の路面電車に関して、<西4丁目>と<すすきの>の量停留所の間に軌道を敷設し、路面電車の軌道が“ループ”…“循環”という具合になるようにする構想が終に実現した。12月20日に開業している…

「札幌に寄ったら!」と思っていたのだが…昨日到着して、ゆっくり休んで、今日は朝から様子を観て、少し乗車して…というようなことをしていた…

地下鉄で<大通>に着き、路面電車の乗場の辺りを目掛けて地上に出る…

↓こういう光景が視られる…

↑画面右端辺りまでの辺りが電車の軌道で、「走る電車」は視ることが無かった辺りに電車が走っている!!更に、道路の真中ではなく、端に軌道が敷設されている!!

↓そしてこの光景!

↑“外回り”の停留所は、従前の<西4丁目>の“下車専用”の場所辺りになっている。そして乗車場所だった辺りが軌道になっていて、<すすきの>から北上の電車が大きく曲がって入って来て、そのまま<西8丁目>方向に進んで行く…

↓少し長いのだが…「<すすきの>→<狸小路>→<西4丁目>→<西8丁目>を目指してカーブ」の「新しい区間」の“後方展望”を車内で撮ってみた…

↑この区間…信号等で停車する時間も少々長い…

未だ「新しい区間」は開通して日が浅い…乗客、歩行者、通過車輌の何れも「やや不慣れ」なことは否定出来ない・・・そこで交通局は警備員を配置して乗客の誘導や、通過車輌を見守るということもしている・・・

↓<すすきの>の停留所は、一寸視る分には、従前と然程イメージは変わっていない感じもするのだが…

↑乗降する場所が“対面式”になって、「すすきの交差点」を彩る「ニッカの看板」を向こうに見ながら、交差点を回り込むようにして「駅前通」に電車が入って行くのは、なかなかに大きな変化だ…

沿線や車内に、(私自身も含めて)カメラを手に電車の撮影をしている人達を存外に多く視掛けた…“ループ化”で、交通局の想定以上に乗客が増え、存外に好評な様子が伺える・・・

ところで、“ループ化”構想を踏まえて導入された低床型車輌のA1200だが、3編成に増備されていて、視掛ける機会が多くなった・・・
posted by Charlie at 13:50| Comment(0) | Movie Maker | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

旭川駅:稚内からの長い道程を走破したキハ54(2015.12.25)

稚内駅・旭川駅間は259.4kmとのこと…稚内を14時12分に出ると、旭川到着は20時20分となる。368分間の乗車…速度で割り返すと「やや長過ぎ?」な感じだが…途中、幌延駅で35分間程の停車が在る…その他、「列車の行違い」という“単線区間”ならではの、少しだけ長い―概ね5分前後…―停車が幾つも在る…

今般、その「行違い」で対抗の列車が若干遅れ、やや余分に停車する場面も在ったようだが…

↓然程の遅れでもない範囲、20時23分頃に旭川駅に列車は到着した…
Asahikawa Station on DEC 25, 2015 (4)
↑これは列車の前方である…

「国鉄時代末期」の1985年に初登場というキハ54の「微妙にレトロ」な感じと、「マダマダ真新しい感じが残っている」という雰囲気の旭川駅との取り合わせ…「存外に好き!」な眺めだ…「微妙なミスマッチ」が素敵なように思えてしまう…

↓これは列車の後方…
Asahikawa Station on DEC 25, 2015 (2)
↑軌道上の雪を撥ね上げながら走行するので、この日のように雪が降って積もって行ったような日には、車輌後方はこういう具合になってしまう…

因みに、酷く雪が少ない感じだった12月23日(稚内・音威子府間を往復した日)には、こういう状態は視られなかった…

冬季の列車移動…車輌後方が雪に染まった様を視ると、何時も「乗せてくれて、ありがとう!!」という気分になる…

↓改札を潜って、駅舎を出ると…こういう感じだ…
Asahikawa Station on DEC 25, 2015 (6)
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稚内駅:“代車”のキハ183系(2015.12.25)

「普通列車で旭川へ南下…」と思いながら稚内駅へ足を運ぶと…

↓こういう車輌が登場した!!
Wakkanai Station on DEC 25, 2015 (1)
↑これは特急列車の<スーパー宗谷1号>で、札幌から北上して来た列車だ…到着が1時間余り遅れてしまった…

写真の車輌…国鉄時代の1980年に登場し、1981年から量産されたキハ183系である…現在、1980年に初登場したグループは廃車になっているとのことで、これは1981年以降のモデルということになる…高い運転台が据えられ、“非貫通”の先頭車で、正面の真中辺りが前方に突出した“スラント形”と称する形状が見受けられる。“スラント・ノーズ”と呼び習わされているようだ…

この車輌…点検なのか修理なのか判らないが、普段の<スーパー宗谷>のキハ261系に代わって登場した車輌である。列車愛称のマークを出す箇所に<スーパー宗谷>のマークの幕が無いのか“臨時”という文字を掲げている…

↓「線路が途切れている」箇所に停車…これが稚内駅「らしい」のかもしれない…しかし、私は“稚内駅”とは“終着”というより“始発”だと考えている…列車を利用した旅の際、「出発!」は何時も稚内駅だからだ…
Wakkanai Station on DEC 25, 2015 (6)

どうしたものか、遅れて着いた列車…乗客が下りてしまった後、少し慌しく待機所に引揚げた…稚内駅には軌道が1本だけだ…

↓この列車に駅の軌道を素早く明け渡した型だ…
Wakkanai Station on DEC 25, 2015 (7)
↑こちらの列車は、普段よりやや遅めに入線し、私自身を含む乗客を乗せた後、直ぐに発車した…

列車の到着が1時間余り遅れるのは按配が好くないが…“代車”の型で、余り視ない車輌が稚内駅に登場するのは、一寸面白い…
posted by Charlie at 08:57| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

稚内・音威子府・稚内…午前中の普通列車で往復…(2015.12.23)

週の真中、水曜日が祝日で休日ということになった…時には好い!!

“祝日”というのは、元来「○○を記念する」ということなので、正直に“記念日”の「X月X日」を休日にすれば善く、“三連休”を造るとして「X月第X月曜日」という決め方にすることも「無用ではないか?」と個人的には思う…一部のモノは正直に“記念日”を祝日にしている訳だが…

中途半端に週の真中に休日が増えてみて、何か出来るというのでもないのかもしれないが、“三連休”となってみても「何処へ行っても混み合う…」と動くモチベーションは上らないばかりか、「交通や宿泊等が混み合い、故に割高」というようなことになってしまう…加えて、近年は外国人旅客が増加していて、時季や場所によっては「宿泊施設が取れない…取れても異様に高い…」という事態が頻発している…結果的に、何処かへ行くようなことで時間を設けるのであれば…土日祝以外の休暇を取得するのが、最も望ましいのかもしれない…

「週の真中、水曜日が祝日で休日」で、不意に「出掛けよう」と思い付いた。<青春18きっぷ>は年明けの1月10日まで有効なので、これで「年末年始に、稚内・札幌を普通列車利用で往復」と考えていたのだが…“1日”分を余してしまう場合も在るので…それを使ってみることにしたのだ。

「年末年始に、稚内・札幌を普通列車利用で往復」というのは、何時の間にか“恒例化”している。札幌在住の“親父殿”と“母上”を訪ねて数日間の「居候」を決め込む訳だが…或る年に「音威子府の生蕎麦」を土産に持参したところ…“親父殿”が激賞で、「実は蕎麦が好きなんだ…」と嬉々として食べていた…爾来、年末に「音威子府で生蕎麦を求める」ことが“恒例化”し、「札幌に音威子府の蕎麦を出前…」と戯れに言うようになってしまっている…「音威子府の蕎麦」というのは、所謂“田舎蕎麦”であり、「黒い蕎麦」として知られる代物だ…

「黒い蕎麦」に関して…音威子府駅近隣の店で毎年求めているのだが…例年、「この位の量になれば…箱に詰めてもらって、送ってしまえば?」と思っていた…今年はそれを実施しようとも思っていたが…過日、“親父殿”との電話で話す機会が在り「そう言えば…」と蕎麦に話題が及び、「23日?祝日で休みだから、音威子府に行って…」と“親父殿”は言い出した。更に…「何?!列車で片道が2時間??」というような話しになっていたのだった…そうして話題が出た際、「“減便”とやらで、朝の列車で音威子府に至り、買物をして名寄、旭川、岩見沢を経て札幌へ向かう既に“恒例化”しているパターンが…出来なくなってしまう…」旨も説明したのだった…

そういうことが在ると…3月に実施されるという「“減便”とやら」以降には「不可能!!」となる、「朝の列車で音威子府に入って、蕎麦を求める。(今回は札幌に発送する…)北上して来る列車に乗り、昼頃の稚内に戻る」というような“小旅行”が、「酷く魅力的!!」に思えてしまう…

前置きのような話しが長くなってしまったが…とにかくも“祝日”なので「朝の列車で音威子府に入って、蕎麦を求める。(今回は札幌に発送する…)北上して来る列車に乗り、昼頃の稚内に戻る」をやってみたくなり…無事に早起きも出来たので、出発することにした!!

↓このところは、路面に分厚く硬い氷が貼り付いている「ロクでもない」状態が目立ったが…この早朝もそういう状況が見受けられた…
Wakkanai in early morning on DEC 23, 2015 (2)
↑12月下旬の時季としては、こういう状態は少々珍しいのかもしれないが…凍て付く路面は、歩く時には気を遣う…

↓奥に稚内駅が見える…
Wakkanai in early morning on DEC 23, 2015 (3)
↑凍て付く路面の他方、舗装が露出して歩き易い箇所も散在している…

↓駅のビルの脇…
Wakkanai Station in early morning on DEC 23, 2015 (2)
↑常時使用可能な御手洗が在る旨が(一寸ビックリする程度に…)大きく示され、自販機や灰皿が並んでいる…

↓6時4分に出る列車…キハ54のステンレス車体が照明の光を受けて輝く…
Wakkanai Station in early morning on DEC 23, 2015 (6)
↑この時季の「早朝の列車」は、「夜の列車」のようにも見える…

↓「“国鉄時代末期”に登場」を示唆する、車内天井の“JNR”マークが入った扇風機…
Wakkanai Station in early morning on DEC 23, 2015 (8)

↓この辺で活躍中のキハ54は、各車毎に内装が異なる…これは#512…
Wakkanai Station in early morning on DEC 23, 2015 (5)
↑旧い特急車輌や新幹線車輌のシートを移設したという話しも聞くのだが…「旧い新幹線車輌」の内装が、個人的にはよく判らない…とは言え、この車輌のシートは総じて座り心地は好いと思う…

↓真っ暗な稚内を出て、進むに連れて明るくなる中を進み、8時20分に音威子府駅に到着する…
Otoineppu Station on DEC 23, 2015 (1)
↑このキハ54…ここに延々と停車し、9時58分に名寄に向けて出発することになる…

↓音威子府駅にもこのポスターが掲出されていた…
Otoineppu Station on DEC 23, 2015 (6)
↑因みに…新幹線がやって来る函館と音威子府の間は584.8km…

↓これが音威子府駅の駅舎外観…
Otoineppu Station on DEC 23, 2015 (2)

音威子府は、内陸部で山間なのだが、稚内よりも一段階か一段階半程度「気温が低い」感じであった…稚内では「手袋無し」でも抵抗感は少なかったが…音威子府では直ぐにキツい感じになり、ポケットを探って手袋を引っ張り出した…

↓駅舎に飾られている彫刻が好い…
Otoineppu Station on DEC 23, 2015 (5)

本来は、8時52分に旭川から北上する列車が入るのだが…「鹿との衝突が発生し、遅れています。お急ぎのところ申し訳ありません」のアナウンス…そして、稚内駅を7時に出て南下する特急列車が先に姿を現した…

↓稚内・札幌の<スーパー宗谷2号>は、何時ものキハ261系ではなく、“代車”の<ノースレインボー>を使用して運行されていた…
Otoineppu Station on DEC 23, 2015 (9)

<ノースレインボー>を見送ると、遅れていた列車が9時20分頃に着く旨のアナウンスが在った…本来は少し長く停車するのだが、「到着、乗降後に直ぐ発車」という按配になることになった…列車は、平常9時20分発なのである…

↓稚内へ向けて北上する列車が到着した…
Otoineppu Station on DEC 23, 2015 (16)

↓往路のモノとは、やや趣が異なる内装のキハ54である…これは#505…
Otoineppu Station on DEC 23, 2015 (17)

↓雄信内駅で少し停車し、南下しているラッセル車と行き違う…
Onoppunai Station on DEC 23, 2015 (3)
↑雪が少ないので、ラッセル車は「とりあえず走っているだけ…」という按配であったが…

↓幌延駅でも少し長く停まる…この朝の北上する列車は、「旭川―稚内」のオレンジ色をしたサイドボード(行先表示)が掲出される。これが好い!!
Horonobe Station on DEC 23, 2015 (3)

↓こういうような按配で、ゆったりと北上して来た…
Horonobe Station on DEC 23, 2015 (6)
↑豊富・南稚内間は多少賑わったが…「乗客…私だけ??」な感じの時間帯も長かった…

↓兜沼で、南下する列車と行き違う…
Wakkanai Station on DEC 23, 2015 (1)
↑ここまで来れば、稚内は直ぐだ!!

↓気になる程の遅れもなく、稚内駅に無事到着である…
Wakkanai Station on DEC 23, 2015 (2)

というようなことで…「朝の列車で音威子府に入って、蕎麦を求める。(今回は札幌に発送する…)北上して来る列車に乗り、昼頃の稚内に戻る」をやってみた顛末だ…「“減便”とやら」の影響で…こういうことがやり難くなってしまうのは、如何にも残念だ!!
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2015年12月18日

稚内:雪が冷え固まる…(2015.12.18)

昨日の日中、思い出したのは「何処までも♪降り積もる♪」という、少し前のヒット曲の歌詞だった…現在30代前半の方にこれを話すと、「中学生の頃にカラオケで歌っていた…」としていた…20代半ばの方に話せば…「それは…知っている!」としていた…何時の間にか、そういう程度に古くなった曲だが、雪の日には何となく思い出す…

そういう状態で存外に多く降った雪は湿った感じで、暗くなって気温が下がり始めると、積雪した路面が凍り始めた…

湿った感じの雪が積もった積雪路面は、中途半端な交通量であると、車輌の重みなどで押されて密度が高まり、気温が下がってくると「硬い氷」になる…

↓今朝の様子だ…
Morning on DEC 18, 2015 (2)
↑冷え固まった路面の上に、粒子が細かい、低温な時間帯にチラチラと降っていたらしい雪が被っている…

戸外を歩く際には「要注意!!」という状態が、あっという間に還って来た感である…他方、「時季には、時季らしい見た感じ」というのは、気分が落ち着くという側面も在る…

こうやって、存外に大きく様子が変わるのも…「冬季らしい」というものかもしれない…
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2015年12月17日

稚内:積雪が戻った…(2015.12.17)

昨夜まで、積雪は無かったが…

↓今朝の道路面…
DEC 17, 2015 (2)
↑「吹き付けられた」ような按配で、路面に雪が被っていた…

↓雪は少々湿り気が多いように見える…
DEC 17, 2015 (3)
↑柵の支柱の“縦”の面にも付着している…

↓辺り一面があっという間に染まった…
DEC 17, 2015 (1)

こういう状況を視ると、時々思う…例えば「この辺りの100m四方位に関して、人工雪を撒き散らして、それが解けてしまわないように0℃程度に何時間か温度を維持する」というようなことをやったとしたら…どの位のエネルギーと費用を要するだろうか?こうやって、「明けてみれば一変!?」という様子をもたらす自然の力は凄い…

積雪…やや歩き悪くはなるが…「時季には時季らしく見える」という位が、気分は落ち着く…こんな様子に、昨年の「えびの訪問」を思い出してみたりもするが…
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2015年12月16日

稚内:「日本国内最北」を謳う<マクドナルド>の辺り(2015.12.15)

「久し振り」ということになった友人と会おうと、夕刻に一寸出掛けた…

市内では“南”と呼び習わされる大黒地区、潮見地区辺りを、少し暫く振りに歩く型となった…約束の時間にやや間が在り、軽食を摂って、珈琲でも頂こうということにした…

↓そういう場面では、なかなか重宝する店だと思う…
DEC 15, 2015 (1)
↑国道40号に沿った場所、潮見地区に在る…

店の周囲に据えられた看板や、店舗の建物に据えられた看板と窓から漏れている灯りが、濡れた駐車場に反射して、何か独特なムードを醸し出している…

個人的には…この店については「休日の朝」に立寄る機会が多い…こういう、夕刻の時間帯に寄るのは、やや珍しかった…

↓何か水面に店が浮いているかのようにも見える…
DEC 15, 2015 (3)
↑建物の後ろ、画面左側に車が見えるが、この店は“ドライブスルー”が設けられていて、通り掛って様子を観る限り、存外に利用が多いように見える…

この店…「街中」のような「郊外」のような、「どちらとも言えないような、言えるような…」という場所に立地していて、店の横には広めな駐車場が在る…

↓駐車場の水溜りにランプが映り、降っていた小雨に揺らいでいる様…何となく面白い…
DEC 15, 2015 (5)

この後、店に立寄って「久し振りだな…」と思いながらこの店のハンバーガーと珈琲を頂いて過ごしたのだったが…ふと思った…「12月半ば(15日)」という時季に“雨”であること…その雨で積雪が融けるということでもなく、アスファルト上に水溜りが出来て、そこに看板等の灯りが映る様を愛でながら眺めること…一寸「不思議な感じ」がする…

この店の後、友人と会って過ごし、そこから道草で帰宅して休み、迎えた朝にこの写真を整理している次第だが…朝の時点でも積雪は無いままだ…
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2015年12月15日

稚内の12月頃:積雪の感じの推移…

実はこの数日、「積雪期向け」でもない、春から秋に散々履いていた履物を使っている…積雪が非常に少ない…と言うより、殆ど無い…

↓2015年12月12日の様子…
Morning on DEC 12, 2015 (1)
↑積雪前の時期と何ら変わりが無い…

積雪について、多少の増減のようなものは在ろうが、「今年のような様子」はこの時季には「やや珍しい」感じがする…

眼に留まる範囲で、「12月半ば頃に稚内で撮った画」というのを一寸見てみた…

↓2014年12月14日の様子…
Wakkanai on DEC 14, 2014 (1)

↓2013年12月13日の様子…
Wakkanai on DEC 13, 2013 (1)

↓2012年12月14日の様子…
Wakkanai on DEC 14, 2012 (1)

↓2011年12月15日の様子…
Wakkanai on DEC 15, 2011

↓2010年12月15日の様子…
DEC 15, 2010

↓2009年12月15日の様子…
DEC 15, 2009 Wakkanai

↓2008年12月20日の様子…
Wakkanai

2008年の画に関しては、「12月15日前後」の画が見当たらず、12月20日撮影のモノを持って来た。(序でに、以前の稚内駅の駅舎が写っているモノだったが…)

こうして観てみると…「12月半ば頃の稚内」というものは「積雪が辺りを覆う感じ」で、吹雪いたり、除雪作業の車輌が登場するような時季なのである。

対して今季は…「もう直ぐ、雪が積もる季節になりますねぇ…」という雰囲気だ…

こういう具合になると、時々「過去に在った不思議な状況」が話題になる。あれは1990年代だった…精確に年次が思い出せない程度に「古い話」になってしまっているが…一度だけ在ったのが、「12月30日頃まで積雪が殆ど見受けられず、12月31日の夜間から日付が変わった辺り、更に1月1日の日中まで雪が降り、瞬時に景色が変わった」ということが在った…あの時は、何故12月下旬に及んでも積雪が無かったのか、よく判らないが、気温は氷点下に下がる日が多かった。降雪も在る沿岸の気候である筈が、何か“内陸”的になってしまっていた…あの時は「雪を被っているのが普通な箇所が露出して、気温が氷点下」という状況で、「余り例が無い箇所で水道管に異状」ということが多発していたらしい…

その「不思議な状況」と今般の状況は少し違う…気温は然程下がっていない…日中はプラスの気温である。深夜や早朝もプラス1℃とかプラス3℃かもしれない…

とにかく不思議な感じがするのだが…こうなれば話題になるのは…「多少の増減は在っても、シーズンを通じた雪の量は“帳尻が合う”という感なのではないか?!」ということである…
posted by Charlie at 06:58| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月13日

博多うどん(2015.10.27)

福岡の天神で友人に会った際…九州上陸後、宮崎で頂いたうどんが美味かったということを話題にした…そして、広島へ移動する夜行バスに乗車すべく、博多駅方面に向かうことを告げれば…「博多駅の地下街に美味いうどんの老舗が…」と友人が教えてくれた…

天神から地下鉄で博多に移動し…「どれどれ…」とうどんの老舗という店を探すと…アッサリ見付かった。食事時間帯のピークということでもなく、特段に待つでもなく入店出来た…

↓頂いたのはこういううどんだ!!
'Udon' at Hakata, Fukuoka on OCT 27, 2015
↑時間が経つに連れ…「あのうどん…佳かったなぁ…」と思い出す頻度が高まっている…

博多のうどん…かなり麺が太い感じで、柔らか目である…しかし柔かさは「過ぎない」感じだ。出汁は、色が薄めで、多分幾つかの材料を合わせているのだと思った。

うどんの“御先祖様”というような料理は、かなり古い時代に博多にもたらされたらしい。やがて、商家等の忙しい場所で手軽に頂ける食事として普及し、更に随時頂く消化の良い軽食として拡がった…らしい…

頂いてみた博多の流儀のうどんは、“丸天”と呼び習わされる、魚の白身で造る“さつま揚げ”のようなモノを合わせたモノだったが…これが出汁や麺に合う!!

旅から戻って、幾分の時日が過ぎているが…最近はぼんやりと「札幌・福岡…最安値の航空券?」と考えながら、航空券の価格の情報を眺めてみることが在る…「数万円の交通費がどうしたものか!?博多のうどんが!!」と思わないでもない…他方で、「あの博多うどんは素晴らしかったが…再会を果たすには、交通費が往復数万円…」とじっと腕組みをしてみたりする…

とにかくも「博多うどん」は、「あれが佳かった…」と「時々思い出すモノのリスト」に確り加わった…
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2015年12月12日

稚内:薄暗い曇天な朝(2015.12.12)

昨日は午前中の間に雨が交じっていた。雨は積雪をかなり多く洗い流した。そして午後辺りから妙に気温が下った…

そんな状況が続き、迎えた朝は…雨や雪が降っているでもないが、曇天で薄暗い感じだ…一部に、しぶとい積雪が、冷え固まって“氷塊”のように路面等にこびり付いているのだが、そういう箇所は少なめで、場合によっては「春から秋に使っていた履物」で戸外に出ても、然程気にならないかもしれない…

煙草でも求めようと、薄暗かった戸外へ出てみた…

↓11月21日以前の、「積雪が未だ無かった時季」に戻ったと錯覚するような感である…
Morning on DEC 12, 2015 (1)
↑今朝は風は弱く、11月頃より気温が低い割には、厳しい感じでもないのが幸いだ…

↓厚めな雲に覆われた空は、何か「くすんで灰色を帯びた紫」とでも形容したい、少し不思議な色合いだ…
Morning on DEC 12, 2015 (3)
↑積雪に備えてベンチは覆いが被されているが、積雪は殆ど無い…

↓遠くの北防波堤ドームは、灯りが消えた辺りだった…こちらも積雪がかなり消えている…
Morning on DEC 12, 2015 (4)

↓稚内駅を通り掛ると、「朝の特急」こと<スーパー宗谷2号>が出発しようとしている場面だった…
Morning on DEC 12, 2015 (7)
↑「朝の」と言うより「夕方の」というような、薄暗い中で発車していた…列車の車窓は、南下するに連れて明るくなって行くことであろう…

↓稚内駅の中…静かな稚内にも、この種のデコレーションが眼に留まるような時季がやって来ている…
Morning on DEC 12, 2015 (8)

今季は雪が少ないのであろうか?年によっては、12月10日を過ぎた辺りに、大雪で交通が乱れたということも在ったように記憶するが、今季はそうした状態を免れている…更に…各地で「スキー場のオープン」が遅れている傾向が見受けられるようだ。友人・知人の中には、熱心にスキー関係の活動をしている方達も見受けられるのだが、そういう皆さんはきっと肩を落しているだろうなどと時々思い出す…一部の友人・知人が「この街では屈指の“何処でも歩き回っている人”」と呼ぶ、私のような者は、「歩き易い」感じの道路状況をとりあえず歓迎しているが…

「薄暗い朝…」と思いながら過ごしていた間に、雲がやや薄めになったらしい…窓辺が少し明るくなって来た…穏やかな天候に恵まれた休日となるような気がする…
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2015年12月11日

福岡:水鏡天満宮(2015.10.27)

九州最大の都市である福岡市の都心部というのは、古くからの港と城下町の2つが合わさったような感の街なのだという。既に1979年に廃止されているものの、「西鉄 福岡市内線」という路面電車のベースとなった“福博電気軌道”、“博多電気軌道”が古くからの港を擁する博多と、城下町を前身とする福岡を結び付ける交通体系を準備し、そこから2つが一体化した発展の道筋が始まったようだ。

“博多側”には、九州各地を結ぶ鉄路や新幹線が乗入れ、福岡空港からも便利なJRの駅が在って、周辺が賑わっている。他方、“福岡側”では各種交通の結節点のようになっている天神周辺が、オフィスや商業施設の犇めく「都心!!」という雰囲気の強い地域になっている。

この“福岡側”の「天神」という地域名に関して、「所謂“天神様”が在って、そう呼び習わされた?とすれば、“天神様”は嘗て存在したのか、または現存しているのか?」と気になったことが在った…

↓鳥居の真中に<天満宮>と在る…所謂“天神様”だ!!
Suikyo-Tenmangu Shrine or Tenjin, Fukuoka on OCT 27, 2015 (1)
↑天神地区の一隅に、辺りの地区名の由来となった“天神様”である「水鏡天満宮」は確り現存している。

10月27日…小倉を起点に、日田を経て久留米に至ったところで雨が少し強くなり、福岡に至っても雨は続いた。福岡まで至ると…正しく天神地区に在勤である旧友の顔でも視たくなる…連絡を取って、夕刻に「コーヒーブレイク」を愉しむという運びになった…落ち合って街のカフェに入り、その「コーヒーブレイク」を愉しみ、一寸辺りを歩いた時にこの水鏡天満宮に行き当たったのだ…

水鏡天満宮…“天神様”として祀られることとなる菅原道真は、京から太宰府―天神に在る西鉄の駅から列車に乗って訪ねるのが便利な場所だ…―へ向かう途中に博多を経由しているという。その博多上陸の際、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだという故事が伝えられ、水鏡天満宮が興ったという。城下町・福岡の建設に際し、1612年に黒田長政が「福岡城の鬼門」ということで、現在地の辺りに水鏡天満宮を遷して現在に至っているということだ…

そういう訳で、ずばり「天神様が在る辺り」ということで、辺りは天神と呼び習わされることとなるのである…

↓車輛や人々の往来が盛んな地区の一隅が「すっぽり」と「静かな境内」というような趣になっている…
Suikyo-Tenmangu Shrine or Tenjin, Fukuoka on OCT 27, 2015 (7)
↑こうした「賑やかな中に静かな空間」という「不思議な感じ」が面白い…

↓朱塗りの建物が、日が傾いて薄暗くなった中に在ると、何やら「艶めかしい」感じもする…
Suikyo-Tenmangu Shrine or Tenjin, Fukuoka on OCT 27, 2015 (4)

↓ここの様子を何となく視ていると、時々参拝する人の姿も見受けられる。受験をする学生さんという雰囲気の方が目立つ…
Suikyo-Tenmangu Shrine or Tenjin, Fukuoka on OCT 27, 2015 (2)

よく知られている神社ではあるが、仰々しい感じでもない、「街の普通の神社」という雰囲気ではある…何度か立寄っている福岡の中で、何となく気に入っている場所の一つである…

この後…博多駅周辺で過ごし、夜行バスで広島へ移動したのだった…
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2015年12月10日

久留米:水天宮(2015.10.27)

列車で何度も通り過ぎているか、乗換でホームに立ったことが在る駅でも、「そう言えば、ここで下車して改札口から駅周辺へ出た記憶が無い…」ということになっている駅は存外に在るものだ…私にとって、久留米駅は長くそういう存在だった…

古くからの地名の由来というものについては、判り易い例も在れば、「実はよく判らない」という例も在るのだと思う。“久留米”は…一寸調べる限り…

上古、大陸から渡来した機織りの工人集団がこの地に住んでいたので「呉部(繰部くりべ)」の居住した地、或いは「呉姫(くれひめ)」、「呉女(くれめ)」、「繰女(くりめ)」とよんだのがクルメに転訛したという説…

944年に出た「筑後国神名帳」というものに「玖留目神を祭祀した」との記述があり、これによるとする説…

用明天皇の皇子で、603年に新羅との戦いのために筑紫へやって来て、そこで病死したという「来目皇子(くめのみこ)」に由来するという説…

筑後川が大きく蛇行していることから、それを意味するクルメク(転く)を語源とするという説…

というような諸説が見当たるのだが、“定説”とされる話しは無く、「実はよく判らない」というのが結論のようだ…

それでもこの久留米という場所は、律令制による“国”が置かれて以降、筑後の国府が設けられていた地域に相当し、古くから栄えた地域であることは間違いない…現在でも久留米市は30万人規模の都市で、福岡市、北九州市に次いで福岡県第3位、九州全体では第8位の人口を擁している…

↓久留米駅の改札を出てみた…かなり天井が高い通路が設けられていた…
Kurume Station's building on OCT 27, 2015 (1)
↑久留米駅は、新幹線と鹿児島本線と久大本線の各列車が乗入れている…因みに…西鉄にも久留米駅が在るが、今般下車したJRの駅からはやや遠い…

10月下旬の旅は天候に恵まれた。「雨天で、やや行動が阻まれた…」という雰囲気になったのは…10月27日午後辺り、福岡県内であった…久留米駅から外へ出てみた際にも雨が交った…

駅の天井が高い通路の辺りに、地元の観光協会が設けたと見受けられる案内ブースが在り、水天宮への道順を尋ねると然程遠くないことが判り、簡単な周辺案内図まで頂いた…

↓多少雨が交った中、水天宮に着いた。筑後川の流れが見えるような場所に在った…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (1)
↑水と子どもを守護し、水難除け、農業、漁業、海運、水商売、また安産、子授け、子育てに関して篤く信仰され、各地に設けられている水天宮の「総本宮」が、この久留米の水天宮だという…

↓鳥居の脇の狛犬が、何となく…筋肉質というのか、細身な感じだ…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (15)

↓筑後川の直ぐ傍の境内は、「伝統の社」を擁する独特な雰囲気に満ちていた…若干の紅葉、落ち葉も混ざり、雨でしっとりと湿っていた…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (2)

源平合戦の後の時期、12世紀末に神社は興り、1650年に現在の場所に遷って整備され、それが今日の神社の基礎となっているのだということだ…

↓川を渡る風が、境内の木々に少し遮られる感で、雨交じりなりにも居心地は悪くなかった…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (8)

↓石造と視られる太鼓橋が好い…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (10)
↑平日で天候は好くなかったが、若干の参拝者も見受けられた…

↓境内に銅像が在る…久留米の水天宮と言えば…幕末の真木和泉である…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (6)
↑恐らく…最期を遂げた戦いに出陣した際の姿をイメージしたものだろうか…

真木和泉…真木和泉守保臣(やすおみ)…水天宮の第22代宮司だ。幕末期に活躍した人物である。所謂“国学”や“水戸学”の流れを汲む学問を収めていて、久留米の有馬家に藩政改革を建言したが容れられずに幽囚生活を送る羽目になった。その後、各地の志士と交わって尊王攘夷運動に身を投じる。京都で活動したが、1863年の「八月十八日の政変」で生じた“七卿落ち”で京都を離れた長州の関係者と共に離れた。やがて1864年の「禁門の変」に長州の同志達と共に参加する。久坂玄瑞ら同志達が討死した中で敗走して天王山に籠るが、追撃して来た会津勢や新選組との交戦で爆死してしまった。享年52歳という…

↓境内には、この真木和泉を祀る社も設けられている…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (12)

↓幕末の激動期に活動した人物に縁の場所でもあるが、永い伝統を誇る神社のような場所だけが醸し出すような雰囲気が非常に気に入った…
Suitengu Shrine at Kurume, Fukuoka pref. on OCT 27, 2015 (4)

この久留米の後、福岡から広島、神戸、奈良を経て京都に至るのだが、京都では真木和泉が加わった「禁門の変」の戦闘が行われた現場の一つである蛤御門を視て、そこで京都御所一般公開に出くわすということも在った。振り返ってみると…水天宮に立寄って、甲冑に身を包んだ真木和泉の銅像を視たことで、何らかの「導き」が在ったのかもしれない…

水天宮というのは、方々で見掛ける。「海運に関連」ということで、眼前に船が行き交うような街に住む者としては、何となく親しみを覚えるのだが…その“総本宮”に立寄ることが叶って善かった…
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2015年12月08日

広島の路面電車:<グリーンムーバ―・レックス>(1000型)(2015.10.28)

↓右側の車輛を視た時、思わず注目してしまった…
Tramcars at Hiroshima Station in morning on OCT 28, 2015 (2)
↑真新しい感じの低床型電車だ!!

↓路上の軌道で視ると、3連接の構造が判り易い…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (11)

この型は<グリーンムーバ―・レックス>の愛称を冠せられた1000型である。2013年に登場した型だ…

広島の路面電車に在って、サービスを向上させるため、「低床型の運行区間を増やす」ことが目指された。5000型や5100型は全長が長いので、利用可能な区間と、利用し悪い区間とが在る。そこで「少し短い低床型」が用意されることになった…そこで…5連接構造の5100型を3連接に改め、5100型で30m在った長さを18.6mとした…

この1000型は、広島電鉄の「100年記念」の車輛ともなり、1001号と1002号がそれに充てられ<ピッコロ>、<ピッコラ>という特別な愛称も与えられた。1003号以降は<グリーンムーバ―・レックス>の愛称を冠せられている。“レックス”(LEX)は「Light Excursion」(小旅行)から取ったとのことである…

↓2015年時点で、この1000型は8編成運用されているようだ…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (11)

↓右に1000型、左に5100型が見える…ドイツ生まれの5000型を参考に開発し、国産で調達することになった5100型と、「より多くの路線での利用」を図って5100型を「短く」するようにした1000型は、“親子”とか“兄弟分”という感じになるだろうか…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (9)
↑これらの車輛…きっと永く広島で活躍して行くことになるであろう…

乗降し易い低床型電車…「誰でも安心して利用」ということで、今後も導入が拡がって行くことであろう。この真新しい感じもする1000型が「若干、年季が…」と見えるようになる頃には、どんな車輛が登場するのであろうか?そんなことを思わせてくれる車輛だ…
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2015年12月07日

広島の路面電車:<グリーンムーバ―>(5000型)(2015.10.28)

広島という街は「路面電車が元気」というイメージが強い。実際、方々で路面電車を廃止していた状況が続いた中、広島では路面電車の運行が続いていて、路線廃止で不要になった車輛を迎え入れて使用する事例も多く見受けられた訳である。

そういう土地柄なので、広島を訪ねてみれば、新旧様々な車輛に出くわし、それらが同じように軌道を行き交う様を視るのは、少し愉しい。

↓そうした中、出くわして「おっ?」と注目したのは、この型の車輛である…
Tramcars at Hiroshima Station in morning on OCT 28, 2015 (1)
↑広島駅で停車中の様子だが、その大きさが目立つ…

↓路上の軌道上でも、「かなり大きい」感じがする車輛だ…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (8)

これは<グリーンムーバ―>という愛称が冠せられた5000型だ。1999年から2002年に導入されたモノで、12編成が製造され、現在は1編成は「部品取用」になっていて11編成が運用されているのだという…

この5000型は、5連接になっている。A、C、E、D、Bという構成で、動力を備えた台車が先頭と最後尾になるAとBとに据えられ、中間のEに無動力の台車が据えられ、CとDとは浮いた型になっている。低床型の車輛である。大き目な窓と、低床の内装で、車内は広々した感じである。全長は30m52cmに及ぶという…大きい筈だ…

この車輛…ドイツ生まれだ!初めて導入された5001号は、ドイツの空港からロシア製の大型輸送機An-124―120tもの積載容量を誇る…全長=68.96m、翼幅=73.3mという巨大な機体の輸送機だ…―で広島空港に空輸されたのだそうだ…以降のモノは、ドイツから貨物船で日本国内へ運ばれて来たそうだが…

1999年頃と言えば…熊本で「日本初」の事例となるドイツ製の低床車が導入されて注目された直後だ。路面電車を元気に運用している広島でも、低床型に着目して導入したのである…

↓この車輛の独特な見栄え…出くわす都度に見入ってしまった…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (4)

ドイツのメーカーのモノであるこの型だが、正面のデザインは広島の側で指定をした形状になっているそうだ。定評が在るドイツの低床車輛…と言っても、風土が違うことから、冷房の按配に今一つ納得出来ないとか、「所定の出口から、料金を支払って下車」という「乗客が動かなければならないルール」がドイツ辺りとは違うので、通路の勝手が悪いというような「もう少し改良の余地?」という面も在ったようだ…加えて、車輛そのものも高価になり、部品の調達にも時間を要するというような事も在り、「何とか国産で?」という考えに傾き、5100型を開発して行くようになる訳だ…

↓広島では、朝から暗くなるまで、何度もこの<グリーンムーバ―>という愛称が冠せられた5000型に出くわした…
Tramcars at Hiroshima Station on in evening OCT 28, 2015 (1)
↑こういう長い連接車だが、広島では運転士と車掌のコンビが乗務している…

「より運用し易く」という意味で、後発の車輛の“国産”という方向性を導き出しはしたが、この5000型は「日本の路面電車に低床型車輛が普及する契機」になった存在かもしれない。「日本初」こそ熊本に譲った型だが、この車輛が10編成から導入されて動き回ることで、かなり多くの人が「低床型の好さ」を知ることになった訳である筈だからだ…

5100型は「本当に欧州風な、長い連接の低床型電車」という感だったが、この5000型は「本当に欧州生まれの、長い連接の低床型電車」である。またゆっくりと眺めたり、乗車したいものだ…
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2015年12月05日

稚内港:雪の朝(2015.12.05)

昨日辺りから、何となく雪の降っている時間帯が多くなっていた気がしているが…昨夜から今朝に掛けて、少し雪が断続し、その傾向は今日も続く気配だ…

「煙草を切らしてしまい…」と朝から一寸戸外に出た…

↓「雪が被っている」感の場所の割合が増えた…
Morning on DEC 05, 2015 (1)

↓フェリーが2隻見えているべき中央埠頭に1隻?早く出る方が、丁度出航した直後だったようだ…
Morning on DEC 05, 2015 (3)

↓この感じ!!或いは「非常に稚内らしい」按配だ…
Morning on DEC 05, 2015 (6)
↑雪が素直に辺りに被るのではなく、風に舞ってしまい、一部は然程地面に積もらずにコンクリートが剥き出しで、一部は少し厚めに行くが積もった感じになる…こういう「吹溜り」が多々見受けられるのが、風が吹き抜ける稚内での特徴的な状況かもしれない…

気温が0℃を少々下回った辺りの、粒子の細かい雪が風に舞う…いよいよそういう様子が見受けられるようになって来た…
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2015年12月04日

鹿児島:ザビエル公園(2015.10.24)

鹿児島の街で、“天文館”という繁華街の呼称をよく耳にする。路面電車の停留所にも<天文館通>という名前が在るが、他方で「天文館○丁目」というような住所は無いようだ…

繁華街の天文館辺りだが、歩き回ってみると「一寸、面白い!」というものに存外に出くわす…

↓こんなモノに出くわした…
St Francisco Xavier at Kagoshima on OCT 24, 2015 (1)
↑古い建物の、壁の一部のように見える代物だが…それを以て“記念碑”のようにしているようにも見える…

これは、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルを記念して明治時代に建てられた教会の一部で、第2次大戦下に消失してしまったという建物なのだという…教会そのものは後年再建されていて、この“記念碑”のようになっている壁の傍に在るのだが、辺りは「街の小さな公園」という感じになっている。<ザビエル公園>と呼ばれる。

天文館地区というのは…藩政期(江戸時代)に「暦の作成」を目指して天体観測を行う場所を設けていたことに因む呼び名であるという。当時、辺りは島津家中の重臣達の屋敷が集まった地域だった。<かごでん>のガイドさんの受け売りだが、重臣達の屋敷というのは、今で言えば「一寸した規模の小学校の敷地全部」という感じの広いモノだったという。そういう屋敷の敷地が連なっているということは…灯りを使う建物の密度が薄く、夜間に星を望み易かったということになる…

「一寸した規模の小学校の敷地全部」という感じの広い屋敷を構えた重臣達…そういう人達は“千石”というような規模の知行を島津侯から与えられていた…そこで…辺りは寧ろそれに因んで「千石」という通称になって、それが後年に地名化した…この<ザビエル公園>辺りは、「東千石町」という住所だ…

↓古い壁の辺りに、少し年季が入った胸像が在る…
St Francisco Xavier at Kagoshima on OCT 24, 2015 (3)
↑「S. FRANCISCO X.」…Sは「聖」で、「フランシスコ」の名はそのまま綴られ、「ザビエル」の姓はXに略されている…

1549年、イスパニアの宣教師フランシスコ・ザビエルは鹿児島・祇園之洲に上陸したと伝えられる。祇園之洲というのは…現在は<石橋記念公園>が設けられ、移築した江戸時代の石造橋梁が在る辺りに近い場所の海岸部だ…この教会の壁の一部を利用した記念碑は、1949年にザビエルがやって来て400年であることを記念して設けたものなのだそうだ…

↓直ぐ傍に3人の人物の像が据えられていた…概ね、人物達の等身大の像である…
St Francisco Xavier at Kagoshima on OCT 24, 2015 (4)
↑これは1999年に設置されたものらしい…ザビエルがやって来てから450年の記念ということだ…中央がザビエル、左がヤジロウ、右がベルナルドだという…

ザビエルはヤジロウと共に鹿児島に上陸し、後年欧州へ出ることにもなるベルナルドと出会っているという…ザビエルは、鹿児島には1年間程度居たようだ…

ザビエルは鹿児島の後、肥前平戸、周防山口、更に堺を経て京に至り、山口や平戸での活動の後に豊後府内(大分)に入る。1551年に鹿児島のベルナルドらを連れて日本を離れている…そして1552年、ザビエルは中国で他界した…

「キリスト教伝来」や関連する様々な事柄は、日本史の中ではなかなかに大きな出来事の筈だ。そういう出来事を伝えるモノが、「街角の、近隣の子ども達が遊んでいる様子さえ見受けられる場所」にさり気なく置かれているのが、何となく好かった。
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2015年12月03日

阪堺の路面電車:<堺トラム>(1001型)(2015.10.31)

「阪堺の電車」と言えば、新旧様々な車輌が見受けられるのが愉しいというようなことと、殊に非常に古い車輌も現役であるということを思い浮かべてしまうのだが…近年は低床型の新しい車輌も導入されている…

古い電車の中には、乗降口のステップが少し高い感じの車輌も見受けられる。阪堺の1日乗車券を手に方々を巡っていた中、小柄でやや高齢な方が、荷物を手に「どうやって乗車したものか?」た少々難儀をしていて、辺りに居た若い男性がすうっと近寄って、さり気なくその方に手を貸していた場面を視掛けた。大阪の南側から堺に掛けての、古くからの住宅や商店が入り交じったような街を行く電車での、何か人情味溢れるような光景でもあったが、それでも「誰でも安心して楽に乗降が可能」という車輌は望ましい筈だと思った…

↓そんな様子を視掛けた同じ日に…これに出逢った!新しい低床型の車輌である!!停留所の地面から車内へは、段差が殆ど無い。「エレベーターに入る」のに近い感覚で乗車出来るのだ。
Abikomichi Tramcar Stop on OCT 31, 2015 (10)
↑これが<堺トラム>という愛称を与えられ、現在は3編成が運用されているという、2013年に初登場したという新しい電車だ!!

↓一寸乗車してみた…シートには、なかなか凝ったデザインのクロスが掛けられていた…
Abikomichi Tramcar Stop on OCT 31, 2015 (16)
↑3編成在る<堺トラム>は、緑を使った1001号(「茶ちゃ(ちゃちゃ)」)、紫を使った1002号(「紫おん(しおん)」)、青を使った1003号(「青らん(せいらん)」)と各車毎にイメージカラーと愛称が在るようだ。私が乗車したのは1003号の「青らん」だったようだ。シートのクロスも青系だ…青は堺の海の色や、市の旗の色に通じるもので、「青らん」と平仮名の“らん”に敢えてしたのは色を示す“藍”や電車が「走る」(run)のランなど、色々な意味が込められているという…

他所の方が乗っていなかった、私が座った正面のシートの写真を撮ったが、車内のシートはクロス型とロング型のモノが混在していて、札幌で乗車したA1200(<ポラリス>)と配置がよく似ていると思った。札幌の低床型は2012年初登場で、堺では2013年なのだから、似たような時期に設計されている筈で、基本レイアウトは似て来るのであろう…或る程度座席を多くしながらも、通路や立席の部分の広さを確保し、加えて低床を実現するとなれば、自ずと車内のレイアウトも固まるような気もする…

↓こちらの角度は、1003号「青らん」の命名由来になった、青いアクセントが見え易いかもしれない…
Abikomichi Tramcar Stop on OCT 31, 2015 (15)

↓これは堺市内の軌道を走行している様子だ。(厳密には信号で停止している場面になるが…)
Tramcars around Myokokuji-mae Stop on OCT 31, 2015 (1)

↓我孫子道停留所近くの車輌基地にも<堺トラム>が停車していた。
Hankai Tramway Co. at Abikomichi, Osaka on OCT 31, 2015 (4)
↑これは1002号の「紫おん」のようだ。紫のアクセントが美しい!!

この<堺トラム>!!何か豊かな“商都”としての歴史を負い、その豊かさの故に育んだ麗しい文化の香りがするような色彩を帯びて、「今求められる!」更に「近未来も斯く在って頂きたい」というような機能を備えた車輌である。何か出くわすと嬉しくなる…

↓序でながら…こういう、ある程度精巧に車輌が再現されたNゲージも!!

鉄コレ阪堺電気軌道1001形「紫おん」【トミーテック・256571】「鉄道模型 Nゲージ TOMYTEC」



↑告白すると…入手してしまった…

<堺トラム>…また眺めに…更に乗車しに、沿線を訪ねてみたいという想いが膨らむ…
posted by Charlie at 18:51| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月02日

稚内港:暁と積雪(凍結路面?!)(2015.12.02)

今朝は室内に居ても、窓辺が少し明るい。善いことのように思う。

早朝、戸外の様子を伺った…

気温は?恐らく0℃またはそれ以下であろう…雪を被って白い箇所の中に、凍結箇所が見受けられた。歩行の際は慎重を期さねばなるまい…今朝は風は微弱で、「風の冷たさ」ではなく「空気の冷感」を寧ろ感じる。と言って、「強く息を吸い込むと…」と言う程に冷え込んでいるでもないのだが…

↓中央埠頭へ通じる辺り…
Morning on DEC 02, 2015 (1)
↑積雪に埋まることにそなえ、ベンチは既に覆いが被せられている…辺りを歩いた人達の足跡をクッキリ残し、積雪表面がカリカリになっている…

↓中央埠頭側を望む…海は静かだ…微風で海水面が少しだけ揺らいでいる…
Morning on DEC 02, 2015 (4)
↑2隻のフェリーが出航準備に勤しんでいる様子だ…

↓北埠頭側も雪を被った感じだ…
Morning on DEC 02, 2015 (3)
↑今朝も2隻の巡視船が待機中の様子だ…

↓北防波堤ドームも、「雪の中に浮かんでいる」かのようだ…
Morning on DEC 02, 2015 (12)
↑未だ然程厚くない積雪は、表面が些か凍ってカリカリだ…

↓12月ともなると、日が高くなるのも「緩々」というペースだ…
Morning on DEC 02, 2015 (13)
↑道路が酷く凍っている…

ブレンド珈琲の<大阪ストロング>を頂きながら、写真を一寸整理したが…「凍った箇所で気をつける…」ということばかりが気になる朝だ…空が蒼に輝き始めている…昨日視た天気予報では曇天だったが…
posted by Charlie at 08:15| Comment(0) | HDR/稚内港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする