大手航空会社の航空券をウェブサイトで手配するような場合、行先空港で「大阪(すべて)」という選択をすると、伊丹の大阪空港、関西国際空港、神戸空港を発着する各便が画面に出て来て、それらの中から希望の便を選んで予約することとなる。今般、何となく往路は神戸空港、復路は関西空港として、新千歳空港との間を往復することとした…
神戸空港を利用することとなった時…何となく姫路城を思い浮かべた…
確かあれば2009年だった…<青春18きっぷ>を手に、早朝の横浜駅を発って東海道を西へ進んで、更に山陽道に入った…最終的に、かなり遅めな時間帯に広島に至ったのだったが、陽が傾きかけたような時間帯に辿り着いた、途中の姫路駅で一息入れることにし、駅周辺で食事を摂った…その時、駅前に立つと姫路城天守閣の姿が遠くに見えた…ゆっくりと訪ねてみるには、やや遅い感じがする時間帯でもあったので、「また機会を設ければ善いだろう」と考えた…その少し後からである。<平成の大修理>という展開になった…
<平成の大修理>の最中、「滅多に視られない角度や高さから、修理中の建物が観られる」というのも話題になっていたのだったが、結局のところ姫路城を訪ねるという機会は設け損なったままとなっていた…そして今年に至り、「修理完成!」という話しが伝わった…そして「完成したのであれば、是非とも機会を設けて、姫路城を観たい」と思うようになっていた…
姫路城というのもは、漠然と「日本の城」とでも言ったような場合に、あの白い壁の大きな天守閣を多くの人が思い浮かべるような存在感を持っているように思う。そして、江戸時代辺りまでの建物が良好な型で残る、数が限られている城の中、姫路城は「規模が大きな建物」が残っている場所でもある。かなり興味が湧く代物である…
神戸空港に降り立ち、とりあえずポートライナーで、神戸都心部の交通結節点である三宮に出た後、「利用した経験の無い交通手段で動くのが、多分面白いであろう…」と思い、地下鉄と山陽電車を乗り継いで姫路へと直ぐに移動してみた…
新幹線も発着するJR姫路駅からでも、山陽姫路駅からでも、姫路城までの距離は大きく変わらない。姫路城の大手門から城下町に延びていた道が、その基礎となっているらしい大きな通をゆっくりと進み、姫路城を目指した。
↓門が在る手前…城の中に入り込む辺りで、とりあえず遠くに見える天守閣をハッキリと視た…

↑白の石垣の周辺は、車が多く行き交う道路になっているが、広い歩道も設けられている。門に近い、藩政時代には重臣が屋敷を構えていたのであろうというような辺りは、広場、または小さな都市公園という設えになっていた。辺りは、平日の昼間でありながらも、なかなかの人出であった…
↓とりあえず門を潜り、今日“史跡”、“文化財”として保存が図られているという意味での敷地に入り込み、辺りをぐるぐると巡ってみた…

↓所謂「近世城郭」の“代表選手”のような、現在の姿になるかなり以前から、姫路城は色々な勢力が分立していたこの辺りの地域での軍事拠点だった経過が在る訳だ…複雑に積み上げられた石垣を視て「激しい争いの時代を潜り抜けた」という史実に想いを巡らせていた…

↑更に、石垣の隙間に植物が繁っている様を視て、永い年月を超えて今日に至っている構築物であるということを実感してしまった…
↓見学者入口が在る場所を見付け、入場券を求めて中に入ってみた…

↑この日は好天だったので善かったが…中に入ると存外に歩く…
↓塀や石垣が複雑に組み合わされていて、大雑把に大きな螺旋形を描くように、天守閣へ向けた通路が設けられている。

↑逆に言えば、侵入した敵勢の動きについて、螺旋形を描くように進むことしか出来ないように仕向けて、そうやって螺旋形に進んで来る敵を様々に迎え撃つ仕組みを造っている訳である…
↓ぐるぐると廻りながら天守閣に上った…

↑上層まで上る以前の段階で、外が見えると面白い…屋根や、植えられている木が美しい…どうしたものか「桜??」という花が咲いている木が在った…
↓上層の方へ向かうと、「嘗ての城下町」ということになるであろう、街並みも見えるようになる…

↓天守閣の屋根には、鯱も在る…

凄い人出で、天守閣に居た間に「一時的に入場制限」で入る人数を調整しているらしい場面も在った様子だった…
↓瓦には、城が現在の姿に整備されたような時期の城主だった池田家の家紋と見受けられるものが在る…

何か、城主の権威を示すような、華麗な建物が石垣の上に聳え立っている姫路城だが…未だ「戦国の余燼」というようなものも感じられるような、江戸時代初期に整備されたことから、「入り込んだ敵に、とことん抵抗する」ことを念頭に、随分と工夫されていることが伺えた…
↓天守閣内の見学は、原則的に一方通行で、見学を終えると出入口に通じる道へ向かう。途中に少し広い場所が在り、天守閣を見上げることが出来た…

↓こうした「櫓状の構造物が重なるように見える様」というのが、意外に好きだ…

↓然程、注目されていたのでもないが…「柑橘類の木」というのは「北国の人間の目線」では「おぉ!」と注目してしまう…

結果的に…姫路城に関しては2時間程度歩き回ったことになるであろうか…関西入りした直後から、いきなりエネルギーを随分使った感であったが、それでも「念願叶った」という満足感、「大修理完成の年に視られた」という「幸運だった!」という感じ…忘れ難いものである…
↓こういう角度が、何となく「御馴染な画」かもしれないが、姫路城は視る角度が変わると、表情が異なる…

↑恐らく、違う時間帯に視ると、様子も大きく異なることであろう…
また今般は「修理完成直後」なので、手が入った場所はピカピカで、何か「新造の城の出来栄えを満足げに検分する城主…」というような気分にさえなった…そういう、少し不思議な気分も味わいながら考えたのだが…また居合わせた“ガイドツアー”的なグループの皆さんの中で話題になっていたのが聞こえたことでもあるが…藩政時代には、現在は大きな広場になっているような辺りに“御殿”と呼ばれた、城主の公邸であって政庁というような建物が在り、藩政に携わる人達や、日常の細々した仕事をするような人達は、その御殿に居た筈で、天守閣は「城の防衛戦が発生した場合に将士が立て籠もる」場所と位置付けられ、建物の管理をする役目とされた少数の人達が出入りするに留まっていた筈だ…そういう場所に、「入場者数の調整」という場面も発生する程度の、大勢の見学者が訪れている…建設に携わった人達も、ここの管理に携わったであろう藩政時代の関係者も、こういう事態は想定していなかったことであろう…
姫路城は、訪ねてみて「なかなかに満足度が高い」場所である。そして、存外―訪ねてみるまで、もっと小さな場所が現在の城のエリアになるのだと勝手に思っていた…―に広い場所で、入場券を求めて入るエリアは上り下りの多い複雑な経路が組まれていることで、見学には存外に時間を要する…或る意味では、より広い場所である筈の大坂城や名古屋城よりも見学時間は多めに必要な感さえする…
今般は、「とにかく一度視たい!!」ということで姫路城に足を運んでみたが…また、機会を設けることが叶うのであれば、是非とも立寄ってみたい感である…
↓多数の姫路城の画を含む、10月22日撮影の画を集めたアルバムは下記をクリック…
>>Photomatrix - OCT 22, 2015