2015年11月30日

暁の稚内港:中央埠頭、北埠頭、北防波堤ドーム(2015.11.30)

昨夕は久し振りに<明治蔵原酒>をお湯割りで少々頂いてみたのだが、夜食に出た居酒屋で一寸長居してしまって、久々に時代劇ドラマに興じてしまった…(『必殺仕事人2015』)そんな翌朝は、久し振りに取寄せたブレンド珈琲の<大阪ストロング>を淹れている…

何となく「久し振り」が多くなっているが…今朝は0℃を挟む程度の気温帯と思われる拙宅前の戸外で様子を伺ってみれば…久し振りに、東寄りに相当する海寄りの空が色付いているのが見えた…一寸だけ歩いてみた…

↓中央埠頭側の空の色が鮮烈な感じになっていた…
Morning on NOV 30, 2015 (2)

↓北埠頭側の空は、些か色調が異なっていた…
Morning on NOV 30, 2015 (4)

↓北防波堤ドーム辺り…水溜りは凍っている…
Morning on NOV 30, 2015 (9)

久々に鮮烈な色彩に触れた感ではあるのだが…寒々しさが増すばかりの昨今だ…
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2015年11月29日

やや少なくなった積雪:稚内駅から稚内港北防波堤ドーム(2015.11.29)

11月20日に、前日から出掛けていた旭川から戻った辺りでは積雪が無く、翌日の11月21日以降は積雪が見受けられる状況だった。11月27日に「雨と雪の“ハイブリッド”」のような妙なモノが降り、雨水で少なからず積雪が洗い流された。多少荒れた感じの天候が11月28日の午前中辺りから穏やかな感じに転じ、穏やかな感じは現在も続いている…

↓日没辺りの時間帯に稚内駅周辺を通り過ぎる…
NOV 29, 2015 (5)
↑「多少湿っている」という感じがする程度で、積雪は見えない…

↓角度を変えると…主にバスが入って来る辺りの縁石の脇に、若干雪が残っているのが判る…
NOV 29, 2015 (3)

↓稚内港北防波堤ドームが見える駐車場辺りに来ると…しつこい水溜りの表面が凍っている…
NOV 29, 2015 (12)

↓車道は雪が消えてしまった感である…
NOV 29, 2015 (9)

こうやって…増えた、減ったが幾分繰り返され、やがて積雪が在ることが常態化する訳だが…こういう時季は変な場所の足下が凍る等、少し歩き難い…
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2015年11月27日

日田駅で見掛けたディーゼルカー(2015.10.27)

日田駅というのは、彦山線が乗入れていて、久大本線の上に在る駅だ。各路線の列車が発着していて、存外に色々な種類の車輛が視られる駅だ…日田から久留米へ移動しようとした際、「やや時間が在る」と思いながらも、「ホームで車輛でも眺めていよう」とホームに出ていたのだが、その僅かな間だけでも何種類ものディーゼルカーを見掛けた。この辺り…非電化区間である…

↓ホームに出て、こういう「鮮やか!!」という光景に出くわした…
Trains at Hita Station on OCT 27, 2015 (5)

右端の赤い車輛…キハ200だ。1991年に初めて登場した型で、近年に至るまで増備されており、九州各地で見受けられる。写真の赤いモノの他、蒼いモノや黄色のモノも在る。地域毎に色分けしているように見受けられる…

真中の白い車輛…キハ47だ。これは1970年代に登場した“40系ファミリー”の車輛である。九州ではJR化以降、この「アイボリーに青ライン」の塗装になっているようだ。長崎方面では、新しいキハ200系が投入されるか、他の種類の車輛が運用されていて見られないようだが、未だ九州各地で見受けられる。停車中の車輛は、日田へやって来た際に利用した彦山線を小倉方向へ進む予定の列車だったようだ…

左端の黄色の車輛…キハ125だ。1993年に製造された車輛で、主に各地のワンマン運行の区間―比率が高まっているように見受けられるが…―で投入されている。佐賀県方面で乗車した記憶が在るが、日田を含む彦山線や久大本線でも活躍しているようだ。この時は、入替の途中で、乗降する場所ではない線路の上に停車していた…

こうして視ると…JR九州を利用する旅に際して「或る程度高い確率で出くわすディーゼルカー」が勢揃いした感だ…

キハ200に関しては、“色違い”は随分と印象が異なるのだが、他に「1輛運行」に対応するように運転台を前後双方に設けたキハ220が在り、キハ220については運転台の上方の形状が少し違うモノも見受けられる…

キハ47…この国鉄時代からの車輛!これから先、どの位活躍し続けるのか判らないが、何か出くわすと少し嬉しくなる…

キハ125は、キハ200やキハ47に比べると、やや出くわす機会が少なめだが、これは少し面白い。“兄弟”とでも呼ぶべく基本設計が同じ車輛が他の鉄道会社でも見受けられる。新潟鐵工所が地方鉄道向けに製造した車輛「NDCシリーズ」というモノらしい。九州では島原鉄道のキハ2500、松浦鉄道のMR-400が見受けられるという。(双方共、利用した経過が在る…)

そういうようなことでディーゼルカーを眺めていると、赤いキハ200がホームを離れて場所を空けた。そしてそのホームに乗客が集まり始めた。「何か列車が来る?」と思って様子を伺っていると…

↓こういう車輛が現れた!!
Trains at Hita Station on OCT 27, 2015 (9)
↑特急<ゆふいんの森>だ!!

<ゆふいんの森>は博多から鳥栖、久留米を経て日田に寄り、大分県内を進んで湯布院、更に大分や別府を結んでいる列車だ。(当然、大分県側から博多を目指す列車も在る…)

所謂“観光列車”として非常に人気が高いと聞く<ゆふいんの森>…「機会が在れば乗車してみたい」というように思ってはいたが…実は間近で視た記憶も無かった…今般、日田でこうやって間近に視られて好かった…

↓<ゆふいんの森>を見送った後…空いたホームに黄色のキハ125が滑り込んで来た…
Trains at Hita Station on OCT 27, 2015 (13)
↑これに乗車して、久留米を目指した…この種の車輛に乗車すると…何となく落ち着く…「短めな編成のディーゼルカー」というのに、近年は馴染んでいるからであろうか?

↓久留米へ向かう途中…<ななつぼしin九州>と擦れ違った…

↑車内で前方に歩み寄り、運転台脇の窓から動画を撮ってみた…そういうことをしていると、運転士さんはさり気なくワイパーを動かし、折から降って来た雨の粒を払い除けてくれた…(ありがとう!!)

考えてみれば…<ななつぼしin九州>も非電化区間を走る場合も在るので、先頭の機関車はディーゼル機関車だった…

日田に立寄り、JR九州が運用するディーゼルカー等「非電化区間で活躍中の車輛」を色々と視ることが出来た…
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2015年11月26日

肥薩線・日豊本線<はやとの風>(2015.10.23)

2004年に九州新幹線が部分開業した際、鹿児島中央・吉松の区間に関して、鹿児島県内等を巡るための列車として新たな特急列車が設定された。それが<はやとの風>であり、これ以降に南九州等で“観光列車”が続々と登場する切っ掛けともなった列車である…

昨2014年の九州訪問で、鹿児島に滞在した後に「佐賀辺りまで北上…」と考えた場面で、この<はやとの風>をルートに組み込んでみた。鹿児島中央から吉松へ北上した…

↓昨年の“北上”での経過を纏めて在った…

>><はやとの風>が停まる嘉例川駅(2014.12.19)

>><はやとの風>が停まる大隅横川駅(2014.12.19)

>><はやとの風>から<しんぺい>に乗り継いだ吉松駅(2014.12.19)

今般は、吉松から鹿児島中央と“南下”してみた訳である…

↓<いさぶろう>が吉松駅に到着して、少し後に<はやとの風>が現れる。2輛で運行だ…<いさぶろう>の吉松駅到着時には「<はやとの風>へお乗換の御客様は、そのままホームで暫く御待ち下さい」という客室乗務員のアナウンスが列車内に流れる…
'Hayato no Kaze' at Yoshimatsu Station on OCT 23, 2015 (1)
↑昨年は、この「少し後に現れる<はやとの風>」で吉松駅に着き、待機して<しんぺい>に看板を替えた<いさぶろう>の車輛に乗込んで北上した。綺麗に逆コースを進む型になった…

↓大隅横川駅では、北上中の列車が待ち合わせをしていた…
Osumi-Yokogawa Station on OCT 23, 2015 (1)
↑<はやとの風>が停車して程無く、列車は北上を再開した…

↓大隅横川駅も、味わい深い建物だ…
Osumi-Yokogawa Station on OCT 23, 2015 (4)

↓南下する場合、駅舎から離れた側のホームに列車は停車する…
'Hayato no Kaze' at Osumi-Yokogawa Station on OCT 23, 2015 (3)
↑この日の蒼空に、漆黒の車体が映える!!この<はやとの風>も、“40系ファミリー”のディーゼルカーを改装した車輛を投入している。

↓「鉄道というものが開通した頃」から「基本的に、ずうっとそのまま」という嘉例川駅…こういう場所で「一寸様子を…」ということも出来るように、5分間程度停車してくれるのは嬉しい!!
DSCN5480_1_2_3_4_tonemapped
↑それにしても…こういう程度の旧さの駅舎が、或る程度綺麗に残るというのも…「多量の積雪」のようなものでの傷みが少ないからであろう等と想像する…

↓「夕刻へ向かって行く」というような雰囲気の時間帯だったが…写真では「空が白くなってしまう」程度に陽射しが強く感じられた…
'Hayato no Kaze' at Kareigawa Station on OCT 23, 2015 (2)

↓やがて列車は、淡々と進んで鹿児島中央駅に至る…漆黒の車体が妙に好い…
'Hayato no Kaze' at Kagoshima Chuo Station on OCT 23, 2015 (3)

最近では…然程縁が在るでもないのにも拘らず、鹿児島中央駅に関しては「何度も乗降していて、何となく馴染み」と思っていて、到着すると「安堵感に似たような何か」を感じることが在る…

この日も、鹿児島中央駅で「安堵感に似た何か」を覚えながら、少しばかり馴染んだ鹿児島でゆっくりとしてみようと街へ出てみたのだった…
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肥薩線 人吉・吉松間 <いさぶろう>(2015.10.23)

肥薩線の人吉・吉松間は、難工事の末、1908(明治41)年に開通した区間である。これに伴って、門司から鹿児島までの九州を縦貫する鉄路が出来上がったことになる…

肥薩線の人吉・吉松間が築かれたという史実には、「門司から鹿児島までの九州を縦貫する鉄路が出来上がった」という歴史的意義が在る訳だが、そこには長いトンネルや、ループ線、スイッチバックというような「山を越えて安全に列車を運行する工夫」が凝らされた区間も見受けられる。そういう鉄路が「敷設されていること自体」を、産業や地域の歴史を伝える財産と見做し、そこを列車で通って体感する“観光列車”というものが運行中である。

人吉・吉松間で最も長いトンネルである<矢岳第一トンネル>には、北側の入口に当時の逓信大臣であった山縣伊三郎の揮毫で「天險若夷」(てんけんじゃくい)という額が、南側には鉄道院総裁だった後藤新平の揮毫で「引重致遠」(いんじゅうちえん)という額が各々埋め込まれている。「天險若夷 引重致遠」で「天下の難所を(トンネルによって)平地であるかのようにした御蔭で、重い貨物を遠くへ運ぶことが出来る」という意味になる。

このトンネルを通ることになる“観光列車”について、「南(吉松駅)から北(人吉駅)へ」の列車は後藤新平がトンネル入口の額を揮毫したことに因んで<しんぺい>という愛称を与えていて、「北(人吉駅)から南(吉松駅)へ」の列車は山縣伊三郎がトンネル入口の額を揮毫したことに因んで<いさぶろう>という愛称が与えられている。

↓この“観光列車”について、2014年に吉松・人吉の区間で乗車してみた経過が在る…

>><しんぺい>が停まる真幸駅(2014.12.19)

>><しんぺい>が停まる矢岳駅(2014.12.19)

↑この時は「南(吉松駅)から北(人吉駅)へ」の列車で、<しんぺい>の愛称であった…これに乗車して以降、勝手に親近感も覚えて、明治・大正期に大活躍した後藤新平に纏わる本を幾分読んでみたということも在った…それも「興味尽きない旅の副産物」の一種ということになろうが…

“前置き”のような話しで文字数が嵩んでしまった…

今般、<SL人吉>で熊本・人吉間を南下出来ることになって、直ぐに思ったのは<いさぶろう>で吉松へ向かい、そのまま<はやとの風>で鹿児島中央に至り、多少馴染んだ鹿児島で「念願の8620型蒸気機関車牽引の<SL人吉>に乗車出来た」ことに関して、ささやかに“祝杯”ということにしたくなった…<いさぶろう>に関しては、混み合う場合も在るようだが、<SL人吉>のように「ダメで元々位の考えで、窓口に行って尋ねる」という程でもない…席は簡単に確保出来た…

↓吉松から人吉へ<しんぺい>として到着した列車が、<いさぶろう>と看板を替えて折り返す…隣のホームには、八代や熊本を経て、豊肥本線を通り、阿蘇を越えて大分県内の各駅を目指す<九州横断特急>が待機している…
Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (4)

↓この時間帯は、ホームの地点毎に「光の当たり方」に差が在り、列車の色の見え方が色々で面白い…
'ISABURO' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (3)
↑この列車は2輛で運行が基本のようだが、この日は増結車が加わって3輛で運行だった。車輛は、かの水戸岡デザイナーの案によるもので、「いさぶろう・しんぺい」と2つの愛称が大書されている。

↓小学生位の頃に乗車した記憶が在る旧い車輛以上に、「懐かしいような古めかしさ」を醸し出している。2004年頃に登場した車輛なのだが…
'ISABURO' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (6)
↑この「いさぶろう・しんぺい」として改装を施して登場したのは2004年だが、本体はもっと以前から活躍の“40系ファミリー”なディーゼルカーである…

↓車内の、私が陣取った辺り…
'ISABURO' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (7)

↓大畑駅周辺の、ループやスイッチバックが組み合わさった鉄路…見え易い辺りで、2分程度停車してくれる…
Around Okoba Station on OCT 23, 2015 (2)
↑難工事で開通したこうした区間…貴重だ!!旅客輸送の実績としては、廃止を余儀なくされてしまった区間よりも少ないらしいが…こういう「財産」を護っている様子に出会える!

↓<いさぶろう>は山間の鉄路を進み、この区間の概ね“最高地点”に相当する矢岳駅に着く…
'ISABURO' at Yatake Station on OCT 23, 2015 (2)

↓この日は、逆光と順光で車輛の色の見え方が随分と異なった…
'ISABURO' at Yatake Station on OCT 23, 2015 (1)
↑昨年は「積雪の見受けられる中」でこの車輛を視たのだったが、今般は「蒼く輝く空と、マダマダ濃い緑」が鮮烈だった…

↓好天が「過ぎた」ためか、遠景が酷く霞んでしまっていたが…この矢岳辺りの車窓は素敵だ!!
Views from train window around Yatake on OCT 23, 2015 (1)
↑ここでも列車は2分間程度停車してくれる…

↓“田の神さぁ”が迎えてくれた真幸駅…
Masaki Station on OCT 23, 2015 (1)

↓真幸駅に停車中の<いさぶろう>である…
'ISABURO' at Masaki Station on OCT 23, 2015 (5)
↑運転台の辺りに“ワンマン”の表示が在る。JR九州では、2輛で運行する列車は、原則的に「運転士のみの体制」で運行しているようだ。(時々、2輛でも車掌が乗務しているのを見掛ける…)<いさぶろう>等に関しては、車掌ではなく客室乗務員が乗務している。“乗客目線”では、客室乗務員も車掌に似たこともしているが…今般、増結で3輛運行だったことから、<いさぶろう>に車掌も乗務していた…

↓やがて列車は吉松に至る…
'Isaburo' at Yoshimatsu Station on OCT 23, 2015 (1)

↓車輛はそのまま<しんぺい>と看板を替え、今度は人吉へ向けて北上する…
'Isaburo' at Yoshimatsu Station on OCT 23, 2015 (4)

“40系ファミリー”なディーゼルカーを視ると、何か「鉄道車輛!!」と強く主張しているように思えて安心出来るのだが…その車輛を鮮やかで、同時に渋い赤系の色に染め、「本当の旧い車輛以上に、古めかしく懐かしい感じがする?」という内装にしたこの車輛による列車…また何度でも出会いたい感じがする!!

因みに…人吉・吉松間は5往復の列車が運行されていて、その中の2往復が<いさぶろう/しんぺい>である…
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2015年11月25日

舞子公園&明石海峡大橋(2015.10.29)

特段に建築に明るい訳でも何でもないのだが…時々見掛ける「大きな橋梁」というようなモノについては、とにかく凄いと思ってしまう。

「大きな橋梁」と言えば…瀬戸内海であろう。「世界の大きな橋梁」というようなランキングに入りそうな巨大なモノが幾つか見受けられる…あれは2010年だったが、思い付いて岡山県の児島に立寄って、瀬戸大橋を眺めてみたことが在った…それを思い立ったのは、西へ向かって列車で移動中、車窓に明石海峡大橋を視たことが切っ掛けだった…

というようなことで、関西辺りから中国地方へ抜ける経路を通過中に、何度か明石海峡大橋を車窓に視た経過は在ったのだが、近くで眺めてみたことは無かった…今般、神戸空港から姫路への移動の途次、車窓に明石海峡大橋を視て「一寸寄りたい」と思ったのだが…姫路に入って姫路城を観る時間が足りなくなるかもしれないと、アッサリ通過した…その後は九州に渡り、広島まで戻って、“帰国”の飛行機を目掛けて関西に行くことになった際…「そうだ!姫路を“関西の起点”にして…」と思い付き、姫路で夜を明かして、早朝から山陽電車で動き始めた次第だった…

↓姫路から神戸三宮を経て大阪の梅田へ向かう列車が通る駅の一つ…神戸市域の西の端辺りに在る舞子公園駅だ。確り「明石海峡大橋まえ」とも駅名表示看板に書かれている…
Maiko Park Station-Sanyo on OCT 29, 2015

この辺りは、山陽電車の線路とJR西日本の線路が概ね並行して敷設されている。山陽電車の舞子公園駅の直ぐ海側にJR西日本の舞子駅が在る。そのJRの駅側に一寸進むと、直ぐに舞子公園が拡がっていて、明石海峡大橋も見える…

↓石碑と素直に呼ぶべきか…「石碑の体裁の看板」と呼ぶべきか…とにかくも<明石海峡大橋>と石に刻まれていて、眼前の巨大な橋梁が一体何なのかを訪れる人達に伝えてくれている…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (2)

↓とにかくも大きな橋で、対岸の橋の反対側は淡路島だそうだ…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (3)

全長は3,911mも在る…“吊り橋”としては、現在「世界最長」なのだそうだ…海の上に設けられた塔は高さが298.3mだという…

「高さ298.3mの構造物」というのは…日本国内でも東京スカイツリー(634.0m)、東京タワー(332.6m)、あべのハルカス(300.0m)に次ぐもので、横浜ランドマークタワー(296.3m)よりも高いということになってしまう…橋を支える構造物として海側に聳え立っているので、「大きいなぁ…」と何となく思う程度だが…あべのハルカスと大差が無い訳だ…

↓因みにこちらは天王寺で見掛けた高さ300mのあべのハルカス(10/31撮影)だが…明石海峡大橋の塔も、塔の足下辺りに近付けば、こういう感じで視える訳だ…
Tennoji area in Osaka on OCT 31, 2015 (9)

↓本州から淡路島へ…巨大な金属の生物でも横たわっているかのように架橋されている…思わず「概ね真下」のような位置から眺めていた…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (6)

この明石海峡大橋が見える辺りの舞子公園は、近隣の皆さんの憩いの場になっている様子で、訪ねた際には未だ“朝”の時間帯だったのだが、愛犬の散歩やジョギングという人達を存外に多く見掛けた。何やら“神戸マラソン2014”というようなロゴが見えるTシャツ―何時頃始まったのかは承知しないが、神戸でも大きなマラソンの催しが毎年在るのであろう…―を着ていた方も在って、所謂“市民ランナー”が練習をするコースにもなっているのだと思った…

↓橋の傍に、少し個性的な外観の建物が見受けられる…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (16)

この建物は<孫文記念館>というものだ。辛亥革命の孫文は日本に亡命して神戸に潜伏した時期が在るという。そうした縁で記念館が神戸に設けられたものである。個性的に視える外観の建物は、神戸在住の華僑が舞子地区に建てていたもので、明石海峡大橋建設に伴う周辺道路や公園の整備に際して現在位置に移築されたようだ…八角形の楼閣は、<移情閣>と言うそうだ。この別荘は、1913年に孫文一行が来日した際に歓迎会を催したという出来事も在ったという由緒が在るらしい…残念ながら…朝に時間帯に立寄り、記念館のオープンの前だったので、中は見学しなかったのだが…

↓「なかなかに好い場所だ…」と暫し眺めていた…
Views at Maiko Park on OCT 29, 2015 (17)

結局、この明石海峡大橋を望む舞子公園に暫く居た後、山陽電車で東へ進み、神戸市内に出た…移動しながら…明石海峡大橋を望む舞子公園を想い起し、「きっと再訪しよう」と考えていた…他方で、何度か「車窓に遠く望む」ということをしていた明石海峡大橋を間近で視られて非常に好かった…
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2015年11月24日

京都御所―「一般公開」に遭遇(2015.10.30)

何処かへ出掛ける場合…「出先で少し変わった催し等をやっている」ということを承知した上で、それを「目掛ける」とか「場合によってそこにも…」と考慮に入れた上で出掛けるという場合も在ろう…が、特段にそうしたことを事前に承知せずに出掛けて、正しく「遭遇」という感じになる場合も在るであろう。

今般、その「事前に催し等を承知せずに出掛け」、正しく「遭遇」という感じになる場合という出来事が在った。京都御所の「一般公開」である…

京都で、思い付いて西本願寺に向かってから島原に寄り、京都駅に出てまた街を動き回ろうとした。何かで「平安京が建設されたような頃の大きな模型が在る資料展示コーナーが在って…」と聞いていて、うろ覚えで最寄駅らしい地下鉄の丸太町駅に行ってみた…うろ覚えで駅に向かい、「とりあえず出口案内でも視れば判るだろうか?」と思って案内を視たのだが、今一つ要領を得なかった…他方…丸太町駅は、嘗ての“御所”に近い辺りで、案内の中に<蛤御門>という文字を見付けた…

<蛤御門>と言えば…<蛤御門の変>という幕末の事件が知られる。長州勢は京都を追われる型になり、“巻き返し”の謀を巡らせるが<池田屋事件>でそれも潰えてしまう。そして長州勢は武装した軍を起こして京都に進撃し、幕府側勢力と武力衝突し、京都の市内や近郊で戦闘が展開した…<蛤御門>はその戦闘の舞台となっている場所である…

幕末辺りに、何かの事件が在った場所として知られているような場所に関して、その場所が綺麗に残っている場合も在るが、「小さな石碑が在るだけ」というような場合も多い…<蛤御門>は「どういう按配だろうか?」と近付いてみた…

↓<蛤御門>は、“門”の体裁を留めて残っていた…
'Hamaguri Gomon' gate of Imperial Palace at Kyoto on OCT 30, 2015 (1)

↓門扉に「鉄砲の弾の痕?」と見受けられる、やや不自然な傷が…
'Hamaguri Gomon' gate of Imperial Palace at Kyoto on OCT 30, 2015 (2)
↑幕末に戦闘が行われたということを静かに伝えるような感じだ…

こういう様子を暫し眺めていると…門の辺りに警備員が配置されていることに気付いた…何となく思う以上に人の出入りも見受けられた。門の奥は、言わば公園になっている筈で、人の出入り自体はどうということもない…しかし!そのうち、タクシーやバスが門を潜って道路に出る光景が見受けられ…しかもそれが断続するようになった…「“禁門”とも呼ばれた、御所へ続く門の一つである<蛤御門>が、“駐車場ゲート”になっているのは、一体どういうことなのだ!?!?」と思い始めた…

やがて、門の辺りに配置されていた警備員と通り掛かった人の会話が聞こえて、「<蛤御門>が、“駐車場ゲート”になっているのは、一体どういうことなのだ!?」の事情が判った…御所の「一般公開」が実施中で、別な入口から敷地の駐車スペースに入れたタクシーやバスは、<蛤御門>を出口に指定されていて、御所の見学を終えた人達を乗せて出て来ていたのだった…

「一般公開」ということは?特段に事前申込をしていたでもないが、見学が可能かもしれない…と考えて入口へ向かってみれば…手荷物検めは在ったが、無料で中を見学することが出来た!!建物に上ることは出来ず、指定の順路を巡って、建物や庭園等の様子が眺められるのである。こういうものは「何時でも」という訳にも行かない…ゆっくりと見学させて頂くこととした。まさしく一般公開に「遭遇」した感である…

↓入口から入って程無く眼に留めたのは、「大正天皇の即位の際に整備」という部分だった…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (13)

京都の御所…天皇陛下の宮殿である訳だが、現在の京都に“平安京”が拓かれて以来、御所は存在した。しかし、火災や自然災害や騒乱で建物が損なわれた経過が非常に多い…

平安時代が進む中、摂関家が大きな発言力を持つ時代や、院政の時代というようになって行くが、次第に“御所”は特定の決まった場所ではなく、天皇の代替わりの都度、或いは在位中でも、有力者の屋敷等を移動していた様子である。“里内裏”と称するそうだ…

14世紀に入り、所謂“室町時代”になってから、御所は「現在の場所」に定まったという。これも“里内裏”と呼ばれたものの一つということになろうが、それでも概ね現在地に固定したようだ…

現在の京都御所は、14世紀前半辺りからの伝統を受継いでいることになるのだが、それ以降も京都で戦乱や火災は多く見受けられ、残念ながら御所の建物も損なわれたり、再建されたりを繰り返している。現在の建物の多くは、明治天皇の前の代、孝明天皇の時代に出来たモノのようだ。

明治天皇が東京に遷った後、御所や周辺は一時荒廃傾向を帯びてしまうが、明治天皇がそれを残念がったことから整備されるようになったのだという。更に、大正天皇や昭和天皇が即位した際には、京都の御所で儀礼が催されているという。殊に大正天皇の即位の際には、一部新築も含めて、建物に随分と手が入った様子だ…

↓御所の主要な建物である<紫宸殿>を囲むように設けられている部分…何か「昔の都…」を想像させるような造りで、これが空の蒼にもよく映えていた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (29)

↓凄く大きな生花が飾られていた。恐らく「一般公開」に合わせて準備したのであろう…見事だった!!
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (24)

↓これが、天皇が公的な祭礼等を行う<紫宸殿>だ…<右近の橘>の側から視た感じ…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (46)

↓<紫宸殿>の真正面から、天皇が着座するとされる辺りを見上げてみる…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (42)
↑確か…この種の場所は「直視しない」のが、昔のマナーだったかもしれないと思いながら、暫くこういう角度で視ていた…

↓何箇所も設けられている門は、菊の御紋が飾られていて、地味なようでいて、華麗な感じがした…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (32)

↓「盛り」には未だ少々早い感じではあったものの、なかなかに美しく紅葉している木々も見受けられた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (38)

↓女官達の人形を配置して、中の様子を紹介している箇所も在った…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (53)

↓大小様々な建物が組み合わさって、内部は少し複雑な様子になっていることを想像させてくれるような様子が見え、少し面白いと思った場所…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (57)

↓庭園が一寸好い感じだと思って眺めていた…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (67)

こういう具合で、色々な建物が配置され、庭も設えられている御所の公開された区画を随分ゆっくり歩いて観て回った。天候も好く、なかなかに好い時間ということになった…

↓京都御所の画を多数含む、10月30日撮影の画を集めたアルバム…
>>Photomatrix - OCT 30, 2015

↓興味深く見学をし、出口から街の道路へ続く側に出ると、こういう看板が在った…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (82)

公開されていた区画では、“宮内庁”という腕章をした係員が居たり、<皇宮警察臨時警備本部>というような札が掛かっている場所が在ったりという様子を眼に留めたが…恐らく、宮内庁や皇宮警察の関係者の皆さんの間では、この「京都御所公開」は年2回の定例的な一大行事で、きっと色々と大変なのであろう等と考えながら、烏丸御池駅の側へ歩いて行ったのだった…

室町時代位から“御所”だった伝統が在る一画ではあるが、より直截的には「幕末の様々な出来事の舞台」だった場所で、見学しながら色々な事が想い起された…その後、御所は明治時代から昭和の初めまでにも色々と使われた場所ということにもなる。

京都御所に関して「見学出来る」というように、事前には全く思っていなかったが、正しく“公開”に“遭遇”してしまった…御蔭で興味深い経験をさせて頂いた…実を言えば、「京都に寄ることが叶えば…こういう場所を訪ねて…」と全く考えていなかったということでもないが、それらを吹き飛ばして「御所の一般公開」で時間を費やしたが…それはそれで善い…一人で好き勝手に動いているのだから、そういう“計画外”も「在り」という型の行動をしてみるのも悪くは無い…
posted by Charlie at 21:31| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

稚内:輝く積雪(2015.11.23)

休日ということになった祝日の月曜日…思い付いて買物にでも出ようとする訳だが…不意に雪が降り始め、またそれが直ぐに上るというような、何となく落ち着かない按配の天候だった…

そういう様子を眺めながら、何となく出てみれば…次第に晴れて来た…

↓未だ分厚い訳でもない積雪だ…
NOV 23, 2015 (6)
↑陽光に積雪が輝く…

↓マダマダ、雪でモノが埋まるというのでもない…
NOV 23, 2015 (9)

↓何か…積雪路面が、青空に浮かぶ白い雲にでも連なっているかのような…そんな気分になる…
NOV 23, 2015 (7)

↓午前中位の間は、白い積雪が綺麗なことが多いのだが…昼頃になれば、多少融ける箇所も見受けられ、そうした箇所が段々に凍る…
NOV 23, 2015 (14)

現在は「少し被った」感じの積雪だが…次第に「覆う」とか「埋まる」という按配になって行くものだ…マダマダ積雪の時季は始まったばかりである…
posted by Charlie at 21:38| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月22日

稚内:雪と氷の季節へ…(2015.11.22)

昨日辺りから、「一寸降って積もった雪が、低温の故に少し残っている」という状況になった様子だ…

↓こういう様子が見受けられた…
NOV 22, 2015 (1)
↑積もった雪が、通行車輌に踏み固められ、車輪の摩擦で表面が少々融け、融けた箇所が凍る…そんな様子が見受けられる…

こういう具合に凍った箇所に関しては…歩く際、履物は何を使っても滑る…「これは明らかに滑り易そうだ…」という代物は避けるという位しか、選択肢は無くなってしまう…

↓こういう時季には、少しばかりの晴れ間が妙に美しく思える…
NOV 22, 2015 (2)

↓足跡を着けてしまった後、何となく振り返りたくなるのが、雪が降った直後にはよく在る…
NOV 22, 2015 (6)

↓中央埠頭へ続く辺り…
NOV 22, 2015 (4)

何か、雪が積もり始める以前とは、辺りの様子が随分と変わってしまったような気がする…雪と氷の季節に踏み込んでしまった…
posted by Charlie at 13:02| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

広島:夕刻の原爆ドーム(2015.10.28)

早朝に到着した広島で1日を過ごし、日が傾いた頃になり、再び原爆ドームの辺りに至った…

↓朝、到着した頃に視た角度から再び原爆ドームを視るが、今度は「建物越しに見える空」が沈み行く太陽の光の影響を受け易い方角になる…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (11)
↑朝は然程気付かなかったが、辺りの木の一部が、存外綺麗に色付いている…

↓逆光気味になり、強い印象を与える“形状”が、半ばシルエットのようになる…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (5)
↑「気になる場所」に関しては、この時のように「敢えて違う時間帯に写真を撮る」というのが好いものだ…

↓飛行機雲なのか、少し不思議な形状の雲も見受けられた…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (14)

↓原爆ドームの足下、芝生になっていた箇所には、存外に落ち葉が目立った…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (22)

辺りのベンチに腰を下ろしてみる等して、少しの間ゆったりと原爆ドームと辺りの様子を眺めていた…

老若男女を問わず、日本人らしい皆さんも、一目で外国の方と判る皆さんも、或いは話していた言葉で外国からの方と察せられた皆さん等、三々五々現れてはこの原爆ドームを見上げ、写真を撮る様子が見受けられた…各々に、原爆の史実や、この原爆ドームがこうしてここに保存されているということへの何らかの想いが在るのであろう…

どうしたものか、辺りで猫の一家を見掛けた…「一家」としたのは、何れも黒っぽい毛の猫で、仔猫も含めて何頭かが辺りをチョロチョロとしていた…或いは、原爆ドームに住み着いているのだろうか?何か不思議な雰囲気が漂う猫の一家だった…

↓西寄りの空が日没頃の色合いに染まり、辺りが少し暗い感じになると、原爆ドームを照らすライトが何時の間にか灯っている…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (28)

往時も現在も、この辺りは「街の真中」だ…“あの日”には、辺りに居合わせた人達は激しい熱と爆風で焼かれてしまったか…或いは近くで重傷を負ってしまったような人達が、川の水を求めて彷徨っていたか…そういう恐るべき事態の現場であった場所だ…そういうことに想いが至りながら、何となく周囲を見回す…現在のこの辺りは、“平和公園”の名のとおり、正しく「平和な都市公園の一画」である…広島を訪れている来訪者も、地元の人も、普通に歩き回り、直ぐ傍の道路は車の量も多く、加えて路面電車も行き交っている。路面電車の直ぐ傍の停留所は、開業以来長く<相生橋>となっていたが、「かの原爆ドームの最寄は?」と余りにも頻繁に尋ねられるというので、1974年以降は<原爆ドーム前>となったのだそうだが…

↓これ位に薄暗くなり掛けていても、辺りを行き交う人は存外に多いままだった…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early evening on OCT 28, 2015 (23)

今般、多少強引かもしれないような感じで「広島の1日」を日程に組み入れたが…善かったと思っている…次が何時になるのか、或いはそもそも次の機会が在るのか否かが判らないが、是非とも広島を再訪したいものだという想いが、時間が経つにつれて湧き上がって来るような気がしている…
posted by Charlie at 05:15| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

モノクロ写真で振り返る5,300km…(2015.10.21-11.01)

現在、自身の“1号機”として愛用しているデジカメは<P7700>で、2013年の秋に入手したモノだ。「佳さそうだ…」と暫く“製品情報”を視ていた或る日、「後継機種<P7800>」の登場が伝わり、両者の仕様を見比べて大きな差が見当たらない気がした他方、価格的には<P7700>が「ガクン…」と下がったので、「好機到来!!」と入手した経過が在った。現在となっては、メーカーのカタログから、この<P7700>の系譜と一目で判る製品は見当たらなくなってしまっている…他メーカーでは、未だ「こういう感じのモノ」は見受けられるのだが…

この<P7700>では、主にカラー写真を「AEブラケット」(適正、アンダー、オーバーと露出を1段階ずつ換えて連写)という設定にして撮影しているのだが…この機種はダイヤルを一寸だけ弄ると、“EFFECT”なるモードになり、<クリエイティブ・モノクローム>と称するモノクロ写真が撮影出来る。同じモノ、同じ場面でも、カラーとモノクロでは出来上がった画の感じが異なって面白い…最近、それが気に入ってしまっていて、カラー撮影の合間に随時モノクロ撮影も行っている…

今般の10月21日から11月1日の旅でも、このモノクロ撮影を行った。かなり大雑把に、「鉄道車輛関係」と「鉄道車輛関係以外」という分類で纏めてみたのだが、総数は500枚を超えてしまった…

カラー写真に関しては、「AEブラケット」で撮った「5枚組」を駆使してHDR画を創り、ブログ上では「ランダムに、思い出すままに」というやり方で、写真に関連する事項を纏めているのだが…「大まかな旅の流れ」は巧く纏まらない…

そこで思い付いたのが、「概ね時系列に、代表的(??)と思われるモノクロ画を取上げて並べる」モノである。これで、「大まかな旅の流れ」を振り返り易くしようと思う…

【10月21日】

↓午後早く、稚内駅から出発…
at Wakkanai Station on OCT 21, 2015 (3)

↓幌延を経て、名寄、旭川、滝川、岩見沢と南下…
at Horonobe Station on OCT 21, 2015 (1)

↓夜遅くに札幌に至り、夜を明かした…
Sapporo on OCT 21, 2015 (1)

【10月22日】

↓早朝から新千歳空港を目指した…
New Chitose AP on OCT 22, 2015 (8)

↓午前中のフライトで神戸空港に到着…
Kobe AP on OCT 22, 2015 (1)

↓ポートライナーで三宮に出た…
at Sannomiya Station on OCT 22, 2015 (3)

↓三宮で地下鉄に乗車し、山陽電車に乗り継いで姫路に至った…
at Himeji Station-Sanyo on OCT 22, 2015  (2)

↓姫路の街を歩き…
Himeji on OCT 22, 2015 (1)

↓“大修理”を終えたばかりの姫路城に至り、見学をした…
Himeji Castle on OCT 22, 2015 (8)

↓全般的な配置、建物という大まかなところから、建物のディーテールに至るまで、ゆっくりと愉しんだ…
Himeji Castle on OCT 22, 2015 (7)

↓日頃は縁が薄い新幹線に乗車してみたくなり、姫路から新幹線の列車に乗車して北九州の小倉に至った…
at Kokura Station on OCT 22, 2015 (1)

↓小倉駅のJR九州の窓口で<SL人吉>の席が取れるか否か、「多分、満席でダメであろう…」と思いながら尋ねてみると…翌日の席を確保出来た!!やや強引に、再度新幹線の列車に乗車して熊本に至った…この日は熊本泊り…
at Kumamoto Station on OCT 22, 2015 (1)

【10月23日】

↓朝から熊本駅へ…
Tramcars at Kumamoto on OCT 23, 2015 (1)

↓熊本駅に、8620型蒸気機関車が牽引する列車、<SL人吉>が登場!!
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (1)

↓<SL人吉>の素敵な客車に乗せて頂いた…
'SL HITOYOSHI' at Kumamoto Station on OCT 23, 2015 (8)

↓熊本を発った<SL人吉>は南下を続けた…
'SL HITOYOSHI' at Isshochi Station on OCT 23, 2015 (2)

↓人吉に到着した…
'SL HITOYOSHI' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (4)

↓人吉から<いさぶろう>に乗車…
'Isaburo' at Hitoyoshi Station on OCT 23, 2015 (2)

↓列車は苦心の末に敷設された山間の鉄路を進む…
View from train 'Isaburo' window on OCT 23, 2015 (1)

↓<いさぶろう>は画の矢岳から山を下って、鹿児島県の吉松まで進んだ…
'Isaburo' at Yatake Station on OCT 23, 2015 (1)

↓吉松で<はやとの風>に乗換えて、鹿児島中央駅に至った…
'Hayato-no-Kaze' at Kagoshima-Chuo Station on OCT 23, 2015 (1)

↓少し「勝手知った」感の鹿児島で過ごす…大きな催事の故に宿が取り悪く…ネットカフェで夜明かしを…
Tramcars at Kagoshima on OCT 23, 2015 (1)

【10月24日】

↓鹿児島では「気に入った風景」を訪ねる等して過ごした…
Kgoshima on OCT 24, 2015 (6)
↑画は、古い石造の橋を移築して保存している、<石橋記念公園>…

↓桜島の眺めが好かった…
Kgoshima on OCT 24, 2015 (18)

↓「実に鹿児島らしい!」感じの看板…
Kgoshima on OCT 24, 2015 (16)

↓鹿児島中央駅に停車中だった新幹線の列車も眺めた…
'Shinkansen' at Kagoshima Chuo Station on OCT 24, 2015 (1)

↓今般は「ザビエル来日」の史実を伝える場所にも寄ってみた…
Kgoshima on OCT 24, 2015 (20)

↓鹿児島から、バスで宮崎へ向かった…
Bus to Miyazaki on OCT 24, 2015 (1)

↓夜、少し遅めになって宮崎に至った…宮崎の宿に連泊した…
Arrival at Miyazaki on OCT 24, 2015

【10月25日】

↓この日は宮崎でゆっくりしていた…
Miyazaki on OCT 25, 2015 (14)

↓街が“エキゾチック”に見えた…
Miyazaki on OCT 25, 2015 (2)

↓宮崎神宮や県立総合博物館を視た後、県庁の建物を眺めた…
Miyazaki on OCT 25, 2015 (18)

【10月26日】

↓宮崎を発ち、日豊本線を北上…美々津に立寄った…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (5)

↓美々津の<日本海軍発祥之地>というのが記憶に残る…
Mimitsu, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (3)

↓美々津から北上し、延岡に向かった…
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (1)

↓延岡城址を訪ねた…
Nobeoka Castle on OCT 26, 2015 (10)

↓大分県側へ向かう普通列車が極端に少なく、延岡駅周辺で少々待った…
Nobeoka, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (9)

↓こんな店で車中用の飲水を仕入れてみたりした・・・
Nobeoka, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (7)

↓待望の、県境を越える列車が延岡駅に登場!
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (2)

↓所謂“秘境駅”というモノであろうか?宮崎・大分県境の区間に在る宗太郎駅で、少々停車時間が在る…
Sotaro Station on OCT 26, 2015

↓大分県側に至り、夜になっている中で、更に北上を続ける…
Beppu Station on OCT 26, 2015

↓大分県内の大神駅で、この日最後の列車に乗り、遅めな時間帯に小倉に至り、小倉のネットカフェで夜明かし…
Oga Station, Oita pref. on OCT 26, 2015 (2)

【10月27日】

↓早朝の小倉駅から出発…
Kokura Station on OCT 27, 2015 (1)

↓彦山線を行き、「夜明」という名の駅を通って日田に至った…
Yoake Station on OCT 27, 2015

↓日田の豆田町で少し過ごした後、久留米を目指した…
Hita Station on OCT 27, 2015 (2)

↓日田駅で、初めて<ゆふいんの森>を間近で視た…
Hita Station on OCT 27, 2015 (3)

↓久留米に至った…駅の通路が凄く立派だった…
Kurume on OCT 27, 2015 (1)

↓久留米の水天宮を訪ねてみた…
Kurume on OCT 27, 2015 (4)

↓久留米から博多に至った…
Hakata Station on OCT 27, 2015 (1)

↓福岡・天神で友人に会い、この日は夜行バスに乗車することに決めた…
Fukuoka on OCT 27, 2015 (2)

↓博多駅傍のターミナルから、広島を目指した…
Fukuoka on OCT 27, 2015 (3)

【10月28日】

↓早朝の広島で…早速に原爆ドームを眺めた…
A-Bomb Dome at Hiroshima on OCT 28, 2015 (3)

↓広島は路面電車が元気一杯に活躍している街でもある…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (1)
↑この日は、路面電車の1日乗車券を手に街を動き回った…

↓『空白の天気図』という本を通じて感心を寄せていた、<江波山気象館>(旧広島地方気象台)を訪ねた。
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (1)

↓明治末年の煉瓦造建築を活かした<郷土資料館>にも立ち寄った…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (2)

↓市内で活躍中の、新旧様々な路面電車に乗車したり、眺めたりしていた…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (8)

↓広島城の眺めが美しかった…
Hiroshima Castle on OCT 28, 2015 (3)

↓日が傾くような頃、この日の出発点だった原爆ドームの辺りに戻った…
A-Bomb Dome at Hiroshima on OCT 28, 2015 (14)

↓今般の旅で3回目の乗車となった新幹線の列車で、姫路へ移動した…
Himeji Station on OCT 28, 2015 (1)

↓姫路駅の新幹線ホームから、姫路城が見えた…
Himeji on OCT 28, 2015 (2)
↑この夜は姫路駅近隣のネットカフェで夜を明かした…

【10月29日】

↓山陽電車で姫路を出発し、舞子公園に立寄り、明石海峡大橋を眺めた…
Kobe on OCT 29, 2015 (5)
↑この舞子公園辺りが、神戸市の西端寄りの地域に相当するらしい…

↓神戸市内を動き回る中、<鉄人28号>とも対面した…
Kobe on OCT 29, 2015 (17)

↓神戸の旧居留地地区を歩き回った…
Kobe on OCT 29, 2015 (20)

↓見学した<神戸市博物館>の階段…嘗て銀行であったという建物を利用したもので、展示も好かったが、建物も面白かった…
Kobe on OCT 29, 2015 (21)

↓街の緑地では、何やら不思議なオブジェを飾っていた…
Kobe on OCT 29, 2015 (22)

↓神戸三宮から、大阪難波を経て、真っ直ぐ奈良へ向かう、阪神・近鉄が直通の列車に乗車して奈良に至った…
Nara on OCT 29, 2015 (23)

↓鹿が多く居る奈良公園を散策…“エゾシカ”を見慣れている眼で公園の鹿を視て「小さい…」と驚いていた…
Nara on OCT 29, 2015 (7)

↓この日は、奈良に押えてあった宿に入り、ゆっくり休んだ…
Nara on OCT 29, 2015 (22)

【10月30日】

↓近鉄奈良駅から、京都へ向かう急行列車に乗車した…
Kintetsu-Nara Station on OCT 30, 2015

↓唐門が美しい西本願寺に立寄り…
Honganji Temple (West or Ryukoku) on OCT 30, 2015 (6)

↓太鼓楼に在った案内を視て、新選組のことを思い出した…
Honganji Temple (West or Ryukoku) on OCT 30, 2015 (4)

↓新選組の面々も寄っていた筈の島原に立寄り…
Shimabara area, Kyoto on OCT 30, 2015 (2)

↓何度視ても、物々しい感じがする京都駅を経由しながら…
Kyoto on OCT 30, 2015 (6)

↓門扉に鉄砲の弾の痕らしきものが見受けられる蛤御門に至った…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (1)

↓蛤御門が「駐車場のゲート」のような様相になっているのを視て、「どういうことなんだ!?」と思ったが…期せずして、「京都御所一般公開」の日だった…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (2)

↓事前に何らかの手続きをしていた訳でもないので、入ることが叶わない場合も在ると思いながら近寄ると…アッサリと、普通に見学出来た…
Kyoto Imperial Palace on OCT 30, 2015 (9)

↓京都から大阪に至り、天王寺の宿に入った…
Osaka on OCT 30, 2015 (10)

↓大阪へ行くと、視たくなる「ジーン・シモンズのブーツ」とも対面を果たした…
Osaka on OCT 30, 2015 (8)

【10月31日】

↓天王寺の宿で朝を迎え、近隣を散策…四天王寺を訪ねた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (2)
↑早朝から、存外に多くの人が訪れている感じに少々驚いた…

↓阪堺の路面電車で、天王寺から南下しながら堺を経て関西空港を目指すこととして動き始めた…
Tramcars of Hankai Tramways Co. on OCT 31, 2015 (2)

↓通天閣の在る新世界に立寄った…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (2)

↓自身を含む「大阪以外の人々」が「大阪!!」と思うような雰囲気に溢れている界隈だと思ったが、ここで頂いた串カツが秀逸だった…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (6)

↓住吉大社訪問には、阪堺の路面電車は非常に便利だ…
Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (2)

↓住吉大社は、4棟の本殿が並ぶ境内に、注連縄が付けられた古木が在って、何か「神社らしい…」雰囲気に溢れている感じがした…
Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (5)

↓七五三のお参りや、結婚式という人達も多く見受けられ、伝統を誇る格式が高い神社である他方、凄く地元の人達に愛されている住吉大社だと感じた…
Sumiyoshi-Taisya Shrine, Osaka on OCT 31, 2015 (13)

↓阪堺でも、最近は低床型の電車が導入された…
Tramcars of Hankai Tramways Co. on OCT 31, 2015 (8)

↓阪堺の沿線で色々と道草し、路面電車を眺めながら南海の堺駅周辺に至った…
Sakai on OCT 31, 2015 (1)

↓堺駅の少し先に、近代以降の港の歴史を伝える明治時代に建設された灯台が在ったことを思い出し、一寸眺めて来た…
Sakai on OCT 31, 2015 (6)

↓堺駅から関西空港を目指した…
Sakai Station on OCT 31, 2015

↓関西空港から“帰国”のフライトへ…
Kansai AP on OCT 31, 2015 (1)

↓新千歳空港に無事に到着し、列車で札幌駅に出て、駅の近隣のネットカフェで夜を明かした…
New Chitose AP Station on OCT 31, 2015

【11月1日】

↓無事に朝の都市間バスに乗車して稚内を目指した…画は羽幌での停車の時のもの…
Bus to Wakkanai at Haboro on NOV 01, 2015
↑バスは順調に進み、予定どおりに稚内へ到着…帰宅した…

日数がやや長いので、少し長大な内容になってしまったが…以上が「大まかな旅の流れ」だ…

↓ここで使用したモノクロの画や、その他のカラーの画は、下記の“コレクション”に纏めてある。表示される“アルバム”をクリックすると、各々の画が並ぶページが開くようになっている…
>>Voyage:2015 OCT-NOV (Kyusyu Area, Kansai Area and Hiroshima)

全く「出掛けるから撮る」のか、「撮りたいから出掛ける」のかよく判らないが、とにかく実に多くのモノを視て、思わず心動くという経験を重ねられるのが「旅に出る」という営みである…マダマダ気分的には“余韻”も強く残っているのだが、それでも「また一寸出掛けてみたい…」と頭の隅で思い始めていることに気付き、思わず苦笑いしてしまう…
posted by Charlie at 18:20| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都:(西)本願寺(2015.10.30)

京都で“本願寺”と言えば2つ在る。何れも“自称”は「本願寺」のようだが、一般には「東本願寺」と「西本願寺」で通っている…

この両者の中、“東”には随分以前に立寄った記憶が在るのだが…“西”は寄った記憶が無い…そこで“西”を訪ねた一件を綴ろうとしているのだが…寺の名称に関して、とりあえず彼らの自称は“本願寺”なので、記事の題名は「(西)本願寺」としてみた…

前夜は奈良の宿に泊り、近鉄の急行列車で京都に移動した。近鉄の駅は、JRの駅と同じ大きな建物―『ガメラ3 邪神覚醒』という映画で、大怪獣ガメラが戦った場所…―に入っている…「京都駅から徒歩圏内」という場所を目指す場合、JRでも近鉄でも大差は無い…

後から気付いたのだが…嘗て島原という地区を訪ねた経過が在ったが、実は(西)本願寺はそこから遠くない辺りに在ったのだった…やや意外に思ったのだが、京都という街は、史跡やら名前が通った寺社が多いので「行ってみれば、知らずに近くに足を運んでいた経過が…」と気付くようなことも多そうだ…

↓立派な門から境内に入るようになっているが、凄く大きな御堂が並んでいる…(東)本願寺の流れや、その他の流れのものも合わせた話しなのかもしれないが、確か浄土真宗は「日本最大の宗派」だった筈で、その大本に相当する寺院だけのことは在る等と思って門を眺めていた…、
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (4)

↓門扉の一部に、なかなか手が込んだ透かし彫りが施された箇所が在った。こういう、大掛かりに見えるモノは、こうしたディーテールが面白い…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (6)

↓敷地の周囲は、何か時代劇に登場する“大名屋敷”とか、小規模な大名の“陣屋”のようなイメージだ。周囲が一寸した濠のような構造になったモノに囲まれている…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (24)
↑偶々だと思う…この日、濠に水は無かったのだが…

↓境内に入ると、大きく判り易い案内図が在る…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (27)
↑この種の案内図…個人的には結構好きである…

↓驚いたのは、この銀杏である…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (32)
↑遠くから見れば「一体、何の木だ?!」という感じである。かなり背も高いが、相当に幅広く、枝が這うように広く拡がっているのである…

↓境内の様々な建物は、永い歴史の中で何度も損なわれたり再建されたりを繰り返している様子だが、この銀杏は相当に長く現在地に留まっている様子だ…そうでもなければ、如何にメンテナンスが行き届いていても、こんなに大きく育つ筈も無い…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (31)
↑銀杏は、近くで火災が在っても生き残る場合が多いと言われる種類の木らしいが…きっとこの木は、本願寺でかの新選組が寝起きしていた時期や、幕末に京都で発生していた騒乱を見詰めていたことであろうし、更に明治から大正に時代が移った際に京都で催された大正天皇即位に関連する催事や、戦時中の緊張した感じや、戦後の街の様子の移ろいをじっと見守っていたことであろう…

↓申し訳ないが…御堂も在り難いのだろうが、何かこの「永い歴史の中で人々と街を見守り続けたであろう巨大な銀杏」にすっかり見入ってしまった…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (34)

↓これが唐門である…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (13)
↑出入りを停めるため、下の方に柵が設けられているが、華麗な飾りは視られる…

本来は、(西)本願寺のメインの御堂である御影堂に通じる辺りに据えられた門であるとのことだが、1618(元和4)年に現在在る辺りに移したのだそうだ…

↓華麗な装飾に眼を奪われ、暫し見入ってしまった…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (14)
↑「1日中眺めて飽きないような華麗さ」という意味で、「日暮門」という異称も在るらしい…

↓門扉に相当する部分に、ここまで華麗な装飾が施されている…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (18)

↓夥しい装飾の一つ一つに、何らかの意味が込められているような感じで、少し驚いてしまう…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (16)

↓こちらは太鼓楼だ…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (9)
↑江戸時代には、ここで太鼓を打って時を告げていたそうだ…

↓この太鼓楼の辺りに掲出された案内板に、新選組に関する言及が在った…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (11)
↑新選組の初期から活動していた島田魁という人物…土方歳三等と共に箱館戦争にも従軍したのだったが、戦後暫く経って京都に住むようになり、晩年は(西)本願寺の夜警の仕事をしていたと伝わっている…そうした言及が在って、本願寺の後には新選組縁の島原を訪ねたのだった…

↓この他、(西)本願寺に関連しては、門前町となっていた辺りに佇む、明治末年(1912年頃)に出来たという伝道院もなかなかに見応えが在る…
Hongan-ji Temple (West or Ryukoku) at Kyoto on OCT 30, 2015 (35)

ここでは、何か銀杏の存在感に圧倒された感である…そして太鼓楼で新選組を思い出した他、華麗な唐門にも驚いた…何か…「見落とし、見逃し」も在ったかもしれない…それでも満足度は高かった。そしてここが「京都駅から一寸歩く」という範囲の名所と判ったのも“収穫”だ。何かで京都に寄ることが在れば、再訪したいものだ…
posted by Charlie at 07:26| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

鹿児島:磯海岸から望む桜島(2015.10.24)

鹿児島市内を動き回る際には、鹿児島市交通局の1日乗車券が心強い味方である。路面電車、路線バスと市営交通に一通り乗車可能であり、加えて市営交通が運営する市内の名所を巡るバス<シティービュー>にも乗車可能である。今般も、その1日乗車券を到着した日の夕刻に用意し、翌日の早朝から、鹿児島から発つ夕刻に至るまで確りと利用させて頂いた…

午前中の間、市街から桜島が見える東寄りの方角に関しては、「北の国の住人」の目線では「殆ど夏?!」というような強い陽射しのため、遠景が見え難い状態が続いていた…実際、「殆ど夏?!」と感じた24℃か25℃という気温で、長袖Tシャツ1枚にジーンズ穿きという出で立ちで動き回っていたのだったが…そうしている間に陽が高くなる昼頃となっていた…そうなると、東寄りの遠景も見易くなる…

そういう具合に考えて、鹿児島中央駅前から<シティービュー>に乗車し、仙巌園に向かった…

仙巌園とは…薩摩・大隅に君臨した島津家が江戸時代に設けた別荘で、磯と呼び習わされる海岸部に在る。眼前の錦江湾を池に、桜島を築山に見立てた庭園が知られる場所である。辺りの海岸から望む桜島が美しい…

その「歴代の島津侯も愛でた桜島の景観」を愉しんでみたくなり…仙巌園前に<シティービュー>で乗り付けた後、「過去2回立寄っているから、今回は…」と仙巌園に入場せず、海岸を目指して歩いた…途中にやや広い駐車スペースも在るコンビニが在る辺りを通り抜ければ、直ぐに海岸だ。鉄道の線路が通っていて、踏切も在るやや交通路が多めな道を渡るので多少は注意を払うべきだが、直ぐに海岸に至る。夏は海水浴を楽しむ人達が大勢やって来る場所らしいが、それ以外の時季にもマリンスポーツに取組む皆さんの活動場所となっているように見受けられる場所だ…

↓桜島が姿をくっきりと見せてくれた!!
View of Sakurajima in afternoon on OCT 24, 2015 (1)
↑遥か昔から、この地方の歴史を見守り続けて来た火山…大正時代の噴火で、大隅半島と地続きになったということではあるが、正しく“島”として洋上に突き出した山である…何処と無く…地元の利尻を思い出してしまわないでもないのだが…

↓ギリギリの水際に歩み寄り、桜島の偉容を撮ってみる…
View of Sakurajima in afternoon on OCT 24, 2015 (5)

↓高い部分の岩肌…何か猛々しい感じだ…そして低い部分の緑が、何か柔かな感じがする…
View of Sakurajima in afternoon on OCT 24, 2015 (3)

暫く眺めてから、街の側へ向かう<シティービュー>に乗車しようと仙巌園前の停留所に向かった。「少々…暑い…」と、額に薄らと浮かんだ汗を長袖Tシャツの袖裾で拭いながら歩き…コンビニで思わずアイスクリームを求めてしまった…この日の25℃というのは…稚内では「正しく夏!!」なのである…翌日になって、稚内では「シーズン初めての降雪」ということが在ったのをしることとなったが…「時季外れの“夏季休暇”」と思いながら旅に出て、出先で「夏?!」という感じになった訳だ…

↓それにしても…「こんな風景を少し眺めてみる」というだけの目的で、遥々訪ねてみても後悔しない!!そんな感じだ…
View of Sakurajima in afternoon on OCT 24, 2015 (9)

この磯海岸から望む桜島も、何度でも出会いたいような「気に入った風景」の一つである…
posted by Charlie at 20:30| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿児島:夜明けの桜島(2015.10.24)

「地元以外」の地域に関して、“関係性”と言えば善いのか、“感じ方”と言うのが妥当なのか、巧く表現し悪い“距離感”というもので区別出来ると思う…

鹿児島に関しては…2011年に初上陸を果たして以降、2012年、2013年に2回、2014年、そして今般と「毎年」のように訪れている…巧く表現し悪いのだが、何処か「居心地の好さ」を感じると同時に、「気に入った風景」が幾つも在り、時々それらに出会ってみたくなるのである…友人に「また鹿児島に寄ってしまって…」と話せば、「半ば“実家”か何かのような頻度で行っていないか?もう“珍しいモノ”も然程無いであろうに…」と笑われてしまった…然程の縁も無い地域ながら、何か「気に入った風景」を何度でも眺めてみたくなるということで、心の“距離感”として「近い!」と勝手に思っているかもしれない。住んでいる稚内からは、かなり遠い地域ではあるのだが…

↓これはその、鹿児島の「気に入った風景」の一つだ…
View of Sakurajima in early morning on OCT 24, 2015 (1)
↑鹿児島港の一隅に相当する辺りから望む桜島である…画は、日が高くなる少し前の時間帯に相当する…

この場所に関しては、2011年に初めて鹿児島に上陸しようとした際、図々しくも鹿児島市役所の観光の御担当にお訪ねして知ったのだった。「路面電車で訪ね易い辺りで、桜島が綺麗に見える場所?」という主旨でお尋ねしたところ、「繁華街の一画を占める“いづろ通”停留所から、地名の由来になった大きな石造の灯篭―“いづろ”とは「石灯籠」が転訛した語である。―が在る方向に向かえば海岸で、<ドルフィンポート>という商業施設が海岸部に在り、その先の緑地は桜島がよく見える」という情報を寄せて頂いた。2011年の初上陸の際に寄り、以降は鹿児島を訪ねる都度に立寄って桜島を仰ぎ見ている…2013年12月に立寄った際には、雨天で雲が垂れ込めていて、然程でもない距離に在る1,117mも高さが在る山ながら、視えなかった…その時以外は、「各々の表情」が視られた…

前日から好天であった。前日夕刻、好天の鹿児島に着いたが、何か「遠景が霞む」ような按配であった。早朝に至ってもそういう様子が続いているように見受けられた…

この<ドルフィンポート>辺りから視る桜島は、鹿児島の市街の東寄りに相当する。朝は、桜島の背後の空が暁色に染まる様が視られる場合も在る…

↓暫く様子を眺めていると、桜島の背後の空は色を変え始めた…
View of Sakurajima in early morning on OCT 24, 2015 (2)

↓山の背後が暁色に燃え始めた…
View of Sakurajima in early morning on OCT 24, 2015 (7)

↓程無く「燃える」感じは落ち着く…
View of Sakurajima in early morning on OCT 24, 2015 (10)

こういうような桜島の様子が見られると、勝手ながら「桜島に到着を歓迎して頂いている」という気分になる…そして何度でもこの風景に触れてみたくなるのだ…
posted by Charlie at 20:16| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広島:朝の原爆ドーム(2015.10.28)

今般の旅では、「天候を司る何か」が私に好意的であった様子で、日程中に1日だけ「雨天に行動を阻まれ…」という感であったが、他は殆ど「好天!」だった…

実は博多駅隣接のバスターミナルで夜行バスに乗車する前…福岡県内で雨だったのだが…JR九州バスの真っ赤な車輛で到着した広島は好天だった…

↓真っ赤な車輛が到着した広島のバスターミナルは、都心部の紙屋町に在る…
The bus has just arrived at Hiroshima on OCT 28, 2015 (1)
↑バスの案内に在った到着予定時刻よりも多少早い到着で、順調な移動だった…

「(広島も)好天に恵まれて好かった」と思いながら、半袖Tシャツの上に長袖のワークシャツでジーンズ穿きというような出で立ちで戸外に出てみると、同じバスに乗って着いたのか、若い男性が直ぐ傍で携帯電話を手に話しながら歩いていた。「めっちゃ寒い」という言葉が聞こえた…「やや冷え込んでいる」と言える状態なのかもしれないが、「夏が完全に過去形」であると感じられるようになっていた場所から行っている私の感覚としては、「陽が高くなって行く前の、やや涼しい状態」と思っていた…

「広島に立寄る」という考え…『空白の天気図』に描かれた気象台を訪ねてみたいということで強く抱くようになったが、他に「原爆ドームの写真を撮りたい」という想いも在った。原爆ドームそのものに関しては、永く「視たい…」と思っていて、2009年に初めて立寄ることが叶い、以降は御無沙汰してしまっていた。当時は、非常に小さいフォーマットで写真を撮っていたので、現在となっては「やや不満…」な感じなので、多少満足度が高い写真を撮りたくなっていたのである…

博多でバスに関してターミナルの窓口で尋ねた際、バスはバスターミナルに着くと判ったが「好都合!」と思っていた。紙屋町に在るので、原爆ドームが近いのだ…

↓明るくなって来た空に、原爆ドームの姿が浮かぶ…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (4)
↑建物越しに消え行こうとする月が見えた…この画の方角が、西寄りの空を望む方角だと判った…

↓こういう様子を視て、「初めて原爆ドームを視た時に感じたこと」を思い返していた…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (5)
↑初めて視た時、「存外に小さい?」と思ったのだったが…それも無理からぬことで、ドーム状の丸い屋根は「建物の真中辺り」に相当し、1915(大正4)年の竣工後に<広島県物産陳列館>として開館して、原爆投下当時は<広島県産業奨励館>と呼ばれていた建物は、ドーム状の屋根を頂いた部分の両脇に構造物が存在していたのである。「ほぼ真上」からの強烈な爆風で、両脇の構造物が粉砕されてしまい、「建物の“3分の1”か“4分の1”」というような部分が残っているので「小さい?」と思えた訳だ…

↓川の側、西寄りに回り込むと、少しずつ明るくなる東寄りの空が背景になる…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (6)
↑こういう色合い…何か“寂寥感”のようなものを強く感じる…

↓この原爆ドームに近い橋が、原爆投下時の目標地点の目安にされたらしいが、そんな橋の側から原爆ドームを望んでみる…
A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (9)

やがて、橋の辺りを少し歩き、やや遠ざかる原爆ドームを眺めながら…「早朝は、とりあえず珈琲を…」とコンビニで珈琲を求めて頂いた…

↓そしてこんな光景に出くわした…
An old tramcar with A-Bomb Dome at Hiroshima in early morning on OCT 28, 2015 (1)
↑原爆ドームを背景に、年季の入った路面電車…“広島”と聞くと想い起すようなイメージかもしれない…

1950年代に入った頃には、ここは「原爆ドーム」が通称になっていたようだが…平和公園の整備も進められ、1960年代に入って、被曝が原因の病に侵された少女が「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろうか」等と書き遺したことを切っ掛けに保存されることになったという原爆ドームである…人類の歴史というものは、或いは「戦争の連続」なのかもしれないが、原爆というのはそうした歴史の中でも「最も惨憺たる記憶」ということになるであろうか…そんなことを想いながらこれを見詰め、この日は例の気象台の建物を見学に行ったのだった…
posted by Charlie at 08:05| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

広島:赤煉瓦造の建物が渋い<郷土資料館>(2015.10.28)

広島での午前中は江波山に向かった。広島駅辺りから視て南西側になる江波山に対して、南東側には宇品地区、広島港が在り、そちら側にも路面電車の路線が延びている。<江波山気象館>を見学する等した後、路面電車を乗り継いで、宇品地区へ足を延ばしてみた…

宇品地区というのは、明治時代から港として軍民に利用された経過が在る地区で、広島の発展を支えていた側面が在る。殊に日清戦争の頃には、折良く山陽線が広島まで延伸された直後であって、他地域との間を鉄道で結ぶ他方で、宇品の港から戦地となった中国大陸との間を往来するということになり、広島に“大本営”も開かれて明治天皇が広島入りしたということまで在ったのだった…そうした経過から、広島に関しては“軍都”という呼ばれ方も在ったようである…

宇品地区に路面電車で至ってみれば、「少しだけ都心から離れた」という風情で、住宅街が広がる中にオフィスや商店等が散在しているような雰囲気だった…そういう中を歩き回り、ソースの芳香に惹かれて“お好み焼き”で腹ごしらえもしながら、<郷土資料館>という場所を目指してみた…

↓この日の青空の下に、赤煉瓦の建物がなかなかに映える!!
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (1)
↑これが<郷土資料館>である…

↓古い建物を整備して利用している資料館であることが判る…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (3)
↑建物そのものは、1911(明治44)年に登場したモノが基礎になっている。ここは陸軍の“糧秣支廠”と呼ばれた施設だった…

“糧秣支廠”というのは、兵士の食料である“糧”と軍馬の餌である“秣”を調達・製造し、部隊に送り込むことがその役目という軍関係施設である。より詳しく言えば、この赤煉瓦の建物は缶詰工場として使われた建物の一部であるという。往時は近くのグランド辺りまでのもっと広い敷地が“糧秣支廠”となっていて、缶詰に加工していた食肉を処理する場所まで在ったという…この建物は原爆を乗り越えた建物であるというが、一部の鉄筋に、爆風の衝撃による傷みの痕跡が残っているという…戦渦が著しい広島に在っては、明治期から昭和初期の建築は、他地域と比べて殊更に貴重な存在という一面が在るのだと想像する。そうしたことで、この建物は<郷土資料館>として整備され、街の歴史を学ぶ場とされているのであろう…

↓明治末年頃の煉瓦の積み方を伝えるという壁である…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (10)

資料館としては、正しく「街の歴史を学ぶ」という趣で、市内の小学校の見学グループが丁度館内に居合わせた。説明員が港が整備された経過や、古い道具が在る場所で昭和30年代頃までの生活の様子等を説明していた。<江波山気象館>で見掛けた小学生は、何やら歓声を上げていたが、こちらで見掛けた小学生は真面目に説明員の御話しに耳を傾けている様子だった…

常設展示の中では…申し訳ないが「殊更に関心を湧き起こすモノ」は少な目であったが、驚いたのは、缶詰の缶の代用品として用いられたと伝えられる陶器製の容器であった…硝子ケースに収まって、写真撮影はし悪い代物だった…正しく「大きめな湯呑みのような容器に蓋が付く」という雰囲気の陶製容器で、湯呑みか何かのような部分に「缶詰の中身」に相当するモノを詰めて蓋をしたのであろう…「戦時中の話し」として、“金属供出”と言って、寺院の釣鐘や公園の銅像から、子ども達が学校等に持参する弁当箱に至るまで、方々の金属製品を集めたという話しを聞いた―“弁当箱”で航空機や軍用車輌が出来る筈もなく…古びた釣鐘を鋳潰して、何が出来るのか?!何か「凄く妙な話し」と感じる…―記憶が在る…更に、この資料館の前に立寄った<江波山気象館>で、1939(昭和14)年頃から鉄筋コンクリート建築は「金属資材の調達難」で廃れたようになってしまったことから、1934(昭和9)年竣工の気象台は、「戦前の鉄筋コンクリート建築としては“末期”なモノ」という解説に触れたばかりでも在った…そういうことは聞いているにせよ、「軍で用いる缶詰」に至るまで、「金属の利用制限」が在ったとは…率直に驚いてしまった…

↓開催中だった“企画展”が、なかなかに興味深かった…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (11)
↑これは広島市が市内の個人から寄贈を受けた資料を中心に展示したもので、士官として出征した日中戦争で戦死した方が残したものや、関連事項の紹介という展示で「戦禍や身近な人の戦死が身近だった時代」を語ろうとするような企画だった…多少の語弊を怖れずに言えば「少し洗練された、戦時の歴史の見せ方」のようにさえ思った…

“H氏”とされていた方…この展示の“主人公”ということになる方だが…広島で育ち、京都の同志社で学んでから広島に戻って活躍し、士官として出征して戦死したということだが…少年期の学校のことを挙げながら、当時の教育や学校のことを紹介し…彼が打ち込んでいて、広島でも競技普及に尽力していたというラグビー―彼が学んだ同志社と言えば…今でも関西の学生ラグビーのチームとしては「伝統を誇る名門チーム」として有名だ…―の様子など、現在も一定の人気を持っているスポーツが普及していたという時代を紹介し…様々な書簡等から、中国地方各地に展開していた軍の部隊のことや、入隊した人達の様子や周囲の人々の様子を紹介し…広島で同じ学校に学んでいた経過が在って、顔見知りであったという軍医に看取られて戦地で最期を迎えた経過や、軍の士官としての“H氏”が遺した制服や身近な装備品等が紹介されていた…「昭和20年頃まで」という、場合によっては「やや遠い」ものにも感じられる“時代”が「かなり身近に迫って来る」ような感じの展示だった…未だ暫くはこの企画展をやっているらしいので、近くにお住まいの方や、広島を訪ねて多少の時間が在る方にはお奨めしたい感だ…

↓好天に恵まれたこの日…敷地の樹木が凄く鮮やかに見えたことが、何となく記憶に残る…
Hiroshima City Museum of History and Traditional Crafts on OCT 28, 2015 (7)

今般は<江波山気象館>と合わせ、街の歴史を語る建物を利用した<郷土資料館>に立寄ることが叶った。非常に善かったと思う…
posted by Charlie at 18:44| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大阪:串カツを頂いた“新世界”(2015.10.31)

“帰国”のフライトの前夜、大阪の天王寺の宿に泊まった。夕刻のフライトまでの時間は、阪堺の路面電車の1日乗車券を手に、沿線でゆったり過ごそうと考えた…

阪堺の路面電車そのものは2010年12月に乗車した経過が在った。が、堺市内から天王寺駅前に至る部分を乗車したのみで、住吉から枝分かれして恵美須町に至る路線には乗車していない…そこで、天王寺駅前から住吉に出て、乗換えて恵美須町に向かってみた…

↓恵美須町の停留所に阪堺の路面電車が着いた…背後に通天閣の頂上部が僅かに覗く…
Tramcars at Ebisucho Stop on OCT 31, 2015 (2)
↑ここは“新世界”と命名された地区の一画を占める場所でもある…

この辺りは1903(明治36)年に開催された第5回内国勧業博覧会を契機に市街化が進んだのだという。博覧会後も鉄道の開通等で往来が盛んになり、元会場の東側が<天王寺公園>として整備され、西側が「大阪の新名所」という触込みで「新世界」と命名され1912(明治45)年に登場し、通天閣等が開業したのだという…

新世界は大阪の発展の中で浮き沈みが色々と在った。通天閣は戦時中に解体され、戦後に現在の姿で復活している。永く低迷した感であった地区だが、1990年代辺りから「古き良き昭和」なイメージが好意的に評価され、2000年代に入って色々な飲食店の進出も相次ぎ、現在ではなかなかに賑わっている。或いは、大阪以外の地域の人達にとって、「典型的な大阪の感じ?」と受け止められるのが、この新世界の周辺になるのかもしれない…

↓通天閣を望む商店街を歩いてみる…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (4)
↑辺りは、通天閣を中心にして放射状に街が拡がっているようなイメージも受けた…

↓歩道には高い屋根が掛かってアーケード街になっているが、屋根の下にこんなバナーが在った…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (3)
↑「愉しくて、温かい町」というキャッチフレーズが好い。そして、ほのぼのした感じのイラストが凄くキャッチフレーズに合っている…

↓残念ながら見受けられる、好ましくない行為を諌める掲示が在るのだが…「あかんで」というのを視て、何か近隣の方の話し口調を思い浮かべてしまった…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (14)

↓漫画『きん肉マン』に登場の超人“ロビンマスク”…「通天閣の警備員になったのか?」と笑ってしまった…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (7)
↑こういう奇抜なモノが置かれていても、それが妙に様になる、不思議な雰囲気の地区だ…

↓アーケードの商店街と逆側に行くと、華々しい看板が乱舞する飲食店街だ…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (9)
↑こんな「フグ料理の大きな看板と通天閣の画」というのが、他地域の人達にとっての「大阪!!」というイメージかもしれない…

↓場所によっては「派手過ぎ…」と批判されてしまいそうだが…こういう「真っ赤!!」が妙に似合うような気がする地区だ…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (11)

↓人気メニューの串カツを売る店が多く見受けられた。“○○店”という具合になっている場所が多かったが、恐らく大阪市内や近郊等で何店舗か営んでいる会社が運営しているのだろう…「朝食に遅過ぎ、昼食にやや早い」という時間帯で、未だ串カツの店も然程混み合っては居なかった…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (12)
↑画の右下にビリケン (Billiken)像が在る…方々に在ったが、これは通天閣の展望室に置かれているというモノのレプリカであろう…人気のキャラクターのようだ…

↓串カツを頂いてみた!!
'KUSHI-KATSU' at Osaka on OCT 31, 2015 (1)
↑確か…右から牛、豚、ししゃも、うずら、ささ身…だったと記憶するが、何れも好かった!!

串カツ店の店員さん…上記の串カツをお願いすると、材料を串に刺してあるモノを順次取り出し、手早く粉を付けて素早く揚げてくれる…そして揚げ物を揚げた時に使う小型のバットに載せてカウンターの席に出て来た。付け合せにキャベツも出る…

「ビールより、多少割安か?」と思って頼んだ日本酒を頂きながら、順次この串カツを頂く…比較的有名な「ソースの二度付けは禁止やで…」のマナーを守り、カウンター上のソースをたっぷりと1回付けてサクサクと頂いた。ソースは、市販の何かのソース単体ではなく「多分、何種類かの調味料を交ぜている?」と思えるような味だった。そしてそれが串カツに合う!

「やや早めのランチ」ということで、日本酒を冷で啜りながら熱い串カツということをしたが…何か「大阪の休日」という、好い気分で一時を過ごした…

↓「先へ進もう…」と、「やや名残惜しい」という気分で、新世界を後に…
'Shin-Sekai' area, Osaka on OCT 31, 2015 (1)
↑見上げた通天閣が「また、来てや…」と微笑みかけてくれたような気もした…

この“新世界”での写真は「大阪の想い出」という雰囲気で、何れも気に入っているのだが…「次の機会」が在れば、少し違う時間帯に訪れてみたいという気がする…更に…是非とも「次の機会」を設けてみたい感である…
posted by Charlie at 17:57| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

延岡:徐福の像(2015.10.26)

九州の東海岸を、概ね海岸線に沿って南北に延びる日豊本線を普通列車で移動しようとする場合、宮崎県と大分県の境界を越える延岡・佐伯間が、言わば“ボトルネック”である。普通列車は「1日3往復」で、朝の早めな時間帯の後は夕刻まで運行が無い…この区間は、宮崎県内各地と大分県内各地とを結ぶ特急列車が盛んに運行されていて、それを利用するのが一般的と見受けられる状況ではある…

そうした状況なので、「宮崎から小倉へ北上」という企図で動く場合、延岡から佐伯に向かう列車が発車する少し前に延岡入りするのでもない限り、延岡で些かの時間を過ごすこととなる。そこで今般、延岡での道草ということにしてみた。

天候に恵まれた中、宮崎を発って美々津に立寄ってから延岡に着いた。延岡では延岡城址を訪ね、近隣を少し歩いた。「ランチに遅く、ディナーに早い」という中途半端な時間帯に差し掛かってしまい、ゆったりと食事を愉しむという感じでもなかったが…延岡駅周辺を動き回り、結果的には移動の車中で飲む水をスーパーで求めるなどしていたが…然程賑やかでもない商店街を動き回っていた…

↓商店街の一画に不思議なモノを見付けた…
Nobeoka, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (7)
↑「古代中国の貴人??」というような雰囲気だ…

これは延岡に伝わる言い伝えに因むものなのだという…

↓これを視て「古代中国の貴人??」と思ったのは、長崎の孔子廟で、孔子の弟子達であるという、こういうような衣装の人物像を視たからなのだが…これは徐福という人物だ…秦の始皇帝の時代の人物である…
Nobeoka, Miyazaki pref. on OCT 26, 2015 (6)
↑武将というようなタイプではなく、学者という感じの人物だ…

徐福は紀元前219年に、始皇帝が求める不老長寿の仙薬を求める旅に出て、海路で当方の蓬莱山に辿り着いたという…その“蓬莱山”が、延岡では市内の今山に比定されていて、徐福の一行が色々な知識を伝えたとされているのだそうだ…

徐福の“徐”は「スロー」で、“福”は「ハッピー」である。「ゆったりと幸せな人生を…」というイメージになるであろうか…そして徐福は「薬の神」、「健康・長寿の神」でもあるという。そこで延岡の商店街で、「健康で快適な暮らしのお手伝いをする商店街」を標榜し、そのシンボルとして徐福の像を設置したのだそうだ…

徐福に関しては、日本国内各地で様々な伝承も在るようだ…そんなものの一つに、思いも掛けずに触れる結果となった…

宮崎県内では、この延岡の徐福に加えて、美々津の神武天皇の伝承にも触れたが…何か宮崎県に関して、「伝説に彩られた日向の地」というイメージを抱くようになった…
posted by Charlie at 06:48| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宮崎県庁(2015.10.25)

土曜日夜と日曜日夜に宮崎で2泊ということにした当初、「日曜日は宮崎を起点に何処かへ出掛けようか?」とも考えていたが…結局、「宮崎でゆっくりしようか…」ということにした…

宮崎神宮、宮崎県立総合博物館を訪ね、宮崎神宮駅から宮崎駅へ列車で移動し、比較的静かな宮崎市内を歩き始めて思い付いたのは、何かで写真や映像を視た宮崎県庁を眺めに行ってみるということだった…

街の中の案内表示に従い、橘通から「県庁前の道」に入り込んだ…

↓率直に驚いた…大きな楠の並木だが、枝が大きく伸びて「道路に屋根?」というような具合になっている…
Around Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (1)

↓並木道の左側でも右側でも、とにかく見事な並木に驚く…
Around Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (3)
↑この辺りは、木が大きく立派に育つような気候条件なのか?

聞けば、幅が30mの通で、約650mが樹齢百数十年の楠の並木になっているのだそうだ…

↓やがて県庁の建物が見える…
Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (9)

↓「温暖な地域ならでは」な感じがする植物が建物の周りに植えられている…
Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (1)
↑私の目線では「異国情緒」というようにさえ見えた…

この県庁舎本館は、1932年に竣工したものであるという。2008年には宮崎市が“景観重要建造物”に指定したものだそうだ…

↓いずれにしても見栄えがする…
Miyazaki pref. gov. on OCT 25, 2015 (3)

この日は、県庁が通常の業務を休む日曜日で、周辺は非常に静かであった…休暇の最中にゆったりと散策するには、この日の好天と相俟って好適であったが…
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2015年11月15日

広島の路面電車:広島港停留所に停車中の5100型(2015.10.28)

広島と言えば、“市民球団”のカープが在るが…

↓そのカープのロゴが入った路面電車が現れた…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (12)
↑四国や離島への各種客船が発着するターミナルに隣接して設けられている、広島港停留所で、こうした各種車輛が発着する様子を暫く眺めていた…

カープのロゴが入った車輛を視て「当地らしい…」と思う他方、随分と大きな、他地域では見掛けないような種類の車輛だと思った。

↓これはカープのロゴが入った車輛と別の同型車輛だが、こちらには都市間バスの広告が貼られていた…
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (6)
↑これはカープのロゴが入った車輛と逆の向きから視た様子である。

広島港停留所では、奥側に入った車輛は「回送」という表示にしてあって、手前に入った方の車輛が先に出発し、奥側の車輛は少し後に出発していた。そしてこの広島港に着くと、乗務員は近くに設けられていると見受けられる待機所に下がり、出発に合わせて乗務員がやって来て、乗込んで乗客を乗せて発車する…

↓隣りに停車中の700型と比べると、特徴的な風貌が際立つ感だが、この5100型は低床型の車輛である。
Tramcars at Hiroshima Port on OCT 28, 2015 (8)
↑5100型は低床型で5連接になっていて長大な車輛だ…3つの台車に、5つの車体が載る構造である…

この型は2004年に初登場した後、2005年から2008年に製造配備されたもので、現在は10編成が活躍中だ。Green mover max(グリーンムーバーマックス)という愛称が与えられている。全長は30mに及ぶという…

「ULTIMATE(アルティメート)究極の+URBAN(アーバン)都会的+USER FRIENDLY(ユーザーフレンドリー)お客様にやさしい」の「U3」を標榜し、国内の車輛メーカーと広島電鉄が開発した車輛である。広島電鉄では1999年に、ドイツのメーカーによる<コンビーノ>というシリーズの低床型路面電車を5000型として導入していた。それが好評であったことを受け、国内メーカーでも低床型電車を製造する機運が盛り上がり、「<コンビーノ>に改良を加えた新しい車輛」を目指して5100型の開発が手掛けられたのだという。

この型の車輛は、市内の路面電車区間に加えて、宮島まで延びる専用軌道も走る。そしてこの車輛は、運転士に加えて車掌が乗務している。ハッキリ言えば、長大な車輛なので、後ろの方は運転台からでは眼が届かないからであろう…広島では、低床型の以前から、車長が長い連接型の車輛が運行されている…

こういうような、「本当に欧州風な車輛」という路面電車…広島でしか視られない…
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2015年11月14日

広島:<江波山気象館>(旧広島地方気象台)(2015.10.28)

江波山(えばやま)というのは、広島の街の南西寄りに在る小高い山で、辺りは住宅街という趣で、周辺に公園も整備されているようだ。広島駅前から紙屋町を経て、江波山の麓辺りの江波へ向かう路面電車の路線も在る。

この江波山に気象台が設けられていた。1934(昭和9)年に建物が竣工して気象台が江波山に立地した。1987(昭和62)年に気象台は市内の合同庁舎に移転し、建物が江波山に残り、広島市が管理する博物館<江波山気象館>となった…

この建物の存在を知ったのは、『空白の天気図』という本を通じてである…

「1934年から1987年」という稼動期間を視てお気付きであろうが、原爆の1945(昭和20)年8月6日にも、この気象台の建物、勤務していた人々は原爆投下の惨禍を見詰め続けていたのである…原爆の爆心地から概ね3.7kmという直線距離が在るこの気象台だが、爆風による被害は免れず、建物の一部が被害を受け、内部に置かれていた様々なモノが壊れて負傷者も多く、観測機器も損なわれた。それでも、気象台では動ける関係者が活動を続け、使える機器を使って観測が続けられていた…

そういう「凄まじい経過だ…」と思った話しだったのだが、その時の建物が残っていて、博物館になっていて自由に訪ねられることを知り、「是非とも立寄ってみたい」と思うようになっていた。爾来2年余りになるが、漸く願いを叶えた次第である…

↓路面電車の江波停留所の辺りの電車庫を眺めながら少し歩き、山頂を平らにして建物が在る辺りへ通じる階段を視付けた…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (3)
↑歩き回って、こういう通路を視付けながら目的地を目指してみるというのが、意外に愉しい…半袖Tシャツの上に長袖シャツという程度の出で立ちで丁度好いような気温帯で、好天だったので街を歩き回るのが心地好かった…

↓現在となっては、高速道路が近くに通っていて、随分と拓けた住宅街のように見える一帯だが…恐らく昭和前半辺りには「街の端の方」というイメージだったのではないか?そんな場所の、山の上に立てた気象台というので、もっと小さなモノを想像していたが、存外に大きかった…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (4)
↑正面入口から入り、入場券(100円)の販売機が在って、中に入るようになっている…

↓昭和の初め頃の鉄筋コンクリート建築…重厚な雰囲気が漂う…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (5)
↑昭和に入る辺りまでに、鉄筋コンクリート建築は盛んになったようだが、1939(昭和14)年頃を境に「鉄筋の調達難」という傾向が見受けられるようになったらしく、例が少なくなってしまった…この気象台は「戦前の鉄筋コンクリート建築の末期」というような按配の建物ということになる…

↓被爆の際、凄まじい爆風で窓や、屋内の書棚等の硝子の多くが割れて砕け散り、それによる負傷が多く発生したそうだが、金属性の窓枠の一部は歪んでしまったという…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (6)
↑この爆心地方向を向いているという窓枠は歪んでしまい、戦争が落ち着いた頃になって硝子が嵌められるように関係者が修理をしたものだという…

↓この辺りが、爆風をまともに受けたと見受けられる辺りだという…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (10)
↑<気象館>として整備保全の工事をした際、この「被爆の痕跡」が窺える壁面は、敢えてその痕跡を遺したという…

館内は、被爆の経過も含めた『空白の天気図』に描かれた時代のことを伝える展示や、ビデオ上映が在って非常に興味深い。他方、ここは「気象の不思議」に関して子ども達が学ぶ施設である。小学校の学校行事と見受けられるグループが幾つか来ていて、気象関係の一寸したアトラクションのような展示で歓声が上っていて、なかなかに賑やかだった…

『空白の天気図』に描かれているのは、原爆の時の様子や、同じ年に発生した“枕崎台風”の辺りの必死の観測活動のことだ。原爆の爆風を受けてしまった時には、負傷者を必死に助けようとする人達の声が廊下に響いたことであろう。“枕崎台風”の時には、戦争の後遺症で通信状態が悪い中、警報を巧く伝えられないことに苦悩する関係者が必死に観測する姿が視られ、山の木を伐採し尽したこと等で土砂崩れが多発して死傷者がどんどん発生する様に眉を顰めた人達が駆け回っていたことであろう…そういう「悲壮な現場」に「子ども達の歓声」である…或いは、こういう平和が尊いと強く思った…

↓小高くなった辺りの建物の屋上は、なかなかに見晴らしが好い…
Ebayama Museum of Meteorology at Hiroshima on OCT 28, 2015 (9)
↑この方角が“爆心地”側らしい…かなり大きなビルも点在する、正しく広島の都心部として大きく発展している様子が窺える…

私自身を含め、他地域の人達の間では“被爆建物”であり、同時にその頃に凄まじいドラマが展開されていた舞台であるこの<江波山気象館>(旧広島地方気象台)は、然程知名度が高くはないと思う。しかし、ここは「静かな歴史の証言者」というような感の場所で、なかなかに尊い訪問先だ…辺りも好天時には好い散策コースとなる場所だ…加えて、江波の電車庫の在る辺りに路面電車で訪ねてみるというのも愉しい…

広島が、何となく「頭の隅に引っ掛かる」というように感じられるようになった切っ掛けは、この江波山の旧気象台な訳だが…

↓切っ掛けとなった本の感想を綴ってあったので、リンクをこちらに掲載しておく…
>>『空白の天気図』
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早朝の稚内港:中央埠頭から北埠頭(2015.11.14)

休日である土曜日の朝を迎えている…と言って、何ら特別な訳でもない…前夜は、平日同様の時間帯に休み、起き出してみても平日同様な時間帯であった…

点けたり、消したりで暖房を調整し、室内では何となく「心地好い感じ」を模索している感だ…戸外は少々肌寒い…風はやや弱く、戸外がキツいという程でもないと思う…

早朝…寧ろ薄暗い感じがしたのだが…多めな雲が低い空で僅かに切れ、少し不思議な空模様が見受けられた…

↓中央埠頭辺り…
NOV 14, 2015 (14)
↑雲が切れている辺りが非常に朝やかな色合いになっている…そしてそれが海にも映り込んでいる…

↓待機中のフェリーは、出航の支度をしている様子だ…
NOV 14, 2015 (13)

↓北埠頭側を視ると、今朝は巡視船が1隻停泊中だ…
NOV 14, 2015 (7)

↓今朝は不思議な感じの光になっている…
NOV 14, 2015 (10)

港の様子を少々伺い、写真を撮り、それを整理しながら<キリマンジャロ>を淹れる…平日と何ら変わらない感じで時間を過ごしている…
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大阪:四天王寺(2015.10.31)

↓2012年12月15日撮影の画である…
Shitennoji-Temple, Osaka on DEC 15, 2012 (6)
↑雨交じりの早朝に撮った画だった…

この2012年12月の状況…夜のフライトで関西空港に着き、北海道内でも使っていた<青春18きっぷ>が未だ有効なので、関西空港駅から天王寺駅へ移動し、「これ以上先に進むと“終電”が絡まる時間帯で、移動継続困難…」と考えられたので天王寺のネットカフェで夜を明かし、迎えた朝に四天王寺を訪ねてみたという場面だった…直ぐに雨が降り出し、やがて雨が強くなる一方で、地下鉄の駅に向かい、地下鉄で新大阪駅へ移動してから、新幹線で九州を目指したのだった…

今般、確りと事前に押えた宿に宿泊する型であったが、久し振りに天王寺で夜明けを迎えることとなった。やや早めに休み、確りと深く眠って、未だ暗い時間帯に起き出し、戸外に出てみた…戸外に出たのは、近所のコンビニから嵩張るモノを送ってしまいたかったからというのも在ったのだが、2012年の時とは異なり、雨が降りそうな気配も無い中だったので「四天王寺を再訪」と思い付いたのである…

「この辺だったか?否!間違えた…」という具合にドタドタとしながら、半袖Tシャツの上にデニムのジャケットというような身軽な服装で歩き回った。十字路の上に、環を描くようになった大きな歩道橋が設えられている天王寺駅周辺からであれば、阪堺の路面電車の軌道が敷かれている大きな道路の、軌道が無い側を進めば四天王寺の在る辺りに至るのだ…

↓幾つか在るらしい境内への入口の一つから、未だ明るくなり切らない境内に入り込んだ…一部に拝観料を支払って入る場所が在るのかもしれないが、四天王寺の境内は夜明け前のような時間帯でも入り込むことは出来る…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (2)
↑古い伝統を受継ぐ鐘楼の背後に、天王寺駅周辺に聳え立つ<あべのハルカス>の姿が覗く…

四天王寺は推古天皇元(593)年に、かの聖徳太子が開いたと伝えられる、日本最初の官寺だという…日本で普及する仏教の源に近い存在なのだ…

この四天王寺が立地する天王寺という地区―“天王寺”という地区名自体が、四天王寺の略称に由来するようだ…嘗て辺りは「天王寺村」と称した時代も在るらしい…因みに“天王寺”という寺は無いそうだ…―は、古くから堺・大坂・京を結ぶ経路の上に位置する要衝だった。そういう事情も在り、天災の他に戦禍も在って、四天王寺の古い建物は余り残っていなかったのだというが…第2次大戦下の空襲に至るまでに色々と失われたり再建された理を繰り返していたが、現在の四天王寺の伽藍は1963年に飛鳥時代の様式を模して鉄筋コンクリートで再現したものなのだそうだ…そうは言っても「鉄筋コンクリートで再現」と聞かなければ、そういうことになっているとは気付かない…大寺院の「(日本での)最も古いスタイル」を今日に伝える立派なものである…ただ、現在は五重塔が修理工事中であるようで、何やら覆いが被されていて見えなかった…

↓明るくなる前の境内に入り込んだが、方々に色々な灯りも見受けられた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (9)

10月の末という時季…12月程ではないにせよ、明るくなる時間帯は遅めになって来ている…そういう事情なのか、未だ暗い間から談笑する声が聞こえてきた…御近所にお住まいの方達と見受けられる人々が、明るくなり行く境内を随分多く往来していて、知った顔どうしで挨拶を交わす様子も多々見られた…

↓立派な門が設けられている…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (12)

↓門の金剛力士像の“阿”…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (14)

↓こちらは“吽”…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (15)

↓次第に明るくなる中ながら、西方寄りの空には月が見えた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (16)

「月と反対側が東寄り…」と見当を付けて空模様を伺ったが…劇的な朝焼けとはならなかった…

↓それでも東寄りの空は、微妙な暁の色彩を帯びた…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (21)
↑淡い感じでグラデーションになっているのが好かった…

↓少し驚いたのは…「朝食前??」というような時間帯でありながら、何やら連れ立って四天王寺の門を潜って境内に入って行く人達が存外に多かったことだ…
Shitennoji-Temple, Osaka on OCT 31, 2015 (1)

天王寺は、JR、近鉄、地下鉄、阪堺と各鉄道が集まり、バスも色々と運行されている交通結節点で商業地である他方、古くからの住宅街も多く見受けられる地区だ…そんな場所に、古くからの「聖徳太子への信仰」を担う伝統の四天王寺が在る…そしてそこが、近所の人達の「オアシス」的な様相も見せていた…なかなかに興味深い…季節や時間帯が異なる条件下で、再訪してみたいと思わせるものが在った…
posted by Charlie at 05:40| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月13日

延岡駅:<サンシャイン宮崎> 713系電車(2015.10.26)

最近は「国鉄時代」の車輛に関して、運用している地域で独自に改造を施したり、独特な塗装を施している事例を眼にする。北海道内で運行中の「国鉄時代」の車輛についても、往時とはイメージが異なる塗装が施されている例を多く見掛けるが、他地域でも同様だ…

↓美々津から延岡まで乗車した電車である…
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (5)
↑以前に南宮崎駅や都城駅の近くで見掛けたことも在って、「何か気になる車輛だ…」と思っていたが、今般乗車機会を得た…

「国鉄時代」の車輛に鮮やかな赤系の塗装が施され、<サンシャイン>の黄色いロゴ、太陽をデザインしたマークまで入っている…

↓何か「正統派!!」という雰囲気の、「国鉄時代」な外観だ…
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (2)
↑それでも、こうして鮮やかな塗装に「陽光煌めく宮崎県」というイメージの“太陽マーク”まで在ると、「少し特別?」という感じがする…

この車輛は713系電車というもので、1983(昭和58)年に地方での「普通列車の電車化」を促すべく試作された車輛だという…4編成8輛が新製されて、九州に投入された…結果的に、諸般の事情によって4編成8輛以降は製造されなかった…

1996年に宮崎空港線が開業し、この713系の4編成は宮崎空港線に投入されることとなり、<サンシャイン宮崎>の愛称が付いた。やがて、2008年に鹿児島車両所で改造が施されている。

改造は、外見の塗装の他に、クロスシート部分は旧い特急型車輛のシートを移して使用するようになっていて、ロングシート部分はバケット型の椅子を並べた体裁の、新しいロングシートに換装されている。延岡から宮崎空港の区間…存外に時間も掛かる場合が在る区間―延岡・宮崎空港間を全て普通列車で移動すれば、直通の列車で1時間40分程度、南宮崎駅で乗り継ぐと2時間弱となる。沿線各駅からの利用で、1時間前後の乗車という例が多そうな感じである…―だが、車内の居住性も良好なものになっている…

今回は美々津から延岡の40分弱の区間で乗車したが、ロングシート部分の新しいバケット型シートは、なかなかに乗り心地の好いものだった…

↓延岡駅の跨線橋から713系電車<サンシャイン宮崎>を望む…
Nobeoka Station on OCT 26, 2015 (3)
↑勝手に「正統派!!」という雰囲気の「国鉄時代」な外観と呼んでいるが…こういう感じの外見は、何か“安堵感”のようなものも覚える…

考えてみると…近年はこの種の「正統派!!」という雰囲気の、「国鉄時代」な外観に出くわす機会が減っている…
posted by Charlie at 06:36| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広島の路面電車:京都からやって来た1907<銀閣>(2015.10.28)

広島という街の発展経過を視ると、宇品地区の港が整備されて色々と利用されるようになった経過を看過する訳には行かない。宇品地区には、嘗て軍が糧秣廠として利用した煉瓦造の建物を活かした、市の資料館も在るという。

そういう事情から、路面電車の1日乗車券を手に宇品地区へ出掛けた…新旧様々な車輛が行き交う軌道を窓から眺めながらの移動は実に愉しい…

↓停留所で電車を下り、「ここまで乗せてくれて、ありがとう…」というような具合で車輛を眺めてみる…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (7)
↑少々「微妙な違和感」のようなものを覚えた…ICカード乗車券に対応する機器が搭載されている旨が運転台下に掲出されているのだが、その下に<銀閣>と書かれている…

<銀閣>…あの有名な、京都の慈照寺…足利義政が建てたという、京都の東山のアレのこと?

↓暫く経って、<銀閣>が停留所に停車中の様子に再会した…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (10)
↑深いグリーンとクリーム色で、オレンジの帯が入っている…重厚な感じの、やや年季が入った車輛だ…

実はこの1907を含む1900型というのは、1978年に京都の路面電車が廃止された時に広島にやって来た車輛なのである。そこで、乗客アンケートで京都の地名から各車に愛称を付けたのだという。1907の<銀閣>は「京都出身!」を主張するものなのだ…

京都でこの車輛が初登場したのは1957年だという。京都では21年間活躍した訳だが、広島に移ってからは既に37年も経っている…1978年にやって来ているというが、広島で運用し易いように改装を施す等しているので、1907の場合は1980年から動いているようだ。それでも35年だ…

1907同型車輛となる1900型は、15輛在る。どっしりした京都出身の車輛は、扉も大きくて乗降が円滑で、乗客の収容力も在るので、旧い車輛が徐々に活躍の幅を狭めている中でもなかなかに元気に活躍している…

この1900型だが…1980年代初めに「路面電車への冷房導入」に関して、先駆的な役割を担った車輛でもあるという。やや大柄に見えるこの車輛…機器を増設するベースとして都合も好かったのであろう…

或いはこの、嘗て京都で走っていた路面電車は「他所から移って来て、広島で活躍中」という車輛の代表的な存在と言えるのかもしれない。運行密度が濃い時間帯に限定されずに走っている同型車輛を随分と見掛けた…
posted by Charlie at 06:13| Comment(0) | HDR/2015年10-11月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする