博多駅…「九州最大の都市」で、他地域と九州とを結ぶ玄関口というような感でもある福岡に在って、「街の玄関」というような存在感を占めているような感じがする…
福岡という街は、「古くからの商人町で港町」の“博多”と、「江戸時代を通じて一帯の領主だった黒田家の城下町」であった“福岡”との「ツインシティー」(双子の街)として発展してきた。“国鉄時代”以来、九州内外の各地とを結ぶ列車が発着する駅は博多駅で、“JR時代”に至ってもそれは変わらない。他方、“福岡”側には、正式には「西鉄福岡駅」と言うらしい西日本鉄道の駅が天神地区に設けられていて、西鉄の列車が発着している。更に“天神”は、市内外、県内外と福岡の街中とを行き交うバス等が発着する場所という性格が在り、「街の玄関」と言って差し支えない。
そうした事情は在るものの、個人的には、縁薄い地域については「列車で他地方から向かうと着く場所」を何となく「玄関」と受け止める傾向に在る。関西や中国地方からの新幹線等の列車は博多駅に到着していて、東京や札幌などから空路で空港入りする場合にも、「街へのアクセス」としては博多駅への行き方が真っ先に上がると思う。(尤も、福岡空港からの地下鉄に乗ると、博多駅を通り過ぎて、そのまま天神駅に行くことも可能になっていたりするが…)そういう訳で、私は「博多駅」を「街の玄関」と認識している…
この博多駅に初めて辿り着いたのは…2010年12月のことで、事前に何らの思惑も無いままに何となく「やや遅い時間帯」に辿り着き、周辺を何となく歩き回り、偶々現れたバスの行先“ヤフードーム”に興味を覚えてその辺りへ出て、駅の傍へ戻ってからは“休憩所”で夜を明かして、翌早朝には門司へ向けて出発してしまったのだった…そんな訳で、博多駅を詳しく知ることが出来た訳でも何でもないが、当時は…「何やら?工事中?」という感じで、しかも夜のやや遅めなくらい時間帯で「よく判らない?!」という按配だった…
そういう事情から、「実質的に初めて博多駅と向き合った」という感じなのは…2011年12月に、福岡へ立ち寄った時だった。その時には、現在の<JR博多シティ>と呼ばれる大きな駅ビルがオープンしていた。2011年3月の「九州新幹線全線開業」の少し前にオープンしたようだ。
その2011年に立ち寄った際、博多駅から新幹線の列車で夜に鹿児島へ発ったのだったが、列車に乗る前に駅に至り、少々驚いたことを忘れられない。何時の頃からか、12月辺りに「大きな駅の駅ビルや周辺でイルミネーション」というようなことをやることは珍しくなくなったが…<JR博多シティ>で見掛けたモノに関して…「自身で承知している“駅前のイルミネーション”に類するものとしては、恐らく“全国屈指”だ…」と思った。とにかく華やかだった…
各地の大きな街に関して、12月のイルミネーションのような「街を飾り立てる」ようなことに関して、「そういうのが好き?」とか「そういうことが得意?」と見受けられるような街も在るのかもしれない。2011年に初めて<JR博多シティ>を視た際には、「或いは博多(福岡)も街を飾り立てるのが好きだったり、得意だったりするのか?」とも思った。他方…<JR博多シティ>としては「開業初年」だった訳で、「スタートなので景気好く!!」と張り切ったのかもしれない…
それから3年…2014年12月に至るまでに、この<JR博多シティ>のイルミネーションを何度か視ているのだが…「“駅前のイルミネーション”に類するものとしては、恐らく“全国屈指”だ…」という感じは、変わっていない。「開業初年」に「張り切った」ということだけでもないようなのだ!!
偶々、今般の旅でも視た<JR博多シティ>のイルミネーション…振り返ると「少々文字数が嵩む」程度の付き合いに、何時の間にかなっていた…
今般、<JR博多シティ>のイルミネーションを視たのは、“帰国前夜”に博多に泊まった際にであった。
昼頃に長崎駅からの列車で博多駅に到着し、その足で市内を少し動き回った後、予約してあった宿に入った。博多駅に着いてから宿に入るまでの間、曇天ではあったが降雨は見受けられなかった…
“夕刻”が近付き…友人と会う約束も在り、その前にも辺りを散策しようと外に出ようとした。身軽な出で立ちで宿の入口に至り、戸外を視て「?」と思った。「存外な強さ」を伺わせる雨音が聞こえた…傘を使うことにした…用意の折畳式傘を使用することにしたのは、今般の旅の終盤に至ったこの日が初めてとなった…
雨音を傘越しに聞きながら博多駅に至った…何やら、人の出入りが少なめな屋根の着いた通路の出入り口らしきモノが在った。“雨避け”に好適と思えたので、何となく佇んだ。よく見ると、そこは「地下駐輪場」の入口で、階段とスロープで自転車を押して地下のスペースに入れて、逆に々会談とスロープで自転車を押して地上に出す。どうも午後に至ってから降り始めた、または降り方が強くなったらしく「雨…強くなった…」と自転車を押して空模様を伺い、やがて意を決したように自転車で出発する「地下駐輪場」の利用者が散見した。雨の中、傘を片手に自転車を操って出て行く人も居た。私自身は敢えてやったことのないことなので、やや驚きながら、そんな様子も視ていた…
好い按配の“雨避け”を得て、<JR博多シティ>の様子を伺う。「日曜日の午後。夕方の時間帯に入る辺り」ということで、ビルの前に設えられた催しのステージにミュージシャンが登場して演奏を行う段取りが在ったようだ…
↓とりあえず、出演するミュージシャンの“サウンドチェック”の音が聞こえる中、未だイルミネーションは点灯していない…
↓「午後5時になりました!」と司会者の声が聞こえ、ミュージシャンの演奏が始まる旨を紹介しながら、イルミネーションの点灯が告げられた…
↑辺りは「少し眩しい?」という位になる…
博多辺り…午後5時では「完全に暗い」感じでもない…が、「明るい」でもない…イルミネーションの華やぎが悪くない時間帯だ…
↓雨で広場が湿っていて、若干水が溜まっているかのような箇所も多く、“水面”にイルミネーションが映っている…
↑刻々と辺りの暗さが増すと同時に、イルミネーションの輝きも増して行く…或いは「イルミネーションというものの魅力」であろう…
こうやって<JR博多シティ>の「休日の夕方」というものが、雨天をも厭わず、「華麗な幕開け」を見せた…
「何度視ても…ここは凄い…」という思いを新たに、友人と会うことにしていた天神地区に向けて、地下鉄で移動した…
それから…愉しい一時を過ごし、宿に引揚げるべく、上機嫌で博多駅に戻って来た。雨は少し弱くなっていた…
↓未だ、少しにぎやかな音楽も聞こえていたが、イルミネーションは「雨交じりの夜」を青紫に彩っていた…
能書きが長くなった序だ!!2011年から2013年の、<JR博多シティ>のイルミネーションの画も、ここに掲載しておきたい…
↓2011年12月18日…
↑この時は…枕崎―稚内から全行程を鉄路…―へ向かう途中に寄り、友人と会って呑んだ…呑んでから、新幹線に乗る前に駅へやって来た場面で視た光景だ…
↓2012年12月21日…
↑この時は…確かビル内で水戸岡デザイナーの展覧会が開催中で、立寄ってなかなかに愉しかった…九州を一回りして、後先を考えずに佐賀から博多に至り、この後はハードロックカフェで呑んで、“休憩所”で夜を明かし、翌日は下関や門司港に寄ってから小倉に泊まったのだった…
↓2013年12月18日…
↑アジア系の外国人の青年に話し掛けられ、彼の記念写真のシャッターを押してあげたという出来事が在った…この後、友人と食事を愉しみ、カプセルホテルに泊まって、翌朝は太宰府や柳川と「福岡県の定番!!」な場所を西鉄で巡って、そのまま佐世保まで行ってしまった…
如何であろうか?私自身の行動も振り返ると妙だが…それは置いておき…こうして過去画像も視ると、「開業の年」の2011年から、この<JR博多シティ>のイルミネーションは、毎年華やかである…
何となく思うのだが…ここのイルミネーションが華やかさを保っている間は…この国も「豊かで平和」な状態なのかもしれない…などとである…
ハッキリ言えば…私自身にとっては、通勤や買物というような「日常生活の範囲」というものを「100%逸脱している場所」である<JR博多シティ>だが…2011年以降、何となく「毎年1回」視ているような按配で…何時の間にか「これを視ないと、無事に12月を迎えられないような気がする…」と感じる程度に、私の頭の中で“定番”になり始めていることに思い至る…不思議なものだ…