2015年11月05日

美々津(「日本海軍発祥之地」他)(2015.10.26)

↓美々津(みみつ)駅である…日豊本線の無人駅である…画の待合所が設けられ、ホームと跨線橋が在る…
Mimitsu Station on OCT 26, 2015 (2)
↑宮崎駅から北上すれば1時間弱で、延岡駅から南下すれば40分強の場所である。何となく「宮崎・延岡の中間点のような感じ」と思えた…

↓九州各地で活躍する、正面の黒いカラーリングが渋い817系電車で到着してみれば、行き違いの787系電車による特急列車が駅で待機していた。特急列車の方は、817系電車が走行していた“単線”の箇所が空いたことを受けて直ぐに発車した…
Mimitsu Station on OCT 26, 2015 (1)

今般、最終的には“帰国”のフライトに搭乗するために関西方面に戻らなければならなかったのだが、その前に九州北部への移動を企図した。宮崎から、日豊本線を北上すると<旅名人の九州満喫きっぷ>で乗車可能な普通列車だけで、夜遅くに小倉にまで至ることが出来る…延岡から北側、県境を越えて大分県の佐伯に至る区間が、極端に普通列車が少ない“ボトルネック”になっているのだが、その区間を行く夕方の列車に間に合うように、宮崎県内での道草ということにした…

美々津…“津”という文字が示すように、古い港である…室町時代には明国とを往来する船が寄港していたそうだ…戦国期には大友家と島津家の日向国を巡る争い―大友軍が島津軍に敗れた「耳川の戦い」の耳川も近いようだ…―に巻き込まれた場所で、江戸期に入れば高鍋秋月家が物資輸送拠点として利用していた。明治期にも西南戦争時の戦闘が近くで行われたらしい。現在では宮崎県日向市の一部である訳だが、港としての独自な歴史を伝える古い町並みが知られる。

古い町並みが知られる美々津だが…更に言えば、ここは神武天皇が東征に出発した場所であるとも伝えられているのだ…

↓美々津駅の案内掲示を参考に、宮崎県の海岸線を貫いて大分県側と結ばれているように見受けられる国道に出て、20分程も歩いたであろうか…こんな看板が見えた…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (1)

↓看板に導かれて歩を進めると、両側が木立に覆われた細い路の向こうに、「映画撮影のセット?」を想起するような、如何にも「古い町並み」という雰囲気の家並が覗いた…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (2)

「月曜日の午前中」という時間帯であった…美々津は静かだった…本当に「映画撮影のセット?」というような感じもしたが、実際に「暮らし」が営まれていることが判るモノも色々と見受けられる。御近所の方が動き回っているような様子も散見した…

↓かなり古そうな建物も、寧ろ新しいように見える建物も混在していたように思ったが、一様に「古くからの様式」を綺麗に踏襲した建築で、「古い町並み」の趣が確りと護られているような感だった…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (11)

↓海が見える辺りに、不思議な記念碑が在った。旭日の軍艦旗が翻っている…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (4)
↑これが「日本海軍発祥之地」の記念碑だ…

「日本海軍発祥之地」の碑は、1940(昭和15)年に神武天皇の東征の故事を記念し、出航の地と伝わる美々津から大阪まで航海し、「即位の地」と言われる場所に在る橿原神宮に“神楯”を奉献したということが在ったという。それを受けて1942(昭和17)年にこの記念碑が建立されたそうだ。「神武天皇が率いる船団」となれば…或いは「最初の日本海軍」ということなのであろう。“日本海軍発祥之地”という文字は、首相を務めた経過も在る、海軍大将の米内光政が揮毫しているそうだ…

↓神武天皇の船団に加わっていたと推察されるような古代の船が記念碑に付いている…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (7)
↑宮崎神宮で展示されているのを観た<おきよ丸>の型の船だ…

↓軍艦の錨も、記念碑の横にモニュメントとして据えられている…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (6)

美々津は、神武天皇の神話と結び付いている…それだけでも「相当に古い歴史を有する港」ということを想起させて余り在る…

↓家並が途切れる辺りで、海がよく見える場所が在った。
Sea at Mimitsu on OCT 26, 2015 (1)
↑少し大きくうねる浪の向こうに、少し大きな岩が在って、灯台が佇んでいた…

この美々津については、「遍歴の句人」とでも呼ぶべき、かの種田山頭火が1930(昭和5)年に立寄っている経過が在るのだそうだ。

「墓がならんで そこまで 波がおしよせて」
↑山頭火が美々津で詠んだと伝えられる句である…

山頭火が美々津に立寄った当時、家並が途切れて海がよく見える辺りに墓地が在ったとのことで、墓地の間近に大きな波が寄せている様を詠んだらしい…

こういう事がさりげなく紹介されていたりしたが…私が思い出したのは…「どうしようもない 私が 歩いている」という山頭火の句だった…

↓国道側から家並に至った直ぐの辺りに、名前は知らないが、花が咲いていた…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (13)

美々津というのは、何か「神話の時代」から「昭和」に至るまでの時間が、ひっそりと古い町並みの中に留まっているような、何処と無く不思議な場所であったように思った…そして「どうしようもない 私が 歩いている」等と思いながら、美々津へ至るまで歩いていた国道を駅の側へ引揚げ、延岡へ向かう列車を待った…

↓10月26日撮影の画を集めたアルバムは下記…
>>Photomatrix - OCT 26, 2015
posted by Charlie at 18:49| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宮崎神宮(古代船<おきよ丸>他)(2015.10.25)

地元に帰着してみれば「終始肌寒い」状況下に在ることから、出先の「温かかった」感じが殊更に懐かしいような気がする。そうした意味で、「シーズン最初の雪」というニュースが在ったその日に「Tシャツ姿で戸外に…」という状況だった宮崎のことを何となく思い出す…

宮崎に関しては…鹿児島からバスで夜に着き、その晩と翌晩に連泊で滞在するということにした。好天にも恵まれたことから、10月25日の日曜日に、宮崎を起点に何処かを往復するようなことを考えないでもなかったが、結局「近隣でゆっくり…」ということにした。“緩急”の“急”というような雰囲気が続いたので、“緩”という時間が在っても悪くないと思った訳だ。

宮崎駅前から延びる高千穂通が橘通と交差する辺り、滞在した宿―他所の大きなビルの陰で見付け悪かったのだが、なかなかに居心地も好く、朝食バイキングで出ていた「鮎の炊き込み御飯」というのが妙に懐かしくなる…館内のコインランドリーも利用した…―の近隣から、ゆったりと橘通を進んで宮崎神宮に至った…

↓社殿等が在る辺りへ通じる道…街の真中のような場所から然程遠くもないが、何か「鎮守の森」という雰囲気が漂う木立が心地好い…
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (5)
↑温暖な気候の故なのか、宮崎では「立派に育った木々」を視て感心する場面が多かった…

↓社殿が近付くと、何やら池が在った…
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (1)

↓池に木々や隙間の空が映り込むのだが、何か「水の底にまで鎮守の森が拡がっている」ような、少し神秘的な感じがした。
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (2)

↓少し不思議な船が飾られていた…
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (6)
↑これが名付けて<おきよ丸>…古墳から出土した船型の埴輪等を参考にして想像復元した「古代船」である…

<おきよ丸>は全長12m、全幅2.2mの船で、これは「神武天皇の東征」という神話に因むモノである。日向を治めていたイハレヒコ(後の神武天皇)は、船団を仕立てて美々津から東征に船出をしたと伝えられる。出航の日、夜明け前に「起きよ!」と近隣に触れ回って、東征に参加する人々を集めて回ったということも伝わっていて、それに因んで船を<おきよ丸>としたそうだ。

神武天皇の神話に纏わるモノが飾られている宮崎神宮は、神武天皇を祀っている神社である。古くから「神武天皇宮」、「神武天皇御廟」と称されていたものが、1873(明治6)年から「宮崎神社」を名乗るようになり、1913(大正2)年からは「宮崎神宮」となって今日に至っているのだという。

↓天皇関連の神社に見受けられる御紋が門扉に飾られている…
Miyazaki Jingu Shrine on OCT 25, 2015 (2)

↓好天の休日で、七五三や結婚式という地元の皆さんが多く見受けられる感じだった…
Miyazaki Jingu Shrine on OCT 25, 2015 (1)

↓結婚式が何組か行われている関係か、拝殿に巫女さんが居た…
Miyazaki Jingu Shrine on OCT 25, 2015 (4)

宮崎神宮は地元では「神武さま」として親しまれているのだそうだ。日向国から日本の天皇になった「神武さま」…色々と御利益が在るのか?そんなことも思ったのだが、そういうこと以上に、遥かな昔からの「国を興した英雄」への人々の想いやエネルギーが渦巻いているような「場の雰囲気」に強い印象を得た。更に…近くの広場で青少年の剣道大会が賑々しく催されていて、元気な声が反響していた中、宮崎県立総合博物館に向かったのだった。

↓10月25日撮影の画を集めたアルバムは下記…
>>Photomatrix - OCT 25, 2015
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旧堺燈台(2015.10.31)

他地域へ出掛けてみる場合…全く未踏の場所を訪ねてみることも善いのだが…「あそこ…何か好かったよなぁ…」と記憶に残る場所を再訪、再々訪してみることも悪くはない。寧ろ、そういう再訪、再々訪は好きだ。

↓2010年12月22日に撮影していた写真である…
Sakai-HDR on DEC 22, 2010
↑南海の堺駅から10分少々歩いた場所だった…

今般、“帰国”のフライトに登場する前日は大阪の天王寺に泊り、阪堺の1日乗車券を駆使して沿線を巡って楽しみ、堺から列車で関西空港に向かうことを思い描き、実際にそのようにした。

なかなかの好天に恵まれ、阪堺の1日乗車券を駆使しての沿線巡りも愉しいものだったが、「そろそろ空港へ向かう列車を…」と思いながら、大小路停留所から堺駅へ向かう道すがら、「2010年に堺に立寄っていて…その時に視ている…」と幾つかの記憶に残るモノに気付いた時に思い出した。「駅からそう遠くない場所に、古い灯台がモニュメントになっている場所が!」とである。頭の中を巡っていたのは、上記の2010年撮影の画だ…

堺は“政令指定都市”ということで大きな人口を擁しており、大阪から堺を経て関西空港までは列車運行本数も十分で、「フライトに間に合わない!?」ということも無いと思ったが、一応「遅れないためには、この列車に乗れば…」を駅で確認した後、記憶を辿って灯台を目指した。

何時の間にか、前回訪問は「5年近くも以前」となっていたので、どういう経路を辿って灯台に至ったのかが、頭の中で曖昧模糊としていた…概ね一日を通じて蒼天に輝いていた太陽は、西寄りの空に大きく傾き始め、空の色はグラデーションを帯び始めている…高速道路へ通じる経路になっているような、妙に交通量が多い箇所も在って、何やら行ったり戻ったりを繰り返すような始末で、少々苦戦してしまった…

「ここまで至って…無念の撤退で駅で列車に乗るか?」と思い始めた時…

↓「在ったぁ!」と内心で快哉を叫んだ…
Memorial Former Lighthouse at Sakai on OCT 31, 2015 (2)
↑これが<旧堺燈台>である…

この灯台の位置は“旧港”の端に相当するという。1877(明治10)年―西南戦争の在った年…―に、堺市民の寄付や、当時の堺県からの補助で建てられたものであるという。以降、この場所で1968(昭和43)年―札幌医科大学で日本初(世界30例目)の心臓移植が行われたり、<プラハの春>に関連する「チェコ事件」等、多くの出来事が在った年…―まで稼働―91年間に及ぶ…―し続け、周辺の埋め立て等で灯台としての機能が損なわれてしまったことから、港の歴史を伝える記念碑のようになって現在に至っている。2000年代の初めに、老朽化が著しかったことから修理を施しているという。「現地に現存する木造洋式燈台」としては、国内最古のモノの一つで、1972(昭和47)年に国指定史跡に指定されたのだそうだ。灯台の高さは12mとのことである…

“旧港”の端に相当というが、灯台を視て左側に高速道路の高架の一部が見えて、遥か彼方に港湾施設が拡がっているように見える…随分と積極的に港を拡大して行ったという歴史に気付き、少し驚く…

↓昔は「“灯台”というのは、こういう感じ」というデザインであったのだろうが、現在眼にするモノとは少し違い、何か非常に個性的で美しく見える…
Memorial Former Lighthouse at Sakai on OCT 31, 2015 (5)

↓次第に西の空が染まって来る中、独特な形状が浮かび上がる…
Memorial Former Lighthouse at Sakai on OCT 31, 2015 (14)

この日、辺りにはカメラを手にした写真好きな人達の姿が見受けられた。私自身、この場所を訪ね易い場所にでも住んでいれば、相当な頻度で立寄って写真を撮るであろうと思う…日が相当に傾き、沈んでしまった後辺りには空の色が劇的に視える…そんな状況を眺めてみたいとも思いながら、「そろそろ駅へ行くべきか…」と思える時間帯に差し掛かり、「後ろ髪引かれる」という思いで、ここから辞去したのだった…

↓旧堺燈台の様子を含む、10月31日撮影の画を集めたアルバムは下記をクリック…
>>Photomatrix - OCT 31, 2015
posted by Charlie at 05:05| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする