2013年12月31日

札幌の路面電車:すすきの停留所に着き、西4丁目停留所へ折り返すA1201(2013.12.31)

電車事業所前停留所で待ち受けて乗車したA1201がすすきの停留所に到着した。

電車事業所前停留所からすすきの停留所で向かう場合…直ぐ前に「90度カーブ」が在り、西から東に進み、路線の東南端に相当する硬軟小学校前停留所付近で「90度カーブ」が在って軌道は北上するようになり、資生館小学校前停留所に至る辺りでまた「90度カーブ」が在り、西から東へ直進するとすすきの停留所である。独特な構造の車体による「90度カーブ」が3回経験出来た…

↓画面右側の上方に、ビルの高い箇所に掲げられたビール会社の看板が見える…
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↑すすきのへ向かって来た時の後尾側…乗客が全て下車した後、運転士がこちらの側に移って来る…

↓西4丁目へ向かう時の後尾側…
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↑大晦日の午前中…然程込み合ってはいなかった…

↓左側の軌道に乗り、電車は西4丁目へ向けて進んで行く…この電車が走っていると、沿線に居合わせた人が写真や動画を徐に撮っている様子を窓から存外視掛けた…札幌に住む人や、札幌を訪れる人にとって、このA1201はマダマダ「思わず写真を…」という感の、一寸珍しいモノだ…
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↑A1201と反対側の軌道に、古くから頑張っているタイプの車輌が視えているが…A1201の「斬新なデザイン」が際立つ感である…

↓札幌滞在中の路面電車の画…
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A1201…「よっこいしょ…」とステップを上がらずに乗車出来る…もっとこのタイプが増え、「気楽に移動出来る交通手段」としてもっと路面電車が札幌で活用されるようになれば…何か“近未来”がその辺を動き回っているような…出逢うと不思議な気分がするA1201だ…
posted by Charlie at 20:57| Comment(0) | HDR/札幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

札幌の路面電車:A1201との邂逅(2013.12.31)

個人的に懐かしい感じがする路線バスに早朝から乗車し、記憶に在る雰囲気とは随分変わってしまった沿道の風景を眺め、大晦日の休日である札幌都心部に出た。前日の、やや勢いが在った降雪が嘘のような、穏やかな感じであった…

好天の街を散策したのだが…路面電車に乗車して動きながら、沿線や歩道橋で写真を撮るなどしていた…

路面電車で“西線”と呼ばれる辺りを南下中…北上する見慣れない車輌と擦れ違った…

「あれだ…」と思い、電車事業所前停留所で、件の車輌が折り返してくるのを待ち受けることにした…昨日のようにガンガン雪が降っている訳でもない。30分やそこらの待ち時間は苦にならない…

札幌の路面電車は、大きく膨らんだU字のように軌道が敷かれ、すすきの、西4丁目の双方の始発は“行き止まり”だ。例えば私が乗車した電車がすすきの停留所へ向かって動いていたとして、電車はすすきのに着いてから直ぐに折り返して西4丁目停留所を目指すようになっている。逆方向もそういう具合に動く。時々、車庫に入ってしまう場合も在るが、車庫というのは電車事業所である…従って、近くで視たい車輌が「軌道上に出ている」と判れば、とりあえず電車事業所前で待ち受けていると、高い確率で出くわすことが叶う訳だ…

↓時計を視て測った訳でもないが…30分前後の待ち時間で、「北上していた見慣れない車輌」が南下してきて、電車事業所前停留所に現れた…
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↑真新しい車体…鏡張りのようにも見える…モノトーンが近未来風でさえある感だ…

これが今年5月から営業運転を開始したA1201である!!

4月に札幌に寄った際、電車事業所に置いて在るのが見えた…7月に札幌に寄った際、「走行する様子が視たい…」と思ったが、姿を視る機会は得られなかった…「出来れば今回これを視たい…」と頭の隅に在ったのだが…希望が叶った!!

一寸写真を撮って、直ぐにA1201に駆け寄り、すすきの停留所まで乗せていただいた…“超低床”の独特な連結構造の車輌なので、東西を結ぶ路上の軌道から南北を結ぶ路上の軌道への「90度カーブ」は一寸面白い…

2013年最後の日に、2013年営業運転開始の新型に乗車出来て好かった…札幌の路面電車だが、近い将来にはすすきのと西4丁目を結ぶ軌道を増設して“環状線”という形式で運行するようになるという…そうなると今般のような「待ち受け」という手で視たい車輌を「何とか!!」ということにはなり悪いが…そんな頃には、旧い車輌の入替などでA1201と同型の新車も増えているであろうから、遭遇機会も増えることであろう…
posted by Charlie at 20:24| Comment(0) | HDR/札幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

札幌の路面電車:降雪の中の221(2013.12.30)

積雪が見受けられ、辺りが白い札幌では、「赤い路面電車」というものは映えると思う…

なかなか雪が激しい中、歩道橋に陣取って路面電車を眺める時間を設けた…

札幌で「赤い路面電車」と言えば幾つか赤系の広告塗装を施したモノが思い当たるが…この日の雪は、カラフルな塗装がモノトーンに見えるような気がする場面さえ在り、「必要に応じて」と言う“イレギュラー”な型で雪を跳ね飛ばす“ササラ電車”まで登場していたのだ…

↓「赤い路面電車」の代表選手のような221号…
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↑少し離れた辺りからは「黒ずんだ影」にしか見えなかった…

こんなに酷い降雪の中、大勢の係員が沿線に出て、一生懸命に電車の運行を護っている様子も見受けられた…

↓札幌滞在中の路面電車の画…
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写真を撮る分には、雪も雨も按配が好くないのだが…過日の風雨を思うと、雪の方が幾分楽かもしれない…雪や雨の時は、カメラが徒に濡れないように上着で覆うように持ち歩くなどの一寸した工夫をする…何も雪の日に執念深く路面電車の写真を撮る必要等無いのかもしれないが…「雪に負けずに頑張る姿」というものが愛おしいのだ…
posted by Charlie at 13:11| Comment(0) | HDR/札幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月30日

札幌の路面電車:日中の“ササラ電車”出動(2013.12.30)

雪が降り頻る中で行き交う路面電車の様子を眺めようと、軌道を跨ぐようになっている歩道橋に陣取って様子を視ていた…

↓乗客を乗せて行き交っている電車とはやや趣が異なる、少し不思議な車輌が登場した…
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↑架線が在る路面電車の軌道なので、パンタグラフも在って電気で動く車輌であることは判るが…全体的に長さが短めで、少し凸のような形状をしたやや橙色を帯びた黄色の車輌…

この車輌…“ササラ電車”である!!

“ササラ”というのは、竹製のブラシ、或いはタワシのことである。この竹製の“ササラ”を回転させて、軌道上の雪を除けるのである…札幌では1925年頃から用いられている方法なのだという…機器は多少変わっているが、基本原理は1925年頃から何ら変わっていないという…この方法…どちらかと言えば粒子が細かい雪が多い札幌であるから可能なのかもしれない…“ササラ電車”は、他に函館で例が在るという…

信号停止をしている、歩行者が現れる可能性が在る横断歩道の辺り等では“ササラ”の回転は停めているが、回すと「シャラシャラシャラ…」と不思議な音を発しながら軌道上の雪を跳ね飛ばし、電車が走行出来るようにしている…

雪が朝から続く中だった…一般的に“ササラ電車”は早朝の通常運行開始前に出動し、軌道の雪を飛ばし、その日の運行に備えるものであるという。実際…普通に軌道を活動している場面は視た記憶が無い…今日は定例的な出動の他の「必要に応じて」という出動だったのであろう…

↓先に視掛けた黄色のモノの他、黒い縞が入ったモノも在る…
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↑2輌が運用されているようだ…

雪の中、なかなか視る機会が無かった“ササラ電車”を視ることが出来た…運が好かったと思う。
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札幌の路面電車:3301(2013.12.30)

月曜日ではあったものの、年末の“御用納め”が終わり、札幌市内の交通機関の多くはは“休日ダイヤ”で運行されていた…

こうした中で札幌の都心部に出て路面電車を視た…

朝から雪が降り頻る…時季としては「冷え込みが緩い」感の中で、多少の湿り気を帯びた雪がチラチラと降っていた…多少、強弱の波は在ったが、雪は殆ど止まずに降り続いた…「視界が奪われるような吹雪」となるような強風が吹き抜けていた訳でもなかったのが些かの救いだ…

行き交う路面電車だが…少し距離が在ると、「雪の彼方に微かな灯り」という按配に見え、近付いて来ると鮮やかな車体の色がぼんやりとして来て、やがて色も形もハッキリと見えるようになる…

↓多少、雪の降り方が緩まった辺りで視た3301…清涼飲料の広告塗装だ…
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↑やや湿った雪が、屋根に存外多く積もっている…

停留所や周辺を手作業で除雪して廻っている係員や、ベタベタした雪の中で各所に据えた機器の点検をしていると見受けられる係員を視掛けたが…路面電車は雪にも負けずに運行されている…
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吉松駅(鹿児島県):C55 52(2013.12.18)

吉松駅は鹿児島県北部の姶良郡湧水町という場所に在る静かな駅だが、肥薩線(ひさつせん)と吉都線(きっとせん)の2路線が乗り入れている。

九州の南北を結ぶ鉄道の開設が目指されていた中、1903(明治36)年に鹿児島から北上する鉄路が延びて吉松駅が開業し、八代まで延びた後に人吉に至った鉄路が、山間部をスイッチバックにしたりループ線を取り入れるなどの工夫で1909(明治42)年に吉松と繋がった。これが“鹿児島本線”ということになった…

他方、1912(大正元)年、宮崎県の小林からの鉄路が吉松と繋がり、同年に小林から都城に延伸された鉄路は1916(大正5)年に宮崎と繋がった。当初は“宮崎本線”、後に九州東部を南北に結ぶ“日豊本線”ということになった…

吉松は“鹿児島本線”と“日豊本線”という、九州の西岸、東岸をそれぞれ南北に行き交う幹線鉄道の交差点ということになった。こうした「交通の要衝」となった吉松には、機関区や保線区が設置され、多くの関係者が暮らす町を形成した…

そうした町の歴史を伝えるモノが幾分保存されているのだが…乗車予定の人吉行までの時間的ゆとりが在ったことから、辺りを少し見ていた…

↓思わず見入ってしまったのが、このC55である!!
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↑駅の傍に屋根が設けられ、屋根の下に線路も敷いて在り、そこにC55が鎮座していた…

C55は1935(昭和10)年から1937(昭和12)年に計62輌が製造されている蒸気機関車だ…“1次型”、“2次型”、“3次型”と製造され、改良箇所が多岐に及んだ、当初は「C55 63」として着手されたモノが“C57”と新形式番号を名乗るようになっている。

C55は、200輌以上も製造されたC57よりも数が少ないことから、保存されている例は少なめである。梅小路蒸気機関車館、小樽市総合博物館、大分市の公園、そして吉松駅のみだという…

実は…稚内にも貴重な1輌が在ったのだが、屋外に永く置いていた間に風雪で傷んでしまい、「傷んだ大きな金属塊=大変に危険」という話しになり、取り壊されてしまった…動輪とプレートが残るのみである…そういう経過が在ることから、吉松でその姿を見掛けた時には「C55よ!!会いたかった!!」と懐かしい旧友、永く会っていない親類にでも再会したかのような気分になった…

保存例が多いC57は「動く」状態の機関車も各地で見ることが出来るのだが、C55も往時は、ポピュラーな機関車だったC57と「殆ど同じように扱える」ということで、殆ど全国各地―四国での運用例は無いらしい…―で見受けられたのだという…実際、稚内で急行列車を牽引していた例が知られているのと同様、鹿児島県内の吉松機関区でも活躍していた訳だ…

↓“パワー重視”の「動輪が4つ」在る“D型”ではなく、“速力重視”の「動輪が3つ」在る“C型”は大きく迫力の在る動輪が付いている…
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↑大きさは…以前に見ているC57のモノと変わりないが、スポークの型に仕上げられたC55の動輪は美しい!!

特段にこれを視ようと「目掛けて」吉松駅を訪れたのでもなく、肥薩線で北上する道すがらに見掛けたC55だった…「会えて好かった!!」と思っている。次の機会が何時か、それ以前に次の機会というものの有無さえ判らないが、このC55には何時までもここに留まり、吹雪の北海道から鹿児島の山間に至るまで、全国で活躍した機関車の勇姿を伝え続けて欲しいものだ…
posted by Charlie at 12:34| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月29日

札幌の路面電車:3305(2013.12.29)

札幌で「多少時間が在る」ということになれば…路面電車を眺めたい!!路面電車に乗車したい!!路面電車の写真を撮りたい!!ということになる…

今日は一寸映画を観た後―観る前にも時間が在ったが、迂闊に動くと映画の開場を逃す危惧が在ったので、敢えて動かなかった…―に一寸時間を設けた…

↓歩道橋―西15丁目停留所の少し先…―の上から信号停車の電車を…
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↑この時季は、雪の上に軌道が覗く感じに見える…

日が落ちて暗くなり始め、電車や行き交う車輌の灯り、街の灯りが目立ち始めている…この辺りは、電車が行き交う軌道が、南北に真っ直ぐ長く延びている様が覗えるのが好い…

↓札幌の路面電車の写真…
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↑カメラをP7700主体にして以降、こうしたブラケット撮影を利用したHDR画を創る素材が撮り易くなった…

数日の間だが…「多少時間が在る」状態で札幌に滞在―“居候”…―するので、少しばかり路面電車と付き合うことが出来る…好いことだ…
posted by Charlie at 20:38| Comment(0) | HDR/札幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旅の写真の“コレクション”について

写真を撮って整理したものは、ウェブ上のギャラリーで公開するが、多くは“コレクション”という型で纏めている。

>>wakkanai097's collections on Flickr

これは、撮影時期やテーマ、種類毎に“セット”と呼ばれる小さな纏まりを集めたモノである。

上記の“コレクション”に、2013年12月の旅で撮影したモノを加えた。未だ全体の整理が終了していない途中段階ではあるが、「行程の各日毎」という基準で集めた“セット”を集めてある。

↓こちらである…
>>Collection: Voyage:DEC 2013 (Kyushu island and some others) (incl. Photomatrix)

現在の時点では、日付が冠された“セット”が並んでいる。その“セット”をクリックすると、内容が開いて御覧頂ける…

↓大雑把に要約すれば、下記のような内容だ。日付をクリックして頂くと、各“セット”にリンクする…

>>12月13日
↑稚内を発ち、荒天に阻まれて新千歳空港行きを断念し、札幌で夜を明かした。

>>12月14日
↑前夜に搭乗予定であった関西空港へのフライトが欠航したことを踏まえて福岡へ飛んだ。福岡からJR九州の列車で長崎に至った。

>>12月15日
↑長崎で一日を過ごした。

>>12月16日
↑長崎から諫早へ向かい、島原鉄道で島原に出て、フェリーで熊本に渡り、JR九州と肥薩おれんじ鉄道を乗り継いで鹿児島に至った。

>>12月17日
↑鹿児島・知覧間を往復したが、主に鹿児島で過ごしていた。

>>12月18日
↑鹿児島を発ち、肥薩線廻りで北上し、人吉を経て博多に至った。友人と会って、楽しいひと時を過ごした。

>>12月19日
↑西鉄を利用して、大宰府や柳川を訪ねた後、大牟田、鳥栖を経て佐世保に至った。

>>12月20日
↑松浦鉄道でたびら平戸口に至り、田平天主堂までの往復約7kmを歩き通した後に平戸を訪ねた。松浦鉄道で伊万里に至った後、唐津を経て博多へ。

>>12月21日
↑福岡市内で過ごしていたが、昼頃から天候が荒天になり、宿泊予定の佐賀へ向かった。

>>12月22日
↑佐賀から吉野ヶ里歴史公園に至り、<ウィンターバルーンフェスタ>を愉しんでから遺跡を見学した。福岡から札幌へ飛ぶものの、空港の荒天で行き先変更を余儀なくされ、羽田空港に至る。翌早朝の東京・札幌便への振替ということにして、川崎に泊まった。

>>12月23日
↑予定より早く出発する臨時便に乗せて頂いた。新千歳空港到着後、札幌、岩見沢、旭川と順調に進み、車両関係の問題で運休措置が講じられている特急列車の代替となっている“臨時快速”で稚内へ。

というようなことだが…年末年始の“居候生活”の期間を利用し、写真は追加予定である…
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ビデオ 音威子府駅の<スーパー宗谷>(2013.12.28)

昨日の稚内・札幌間の移動は、旭川を過ぎるまではなかなかの好天に恵まれた…以降は雪が断続した…札幌到着後も、今朝までは雪が断続し、朝になってみると存外に積雪が見受けられた…そして現在は好天である…

この時季であれば、マダマダ「夜の残滓」のような状況の時間帯に始発の普通列車で稚内を発つと…音威子府で約1時間も停車する…音威子府では大変な好天に恵まれていたことから、用事―“居候先”の熱い要望が在った蕎麦を求めること…―を足した後は、列車が行き交う景色を愉しんだ…

稚内からの普通列車が音威子府に到着した後、旭川から北上して来る列車が到着する。そして稚内から旭川を経て札幌へ向かう特急<スーパー宗谷>が現れる…

↓前夜までの積雪を撥ね上げながら列車は音威子府駅に入り、乗客の乗降が在って、また進み始める…列車は、「年末の週末」という需要期なので、2輌増結して6輌で運行されていた…

↑余り近いとカメラに雪が被ってしまうので、多少離れた位置から撮影した…

蒼い列車が、雪が輝く碧い空の下を進む…美しい光景である!!
posted by Charlie at 08:17| Comment(0) | Movie Maker | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

音威子府駅に到着したキハ54(2013.12.28)

稚内から列車で南下をしようとしていた前日…稚内辺りは強い風雪の荒天だった…強風で、降雪なのか、粒子の細かい積雪が風に舞う地吹雪なのか判然としない状態が続いていた…

そういう状態が続いた後の静かな感じになった暗い早朝に稚内駅を出発した…車中で外の様子を覗っていると、空は明るめな感じで、次第に陽射しが強くなる感じであった…

↓停車時間が長い音威子府駅に列車が到着…
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↑碧空の下に積雪が輝く感で、ステンレスのキハ54も輝き、少し冷えた空気の中でメカの放つ暖気が揺らいでいるような按配だ…

凄く「時季らしい」感の光景が見られた移動となった…

↓12月28日からの画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - A trip on DEC 28, 2013 - JAN 05, 2013' set on Flickriver
posted by Charlie at 02:00| Comment(0) | HDR/音威子府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月28日

新札幌駅:雪の中の733系電車(2013.12.28)

<青春18きっぷ>を手に、この時季であれば夜のように暗い時間帯に稚内駅を発ち、日が沈んだ後に相当する時間帯に札幌市内の新札幌駅に至った…

キハ54、キハ40とディーゼルカーを乗り継いで旭川に至り、旭川・岩見沢は北海道では“最古参”の電車ということになる711系に乗車した。岩見沢以降は“最新”ということになる733系電車だった。

↓白石駅から乗車した各駅停車の列車が新札幌駅に至った…
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↑降り頻っていた雪の中で到着した…

この733系…2012年の6月から営業運転で、同年7月に初めて間近で見ているのだが…最近は急速に遭遇機会が増えているような気がする…

古めなディーゼルカーが主流を占める地域から、新型電車が頻繁に現れる地域へ…「少々遠出をしている…」と感じる場面だ…
posted by Charlie at 20:44| Comment(0) | HDR/札幌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長崎駅:始発列車が出発する頃(2013.12.16)

殆ど毎日利用する通勤や通学の列車が「利用駅の始発列車」ということになっている方も在るのかもしれないが、駅の長い一日が始まるような頃に出発するという機会は、私自身の場合は必ずしも多くはない。

長崎から南下をすることにした朝、5時台に宿を出て、歩いて長崎駅へ向かった…

↓長崎駅に着いてみれば、改札が始まる前だった…
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↑改札口から直進した辺りに885系電車が…朝一番の博多行<かもめ>となる筈の列車だ…

改札口周辺の掲示を視ると、長崎駅の改札は午前5時40分から開始とのこと…

「5時40分改札開始」と聞き、札幌駅を思い出した。あそこは「只今から改札を開始します」というアナウンスが構内に流れ、自動改札が動き始め、係員の居る出入口も開く…

そんな札幌駅風な状況を想像したが…長崎駅では特段にアナウンスが流れるのでもなく、何時の間にか改札口が開いていた…

前日に求めた<旅名人の九州満喫きっぷ>を手に、係員が居る場所から、スタンプを押印して頂いてからホームに出てみた…

↓885系の白い車体…暗い場所でも映える…
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↑列車の進行方向側に回ると、ライトが点いて、運転士が出発に備えていた…

↓青いディーゼルカー…これが長崎駅から1日の初めに発車する佐世保行の列車だ…
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私が乗車することにしていたのは…佐世保行、<かもめ>の次に出ることになる鳥栖行だった…列車は未だ姿を見せない…

行き止まり式ホームに列車が滑り込み、列車はそのまま逆の方向に動いて各々の行先を目指す仕組みの長崎駅…何となく、欧州の大都市に在るメインの大きな駅の雰囲気を思い起こさないでもない…

↓ライトが点った<かもめ>が停車中の左右に、佐世保方面の列車などで運用されている青いディーゼルカーが見えるが、画面右側の奥に色々な車輛が見える…車輛が待機したり、出発前の準備などを行うための引込線が多く設けられているのが判る…
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やがて、佐世保行が出発した辺りで…

↓乗車した鳥栖行がホームに現れた…
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↑確か…国鉄時代末期に製造されていたタイプの車輛だ…中はロングシートだった…

この鳥栖行…長崎駅ではロングシートの車内がガラガラに空いていたが…鳥栖が近付くに連れ、通勤・通学時間帯ということで、込み合って来るのであろう…

乗車して出発を待っていると…<かもめ>が博多を目指して発車した…それをゆっくり追うように、鳥栖行の列車は発車した…諫早で下車するつもりだった私は…「居眠りして寝過ごさないように…」と思いながら、マダマダ暗い車窓を見詰めていた…

振り返ってみれば…日が落ちてから長崎駅に到着し、夜景を愉しんだ後に<旅名人の九州満喫きっぷ>を求めに寄り、日が昇る前に長崎駅を発った…今回の長崎訪問では…日中の明るい時間帯の様子を視ていない…
posted by Charlie at 05:30| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月27日

南島原駅(長崎県)で見掛けた地元児童の画(2013.12.16)

<旅名人の九州満喫きっぷ>を手に真っ暗な早朝の長崎駅を発ち、諫早駅で島原鉄道に乗換えた…島原鉄道は、雲仙の火山災害からの復興のために自治体の出資を入れているというが、古くから地元で活動している私鉄である…“国鉄”であった経過が無い…

諫早から乗車した列車も、途中で擦れ違った列車も、殆どが黄色の塗装が施されたディーゼルカーが使用されていた…「黄色いディーゼルカーの島原鉄道」ということになっているのだろうと思った…

島原で一旦下車し、慌しく武家屋敷を眺め、フェリー乗船を意図してまた島原鉄道の列車、「黄色いディーゼルカー」で南下を始めた…

終点の島原外港駅の手前、南島原駅で掲示物を眼に留めた…

↓こういうものである…
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↑或いは典型的な感じさえする「幼稚園の図画」という画なのだが…何か見入ってしまった…

「黄色いディーゼルカー」に笑顔のお友達が沢山乗っているという図である…車輌には、やや不器用ながら、島原鉄道のマスコットと見受けられるキャラクターも描かれている…

この画を描いた子ども達の身近な所を毎日行き交っている「黄色いディーゼルカー」…みんなの笑顔を鉄路の向こうに運んでくれるモノ…そんなイメージが好ましい…

よく掲示を見れば、地域の職場等を見学する幼稚園の催事で、南島原駅が園児達を迎えた経過が在ったらしく、そのお礼という意図で制作された画のようだ。その画を乗客の眼に触れる場所に掲示した訳である。何か、地域の子ども達や、その家族を安全に運ぶ旅客鉄道の原点を想い起こし、乗客に笑顔になってもらおうとでもいうような、関係者の皆さんの強い意志のようなものも感じる…

通勤や通学の乗客で込み合っているような、2輌連結で運行している時間帯に乗車すると、無人駅主体と見受けられる路線なので、乗務している車掌が小走りにホームと車輌の間を動き回りながら、乗降客に対応し、安全確認をして扉を開閉しながら列車を動かしている。が、そういう忙しい時間帯を過ぎると、決して多くはない乗客が1輌だけでワンマン運行の「黄色いディーゼルカー」の乗り、沿線に海も山も見える風光明媚な路線をのんびりと行き交っている…

南島原駅で何となく児童の画が掲示されているのを眼に留めたが…何か「地域密着の地方交通」というものの“原点”を考えさせられた気がした…

帰って来てから然程時間は経っていないが…早くも「黄色いディーゼルカー」との再会を思い描きたくなる…
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九州国立博物館(2013.12.19)

九州の観光地で「定番の中の定番」と言えるモノの一つに太宰府天満宮が在ると思う。福岡の都心部から西鉄電車で手軽に訪ねることも出来る場所で、早朝や夜でもない限り、多くの人達が訪れて賑わっている…

鹿児島から肥薩線で八代に出て、鳥栖行の列車に乗車し、「鳥栖まで出てしまえば…博多も直ぐだ…」と思い付き、博多に至った…中洲のカプセルホテルに泊まることにし、福岡在勤の友人と夕食を愉しんだ…そんな翌朝…<旅名人の九州満喫きっぷ>を手に西鉄電車に乗車した…

西鉄電車に乗車する際には…「通勤ラッシュが本格的に酷くなりそうな時間帯の少し前位までに移動を…」というようなことを考えたが、とりあえず訪ねてみることにした太宰府天満宮で、来訪者が少なめな間に建物等をゆっくり眺めたいという想いも在った…

生憎の風雨模様の中、太宰府天満宮を見学し、広い敷地を少し歩いた…

↓こんなに長いエスカレーターが在る…
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このエスカレーターを上がってみると…

↓こんな具合の、動く歩道を備えた通路が在る…
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↑SF映画のセットか何かのように、七色のランプが通路を照らしていて不思議だ…

この通路を抜けると…

↓巨大なガラス張りの建築物が…
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↑周囲の風景が巨大なガラスの壁に映り込む…

これが太宰府に設けられた、九州国立博物館である。訪ねた前日に在った友人によれば…「国内の何処の地方にでも在る訳ではない、“限られたモノ”である“国立博物館”が九州に在るというのは、九州の人の一寸した自慢」ということだった…

↓博物館のウェブサイト…
>>九州国立博物館:トップページ

上記サイトに在った館長さんの言によれば「独立行政法人国立文化財機構に属す国立博物館は東京、奈良、京都の3館がありますが、当館はこれに次ぐ4番目の国立博物館として九州・太宰府の地に建っております」とのこと…古い文物が多く伝えられている地域に立地しているのだと思うが、太宰府は古代から中世に九州統治の中心的な地域であった経過や、大陸との交易、文化交流が盛んであった経過も在る訳で、“国立博物館”の立地としては好適であるということになったのであろう…

開館と同時に中に入ったのだったが…

↓「福岡と言えば…」とばかりに、エントランスホールには大きな山笠が飾られている…
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↑展示室での写真撮影は「御遠慮願います」ということだが、こうした場所では差支えないそうだ…福岡以外の地域から訪ねた者の眼には、この巨大な山笠は一寸した驚きである…

↓山笠の陰になっている辺りに、かなり長いエスカレータが在る。
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↑一気に3階へ上がり、続いて短いエスカレータで4階の展示室に上がるようになっている…

この九州国立博物館の展示内容は、常設展と企画展で構成されている。

膨大な収蔵品が在る筈だから、時々内容の入れ替えは在るのであろうが、常設展は古代から中世に九州統治の中心的な地域であった経過や、大陸との交易、文化交流が盛んであった経過の在る太宰府について、更に古代から近世までの文化史のあらましが判るような展示が行われている。加えて、超高画質映像による、文化財を紹介するフィルムの上映を行うスペースも在り、訪ねた折りには五島列島等に残るキリスト教関係建築―所謂「西海の天主堂」―を紹介する内容が流れていた。

常設展の他、余所から借りるモノも含めた、期間限定の企画展が行われている。

実は…「“定番の中の定番”である太宰府…国立博物館か…」と調べていた際、九州訪問時期に開催中の企画展が『ロシアが見たアイヌ文化(Культура айнов:взгляд из России)』という内容であることを知った…

『ロシアが見たアイヌ文化(Культура айнов:взгляд из России)』というものだが、これはサンクトペテルブルグの博物館に伝えられている、サハリンや北海道で収集されたアイヌ関係の資料を借り受けて展示するという内容である。それを知り…これは「君!!きっと観に来なさい…」とでも“お招き”を頂いたような、不思議な気分になった…

ロシアでのアイヌ関係の資料…サハリンのユジノサハリンスクに在る郷土博物館で拝見しているが…サハリンでの研究が評価されているピウスツキを含め、何人かの人達がサハリンや北海道で色々なモノを採集していて、それがサンクトペテルブルグに伝えられている。「魚の皮で造った衣装」というような不思議なモノや、“トンコリ”というベースのような、弦が少ないハープのようなユニークな楽器や、毛皮製の衣類や、その他諸々が在ったのだが…日本では存在が余り知られていなかった、幕末期に描かれたアイヌの暮らしを伝える内容の日本人画家による絵画など、大変貴重なモノが視られた…

私自身は、開館直後の来訪者が少なめな時間帯からゆっくり展示を拝見したが…五島列島等のフィルムを拝見した後辺りには、旅行の人達や県内か近県の学校の生徒の一団等、随分と大勢の来館者が見受けられた…

戸外の風雨がやや強い中だったが…博物館で面白い時間を過ごした…
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鹿児島の路面電車:504(2013.12.17)

鹿児島の路面電車と言えば、「芝生敷きの軌道の上を、新旧様々な車輛が行き交う」というイメージが在る…

↓「新旧様々な車輛」の“旧”の方である…
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↑これは2つの運行系統の電車が交錯する郡元停留所で見掛けた…そして乗車した…

このタイプ…“500型”は1956(昭和31)年に登場した車輛であるとのこと…来年で「58歳」ということになる…

↓「50年超」の車輛は、大概はこういう雰囲気の運転台だ…
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↑運転士が乗務していない後方の運転台を撮ってみた…

↓左が“504”で右が“1013”だ…
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↑“1013”は2001(平成13)年の登場…“504”との「年の差」は45年だ…

「新旧様々」と一口に言うが…登場時期に45年も差が在る車輛が左右で行き違っているような様子が見受けられるのは、路面電車位なものではないだろうか?面白い!!
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2013年12月26日

島原(長崎県):武家屋敷(2013.12.16)

自身では“積み残し”と呼んでいるのだが、「思いの外に面白そうだったので、もう少しゆっくり出来れば…」というような場所が旅の途次で時々発生する…

今回、極短い時間立ち寄った島原は、そうした“積み残し”の一つのように思う…

JR九州の列車を利用するのであれば<青春18きっぷ>と<九州ネットきっぷ>が在れば善いが、各地の私鉄、第3セクターの列車を利用してみるとなれば<旅名人の九州満喫きっぷ>が善い…その<旅名人の九州満喫きっぷ>を手に、「長崎から鹿児島方面へ南下」という移動を試みた際、私鉄の島原鉄道と第3セクターの肥薩おれんじ鉄道を利用した。長崎県と熊本県との間の海は、「運航時間30分」を謳う高速フェリーを利用したのだった。

早朝の長崎駅を発ち、諫早から島原鉄道の列車に乗車し、高速フェリーの発着するターミナルが近い島原外港(しまばらがいこう)駅を目指した。途中、島原で下車し、近隣を少し見てみることにした。が、フェリーに乗り易い時間帯の島原外港到着を考えると…辺りを視られる時間は1時間程度だった…

駅前に出てみれば、島原城の復元天守閣らしきものが見えるので、そちらの方向へ足早に歩いた。島原城には資料館が在るらしいが、開館前と見受けられる時間帯で、フェリーに乗る思惑から時間的余裕も無い。ところがそこに“武家屋敷”なる案内表示が在った。

江戸時代を通じて、島原辺りの領主は何度も代わっているが、島原城は松倉家が築いた―1618年頃から1624年頃に工事が行われたようだ…―もので、以降の領主達の政庁も島原城に置かれた。

領主の政庁ということになった各地の城の周囲には、家中の武士達の住宅群が築かれるものである。そんな住宅群の一部が“武家屋敷”と呼び習わされ、往時の雰囲気を伝える街並みとして大切にされている訳だ…

広い敷地が明治時代以降に学校や官公庁の用地として利用されているという例が、各地の城址にはよく見受けられるのだが、島原城もそうした例の一つかもしれない。短い時間歩き回っただけでも、幾つか学校が見受けられた。丁度それらの登校時間帯に歩き回ったので、自転車や徒歩で学校に向かう制服姿の生徒達や、“交通安全週間”だったということで、生徒達の様子を見守りながら立っていた教員の皆さんを視掛けた…

何やら周辺の学校の一つの校門と見受けられる辺りに至り、「朝の挨拶運動」のようなことをやっていた生徒諸君に「おはようございます!!」と不意に声を掛けられて少々驚き、「おはようございます」と返礼をすれば“武家屋敷”というエリアに至っていた…

↓古い建築物も残る辺りで、背後に山が…山の頂は、柑橘類が実るような温暖な地域と言え低温らしく、雪が見受けられる…
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↑諫早から南下して来ると、「左手に海、右手に山」という具合に風景が佳い島原鉄道沿線だったが、「家並の向こうに山」というのが非常に「らしい」ような気がする…この種の、江戸時代の様子を伝える家並みや、頂に雪が見える山の頂というものは各地に在るだろうが、両者が組み合わさっているのが「島原!!」という感じがする…記憶に残る光景だ…

この武家屋敷と呼び習わされる辺りは、家中の中級、下級の武士達の家が集まっていたのだという…

↓住宅が並んでいる辺りの通…通の真ん中に水路が設けられている…
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↑なかなかに独特な感じだ…水路は「何の用途?」と少々ふし日に思える…

この通の真ん中に設けられた水路は、この地域の豊かな湧水を引いたもので、往時はここから水を汲んで、近くに住んでいた武士達が利用するようになっていたという。飲用水にもなっていたようだ…この水路の水については、“水奉行”という管理者が選任されて大事に管理していたそうだ…

辺りは注意深く景観を維持するようにしているが、基本的には普通の住宅地である。この水路の在る通と他の道路が交差―辺りは武士達が住むために碁盤目状に通を整備していたそうだ…―していて、ごみ収集の車や、近在の方が出掛ける車など「平日の朝の時間帯らしい」感の車輌が少しばかり行き交っていた…

島原の繁華街に相当する場所がどの辺りなのか、島原城の周囲を少しと、この武家屋敷辺りを歩いただけではよく判らなかったが、静かな街だった…

或いは、予定を変えて島原でゆっくりしても善かったのだが…船や海上交通に関心が在って、出発時の意識として「島原にフェリーに乗りに出る」というような感じだったことから、そちらを優先することにしたのだった…次の機会―そんなものが在るのか否かさえ判らないが…―には、「“積み残し”の島原を訪ねてみよう…」という意識で立ち寄ることも在るかもしれない…
posted by Charlie at 23:39| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月25日

人吉駅:キハ31(2013.12.18)

肥薩線は1909(明治42)年に開通した路線で、鹿児島へ通じる本線であったのだが、1927(昭和2)年に海岸側の路線が開通し、そちらを本線ということにしたことを受けて、旧肥後国と旧薩摩国を結ぶことから「肥薩線」と改められた路線である。八代から内陸側に入り、人吉を経て吉松へ至る区間を指す。

肥薩線は、山間部に敷設された長い歴史を誇る路線で、山間部を安全確実に車輛が通るために“スイッチバック”、“ループ”という工夫が施された鉄路が見受けられる。そうした工夫が残る場所を通る面白さと、雄大な風景が広がる車窓が好い…

鹿児島へ南下した際、肥薩おれんじ鉄道となっている、海岸側の路線を通っていたので、鹿児島から北上する際にはこの肥薩線を通ることにした。

吉松駅では紅い新しい車輛が現れ、それに乗って“スイッチバック”や“ループ”という独特な工夫が見受けられる人吉駅までの区間を北上した。

人吉では列車待ち合わせの間に街を歩いてみたが…やや強い風雨に悩まされ、駅の待合室にやや早めに入って、売店で求めた駅弁を頂きながら列車を待った…

↓現れた八代行…
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↑この姿!!少々驚いた…

↓稚内でお馴染みのキハ54…
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↑余りに似ている…

「もしかすると、同じ形式で仕様が少し違うということなのか?」と思った…そうすると、「互いに遠く離れて活躍する兄弟」ということになるが…こちらはキハ31と言うそうだ…一寸違った…

国鉄民営化の少し前、北海道、四国、九州の「三島会社」が継承する車輛に関して、経営基盤整備の一環として一群のディーゼルカーが準備された。北海道と四国に向けたものがキハ54、九州に向けたものがキハ31である。1986(昭和61)年頃のことである。

同時期に国鉄車輛として登場したディーゼルカー…なるほど、外見が似る筈だ…

外見は似ているが、中の雰囲気は少し違う。キハ54は扉がスライドして開き、運転台の設けられた場所と座席が据えられた場所との間に壁と扉が在る。キハ31は扉がバスのように折畳み式で開閉し、運転台の設けられた場所の後ろに壁や扉は無い。

九州に投入されたキハ31は、山間部等で軽快に走行することを旨とし、軽量ボディーが採用され、ワンマン区間も多くなりそうであることから、必要な装備を施し易くということが考慮されたという。

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このキハ31で八代へ向かったが…川に沿った路線を軽快に走っていた…このキハ31が運用されている区間は、どちらかと言えば限定的になっていると見受けられる。九州各地を訪ねた中、動き回った範囲では、この肥薩線の区間以外でキハ31を視ていない…

北海道内でキハ54を視る時…「例によって例の車輛が登場した…」という感じなのだが…九州でキハ31を視る時…「何か懐古趣味な…」という感じがする…
posted by Charlie at 18:01| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月24日

吉野ヶ里歴史公園(佐賀県)の<ウィンターバルーンフェスタ>(2013.12.22)

弥生時代に成立していた“クニ”と呼び習わされる大きな村落の遺跡で、推定した建物を復元し、何か「時間を超えた空間」という様相を呈している吉野ヶ里歴史公園…一度寄ってみたいと思いながら、アクセス方法等を調べていると、面白そうな話しを聞き付けた…弥生時代の村落を再現した公園の上空に、熱気球が舞う<ウィンターバルーンフェスティバル>という催しが在るというのだ…

吉野ヶ里歴史公園は、長崎本線の吉野ヶ里公園駅と神埼駅との間辺りの広大な敷地を占めている。公園の正面入口は東側の吉野ヶ里公園駅からなのだが、<ウィンターバルーンフェスタ>のために設ける臨時口は西側の神埼駅からということになる。

様子が判らない広大な施設での催事に行くのに、何も知らずに訪ねたのでは迷子になるだけだと思い、事前に公園の管理事務所にメールで問合せておいた…正解だった!!この時季の遅い夜明けの前に神埼駅に着いてみると、公園の方角は田圃の真中の様相で「こんなに暗い場所を歩いたのも久し振りだ…」という状態だった…しかし、事前に管理事務所からの情報を得ていたので、何らの問題もなく目的の臨時口に到達した。

早朝の催事となったが、地元のファンや旅行者が存外に集まっていた。親子連れも目立った…

熱気球を上げる…初めて視る…どんなことをするのか?

機材一式―膨らむ前の気球、ゴンドラ、バーナー、バーナーのガスボンベ、索類、その他―をギッシリ詰め込んだワンボックスカーが順次会場に到着すると、各々打ち合わせたポイントに散り、各気球の関係者が集まって支度を始める。視ていた限り、1つの気球を上げるのに、少なくとも6人かそれ以上は関っているようだ…

↓拡げた気球に送風機で空気を入れ、膨らんで来た辺りで適宜バーナーを点火し、気球内の空気を温める…
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↑あらぬ方向に気球が流れてしまわないように、索で機材を積んで来た車に繋ぐというのが定石と見受けられた…

↓やがて気球は立ち上がり、上昇出来るようになる…
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気球はカラフルだ…愛好者団体のロゴが誇らしげに入ったモノ、支援する企業や団体等のロゴが入ったモノなど、外見も様々だった…

↓やがて気球が上昇し始める。
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↑上昇や降下そのものは無音だが…上昇時に時々華々しくバーナーに点火される…

地元のファンのおじさんと言葉を交わしたが、熱気球は迫力の在る炎で空気を操る様が興味深いのだという。実際…邪魔にならない程度に近くで様子を視ていた気球で、ゴンドラにバーナーを設置して試験点火する場面に出くわしたが…冷えた冬の朝の空気が多少温まるような、凄まじい炎で吃驚した…

>>気球が上がる様をとにかくも御覧頂きたく…更にこの日の出来事で何となく刺々しい気分になったのを和ませようと見ていた動画を整理し、別途記事にもしている…

前日のやや強かった雨が夜遅くまで続いていたことから、催事関係者の皆さんも「開催出来るのか?」と危惧していたらしい。臨時口で言葉を交わした関係者の方は、「直前まで決められない…」とも仰っていた…

私としては、全く初めてのモノを視られて非常に嬉しく、愉しかったのだが…弥生時代の村落の上空を気球が舞ったという、時間と空間を超えたような演出が興味深いと思った…

地元のファンのおじさんによれば…暗くなってから、膨らんだ気球がバーナーの炎で輝き、点滅するような様や、炎の向こうに弥生時代の村の姿が浮かぶ様等も秀逸なのだそうだ…何時かそんな光景にも出会ってみたい…

佐賀は、川原の広く平坦な地形も在り、気流が比較的安定しているというようなことで、九州では熱気球が盛んな地域の一つらしい…10月末から11月初めにはかなり大規模な催しも在るそうだ…

何れにしても、佐賀で愉しい経験をさせて頂いた…
posted by Charlie at 19:23| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月23日

東京上空(2013.12.23)

余り細かい予定は決めずに「気侭に動く」ことを身上に旅に出るが…往路、復路の航空券位は押さえる…そしてそれを利用する訳だが、往路、復路の双方で悪天候に関連する“仕切り直し”が発生するとは!?一寸驚いている…

“仕切り直し”というような事情になれば「予期しなかったモノ」と出くわすことが在る。往路には「噂の豪華列車<ななつ星>に遭遇」という出来事が在った…復路は?

復路は福岡・札幌のフライトで淡々と“帰国”する筈だったのだが…札幌(新千歳空港)への着陸を断念した飛行機が羽田に下りてしまった。羽田では乗客に対してその日の東京・札幌のフライトへ振替をしていたが…大幅に遅れて無事に着いた便の他方に、引き返したり欠航する便が相次ぎ、混乱に付き合わされた人も多かったようだ…私は“仕切り直し”を希望し、「明早朝のフライトにしろ!!」ということにした…

羽田の空港から、比較的近い範囲で急遽宿探しだが…“都内”側は高く“神奈川県”側には少し安い場所も雑じるというものだ…結果…川崎泊にした…羽田から京急線で動けば、川崎は15分前後だ…近い!!とは言え、早朝は列車が少ないかもしれないと、一応駅で時刻表は確認しておいた…

「夜の残滓」というようなモノが感じられる川崎を歩いた。前夜から朝まで飲んでいたというような人達が散見する…駅手前のコンビニで珈琲を求めても、未だ前夜に確認した列車には十分に間に合う感じだったが…想定より早い列車に乗車出来た…

空港では前日に聴いていた指定のカウンターに足を運んで手続である。予定の便より早い“臨時便”が在るというので、それに乗せて頂くことになった。前日の混乱で動き難かった乗客を運ぶ目的…他には、昨日の夜に新千歳に居なければならなかった筈の機材を送り込むという目的も在って“臨時便”を急遽設定したのであろう…

B777-300が使用された“臨時便”…然程混んでもいなかった…搭乗直前、或いは搭乗後に外の様子を伺えば、天候は大変に良さそうだ…

↓街が朝陽の色に染まっている感…
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↑見入ってしまった…

東京辺りを訪ねたり、通ったりということ…念頭に無かった…「予期しなかったモノ」と出くわした訳だ…

↓更に富士山の山頂も視えた!!
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↑これこそ全く「予期しなかったモノ」だ…「予期した」ということになる桜島は、雨天で視えなかったのだから…

旅に出ると色々と在る…「暁の大東京」という感の、今日視た光景…好い想い出だ…
posted by Charlie at 20:15| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビデオ 吉野ヶ里歴史公園(佐賀県)の<ウィンターバルーンフェスタ>(2013.12.22)

「北海道…天気悪いんだね…」という事態が発生し、何か刺々しいような気分にもなるが…

↓何となく和み、面白い熱気球を上げる様の映像…

↑約11分弱に纏めた…バーナーを焚く場面が迫力!!そして巨大な気球が膨らんで音も無く上昇する様は神秘的だ…

早朝から移動…好天に期待!!
posted by Charlie at 01:46| Comment(0) | Movie Maker | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月21日

松浦鉄道 たびら平戸口駅(=日本最西端の駅)(2013.12.20)

↓こんな看板を視たら…どのような場所を思い浮かべるであろうか?
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↑酷く大袈裟なように思うが…

↓こういう雰囲気である…
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↑「小さな町の極慎ましい小さな駅」という趣だ…

駅に下り立って、駅前に出てみると少々驚く…小高い場所に鉄道が走っていて、駅もその小高い場所に在る。「最西端」と“端”とは言っても、松浦鉄道の線上なのである…

↓駅は何となくこういう具合で、ホームは2本在る…
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↑佐々、佐世保へ向かう列車が発着するホームと、伊万里へ向かう列車が発着するホームを有する。駅名表示は、多分JR九州の方式に倣ったのであろう…ここは「平戸大橋を擁する地域」ということで、橋のイラストが入っている…

↓改札口はこういう具合だ…
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↑「お客様へ 改札はいたしませんので発車時間にホームにおはいり下さい」とある…

松浦鉄道は「無人駅が標準仕様」という雰囲気である…幾つかの駅―佐世保、佐世保中央、佐々、たびら平戸口、松浦、伊万里、有田…のみ―には人が居るが、他は尽く無人駅だ…そして列車は全てワンマン運行である。利用者の料金支払い、定期券の提示は運転士に向かって行う…有人駅では定期券や各種切符の販売を行うなどしている。

このたびら平戸口駅…人は居たが、改札は無かった…下車した際も、運転士に<旅名人の九州満喫きっぷ>を見せた…改札口を通らずに、改札の向こうに相当する場所に在る御手洗にさりげなく入っていた…ここでは「あっ!?駅に人が居た…」と後から気付いた…

実は佐世保で松浦鉄道の列車に乗車する際、佐世保駅の松浦鉄道の乗場に改札らしいもの、改札を行う係員らしい人を視掛けなかったので…<旅名人の九州満喫きっぷ>に必要なスタンプは、JRの方に行って押印してもらった…

序でに言えば…たびら平戸口から伊万里へ向かい、伊万里で下車した際も運転士に<旅名人の九州満喫きっぷ>を見せた…

最西端の駅…独特な趣だ…田平天主堂へ向かうには、バスは無いに等しい…平戸市内へ向かうには…平戸口桟橋まで少し歩くのが現実的だ…さもなければ、駅前で待機しているタクシーを利用する他ない…

↓この駅で発着するのは1輌運行のディーゼルカーばかりだ…2輌以上の時も在るのかもしれないが…視掛けなかった…
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↑こういう、手が込んだラッピングの車輌も一部には見受けられる…

「最西端」に向かうのに「最北端」を出発したことになるのだが、何か感慨のようなものも沸き起こる…
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平戸オランダ商館(国指定史跡「平戸和蘭商館跡」復元建築物)(2013.12.20)

今般、<旅名人の九州満喫きっぷ>という、JR九州の普通列車のみではなく、所謂“3セク”を含む九州各地の鉄道と名の付くモノを全て利用出来るような切符を利用することに思い至ったのは、「平戸を訪ねてみたい」という想いが在ったからである。「平戸を訪ねてみたい」と思うに至った理由が、「再建が完成した“オランダ商館”を視たい」ということだった。平戸に至るルートとして、松浦鉄道の利用ということを考えた訳である…

↓平戸のオランダ商館に関することを知ったのは、下記の一冊の御蔭である…
>>『改訂版 平戸オランダ商館』

たびら平戸口駅に着き、「平戸へ行くバスが…なかなか来ない…」とその辺を歩き始め、“勢い”で田平天主堂を視に行ってしまい、往復7キロメートル弱も歩いてしまうような真似を仕出かして、平戸口桟橋を経て平戸桟橋にバスで辿り着いた…直ぐに観光案内所が眼に留まり、係のお兄さんに周辺地図を頂いた。序でに近所で軽く昼食を頂けそうな場所も伺った…

平戸では海岸に遊歩道を整備したところで、板張りのデッキのような遊歩道を歩くのが心地好かった…

↓平戸オランダ商館とは、このような建物である…
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↑これは倉庫として利用された建物だ…

「江戸時代のオランダとの貿易」と言えば、長崎の出島を思い出すが、その出島の以前にオランダ人が商館を設けていたのが平戸だった。出島よりも規模が大きく、貿易も華やかだったようだ…

この日の平戸は概して曇りであったが、時折少々晴れ間が覗いたり、少し強い光が差し込むことも在った。上述の本に在るが、史跡を入念に調査し、様々な記録や同時代の建築の検証を経て、平戸の建物は再建が成った。石造の建物で、屋根瓦は日本のモノを採用している。“1639”と竣工年次が刻まれたプレートが建物正面に嵌っているが、オランダ本国では幾らでも在るようなものだ。オランダ本国ではこの種の建築は珍しくないのだが、屋根瓦のように見える箇所の一部材料を“現地調達”している関係上、少し独特な雰囲気が在る…

↓オランダの建物に見受けられる「不思議な突起」…ロープを掛けて、重いモノを上階に揚げる装置だ…
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↓現代の目線では、「一寸昔風な外観の建物」という以上でも以下でもないが、江戸時代には「異国人が造った異様なモノ」に見えたことであろう…
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この建物の内部は、平戸オランダ商館の経過が解る展示がされている博物館になっている…当然、大変興味深く見学した…

平戸オランダ商館は、平戸の瀬戸を渡る風に晒されながら、この場所で展開した物語の痕跡を永く人々に伝えていくのであろう…

「訪ねてみたい!!」と願い、それが叶った…そういうことは逸早く伝えてみたいのである…
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2013年12月20日

太宰府天満宮:麒麟(2013.12.19)

太宰府天満宮…訪ねた時には時折風雨が強まった…それに抗いながら歩き、写真も撮った…

“人気観光地”という一面も在る太宰府天満宮だが、来訪者が少なめな朝の早めな時間帯に訪ね、長い歴史を誇る神社の雰囲気、古めかしい建物が醸し出す空気感のようなものを愉しんだ…しかし、雨はややキツかった…

↓こんなモノが在った…
Dazaifu Tenman-gu Shrine at Dazaifu, Fukuoka Pref. on DEC 19, 2013 (14).jpg
↑“麒麟”である…「ビールのラベルのマーク?」という感だが…

麒麟とは想像上の動物で、「鹿に似て大きく、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、背毛は五色に彩られ、毛は黄色く、雄は頭に角を持つ」と言われているそうだ…動物園の人気者のキリンとは違う…

雨に濡れたこの種の像…なかなかに味わいが在る…
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2013年12月19日

吉松駅(鹿児島県):キハ220 1102号車(2013.12.18)

早朝の鹿児島中央駅を発ち、隼人、吉松、人吉と乗換えて八代に至る。「肥薩線を巡る」ということになる…八代以北は列車本数も多く、夕刻には博多に至る。夜まで動き回るつもりなら、更に先へも進むことが可能だが…

鹿児島中央・隼人間、隼人・吉松間は見覚えも在れば、乗車したことも在る型の車輌だったが…吉松・人吉間に関しては、「見覚えが無い…」と思える車輌だった…

↓こういう具合の紅いディーゼルカーである。“1輌運行”のタイプだ…
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「紅い車輌」そのものは、JR九州では赤がコーポレートカラーなので、然程珍しくはない。何やら見慣れないのは、真ん中に“展望窓”が据えられているという辺りである…

しかし、直に判った。これは、“2輌連結”が必須な“片運転台”で1991年に初登場したキハ200系から派生したキハ220系の“改造車”だった…

>>キハ200に乗車した経過(2011年12月)

“2輌連結”が必須な“片運転台”に対し、“1輌運行”を行う場合は車輌の前後に運転台が設けられる“両運転台”でなければならない。キハ200系を“両運転台”とし、“1輌運行”が可能にしたキハ220系が1997年に初登場している…

↓このキハ220の1102号車は、改装を施されて熊本に配置された…
'220DC' at Yoshimatsu Station, Kagoshima Pref. on DEC 18, 2013 (6).jpg
↑2011年秋のことであるという…

キハ200系、キハ220系…これは旧い車輌を更新する際に順次導入されていて、1990年代以降、現在でも増備されているようだ。車輌に関しては、吉松駅の駅員さんに少し教えて頂いたが、「運転し易い」とキハ220は乗務員の間でも評判が好いようだ…1980年代に初登場の車輌も在るが、1970年代に初登場の車輌が非常に多い。1970年代に初登場の車輌に比べると…キハ220のような車輌は、20年も「若い」車輌である…メカの性能は格段に良い筈だ…

展望窓が設置された車輌…車窓風景が「売り」な路線への投入…ということで肥薩線が活躍の舞台となった…肥薩線に関しては、旧型車を改造し、展望窓を設置した車輌を用意して<いさぶろう/しんぺい>と名付けた列車を運行し、“観光列車”と呼ばれて好評を得ている。或いは…キハ220の1102号車は、こうした事例のような運用も出来るかもしれない。

↓JR九州の近年の車輌は、快適性を高めようと工夫した内装が施されているが、キハ220もその例に漏れない…
'220DC' at Yoshimatsu Station, Kagoshima Pref. on DEC 18, 2013 (8).jpg

「乗物好き」の端くれとしては、旅をする際は「見慣れない車輌を使った列車」、「好感が持てるデザインの車輌を使った列車」等に乗車してみたいものである…そういうモノの登場を予期して列車を利用しようとする場合も在るが、何も考えずに乗車しに出掛けて、そこで「これは?!」と思える車輌に出くわすのは嬉しいものだ…

旅で出逢った鉄道車輌等に関しては整理もしてみたいが、とにかくも12月18日に出くわして乗車した様々な車輌の中では、この「キハ220 1102号車」が強く記憶に残る…
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2013年12月18日

鹿児島・知覧:“桜島小みかん”(2013.12.17)

昨年、佐賀県内を列車で通過した際、車窓に「みかん冷蔵倉庫」なる看板を視て、「九州は柑橘類の栽培が盛んな土地が多い…」等と思っていたが…今年は長崎県内、熊本県内、鹿児島県内で「樹が柑橘類の実を着けている」という様子を眼にして、些かの驚きを禁じ得なかった…

柑橘類が樹に実を着けることは承知している。何かの映像を視たような記憶も在る。しかし、実際に目の前に在る樹が柑橘類を実らせている様子を視たというのは、記憶が殆ど無い…私自身、柑橘類の栽培とは縁が薄い地域の人間だからかもしれない…

鹿児島から知覧へ向かった…知覧は中世の山城の址が見受けられ、近世には“麓”と呼ばれた城郭のような防衛機能を担うことを期待された集落が形成されていて、その様子をよく伝えている。加えて、戦時には飛行場が設けられていて、終戦近くの時期には“特攻”の拠点となったという記憶も有している地域だ。或いは「鹿児島県の歴史」、「日本史の一面」が凝縮されたような地域である…

この知覧での行動は…風雨に抗いながらのものとなってしまったが…“麓”の様子を伝える、所謂「武家屋敷」では、雨が醸し出す独特な雰囲気の庭園の風情や、“常在戦場”とばかりに日々の暮らしを営んだと思われる武士団が築いた町の雰囲気を愉しんだ…

↓こういう様子を視掛けた…
'Sakurajima-Ko-Mikan' at Chiran, Kagoshima Pref. on DEC 17, 2013 (3).jpg
↑奥の方の樹に橙色の実が?

↓小粒なミカン!?
'Sakurajima-Ko-Mikan' at Chiran, Kagoshima Pref. on DEC 17, 2013 (1).jpg

古くからミカンは愛でられていたと聞く…江戸時代の武士が自邸の敷地に植えていても不思議ではないし、邸宅を受継いだ人達が近代以降に植えることも在り得る…

このミカンが実る樹を視掛けたのは、見学者の拝観受付を行う場所の、一寸座って休憩も出来る係の方が居る辺りだった。係の方に、柑橘類と縁が薄い地域―北海道…―から流れて来ていて、何の樹か興味が在ると話してみると、「桜島小みかん」と教えてくれた。「どんな字を書くか?」とまで、重ねて尋ねてしまった…

「売っていますよ…“桜島小みかん”は…」ということで、“みかん”と平仮名を使うのを公式呼称としているというようにも聴いた…「世界一小さな甘いミカン」とのことである…

風雨の知覧からバスで鹿児島市内へ引揚げ、路面電車の未乗車区間を愉しんで、宿の近くでも在る鹿児島中央駅前に至り、鹿児島中央駅の駅ビルに寄った。「食品売場?」と案内板を見れば、確り食品スーパーが在った…

「売っていますよ…“桜島小みかん”は…」を探した…見付かったが、綺麗に箱詰めされた高価なモノだった…贈答用の高価なミカンをどうこうしたいのではない…

↓そこに、こんなモノが出て来た…
'Sakurajima-Ko-Mikan' (Kagoshima) on DEC 17, 2013 (1).jpg
↑一寸試食したいという場合、これで十分である!!

嘗て…駅の売店に“冷凍ミカン”なるモノが売っていた…小学生位の頃だった…そういう例に倣うでもないが、明日は列車で移動するので「車中のおやつ」にもなるかと考えた…

知覧での想い出を胸に、知覧で視掛けた“桜島小みかん”を手に、風雨がやや強まってしまった中を宿へ引揚げた。

雨で濡れた上着やシャツを脱ぎ、一息入れてから“桜島小みかん”を試した…「一種のミニチュアか?!」と思えるような、小粒なミカンだが…皮を剥くと、多少の果汁が手に着く位にジューシーで、「ミカンらしい!!」と思える「酸味を帯びた甘味」、「甘味を帯びた酸味」が強く感じられた。

秀逸だ!!部屋に居る間にどんどん頂いてしまった…結局…「車中のおやつ」の分まで残らなかった…

また一つ…好いモノを知った…
posted by Charlie at 00:42| Comment(0) | HDR/2013年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする