「美瑛の景色が美しい」ということは、今では「周知の事実」と言って差し支えが無いと思うが、嘗て美瑛町は「旭川の南郊に在る農村」という以上でも以下でも無かった。「周知」の切っ掛けとなった「事」が在った。
その「事」の一つと目されるのは「前田真三の写真が知られるようになった」ということである。以降、各種の広告写真等の撮影が美瑛で行われ、「素晴らしい景色の町」として知られるようになって行ったのだ。
1971年に「佐多岬から宗谷岬」というような全国縦断の旅をして、復路の宗谷岬から東京への移動中に前田真三は美瑛の風景に出逢った。商社員時代に欧州を見た経験も持っていた彼は、何処と無く欧州風な「全く新しい日本の景色」というようなものを見出し、足繁く美瑛や上富良野に通い、撮影した作品を発表するようになった。
1987年に美瑛町の申し入れも受け、前田真三は自作を展示するギャラリーをオープンした。児童数減少で廃校になった小学校跡を改装してオープンしたのが「拓真館」である。
↓美瑛町の南側、美馬牛(びばうし)地区にギャラリー「拓真館」は在る…
↑なかなかに雰囲気が好い場所である…
前田真三は、来館者が随意に作品を視て、何か興味深いモノを見出してくれるなら大変幸いで、「入館料を取って見せてやる」でもないという考え方で、「入館無料」としていて、現在もそのままだ。学校の玄関だったと見受けられる場所で靴を脱いで館内に上がると、他界して久しい今でも人柄を偲ぶ人が多いという前田真三が、地元の人と触れ合いながら、様々な条件下で町を動き回って、その眼差しで捉えた秀作が数多く展示されている。中には、撮影当時と「一寸様子が変わっていますよ…」という場所も在るそうだが…複雑な地形と、様々な気象条件が織り成す、実に多彩な風景には驚くばかりである。
前田真三の息子、前田晃も父と一緒に美瑛を巡っていたことが切っ掛けで写真家となり、活躍中とのことである。現在は「拓真館」の運営にも携わっているそうだ。
美瑛は“景観”という問題意識の高い感じがする町だが、これも地域の風景を愛していた前田真三の登場が在ったからであると言われている。「何が在るでもない小さな町」という感じ方をしていた地元の方も多かったようだが、前田真三が発表し続けた作品を通じて、「美しい、誇るべき故郷」という想いを抱くようになった方も多いようである。
拓真館の中で写真集やポストカードも売られているが、思わず手頃なモノを求めてしまった…美瑛を紹介した功労者の秀作に手軽に触れられるようになった…
この拓真館…2011年には通算来館者が500万人にもなったのだという…小さな町の、必ずしも交通至便とは言い難い地域に在る小規模な施設としては驚異的であるが…一見の価値が在る作品が多い場所だ!!
posted by Charlie at 07:33|
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HDR/美瑛
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