札幌には長く住んでいたのだが、何となく「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です」というフレーズを意外に忘れずに覚えている。「札幌市民憲章」というものの最初の一節らしいのだが…
札幌都心部には“時計台前”というバス停―このバス停は随分利用した覚えも在る…―も在り、一応「街中の目印」のような存在…「ということになっている」のだが、札幌に住んでいた頃は殆ど気に掛けることも無かった…
札幌から離れて相当経ったような頃になって…何か妙に時計台が気に掛かるようになった…考えてみると、「札幌でゆっくり過ごす」という機会が、年に数回在るか無いかという状況が近年は定着していて、そうなると余計に「札幌と言えば…」と時計台が思い浮かんで、街を歩く中で何となく眺めに行ってしまうようになっていた…或いは、札幌に関して「地元に居る」という目線ではなく、「来訪者」という目線で視るようになってきているのかもしれない…
↓独特な型の時計が収められている部分が好いが…
![8340423812_707bd3304a[1].jpg](https://mirage-hdr.up.seesaa.net/image/8340423812_707bd3304a5B15D-thumbnail2.jpg)
↑と言うより「時計台」と言った場合に思い浮かぶのが、この時計部分を撮った画だが…
↓これを載せた建物は、高層ビルに囲まれた辺りに、やや居心地が悪そうに佇んでいる…近くに行けば、この建物の型はやや目立つが、大きなビルの谷間なので、意外に見過ごしてしまう…
![8340419970_36192c6ffd[1].jpg](https://mirage-hdr.up.seesaa.net/image/8340419970_36192c6ffd5B15D-thumbnail2.jpg)
![8340416266_8f40b69650[1].jpg](https://mirage-hdr.up.seesaa.net/image/8340416266_8f40b696505B15D-thumbnail2.jpg)
時計台は「旧札幌農学校演武場」(きゅうさっぽろのうがっこうえんぶじょう)というのが正式名称だ。“札幌農学校”とは、明治期に設けられた学校である。その系譜は今日の北海道大学が受け継いでいるらしいが…“演武場”は「武道の練習等を行う場所」ということである。現代風に言えば“小体育館”という感で、柔道や剣道の練習のようなことに使われたり、講演会を催したりというような利用のされ方だったようだ。
時計台だが、1878(明治11)年に、現在地よりやや北に建物が登場した。当初は建物に小さな鐘楼を載せていたが、1881(明治14)年に建物の上を現在の型にして時計を設置したのだという。1903(明治36)年に札幌農学校が移転した後、1906(明治39)年に当時の札幌区が建物を買い取り、現在地に移設されている。その後、建物は長く図書館、ホールとして利用されていたそうだが、1970(昭和45)年に重要文化財となった。1995(平成7)年からは4年間に亘る修復工事が行われ、現在の姿になって今日に至っている。
↓ビルの谷間で、相対的に小ぶりに見えること、また地味な印象なので、「ガッカリする名所」に挙げられる場合も在る…
![8340421130_da4f000030[1].jpg](https://mirage-hdr.up.seesaa.net/image/8340421130_da4f0000305B15D-thumbnail2.jpg)
近年、何となく気になっていた時計台の写真を撮ってみたが…今年は建物が登場してから「135年」ということになる…何かと話題に上るかもしれない…
posted by Charlie at 09:27|
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