結果的に「ここまでの人生で最長期間」という永い間住んでいた“旧宅”に関しては、不要となった大型家電や家具類や他のゴミの始末も済んだことから、大家さんに鍵も返却して「完全に切れた」型になっている…
その「不要となった大型家電や家具類や他のゴミの始末」を業者に依頼して、着手の旨の連絡を受けた後、何となく様子を視に“旧宅”に寄り…
↓こういうモノを回収して“新宅”に持込んだ…
<ДЯДЯ ВАНЯ>(ヂャーヂャ ワーニャ)…『ワーニャ伯父さん』の芝居のリーフレットである。モスクワの<マールィー劇場>で1993-94年シーズンに上演されていた…
時期は丁度「モスクワ滞在中」で、この芝居は何度も観た…リーフレットを持ち帰って、“旧宅”に貼ってあったのだ。永い間、貼ったままだったので酷く傷んでしまっているリーフレット―本当に“セピア色”に褪色してしまっている…―だが…“新宅”でも、玄関を入った辺りに置いた古びた書類棚の脇に貼った…
モスクワで<マールィー劇場>の『ワーニャ伯父さん』を初めて観たのは、滞在を始めて日が浅かった頃で、以降はシーズンの終盤迄に何度もこれを観ることになった。あの当時は「演劇関係者か??」と尋ねられる程度に頻繁に芝居は観ていた…どうしたものか、この<マールィー劇場>の『ワーニャ伯父さん』が妙に気に入ってしまったのだった…
『ワーニャ伯父さん』は“四大戯曲”とも呼ばれる、かのチェーホフの代表的な作品の一つである。しかし、『ワーニャ伯父さん』はその“四大戯曲”の中でも、「少し特別?」なような気がしないでもない。と言うのは、『ワーニャ伯父さん』に関しては、『イワーノフ』とか『森の精』というような、“プロトタイプ”と言える作品が存在するからである。加えて、映画『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』―これに関しては、「映画の脚本を使った芝居」も存在し、モスクワでこれも観た…―というような、時代を下ってアレンジがされたモノさえ在るのだ。
『ワーニャ伯父さん』や、その“プロトタイプ”となった各作品の主人公は…「永い間、自分は生きるための詰まらない仕事に勤しんで、何が残ったか判らない、実にくだらない人生を歩んだのではないか?!何だったんだ!?」と最終盤で一寸暴れるというような、何か哀しい感じがする物語だ…『ワーニャ伯父さん』では、主人公の伯父さんが「25年だ!25年も私は何をやっていたんだ!」と絶叫するのだが…<マールィー劇場>の『ワーニャ伯父さん』を観た頃、自身は20代半ばに差し掛かろうというような頃で、“伯父さん”の絶叫に「我が生涯…何だったのか?」というような問いを重ねていたのかもしれない…そして何時しか、自身は“伯父さん”の設定年齢に近いと想われる年代に差し掛かろうとしている…
『ワーニャ伯父さん』の芝居のリーフレットには、4人の主要劇中人物が写っている。左端から、“伯父さん”、“教授の後妻”、“姪のソーニャ”、“ドクトル”である。“伯父さん”はかのユーリー・ソローミンで、“ドクトル”はその実弟でもあるヴィターリー・ソローミンだ…
『ワーニャ伯父さん』の芝居…“姪のソーニャ”は“ドクトル”に恋していて、“ドクトル”が彼女を“女”と意識して振り向くでもないことを嘆く場面が在る。「私は美しくない」という台詞が在るのだが…大概、この“姪のソーニャ”を演じる女優は「素敵だ…」と見える、なかなかに美人な人が演じていた。芝居を観る都度に、密かに笑ってしまうのだが…
それにしても…<マールィー劇場>の『ワーニャ伯父さん』やら、他の芝居を「演劇関係者か??」と尋ねられる程度に頻繁に観ていた頃、ソ連時代に“ナロードヌィー・アルチスト・エスエスエスエル”(ソ連人民芸術家)と顕彰された経過が在るような、なかなかの名優達の熱演を、相対的に安価に観ることが出来ていた訳である。或いは、こうした経験は「掛替えの無い財産」になっているような気がする…
そういうような、色々なことを想起させてくれるリーフレット…廃棄してしまうことなく、残った訳だ…