2015年01月31日

大畑駅(おこばえき)に停車中の<しんぺい>をペン画風、絵画風に(2014.12.19撮影)

↓気に入っている焼酎、宮崎県えびの市の<明月>のコマーシャル映像である…

↑加久藤の“金松法然”の話し、種田山頭火がえびの市内で焼酎を飲んだ旨が綴られている話しの各バージョンの後、<いさぶろう/しんぺい>の車輌が真幸駅(まさきえき)―えびの市内に在る駅―に入るシーン、車内の様子が在るバージョンが収録されている…

こういう映像を視ると、自分で乗車した<しんぺい>が酷く懐かしくなる!!

↓鹿児島県の吉松駅を発ってから、終点である熊本県の人吉駅に入る手前、ループ線とスイッチバック線が在る大畑駅に<しんぺい>は停車する…

↑“40系ファミリー”の、目に馴染んでいるが故に「鉄道車輌らしい!」感じがする<しんぺい>の形状が好いので、形状が判り易いペン画風にしてみた…

↓形状も好いが、“色”も好きなので、色が判り易い絵画風にもしてみた…

↑冬の陽光は傾くのが早く、既に空の色合いは微妙で、<しんぺい>の赤い車体の色も独特な趣を帯びている…

「鉄道が敷設されている」という事実自体を“産業遺産”、“文化遺産”と捉え、それを紹介して向き合うような企画の<いさぶろう/しんぺい>の運行…凄く愉しい旅だった…是非、何時かこの<しんぺい>と再会したい!!!
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2015年01月30日

鹿児島:「仙巌園から望む冠雪した桜島」を絵画風に…(2014.12.18撮影)

「(例年より)少ない」と言っても、とりあえず確りと積雪が見られ、雪景色が“当然”な稚内のような地域では、「冬季の雪が在る画」と言っても「だからどうした?」というような話しだが…

鹿児島のような、積雪が「シーズンに何回か?」という感じで、雪景色が“稀”とか“異状(?)”というような地域では、「雪が在る画」と言えば「何だって?!」と画を見てみたくなるかもしれない…

↓鹿児島の仙巌園から望んだ桜島である。

↑次第に蒼天が輝きを増し、複雑な形状で桜島の周囲を漂う雲の隙間に光が差し込み、山頂側が雪で染まっている桜島が「舞台のセット」か何かのように映える!手前の海、錦江湾も輝いている…

この日は「好いなぁ…」と足を停めて桜島を望む場面が何度在ったか?!辺りの景色を愛でながら歩き回ることは好きだが、「この日の鹿児島」程度に「足を停めて…」というようなことをすることも稀だ…こんな素晴らしい風景に出逢える街…「ファンになった!!」と公言したい感じだ…或いは、これ程の光景を見て「好かった!!」という思い出―恐らく「永年に亘って、殆ど毎日、桜島の在る風景を視ている」と思われる、城山で売店を営んでいらっしゃる方が「12月の雪は珍しい」としていた…言葉を交わした際、鹿児島に至った経路に話題が及ぶと、「福岡方面へ向かった急行列車」の記憶を持ち出された…“急行列車”というのは「相当古い話し」なので、かなり永く辺りの様子を視てきたことが覗え「本当に“稀”な光景に出くわした!」との想いを強くした…―が出来ると、「再訪!!」を誓わずには居られなくなる…

画を絵画風に加工したが…「地方の金融機関等で配る、営業地域の名勝の絵画を入れた1年モノのカレンダー」(稚内では、利尻富士を題材にした絵画を使って、その種のモノを作って配布している例が見受けられる…)にでも在りそうな感じだ…「写真でカレンダー」というのは手軽に出来るので、機会が在れば、本当に作ってしまうかもしれないが…

彼の地のローカルニュースでは、そろそろ“早春”という様子を伝える話題も散見するようになると思われるが…当地は未だ厳冬期…こんな画を眺めながら彼の地を思い出す場面が益々増えそうだ…
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2015年01月29日

稚内港北防波堤ドーム(2015.01.29)

稚内は依然として「雪が少ない」という状況が続いている。それでも、駐車場のような頻繁に除雪を行うような箇所で車輌が稼動する程度には雪が降っている様子だ…

朝の冷えた戸外を見れば雪は降っていない…数日前、急速に気温が上がったが、直ぐに戻った…雪が融けた箇所の凍結を危惧したが、そういう箇所を埋めるかのように若干の降雪、積雪が見受けられ、危惧は杞憂に終始した…それでも凍結路面への注意は怠るべきではないのだが…

↓稚内港北防波堤ドーム辺りに近付くと…標識が雪で覆われて見えなくなっている様に出くわした…

↑路面が覗く箇所が見当たらない程度に降雪、積雪が在ったことが判る…

↓酷く寒々しい感じだ…

↑氷点下5℃を挟む辺りと推測した…

↓やや雲が多く、暁の色は見えない…


↓道路に新雪…浅い轍が見受けられる…


↓冷えた空の下で、ひっそりと佇む感じの稚内港北防波堤ドーム…なかなかに好い…


「氷点下5℃辺り」という気温…何か「この時季の平常」という感だ…他所では「とんでもない!?」と言われそうだが…数日前の「プラス」の方が、この辺りでは「この時季にとんでもない?!」なのだ…当分はこういう按配が続く…
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2015年01月28日

鹿児島:「西田橋と桜島」の眺望を絵画風に…(2014.12.18撮影)

極々最近に至っても「そう言えば…今年、2015年に年が改まって、初めて会いましたね…今年もよろしく…」という挨拶を交わす例が無い訳でもない…が、既に1月の終盤である…

「実際の時間」は1月終盤ながら…「気分の時間」は“年明け”辺りであるような…或いは、私自身は“12月下旬”辺りで停まっているかのように感じる場合さえ在る…“12月下旬”辺りに、強く記憶に残る風景に出くわす場面が多く在ったことから、それを回顧している場面が多い故でもあることはハッキリしているが…

↓西田橋と桜島だ…「強く記憶に残る風景」の一つだ…

↑“絵画風”にしてみた…

「12月に冠雪した桜島」という「やや珍しい」らしい状況に魅せられ、その眺望を追うように動き回っていた。天候が時間に連れて好転し、天空の蒼が輝きを増す中、冠雪している山頂付近も眩しくなって来た…

西田橋は、鹿児島の城下から他地域へ延びる街道に続く“重要橋梁”だったモノだ。天保年間に築かれた石橋が永く使われていたのだが、水害でこの種の石橋が喪われた事態を受け、色々と議論は在ったらしいが、公園内に移築された…結果的に、「鹿児島の幕末期辺りからの歴史」を想起させる石橋の背景に桜島が見えるという景観が登場した訳だ…

西田橋に興味を覚えて見に行って以来…「銭湯の壁に在る画?」という感じもしないではない眺望が気に入っていたのだが…今般出くわした眺望は殊更に好い!!

大変に気に入ったこの画を絵画風に仕上げて…オフィスのパソコン端末の画面で“壁紙”として利用している…(“壁紙”は気分転換に時々切り換えるのだが…)

この画は「最近、最も気に入った画の一つ」ということになる…
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2015年01月27日

稚内:「積雪期に雨」という状況の北門神社周辺(2015.01.27)

昨日は雪が降っていた他方で、“プラス寄り”に気温が上昇し、夕刻には若干の積雪が融けていた。そして夜には、そうした箇所が凍り始め、何やら好ましくない状態に見受けられた…

朝…窓から戸外を伺い、雪は降っていないと見た…一寸だけ戸外に出て様子を覗う…

何か、多めな水分を含んだような、踏むとやや足が沈むような箇所と、硬く凍ったようになっている箇所が交じったような積雪面を踏んで戸外に踏み出すと…頬に冷たいモノが当たった…“雨”だ…

↓路面に雪は多いが、正しく“雨天時”の様子だ…

↑写真を撮ると、雨水で灯火が歪んで見える場合が在るというのは、“雨天時”の現象だ…

何やら「慎重な足取り…」という雰囲気で、この時間帯に見掛ける路線バスが走り去るのを見送ったが…

↓道路はこんな感じだ…

↑バスの運転士のような「慣れたドライバー」であっても、慎重に走らなければならないと思うような状態だ…「氷の上に水を撒いた」ような箇所、水分を多く含む雪の箇所、舗装が出ているように見えて表面に氷が張っている箇所等、「“嫌な感じ”のコンビネーション」という路面状態だ…

↓こんな道路を横断しなければならない?!気が重くなる…


今日は戸外に出る際、「一層気を付ける」という感じだ…
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2015年01月26日

<Robert's Coffee 福岡大名>(2014.12.21)

「フィンランド発祥のコーヒーショップが、日本国内に“第1号店”を」という話しを聞いていた。場所が福岡…「何となく気になる」という按配だった…

“東廻り”で九州を殆ど一周するような型で福岡に至り、福岡の代表的な繁華街である天神地区で友人と会って愉しい一時を過ごした訳だが…その際に「天神地区の大名町という住所に…」とこの「フィンランド発祥のコーヒーショップが、日本国内に“第1号店”」という一件を話題にした。

実は友人と会う前に天神地区に至り、この「フィンランド発祥のコーヒーショップが、日本国内に“第1号店”」という場所を探そうとしたが…既に暗く、雨も降っていて歩き回り悪かったので、探せなかった…

友人は、実は天神地区在勤で辺りの様子に明るい。住所を確かめて…一緒に歩いて「この辺りの筈…」と場所を探し当てた…

↓1本入った通に在る建物の2階に入居していた!

↑写真では切れているが、画面右側に「77.7」と大きな数字が見えた。地元のコミュニティーFMの隣だった…

↓“フィンランド”と言えば…「ムーミン!」ということで、通に面した階段の上り口にムーミンの看板が在って迎えてくれる…


同行した友人と「ここで珈琲を頂くという展開は…想定していなかった…」と笑いながら、ムーミンに迎えられて店内に…

↓創業者であるロバート・パウリグのサインをロゴ化した図案のカップで珈琲が出て来る…


店内は…“欧州的デザイン”と言うのか、落ち着いた感じで、立寄った時は何かの集まりの帰りのように見受けられるグループが珈琲を愉しんでいる様子や、1人で、数人でという他の人達の出入りも在った。「日曜日の夜」という状況下、物凄く混んでいた訳でもなく、ゆったりと出来た…

↓創業者であるロバート・パウリグはヘルシンキ市長を務めた経過が在ることから、“メイヤーズブレンド”(市長のブレンド)と銘打って、店内用カップにも見受けられたサインをパッケージに入れた珈琲も店内で販売していた…

↑写真そのものは、翌日に旭川の宿で撮ったが…

可能であれば“豆”が欲しかったが、コーヒーメーカーで使う等の使途で挽いてあるモノのみの販売だった…

つまらないことだが…粉状の珈琲を保管するのに適当な容器が拙宅に見当たらなかった…暫く袋の封を切らずに保管し、先日容器を入手したので、その容器に入れて珈琲を保管することにし、拙宅でドリップしてみた。「欧州の流儀」とでも言うのか、確り濃い感じもする他方で、彼の地の人達のように「1日に何杯も…」ということをしても大丈夫そうな、存外にアッサリした感じのバランスが好ましいと思った。このところは…拙宅の珈琲は、この“メイヤーズブレンド”だ…

「フィンランド発祥のコーヒーショップが、日本国内に“第1号店”」というのを聞いたのは何時だったか?とにかく気になっていたので、実際に立寄ることが叶って善かった…

それにしても…「遠くフィンランドで焙煎されて挽かれた珈琲が福岡にやって来て、福岡で求めて稚内へ持ち帰って淹れている」という状況…一寸面白い…
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2015年01月25日

稚内港北防波堤ドーム(2015.01.25)

“茶代わり”に<霧島>(20度)を茶碗で…何か「休日らしい」感じである…

朝から非常によく晴れている…蒼天に、午前中のオホーツク海方向からの光…替え難い風景が視られそうな朝である…

↓ということで戸外へ…とりあえず北門神社の鳥居の辺りに佇んだが…

↑積雪まで天空の蒼さを反映するかのように青味を帯びて見える中、遠くに「ライトを浴びる」ような稚内港北防波堤ドームが見えている…

↓蒼天に、微妙に白い雲が散っている…稚内港北防波堤ドームのような、コンクリートの構造物が映える状況だ…


↓微妙に気温が上がっている感じがする…好天に誘われてなのか、何処かの旅行者の一団や、散策や運動をする人達を存外に視掛けた…


休日と、ここまで素晴らしく晴れた状況とが重なるというのは…意外に珍しいように思う…「冬の好天と稚内港北防波堤ドーム」という按配の画を撮る、絶好の機会となった…
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2015年01月24日

3回目の洗濯をした一番新しいLevi's 501(2015.01.24)

「朝からポートサービスセンターへ足を運んで、コインランドリーを利用」というのは、典型的な「正しい休日」というものである。一寸行って、戻ったが、今日は好天なのでバッグに洗濯物を放り込んだモノを担いで往復するのも然程苦にはならなかった…とは言え、足下は凍結箇所交じりなので要注意ではあるが…

秋から着用の「サイズを落した」501は、一度洗った後に、九州方面を巡った際に着用し、札幌での“居候生活”の間に一度洗った。そして今日、「3回目の洗濯」となった…

↓こんな具合になった…


『CSI:マイアミ』のホレイショ・ケインでもないが、右膝を地面に着くことが在るのか、右膝に相当する部分に色落ちが目立つ…

↓従前穿いていたモノよりも“フィット感”が若干増しているので、その分皺が寄って、皺が寄った箇所の色落ちが目立つ…


↓膝裏の部分も皺が目立つ…


↓時々、愛用のオイルライター―“会津様”と名付けているモノが最近は多い…―を入れる小さなポケットも、“型”で圧したように色落ちしている…

↑光加減の御蔭も在ろうが、何となく好い色合いになって来た…

何か…洗濯が終わると、充実感と言うのか、安堵感と言うのか…少し落ち着く…
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稚内港北防波堤ドーム(2015.01.24)

「気持ち好く眠った…」という感じで迎えた朝が「休日の土曜日」という状況は、何となく気分が好いが、「少し天候が好さそう?」と見受けられれば、気持ちも弾む…気持ちが弾んだところで「だから、どうしたという感…」も否定出来ないことに気付くのだが…

とりあえず一寸戸外に出てみる…風は弱めである…身体の正面に風が当たる向きになれば、風はなかなかに冷たいが…多分氷点下5℃か、それ以下であろう…直ぐに手が冷たくなるので、慌てて上着のポケットから手袋を取出して着用する…

↓暁の空の下…一昨日、昨日で少しだけ増えた積雪…他方に凍結路面…


↓日の出は7時頃かと思うが…日の出時間の20分程度前の空の色合いが好い…


↓今朝は冷えていて静かだ…


↓稚内港北防波堤ドーム手前の広場も、何時の間にか積雪が深くなって来た…


↓「休日の朝」が静かにやって来た感である…
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2015年01月23日

稚内港北防波堤ドーム(2015.01.23)

昨日は降雪の時間帯が長めだった…「雪が少ない」ということが盛んに話題になっている状況の中、「多少、降り積もった…」という按配になった…

↓稚内港北防波堤ドームの辺りに行ってみれば、舗装路面が覗いていた箇所が見受けられなくなった…

↑今朝は曇天だが、雲が多めな空の色が寒々しい…

↓一寸近寄ると、丁度灯りが消えた…


昨日は僅かに気温が上昇したように見受けられたが、また気温は氷点下5℃を挟む辺りに戻ったように見受けられる…

↓稚内港北防波堤ドームの、少しだけ陸側に在る駐車場…冬季間、ここには方々の道路脇から集めた雪がダンプカーで運び込まれ、堆く積まれる…

↑今季はそれが非常に少ない…今日は「雪搬入」の予定が在るのか、ダンプカーが置いていった雪を積んで整える作業を行う車輌が待機していた…

時折吹き抜ける風は痛いが…それでも未だ、「冬季としては」という留保こそ必要なものの、「穏やか」と言える範疇だ…
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2015年01月22日

鹿児島中央駅に停車中の新幹線をイラスト風に…(2014.12.19撮影)

「単純な事」であろうが、「新幹線が通っていない(序に予定も無い…)地域」に住んでいるので、何か“新幹線”と言うと「凄く特別!!」な感じがする。「航空機で移動」というよりも、「新幹線で移動」という状況の方が、自身の感じ方としては「特別!!」という感じが強い…

「新幹線沿線の住民」にとっては…新幹線も「所詮は交通手段」に過ぎないのかもしれないが…私にとっては、何か「特別!!」なのだ…古くは…高校の修学旅行で、全く初めて京都・東京間で乗車し、進学を目論んで東京に乗込んだ際には「終焉間際の青函連絡船」で津軽海峡を越え、盛岡に出て東北新幹線に乗車して上野駅の地下に到着した…その後も…何となく数えられる範囲でしか乗車機会を設けられていない…最も長く新幹線に乗車したのは…関西方面に出た復路、予定していた特急<日本海>が北陸・東北の雪でアッサリと運休したことから、京都・東京・新青森と乗り継いで移動した場面だった…

↓そういう具合に、勝手に新幹線に思い入れを持っているので、鹿児島中央駅で新幹線の列車を鳥瞰出来る場所を視付けた際には非常に嬉しかった…
>>鹿児島中央駅の新幹線ホームを鳥瞰出来る喫煙コーナー(2014.12.19)
http://mirage-hdr.269g.net/article/18815769.html

鹿児島中央駅に発着する新幹線…2011年12月に博多から到着…2012年12月に熊本から到着…乗車したのはこの2回だ…

↓現在、九州新幹線で遭遇機会が多いのは…“鉛筆画”風のイラストにしてみたが、<N700系>だ…

↑前身の<700系>はすこし「のっぺり」した感じだが、<N700系>は少しメリハリが在る形状のように思う…

N700系は、東海道新幹線や山陽新幹線で運用するために2007年に登場したが、九州新幹線での運用を念頭に改装を行った型となる“7000番台”、“8000番台”が博多・鹿児島中央間、或いは山陽新幹線乗入れで新大阪・鹿児島中央間を走っている。東海道・山陽新幹線の「最大16輛編成」に対応し難い区間が在ることから「8輛編成」とし、勾配がキツい区間を走るためにモーターを増強してあるのが、この“7000番台”、“8000番台”の特徴だ…

内装に関しても、“7000番台”、“8000番台”では、嘗てJR西日本が新大阪・博多間の一部列車で導入して好評だった「2列+2列」の指定席を採用している。(新幹線は一般に「2列+3列」だ…)

↓この日は好天で、(勝手にそう呼んでいるが…)“青磁色”の車体がなかなかに映える…


九州を訪ねた際、普通列車での移動や、<はやとの風>、<しんぺい>のような列車での移動を優先し、新幹線を行程に入れ損なった…“次”が何時か、それが在るのか否かも判らないが、もし機会が在れば、今度はこの美しい列車にきっと乗りたい!!
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2015年01月21日

稚内港北防波堤ドーム(2015.01.21)

今朝は窓辺が明るい。好い傾向だ…

最近は、福岡の天神地区、大名町の店で仕入れた珈琲を愉しんでいる…「欧州の流儀」とでも言うのか、確り濃い感じもする他方で、彼の地の人達のように「1日に何杯も…」ということをしても大丈夫そうな、存外にアッサリした感じのバランスが好ましい…

昨夜は…比較的早めな時間帯に眠気が射し、何となく早寝をした感じだったが、今朝はスッキリと起き出した…

とりあえず…「用も無い」にも拘らず、何となく戸外に出た…風が微弱で、「早朝の低温」という割には「酷く寒い」という感じでもないことが好かった…

↓今朝は東寄りの空が暁色に染まっている!!


↓カモメが1羽“指定席”というように、「稚内港北防波堤ドーム」のプレート辺りを占めている…


↓「朝の紫」という空の色の他方…足下は凍っている…


相変わらず寒々しい感じながらも、稚内は穏やかで静かだ…
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2015年01月20日

鹿児島の路面電車:鹿児島中央駅前停留所に停車中の「現役最古参」“501”を“ペン画”風、“油彩画”風に…(2014.12.19撮影)

鹿児島を訪ねると、「街を行き交う路面電車」を視て、「またこの街へ…」という“安堵感”と言うのか、縁が深いでもないにも拘らず感じてしまう“懐かしさのようなもの”を覚えることを禁じ得ない。

↓「形状の面白さ」が際立つように、“ペン画”風にしてみたのだが、“501”である。視る都度に「好い形…」と思うのがこの型だ…

↑鹿児島中央駅に向かう際に乗車し、下車後に撮影した画からのモノだ…

2014年12月に鹿児島に立寄った際には、何度かこの“501”を見掛けた…

鹿児島の路面電車では「“超低床”デザインの21世紀型の車輛」、「80年代から90年代に登場している、各地でも見掛ける雰囲気の車輛」、「半世紀程度頑張っているような古参の車輛」が見受けられ、そうした様々な時代の車輛が同じ次元であの“芝生敷き軌道”を行き交っていて、それを眺めるのが愉しい。

“501”は1955年に登場した“500型”に分類される車輛だ…

1955年、鹿児島市交通局では老朽化していた各車を順次新しいモノに替えることを目指していて、そうした中で2ヶ年に亘って計15輛の“500型”を新造した。

1960年代後半になって路面電車のワンマン運行も行われるようになっていた中、1969年に“500型”各車にはワンマン運行対応の改造が施された。その際、正面の外観が後発の“600型”に準じた、現在の「三枚窓」になったそうだ。

1980年代になると、各車には冷房が設置されるようになり、1999年から2001年には「可能な範囲でのバリアフリー対応」ということでステップの改造が施されたという。

2002年になって「“超低床”デザインの21世紀型の車輛」(=1000型)が登場し、“500型”は順次廃車され始めた…

過去の事故で破損して廃車となったモノも在るが、15輛在った同型車の中、現在活躍中なのは5輛である。5輛の中の1輛“512”は、“芝生敷き軌道”のメンテナンスを行う専用車に改造された。現在、乗客を運んでいる“500型”は、この“501”の他に“504”、“507”、“508”が在って、計4輛である。

↓現在、鹿児島の路面電車の“標準塗色”なのは、このオレンジと緑の塗り分けに白線である…

↑この色…なかなかに好いので、色が判る“油彩画”風にしてみた…「昔の国電」に在った“湘南色”を思わせるが…「鹿児島の蒼空!!」にこのオレンジと緑が映える!!

半世紀以上の間、鹿児島の街を走り続けている路面電車“501”である…軌道の様子や、車窓に映る街並みや、街を行き交う人達の様子は変わっていることであろうが…変わらずに走り続けている…これからも活躍を続けて欲しいものだ…
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稚内港北防波堤ドーム(2015.01.20)

何となく、寝付きが悪かったと言うのか、眠りが浅かったと言うのか、モヤモヤした感じで迎えた朝である…

↓今朝も「穏やか…」と言って差支えが無い範囲の天候だ…時々吹き抜ける風がやや痛い…気温は氷点下6℃というような按配であろうか?

↑足下が凍っている…

最近…凍った箇所で転倒し「思わぬ負傷」という話しが存外に頻繁に聞こえて来る…戸外を歩く際には気を付けなければなるまい…

↓凍った箇所に、信号機のランプの光が反射している…


本当に最近は「今季は雪が少ない」が話題になることが多い…他方、路面凍結は危ない…
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2015年01月19日

長崎駅:キハ66(2014.12.21)

国鉄時代の車輛…既に“JR時代”に入って四半世紀が過ぎている中、JR各社に引き継がれた各車両も多くが新型に転換されており、「一寸、少数派?」という感である…

九州に関しては、「国鉄時代の車輛」を見掛けると「おっ?!」という具合に、少し注目してしまう。九州へ行けば、現在では1990年代以降に登場の“水戸岡デザイン”の車輛が方々のJR線で“主力化”していると見受けられるからだ。

↓2012年以来、3回長崎に立寄り、3回共に見掛けている車輛である。何か「長崎で出会う…」、「長崎と言えば、この車輛…」というイメージを勝手に持っている…

↑「国鉄時代の車輛の形状!」という感じだ。が、各地の国鉄時代の車輛が各々の塗色で活躍中なのと同様、これも近年のJR九州の非電化区間で定番化しているキハ200で見受けられる青系の塗装が施されている…

この車輛…キハ66系というディーゼルカーだ。1974年に登場した車輛である。1975年から山陽新幹線が博多まで延伸されることに先駆け、北九州での輸送力、サービス向上を目指して導入された車輛である。「両開き2扉車体に転換クロスシートと冷房装置を装備」という車輛で、普通列車に用いられる車輛でありながら、急行列車用とされていたディーゼルカーに遜色の無い内容を誇る車輛だった…(実際、この車輛が急行列車に用いられた事例も在るそうだ…)

このキハ66系は2輛ユニットで動くものだが、自重が重めで使用し難い線区も在ったことや、国鉄の財政事情も在って、1975年までに15編成(1編成が2輛なので計30輛)製造されただけである…

JR化後にはJR九州が全車を継承した。一貫して筑豊本線を中心とした北九州地区の非電化路線で運用されていたが、北九州でキハ200を投入したことや、2001年に筑豊本線の電化が完成したこと等を受け、全車が長崎に移った。2013年以降は全車が「長崎鉄道事業部佐世保運輸センター」の所属で、が佐世保線、大村線、長崎本線の快速や普通列車として用いられている。なるほど、「長崎で出会う…」というイメージを抱くようにもなる訳だ…

キハ66系…これの少し後に登場する“40系ファミリー”のディーゼルカーや、内装に関しては115系電車にも影響を与えたという、或る意味「時代を画した車輛」という一面も在る…

現在は長崎や佐世保等で街と街とを結んで活躍中のこの車輛…実は…「何度も見掛けているのに乗車機会を設け損なっている」車輛の一つだ…

↓こういう具合に、キハ66が並んでいる姿も長崎駅では時々視掛ける…

↑「並んで停車中の車輌の正面」という画…これは“行止り式”になっている「長崎駅ならでは!」という画のように思う…

異なる形式とは言え、車輛正面の外観は“40系ファミリー”に似ているこのキハ66…こういう「濃い蒼」という色合いも似合う…

これは、長崎県内の快速が<シーサイドライナー>(「海辺を駆ける」という意味であろう…)という愛称で、キハ200に関しては蒼い塗装なので、それに合わせたということであろう。

↓実は2013年に佐世保へ向かった際、この「蒼いキハ200」には乗車したことが在った…

↑2013年12月に佐世保駅で撮影したモノ…キハ66は、これに「合わせる」ような塗装になっている…

↓序でに…これも2013年12月に佐世保で視掛けたキハ220…

2014年12月に臼杵・佐伯・延岡で乗車したキハ220と同型だが、あちらは赤で、こちらは蒼…イメージが随分と変わる…

何か、訪ねる先々で「今度はこれに乗車してみたい…」というのを次々と見付けて、見付けては「行きたい!!」と強引に機会を設けてしまう感じだ…
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2015年01月18日

稚内港北防波堤ドーム(2015.01.18)

“茶代わり”に<明月>のお湯割を…これが凄く好い!!休日の夕刻らしい感じだ…

稚内は穏やかな感じ…時々雲が多めで、雪がチラチラした時間帯も在ったが…概ね晴れ、薄曇であった…ただ「キーン!」と冷えた感じだった…氷点下8℃程度だったようだ…戸外に居れば…手先や耳―今日は耳まで覆うニットのキャップではなく、ベースボールキャップを被っていた…―が直ぐ冷たくなる…指先は「冷たい」を通り越して「痛い」感じにもなった…

12月辺りの「午後4時前に暗くなる」という感じに馴染んでいたが…(他地域へ行けば、“スーパー戦隊”か何かの“悪者”が仕掛ける「妙な作戦」のような事態だ…)そういう感覚で居ると、最近は「微妙な違和感」も覚える…「午後4時の少し前」が「未だ明るい」という按配になって来た…

↓稚内港北防波堤ドーム辺りも、灯りが点り始める時間帯が少しだけ遅くなった…

↑暮れて行く空の色合いも好い…

↓「雪が少ない」と話題だが…舗装路面が覗く箇所も見受けられる…


↓空の色を視ると…「冷えた空気感」が伝わるような気もする…


↓右側のホテルのビルの足下…左側で稚内港北防波堤ドームは静かに佇んでいる…


↓西側の空に目を転ずれば、夕焼けだった…

↑バスはこの辺りで行先表示を整えて、駅前のターミナルに向かって乗客を乗せる…

何か「穏やかな冬の日」という感じだ…普通に静かで、普通より多少気温が低めだ…
posted by Charlie at 18:53| Comment(0) | HDR/稚内港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西都城駅&鹿児島中央駅:817系電車(2014.12.17)

宮崎駅の直ぐ傍の宿に泊まった翌朝…“始発列車”で行動を開始した…

宮崎・都城・えびの、えびの飯野・都城、都城・西都城と列車で動いたが…どういう訳か何れの区間でも“40系ファミリー”のディーゼルカーだった…

西都城駅で、鹿児島中央駅を目指そうと列車に乗ったが…

↓817系電車が現れた…

↑「漸く出逢った…」というように感じた…

この817系電車…基本的に2輌運行のようだ…宮崎県、鹿児島県、長崎県、佐賀県で視掛けることが多い…“3000番台”という新しいモノは仕様が少し違い、3輌のユニットになっていて、福岡県方面で時々視掛ける…

宮崎県、鹿児島県、長崎県、佐賀県で視掛ける2輌運行の817系電車…基本的に「運転士のみが乗務」という“ワンマン”体制で走っていることが殆どだ…

この数年の数回に及ぶ九州訪問を通じて、この817系電車には随分と乗車した。「九州を列車で旅する」とでも聞けば、この817系電車の、正面が黒い外見と、黒い革張り風クッションを付けた木のベンチ風な椅子の内装、地元の老若男女が乗っている車内、街や田園や山並み、或いは柑橘が実る木が見える車窓を想い起こす。私の中では、817系電車は「(勝手な想いながら)九州の現行の鉄道の象徴」のようにさえ思える存在だ…

西都城を出ると、列車は山間のような場所をゆっくりと進む…隼人駅で、都城駅で視掛けた<ななつ星in九州>が停車中なのを車窓に視た…(後で調べると、<ななつ星in九州>は通常は宮崎駅や南宮崎駅に停車するようで、都城駅停車は期間限定だったようだ…或る意味「貴重な様子」を視たことになる…)列車が国分駅に至ると…車内は急激に乗客で賑わい始めるので多少驚く…国分から鹿児島中央は「大都市・鹿児島の近郊」という具合なのだろう…

↓列車は鹿児島中央駅に着いた…


↓電化されている区間の普通列車に関しては、この817系電車が主力化しているように見受けられる…

↑こうやって複数の817系電車が居合わせる場面も、鹿児島中央駅ではよく視掛ける感じだ…

この日…「えびのの雪」で驚いたが…都城や鹿児島でも、天候が好かった他方で風が冷たかった…更に…鹿児島中央駅に至る手前で、山頂部が雲で隠れていたが、桜島が見え「冠雪?」という様子だった。それが気になって、翌日は桜島を眺めに出て「素晴らしい!!」ということになったのだった…

この宮崎から鹿児島に動いていた日から1ヶ月を経てしまったが…817系電車が妙に懐かしい…
posted by Charlie at 10:17| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

福岡土産:博多織のネクタイ(黒田官兵衛・長政親子の兜の柄)(2014.12.22)

博多駅周辺から福岡空港を目指す場合…地下鉄に乗ってしまえば直ぐに着く…博多駅周辺で、色々なモノが在る駅の構内に入り込んで、地下鉄の乗場に至るまでの方が、余程時間やエネルギーを使うと思える程だ…

「直ぐに着く」空港なので、張り切って余り早く出掛けても搭乗までの時間を持て余してしまうが…空港ビル内で土産売場を眺めるというようなことをするのも愉しい…早朝や夜間というのではなく、土産売場の店舗が普通に営業しているような時間帯なので、一寸覗いてみようと思っていた…

↓土産売場で眼に留めて入手したのはこれだ!!

↑写真そのものは、福岡空港から新千歳空港に飛び、列車を乗り継いで至った旭川の宿で撮ったものだが…

土産売場の一隅に、福岡の伝統工芸を活かしたグッズを扱っている店が在ったのだが、そこに「博多織ネクタイ」というものが在った。

色々な種類のネクタイが在った中、「一寸視てくれ!!」とばかりに私の眼線を奪ったのが写真のモノだった…

一見すると「やや華やか目に見える、抽象的な図案を組み合わせたモノ」のようだが…赤一色に見えるのは黒田官兵衛の兜で、黄色の大きな角状の飾りが目立つモノと、板状のモノを折り曲げて造型したようなグレーのモノは黒田長政の兜だと思った…

「城下町・福岡」の礎を築いたとされる両武将の兜…大河ドラマ関係で彼らが話題になっている、或いは観光振興の素材としていることから登場した柄であろうが…「当地らしさ」が溢れていて気に入った。また、戦国時代末期辺りの武将達が自分達の武威を誇示しようと工夫した華々しい兜のデザインはなかなかに面白いモノが多い…それをネクタイのような日用品に入れるというアイディアが好い。

店員さんに価格を尋ねれば「予算の範囲」と言える額…求めようと決めたが、その時に「これ…黒田官兵衛・長政父子の兜をデザインした柄ですよね?」と尋ねてみた。店員さんの顔に“驚き”が浮かんだ。「判って頂ける方…いらっしゃらないんです…」という返答…恐らく「これは何ですか?」と尋ねられて「大河ドラマで話題の、福岡に縁が在る黒田官兵衛と息子の黒田長政が愛用したとされる兜の図案を入れて…」と説明するのが、店員さんの“何時ものパターン”であったのであろう。私の問いは、それを破ったのだと思う。

地元の伝統工芸を活かしたグッズで、地元に縁が深い題材の図案という「当地らしさ」と「サムライのデザイン」の面白さという絶妙な組み合わせ!!素晴らしい土産を入手出来たと大満足だ…他方…北の果ての拙宅に持ち帰ったこのネクタイ…未だ“出陣”していない…
posted by Charlie at 19:05| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

711系電車を水彩画風に…(2014.12.22撮影)

711系電車が、初めて登場したのは1967(昭和42)年というから…48年も前である…現在も走り続けている電車だ…

1980(昭和55)年に千歳線の電化に際して、この型の車輛は増備されているという。或いは、現在も活躍している711系はその頃に登場したモノかもしれない…それでも35年にもなる…

↓岩見沢駅に停車中の711系電車を跨線橋から鳥瞰した様子だ…これは、福岡空港から新千歳空港に着いた後、新千歳空港、札幌を経て旭川へ向かった際に出くわした光景だ…

↑何か「北海道の電車」という感じがする、冬季に特有な「雪塗れ状態」だ…

711系は、札幌を起点に千歳線方面、小樽方面、岩見沢方面では見掛ける機会が少なくなっていた…何となく「岩見沢・旭川間で出くわす車輛」というイメージになっていたのだが…このところ、この「岩見沢・旭川間」に関しても721系が登場するようになって来ている。故に、この画のように「岩見沢駅で見掛ける旭川行の711系」というのは、少々珍しい感じになって来た…

来る3月でこの711系は引退してしまうらしい…少し寂しくなる…

>>旭川駅の721系電車(2014.12.27)
posted by Charlie at 08:45| Comment(0) | FotoSketcher/鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月16日

臼杵の街(2014.12.16)

中津・杵築、杵築・大分、大分・臼杵と列車を乗り継いだが、乗車した車輛は何れも815系電車で、何れも2輛運行の列車だった。

↓臼杵駅の時刻表…大分辺りとの往来が日常的に盛んであると見え、特急列車も多いが「真っ赤な文字の区間」というようにはなっていない…

↑ただ…南下する普通列車は何れも“佐伯行”だ…あの「佐伯・延岡」の「普通列車=1日3往復のみ」を想い起こす…

大分県の日豊本線沿線だけに限っても、「幾ら時間が在っても足りない」と思われる程度に、色々な興味深そうな場所が在るように見受けられた。そうした中、「どの道、列車を乗換えるために下車することに…」という事由も在り、臼杵の街に出てみようと思い立った。

↓臼杵駅前に出てみれば…大きな石仏が据えられていて、一寸驚いた…

↑駅前の石仏はレプリカである…

臼杵辺りには「臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)」というモノが在って、よく知られているという。寧ろ「臼杵石仏」と通称されているようだが…

“磨崖仏”(まがいぶつ)というのは、「自然の岸壁や岩に彫り込まれた仏像」のことだ。仏師が工房で造る仏像は、安置したい場所に運ぶことが出来るが、“磨崖仏”は「動かせない」ということになる…

臼杵磨崖仏に関しては、どういう経過で造られたのか、仔細は判らないらしいが、仏像の様式により、平安時代後期から鎌倉時代初め頃のモノではないかと考えられているらしい。所謂“修験道”に通じて行くことになるのであろうが、仏教の中で、「山岳での修行」を重視するような考え方が在って、そうした中から山中に磨崖仏を設けるようなことも行われたのかもしれない…

駅前に在るレプリカの磨崖仏は大日如来であるが、臼杵の山中には多数の磨崖仏が伝わっているそうだ…現地へ向かうのなら…本数がやや少ない感じもするバスを利用するか、レンタル自転車ということになりそうだが…

レプリカの大日如来が据えられた駅前から街に向かって歩いてみる…

臼杵は城下町だったというが…

↓臼杵城の城址が在る…

↑少し険しい岩山のような感じの場所に城が築かれているように見える…街中の平坦な場所に、岩山が不意に突き出たようだ…

臼杵城…最初は“丹生島城”と呼ばれたそうだが、かの大友宗麟が築いたのだという。

大友家の本拠地であったのは、現在の大分市に相当する豊後府内で、そこに城館が在った。戦国期には本拠地の他に幾つか城等を構えていた。“丹生島城”もその一つであったが、1576(天正4)年に大友宗麟が家督を息子の大友義統に譲ることにし、“二元政治”的なことを始めたのだったが、その際に“丹生島城”に移っている。

城址を視て、「少し険しい岩山のような感じの場所」と思ったのだが、ここは「干潟に突き出た島」だったという…“島”であったのであれば、「少し険しい岩山のような感じの場所」と見えたのも納得出来るというものである。周囲が海で、海を堀にしたような、簡単には攻め寄せられない城だったことになる…実際、最晩年の大友宗麟が、この城で島津勢を迎え撃って寄せ付けなかったということも在ったそうだ…

かの大友宗麟がこの城を主な居城とした後、大友家は「耳川の戦い」で島津家に敗れ、以降衰退して行く…豊臣政権下で大友家は改易となってしまい、関ヶ原合戦当時に臼杵城を本拠地としていた太田一吉も、石田三成との交誼から西軍方となっていたので改易された。そこに、稲葉貞通が5万石で臼杵に封じられた。以降、この稲葉家が明治維新までこの地を知行することになる。因みに…江戸時代に“稲葉家”と言えば、老中を輩出した譜代大名が知られるが、臼杵の稲葉家は別な系統で、外様大名だった。

干潟に突き出た島だった臼杵の城であるが、1887(明治20)年に周囲が埋め立てられたそうだ…故に、平坦な場所に城になっていた岩山が突き出ているように見えるのだ…

↓城址は、現在は公園である…


↓城から然程遠くない辺りには、城下町の面影を色濃く伝える地域も在る…

↑なかなかに趣が在る…

↓写真がやや撮り悪かったが…三重塔を擁する旧い寺も見受けられた…


この城下町の面影を色濃く伝える地域…金融機関の支店のようなものが入居した建物も、外見を「和風から突出しない」ように工夫するなど、「街並みを大切にしている」様子が伺えた。

↓街の一画に「歴史の町 臼杵」という看板も在った…


臼杵は、四国との間のフェリーが発着している港を擁する街でもある。今般はその港まで足を延ばす時間は設けられなかったが…

街を歩いた際の起点にした臼杵の駅に戻ってみれば、佐伯行の列車が待機中だったので、とりあえず飛び乗って「日豊本線の南下」を継続した。臼杵も、また何時か寄ってみたい感じの場所だった…
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稚内港北防波堤ドーム(2015.01.16)

今季は「雪が少ない…」という話題が出る機会が多い稚内である…それでも、強風や他地域の大雪というような事情で、交通機関に乱れが生じるのは例年の如くなのだが…

他方で、雪と縁が薄そうな地域で雪が降った話しを多く耳にする。そういう地域の雪は直ぐに融けるものだから、そんな感覚で稚内の様子を視ると、地元の人は「少ない」と言ってはいても、存外に雪が確り積もっているように見えるかもしれない…

そういうことを思いながら、早朝の戸外に出てみた…今朝は風が静かで、相対的に「厳しい感じではない」と思った…

↓稚内港北防波堤ドームの辺りに行ってみる…

↑日中は少し柔らかめな積雪になっている箇所が、深夜の低温で凍り付いている…

↓“凹凸付き”で凍り付いた箇所は危ないので、少し慎重に進んで稚内港北防波堤ドームに近寄った…

↑道路の舗装面が覗いている…積雪は本当に少ない…

↓屋蓋の下も、雪は殆ど無い…

↑「?」と思ったのは…ランプが1基傾いているように見えたことだが…

↓「1月半ば」で「後半」に掛っているのだが…こうして画で視ると「積雪期が始まる頃」のようにも見える…


穏やかな様子…歓迎すべきだ…しかし、凍った箇所には要注意である…

時々在る“お笑い”だが…自戒の意味も込めて「凍った箇所には要注意」等と言っていると、言っている張本人が派手に転倒してしまったりするということが起こるものだ…思わぬ負傷という場合も在るので、本気で気をつけよう…
posted by Charlie at 07:44| Comment(0) | HDR/稚内港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月15日

杵築の街(2014.12.16)

2013年12月に九州を訪ねた折には、福岡空港到着後に博多駅に出て、<かもめ>に乗車して長崎へ向かった。“西回り”である…

そういうことを記憶していたので、2014年12月に九州を訪ねた折には、福岡空港到着後に博多駅に出て、小倉方面への普通列車で動き始めた。“東回り”である…

“東回り”で何となく動き始めて、「<青春18きっぷ>を手に、普通列車で日豊本線を南下」ということを思い立ち、12月16日は早朝の小倉駅から出発した。

小倉から中津で道草して辿り着いたのは杵築だ…

↓杵築駅も、何か昔風な駅舎である。大分・博多間の特急列車と、普通列車が停車している。列車が着く都度に、存外な人の出入りも見受けられる…

↑九州方面では、12月半ば辺りから門松を飾るものなのだろうか?この駅でも門松を見掛けたが、他にも何箇所かで出くわした。門松…北海道内でも見掛けるモノと、微妙にデザインが異なるような気もした…

“杵築”と書いて「きつき」と読む。古くは“木付”と書いたそうだ…同じく「きつき」と読む。

辺りは豊後の大名だった大友家の縁者でもあった木付家が領していた。大友義統が1593(文禄2)年に豊臣秀吉によって改易されてしまうと、木付家も辺りの知行地を失ってしまった…

関ヶ原合戦後、豊後は細川家の知行地となるが、細川家が肥後に移った後の1632(寛永9)年、豊後には小笠原忠真が封じられて小倉上に入り、その弟の小笠原忠知が4万石の大名に取り立てられて“木付”に入る。

1645(正保2)年に小笠原忠知が三河に移り、豊後高田から松平英親が3万2千石の大名として“木付”に入る。以降、この松平家が明治維新までこの地を知行地としていた。

江戸時代の大名は、“代替わり”をする際に、代々受け継いでいる知行地の権利を認める旨を記した“朱印状”という文書を幕府から受けることになっていた。1712(正徳2)年に松平家が朱印状を受けた際、朱印状に「杵築」と記された。“木付”としていた以上、“杵築”は誤りである。そこで「如何致しましょうや?」という話しになり…「以降は“杵築”と致すが好い」ということになった。爾来、この地の地名は“杵築”とした訳だ…

「誤記が転じて、その字を使うことにしてしまった」という、一寸面白い挿話を思い出しながら、杵築駅前から歩き始めた。杵築に着いた辺りで、俄かに晴れた空が拡がり始め、心地好い感じでもあったのだ…

駅周辺には杵築の城下町方面への道筋が判るような標識類は見当たらなかったが、何となく駅前の案内図を視て進み始めた。何となく眼が合った近所のおじさんに「城下町…こちらの方角ですよね?」と問えば…「そうや…真っ直ぐや…」とおじさんは言う…「ありがとうございます」とまた進み始めると…「かなりあるで!!」とおじさんの声が背中側から聞こえた…

大分県辺りの方…私の耳には「若干“関西”風」と聞こえる抑揚と言葉の使い方で話しをされるようだ…おじさんの口調を思い出しながら「真っ直ぐや…」の道筋を進んだ。20分やそこらであれば、別段に苦にせずに歩いてしまおうと思っていたが…20分近く歩いた辺りで「杵築市街 3q」という標識を見付けて驚いた。「夜まで日豊本線を南下して」という思惑の中、この距離を歩き切るというのでは、時間が無い…するとバス停が在った…数分待つと、市街側へ向かうバスが現れることが判った…

↓バスで市街に至った。そして杵築城址を目指し、城址に至った…


↓城址辺りは公園になっていて、なかなか美しい…紅葉した木も在った…


城址辺りに至ると…「強風が時々吹き抜ける中で、若干強めなにわか雨」という、些か妙に思える天候状態が断続するようになった…上着にフードが在ったことを思い出し、それを引っ張り出して頭に被るなどしてやり過ごした…

杵築の城下町は少し独特だ。城の傍に丘陵状の地形が並んでいる。2つの丘陵の上の側が武家屋敷で、谷に相当する辺りに商家等が集まるという具合に城下町が築かれている。“サンドイッチ状”とでも言うような構造だ…

↓時々「強風が時々吹き抜ける中で、若干強めなにわか雨」という状態に付き合いながら、「坂の町」を歩き回ってみた…


↓坂の上に相当する部分に、「如何にも…」という具合の武家屋敷が見受けられた…


↓衣装に身を包んだ俳優が一寸動き回れば…そのまま時代モノの映画やドラマの一場面が出来上がりという感じの箇所が多く見受けられる…


↓眼前に下り坂で、下り切った辺りから上り坂が見える。“サンドイッチ状”に街が開けている様子が判る…


↓商家等が在ったエリアには「伊能忠敬の足跡」を伝える石柱が在る建物も見受けられた…


杵築の市街から駅まではタクシーで戻った。タクシーの運転手さんによれば、市街・駅の距離は5q程度ということだった…

今般は、「強風が時々吹き抜ける中で、若干強めなにわか雨」という状態に多少の苦戦も強いられたが、なかなかに個性的な街並みが記憶に残る杵築である。
posted by Charlie at 21:19| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「12月の旅」の画で創った最初のフォトブック―“赤本”&“青本”

12月30日に札幌で思い立って発注したのだが…「12月の旅」の画で創るフォトブックが出来上がった!!

↓こういう具合になった…


“赤本”…右側は<はやとの風>と<しんぺい>をテーマにしたモノだ。「そこに鉄道が敷かれている」という事実自体を“産業遺産”、“文化遺産”として扱い、独特な改装を施した「旧くて新しい感じ」な車輌を運行し、熱心に説明をしてくれる客室乗務員が乗っている…「軌道上を行く定期観光バス」な趣で、各駅でも少し停まって様子が視られる…何か「一寸した“時間旅行”」という感さえする…そんな様子を纏めた…

“青本”…左側は鹿児島がテーマだ。何と言っても「桜島の眺め」を多いに愉しんだのだったが、その満喫した眺めの他、仙巌園の様子や、「お気に入り!」である路面電車の様子の画を収録してある…

こういうような「テーマを少し絞ったフォトブック」はこれまでに作ってみたことは無かった…こういうのも好い感じだ!!画はパソコンの画面で散々視ているが、こうした“印刷物”にしてみると、また違った趣なのが好い…
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稚内:北門神社の鳥居(2015.01.15)

今朝は…何か「普段の調子?」で起き出すことが叶った感である…

↓一寸戸外の様子を…

↑軽く雪が降っているが…「趣が在る」という程度のこと…遠くの空も明るめだ…足下はガチガチに凍った上に、少しだけ積雪…好い面も好くない面も在る状態だ…

明るくなり始める午後7時前…些かの車輌の通行も見受けられる…更に…こんな様子を視て拙宅に戻れば、「御奉行様の御出座」場面の効果音を想起させる神社の太鼓の音も聞こえる…

何か如何にも「時季らしい静かな朝」である…<エチオピア・モカ・ラデュース>でも淹れてゆっくりとしたい感じだ…
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2015年01月14日

下関:みもすそ川公園に在る「長州の大砲」(レプリカ)(2014.12.15)

↓「海の底の県境」を歩いて越え、下関に上陸を果たした…
>>関門人道(2014.12.15)

下関側の出口の辺りで、地元の方と言葉を交わし、関門人道の下関側出入口辺りにバス停が在って、バスが発着する他に客待ちのタクシーが時々見受けられるということを知った。

門司側に歩いて引き返して、門司側の関門人道出入口から門司港駅まで歩くのは、やや遠い。またタクシーは通りそうもないような雰囲気の場所だ…小倉駅近くの宿へ引揚げるとすれば…下関駅へ向かって列車に乗るのが手っ取り早そうだ…

そう思いながら関門人道の出口を出ると…丁度乗客が乗降中のバスが停まっていた。バス停だ。バスに駆け寄った。「下関駅に行きますか?」と運転士さんに尋ねると…「反対の車線ですよ…」ということなので、「ありがとうございます」とバスから離れて見送り、道路を渡った。

停留所はアッサリ見付かった。“御裳川”という名前…「みもすそがわ」と読むようだ。路線の案内が掲出されていて、それによると以前に立寄った覚えが在る赤間神宮や唐戸辺りを通って、下関駅へ向かう路線が在るようだった。時刻表を視ると…十数分の待ち時間が在った。一息入れながら、辺りの様子を眺めていれば直ぐだ…

↓そして辺りを伺い、一寸ビックリである…正直…「うわっ!」と驚きの声が漏れた…

↑関門海峡を睨む大砲が並んでいる…江戸時代風な大砲だ…

下関…“長州”である…幕末期…「攘夷の決行」を叫び、下関近辺で外国船に砲撃を加えて、その後に四国連合艦隊による報復攻撃を受けて砲台を潰されたという出来事が在った筈だが…そんな史実を思い出した。

気になったので調べてみると…この御裳川辺りは、幕末期に砲台が設置されていた場所に相当するそうだ。それに因み、長州が用いた大砲のレプリカを5門並べたのだという…

下関は、日本海、瀬戸内海、九州東海岸と「海域が交差する」場所である。現在でも、関門橋の高い橋桁の下を「存外に大きい?!」と注目したくなる船舶が航行しているが…この辺りに砲台が据えられたような時代にも、大小様々な船が賑々しく行き交っていたのだと想像する…

江戸時代の250年間余りというのは、「国内の流通網が、現代の人達が想像する以上に発展した」という側面を持つ時期でもある。考えてみると…宗谷の昆布が日本海を縦断し、この下関から瀬戸内海に入って、関西方面で消費されていたというようなことさえ在ったのだから…

商業や流通の充分な発達を踏まえ、長州辺りは重商主義的な経済運営を図っていたと見受けられる地域だ。そういう現実的な目線と、やや激越な“攘夷論”とが交差して、下関に砲台を築くということになったのであろう…(実は“攘夷”と一口に言っても、「外国船や外国人を追い払え」というような発想ばかりではなく、「不利な通商条約の改善を目指す」というような考え方についても、往時は“攘夷”という表現をしたらしいが…)

↓既に暗い、やや遅めになって来た時間帯にこんな大砲を視ると…何か辺りの時間が逆流して、幕末期の場面―「攘夷決行!!」と気勢を挙げる武士達…そこに襲い掛かる外国艦隊の砲撃…小舟で現れる上陸部隊…というような様子…―でも現れそうな気がしないでもない…

↑現在では…砲台のような物騒なモノとは縁が薄い、橋やトンネルで本州・九州間を移動する他、多くの船も行き交っている海域が大砲の向こうに拡がっている…

大砲を眺めながら、バスを待っていて気付いたが…この辺りで見える関門橋は、午後9時になると橋を照らしていたライトを消灯してしまうようだ…橋が消灯になった頃、下関駅へ向かうバスが登場し、それに乗って下関駅へ向かったのだった…

↓下関駅到着時の画だが、これが御裳川から乗車したバスだ…

↑他地域でバスに乗車すると時々思う。稚内や札幌、または旭川で視掛けるようなバスと同じようなモノが在る他方、「少し小ぶりな車輌?」というのも存外な頻度で視掛ける。この下関のバスは、「少し小ぶり?」という感じだった。乗客も多く、車内が暗く揺れていたので写真は撮らなかったが、シートの布地は「“ふく”のイラストが入った可愛らしいモノ」であった…

何気なく「歩ける?行くぞ!!討ち込め!!!」と元気よく歩いた“関門人道”だったが、この「長州の大砲」と偶々出くわしたのは面白かった…
posted by Charlie at 18:23| Comment(0) | HDR/2014年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする