2015年11月14日

広島:<江波山気象館>(旧広島地方気象台)(2015.10.28)

江波山(えばやま)というのは、広島の街の南西寄りに在る小高い山で、辺りは住宅街という趣で、周辺に公園も整備されているようだ。広島駅前から紙屋町を経て、江波山の麓辺りの江波へ向かう路面電車の路線も在る。

この江波山に気象台が設けられていた。1934(昭和9)年に建物が竣工して気象台が江波山に立地した。1987(昭和62)年に気象台は市内の合同庁舎に移転し、建物が江波山に残り、広島市が管理する博物館<江波山気象館>となった…

この建物の存在を知ったのは、『空白の天気図』という本を通じてである…

「1934年から1987年」という稼動期間を視てお気付きであろうが、原爆の1945(昭和20)年8月6日にも、この気象台の建物、勤務していた人々は原爆投下の惨禍を見詰め続けていたのである…原爆の爆心地から概ね3.7kmという直線距離が在るこの気象台だが、爆風による被害は免れず、建物の一部が被害を受け、内部に置かれていた様々なモノが壊れて負傷者も多く、観測機器も損なわれた。それでも、気象台では動ける関係者が活動を続け、使える機器を使って観測が続けられていた…

そういう「凄まじい経過だ…」と思った話しだったのだが、その時の建物が残っていて、博物館になっていて自由に訪ねられることを知り、「是非とも立寄ってみたい」と思うようになっていた。爾来2年余りになるが、漸く願いを叶えた次第である…

↓路面電車の江波停留所の辺りの電車庫を眺めながら少し歩き、山頂を平らにして建物が在る辺りへ通じる階段を視付けた…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (3)
↑歩き回って、こういう通路を視付けながら目的地を目指してみるというのが、意外に愉しい…半袖Tシャツの上に長袖シャツという程度の出で立ちで丁度好いような気温帯で、好天だったので街を歩き回るのが心地好かった…

↓現在となっては、高速道路が近くに通っていて、随分と拓けた住宅街のように見える一帯だが…恐らく昭和前半辺りには「街の端の方」というイメージだったのではないか?そんな場所の、山の上に立てた気象台というので、もっと小さなモノを想像していたが、存外に大きかった…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (4)
↑正面入口から入り、入場券(100円)の販売機が在って、中に入るようになっている…

↓昭和の初め頃の鉄筋コンクリート建築…重厚な雰囲気が漂う…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (5)
↑昭和に入る辺りまでに、鉄筋コンクリート建築は盛んになったようだが、1939(昭和14)年頃を境に「鉄筋の調達難」という傾向が見受けられるようになったらしく、例が少なくなってしまった…この気象台は「戦前の鉄筋コンクリート建築の末期」というような按配の建物ということになる…

↓被爆の際、凄まじい爆風で窓や、屋内の書棚等の硝子の多くが割れて砕け散り、それによる負傷が多く発生したそうだが、金属性の窓枠の一部は歪んでしまったという…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (6)
↑この爆心地方向を向いているという窓枠は歪んでしまい、戦争が落ち着いた頃になって硝子が嵌められるように関係者が修理をしたものだという…

↓この辺りが、爆風をまともに受けたと見受けられる辺りだという…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (10)
↑<気象館>として整備保全の工事をした際、この「被爆の痕跡」が窺える壁面は、敢えてその痕跡を遺したという…

館内は、被爆の経過も含めた『空白の天気図』に描かれた時代のことを伝える展示や、ビデオ上映が在って非常に興味深い。他方、ここは「気象の不思議」に関して子ども達が学ぶ施設である。小学校の学校行事と見受けられるグループが幾つか来ていて、気象関係の一寸したアトラクションのような展示で歓声が上っていて、なかなかに賑やかだった…

『空白の天気図』に描かれているのは、原爆の時の様子や、同じ年に発生した“枕崎台風”の辺りの必死の観測活動のことだ。原爆の爆風を受けてしまった時には、負傷者を必死に助けようとする人達の声が廊下に響いたことであろう。“枕崎台風”の時には、戦争の後遺症で通信状態が悪い中、警報を巧く伝えられないことに苦悩する関係者が必死に観測する姿が視られ、山の木を伐採し尽したこと等で土砂崩れが多発して死傷者がどんどん発生する様に眉を顰めた人達が駆け回っていたことであろう…そういう「悲壮な現場」に「子ども達の歓声」である…或いは、こういう平和が尊いと強く思った…

↓小高くなった辺りの建物の屋上は、なかなかに見晴らしが好い…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (9)
↑この方角が“爆心地”側らしい…かなり大きなビルも点在する、正しく広島の都心部として大きく発展している様子が窺える…

私自身を含め、他地域の人達の間では“被爆建物”であり、同時にその頃に凄まじいドラマが展開されていた舞台であるこの<江波山気象館>(旧広島地方気象台)は、然程知名度が高くはないと思う。しかし、ここは「静かな歴史の証言者」というような感の場所で、なかなかに尊い訪問先だ…辺りも好天時には好い散策コースとなる場所だ…加えて、江波の電車庫の在る辺りに路面電車で訪ねてみるというのも愉しい…

広島が、何となく「頭の隅に引っ掛かる」というように感じられるようになった切っ掛けは、この江波山の旧気象台な訳だが…

↓切っ掛けとなった本の感想を綴ってあったので、リンクをこちらに掲載しておく…
>>『空白の天気図』
posted by Charlie at 21:55| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

早朝の稚内港:中央埠頭から北埠頭(2015.11.14)

休日である土曜日の朝を迎えている…と言って、何ら特別な訳でもない…前夜は、平日同様の時間帯に休み、起き出してみても平日同様な時間帯であった…

点けたり、消したりで暖房を調整し、室内では何となく「心地好い感じ」を模索している感だ…戸外は少々肌寒い…風はやや弱く、戸外がキツいという程でもないと思う…

早朝…寧ろ薄暗い感じがしたのだが…多めな雲が低い空で僅かに切れ、少し不思議な空模様が見受けられた…

↓中央埠頭辺り…
NOV 14, 2015 (14)
↑雲が切れている辺りが非常に朝やかな色合いになっている…そしてそれが海にも映り込んでいる…

↓待機中のフェリーは、出航の支度をしている様子だ…
NOV 14, 2015 (13)

↓北埠頭側を視ると、今朝は巡視船が1隻停泊中だ…
NOV 14, 2015 (7)

↓今朝は不思議な感じの光になっている…
NOV 14, 2015 (10)

港の様子を少々伺い、写真を撮り、それを整理しながら<キリマンジャロ>を淹れる…平日と何ら変わらない感じで時間を過ごしている…
posted by Charlie at 07:57| Comment(0) | HDR/稚内港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大阪:四天王寺(2015.10.31)

↓2012年12月15日撮影の画である…
Shitennoji-Temple, Osaka on DEC 15, 2012 (6)
↑雨交じりの早朝に撮った画だった…

この2012年12月の状況…夜のフライトで関西空港に着き、北海道内でも使っていた<青春18きっぷ>が未だ有効なので、関西空港駅から天王寺駅へ移動し、「これ以上先に進むと“終電”が絡まる時間帯で、移動継続困難…」と考えられたので天王寺のネットカフェで夜を明かし、迎えた朝に四天王寺を訪ねてみたという場面だった…直ぐに雨が降り出し、やがて雨が強くなる一方で、地下鉄の駅に向かい、地下鉄で新大阪駅へ移動してから、新幹線で九州を目指したのだった…

今般、確りと事前に押えた宿に宿泊する型であったが、久し振りに天王寺で夜明けを迎えることとなった。やや早めに休み、確りと深く眠って、未だ暗い時間帯に起き出し、戸外に出てみた…戸外に出たのは、近所のコンビニから嵩張るモノを送ってしまいたかったからというのも在ったのだが、2012年の時とは異なり、雨が降りそうな気配も無い中だったので「四天王寺を再訪」と思い付いたのである…

「この辺だったか?否!間違えた…」という具合にドタドタとしながら、半袖Tシャツの上にデニムのジャケットというような身軽な服装で歩き回った。十字路の上に、環を描くようになった大きな歩道橋が設えられている天王寺駅周辺からであれば、阪堺の路面電車の軌道が敷かれている大きな道路の、軌道が無い側を進めば四天王寺の在る辺りに至るのだ…

↓幾つか在るらしい境内への入口の一つから、未だ明るくなり切らない境内に入り込んだ…一部に拝観料を支払って入る場所が在るのかもしれないが、四天王寺の境内は夜明け前のような時間帯でも入り込むことは出来る…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (2)
↑古い伝統を受継ぐ鐘楼の背後に、天王寺駅周辺に聳え立つ<あべのハルカス>の姿が覗く…

四天王寺は推古天皇元(593)年に、かの聖徳太子が開いたと伝えられる、日本最初の官寺だという…日本で普及する仏教の源に近い存在なのだ…

この四天王寺が立地する天王寺という地区―“天王寺”という地区名自体が、四天王寺の略称に由来するようだ…嘗て辺りは「天王寺村」と称した時代も在るらしい…因みに“天王寺”という寺は無いそうだ…―は、古くから堺・大坂・京を結ぶ経路の上に位置する要衝だった。そういう事情も在り、天災の他に戦禍も在って、四天王寺の古い建物は余り残っていなかったのだというが…第2次大戦下の空襲に至るまでに色々と失われたり再建された理を繰り返していたが、現在の四天王寺の伽藍は1963年に飛鳥時代の様式を模して鉄筋コンクリートで再現したものなのだそうだ…そうは言っても「鉄筋コンクリートで再現」と聞かなければ、そういうことになっているとは気付かない…大寺院の「(日本での)最も古いスタイル」を今日に伝える立派なものである…ただ、現在は五重塔が修理工事中であるようで、何やら覆いが被されていて見えなかった…

↓明るくなる前の境内に入り込んだが、方々に色々な灯りも見受けられた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (9)

10月の末という時季…12月程ではないにせよ、明るくなる時間帯は遅めになって来ている…そういう事情なのか、未だ暗い間から談笑する声が聞こえてきた…御近所にお住まいの方達と見受けられる人々が、明るくなり行く境内を随分多く往来していて、知った顔どうしで挨拶を交わす様子も多々見られた…

↓立派な門が設けられている…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (12)

↓門の金剛力士像の“阿”…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (14)

↓こちらは“吽”…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (15)

↓次第に明るくなる中ながら、西方寄りの空には月が見えた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (16)

「月と反対側が東寄り…」と見当を付けて空模様を伺ったが…劇的な朝焼けとはならなかった…

↓それでも東寄りの空は、微妙な暁の色彩を帯びた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (21)
↑淡い感じでグラデーションになっているのが好かった…

↓少し驚いたのは…「朝食前??」というような時間帯でありながら、何やら連れ立って四天王寺の門を潜って境内に入って行く人達が存外に多かったことだ…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (1)

天王寺は、JR、近鉄、地下鉄、阪堺と各鉄道が集まり、バスも色々と運行されている交通結節点で商業地である他方、古くからの住宅街も多く見受けられる地区だ…そんな場所に、古くからの「聖徳太子への信仰」を担う伝統の四天王寺が在る…そしてそこが、近所の人達の「オアシス」的な様相も見せていた…なかなかに興味深い…季節や時間帯が異なる条件下で、再訪してみたいと思わせるものが在った…
posted by Charlie at 05:40| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする