2014年01月31日

ユジノサハリンスク:ロシア正教の聖堂(2014.01.30)

何度も通り掛っている場所の、何度も視ているモノでも、季節が変わると様子がかなり違って見える場合が在ると思う。

積雪寒冷地に在っては…「積雪の見られる時季」と「以外の時季」とではかなり様子が変わることも在る…

↓ロシア正教の聖堂である…
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↑初めて当地を訪ねる日本の方で、ここが記憶に残るという方は多いと思う…

ロシア正教関係の建築は、やや独特な様式のモノが目立ち、何か「ロシア!!」という感じがするものだ…

ここに関して「積雪の見られる時季」に実際に近くで眺めた記憶が余り無い…そういう訳で何か非常に新鮮だった…

↓画面右側の鐘楼の方が道路側である…
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↑横に廻り込んで、建物全般を眺めてみた…

こういうようなロシア正教関係の建築…“雪”が加わると映えるような気がする…

↓少し離れた辺りから望遠で…
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↑降雪も見受けられる空の下、屋根の色が鮮烈で、鮮烈な色を抑えるように雪が被っている…

多少低温だが…こんな風景を眺めながら街を歩くのも悪くはない…
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2014年01月30日

ユジノサハリンスク:「ロシア!!」な感じの広告看板(2014.01.30)

降雪が見受けられる中、コムソモーリスカヤ通という場所を歩いていた。

↓思わず足を止めて写真を撮った…
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↑「謹賀新年&メリークリスマス」という時節の挨拶の文字に、ロシアに独特な感じの三頭立て馬橇(または馬車)の馬である…

日中に知人に会った際…出会った直後に交わした話しは…夏や秋には何度も会っていて、互いにかなり永い付き合いながら「1月に会うのは初めて」ということになり、先方は「ス・ノーヴィム・ゴーダム(謹賀新年)」と言い出した。「未だ“1月”ですから…」と続けたので、私も返した…

「謹賀新年&メリークリスマス」という時節の挨拶の文字が入った看板も、「未だ“1月”だから」ということで“可”なのだろうか?

この看板を眼に留めたのは…実はこの文字のためではない。ロシアに独特な感じの三頭立て馬橇(または馬車)の馬の画が美しいと思ったからだ…

三頭立て馬橇(または馬車)はトロイカと言う。「三者で牽引」ということで、リーダー格を3人据えて運営される組織や機構のことを“トロイカ体制”等と言うことも在る。

実はこのトロイカを一度視た記憶が在る。馬車の方だが…本当にこの画のように、中央の馬は正面を向き、右の馬は右へ首を傾け、左の馬は左へ首を傾けて走る…話しには聞いていたが、本当に不思議だ…

更に馬と言えば、今年の干支だが…ロシアでも一部で干支を話題にする様子だ。十二支のグッズ等も多少在るようだ…

何か非常に「ロシア!!」な感じがして足を止めた看板だが…よく視ると、この種の広告看板を手掛ける広告業者の看板である。ユジノサハリンスクでは、このような「道路脇の広告看板」というようなものが存外に目立つ。この種のモノは時代の移ろいで“規制”も変わるもので、“広告”というものが盛んになった経過の中で“市民権”を強めて行ったのであろう…

こういう「どうでもいいようなモノ」が、他所の地域を訪ねると存外に面白いことが在る…
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ユジノサハリンスク:「落雪注意」の看板(2014.01.30)

レーニン通を歩いていた…降雪の時間帯が長い感じだったが、雪が止んで、少々気持ち好かった…

↓何やら歩道の上の、建物脇に妙な掲示が在って、赤系のリボンのようなモノが…
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↑近付いて写真を撮った…

文字を読む前に理解した…これは「落雪注意」の看板だ…文字を読んで確認もした…

ロシア語に関しては「あの文字が…」と大きな抵抗感を感じる方が多いようだが…所詮は33字の大文字と小文字である…頭から覚えようとするでもなく、「一語を言えるように、聞けるようになってから、それをどのように書くか確かめる」という程度のアプローチで暫らく付き合っていると、「そのうち慣れる」というものだ…

「あの文字が…」と大きな抵抗感を感じる方が多いらしいロシア語の文字だが…逆に「お洒落!!」という考え方も在るかもしれない…

そういう余計なことを考えながら、この看板脇を歩いていると…一寸だけ屋根の雪が落ちて来た…注意の看板は“飾り”ではない…
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ユジノサハリンスク:日本製と見受けられる除雪車輌(2014.01.30)

降雪が見受けられる中、コムソモーリスカヤ通という場所を歩いていた。方々で除雪作業をしている。建物に住んでいる人や、そこの店舗やオフィスで働いていると見受けられる方が雪を除けている光景も視られたが、「道路管理業務の一部」という按配で、車輌が登場していた場面も見受けられた…

↓こんな車輌が停まっていた…
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↑北海道内の街でも視掛けるようなタイプだと思う…日本のメーカー名が車輌に書かれている…

今季は雪が多めでもないのかもしれないが、ユジノサハリンスク市内は車道も歩道も除雪状態が好いように思えた。ユジノサハリンスクは、車が多い感じの街でもあるが、古くから集合住宅が寧ろ主体で、一定の区画に人口が集まっていることから“歩行者”が意外に多い…「歩道の除雪」という問題意識は高いのかもしれない…

サハリンから稚内等を訪ねた方に問われることが多い質問に「何故、街に人が歩いていないのでしょうか?」というものが在る…稚内の場合、“初来日”という方の、多分「10人中7人か8人」は前述のように訊く…だからと言って、稚内等で歩道の除雪をしていない訳ではないが…

積雪が冬季の常態となっている地域では、何処でも各々に“雪対策”を講じる…寒さと降雪という、文字どおり「自然に抗う」ような活動には、とにかく頭が下がる…
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ユジノサハリンスク:“お弁当”(2014.01.29)

ユジノサハリンスクの宿に入って、何となく落ち着いてみれば午後8時である…「1時間」の移動に向けて「何時間要したのだ!?」という按配で、何か外に出るのも面倒な感じがしていたのだが、部屋で飲むモノと煙草でも求めようと近所のスーパーに行った…

稚内の銀行支店で1000ルーブル紙幣を予め両替で入手可能であるので、用意しておけばこういうような「一寸した買物」には不自由しない…

午後8時過ぎのスーパー…存外に買物客が居た…「7時から24時」というような営業時間で、何処かへ行った帰り、或いは一旦帰宅してから思い立ってという雰囲気の人達が午後8時過ぎでも目立った…

煙草はレジの辺りで申し出るか、並んでいるのをカゴに入れて求めることになる…飲物は豊富な選択肢から適当に選べば善い…他に何か部屋で頂く極軽いモノでも見繕おうと、惣菜コーナーを眺めた…

↓こんなモノが在ったので求めてみた…
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↑“お弁当”である…(写真は宿に持ち帰った後に撮っているが…)

店の名前のシールが貼ってある…惣菜コーナーに出ているモノを造っている場所か、他の請負業者と契約してなのか、とりあえず“プライベートブランド”というモノである。

米飯とおかず…おかずは何種類か用意されていたが、何れも写真のような外観になっていた…

求めてみたのは、鮭の洋風な焼き物がメインのおかずになっているモノだ…“サーモングリル”と言う方が好いのか?

↓開けると、こういう具合…
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↑ロシア語のシール等が見えない状態にすると…とりあえず、日本国内の“惣菜コーナー”等で視掛ける“お弁当”にしか見えない…

“サーモングリル”…余り脂っこくない魚だった…魚は“一口大”にカットされている…酸味の在る味付けのサラダが添えられていた…米飯は、ややパサッとした感じだったかもしれない…

この“お弁当”…求めたモノを含め、眼に留まった何種類かは一律に270ルーブルだった…やや乱暴にレート換算をすると、「日本国内なら高過ぎ」に思える内容だが…“外食”系統全般が、そういう流儀で計算すると割高になるユジノサハリンスクでは「こんなもの…」と思えるような範囲の価格だと思う…

日本国内では、この種のモノを求めると、割り箸か何かが付いている場合も在るが…ここにはそういうモノは無かった…

↓そこでこんなモノも求めた…
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↑何本も入ったフォーク…19ルーブル…滞在中はこれを利用可能だ…

大食漢の私としては…一寸「慎ましい…」量の“お弁当”だったが…以前には視なかったモノなので、一寸試してみた…
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2014年01月29日

新千歳空港で待機するオーロラ航空のB737-500(2014.01.29)

新千歳空港・ユジノサハリンスク空港間の便は、SAT(サハリン・アヴィア・トラッセ)という会社が運航していたが、会社の合併等で改組して<オーロラ航空>となった…

考えてみると、<オーロラ航空>という体制になってから初めて搭乗することになった…

基本的に新千歳空港・ユジノサハリンスク空港間の便は…「ユジノサハリンスクに居る飛行機が新千歳にやって来て、折り返しユジノサハリンスクへ向かう」という型で運航されている。従って…ユジノサハリンスクからの便が到着しない限り、新千歳空港を発つことが出来ない…

「未だ見慣れないデザインの飛行機が来る筈だ…」と「既に“半日仕事”…」という草臥れた気分で搭乗案内待ちをしながら、窓を覗っていた…

↓「遅延」で案内の在った時刻を過ぎて、漸く飛行機が見えた…
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↑荷物を下ろし、そして積込む作業が慌しく行われていた…

少し多めな乗客を乗せるこのB737…或いは専らサハリンに居るのではなく、方々を廻るようになって、そのために“機材繰り”という問題が起こり易くなっているのかもしれない…SATのマークを付けたままの小型機によるチャーター便の方は、定刻で動いていた辺りをみると、そんなことを思ってしまう…

このB737…速い!!離陸から着陸は1時間余りだ…機内に流れたロシア語と英語による機長のアナウンスでは「1時間5分」ということだったが、雲の切れ間、氷の浮かぶ海という辺りでいきなりユジノサハリンスクの滑走路に下りるまでに1時間を要したか、要しないかだったような気がした…

<オーロラ航空>になって、新たなデザインの客室乗務員制服が制定されたようだが…今日の乗務員の皆さんは、見覚えが在る、ローズピンクとワインレッドのSAT時代の制服だった…1時間のフライト…機内サービスは水やジュース等を1回配るだけだった…

今日は…「“1時間”のために“何時間?!”要したのだ!?」という感だったが…このデザインの飛行機…これから「見慣れた」感じになって行くのであろう…
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ユジノサハリンスク:63のバス(2014.01.29)

「○番のバス」とバスを運行系統の番号で呼ぶ…日本国内でもそういう感じになっている場所が見受けられるが、欧州諸国は顕著で、ロシアもその例に漏れない。ユジノサハリンスクもそういう仕組みだ…

稚内辺りでは…バスに関しては“市内線”とか“空港線”というような言い方が前面に出ている感で、サハリン辺りの方が「○番のバス?」とでも問うたなら、やや説明に窮する場面も在る…

ユジノサハリンスク空港と市内…自家用車やタクシー等で移動する以外に、路線バスが在る。空港と市内とを走るバスだが、3と63とが在る。私が滞在する宿に近い辺りへ向かうのは63だ…

便も少なくなって、静かになっていたユジノサハリンスク空港に着き、薄暗い空港前に佇んで辺りを覗った…路線バスらしきモノが見えた…

↓近付くとこんなバスが…
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↑広告なのか、誰かの趣味なのか、IDEMITSU等と大書されているので「何の車輌だ?」と思ったが、これは63の路線バスだ…左側に“63”と掲出してあった…

乗ってみれば…スキーウェアか何かのような防寒服姿だったので、一般の乗客かと思ったが、確り乗務員が乗っていた。料金等を入れる小さなバッグを携行していた…

私が下車するのは<オクチャーブリ>という停留所だ。「行きますよね?」と尋ねると、「行きます。近くなったらお報せします」と言ってくれた。料金を支払おうと尋ねれば「15ルーブル」という話しだった…過去のサハリン訪問で残していた硬貨が在るので、それを利用して支払った…

バスが動き出した…こちらの路線バス…運転士さんが何やらカーラジオを鳴らす…存外にボリュームが大きい…<ダロージナヤ・ラジオ>という局らしい…“ダロージナヤ”?“道路”の形容詞…恐らく「カーラジオのリスナー」を意識しているのであろう…それが流れていた…

車内を見回すと、何やらハングル文字が…韓国製の車輌らしい…韓国は右側通行らしく、サハリンでは韓国製のバスをよく視掛ける…

バスは前方と真中に扉が据えられている。「前方から乗車して、真中から下車」という仕組みのようだ…

始発から乗車したので確り座ることが出来た。窓が結露している…窓を擦って結露を落とすと言う動作を何度もしながら外を覗った。通ったことが在る場所でも、暗い中での眺めは少し様子が違う…

バスは存外に乗降する乗客が多い。何時の間にか立っている人ばかりになった…乗務員は車内を動き回り、乗って来た乗客から料金を集めたり、持っている乗車券を検める等している。利用者が多い停留所では乗務員が「○○!」と停留所名を大きな声で言う…

やがて、過去の訪問で何度と無く歩き回っている、チェーホフ劇場や州政府の分庁舎(嘗ては民間のオフィスビルだった…)が見えて来た…「次か、その次かな?」と思っていると、乗務員が近付いて来て「次ですよ」と伝えてくれた…

ユジノサハリンスク空港から、コムニスチーーチェスキー通のレーニン通と交差する辺りに近い停留所である<オクチャーブリ>まで、30分間程度だった…それでも15ルーブル…こちらの“値頃感”というものなのか?

乗務員に「ありがとう!」と言って下車した…バスはまた、大勢の乗客を乗せて、終点を目掛けて走り出した…

↓ロシア語のモノだが、ユジノサハリンスク市内のバス運行系統を紹介しているウェブサイトも在った…
>>Схемы автобусных маршрутов г. Южно-Сахалинска - BUSYS.RU
↑このサイトに在る、例えば“63”をクリックすると、今般乗車した経路が判る…

今般は…離陸から着陸まで1時間のフライトに乗るまでで「只管に待ち」で何となく草臥れてしまったが、ユジノサハリンスク空港に着いてからは順調だった…
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北海道庁旧本庁舎(2014.01.28)

すすきのや大通辺りの、若干西寄りな辺りを札幌駅方向へ北上すると…

↓こういう建物に出くわす…
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↑日が落ちてからライトアップが施される…夜も遅くなるとライトアップは消灯しているようだが…

1888(明治21)年竣工の建物で、1909(明治42)年に火災が在って、1911(明治44)年に復旧工事が完成しているという…復旧工事完成から数えて100年と少々…重厚な建物だ…1969(昭和44)年に重要文化財に指定されたのだそうだ…北海道庁の旧本庁舎である…

この時季、「氷雪の世界のロマンチックな雰囲気」を求めてなのか、温かい地域から訪れたと見受けられる旅行者を多く視掛ける札幌市内だが、この北海道庁旧本庁舎辺りも、そうした人を一際多く視掛ける場所である…

とりあえず建物は“重要文化財”ではあるが、飽くまでも「北海道庁の庁舎」である。「○○課のオフィス」のようなものが入居している訳ではないが、一部の部屋が“会議室”として利用されている…

北海道庁は非常に大きな機構で、この旧本庁舎の周辺に在る「○○課のオフィス」のようなものが入居している建物に勤務している関係者だけでも…もしかすると、数千人になるのかもしれない…朝の通勤時間帯にこの辺りを通り掛ると、夥しい人が歩いていて、多少驚く…

この札幌都心のオフィスだけではなく、北海道庁は各地に出先機関を有し―稚内にも在る…―ている他、色々な道立施設に居る関係者も多い…俗に“2万人”―北海道内では、これ以下の人口の市町村が多いのでは?―と言われる職員を擁していて、会議を行う場所は足りないかもしれない…会議となれば、北海道庁の外部の関連が在る皆さんも集まるのだから大変だ…ということで、この「重要文化財」も活躍する訳である…

↓どうでもいいが、ライトアップが非常に映える建物だ!!
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美しい青空を背景に佇むこの建物も好いが…個人的には、こういう具合のライトアップの状態が非常に好きだ…
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都市間バスの新しい車輌(2014.01.28)

稚内・札幌間の都市間バスは、稚内を本拠地とするバス会社と、札幌を本拠地とするバス会社による共同運行体制である。

バスを利用する際には、何れかの会社の車輌が投入されている。何れも“3列シート”のタイプで、車輌毎に新旧色々だが、装備に大差は無い…“乗物好き”としては、「どんな車輌が登場?!」というのは一寸した愉しみである…

↓早朝の稚内で、乗場にバスが現れた…
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↑朝6時30分の発車を前に現れたバスだが…「雪の夜…」という趣である…

実際、拙宅からバス乗場までは雪を漕ぐように歩いた…多少エネルギーを使ったが…バスが空いていたので、最後尾の一画を広々と使い、寛ぎながらの移動となった…

現れたバスは、稚内を本拠地とするバス会社の新しい車輌だ!!これと色違い…赤いモノは「2列+2列」のシートで、“貸切バス”として稚内市内で活躍している場面を時々視掛けるのだが、青いモノは余り視たことが無かった…

拙宅から持ち込んだ<壱岐>を車中で頂き、半ば居眠りの場面も在った…稚内・札幌の日中のバスは羽幌と砂川で休憩停車する。高速道路を経由するが、冬季には高速道路の閉鎖も時々在って、ルートが変わる場合も在る…今日は、稚内では少し強めな雪で、羽幌も雪だったが、何時の間にか高速道路の上をバスは走っていた…砂川でも雪だったが、以降は非常に順調だった…

↓札幌駅前に到着してみれば…プラス3℃で積雪が融けていて、足下が悪い箇所も見受けられた…
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↑札幌辺りの皆さんにおかれては、この青いバスを視掛けたら…「遥々と稚内からやって来たバス」と降り返ってやって頂ければ嬉しい…

稚内での雪は、「荒天で運行が?」と不安を抱かせてくれたが、それが杞憂に終始した。善かった…
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2014年01月28日

札幌で“佐世保バーガー”(2014.01.28)

↓長崎県の佐世保を訪ねて、「“佐世保バーガー”だ!!」と、慌しく“佐世保バーガー”の店に立寄ってみた経過が在った…
>>佐世保(長崎県):“佐世保バーガー”(2013.12.19)

そんな記憶が未だ新しいのだが、実は「札幌に出店している」という“佐世保バーガー”の店が在った!!

かなり以前に立寄った記憶も在るのだが…無性に行ってみたくなった…

↓こういう店構えだ…
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“佐世保バーガー”は「昭和20年代に米軍関係者から伝えられたモノが受継がれ、拡がり、地元に根付いて…」という歴史を負っていることから、店構えは「米国的!!」という感じを目指しているのかもしれない…

↓入口辺りの飾り…
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↑一昔前の米国辺りの感じを醸し出している…

“佐世保バーガー”というのは、特定のハンバーガーを示すのではなく、佐世保市内の店で提供される「手作りで」「注文に応じて作り始める(作り置きをしない)」こだわりのハンバーガーの総称である。だから、店毎の色々なモノが在る…

↓この店の看板メニューらしい<スペシャルバーガー>である…
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↑なかなか大きいが…「ぺロり…」と頂いてしまった…

佐世保で受継がれた人気のメニューを、佐世保の流儀に準じて造って出している店だが、なかなかに人気のようだ…今日は「平日の中途半端な時間帯」の一寸空いている辺りに巧く紛れ込んだ型だ…

北海道というのは、色々な地域の人達が入っていて、その後裔に相当する人達が住んでいる場所では在るのだが…と言って、佐世保辺りと特別に強い繋がりが在るでもない…「新しモノ好き」が多いのか?「米国的!!」がウケそうな雰囲気が在るとか?理由はよく判らないが、彼らは札幌に出店している…

私は「こだわりのハンバーガー」というようなモノは大好きなので、こういうのは大歓迎だ!!こうやって札幌で“佐世保バーガー”などを頂くと…慌しく出発してしまった佐世保を再訪してみたくなってしまう…
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2014年01月27日

札幌:“チキン・ビリヤ二”と“ラム・ビリヤ二”(2013.12.29)

札幌都心の少し北東に寄った辺りに、嘗てはビール工場であった場所を再開発して登場した商業施設が在る。ビール工場であった時代によく近隣を通っていたので懐かしい感じがする地区でも在るのだが…“工場”であったという出自の故か“サッポロファクトリー”と名付けられている…

ここの中にインド料理店が在る。札幌辺りでは比較的知られているチェーン店なのだが…数年前に用事が在って札幌に滞在した際に、連日のように昼食を摂っていた場所で、大変に気に入っている店だ…札幌で時間が在ると、一寸寄ってしまう…

年末にもここに立寄った…

ここのランチでは…“ビリヤ二”と称するカレーライスが気に入っている…本格インドカレーがサフランライスに!!これが好い!!

↓鶏肉が使用されている“チキン・ビリヤ二”…
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↓羊肉が使用されている“ラム・ビリヤ二”…
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この何れかが非常に気に入っているのだが…この日はどちらを頂くか迷い…2つ頂いてしまった…

ここで気付くのは…ビーフ(牛肉)やポーク(豚肉)はインド料理ではポピュラーな食材ではないということだ…チキンとラムの他、エッグ、野菜、シーフードという“ビリヤ二”は在るのだが、ビーフやポークは無い…こんなことに気付くのも、何となく興味深い…

実は近く札幌に出る用事が…こういうモノを愉しむ時間も見出したい…
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擦り切れてしまった501…(2013.12.21)

2009年に入手したダークインディゴの501…何となく気に入っていて愛用していたジーンズである…

↓2013年12月21日に撮影した…
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↑左膝辺りの一部が擦り切れてしまった…

何時も折れ曲がって、生地が弱くなっていた感の箇所が在り、2012年12月辺りから少々目立つ感じだったのだが…終に一部が擦り切れて、少し大きな穴が開いた…

12月の旅の際に穿いていて、擦り切れた…その時に多少汚れたので、一度洗ってそのまま置いて在るが…やや目立つ穴になってしまったので、その後穿いていない…

このジーンズは入手して以来、方々に出掛けた場面で穿いていたことが多いジーンズだ…道内は言うに及ばず、関西から九州、更にサハリンにも何度か行っている…

とりあえず置いて在るが…これからどうしたものか?想い出多い1本なので、アッサリ棄てる気にもならない…

ということを考えていたが…未だ一度も穿いていなかった新品の501が在ったので、今日からそれも着用し始めた…“シュリンク・トゥ・フィット”(洗って縮むとサイズがフィット)という代物の新品なので、ほんの少し大きい感じなのだが…
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時にはアイスクリーム…(2014.01.26)

「暑いから…」とアイスクリームを頂くということも在るが…暑さ、寒さと無関係に、時にはアイスクリームを頂いてみたくなることも在る…

↓休日に頂いてしまった…
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↑“レギュラー・ダブル”という代物…

フレーバーは“ニューヨークチーズケーキ”と“チョコレート”…この種の組合せが好みだ…

度々頂くことが出来るでもないが…「休日のささやかな贅沢」という感か…
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2014年01月25日

“昭和生まれ”な硬貨(2014.01.25)

少し前に読んでいた小説に在った場面を思い出した…

警察の捜査員が事件関係者を密かに尾行していた…尾行対象の人物は、駅でさり気なくICカード乗車券を手にして改札口を抜けてホームに出た。捜査員も同じようにしながら“少し前”の様子を思い出す。以前は、切符を券売機で求める様子を覗っていると、どの辺りへ向かうのかが推測、または推定出来たが、何時の間にかそういうことが出来なくなってしまっている…

稚内のような場所では、公共交通の利用で硬貨を使う場合は限定的な感だが、大都市では公共交通機関を利用する頻度が高く、硬貨も多く使用してしまうものだった…しかし最近は、その日1日有効の“1日券”的な乗車券を求めるか、そうでもなければICカード乗車券を利用することが殆どで、硬貨を使用する機会が激減した…昨年12月から1月で、福岡で地下鉄を利用した場面や、札幌で地下鉄、路面電車、バスを利用した場面で、そういうことを強く感じた…

ということで、少し前に読んだ小説に在った場面を思い出していたのだが…学生時代辺りには、公共交通機関利用の都度に券売機で切符を求めたり、現金で支払う場合ばかりだったので、何となく「各種支払いを千円紙幣で行い、釣銭の硬貨を持ち歩く」ことが常態化した…「硬貨が相当貯まってしまった…」と思えた時点で、銀行に立寄ってATMで口座に硬貨を入金し、換わりに千円紙幣を引き出す…現在は、然程多数の硬貨を必要としないように思うのだが、随分永く続いた“習性”で、未だに「各種支払いを千円紙幣で行い、釣銭の硬貨を持ち歩く」ことが常態化している…

今日、「硬貨が相当に貯まってしまった…」と思える状態だった…今日は、コインランドリーを利用する予定が在ったことから、この数日というもの、意図的に100円硬貨を手元に残すようにしていた面も在ったことから、「相当貯まった…」がやや極端になっていた…

↓持っていた硬貨の一部をテーブル上に何となく並べた…
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↑最初に眼に留まるのは「旧デザインの500円硬貨」だが…並んだ硬貨に刻まれているのは、何れも「昭和○○年」だ!!

「旧デザインの500円硬貨」…これは「もっと価値が低く、大きさが似ている」という外国硬貨を変造するなどし、自販機やATMで「取消・返却」や「購入・釣銭」や「入金・出金」という操作を行って、金を詐取するという事件が相次いだことから「現行デザイン」に変更された経過が在るというモノだ…「旧デザイン」のモノは、そうした経過も在ったことから、駆逐されるのも早かったらしく、デザイン変更後直ぐに視掛ける機会が激減した。視掛けても“平成”が殆どで、“昭和”に出逢ったのは久々のような気がする…

こうした、やや年数の経った硬貨を視ると、考えることが在る…硬貨が製造されて、市中に出回り、やがて使用されなくなってしまうまでの間…どの位の年数なのか?また、どの位の距離を動き回ることになるのか?

どちらかと言えば、私は「1枚の硬貨は、製造後に市中に出回ってから、使用されなくなるまでの期間で、どの位の距離を動くのか?」ということに関心が向く…

例えば…稚内に住んでいる私が手にする硬貨…

最初が“新品”だったとすれば…硬貨を製造する造幣局は、大阪、東京、広島に工場を持っているらしい…ということは…どこで造ったにしても、稚内市内の銀行や信用金庫に入って来るだけで1,000キロメートル以上も動いている…

こうした硬貨を、何処かの店の人が釣銭用に両替し、それの一部が私の手に釣銭として入ることになる。そして私が支払いに使用し、それが他の誰かに渡り、渡った人が支払いに使用し、また別の誰かに渡る…こういうことが延々と繰り返されることになる…

例えば…昨年の12月13日の時点で私が持っていた硬貨の一部は、そのまま私の財布の中に留まり、一部は12月17日に鹿児島市内での支払いに使用した…ということは、その硬貨は3,000キロメートルも動いたことになる。私が鹿児島で使った硬貨は、誰かの手に渡る訳だが…そのまま鹿児島周辺に留まる可能性も在るが、同じ程度に鹿児島へやって来た九州の他県の人や、関西や関東や東北等々の他地域の人に渡る可能性も在る。とすれば、硬貨は更に何百キロメートル、場合によって1,000キロメートル動く可能性が在る…

こうして考えると…昨年の12月13日の時点で私が持っていた硬貨の一部は、今日までの1ヶ月半に満たない期間で、累計して1万キロメートルとか2万キロメートルというような距離を動いているかもしれない…

全く「だからどうした?」という類の話しだが…「昭和○○年」と刻まれた「相当長く流通している代物だ…」という硬貨が存外に多く集まっていたのを視て、そんなことを考えていた…或いは「実に長閑な休日」らしい感である…
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2014年01月24日

長崎:街を行く301(2013.12.15)

“長崎”と聞けば、色々と思い浮かぶが、私は「あの年季が入った路面電車が街を行き交っている様子」をぼんやりと思い浮かべる…

↓その「“長崎”と聞けば思い浮かべるような光景」というのが、こういった感じのものである…
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↑イラスト調に纏めてみた…正しく「画のように思い浮かべる光景」なのである…

これから先、何度こういう様子を想い起こすことになるだろう…何度でも視に出掛けたい光景だ…
posted by Charlie at 23:22| Comment(0) | FotoSketcher/長崎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長崎の路面電車:1502(2013.12.15)

↓長崎で見掛けた路面電車だが…
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↑各地で見掛ける機会が多い車輛の雰囲気だ…

例えば…

↓札幌でも似たような感じの車輛を視掛ける…
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この長崎で見掛けた1502…、1993年から1997年にかけ製造された1500型の1輛で、現在は7輛が活躍中であるという…

「似ている!」と思った札幌の路面電車…この8500型は1985年に登場しているものだというが、或いは1980年代から1990年代に路面電車と言えば「こういうような雰囲気」が定番だったのかもしれない…

色々な年代の車輛が活躍する各地の路面電車だが…或いは登場した時代毎に「流行り」のような形状が在るのかもしれない…
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2014年01月23日

鹿児島:鹿児島中央駅前の1016(2013.12.16)

何時ものように静かな朝を迎えている…“前倒し”傾向な早起きで、<モカ・エチオピア>を淹れて個性的な味を愉しみながら、撮り溜まっている写真を眺めていた…

12月に旅をした際の写真だが、「あそこは雨で…」と直ぐに思い出すような場所での写真は相対的に少なく、「好天だった…」という場所の写真は相対的に多い…何ら特別なことではないのだが、「あそこは雨だった…」という場所の相対的に少ない写真を眺めていると、“積み残し”という感覚が拡がる…

「好き・嫌い」というモノに関しては、“理由”が在るような無いような感じなのだろうが…結局、“鹿児島”は「好き」な訪問先の一つとなっているのであろう…2011年12月に「行ってしまうぞ!」と鉄路で「稚内から枕崎まで」ということをやらかした復路、鹿児島中央駅で新聞の号外を配っていたあの時が最初で、“かごでん”に乗車してみたかった2012年12月、“でんでん”に乗車してみたかった2013年3月と繰り返して訪ねている…

2013年12月16日は、早朝の暗い長崎を発ち、諫早、島原と移動し、海を越えて熊本に辿り着いた時点で立ち止まろうとしたが…「ここから、どうしようか?」と熊本のフェリー乗場から熊本駅前へ向かう移動のバスで時刻表を眺めた時に視付けたのは、「八代へ出て肥薩おれんじ鉄道に乗車して川内に向かうと、乗換えて夕刻までに鹿児島」ということが出来るという事実だった…頭に浮かぶのは、夕刻なら岩肌が西日に照らし出され、早朝なら朝陽を背景に巨大な影が空に映える、街を見下ろす桜島が見える風景であり、気に入っている石橋記念公園の様子であり、故郷の街と港を見詰める東郷元帥の像であり、西郷隆盛像が在って公会堂の在る辺りの公園の様子であり、何となく賑わっている天文館辺りの様子であり、芝生敷きの軌道を行き交う路面電車だった…

そして鹿児島に着き、途中でネットを駆使して抑えた宿に向かうと…雨模様になった…

↓その鹿児島で、街に出ようと雨の中を歩み始めて、出くわしたのがこの1016である…
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↑「雨=水」というような安直な連想だが…水彩画風にしてみると、「雨の黄昏」の情感のようなものが巧く表現出来るような気がした…

鹿児島の1000型は、「今後の主流」になりそうな“超低床”の車輌を、「何とか国産で」ということで開発・製造されたモノだ…年末年始に札幌で出会った“A1201”の“兄”ということになる…或いは全国各地で活躍している「国産“超低床”という兄弟の長兄」とも言えるかもしれない…

この写真…視ていて愉しい反面、「もっと鹿児島の路面電車で動き回りたかった…」という“積み残し”感が拡がる…

今朝の2杯目となる<モカ・エチオピア>を啜りながら…天文館通停留所から商店街に入っていった辺りの、「鹿児島の粋人の密かな愉しみ」的な、或いは「旧き善き日本の喫茶店」という好いムードの老舗カフェの事等を思い出す…2013年12月は行けなかったのだ!!
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2014年01月22日

長崎:孔子廟(2013.12.15)

2012年に長崎に初めて立寄り、後から「“積み残し”だったな…」と気になっていたモノの一つが孔子廟だ。

1893(明治26)年に、在日華人が清国政府の協力を得て建設したという長崎の孔子廟…かなり本格的な「中国の伝統」を伝える建物だと聞いていた。

場所は、グラバー園や大浦天主堂の近くでもある。路面電車の第5系統の終点・起点となる石橋停留所から徒歩圏内だ…

↓敷地の入口から入場すると、立派な門が在る…
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↑孔子廟の正式な門ということになるらしい…

そして門を潜ると…

↓こういう具合に“大成殿(たいせいでん)”という本殿が在る…
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↑ここに孔子が祀られている…

この孔子廟は、魔除けと慶びを表現するという朱色で彩られ、屋根は黄色だ…古来、中国では屋根の色は中に住む人の格に応じて決まった色を用いるようにしていたのだという。黄色というのは皇帝の色だという。この孔子廟は、大変に尊い孔子が居る場所ということで、黄色の屋根が選ばれていることになる。

孔子が鎮座する“大成殿”の周囲には多数の人物像が配されている。これは孔子の高弟達であるという。「72賢人」と呼ばれる、様々な活躍や挿話が伝えられる人物達だという。残念ながら…余り詳しくはないのだが…

この“大成殿”の奥に<中国歴代博物館>というものが在る。孔子に関することと、中国の歴代王朝のことを紹介した展示である。個人的に一寸注目したのは、入口辺りに長崎税関による“保税展示場”という許可が掲示されていたことである。中国など、外国のモノを一時的に展示できる場所で、展示品にそうした「期間を切って、展示向けに持ち込んだモノ」が在ることを窺わせる。具体的にどれがそれに該当するのか判らなかったが…

孔子は、古代中国の社会に在って、必ずしも恵まれた境涯でもなく、高い身分で在った訳ではないが、永く読み継がれる多くの言葉である『論語』を遺している人物で、“信仰”の対象にさえなっている…

↓それにしても、孔子廟の建物は随分見事に飾られている…
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↑中華文化圏の国々を訪ねた経験は無いが、何かこうした「如何にも!!」という装飾が施された立派なモノを視ると、そうした国々を疑似体験したような感じだ…

この長崎の孔子廟…とにかくも「見事…」を連呼しながら、詳しい知識が在るでもないながらも、存外に夢中になって視ていた…何か「不思議な力」が感じられるような気がする…

↓去り際に…龍が舞う屋根を見上げた…
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↑中華文化圏にルーツを有する人達も多く居るという長崎の地に在って、こうした華麗な装飾はそうした人達の矜持のようなものを呼び覚ますものなのかもしれないが、同時にこの“龍”は様々なモノが入り交じった長崎が平和に栄え続ける様を見守ってくれているような気もした…

この日は、神社やカトリックの教会にも立ち寄っていた。そしてこの中国の信仰に関連する孔子廟である…振り返ると、何か不思議な気もするが…或いは、こうした「色々なモノが混在している」のが「長崎らしさ」ということなのかもしれない…更に踏み込むと、色々な起源を有するモノが不思議に溶け合っているというのは、“日本文化”の特長の一つなのかもしれない…

>>長崎:鎮西大社諏訪神社(2013.12.15)

>>長崎:浦上天主堂(浦上教会)(2013.12.15)

2012年に初めて立ち寄り、何となく2013年にも立寄って、長崎では色々なモノに触れることが出来た。所詮は「俄か」であって恐縮だが、スッカリ“長崎ファン”になってしまったかもしれない…
posted by Charlie at 18:40| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福岡市博物館(2013.12.21)

福岡タワーが見える辺りに出て、少しキョロキョロと辺りを探して…

↓福岡市博物館の建物を見付けることが出来た…
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↑空が映り込む、硝子張り部分が多い建物だ…展示をしている場所、収蔵庫の他、色々な目的に使うスペースも備えている大きな建物である…

福岡市博物館は、従前からの資料館が手狭になっていたことを踏まえ、アジア太平洋博覧会(よかトピア)の開催に合わせて建てられた。建物は博覧会会期中にパビリオンとして利用され、その後1990年に博物館として整理されて開館し、今日に至っている。

ここは“金印”を所蔵していることで知られている博物館だ…“金印”というのは、高校の日本史の教科書、或いは小中学校の社会の教科書でも見た記憶が在るのだが、中国の王から「倭の王に封じる」というような意味合いで贈られたと考えられる、古代の印章である。金で出来ているから“金印”だ…

とりあえずこの“金印”が視たかったのだが、確り視てきた!!その「小ささ」に多少驚いた…何か、拡大した写真を教科書で視て覚えていて、「人の握り拳位は在る?」と勝手に思っていた…意外だった…

「印章」ということで考えると、「こんなもの…」なのかもしれない。官公署等の書類に押されている場合が在る角印の、小さ目な印象を受けるモノのような大きさだ…何か印章というよりも、「小さな金属塊」という感じもする。昔は金や銀の重量を測って、重量で貨幣価値を示していたそうだが、この金印はそうした「軽量して値を示すような仕組みの貨幣」のようにも見える。少し離れると、何となく「コインのような大きさ」にも思えた。或いはこういうような大きさの金の塊は、宝飾品を造る工房にでも在るのかもしれない…見付けた人は、「光っている?何?小さな金塊?!」というようなことで拾い上げたのであろうか?小さなモノながら、色々なことを想いながら視た…

この金印は、常設展示に踏み入って直ぐに在ったのだが、見学した常設展示は「福岡の歩み」が時系列に学ぶことが出来るようになっている。大変に興味深く見学した。

福岡は、古代から大陸との交流の舞台となっていた…中世にも博多が交易港として栄え、「日本初のチャイナタウン」と紹介されていたが、宋(日本の中世に中国に在った国の呼称)の商人達の中で博多に定住して活躍する人達も在ったのだという…戦国時代には、大名達の争いの舞台ともなったが、豊臣秀吉の時代に博多の町が現在の基礎になる型に整備されたという…そして幕藩体制の時期に城下町の福岡が整備され、博多と福岡が双子都市として歩み、明治以降の近代に向って行く…

こういうような経過が、豊富な収蔵品や解説図、ビデオ等で詳しく紹介されている。近代に至るまでの経過に関する展示も面白かったが、近代以降の展示にも街の雰囲気等を伝えるモノが色々と在って愉しめた。更に、戦後の経過を紹介した辺りでは、福岡が非常に盛り上がった“西鉄ライオンズ”も取上げられていて、レプリカか本物かは判然としなかったが、黄金時代の選手達のユニフォームが綺麗に並んで飾られていたコーナーも在った…

↓私が訪ねた際、館の入口を入ったホールには、“山笠”が飾られていた。
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↑その巨大さに驚く…弁慶と牛若丸の物語を題材にした人形が据えられていた…

福岡市博物館を訪ねると、様々な伝統、色々な経過を持っている福岡の歩みというものに、手軽に親しむことが叶う。なかなかに好い場所だ…

↓見学後に振り返った…
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↑新しい建物だが、なかなかに趣が在る…

この辺りは「アジア太平洋博覧会(よかトピア)を契機に整備が進んだ」と見受けられる地区だが、海岸部であり、広い歩道も整っていて散策するのが愉しい雰囲気も在る。何時かまた訪ねてみたい…
posted by Charlie at 07:52| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福岡タワー(2013.12.21)

12月20日は夜になって博多に至り、翌21日の午前中は福岡市内で過ごした。

偶々滞在した宿の建物の構造が、外の音が伝わり易い感じだったからかもしれないが、夜の間に「不意に強い雨が降る」音がした。そういう状況で朝を迎えて、「どんな様子か?」と戸外を窺うと…特段に雨は降っていなかった…

「これは僥倖である!!」と宿を出て街を歩き始めた…地下鉄と徒歩での移動である…

↓福岡タワーが見える辺りを歩いた…
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確か2011年にここを訪ねて展望室に上がった…

↓2011年に福岡に寄った際の画…
>>Fukuoka on DEC 18, 2011 - a set on Flickr

1989年のアジア太平洋博覧会(通称:よかトピア)にあわせて建設されたとのことで、高さ234mだという…

実は…この福岡タワーを見上げながら「再訪しようか?」と思わないでもなかったが…未だ行っていなかった福岡市博物館を優先した…

青空の中に福岡タワーが佇んでいて美しい光景だが…暫くして昼近くになると、強めな雨が降り始め、遠くに雷鳴も聞こえるような状態になった…
posted by Charlie at 07:33| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『長崎旧浦上天主堂1945-58 失われた被爆遺産』

↓写真が主体となる本…久し振りに入手してみたような気がしている…



長崎旧浦上天主堂1945-58 失われた被爆遺産

↑厳選されたのか、残っていた数少ないモノなのか、何れにしても「訴えかける何か」を秘めた写真が掲載されていて、見入ってしまいながら、掲載された文章も興味深く拝読した…

多少なりとも関心を寄せている事柄が在ると、関心の対象に関係の在るモノが、擦り寄って来るかのように眼前に現れるという場面が時々在るように思う。何度も経験している場面だが、今般もそういうような具合にこの写真集に出くわした。

2012年に長崎の平和公園を訪ね、公園の一部のようになっている“爆心地”に立寄ってみると、「浦上天主堂の一部」というモノが在った。祈りの場が原爆で破壊されたという挿話を知ることとなった…

↓やがてこんな一冊に出くわして読了した…
>>『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』

現在では浦上は長崎市の一部なのだが、嘗ては「隣りの村」だった。永い禁教の時代にも信仰を密かに受継いだキリシタンの村でも在った地域だという。そこに多くの人々の想いが結実し、それこそ人々が煉瓦を持ち寄って一つずつ積むようにして築かれたのが浦上天主堂である…竣工は1925年ということだが、20年程度で破壊されてしまったことになる。

上述の『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』では、破壊された跡に浦上天主堂が再建されるまでの間の経過等を綴っているのだが、今回入手した写真集には、その1958年の解体工事までの写真が収められている。

浦上天主堂は、原爆の凄まじい爆風で辺りが荒野のようになってしまった中、「建物の一部」となってしまった姿ながらも静かに佇んでいた。建設に携わった人達や、建設の前に斃れている信徒達の強い不屈の想いを反映するかのように、その堅牢な建物の一部が残っていたのである…

本書で写真が少し多くなるのは、原爆による破壊の瓦礫が片付き、周辺の建物が或る程度立ち並ぶようになって行った時期からのものである。

破壊されてしまった浦上天主堂の辺りは広場のようになっていた。近所の小学校に通っていると見受けられる児童達が遊んでいる画、婚礼衣装で通り過ぎる女性の画等が在る。凄まじい破壊の後に、笑顔と日常を取り戻して前進する街の人々を健気に見守る、破壊されてしまった天主堂の姿が広場には在った…

そして解体工事の画が多く在る。上述の、街の人々を見守るように佇む天主堂の様に心動かされた写真家の中に「解体で善いのか?」という問題意識が芽生え、撮影回数が増えたのであろう…原爆の爆風のエネルギー…人為的に造られた爆風ながら、恐らく誰にも制御出来ないような凄まじいエネルギーであると想う。そんなモノに晒されても尚残る天主堂の一部は、驚く程に堅牢だ。解体に抗うかのように、作業員達を梃子摺らせている様子が写されている…

先に読んだ『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』にしても、本書にしても「広島の原爆ドームは後に“世界遺産”ということにもなったが、長崎にはそれに相当するモノが現在は無い。本当に善かったのか?」という問題意識で上梓されているのだと思う。そういう一面は在るのだろうが…他方で「教会は“この場所”なのだ!」という強い想いを抱く人達も多かった筈だ…単純な話しでもない…長崎での1950年代末の経過と、広島での1960年代冒頭の経過で、“解体”と“保存”とに結果が分かれてしまったことになるが、この間の「社会の変化」が両者の違いをもたらしたという見方も在るようだ…

何れにしても、貴重な写真を収めた一冊に出逢った。各地の図書館等にも入りそうな雰囲気の本でもある。多くの人に紐解いて頂きたい。更に言えば、本書の中には、カナダ出身の長崎で活躍する大学教授―彼が熱心に手掛けるまで、存外に手薄だった長崎居留地の外国人達のことに関する研究で、少し知られている方だ…―による英文解説も在り、そうした辺りに「世界の方達に御紹介したい」という、本書に携わった皆さんの想いが滲む…

↓因みに、こちらは2013年12月15日に、件の浦上天主堂を訪ねてみた経過である…
>>長崎:浦上天主堂(浦上教会)(2013.12.15)
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2014年01月21日

佐世保(長崎県):“佐世保バーガー”(2013.12.19)

実はハンバーガーのようなモノは大好きである…ということで“佐世保バーガー”というような「音に聞こえたモノ」には興味津々である…

12月19日は、「九州に到達し、機会が設けられるなら是非訪ねよう」と少し前から密かに目論んでいた平戸へ向かうことを念頭に、平戸方面へ向かう松浦鉄道の始発に相当する佐世保を目指した。途中の肥前山口駅でノートパソコンを開き、佐世保で夜を明かす宿も駅の近くに確保した。そして佐世保に到着である…

佐世保で宿に入り、早速宿の人に尋ねたのは“佐世保バーガー”に関することである。到着したのは午後7時近く…一息入れて「午後8時辺りにでも訪ねて、店内で頂く」ということがしたかった…“佐世保バーガー”の店だが…やや距離が在ったり、午後6時閉店であったり、駅構内に店を出している所は「持ち帰り専用」だったりと、宿の人と話していてもなかなか条件に見合う場所が無い…「こんな所までやって来て…ダメなのか?!」と思い始めたが…

と…「ここへ来る途中、あっちの方に、妙に明るい一画を視掛けましたが、あの辺は?」と尋ねてみた…すると「あそこは繁華街で…そうだ!“ビッグマン”が在りますよ!」と、宿の方も思い出してくれた…

↓そんな経過で、少し歩いて辿り着いたのが“ビッグマン”という店だ…
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↑「街角のハンバーガー店」という好い雰囲気!!趣が在るというものだ…

佐世保駅近くの道路から、物凄く明るく見えた商店街辺りに、色々な種類の店が在る飲食店街が拡がっていた。店を開けたばかりという雰囲気の艶やかな方に「こんばんは…」と声を掛けられるような中で、辺りをぐるぐると巡りながら、終いにはその辺で客待ちをしていた年配のタクシーの運転手さんに尋ねてみるなどして、やや苦心して辿り着いた場所だった…薄暗かったので、鮮やかな店構えが見付け難かったのかもしれないが…

↓“佐世保バーガー”のイメージキャラクターがこれらしい…2003年に、かの『アンパンマン』のやなせたかし氏が、佐世保市からキャラクターの使用許可を求められた際、「それなら新しいキャラクターを!」と水兵服を身に着けたハンバーガー人間がデザインされたのだという…なかなか味わいが在るキャラクターだ…
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↑“佐世保バーガー”の店では、こういう具合のキャラクター入り看板を設えている場所も在るようだ…“認定”の店が用意するモノなのかもしれない…

“佐世保バーガー”とは何か?特定のハンバーガーを示すのではなく、佐世保市内の店で提供される「手作りで」「注文に応じて作り始める(作り置きをしない)」こだわりのハンバーガーの総称である。だから、店毎の色々なモノが在る…

佐世保は海軍基地の街で、大戦中は空襲を受けて被害も甚大であったが、占領期以降は米海軍の拠点が設けられていた。1950年頃から、“朝鮮特需”で経済が復興する中で、加えて米軍関係者を顧客にする店が起こる等、外食業も盛んになって行く…そんな中で米軍関係者から伝わったらしいハンバーガーというものが佐世保に登場したという。

この「佐世保のハンバーガー」というのは長く受け継がれていたが、1999年頃に旧軍港都市の交流というような場面で、佐世保のハンバーガー店が出店し、「そう言えば佐世保のハンバーガー…懐かしい…」と佐世保勤務経験を有する自衛隊関係者等の間で話題になったということが在ったらしい…

そうした経過を踏まえ、2001年頃からは佐世保市で「名物」的に宣伝するようになり、2007年には“認定制度”というものも設けられているという…

「手作りで」「注文に応じて作り始める(作り置きをしない)」ということなのだから…店舗で出来立てが頂きたかった…そんな細やかな願いが叶い、結局2つ頂いてしまった…

↓こういう“新作”と…
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↓こういう“伝統的”な感じのモノである…
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こちらのお店では、極端に大きいとか小さいということもなく、普通な「食べ易い」感じの、佳い材料で作った「らしい」ハンバーガーを愉しむことが出来た。

正直…その気になればあと数個は頂けたが…夜にハンバーガーのようなカロリーの高いモノを摂り過ぎるのは好くないかもしれない…

近年は、一口にハンバーガーと言っても色々なモノが在る。この佐世保で頂いたモノに「近いかな?」と思わせるモノも全く無い訳ではないと思う。しかし、佐世保在勤経験者が「懐かしいな…」と思い出すような存在感が在ること、そして「他所に先駆けて登場した可能性が高い」ということ等が“佐世保バーガー”の個性なのだと思う…

佐世保に関しては、平戸を訪ねようとした際の経由地として「夜到着、朝出発」ということをしてしまって、訪問から約1ヶ月を経て尚「後ろ髪を引かれる思い」が強く残っている…“佐世保バーガー”を再び頂くべく、そして“積み残し”という感が強い佐世保の様子に親しむべく、また訪ねてみたいと思う…
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長崎:眼鏡橋(2013.12.15)

「長崎の代表的名所」と言えば、色々なモノが挙がり、また意見も分かれることであろうが、“眼鏡橋”はその「代表的な名所」の一つに数えることについて、大きな異論は出ないと思う。

↓2012年に初めて訪ねた長崎でも、眼鏡橋を視に行っていた…
>>長崎・眼鏡橋(2012.12.19-20)

12月15日…多少の曲折を経ながら辿り着いてから一夜明けた長崎で、路面電車の一日券を手に好天らしい朝の戸外に出て、とりあえず宿の近くのコンビニで求めた珈琲を啜りながら考えたのは…「先ず、眼鏡橋を視に…」ということだった…

大波止停留所から電車に乗り、築町停留所で乗換えて賑橋停留所へ向かう。長崎で一日を過ごして泊まり、翌朝に何処かへ向けて出発というような、急いだり慌てたりという必要が全くない状況だ…ゆったりと眼鏡橋を視に行った…

朝の早めな時間帯ではあったが…入替り立代りに、続々と旅行者のグループが現れた。或いは「有名」の証左でもある…

↓グループの人達が途切れた合間を視ながら写真を撮っていた…
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↑川面の近くに下りて視る…水面に橋の姿が映るのだが、正しく命名由来になっている“眼鏡”のような型になる…

1634年に初めて登場したという眼鏡橋である。琉球で視られた例を除くと、恐らく国内で初めての石造アーチ型橋ということになるらしい…

↓河岸から眼鏡橋の様子を望む…
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↑河岸が遊歩道或いは緑地風に整備されていて、なかなかに画になる…

少しずつ光が強くなる中で眼鏡橋を眺めていた…何回訪ねても、その都度毎に「画になる様」を見せてくれる…
posted by Charlie at 06:50| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

柳川(福岡県):濠の在る風景(2013.12.19)

12月の旅は「風雨が強く、歩き回り悪い」という場面も多かった…

12月19日は朝から太宰府を訪ねたが、存外な風雨の強さであった…それでも…何となく柳川を目指した…そして柳川に至る手前辺りから、乗っていた西鉄電車の車窓は明るい感じになり、柳川駅前に出てみれば「晴れた!!」という感じになっていた…

「歩き回ってみようか…」と辿り着いた場所で、丁度天候が好転しているという事態は、大変に嬉しいものだった…

柳川では、古くからの街並みの一隅を占めているという「北原白秋生家」という場所を目指してみようと考え、駅辺りの観光案内所で地図を入手した。目指そうとした「北原白秋生家」は「50分?結構掛かりますよ…」ということだったが、2時間や3時間歩き回るには悪くない好天だったので、地図を頼りに歩き回った…

柳川は古くからの城下町で、鉄道が通ったのは時代が下ってからということであるため、古くからの街並みは駅からやや離れている。柳川に限らず、古くからの街ではよく見受けられる状況だが…

↓少し歩くと濠が見えた…
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↑所謂“川下り”―濠を行き交う遊覧ボート―の様子が見えた…「時代劇の小舟」そのものだ!船頭さんが竿で小舟を操っている…

城の防御施設であったモノ、城下町での輸送のための水路というようなモノが、近代以降も長くその姿を残している…“水郷”とも呼ばれる柳川に特徴的な濠というモノだ…

少し背が高いような、大き目な施設は濠から少々離れた場所に見受けられ、濠の周辺は多少新旧が入り混じっている住宅風な小ぶりな建物が並んでいる。そして、濠の周辺には様々な植栽も見受けられ、なかなかに美しい…

濠から多少離れた辺りの、幅が広い道路をぐんぐんと進む方が、目的の地点にとにかくも至ろうということなら便利と見受けられるが、景色が美しいことから、多少遠回りかもしれないとは思いながらも、敢えて濠の傍を歩くようにしていた。

↓濠の縁の樹に花が!!
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↑複雑に広がる濠には随所に小さな橋が架かっているのが、少し向こうを視ると判る…

何か「古くからの住宅街」風な、濠の縁に建物が見受けられる所も多いのだが、「公園の中の小川」という趣になっている箇所も見受けられた。

↓公園風な場所は、正しく「心地好い水辺」の趣だ…
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↑水辺に棲む鷺も翼を休めていて、“川下り”に使われている小舟が繋がれていた…

↓古くからの小さな橋、植栽が入り混じり、何とも名状し難い独特な風情を醸し出している箇所も見受けられた…
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↑非常に背が低い橋だ…

この非常に背が低い橋の辺りの雰囲気が面白く、暫く眺めていたが…“川下り”の小舟が、背の低い橋の向こうに現れた…

「小舟はどうする?」と思って視ていると…船頭さんは姿勢を低く、舟の上にしゃがみ込むようにして、小舟の先を橋の下に押し入れた…橋の下で、しゃがんでいる船頭さんは橋の裏面に掌を当てるようにして小舟の方向を整え、更に橋の裏面を掌で押すようにして、小舟を橋の下から出した。船頭さんはすうっと小舟の上に立ち、また竿を手に舟を操り始める…なかなかに素早い技だった…驚いてぼんやりとしてしまった…

この柳川の濠の在る風景…「風雨が強い場面が多かった中での好天」ということで殊更に記憶に残るのだが…余所には「在りそうで無い」という趣が忘れ難い…
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2014年01月20日

知覧(鹿児島県):<ミュージアム知覧>と武家屋敷(2013.12.17)

↓鹿児島で「知覧を訪ねる」と言えば、ここは外せないと思うが…
>>知覧特攻平和会館

知覧は戦時のことを伝える他にも、「近世の薩摩」というような雰囲気をよく伝える地区が残る町である。

知覧は、中世には大きな城を擁していた要衝であったが、所謂“藩政”の近世には“麓”(ふもと)と呼び習わされた独特な集落が形成されていた。江戸時代、“一国一城”と言われるが、大名の領内で城や陣屋は「原則一箇所」ということになった…島津家の領国では戦国時代末期の拡張路線の経過が在って、武士身分の人達が余所よりも多く、地方の城を完全に廃止して領主の居館・政庁となった鹿児島城の城下に全てを吸収することが出来ない状況だった。そこで各地に“麓”と呼ばれることになる武士達の集落を築いた。

“麓”は城に準じるような型で、一帯の区画整備を行い、当該地域に住む武士達の住宅を建てているもので、鹿児島県内の各地にそうしたものが残っている。それらは“武家屋敷”と呼び習わされることになる。

↓こうした「知覧が辿った経過」については、この<ミュージアム知覧>に詳しい…
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↑この<ミュージアム知覧>で町の経過を勉強出来たお蔭で、風雨の中で多少苦心しながら、また酷く濡れながらの“武家屋敷”散策であったにも拘らず、それなりに楽しむことが出来た。

<ミュージアム知覧>は<知覧特攻平和会館>の隣である…料金的にかなりお得な“共通入場券”というモノも在る…

<知覧特攻平和会館>は「雨の平日」という条件ながら、それなりに来訪者が在ったのに対し、<ミュージアム知覧>は「貸切か?!」という具合であった…

折角“共通入場券”も在るのだが…私が視掛けた様子では…<知覧特攻平和会館>の入口で「そこには何が在りますか?」という来場者の問いに対し、「昔の農具等が在って」と答えていた。確かに昔の農具は在って、それはそれで目立っていたが、<ミュージアム知覧>では「“武家屋敷”として知られる街並みが造られる歩みのあらましなどを紹介する展示」が記憶に残る。そちらを前面に出すべきではなかろうか?ジオラマやビデオを駆使して、知覧の歩みが判り易く紹介されていたし、武士達が住んでいただけに刀剣や甲冑というような「らしい」モノも少し在った…“武家屋敷”は知覧の「素晴らしい見どころ」な訳で、<ミュージアム知覧>についても、それに絡めて紹介すべきだと思う。

<ミュージアム知覧>で少々予習し、“麓”と呼び習わされた地区へ、雨の中をゆっくり歩いて進んだ…

↓“麓”であった武家屋敷の地区は、街路に少し特徴が在る…
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↑「端から端」が「真っ直ぐ見通せない」ような型にデザインされているのだ…遠くに雨に煙る山が見えるのだが、路の先は行き止まりになっている…

「端から端」が「真っ直ぐ見通せない」ような型の路というのは、「防衛施設の一部でもある」という考え方で拓かれた城下町で見受けられるものであるが、この“麓”もそういう発想で築かれていることが判る。

こうした路の脇に武士達が住んでいた住宅が並ぶ。住宅は石垣や塀に囲われたように各戸毎に並ぶのだが、入口を入ってから「真っ直ぐに建物に入れない」ようになっている。石垣や塀の間の門を入ると、眼前に更に塀等が配されていて、「コ」の字や「己」の字のように動かなければ、建物の入口や庭の辺りに出られない…こういう構造…“城門”に見受けられるものである。攻め方の人数が一気に城内へ踏み込むことを避け、可能であれば門の周辺で攻め方の進行を妨げる攻撃を加えようという発想で築かれたモノだ…敵が町に押し寄せるような状況を想定し、各自が家に篭って抵抗することを想って築いたのであろう…

区画の整理の仕方、各住宅の建て方は全く「城下町をもその一部と考えている大きな城」のようであり、または「○○城のXX丸の中」という按配だ…“麓”とは、遺構を訪れる我々の眼には「城に準じたモノ」というように見えるが、これを築いた人達や、ここに住んでいた人達にとっては「城そのもの」であったことが伺える…

↓住宅であった場所の一部には見事な庭が伝えられ、それらを見学することが出来る…
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↑決して仰々しいお屋敷というのでもない、普通な住宅というように見える建物ながら、庭はなかなかに趣向を凝らしていた。

植え込みの型を何かに見立ててみる、例えば上記の写真では「鶴と亀」という“隠しテーマ”も在るようだ…こうした庭は“和風”な感じもするが、何か他地域の庭園に見られる雰囲気とは若干異なる“当地風”が感じられる。こうした庭園に見られるようなデザインにした樹だが、知覧では街路樹のデザインに採り入れている例も視掛けた…

↓空き地になっていた場所には四阿が設けられて休憩も出来た。雨だったので利用したが…
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↑周辺に紅く小さな紅葉が散っていた…雨に湿って、独特な趣である…更に「12月に視る濡れた落葉」というようなものは、12月半ば以降は積雪が半ば当然な地域から訪ねている眼には、少しエキゾチックなモノに映る…

なかなかに風雨が強く、やや苦心しながら一帯を視て回った…

↓雨が強く、足元が水浸しのような箇所も多かったが、各所で視た庭は何れも味わいが在った…
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↑敷地の外の、何か「南九州の山林」という趣が強い木々が“背景画”として組み入れられたような、この日の最後に視た庭園が記憶に残る…池には鯉が居て、写真には入っていない手前には、実を付けた“桜島小みかん”の樹も在った…「実っている柑橘類の樹」というのも、「遠く九州の地を訪ねている…」という感慨を呼び覚ましてくれる代物だ…

一口に「武家屋敷」とは言っても、それを伝えている地域毎に色々な特徴が在るものだ…知覧の、住んでいた人達にとっては「城そのもの」であったことを覗わせる「防衛機能を重視した計画に基づく町」であったモノ―「何世代かに亘って築いた?」という想像をさせてくれる程のモノ―も視たが、もっと「住機能」を重視したように見える島原のモノも面白かった。こうしたモノにはもっと触れてみたいと想う…

正直、「折角来たから…」と歩き回ったのだが、この武家屋敷の独特な趣の記憶と同じ程度に「ここは雨風で大変だった…」という記憶が強く残る…次の機会が在るか否かは判らないが、今度は好天の日に訪ねて、この独特な趣を満喫したいものだ…
posted by Charlie at 21:05| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする