↓鹿児島で「知覧を訪ねる」と言えば、ここは外せないと思うが…
>>知覧特攻平和会館知覧は戦時のことを伝える他にも、「近世の薩摩」というような雰囲気をよく伝える地区が残る町である。
知覧は、中世には大きな城を擁していた要衝であったが、所謂“藩政”の近世には“麓”(ふもと)と呼び習わされた独特な集落が形成されていた。江戸時代、“一国一城”と言われるが、大名の領内で城や陣屋は「原則一箇所」ということになった…島津家の領国では戦国時代末期の拡張路線の経過が在って、武士身分の人達が余所よりも多く、地方の城を完全に廃止して領主の居館・政庁となった鹿児島城の城下に全てを吸収することが出来ない状況だった。そこで各地に“麓”と呼ばれることになる武士達の集落を築いた。
“麓”は城に準じるような型で、一帯の区画整備を行い、当該地域に住む武士達の住宅を建てているもので、鹿児島県内の各地にそうしたものが残っている。それらは“武家屋敷”と呼び習わされることになる。
↓こうした「知覧が辿った経過」については、この<ミュージアム知覧>に詳しい…
![11416846436_c37d98355d[1].jpg](https://mirage-hdr.up.seesaa.net/image/11416846436_c37d98355d5B15D-thumbnail2.jpg)
↑この<ミュージアム知覧>で町の経過を勉強出来たお蔭で、風雨の中で多少苦心しながら、また酷く濡れながらの“武家屋敷”散策であったにも拘らず、それなりに楽しむことが出来た。
<ミュージアム知覧>は<知覧特攻平和会館>の隣である…料金的にかなりお得な“共通入場券”というモノも在る…
<知覧特攻平和会館>は「雨の平日」という条件ながら、それなりに来訪者が在ったのに対し、<ミュージアム知覧>は「貸切か?!」という具合であった…
折角“共通入場券”も在るのだが…私が視掛けた様子では…<知覧特攻平和会館>の入口で「そこには何が在りますか?」という来場者の問いに対し、「昔の農具等が在って」と答えていた。確かに昔の農具は在って、それはそれで目立っていたが、<ミュージアム知覧>では「“武家屋敷”として知られる街並みが造られる歩みのあらましなどを紹介する展示」が記憶に残る。そちらを前面に出すべきではなかろうか?ジオラマやビデオを駆使して、知覧の歩みが判り易く紹介されていたし、武士達が住んでいただけに刀剣や甲冑というような「らしい」モノも少し在った…“武家屋敷”は知覧の「素晴らしい見どころ」な訳で、<ミュージアム知覧>についても、それに絡めて紹介すべきだと思う。
<ミュージアム知覧>で少々予習し、“麓”と呼び習わされた地区へ、雨の中をゆっくり歩いて進んだ…
↓“麓”であった武家屋敷の地区は、街路に少し特徴が在る…
![11416877474_3931c7c66f[1].jpg](https://mirage-hdr.up.seesaa.net/image/11416877474_3931c7c66f5B15D-thumbnail2.jpg)
↑「端から端」が「真っ直ぐ見通せない」ような型にデザインされているのだ…遠くに雨に煙る山が見えるのだが、路の先は行き止まりになっている…
「端から端」が「真っ直ぐ見通せない」ような型の路というのは、「防衛施設の一部でもある」という考え方で拓かれた城下町で見受けられるものであるが、この“麓”もそういう発想で築かれていることが判る。
こうした路の脇に武士達が住んでいた住宅が並ぶ。住宅は石垣や塀に囲われたように各戸毎に並ぶのだが、入口を入ってから「真っ直ぐに建物に入れない」ようになっている。石垣や塀の間の門を入ると、眼前に更に塀等が配されていて、「コ」の字や「己」の字のように動かなければ、建物の入口や庭の辺りに出られない…こういう構造…“城門”に見受けられるものである。攻め方の人数が一気に城内へ踏み込むことを避け、可能であれば門の周辺で攻め方の進行を妨げる攻撃を加えようという発想で築かれたモノだ…敵が町に押し寄せるような状況を想定し、各自が家に篭って抵抗することを想って築いたのであろう…
区画の整理の仕方、各住宅の建て方は全く「城下町をもその一部と考えている大きな城」のようであり、または「○○城のXX丸の中」という按配だ…“麓”とは、遺構を訪れる我々の眼には「城に準じたモノ」というように見えるが、これを築いた人達や、ここに住んでいた人達にとっては「城そのもの」であったことが伺える…
↓住宅であった場所の一部には見事な庭が伝えられ、それらを見学することが出来る…
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↑決して仰々しいお屋敷というのでもない、普通な住宅というように見える建物ながら、庭はなかなかに趣向を凝らしていた。
植え込みの型を何かに見立ててみる、例えば上記の写真では「鶴と亀」という“隠しテーマ”も在るようだ…こうした庭は“和風”な感じもするが、何か他地域の庭園に見られる雰囲気とは若干異なる“当地風”が感じられる。こうした庭園に見られるようなデザインにした樹だが、
知覧では街路樹のデザインに採り入れている例も視掛けた…
↓空き地になっていた場所には四阿が設けられて休憩も出来た。雨だったので利用したが…
![11416860135_36905bfebe[1].jpg](https://mirage-hdr.up.seesaa.net/image/11416860135_36905bfebe5B15D-thumbnail2.jpg)
↑周辺に紅く小さな紅葉が散っていた…雨に湿って、独特な趣である…更に「12月に視る濡れた落葉」というようなものは、12月半ば以降は積雪が半ば当然な地域から訪ねている眼には、少しエキゾチックなモノに映る…
なかなかに風雨が強く、やや苦心しながら一帯を視て回った…
↓雨が強く、足元が水浸しのような箇所も多かったが、各所で視た庭は何れも味わいが在った…
![11416887796_20364263eb[1].jpg](https://mirage-hdr.up.seesaa.net/image/11416887796_20364263eb5B15D-thumbnail2.jpg)
↑敷地の外の、何か「南九州の山林」という趣が強い木々が“背景画”として組み入れられたような、この日の最後に視た庭園が記憶に残る…池には鯉が居て、写真には入っていない手前には、
実を付けた“桜島小みかん”の樹も在った…「実っている柑橘類の樹」というのも、「遠く九州の地を訪ねている…」という感慨を呼び覚ましてくれる代物だ…
一口に「武家屋敷」とは言っても、それを伝えている地域毎に色々な特徴が在るものだ…知覧の、住んでいた人達にとっては「城そのもの」であったことを覗わせる「防衛機能を重視した計画に基づく町」であったモノ―「何世代かに亘って築いた?」という想像をさせてくれる程のモノ―も視たが、もっと「住機能」を重視したように見える
島原のモノも面白かった。こうしたモノにはもっと触れてみたいと想う…
正直、「折角来たから…」と歩き回ったのだが、この武家屋敷の独特な趣の記憶と同じ程度に「ここは雨風で大変だった…」という記憶が強く残る…次の機会が在るか否かは判らないが、今度は好天の日に訪ねて、この独特な趣を満喫したいものだ…