2015年11月07日

阪堺の路面電車:501(2015.10.30-31)

大阪の天王寺駅近隣に、幅が広い道路が交差している十字路が在り、十字路の上で環を描くようになっている大きな歩道橋が設けられている。奈良から京都を経て大阪に入り、天王寺に至ってこの大きな歩道橋に至った時、歩道橋の下に阪堺の路面電車の停留所が在ったことを思い出した…

↓「あの方角か?」と様子を伺うと、停留所が見えた…
Tennoji, Osaka on OCT 30, 2015 (1)
↑少し年季が入った感じの車輌が停車中だ。鮮やかなオレンジ色の広告塗装が施されている…夕刻に入って、少し忙しい時間帯だ。こちらから視て、右側が下車した人達で、左側が乗車しようとしている人達であろう…

この鮮やかなオレンジ色の車輌…今般の旅で、初めて視た阪堺の電車ということになった…

翌日には、1日乗車券を求め、視掛けた阪堺の路面電車を利用して沿線を巡るというプランを温めていたのだったが、何か「年季が入った感じのデザインである車輌に鮮やかな塗装」という車輌を視掛けて、非常に心が弾んだ…

↓翌日…前日に天王寺駅前で視掛けた車輌と再び出くわした…
Tramcar around Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (2)
↑住吉大社の近くである…

日が高くなっている時間帯で、街が“アーバン・グレイ”とでも呼ぶべき色彩に見える中、路面電車のオレンジの塗装と、その塗装で際立つ独特な形状が「光って」視える…

↓「昭和の風情」という形状であるが、運転台上の行先表示は、電光掲示のモノに改装が施されている…他方で、金属板のプレートに“ワンマンカー”と書いたモノを運転台の下辺りに掲出している…
Tramcar around Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (1)
↑何か、新旧様々なモノが微妙なバランスで結び付いたような…不思議なムードの車輌だ…

これは“モ501”という型式の車輌で、1957(昭和32)年に登場している。阪堺電気軌道が現在の会社体制になる以前のことで、南海が帝國車輛工業に発注したモノだという。

“帝國車輛工業”というのは…1890年頃に堺で起こった個人の工場が母体となっていて、1941年に“帝國車輛工業”という社名にしたのだという。鉄道車輌の製造等を手掛けた会社だが、1968年に東急車輛製造と合併していて、現在は無い会社である…

“モ501”は501から505の5輌在る。1976年にワンマン化の改造が行われ、1985年から1986年にかけて冷房が施された。2013年には行先表示の方向幕がLEDランプの電光掲示に変更され、運賃箱も新しいモノに換え、ICカードの読取機器も設置したのだという。それでも“ワンマンカー”のプレートを従前と変わらずに据え付けているのが面白い…

↓その後、我孫子道停留所近くの車輌基地でも視掛けた…
Hankai Tramway Co. at Abikomichi, Osaka on OCT 31, 2015 (6)

この501は「1957年登場」というから、「もう直ぐ還暦」ということになる車輌である。ワンマン運行…車内の冷房…ICカード乗車券への対応…どれも時代が移ろう中で「当然化」して行ったもので、この車輌は必要に応じて、初登場した時には考え難かったそれらに対応しながら、時を超えて街を走り続けている…広告塗装―これも初登場した時代には考え難かったモノかもしれない…―のオレンジが凄く目立って、強い印象を受けたのだが、何かこの車輌…凄く愛しくなる雰囲気が漂っている…
posted by Charlie at 17:33| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3回目の洗濯した―児島ジーンズ KOJIMA GENES 18oz セルビッチ ヴィンテージ ストレート デニム

「正しい休日の朝」の一つ…「ポートサービスセンターへ足を運んで、コインランドリーを利用」というパターンが在るが…今日はそれを実践…

↓ジーンズを洗った…
my jeans on NOV 07, 2015 (1)

10月21日から11月1日で出掛けた際に着用していた代物で、10月25日に出先の宮崎で洗ったので、今回の洗濯で3回目ということになった…

↓モノを入れているポケット辺りの色落ちが目立つ…
my jeans on NOV 07, 2015 (2)

↓旅の際、リュックサックが触れていたようにも思えるが、真中辺りのベルトループはかなり色が落ちた…
my jeans on NOV 07, 2015 (4)

どうということもない、普段着のジーンズであるが…「○○の時に着用していた」というような“履歴”が重ねられる中で、愛着も増すというものだ…
posted by Charlie at 11:44| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都・島原(2015.10.30)

過去の国内旅行で、何度も京都には立寄っている。そうした中、2010年12月には島原地区に立寄った経過が在った。偶々読んだ『輪違屋糸里』という小説が気に入って、その舞台となった島原地区を視てみたくなったのだ…

今般…近鉄奈良駅から近鉄の急行列車に乗車し、京都駅に着いた後、西本願寺を訪ねてみようと歩き始めた。“東”は寄ってみた記憶が在ったが、“西”には寄った記憶が無いというだけの理由で、何となく向かったのだった…

その途中…“島原”という地名が登場する案内を視て、「西本願寺そのものには立寄っていないが、直ぐ傍までは来ていた…」と気付いた。京都は方々に旧跡が在るので、そういうことも在るであろう…

寄ってみた西本願寺で、掲出された案内を視て新選組を思い出した。西本願寺の敷地そのものが、新撰組の屯所として利用された経過が在ったのだが、その事実以上に「強く響いた」のは、かの土方歳三と共に箱館の戦いに参加し、戦いに敗れた後には京都に住んで、晩年は西本願寺の太鼓楼で管理人をしていたという島田魁という人物に、掲出されていた案内は言及していた…

そんなことが在って…妙に島原に寄ってみたいと思った。新選組は「壬生浪士組」と呼ばれていた草創期には、西本願寺より少し北の辺りの壬生に屯所が在って、隊士が増えて行った中で西本願寺に移転している。その京都で活動した彼らが、一貫して出入りしていた歓楽街の一つが、西本願寺の少し南辺りに在る島原だ。

気に入っている小説の『輪違屋糸里』というのは、「壬生浪士組」が登場し、新選組として武名を馳せて行くようになるような時期の島原が舞台の物語だった。主人公は、島原の遊郭である輪違屋(わちがいや)に居た女性、糸里である…

物語は糸里や他の女性達の目線も交えながら、「壬生浪士組」が「新選組」と成って行く、体裁を整えて行く時期のことが描かれている…

清河八郎の献策により、「上洛する将軍の警護」を名目に集められた浪士隊に参加した者達は、京都に着いて間もなく、清河八郎の発案で江戸に引き返してしまう…その江戸へ引き返すということになった時、「それはおかしい!!」と強く異論を唱えた者達が在って、彼らは京都に残留し、「京都守護職御預」ということで、形式として京都守護職を務めていた会津松平家の指揮下で「壬生浪士組」を立ち上げた。

この草創期の「壬生浪士組」…大別すると“水戸派”と“試衛館派”とに分かれていた。後者の“試衛館派”は、江戸の道場である試衛館の関係者で、近藤勇や土方歳三等が居た。“水戸派”は芹沢鴨を中心とする一派だ。「壬生浪士組」は芹沢鴨の矯激な振舞い、蛮行というようなことが在って、怖れられ、同時に忌み嫌われる面も在る存在になって行った。そして、それが「行き過ぎ」ということになり、やがて“試衛館派”が“水戸派”を排除するようになる…

物語の中では、“試衛館派”は「真の武士になりたい男達」として描かれ、“水戸派”、殊に芹沢鴨は「“武士になりたい男達”が踏み越える壁のように存在する武士」という具合に描かれる。糸里の他、女性達は両派の男達の間で揺れ動いている…

少し長くなったが…上述のようなことを考えながら、西本願寺辺りから、途中で<鰊そば>を頂きながら島原を目指した…

↓これが島原の入口である大門だ…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (2)
↑恐らく、新選組の面々も、肩で風を切るかのようにしてここを潜ったことであろう…またこの場所には、西郷隆盛や久坂玄瑞というような人達も足跡を残しているという…

島原は、1641年に現在位置辺りに移転した。「島原」という呼び名は、移転した時の騒動が<島原の乱>の乱れた様子に似ていたためという説や、周りが田原であったため、島に譬えて呼ばれたという説等、諸説が在るそうだ。

↓これが<輪違屋>だ…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (5)
↑辺りが一般の住宅等になっている中、現在でも芸妓を擁して営業しているという…

↓江戸時代の造りを伝える建物が好い…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (6)

↓こちらは<角屋>だ…幕末期には、大きく立派な店として御馴染だったようだ…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (10)
↑新選組が集まりに使ったことでも知られる…

↓<角屋>は、現在「島原」と呼ばれる地区が成立した頃から在ることになる…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (13)

↓島原を抜ける辺りに、島原住吉神社が在る…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (14)

この島原住吉神社を抜けた辺りに鉄道の高架が見えて、京都中央卸売市場の一隅の脇を通って、JR丹波口駅に行くことが出来る…

何か、久し振りに「あの新選組の面々が動いていたであろう地区」を歩いてみて、何か幕末関係の小説を読んでみたいような気分になった…そういうことを想いながら、丹波口駅から京都駅へ移動し、私なりの流儀での京都市内巡りを続けたのだった…
posted by Charlie at 06:13| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする