2015年11月13日

神戸・長田:<鉄人28号>のモニュメント(2015.10.29)

詳細な予定を立てるでもなく動き回る中、偶々見掛けた案内を通じて「そう言えば、そういうモノも在った…」と思い出してみたり、「どういうモノだ?一寸視たい…」と考え、正しく「ふらり…」と寄道をするということが在る…

↓神戸の地下鉄の新長田駅である…
Shin-Nagata Station or 'In front of TETSUJIN' on OCT 29, 2015
↑電車が入る箇所の壁面に「新長田」と、地下鉄の駅では何処ででも見掛ける駅名表示が為されているのだが…「鉄人28号前」が気に掛かった…

今般、神戸空港に到着した後、ポートライナー、地下鉄、山陽電車を乗り継いで姫路に出たのだったが…その際に既にこの「鉄人28号前」が気に掛かっていた…姫路の後に九州へ向かい、広島を経て関西に戻った訳だが、この気になっていた「鉄人28号前」で下車してみようと思っていた。

神戸の地下鉄では、この「鉄人28号前」のように、駅近隣の学校の名前を記す等して「○○前」と、「○○が在る○○駅」という具合の表示をしている例を幾つか見掛けた。或いは、こういうのは「当駅下車 ○○」と“広告”として掲出されている事例も多いような気がするのだが、この「鉄人28号前」のような表示も、一寸面白いと思った…

恐らく、<鉄人28号>を視るために新長田駅で下車する人も多いのであろう。<鉄人28号>の場所を示す案内は多々在って、全く初めてでも難なく<鉄人28号>と対面することが出来た…

↓こんな具合に、広場に佇んでいる…
'TETSUJIN' at Nagata, Kobe on OCT 29, 2015 (8)

↓青空に映える勇姿だ…
'TETSUJIN' at Nagata, Kobe on OCT 29, 2015 (7)
↑概ね、漫画の設定に準じた大きさなのだろうか?大きい!!

神戸は、阪神大震災を経験し、そこからの復興を目指して“まちづくり”に邁進した経過を有している街だが、「力強い復興」をシンボライズするような意味も込め、神戸出身でもある漫画家の横山光輝の代表的作品の一つに登場する<鉄人28号>のモニュメントが登場したそうだ。完成したのは2009年だという。

個人的には、<鉄人28号>は自身で親しんだヒーロー達の「少し前」のモノになるようにも思うのだが…それでも漫画の設定そのものの大きな<鉄人28号>が街に佇む姿との対面は嬉しかった。後で知ったことだが…近所で色々と関連グッズが売られていたらしい…それらは、何時か神戸を再訪した際にでも…
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2015年11月12日

姫路城(2015.10.22)

大手航空会社の航空券をウェブサイトで手配するような場合、行先空港で「大阪(すべて)」という選択をすると、伊丹の大阪空港、関西国際空港、神戸空港を発着する各便が画面に出て来て、それらの中から希望の便を選んで予約することとなる。今般、何となく往路は神戸空港、復路は関西空港として、新千歳空港との間を往復することとした…

神戸空港を利用することとなった時…何となく姫路城を思い浮かべた…

確かあれば2009年だった…<青春18きっぷ>を手に、早朝の横浜駅を発って東海道を西へ進んで、更に山陽道に入った…最終的に、かなり遅めな時間帯に広島に至ったのだったが、陽が傾きかけたような時間帯に辿り着いた、途中の姫路駅で一息入れることにし、駅周辺で食事を摂った…その時、駅前に立つと姫路城天守閣の姿が遠くに見えた…ゆっくりと訪ねてみるには、やや遅い感じがする時間帯でもあったので、「また機会を設ければ善いだろう」と考えた…その少し後からである。<平成の大修理>という展開になった…

<平成の大修理>の最中、「滅多に視られない角度や高さから、修理中の建物が観られる」というのも話題になっていたのだったが、結局のところ姫路城を訪ねるという機会は設け損なったままとなっていた…そして今年に至り、「修理完成!」という話しが伝わった…そして「完成したのであれば、是非とも機会を設けて、姫路城を観たい」と思うようになっていた…

姫路城というのもは、漠然と「日本の城」とでも言ったような場合に、あの白い壁の大きな天守閣を多くの人が思い浮かべるような存在感を持っているように思う。そして、江戸時代辺りまでの建物が良好な型で残る、数が限られている城の中、姫路城は「規模が大きな建物」が残っている場所でもある。かなり興味が湧く代物である…

神戸空港に降り立ち、とりあえずポートライナーで、神戸都心部の交通結節点である三宮に出た後、「利用した経験の無い交通手段で動くのが、多分面白いであろう…」と思い、地下鉄と山陽電車を乗り継いで姫路へと直ぐに移動してみた…

新幹線も発着するJR姫路駅からでも、山陽姫路駅からでも、姫路城までの距離は大きく変わらない。姫路城の大手門から城下町に延びていた道が、その基礎となっているらしい大きな通をゆっくりと進み、姫路城を目指した。

↓門が在る手前…城の中に入り込む辺りで、とりあえず遠くに見える天守閣をハッキリと視た…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (1)
↑白の石垣の周辺は、車が多く行き交う道路になっているが、広い歩道も設けられている。門に近い、藩政時代には重臣が屋敷を構えていたのであろうというような辺りは、広場、または小さな都市公園という設えになっていた。辺りは、平日の昼間でありながらも、なかなかの人出であった…

↓とりあえず門を潜り、今日“史跡”、“文化財”として保存が図られているという意味での敷地に入り込み、辺りをぐるぐると巡ってみた…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (7)

↓所謂「近世城郭」の“代表選手”のような、現在の姿になるかなり以前から、姫路城は色々な勢力が分立していたこの辺りの地域での軍事拠点だった経過が在る訳だ…複雑に積み上げられた石垣を視て「激しい争いの時代を潜り抜けた」という史実に想いを巡らせていた…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (4)
↑更に、石垣の隙間に植物が繁っている様を視て、永い年月を超えて今日に至っている構築物であるということを実感してしまった…

↓見学者入口が在る場所を見付け、入場券を求めて中に入ってみた…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (11)
↑この日は好天だったので善かったが…中に入ると存外に歩く…

↓塀や石垣が複雑に組み合わされていて、大雑把に大きな螺旋形を描くように、天守閣へ向けた通路が設けられている。
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (13)
↑逆に言えば、侵入した敵勢の動きについて、螺旋形を描くように進むことしか出来ないように仕向けて、そうやって螺旋形に進んで来る敵を様々に迎え撃つ仕組みを造っている訳である…

↓ぐるぐると廻りながら天守閣に上った…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (2)
↑上層まで上る以前の段階で、外が見えると面白い…屋根や、植えられている木が美しい…どうしたものか「桜??」という花が咲いている木が在った…

↓上層の方へ向かうと、「嘗ての城下町」ということになるであろう、街並みも見えるようになる…
Himeji Castle-vol. 2 on OCT 22, 2015 (22)

↓天守閣の屋根には、鯱も在る…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (4)

凄い人出で、天守閣に居た間に「一時的に入場制限」で入る人数を調整しているらしい場面も在った様子だった…

↓瓦には、城が現在の姿に整備されたような時期の城主だった池田家の家紋と見受けられるものが在る…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (6)

何か、城主の権威を示すような、華麗な建物が石垣の上に聳え立っている姫路城だが…未だ「戦国の余燼」というようなものも感じられるような、江戸時代初期に整備されたことから、「入り込んだ敵に、とことん抵抗する」ことを念頭に、随分と工夫されていることが伺えた…

↓天守閣内の見学は、原則的に一方通行で、見学を終えると出入口に通じる道へ向かう。途中に少し広い場所が在り、天守閣を見上げることが出来た…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (10)

↓こうした「櫓状の構造物が重なるように見える様」というのが、意外に好きだ…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (8)

↓然程、注目されていたのでもないが…「柑橘類の木」というのは「北国の人間の目線」では「おぉ!」と注目してしまう…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (13)

結果的に…姫路城に関しては2時間程度歩き回ったことになるであろうか…関西入りした直後から、いきなりエネルギーを随分使った感であったが、それでも「念願叶った」という満足感、「大修理完成の年に視られた」という「幸運だった!」という感じ…忘れ難いものである…

↓こういう角度が、何となく「御馴染な画」かもしれないが、姫路城は視る角度が変わると、表情が異なる…
Himeji Castle-vol.1 on OCT 22, 2015 (21)
↑恐らく、違う時間帯に視ると、様子も大きく異なることであろう…

また今般は「修理完成直後」なので、手が入った場所はピカピカで、何か「新造の城の出来栄えを満足げに検分する城主…」というような気分にさえなった…そういう、少し不思議な気分も味わいながら考えたのだが…また居合わせた“ガイドツアー”的なグループの皆さんの中で話題になっていたのが聞こえたことでもあるが…藩政時代には、現在は大きな広場になっているような辺りに“御殿”と呼ばれた、城主の公邸であって政庁というような建物が在り、藩政に携わる人達や、日常の細々した仕事をするような人達は、その御殿に居た筈で、天守閣は「城の防衛戦が発生した場合に将士が立て籠もる」場所と位置付けられ、建物の管理をする役目とされた少数の人達が出入りするに留まっていた筈だ…そういう場所に、「入場者数の調整」という場面も発生する程度の、大勢の見学者が訪れている…建設に携わった人達も、ここの管理に携わったであろう藩政時代の関係者も、こういう事態は想定していなかったことであろう…

姫路城は、訪ねてみて「なかなかに満足度が高い」場所である。そして、存外―訪ねてみるまで、もっと小さな場所が現在の城のエリアになるのだと勝手に思っていた…―に広い場所で、入場券を求めて入るエリアは上り下りの多い複雑な経路が組まれていることで、見学には存外に時間を要する…或る意味では、より広い場所である筈の大坂城や名古屋城よりも見学時間は多めに必要な感さえする…

今般は、「とにかく一度視たい!!」ということで姫路城に足を運んでみたが…また、機会を設けることが叶うのであれば、是非とも立寄ってみたい感である…

↓多数の姫路城の画を含む、10月22日撮影の画を集めたアルバムは下記をクリック…
>>Photomatrix - OCT 22, 2015
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暁の稚内港―中央埠頭から北防波堤ドーム(2015.11.12)

暖房を使用する時間が多少長くなると、室内が少々暑い感じになることから…夜間に敢えて暖房を使用せず、毛布や布団を確り被って身体を冷やさないようにする程度が心地好いかもしれないと考えて実践したところ…心地好く、深く眠ることが出来た感である…他方、早朝の室内が寒々しく、暖房を直ぐに点けた…

その早朝からの暖房がよく効いてきた室内に<キリマンジャロ>の芳香が立ち込める…心地好い一時である…

昨日の日中…天候が好転した。空に“蒼”が拡がった…そうした傾向は、今朝に至っても続いている様子で、少しだけ戸外に出て様子を伺った…

↓微風に揺れるような海面が、「朝の紫」というような空の色を反映している…東色の空は暁のグラデーションである…
NOV 12, 2015 (7)
↑待機中のフェリーも、何やら出航の支度を始めたような気配だった…

↓北埠頭側に巡視船が見えない…2隻が各々に出ているのであろう…
NOV 12, 2015 (8)

↓枯れた芝生の地面が光を受け始めた感じになっている…
NOV 12, 2015 (10)

↓この位の明るさが午前6時頃…身体を動かすことを日課にしているように見受けられる人達や、近所の宿泊施設に滞在している風なグループ等、歩き回る人も散見した…
NOV 12, 2015 (11)

気温は、多分「一桁の前半」だと思う。が、風が微弱なので、然程キツい感じでもない…

↓水溜りがしつこく残る、稚内港北防波堤ドーム近隣の駐車場…水に空が映り込んでいる…
NOV 12, 2015 (14)

やがて…水溜りに氷が張ったり、シャーベット状の雪が混入する…ということが珍しくなくなって行くのであろう…最近は、段差が大きな階段を、跳ねる様な勢いで駆け下りるかのように、真っ直ぐ“真冬”に向かって行っているような気がする…
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2015年11月11日

広島の路面電車:北九州からやって来た602(2015.10.28)

路面電車が愉しいと思うのは…様々な時代に製造された、新旧の車輛が各々に元気に軌道上を往来している様子が視られるからなのだが…広島は殊更に多様な車種が見受けられる…

↓こんな様子!「美しい!!」と思った…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (1)
↑“アーバン・グレイ”とでも言うような色合いの街並みに、赤とクリーム色のやや年季が入った路面電車が映える…やや細身のシルエットが美しい!!

この602という車輛…3輛在った600型の中、唯一残っている車輛だという。1輛は事故関係で損なわれ、もう1輛は老朽化で不具合が目立つようになったことから廃車になったそうだ…

この602は、1975年に西鉄が北九州市内の路面電車を廃止した関係で余剰となった車輛を、車庫火災で車輛が不足していた広島電鉄が引き取り、1976年に広島へやって来て活躍するようになったのだという。北九州時代は500型と呼ばれていたもので、初登場は1948年である。既に67年経つ!!

1970年代辺りには、各地で路面電車の縮小や廃止が相次いでいたが、そういう時期を中心に路面電車がマダマダ活躍中の広島へ各地からやって来たという車輛が多く存在する。それらの中には現在も運航中である車輛が多く含まれており、広島の軌道は「動く博物館」の様相を呈しているかもしれない…

それにしても…たった1輛だけ残った602…主に、運行密度が濃い朝のラッシュ時を挟む時間帯で動いているようだが…永く活躍し続けて欲しいものだ…
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改装された日田駅の駅舎(2015.10.27)

以前から、何となく日田に興味が在り、今般は小倉から福岡を目指す際に、彦山線の小倉・日田間の列車に乗車し、日田から久留米に出て、そこから博多駅を目指す経路を辿ることを思い付いた…

↓これが日田駅の駅舎である…
Hita Station's building on OCT 27, 2015 (1)
↑建物そのものは、決して新しい感じでもないが…「手が入った」と思わせる雰囲気であった…

日田駅は久大本線の駅であり、彦山線の列車も乗入れている駅だ。現在の駅舎は1972(昭和47)年に完成したものであるという。そのように言われてみると、なるほど「昭和40年代から昭和50年代位の建物」という雰囲気が在るように見える…

↓到着した列車から降りてみる…
Trains at Hita Station on OCT 27, 2015 (1)
↑小倉からの列車が着いたのは、駅舎に接しているでもないホームである…

このホームから、跨線橋ではなくホーム端の階段を下り、地下方式の通路を経て改札を通って駅舎に出ると…新しい木造建築に入り込んだ際の、「新しい木材の芳香」のようなものが感じられた…

一寸調べてみると…2015年7月から「おんせん県おおいた」という“ディスティネーションキャンペーン”を催すことになって、それに合わせて改装を行ったとのことである。2014年から工事を行い、2015年3月に竣工してオープンしたようだ…

↓日田駅の改装竣工を伝える報道…
>>JR日田駅:木の香り漂う駅舎 42年ぶりリニューアル /大分 毎日新聞 2015年03月29日 地方版

日田の辺りは、古くから林業が盛んな地域であった経過も在り、<日田杉>という木材が知られるらしいが、改装に際してはそうした木材を積極的に取り入れたようだ…

↓驚いたのはこれである…
Hita Station's building on OCT 27, 2015 (3)
↑インテリア会社のショールームではない…日田駅の待合室の一部である…

多少驚きながらも、インテリアの感じを視て「所謂“水戸岡デザイン”であろう…」―博多で展覧会を催していたことが在って、折良く博多に居合わせたのでゆっくりと見学したことが在り、巧く言葉にし難いものの、何となく水戸岡氏の“特徴”というようなものが頭の中に在る…―と思っていたが、そのとおりだった。JR九州関係で「弁当の包み紙から新幹線車輛まで」と大活躍の水戸岡氏がデザイン監修で、この日田駅の改装は進められたようだ。

「昭和40年代から昭和50年代位の建物」という雰囲気が在るように見える形状―各地の「○○地域の中心的な都市」という雰囲気の一寸した規模の街で、見掛けるような感じの建物だと直ぐに思った…―だが、少し思い切ってダークグレーの塗装としてみると…何か「新しいデザイン」ということで雰囲気が随分と変わるように思う。そして地元の地名を冠した<日田杉>という木材さえ在るということで、大胆に木造、または木造風な設えを、辺りに木材の芳香が漂う程度に豊富に採り入れている…気になるお値段だが…上記に引いたリンクの報道によれば「1億円」だそうだ…建物を新たに建てるのであれば、その5倍も10倍も必要であろう…

「昭和40年代から昭和50年代位の建物」と言えば…概ね40年ということになり、場合によっては少々の傷みや、「旧い…よな…」という雰囲気も漂うのであろうが…この日田駅の駅舎は、そういう感じ方とは無縁であった。私は建物の型等から「改装」と直ぐに思ったが、例えば関係者等に「新築です!!」とでも言われたら、多分それを信じると思う…

強く感じたのは、この日田駅の駅舎改装のように、多少古くなって、場合によって草臥れた感じであろうと、熱意在るデザイナーを迎えて工夫するようなことをすれば、最低限の改装工事費で「好い雰囲気だ…」と思えるようなモノを造ることが叶いそうだということである…

日田に立寄った際には、この日田駅の駅舎のように「こういうの…好いなぁ…」と思ったことも、「もう少し何とかならないのか?」と思ったことも在った。何れにしても、古くは鉱山関係の輸送手段であったという彦山線を経て辿り着いた日田の訪問は、然程長くはなかった滞在ではあるが、大いに記憶に残るものとなった。
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2015年11月10日

鹿児島の路面電車:<かごでん>=101(2015.10.24)

鹿児島の路面電車は、1912年12月1日から運行を始めたとのことである…

この運行開始から100年という2012年12月1日、「101」の車番を与えられた車輛が新たに運行を開始している。

↓今般、その「101」に乗車する機会を設けることが出来た。
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (16)
↑鹿児島中央駅前に登場した様子である・・・

「101」は、詳しく言えば「百之壱」である。これには「100年目の記念に1輛造られた特別車」という含意が在るらしい。「鹿児島の電車」という程の意味も込められているのであろうが、<かごでん>という愛称も与えられている…

鹿児島で路面電車を運行している鹿児島市交通局では“観光電車”というものを運行している。休日等に運行するもので、鹿児島中央駅前から鹿児島駅前に至った後、高見馬場から郡元へ向かい、郡元から鹿児島中央駅前に向かうという具合で、鹿児島駅前での10分間程度の停車を挟んで約70分間で市内の路面に敷設されている軌道を、概ね一周するものだ。料金は、鹿児島駅前を挟んで「2回乗車した」という扱いになり、2回分の運賃で乗車可能だ。車内では、地元のおじさんやおばさんがガイド役を務め、沿線の様々な話題を伝えてくれる。「市内巡り観光バス」を路面電車で実施してしまうような企画である…

鹿児島では、新幹線によって他地域と往来し易くなることを受け、「来訪者が気軽に愉しんで、鹿児島のことをよく知ってもらう取組」という機運が盛り上がったらしく、“観光電車”もそうした中で登場したようだ。当初は<ユートラム>、<ユートラムII>というような、鹿児島市交通局が誇る新しい低床型電車が“観光電車”に投入されていたらしいが、「電車開業100年記念事業」の一環というようなことで、“観光電車”を「主な役目」とする車輛を仕立ててしまったのだった…それが<かごでん>である…

<かごでん>は、開業当初の大正時代から昭和の前半位までに見受けられた、「角張った型の木造車輛」をイメージした車体を設え、旧い足回りの上に載せてしまった“大改造”の車輛である。これが実に美しい!!

2012年12月、この実に美しい<かごでん>が登場することを知り、鹿児島に立寄って車輛を視て、更に乗車もしたのだったが…今般、肥薩線の各列車を乗り継いで鹿児島に至って夜を明かした後、次の場所―結局バスで宮崎へ向かったのだったが・・・―へ向かうまでに時間が在ること、加えて丁度運行の日でもあることから、<かごでん>に乗ってみることにしたのだった…

↓<かごでん>は車内も美しい!!シートは、赤系の薩摩切子をイメージした柄の、特注のクロスで覆われている…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (17)
↑その他、細々とした箇所は、難燃性の部品に極薄の板を貼って仕上げるような手法で「昔の木造車のような風情」も醸し出すようにしている…

↓好天の街を悠然と走り、鹿児島駅前に到着したところである。鹿児島駅前では、フォーク状に3本の軌道が配されて屋根が被った場所を停留所としており、ここに入った電車は小休止をして、またそれぞれの行先に向けて発車して行くようになっている…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (18)
↑左が<かごでん>…真ん中が、5連接構造で車体を延長して乗客定員を増やした低床型の<ユートラムII>…右は鹿児島に初めて導入された低床型の<ユートラム>で、本来は黄色の塗装なのだが、最近は御覧の赤のような広告塗装(ラッピング)も増えている…

↓概ね10分間の停車の中、他の軌道の車輛は入れ替わり立代りだった…こうして佇む<かごでん>…実に美しい!!
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (21)

↓出発が近付き、隣に2121が並んだ…2121の2100型は、低床型が普及する少し前辺りの時代の車輛で、方々で見掛ける路面電車によく在るような雰囲気だ…そういうよく在りそうなデザインと並ぶと、「旧いモノ」をモチーフに造った<かごでん>の個性が際立つ感じである…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (24)

↓停留所名が示すように、JR鹿児島駅の入口の前に在る訳だが、天候条件によって背後に桜島の一部が姿を覗かせる…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (30)
↑路面の軌道だが、交差点のような一部箇所を除き、原則的に芝生が敷かれている。音が静かになり、周辺の気温上昇を多少押え、照り返しが抑えられるので運転し易いというような、様々な長所が在る芝生敷き軌道であるが、「緑のカーペットの上を電車が往来」というような美しい光景を醸し出している。この芝生も、交通局で随分と工夫してメンテナンスを行っているらしい。何時視ても、芝生が綺麗で感心する…

↓「物凄く古い車輛」のようだが、「実は新しい」という辺りが、何か妙に面白い…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (27)
↑鹿児島駅前で停車していた間、随分と写真を撮った…

この日、鹿児島の街では間近に近付いていた<おはら祭り>への備えの、提灯の飾り等も一部に見受けられたことから、ガイドさんは大勢の市民が繰り出して踊る祭りについて、電車も含めた車輛全般の通行を停める様子を話して下さった。そういう話題も含め、なかなかに愉しいお話しを伺えた…

↓やがて電車は鹿児島中央駅前に引き返して来る…
Tramcars at Kagoshima on OCT 24 (31)
↑自身で乗車した機会以外にも、鹿児島で何度か見掛けているこの車輛だが…再び乗車する機会を設けることが叶い、実に善かった!

<かごでん>は、“観光電車”の他に“貸切”で運用されている場合も在るそうだ…或いは…「開業100年記念」で登場したこの電車が「開業200年」の日にも元気で走り続けている…ということを願いたい…

いずれにしても…<かごでん>は「何度でも再会したくなる」ような車輛である!!
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2015年11月09日

大阪:「セント・ラファエロチャペル御堂筋」(2015.10.30)

奈良を発って京都に至り、更に大阪に至って天王寺の宿に落ち着いた。早速に「大阪の街を少々歩いてみよう…」と思い立ち、荷物も置いて身軽になったところで地下鉄に乗り、なんば駅で下車した…

なんば駅から道頓堀周辺に出て、御堂筋を少し歩いてみた。既に日が落ちて、街の灯りが目立ち始めたような時間帯である…

<御堂筋>という名は、北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来するのだそうだ。どちらの御堂も訪ねたことは無いが…大阪市の北区から中央区にかけての延長4,027メートルの道路を指すのだという…丁度、地下鉄の御堂筋線が通っている所の上に相当する訳だ…

御堂筋を歩いてみると、見慣れない種類の車が飾られた外国車のディーラーや、宝飾品や高級ファッションに明るい訳でもなくとも名前位は聞いたことが在るようなモノの看板も見え、何となく華やかな感じがする…

↓そうした御堂筋で、こんな建物を視掛けた…
Evening walk on Mido-suji str., Osaka on OCT 30, 2015 (6)
↑何か、酷く重厚な感じがする…暫し眺めて、思わず写真を撮ってしまった…

聞けば…この建物は結婚式場なのだという…一寸驚いた…
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2015年11月08日

早朝の稚内港:中央埠頭から北防波堤ドーム周辺(2015.11.08)

昨日の午後から早朝に至るまで、小さなストーブを焚き続けていた室内は仄かに温かく、居心地の好さが増している。窓辺も明るくなって来ている中、丁寧に淹れた<キリマンジャロ>の芳香が立ち込めている…

昨日洗った<児島>のジーンズ―方々を巡った旅の際に着用していて愛着が増している代物だが、3回目の洗濯で生地が柔かくなり、穿き心地が好くなって来ている…―を穿いて、「敢えて少し前の(“玄関マット”と揶揄されたような時代の)ロゴが入っているモノ」を選んでいるウォリアーズのロゴが入ったパーカーを着て薄手のニットキャップも被り、雪が降っている時季にも着用する上着<M65>を引掛けて、近隣を少しだけ歩いた…

↓中央埠頭辺りは、低目な空の雲のためか、少々薄暗い感じがした…
Morning on NOV 08, 2015 (2)
↑海は鏡面のようだが、気温が「カクン」と下がっている感じの他方で風が微弱である。こんな様子が見える辺りに佇んでも「キツい…」ということはない…

↓北埠頭側に眼を転じると、宗谷丘陵の方角に相当する空が、暁の薄めな赤紫に染まって見えている…
Morning on NOV 08, 2015 (1)

↓手前の広場に据えられた芝生は枯れていて、スッカリ「冬へ向かっている」という風情を増している北防波堤ドーム…
Morning on NOV 08, 2015 (6)

↓冷たい空気が渦巻いているような空だ…
Morning on NOV 08, 2015 (8)

何か…「北国らしい」と言えば聞こえが好いが…「寒い時季」がどんどん進行しているのを感じる…とりあえず…<キリマンジャロ>を啜りながら、「さて、今日はどうしようか…」という具合の、日曜日の朝である…
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2015年11月07日

阪堺の路面電車:501(2015.10.30-31)

大阪の天王寺駅近隣に、幅が広い道路が交差している十字路が在り、十字路の上で環を描くようになっている大きな歩道橋が設けられている。奈良から京都を経て大阪に入り、天王寺に至ってこの大きな歩道橋に至った時、歩道橋の下に阪堺の路面電車の停留所が在ったことを思い出した…

↓「あの方角か?」と様子を伺うと、停留所が見えた…
Tennoji, Osaka on OCT 30, 2015 (1)
↑少し年季が入った感じの車輌が停車中だ。鮮やかなオレンジ色の広告塗装が施されている…夕刻に入って、少し忙しい時間帯だ。こちらから視て、右側が下車した人達で、左側が乗車しようとしている人達であろう…

この鮮やかなオレンジ色の車輌…今般の旅で、初めて視た阪堺の電車ということになった…

翌日には、1日乗車券を求め、視掛けた阪堺の路面電車を利用して沿線を巡るというプランを温めていたのだったが、何か「年季が入った感じのデザインである車輌に鮮やかな塗装」という車輌を視掛けて、非常に心が弾んだ…

↓翌日…前日に天王寺駅前で視掛けた車輌と再び出くわした…
Tramcar around Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (2)
↑住吉大社の近くである…

日が高くなっている時間帯で、街が“アーバン・グレイ”とでも呼ぶべき色彩に見える中、路面電車のオレンジの塗装と、その塗装で際立つ独特な形状が「光って」視える…

↓「昭和の風情」という形状であるが、運転台上の行先表示は、電光掲示のモノに改装が施されている…他方で、金属板のプレートに“ワンマンカー”と書いたモノを運転台の下辺りに掲出している…
Tramcar around Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (1)
↑何か、新旧様々なモノが微妙なバランスで結び付いたような…不思議なムードの車輌だ…

これは“モ501”という型式の車輌で、1957(昭和32)年に登場している。阪堺電気軌道が現在の会社体制になる以前のことで、南海が帝國車輛工業に発注したモノだという。

“帝國車輛工業”というのは…1890年頃に堺で起こった個人の工場が母体となっていて、1941年に“帝國車輛工業”という社名にしたのだという。鉄道車輌の製造等を手掛けた会社だが、1968年に東急車輛製造と合併していて、現在は無い会社である…

“モ501”は501から505の5輌在る。1976年にワンマン化の改造が行われ、1985年から1986年にかけて冷房が施された。2013年には行先表示の方向幕がLEDランプの電光掲示に変更され、運賃箱も新しいモノに換え、ICカードの読取機器も設置したのだという。それでも“ワンマンカー”のプレートを従前と変わらずに据え付けているのが面白い…

↓その後、我孫子道停留所近くの車輌基地でも視掛けた…
Hankai Tramway Co. at Abikomichi, Osaka on OCT 31, 2015 (6)

この501は「1957年登場」というから、「もう直ぐ還暦」ということになる車輌である。ワンマン運行…車内の冷房…ICカード乗車券への対応…どれも時代が移ろう中で「当然化」して行ったもので、この車輌は必要に応じて、初登場した時には考え難かったそれらに対応しながら、時を超えて街を走り続けている…広告塗装―これも初登場した時代には考え難かったモノかもしれない…―のオレンジが凄く目立って、強い印象を受けたのだが、何かこの車輌…凄く愛しくなる雰囲気が漂っている…
posted by Charlie at 17:33| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3回目の洗濯した―児島ジーンズ KOJIMA GENES 18oz セルビッチ ヴィンテージ ストレート デニム

「正しい休日の朝」の一つ…「ポートサービスセンターへ足を運んで、コインランドリーを利用」というパターンが在るが…今日はそれを実践…

↓ジーンズを洗った…
my jeans on NOV 07, 2015 (1)

10月21日から11月1日で出掛けた際に着用していた代物で、10月25日に出先の宮崎で洗ったので、今回の洗濯で3回目ということになった…

↓モノを入れているポケット辺りの色落ちが目立つ…
my jeans on NOV 07, 2015 (2)

↓旅の際、リュックサックが触れていたようにも思えるが、真中辺りのベルトループはかなり色が落ちた…
my jeans on NOV 07, 2015 (4)

どうということもない、普段着のジーンズであるが…「○○の時に着用していた」というような“履歴”が重ねられる中で、愛着も増すというものだ…
posted by Charlie at 11:44| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都・島原(2015.10.30)

過去の国内旅行で、何度も京都には立寄っている。そうした中、2010年12月には島原地区に立寄った経過が在った。偶々読んだ『輪違屋糸里』という小説が気に入って、その舞台となった島原地区を視てみたくなったのだ…

今般…近鉄奈良駅から近鉄の急行列車に乗車し、京都駅に着いた後、西本願寺を訪ねてみようと歩き始めた。“東”は寄ってみた記憶が在ったが、“西”には寄った記憶が無いというだけの理由で、何となく向かったのだった…

その途中…“島原”という地名が登場する案内を視て、「西本願寺そのものには立寄っていないが、直ぐ傍までは来ていた…」と気付いた。京都は方々に旧跡が在るので、そういうことも在るであろう…

寄ってみた西本願寺で、掲出された案内を視て新選組を思い出した。西本願寺の敷地そのものが、新撰組の屯所として利用された経過が在ったのだが、その事実以上に「強く響いた」のは、かの土方歳三と共に箱館の戦いに参加し、戦いに敗れた後には京都に住んで、晩年は西本願寺の太鼓楼で管理人をしていたという島田魁という人物に、掲出されていた案内は言及していた…

そんなことが在って…妙に島原に寄ってみたいと思った。新選組は「壬生浪士組」と呼ばれていた草創期には、西本願寺より少し北の辺りの壬生に屯所が在って、隊士が増えて行った中で西本願寺に移転している。その京都で活動した彼らが、一貫して出入りしていた歓楽街の一つが、西本願寺の少し南辺りに在る島原だ。

気に入っている小説の『輪違屋糸里』というのは、「壬生浪士組」が登場し、新選組として武名を馳せて行くようになるような時期の島原が舞台の物語だった。主人公は、島原の遊郭である輪違屋(わちがいや)に居た女性、糸里である…

物語は糸里や他の女性達の目線も交えながら、「壬生浪士組」が「新選組」と成って行く、体裁を整えて行く時期のことが描かれている…

清河八郎の献策により、「上洛する将軍の警護」を名目に集められた浪士隊に参加した者達は、京都に着いて間もなく、清河八郎の発案で江戸に引き返してしまう…その江戸へ引き返すということになった時、「それはおかしい!!」と強く異論を唱えた者達が在って、彼らは京都に残留し、「京都守護職御預」ということで、形式として京都守護職を務めていた会津松平家の指揮下で「壬生浪士組」を立ち上げた。

この草創期の「壬生浪士組」…大別すると“水戸派”と“試衛館派”とに分かれていた。後者の“試衛館派”は、江戸の道場である試衛館の関係者で、近藤勇や土方歳三等が居た。“水戸派”は芹沢鴨を中心とする一派だ。「壬生浪士組」は芹沢鴨の矯激な振舞い、蛮行というようなことが在って、怖れられ、同時に忌み嫌われる面も在る存在になって行った。そして、それが「行き過ぎ」ということになり、やがて“試衛館派”が“水戸派”を排除するようになる…

物語の中では、“試衛館派”は「真の武士になりたい男達」として描かれ、“水戸派”、殊に芹沢鴨は「“武士になりたい男達”が踏み越える壁のように存在する武士」という具合に描かれる。糸里の他、女性達は両派の男達の間で揺れ動いている…

少し長くなったが…上述のようなことを考えながら、西本願寺辺りから、途中で<鰊そば>を頂きながら島原を目指した…

↓これが島原の入口である大門だ…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (2)
↑恐らく、新選組の面々も、肩で風を切るかのようにしてここを潜ったことであろう…またこの場所には、西郷隆盛や久坂玄瑞というような人達も足跡を残しているという…

島原は、1641年に現在位置辺りに移転した。「島原」という呼び名は、移転した時の騒動が<島原の乱>の乱れた様子に似ていたためという説や、周りが田原であったため、島に譬えて呼ばれたという説等、諸説が在るそうだ。

↓これが<輪違屋>だ…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (5)
↑辺りが一般の住宅等になっている中、現在でも芸妓を擁して営業しているという…

↓江戸時代の造りを伝える建物が好い…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (6)

↓こちらは<角屋>だ…幕末期には、大きく立派な店として御馴染だったようだ…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (10)
↑新選組が集まりに使ったことでも知られる…

↓<角屋>は、現在「島原」と呼ばれる地区が成立した頃から在ることになる…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (13)

↓島原を抜ける辺りに、島原住吉神社が在る…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (14)

この島原住吉神社を抜けた辺りに鉄道の高架が見えて、京都中央卸売市場の一隅の脇を通って、JR丹波口駅に行くことが出来る…

何か、久し振りに「あの新選組の面々が動いていたであろう地区」を歩いてみて、何か幕末関係の小説を読んでみたいような気分になった…そういうことを想いながら、丹波口駅から京都駅へ移動し、私なりの流儀での京都市内巡りを続けたのだった…
posted by Charlie at 06:13| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

広島の路面電車:原爆ドームの傍を行く352(2015.10.28)

広島については2009年と2010年に立寄っているが、「路面電車の1日乗車券を手に市内を巡る」というようなことはしていなかった…2009年は原爆ドームや資料館を視た後に呉へ向かった…2010年に関しては門司港から移動開始で本州に上陸し、雨天の中で大阪方面を目指した中、一寸だけ広島駅周辺で寛いだという次元の立寄り方だった…

そういう訳で、広島で「路面電車の1日乗車券を手に市内を巡る」というようなことを是非やりたかった…今般、九州上陸後に“帰国”のフライトに向けて関西方面に引揚げる必要性が生じていたが、「途中で広島に寄る」というプランが浮上した。方法として…「福岡からの夜行バス」が好いと思い、博多駅に隣接するビルのターミナルからバスに乗った…

バスそのものは福山まで行く。宮島サービスエリアで停車し、広島市の領域に入ってからは幾つもの停留所で下車可能だが、広島での主要な停車は広島のバスターミナルということになるであろう。私自身も含めて、多数の乗客が下車していた…

広島のバスターミナルは紙屋町に在る。紙屋町は商業施設も目立つ「広島の都心の一画」という趣の地区だ。よく視て覚えていた地図では、あの原爆ドームが近い…

明るくなり始めている広島の街に入り、とりあえず原爆ドームを目指した…後から「路面電車の1日乗車券を手に市内を巡る」ということをやってよく判ったが、紙屋町で色々な路面電車の路線が交わっているので、道すがら幾つもの路面電車の軌道を見掛けることとなった…

原爆ドームを紙屋町寄りの側から視た後、川の側から視ていた。やがて川の側の近くにコンビニを見付け、珈琲を求めてみるなどして一息入れていた…

↓「さて、どうしようか…」と動き始めた時、こういう様子を見掛けた…
An old tramcar with A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (2)
↑背景に原爆ドームが見える状況で、少し年季が入った路面電車が走っていて、信号待ちをしていた…

この352…1958(昭和33)年に851〜853ということで登場した車輛の中の1輛である。既に57年間も運用されていることになる…当初は850型と呼ばれていたが、1971(昭和46)年に350型と改称されて今日に至っている…当初は宮島方面へも向かっていたが、1971(昭和46)年以降は市内線で運用されている。

「背景に原爆ドームが見える状況で、少し年季が入った路面電車」という、「広島らしい!」と思える光景をいきなり視てしまった…結果的に「数え切れない程度に路面電車に乗車した」ということとなった1日のスタートだった…
posted by Charlie at 18:47| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

美々津(「日本海軍発祥之地」他)(2015.10.26)

↓美々津(みみつ)駅である…日豊本線の無人駅である…画の待合所が設けられ、ホームと跨線橋が在る…
Mimitsu Station on OCT 26, 2015 (2)
↑宮崎駅から北上すれば1時間弱で、延岡駅から南下すれば40分強の場所である。何となく「宮崎・延岡の中間点のような感じ」と思えた…

↓九州各地で活躍する、正面の黒いカラーリングが渋い817系電車で到着してみれば、行き違いの787系電車による特急列車が駅で待機していた。特急列車の方は、817系電車が走行していた“単線”の箇所が空いたことを受けて直ぐに発車した…
Mimitsu Station on OCT 26, 2015 (1)

今般、最終的には“帰国”のフライトに搭乗するために関西方面に戻らなければならなかったのだが、その前に九州北部への移動を企図した。宮崎から、日豊本線を北上すると<旅名人の九州満喫きっぷ>で乗車可能な普通列車だけで、夜遅くに小倉にまで至ることが出来る…延岡から北側、県境を越えて大分県の佐伯に至る区間が、極端に普通列車が少ない“ボトルネック”になっているのだが、その区間を行く夕方の列車に間に合うように、宮崎県内での道草ということにした…

美々津…“津”という文字が示すように、古い港である…室町時代には明国とを往来する船が寄港していたそうだ…戦国期には大友家と島津家の日向国を巡る争い―大友軍が島津軍に敗れた「耳川の戦い」の耳川も近いようだ…―に巻き込まれた場所で、江戸期に入れば高鍋秋月家が物資輸送拠点として利用していた。明治期にも西南戦争時の戦闘が近くで行われたらしい。現在では宮崎県日向市の一部である訳だが、港としての独自な歴史を伝える古い町並みが知られる。

古い町並みが知られる美々津だが…更に言えば、ここは神武天皇が東征に出発した場所であるとも伝えられているのだ…

↓美々津駅の案内掲示を参考に、宮崎県の海岸線を貫いて大分県側と結ばれているように見受けられる国道に出て、20分程も歩いたであろうか…こんな看板が見えた…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (1)

↓看板に導かれて歩を進めると、両側が木立に覆われた細い路の向こうに、「映画撮影のセット?」を想起するような、如何にも「古い町並み」という雰囲気の家並が覗いた…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (2)

「月曜日の午前中」という時間帯であった…美々津は静かだった…本当に「映画撮影のセット?」というような感じもしたが、実際に「暮らし」が営まれていることが判るモノも色々と見受けられる。御近所の方が動き回っているような様子も散見した…

↓かなり古そうな建物も、寧ろ新しいように見える建物も混在していたように思ったが、一様に「古くからの様式」を綺麗に踏襲した建築で、「古い町並み」の趣が確りと護られているような感だった…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (11)

↓海が見える辺りに、不思議な記念碑が在った。旭日の軍艦旗が翻っている…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (4)
↑これが「日本海軍発祥之地」の記念碑だ…

「日本海軍発祥之地」の碑は、1940(昭和15)年に神武天皇の東征の故事を記念し、出航の地と伝わる美々津から大阪まで航海し、「即位の地」と言われる場所に在る橿原神宮に“神楯”を奉献したということが在ったという。それを受けて1942(昭和17)年にこの記念碑が建立されたそうだ。「神武天皇が率いる船団」となれば…或いは「最初の日本海軍」ということなのであろう。“日本海軍発祥之地”という文字は、首相を務めた経過も在る、海軍大将の米内光政が揮毫しているそうだ…

↓神武天皇の船団に加わっていたと推察されるような古代の船が記念碑に付いている…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (7)
↑宮崎神宮で展示されているのを観た<おきよ丸>の型の船だ…

↓軍艦の錨も、記念碑の横にモニュメントとして据えられている…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (6)

美々津は、神武天皇の神話と結び付いている…それだけでも「相当に古い歴史を有する港」ということを想起させて余り在る…

↓家並が途切れる辺りで、海がよく見える場所が在った。
Sea at Mimitsu on OCT 26, 2015 (1)
↑少し大きくうねる浪の向こうに、少し大きな岩が在って、灯台が佇んでいた…

この美々津については、「遍歴の句人」とでも呼ぶべき、かの種田山頭火が1930(昭和5)年に立寄っている経過が在るのだそうだ。

「墓がならんで そこまで 波がおしよせて」
↑山頭火が美々津で詠んだと伝えられる句である…

山頭火が美々津に立寄った当時、家並が途切れて海がよく見える辺りに墓地が在ったとのことで、墓地の間近に大きな波が寄せている様を詠んだらしい…

こういう事がさりげなく紹介されていたりしたが…私が思い出したのは…「どうしようもない 私が 歩いている」という山頭火の句だった…

↓国道側から家並に至った直ぐの辺りに、名前は知らないが、花が咲いていた…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (13)

美々津というのは、何か「神話の時代」から「昭和」に至るまでの時間が、ひっそりと古い町並みの中に留まっているような、何処と無く不思議な場所であったように思った…そして「どうしようもない 私が 歩いている」等と思いながら、美々津へ至るまで歩いていた国道を駅の側へ引揚げ、延岡へ向かう列車を待った…

↓10月26日撮影の画を集めたアルバムは下記…
>>Photomatrix - OCT 26, 2015
posted by Charlie at 18:49| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宮崎神宮(古代船<おきよ丸>他)(2015.10.25)

地元に帰着してみれば「終始肌寒い」状況下に在ることから、出先の「温かかった」感じが殊更に懐かしいような気がする。そうした意味で、「シーズン最初の雪」というニュースが在ったその日に「Tシャツ姿で戸外に…」という状況だった宮崎のことを何となく思い出す…

宮崎に関しては…鹿児島からバスで夜に着き、その晩と翌晩に連泊で滞在するということにした。好天にも恵まれたことから、10月25日の日曜日に、宮崎を起点に何処かを往復するようなことを考えないでもなかったが、結局「近隣でゆっくり…」ということにした。“緩急”の“急”というような雰囲気が続いたので、“緩”という時間が在っても悪くないと思った訳だ。

宮崎駅前から延びる高千穂通が橘通と交差する辺り、滞在した宿―他所の大きなビルの陰で見付け悪かったのだが、なかなかに居心地も好く、朝食バイキングで出ていた「鮎の炊き込み御飯」というのが妙に懐かしくなる…館内のコインランドリーも利用した…―の近隣から、ゆったりと橘通を進んで宮崎神宮に至った…

↓社殿等が在る辺りへ通じる道…街の真中のような場所から然程遠くもないが、何か「鎮守の森」という雰囲気が漂う木立が心地好い…
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (5)
↑温暖な気候の故なのか、宮崎では「立派に育った木々」を視て感心する場面が多かった…

↓社殿が近付くと、何やら池が在った…
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (1)

↓池に木々や隙間の空が映り込むのだが、何か「水の底にまで鎮守の森が拡がっている」ような、少し神秘的な感じがした。
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (2)

↓少し不思議な船が飾られていた…
Miyazaki Jingu Shrine area on OCT 25, 2015 (6)
↑これが名付けて<おきよ丸>…古墳から出土した船型の埴輪等を参考にして想像復元した「古代船」である…

<おきよ丸>は全長12m、全幅2.2mの船で、これは「神武天皇の東征」という神話に因むモノである。日向を治めていたイハレヒコ(後の神武天皇)は、船団を仕立てて美々津から東征に船出をしたと伝えられる。出航の日、夜明け前に「起きよ!」と近隣に触れ回って、東征に参加する人々を集めて回ったということも伝わっていて、それに因んで船を<おきよ丸>としたそうだ。

神武天皇の神話に纏わるモノが飾られている宮崎神宮は、神武天皇を祀っている神社である。古くから「神武天皇宮」、「神武天皇御廟」と称されていたものが、1873(明治6)年から「宮崎神社」を名乗るようになり、1913(大正2)年からは「宮崎神宮」となって今日に至っているのだという。

↓天皇関連の神社に見受けられる御紋が門扉に飾られている…
Miyazaki Jingu Shrine on OCT 25, 2015 (2)

↓好天の休日で、七五三や結婚式という地元の皆さんが多く見受けられる感じだった…
Miyazaki Jingu Shrine on OCT 25, 2015 (1)

↓結婚式が何組か行われている関係か、拝殿に巫女さんが居た…
Miyazaki Jingu Shrine on OCT 25, 2015 (4)

宮崎神宮は地元では「神武さま」として親しまれているのだそうだ。日向国から日本の天皇になった「神武さま」…色々と御利益が在るのか?そんなことも思ったのだが、そういうこと以上に、遥かな昔からの「国を興した英雄」への人々の想いやエネルギーが渦巻いているような「場の雰囲気」に強い印象を得た。更に…近くの広場で青少年の剣道大会が賑々しく催されていて、元気な声が反響していた中、宮崎県立総合博物館に向かったのだった。

↓10月25日撮影の画を集めたアルバムは下記…
>>Photomatrix - OCT 25, 2015
posted by Charlie at 18:41| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旧堺燈台(2015.10.31)

他地域へ出掛けてみる場合…全く未踏の場所を訪ねてみることも善いのだが…「あそこ…何か好かったよなぁ…」と記憶に残る場所を再訪、再々訪してみることも悪くはない。寧ろ、そういう再訪、再々訪は好きだ。

↓2010年12月22日に撮影していた写真である…
Sakai-HDR on DEC 22, 2010
↑南海の堺駅から10分少々歩いた場所だった…

今般、“帰国”のフライトに登場する前日は大阪の天王寺に泊り、阪堺の1日乗車券を駆使して沿線を巡って楽しみ、堺から列車で関西空港に向かうことを思い描き、実際にそのようにした。

なかなかの好天に恵まれ、阪堺の1日乗車券を駆使しての沿線巡りも愉しいものだったが、「そろそろ空港へ向かう列車を…」と思いながら、大小路停留所から堺駅へ向かう道すがら、「2010年に堺に立寄っていて…その時に視ている…」と幾つかの記憶に残るモノに気付いた時に思い出した。「駅からそう遠くない場所に、古い灯台がモニュメントになっている場所が!」とである。頭の中を巡っていたのは、上記の2010年撮影の画だ…

堺は“政令指定都市”ということで大きな人口を擁しており、大阪から堺を経て関西空港までは列車運行本数も十分で、「フライトに間に合わない!?」ということも無いと思ったが、一応「遅れないためには、この列車に乗れば…」を駅で確認した後、記憶を辿って灯台を目指した。

何時の間にか、前回訪問は「5年近くも以前」となっていたので、どういう経路を辿って灯台に至ったのかが、頭の中で曖昧模糊としていた…概ね一日を通じて蒼天に輝いていた太陽は、西寄りの空に大きく傾き始め、空の色はグラデーションを帯び始めている…高速道路へ通じる経路になっているような、妙に交通量が多い箇所も在って、何やら行ったり戻ったりを繰り返すような始末で、少々苦戦してしまった…

「ここまで至って…無念の撤退で駅で列車に乗るか?」と思い始めた時…

↓「在ったぁ!」と内心で快哉を叫んだ…
Memorial Former Lighthouse at Sakai on OCT 31, 2015 (2)
↑これが<旧堺燈台>である…

この灯台の位置は“旧港”の端に相当するという。1877(明治10)年―西南戦争の在った年…―に、堺市民の寄付や、当時の堺県からの補助で建てられたものであるという。以降、この場所で1968(昭和43)年―札幌医科大学で日本初(世界30例目)の心臓移植が行われたり、<プラハの春>に関連する「チェコ事件」等、多くの出来事が在った年…―まで稼働―91年間に及ぶ…―し続け、周辺の埋め立て等で灯台としての機能が損なわれてしまったことから、港の歴史を伝える記念碑のようになって現在に至っている。2000年代の初めに、老朽化が著しかったことから修理を施しているという。「現地に現存する木造洋式燈台」としては、国内最古のモノの一つで、1972(昭和47)年に国指定史跡に指定されたのだそうだ。灯台の高さは12mとのことである…

“旧港”の端に相当というが、灯台を視て左側に高速道路の高架の一部が見えて、遥か彼方に港湾施設が拡がっているように見える…随分と積極的に港を拡大して行ったという歴史に気付き、少し驚く…

↓昔は「“灯台”というのは、こういう感じ」というデザインであったのだろうが、現在眼にするモノとは少し違い、何か非常に個性的で美しく見える…
Memorial Former Lighthouse at Sakai on OCT 31, 2015 (5)

↓次第に西の空が染まって来る中、独特な形状が浮かび上がる…
Memorial Former Lighthouse at Sakai on OCT 31, 2015 (14)

この日、辺りにはカメラを手にした写真好きな人達の姿が見受けられた。私自身、この場所を訪ね易い場所にでも住んでいれば、相当な頻度で立寄って写真を撮るであろうと思う…日が相当に傾き、沈んでしまった後辺りには空の色が劇的に視える…そんな状況を眺めてみたいとも思いながら、「そろそろ駅へ行くべきか…」と思える時間帯に差し掛かり、「後ろ髪引かれる」という思いで、ここから辞去したのだった…

↓旧堺燈台の様子を含む、10月31日撮影の画を集めたアルバムは下記をクリック…
>>Photomatrix - OCT 31, 2015
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2015年11月04日

人吉駅の<SL人吉>―到着後の様子(2015.10.23)

総移動距離が約5,300kmに及んだ旅で、夥しい写真を撮った。それらを順次整理しながら振り返っているが、「蒸気機関車の画」というものは、殊更に「早く整理して、ゆっくり観たい!!」と思う代物な訳で、帰着後に不意に出現した祝日の日中を利用して整理をしていた…

<SL人吉>車内で、隣の席におじさんが座ったのだが…

彼は、各駅の到着時刻案内が刷られたモノを視て「人吉?こんなに時間が?」と首を捻っている。そして、「この列車…速さはどれ位でしょうかね?」と私に話し掛けて来た。「恐らく時速40km前後では?最近の電車やディーゼルカーの列車は、速めな区間で時速90km位、場合によってそれ以上も出しているように思いますから…」と応じた。おじさんは「そんな感じかもしれませんね…」と納得した風だった。

実際、乗車していて感じる“速度感”は、各地の列車のモノとやや異なる。路面電車より速く感じるが、各地の普通列車が駅間で速度を上げている場面よりは明確に遅い…大きな街で乗車するバスに一寸似ている気もしていた。そこで、おじさんに尋ねられて「時速40km前後では?」と応じたのだった。

沿線の風景をゆっくりと愉しみ、停車駅でも機関車の様子を外で眺めるなどして、列車は人吉駅に到着した…

↓凄い“存在感”だ…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (1)
↑人吉駅では、この<SL人吉>を迎える人や、観に来た人が大勢居た…

↓暫くの間、ホームに<SL人吉>は停車している…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (6)

熊本から人吉に南下して来た列車は、この後に人吉駅に近い車庫に一旦下る。そこで機関車に石炭と水を補給し、ターンテーブルで方向転換をして出発準備をし、人吉駅に登場する。そして列車は人吉から熊本に北上する…

やがて、車庫へ向かうために列車が動くので、ホームに集まって機関車を眺めている人達等に注意を喚起する案内放送が流れる…

↓こういう具合に、バック運転で車庫に向かって行く…思わず動画機能を駆使してしまった…


何かこの、バックで車庫へ向かう様子を視ていて…「ありがとう“ハチロク”…」というフレーズが頭の中に浮かんだ…

この後、<いさぶろう>、<はやとの風>と各列車を乗り継いで鹿児島へ向かったが、列車まで時間が在ったので少し駅の外で過ごし、やがて駅に戻った…

<いさぶろう>に乗車しようとホームに出てみると…

↓「あっ?!居た…」と口を突いてしまったが、機関車がホームから見える位置に在る車庫に入っている…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (22)

↓こういう感じも…「好いなぁ…」と暫し眺めてしまった…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (19)
↑白い煙に「隙間の光」が射し込んでいる…車庫の壁が左端に見えるが、石造である…

今般は<SL人吉>の席が取れて乗車出来たことが幸運だったが、運行日に好天に恵まれたのは更に善かった…非常に愉しかった!!
posted by Charlie at 06:54| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

熊本駅の<SL人吉>―出発前の様子や客車内(2015.10.23)

平日のやや遅めな時間の到着限定であるという、安価な“素泊まりプラン”を提供していた熊本市内の宿で朝を迎えた。「樺太や台湾に至るまで同型機が動いていた、大正生まれの8620型が牽引」という列車、<SL人吉>への期待が高まっていたのだが、一寸戸外を伺うと、輝くような南九州の青空が拡がっていて、著しく気持ちが昂揚した。

こういう時には、著しく気持ちが逸り、目的の場所へ異常な程に早く向かってしまうことが往々にして在るのだが…宿の近所で仕入れた“おでん”を朝食に摘み、珈琲も求めて気を静めて、<SL人吉>が熊本に現れるのを「少しばかり待てば…」程度の時間帯を目掛けて出発した。

熊本駅で駅員さんに尋ねると、<SL人吉>は出発の20分程度前に現れることが判った。多少駅前の様子を伺って、それからホームへ向かうと好い程度だった…

3月から11月までの運行で、地元では「酷く特別」でもなかろうし、平日であったことから「到着を待つ」という人はそれ程多い感じはしなかった…

熊本駅の在来線は、地上部のホームと、高架部のホームが在る。<SL人吉>は高架の側に現れる…

↓熊本駅に<SL人吉>が現れる時は、こんな具合だ…デジカメの動画機能で撮ってしまった…

↑列車の後尾にディーゼル機関車を連結し、後尾から列車が牽引されて現れる…発車時には、蒸気機関車を先頭に進むようになる…ディーゼル機関車は、何時の間にか切り離され、静かにホームから出て行ってしまう…

↓列車が停止すると、機関車の見易い位置に半ば駆け足で寄ってしまった…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (1)
↑大正生まれの機関車だが、磨き上げられてピカピカだ…

↓恐らく、石炭を加えた際に黒い煙が煙突から吐き出されるのであろう…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (2)
↑蒸気機関車の煙は、白いモノや黒いモノが混じっていて、視る都度に様子が異なっている…

↓蒸気機関車にマッチする黒系の客車…乗降口には「ハチロク」という機関車の愛称を想起させるロゴマークも入る…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (26)
↑古い車輌に見受けられるように、号車番号や行先表示は、「プレート(ボード)を嵌める」方式が採られている。それでも、「黒地に金文字」に揃えられている…

↓客車の中…昔の車輌を想起させる、木製風(実際には金属等の車体に板を薄くしたモノを貼るのであろう…)な感じで、クロスシート方式に座席を配している。
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (21)
↑「鉄道車輌の中」という雰囲気でもあるが、寧ろ「街の洒落たカフェ」という風でも在るように思った…

↓私が陣取ったシート…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (22)
↑本当に、カフェやホテルのロビーで視掛けるような椅子に似た座り心地だった…

↓3輌編成で、1号車と3号車には画のような展望ラウンジが設えられている。
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (25)
↑私自身は2号車に陣取ったが、2号車には売店が在る…そうした設えであることから、3輌編成では在るが、一般的な列車よりも座席数は少なめだ…

↓次第に乗客も集まり、機関車の運転台でも準備が整って来た様子だ…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (20)

↓発車が間近になる…車掌さんがハンドベルを鳴らしながらホームを歩き、乗客に乗車を促す…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (27)
↑やがて「発車ッ!!」と大きな掛け声が聞こえ、汽笛が鳴り、列車は進み始める…

青空の下、<SL人吉>はゆっくりと進み始める…平日とは言え、「僅かな空席」という程度で、小さな子どもの居る親子連れからお年寄りまで、幅広い層の乗客がそれぞれの想いで乗車していた…
posted by Charlie at 06:48| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月03日

鹿児島の路面電車:<ユートラムII>に<ユートラム>が後続(2015.10.23)

九州へ上陸すれば…<旅名人の九州満喫きっぷ>というモノが在る…

この<旅名人の九州満喫きっぷ>というのは、JR九州の各駅窓口で購入出来る乗車券なのだが、<青春18きっぷ>の要領で、有効期間の間に連続、不連続を問わずに3日間利用可能で、普通列車には乗り放題である。加えて路面電車や地下鉄も含めた九州各地の私鉄にも乗車可能である。当初は、季節を限定して発売していた様子だが…現在は年中何時でも売っている!!ということは…年中何時でも「<青春18きっぷ>の旅」が出来て、加えて「第3セクター鉄道等の区間も、1枚の券でそのまま移動出来る」訳で、「大変に有難い!!!」代物である。

今般…この<旅名人の九州満喫きっぷ>と、利用不可である特急列車乗車区間は別途に乗車券を求め、熊本から鹿児島へ南下した…精確には、熊本市内の宿に間近だった新水前寺駅から熊本駅の区間から<旅名人の九州満喫きっぷ>の仕様を開始した。

この<旅名人の九州満喫きっぷ>が有難いのは…例えば鹿児島中央駅に到着した後、「鹿児島市内で動こう…」と鹿児島中央駅前停留所に行って路面電車に乗る際、そのまま券を乗務員に提示すれば乗車が出来てしまうということである!!

鹿児島市内に関しては…既に何箇所か「お気に入り!!」な場所も在る。陽が傾きかけた時間帯に鹿児島中央駅に着き、他方で夕食を愉しむには「やや早め?」に感じられる時間帯でもあったことから、路面電車で少々動いた…

<旅名人の九州満喫きっぷ>を手に、鹿児島の路面電車に乗車…“1日乗車券”で乗車する時の要領で、下車時に券を乗務員に提示するだけのことだ…

そうやって動き回り始め、「そろそろ日が沈んだか…」と思いながらいづろ通から電車に乗った…

↓こういう様子が見受けられた…
Tramcars at Kagoshima on OCT 23, 2014 (3)
↑信号停止の間隙にシャッターを…なかなかに気に入った画となった…

乗車していたのは<ユートラムII>という愛称が与えられた7000型…何やら「アニメに登場する○○メカのコックピットを連想するような雰囲気の運転台…」と後部の空いている運転台を眺めていると…後続する電車が接近…黄色い車体の電車は、<ユートラム>の愛称を持つ1000型だ…

7000型<ユートラムII>も、1000型<ユートラム>も低床型の新しい車輛だ。

鹿児島で「新しい低床型車輛を導入」ということになった際、1000型が登場して<ユートラム>という愛称が与えられた。3連接方式で“低床”を実現した車輛だ。

やがて新幹線の部分開業等も在り、鹿児島中央駅前から鹿児島駅前までの天文館地区を抜ける区間を中心に利用者が増え、「1000型は快適な他方、やや狭く、多めな乗客が乗り悪い場面も…」という話しになって来た…そういう時期に登場したのが、<ユートラムII>の愛称が与えられた7000型である。これは1000型と似たような仕組みながら、5連接にすることで車体長を延ばし、その分で乗車可能な乗客数を増やした訳だ。

↓これは鹿児島駅前での画だが、右側が7000型<ユートラムII>だ…
Tramcars at Kagoshima on OCT 23, 2014 (17)

↓これも鹿児島駅前での画だが、左側が1000型<ユートラム>だ…
Tramcars at Kagoshima on OCT 23, 2014 (8)

こうした低床型の新しい車輛…外見が好いばかりではなく、実用面でも優れている。鹿児島では、車椅子の方が単独で電車に乗降している様子を何度か見掛けているのだが、低床型の車輛は「誰でも安心して乗降」出来るのが何と言っても善いと思う。

今般立寄った鹿児島では…残念ながら宿泊施設を取り損なったのだが…それも主な要因と見受けられるのが、路面電車を活かしたまちづくりに関する大きな会議が開催中で、各地の人達が相当数鹿児島入りしていたからだったらしい…そうした意味でも、鹿児島の路面電車は、あの街の未来に在っても一定の役目を担い続けることであろう…

↓鹿児島に到着した日に乗車、または観た路面電車の画を含む、10月23日撮影の画が掲載されたアルバム…
>>Photomatrix - OCT 23, 2015
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白石駅(肥薩線)に停車中の<SL人吉>(2015.10.23)

「10月下旬」を「旅の時季」としたのは…“イベント列車”、“観光列車”として運行される「蒸気機関車が牽引する列車」を観たい、出来れば乗車したいという想いが頭の隅に在ったからである…

<SL人吉>とは、熊本・人吉間で運行されている「蒸気機関車が牽引する列車」である。列車の好評を踏まえて特に用意した3輛の客車の先頭に立つのは、1922(大正11)年製造であるという8620型機関車だ。

この型は「蒸気機関車国産化技術の確立」という意図も込めて1914(大正3)年に登場し、1929(昭和4)年までに672輛が製造されたという。「ハチロク」という愛称が知られる。<SL人吉>の機関車、「58654」も、この「ハチロク」の中の1輛ということになる。

「ハチロク」は日本全国各地で活躍したが、同型の機関車が台湾や樺太でも活躍したことも知られている。

「蒸気機関車が牽引する列車」に関しては、停車駅や走行する沿線で動く姿を視たり、写真を撮るような愉しみ方も在ろうが…私としては「列車に乗車してみたい!!」と考える…殊に「ハチロク」は、「樺太でも走っていた型」なので興味津々だ。「ハチロク」の「動くモノ」は、私が承知する範囲では、京都の<梅小路蒸気機関車館>―現在は<京都鉄道博物館>への改装中で利用不可…―に在った位で、他所では観られないのだ…

そこで…大修理が完成して多くの人で賑わっていた姫路城を観た余韻の中、新幹線で小倉駅に至り、窓口で乗車の可否を尋ねてみたのだった。<SL人吉>の3輛の客車だが、1号車と3号車には展望室、2号車には売店が在ってスペースがやや少なく、そこに対面クロスシートの客席を配しているので、座席はやや少ない…そして全席指定…“満席”が常態化している…ということから「ダメで元々」と思いながら窓口の方に尋ねてみたが…「23日なら」と席が確保出来たのだ!!

前置きが長くなったが、小倉から急いで熊本に移動して泊り、迎えた朝から無事に<SL人吉>乗車を果たすことが出来た…

↓沿線の白石駅で停車している様子の画である…
'SL HITOYOSHI' at Shiroishi Station on OCT 23, 2015 (1)

蒸気機関車は「金属の塊」だが、何か「生命を帯びている」かのようにも見える…黒い煙を吐出しながら、年季の入った建物を擁する駅で一息入れている感だ…

↓煙は、やがて蒸気が多い白いモノに変る…
'SL HITOYOSHI' at Isshochi Station on OCT 23, 2015 (4)

この<SL人吉>に乗車したことは、今般の旅の“白眉”だと思っている。これだけでも相当に多くの写真を撮ってしまったが…順次整理をしたい…

白石駅停車中の画を最初に御紹介することにしたのは…偶々ながら、両者に関係こそ無いものの、札幌にも在る名前の駅である「白石」に親近感が在ることと、黒い煙を吐く様子が「らしい!!」と思えたからである…

↓蒸気機関車「ハチロク」を含む、10月23日撮影の画が掲載されたアルバム…
>>Photomatrix - OCT 23, 2015
posted by Charlie at 10:44| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

関西国際空港駐機場(2015.10.31)

「出掛けたから写真を撮る」のか、「写真を撮るために出掛ける」のかよく判らないのだが…10月21日から出掛けて、11月1日に戻って来た…

この間、10月27日に福岡県内に滞在中、「風雨で行動を阻まれる?」という天候の傾きに出くわしたが、それ以外は行く先々で好天に恵まれ、夥しい数の写真を撮ってしまった…

近年、旅に出る場合、出先でも写真の整理に随時着手し、「特に記憶に留めたい」モノ等を出先からでも随時紹介していたのだが…今般は好天の故に写真枚数が増え、カメラ用SDカードの容量が直ぐに溢れそうになっていたことから、出先では写真整理に可能な限り勤しみ、その御紹介は後回しになってしまっていた…

そうした事情で、漸く各写真の紹介に着手だ…

↓関西国際空港の駐機場である…
Kansai AP on OCT 31, 2015 (3)
↑既に日が落ち、“夜”の時間帯に差し掛かった…登場したB737-700がボーディングブリッジの辺りで出発の準備をしながら待機中である。

駐機場そのものは照明にぼんやりと浮かび上がっているが、滑走路辺りには星が散った夜空のように各種信号灯が点き、りんくうタウンの高層建築や観覧車を含む街の灯りが、“人造島”である空港と街とを隔てる海を挟んで輝いている…

↓「搭乗前に何か飲みたい…」と思い…「私の選択」としては若干珍しいが、缶ビールを選んでみた…
Kansai AP on OCT 31, 2015 (5)

凄まじく“エネルギー”を費やした感の旅だった…様々な想いをビールの泡と共に、身体の中に流し込み、待機中のB737-700に乗って帰路に就いたのだった…

↓10月31日撮影の写真を掲載したアルバム…
>>Photomatrix - OCT 31, 2015

帰路に就いた時の、空港の様子を振出として、順次写真の紹介を手掛けてみたい…
posted by Charlie at 10:32| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

稚内の紅葉(2015.11.03)

「茶代わり」と称して、<高牧の森の水>を沸かし、鹿児島から仕入れた小ぶりなグラスに注ぎ、更に<初メテ藷焼酎ナルモノヲ味ハイマシタ。>を加える…好い“お湯割り”だ!!「休日の朝」ならではな感じである…

少しばかり稚内を離れていた…離れる前の、10月後半に入った辺りで、近所の紅葉を目に留めていた…

この間…「紅葉の様子は?」と不意に思った…幸いにして休日で、天候は非常に好い…少しだけ戸外に出てみた…「近所の紅葉を目に留め…」というような状況だった「10月後半に差し掛かり、第4旬に入って…」という辺りと比べると、戸外の空気は“一段階”は冷たくなった感である…

10月21日辺りに紅葉の様子を眺めた、拙宅極近所の同じ場所に足を向けた…

↓最初に眼に留めた様子がこれ…
NOV 03, 2015 (1)
↑「何や?終わっとるやないか…」と、堺の妙国寺でお話しを聴いたガイドのおじさんの口調が乗り移ったような台詞が口を突いた…

稚内の紅葉は「進行」を既に通り越し、「終わりかけ」という按配になっている…そう思いながら歩を進めた…

↓既に色付いた葉の密度は「スカスカ」になってしまっている…
NOV 03, 2015 (3)

↓未だ、葉が少し多めな箇所は、朝の光で非常に美しい…
NOV 03, 2015 (5)

↓何やら「寂寥感」のようなものも禁じ得ない…
NOV 03, 2015 (9)

こうして紅葉が「終わりかけ」な中、何時しか雪が積もり始める筈である…
posted by Charlie at 10:05| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする