2013年02月25日

鹿児島の路面電車:早朝のいづろ通停留所付近を行く<7000型>(2011.12.20)(FotoSketcher)

4編成の中の何れかが判り難いのだが、早朝のいづろ通停留所付近で<7000型>を視掛けている…

↓“形状”が判り易い“鉛筆画”風に纏めた…
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“5連接”という独特な構造が判り易い具合に信号停止している…
posted by Charlie at 19:53| Comment(0) | FotoSketcher/鹿児島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿児島の路面電車:繁華街を行く“7003”(2011.12.19)(FotoSketcher)

「緑の絨毯のような芝生が敷かれた軌道を新旧の車輛が行き交う」という鹿児島の路面電車に初めて出逢い、嬉々として様子を視ていたが…気になったのは「欧州風」な外観の新型車輛である…

↓日が傾き、街が多少忙しそうな感じになってきた辺りで、その新型車輛が行く様を視掛けた…傾いた光の中、明るい色の車輛が影の中に浮かび上がる感じになっている。
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↑「雑誌記事の挿絵」のような“イラスト風”に纏めてみた…傾いた光線で軌道はやや影が多くなっているのだが、左側手前辺りに小さな花壇が設けられていて、そこに花が咲いている様子に、12月ともなれば「氷雪の世界」となってしまう街から辿り着いた私は多少驚いた。

↓ここで見掛けた車輛“7003”について少し調べてみた…

<7000型>
『LRT(次世代型路面電車システム)整備計画』に基づいて導入された連接式超低床電車である。超低床電車を国産化した“リトルダンサー”シリーズの一つである。<7000型>の初登場は2007年で、最初に2輛が導入され、翌2008年に2輛が追加され、現在は4輛が活躍中である。5つの車体が連接されている。各々に“A”、“C”、“E”、“D”、“B”の順でアルファベットが振られている。編成の前後になる“A”と“B”、中央の“E”に台車が据えられていて、“C”、“D”はフロート構造である。電動機(モーター)は“A”に2基、“B”に2基据えられている。各種機器は、“超低床”に対応するために屋根上に設置されている。延長は18mだ。

画のカメラに向かっている側は“B”で、画の時点では後尾になっている。架線を支えるポールが車輛の一部に被ってやや視難い面も在るが、運転台が設けられ―画の時点では最後尾なので乗務員は居ない…―ている画の正面の直ぐ向こうに乗降用の扉が見える。そこが“D”だ…画では柱が被っている辺りに中間の“E”と、反対側の運転台に繋がる“C”の連結部が在る。天井側に、連結で生じる溝が覗く…そして画の時点では乗務員が居る運転台が在る“A”が連なる。なるほど、“7003”は5つの部分で編成されている…

この“7003”を含む<7000型>の前に導入された<1000型>は、3つの部分で編成されていた。この<7000型>は5つを連結する方式―中間車体を増設する方法―を採って、車内を拡げているようだ。旅客定員も<1000型>の55人から58人に対し、<7000型>は78人だ。序に<1000型>は延長が14mで、<7000型>より4m短い…

路面電車を“低床”にして乗降性を向上させる取組は、欧州各国で先行していた。1980年代後半に入り、各種機器の小型化が進んだという事情も後押しになり、色々な方式が工夫されたという。日本では“バリアフリー”が叫ばれ、「誰にでも優しい公共交通」が模索される中、1997年に熊本に超低床電車が登場したのが「初めての事例」となった。この「初めての事例」は、ドイツの車輛の“ライセンス生産”であった。これの登場後、日本のメーカーが「超低床電車の国産」を目指し、その成果として登場した“リトルダンサー”と呼ばれるシリーズの最初のモノとなったのが、鹿児島の<1000型>であった…

電車を低床にする際に“壁”になるのは「台車」である。そこで、「台車」を前後に寄せ、中間を「フローティング」にして、「低床の乗客スペース」を造る方式が工夫された。鹿児島の<1000型>は、乗車した際にこの方式であることが非常に判り易い…

この方式の他、「車軸の無い“独立車輪”」を据えて、車内を殆ど平坦な低床にしてしまう方式も在るようだ…熊本、岡山、富山等で見受けられる、ドイツの車輛の方式をベースにしたモノがこの方式だという…そして、広島ではこの“独立車輪”の方式を国産化したものが導入されているという…

電車の乗客には、乗客の数だけ“物語”が在ると思うが…乗客を乗せる電車の側も、現場に登場してくるまでに色々な“物語”が在るようだ…

<1000型>には“ユートラム”という愛称が冠せられているが、この<7000型>は“ユートラムU”という愛称が冠せられている。どちらの型も「時代の要請―“バリアフリー”提唱を受けた低床化―に、永く積み上げられた技術で工夫をして対応」というような、“ものづくり”に携わる人達の“心意気”が滲むような、“リトルダンサー”シリーズの製品である。<1000型>の方は車輛数も結構多く、見掛ける機会もやや多いが、その“弟”、“妹”に相当する<7000型>も活躍を拡げていくことであろう…
posted by Charlie at 18:19| Comment(0) | FotoSketcher/鹿児島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿児島の路面電車:鹿児島中央駅前停留所で電車が詰まっている状況(2012.12.15)(FotoSketcher)

大阪で雨に降られ、それから逃れるように新幹線で熊本に向かった。熊本ではどんよりと曇っていたものの、未だ雨が降っていなかったのを「幸い」と思っていたが…やがて少し強めな雨が…雨から逃れてとりあえず熊本駅で休んでいると…興味津々だった“800系”の列車に乗れそうだったので、そのまま熊本駅から鹿児島中央駅へ南下した…

鹿児島に泊まることにして、鹿児島中央駅周辺の宿を目指そうとしていた辺りで、路面電車を視掛けた…

↓こんな様子である…“水彩画”風に纏めた…
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↑この日は鹿児島も雨が降ったということで、路面が湿っている…曇っていたが、若干日が傾いている時間帯であり、標識灯の灯り等が目立つようになってきている…

現在の鹿児島駅より少し遅れて“武駅”―辺りは永く「武村」と呼ばれていて、畑が広がる農村だったようだ…―が開業し、やがて“西鹿児島駅”に改名した。戦後になって暫くしてから、「貨物は鹿児島駅、旅客は西鹿児島駅」と“棲み分け”がなされ、西鹿児島駅は旅客ターミナル(=鹿児島市のメインの駅)となった。周辺は「新しい市街」として発展してきたように見受けられる…新幹線の開業を契機に、駅は“鹿児島中央駅”に再度の改名をして今日に至っている。JR九州の駅としては、博多や小倉に次ぐ程に利用者が多い駅らしいが…そしてその周辺の時期に、路面電車の停留所も現在の型になったようだ…

鹿児島中央駅辺りには、市内各所や県内各地、更に県外の都市とを結ぶバスが発着する場所も在り、「交通結節点」となっていて、路面電車の停留所も乗客が途絶えない。朝や夕刻は殊に乗客が多い…

この時は乗客が多い夕刻に入っていたが、そんな時間帯には運行間隔が縮まる。そうすると、何処かの停留所で乗降に時間が掛かった場合などに「電車が詰まる」状態が発生する…鹿児島中央駅前だけで発生する訳でもないが…鹿児島中央駅前でその「詰まる」状態が発生しているのを視て、「鹿児島に着いた…」と妙に強く実感した…

結局、夕食後までは雨に濡れて「生乾き」な上着を着ていたのだが…路面電車を視て「目指していた鹿児島に安着!!」という気持ちを強くして、足取りが少々軽くなった…
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2013年02月24日

湾曲している(?)歩行者用信号機(2013.02.23)

↓近所を歩いていて気になった…
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信号機が…曲がっている…

何かの作業をして、機械で圧してしまったのか?潮風が通り抜ける辺りなので、金属が傷んだのか?どう視ても真っ直ぐではない…

こんな状態だが、普通にランプは点っていた…明るい晴れ間なので、光はやや視難いが…

不思議だ…
posted by Charlie at 19:44| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

稚内港北防波堤ドーム(2013.02.23)

土曜日に言葉を交わした方が、「忙しい天気ですね…」と仰っていた…晴れ間の他方で、そこそこに激しく雪が降る時間帯も在り、何か「降ったり、晴れたり」が小刻みに繰り返された感じがする…土曜日の傾向は日曜日も続いていたのだが…

↓その晴れ間に、北防波堤ドームの辺りに寄ってみた…微妙に雲が多い感じだが、空の蒼と雪の白が好い!!
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↑「降ったばかり」の積雪が一部に残っている…

↓柱が70本並ぶ内部も覗いた…
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↑カラーなのだが…少しモノクロのような雰囲気も在る…

今季は少々雪が多いような気がするが…これだけ辺りを覆ってしまっている雪が、時季になれば確り融けてしまうのが不思議だ…
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鹿児島の路面電車:早朝のいづろ通停留所に停車した“9701”(2012.12.16)(FotoSketcher)

未だ夜空のような状況の下、鹿児島中央駅前から鹿児島駅前に向かう路面電車に乗車した。

休日に相当する日曜日の早朝であったが、存外に多くの乗客が見受けられる。路面電車に限ったことでもないが、公共交通機関では、「乗客の数だけ“物語”が在る」というものだ…

私の“物語”はと言えば…前夜に屋台村で居合わせた方に「朝陽が視られると善いですね!桜島が日の出の東側ですし…明日は大丈夫ですよ!!」と言って頂いて、気を好くして、同時に雨に追っ掛けられるように大阪から熊本を経て鹿児島入りした直後だったということで少し力を得て休み、迎えた朝だったのだ…

鹿児島中央駅前の夜空のような様子では、「雨が降っていない」ことが確かなだけで、天候は判り難かったのだが…電車が鹿児島駅前の在る東寄りへ走る中で、空は“ナイトブルー”というような様相になってきた。やがて車内では「次は、いづろ…いづろ通です」のアナウンスが聞こえた。下車する予定を伝える押しボタンを押した…

↓いづろ通で停車した電車…
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↑“水彩画”風に纏めてみた…

乗って来た電車は、広告塗装で塗り潰された感じになっていてやや判り難い―よく視れば小さな文字が書き込まれて在る…―が、“9701”であった。

<9700型>
1998年に“9701”、“9702”の2輌が登場している。これを導入する事業年度が「平成9年度」であったことから、平成9年の西暦1997年を取って<9700型>と命名された。<9500型>とよく似た―運転席の窓や側面等、殆ど同じ…―外観だが、新造されている車輌だ。集電装置は“シングルアーム式パンタグラフ”となっている。

この“9701”を下車し、“ドルフィンポート”の在る辺りへ歩いた。日中から夕方、夜に掛けては最も繁華な地区の一隅であるいづろ通停留所付近も、流石に土曜日の日の出前は静かだった…

やがて…目指していた辺りに至った…

↓早朝の桜島!!
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↑時代モノのドラマに出て来る“薩摩の武士”のような口調で「桜島でごわす…」とでも挨拶の声を掛けられたような気分になりながら、空が明るい感じになるまで暫く眺めていた…

こういう光景に出くわすと…正しく「早起きは三文の…」という感じがする…
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鹿児島の路面電車:夜の“507”(2011.12.19)(FotoSketcher)

「九州屈指の都市」を謳う鹿児島の都心部は、静かな街からふらりと立ち寄った私の眼には、非常に賑やかで、歩き回るのが愉しい…

この時は、「大阪から空路で“帰国”」という日程だったことから、暗くなって窓口の営業時間が終わってしまう前に、鹿児島中央駅傍のバス会社の窓口で翌日の“大阪行き夜行バス”のチケットを手配した…他所へ向かうには遅いかもしれない時間帯になったので、鹿児島に泊まることに決めていた…

初めての街でも…鹿児島の場合、私は“鹿児島中央駅”辺りを「発着地点」のようにして、「主に鹿児島駅前へ延びる電車の軌道に沿った辺り」を動き回っていたので“迷子”というような状態は免れていた…

↓ふと軌道側に眼を向けると「レトロ!!」な感じの“507”が停車していた!!
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↑街灯の灯りが、「展示場のスポットライト」のようだった…“水彩画”風に纏めてみた…

精確なことは調べていないのだが…鹿児島の路面電車では、“超低床”と1990年代以降に登場の各車輌が「主要な使用車輌」と位置付けられ、日中はこれらを中心に運用しているように見受けられる。<500型>、<600型>と言った「永く頑張っている」感じの車輌は、運行密度が高めな、朝夕の時間帯に投入されているように見える…或いは…写真を撮るなら「朝夕の時間帯が好い」ということかもしれない…

“507”に関しては鹿児島駅前で待機中の様子も視掛けているが、こうして“スポットライト”風な街灯の光を受けて走行している様も好い!!緑とオレンジの塗装は「陽光に映える」ことを企図したのであろうが、こういう光加減でもなかなかに好い…
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2013年02月23日

鹿児島の路面電車:黄昏の天文館通停留所付近(2011.12.19)(FotoSketcher)

少し静かな感じの鹿児島駅前から、路面電車に乗って天文館に出てみた…

“天文館”…この辺りには「東千石町」、「西千石町」という住所が在るが、これは武士の家禄の“千石”に因む。“千石”というような家禄を得ていたのは、「相当に上級」な人達ということになり、“大身”と呼ばれた。彼らは相当数の家臣や使用人を抱えて、大きめな敷地の屋敷に住んでいた。そんな“千石”クラスの武士達の屋敷が集まっていた辺りが、現在の天文館周辺である。少し時代が下り…この辺りは細々とした人家等の灯りが少なめで、天体観測が行い易いと見受けられたことから、暦作成のための観測所が設けられた…この観測所に因んだ“天文館”という呼び方が残り、地区の通称となったのだという…

千石クラスの“大身”と呼ばれた武士達の屋敷が並んでいたという静かな地区だったものが、現在では「南九州随一」と謳われる、賑やかな繁華街となっている…

市街の西側に相当する鹿児島中央駅の側は、空に赤紫色が残っていたが、宵闇に移り変わる寸前のナイトブルーが街を覆っていた…街の灯が滲む中、車輌や通行人が忙しそうに行き交い、悠然と行く路面電車の乗降客も多い…

一寸写真を撮ったが、なかなかにドラマチックな雰囲気だ…画を色々な雰囲気にしてみたのだが…

↓“水彩画”風にしてみたもの…
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左側は<9500型>だ…右側は最新の<7000型>である…
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2013年02月22日

鹿児島の路面電車:“2141”&“9515”&“101”=“かごでん”(2012.12.16)(FotoSketcher)

早朝から路面電車で動き回った1日だった2012年12月16日、鹿児島を訪ねた“切っ掛け”でもあった“かごでん”に乗車した。

1日に4回設定されている“観光電車”の第1回目に乗車した…実は早朝から「日の出の頃の桜島」を眺めに出るなど動き回っていて、鹿児島中央駅前から10時に出発するモノを待ちわびていたのだった…

“かごでん”は先ず鹿児島中央駅前・鹿児島駅前間を行く。この鹿児島中央駅前・鹿児島駅前間は最も乗客が多い区間らしい。私自身も何度も往来していた区間だった…

↓そして鹿児島駅前の、“フォーク”のようになった軌道を進み、他の電車と並んで停車した。“水彩画”風にまとめてみた。
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↑左から“2141”、“9515”、そして“かごでん”こと“101”である…

この「3輛並んで待機」の鹿児島駅前の光景!!前年にも視ているが、なかなかに好い!!新旧様々な車輌が集結する感じだ…

↓3車輛の形式について、一寸調べてみた。

<2100型>
「完全に新造」の車輛としては、1963年に納入された“616”以来26年ぶりに、“2101”と“2102”が1989年に鹿児島に登場した。以来、2110番台の3輛が1991年、2120番台の2輛も1991年、2130番台の2輛が1992年、2140番台の2輛が1994年にそれぞれ登場している。製造はJR九州(当時の鹿児島車両所)である。「21世紀を先取り」という願いを込めて“2100型”と名付けられたようだ。

<9500型>
“2100型”登場の後の時期に、“800型”が更新されている。

<101=かごでん>
この車輛のベースは“616”だという。鹿児島の路面電車が運行を始めたばかりの大正時代から1950年代頃までに見受けられた「木造電車」のイメージ―車内も「木造風外観」になっている。鉄道車輛は難燃性の材料で製造する原則で、本物の木の板を組んで車体を新造する訳にもいかない…―で、2012年に改造を施している。“616”の足回りに、新造のボディーを組合せているようだ…

今回は<2100型>、<9500型>と「1990年代登場の、最近の各地の路面電車でよく見受けられるような型」が2輛と、「運行100年!!」で特別仕立てをした1輛の組み合わせとなった。

左の“2141”に施された「緑とオレンジに白線」が、鹿児島の路面電車の“標準”の塗装とのことだ。“9515”は鮮やかな赤の広告塗装だ。

鹿児島駅前で8分程度停車していた“かごでん”は、高見馬場まではやって来た軌道を折り返し、高見馬場からは郡元へ向かい、郡元から鹿児島中央駅前に向かった…
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2013年02月21日

鹿児島の路面電車:“1014”&“9505”&“507”(鹿児島駅前 2011.12.19)(FotoSketcher)

初めて鹿児島の路面電車に乗った日…あの日は…「稚内から枕崎まで、全行程を鉄路で!!」を成し遂げたという「勝手な自己満足」を祝福してくれるかのような好天だった鹿児島に、冬の太陽が傾きかけた辺りに着いたのだった…鹿児島市役所の観光振興課に図々しくもメールして教えて頂いた「路面電車で手軽に行ける、桜島がよく見える場所」ということで情報を得ていた“ドルフィンポート”―真摯に御対応頂いたOさんに大感謝!!―を訪ね、「西日を受ける桜島」の勇姿に感心し、更に“一日乗車券”を駆使して動き回っていた…

日没後に空が紫色に染まった…南九州屈指の都市を行き交う車輌のライトが目立ち始め、繁華街の電飾看板や建物の窓から漏れる灯り、街灯の光が滲み始めた頃だった。「どんな所に至るのか?」と訳も判らずに乗車した路面電車は、鹿児島駅前に至った…

鹿児島駅前…2つの運転系統を持つ鹿児島の路面電車の双方が終点・基点としている停留所である。ここに至った路面電車は、乗務員(=運転士)が一息入れた後、また逆方向に発車して行く…停留所前の軌道は“フォーク”のようになっている。枝分かれして、3つの車輌が並んで停車出来るようになっていて、停車する場所は屋根で覆われている…

この辺りには電車が運行を開始して日が浅かった頃から停留所が設けられていて、往時は“停車場前”と呼ばれていたらしい…鉄道駅の鹿児島駅に関しては、後年に「鹿児島駅は貨物ターミナル、西鹿児島駅は旅客ターミナル」というような“棲み分け”が決められたことから、「一寸ローカルな駅」になった…西鹿児島駅の方は、新幹線登場を受けて鹿児島中央駅と改称されていて、周辺も「新しい市街」という雰囲気になっている。

↓紫に染まる空を背景に、新旧3輌の電車が並んで待機している様を見かけた…“水彩画”風に纏めてみた…
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↑左から、“1014”、“9505”、“507”である…

↓これらの電車に関して、少し調べてみた…

<1000型>
“ユートラム”という愛称が在り、2001年に登場し、2002年から運行している。“国産”としては“初”ということになった、「超低床」の路面電車である。“リトルダンサー”と呼ばれるシリーズの一つということになる。3つの部分が連接されているが、「3体で“1輛”」という扱いになる。この型は現在9輛が活躍中だ。“1014”は2004年3月に竣工した。

<9500型>
1960年代以来活躍していた800型―廃止になった大阪市電から譲り受けたモノ―を改造し、1995年から初登場している。800型であった頃と、外観は随分変わっているようだ。1995年3月から200年2月の期間で15輛が揃った。目下、鹿児島市交通局が「最も多く所有」している車輛であり、見掛ける確率は高い。9500型は、登場時期によりクーラーの位置や方向幕等、多少の相違が在る。“9505”は1996年3月に竣工した。

<500型>
1955年に初登場。戦後の困難な時期を抜け出した中、製造から20年以上経た旧式車輛が目立つ状況であったことから、近代化された新車輛の導入を図った際に登場している。1955年から1956年に掛けて、計15輛が順次納入された。現在は4輛が運行されているらしい。“507”は1956年12月に竣工した。

“9505”は「各地で視掛けるモノ」に非常に似ている…“507”は「永年に亘って活躍」という感じがする…“1014”は「新世紀の主力」というようなイメージだ…

実はこの写真…かなり気に入っている!!2012年は、天候の按配も在って、こういう光景―紫に染まった夕空を背景に待機する路面電車―を視ることは叶わなかった…或いは「路面電車が好き?大変結構!!これからもよろしく!!」とばかりに、こういう様子を見せてくれたのかもしれない…
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稚内:雪が積もった朝…降雪継続中…(2013.02.21)

「暦の上では春ですが、まだまだ厳しい寒さも続く中、皆様におかれましては益々御健勝のことと御慶び申し上げます」等というのは、この時季の決まり口上かもしれないが…今朝の稚内は“真冬”の様相以外の何物でもない。この時季の暦を“春”ということに決めた責任者がハッキリしているなら、思い切り罵倒してやりたくなるような状況だ…

起き出して程無く、煙草を切らしていたことを思い出し、それを求めに出ようとした。昨夕は「強力な寒気の接近」という気象情報を耳にしていた。とりあえず、確りと防寒用の上着を着て、ニットのキャップを着用した。拙宅から通への出入口の前で、思わず引き返した…深い雪に対応した、丈の長めなブーツが必要な状態だったのだ…

扉を開けて、2歩目辺りから雪を漕ぎ、通に出た…

↓路が半ば埋まってしまっている…
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↑風は微弱だが、降り方はやや激しい…

きっと、人々が寝静まっている間に雪は深々と降っていたのであろう…半ば「路無き路」のような積雪を漕いで進む…

↓既に「少し早めな…」という人は活動を開始している時間帯に入っている…ドライバーにとっては、暗い山道よりも性質が悪い、「真っ白で見え難い」中で車やバスも動き始めている…
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こんな時…口を突くのは「わや…」という言葉だ…
posted by Charlie at 07:22| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月20日

長崎の路面電車:“201”と“5001”(2012.12.19)(FotoSketcher)

新旧様々な車輛が同じ軌道を、何ら特別なことが在るでもない、非常にさりげない様子で行き交っていることが、「路面電車の面白さ」の一つであるように思う。

“運行100年”というような事業者も見受けられるように、「路面電車を走らせる」という基本的技術は、既に“伝統的”な“確立された”ものである。複雑過ぎたり、繊細過ぎる訳でもない。だから年月が相当に経った車輛でも利用可能だ。また、“100km”というような次元の距離を行き交う列車の車輛と異なり、運行区域内の「端から端」で10km前後、或いはそれ以下というような軌道を行き交っている車輛なので、「軌道を往来する車輛」(=鉄道車輛)としては相対的に車輛のメカや素材に過重な負担が掛かり悪いのかもしれない。更に言えば、関係者の皆さんが整備の努力を永く受け継がれているということも忘れるべきではないであろう…

そうした路面電車の“面白さ”が強く感じられる場所…長崎である。長崎は、街を動き回る際の移動手段として、“路面電車”が真っ先に挙げられるような土地柄で、色々なタイプの車輛が視られる街だ…

↓グラバー園を訪ねようとした際に出くわした光景である…
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↑左の“201”、右の“5001”…「同じ事業者の車輛なのか?!」とも思う程、「全然異なる時代に登場した」ことが一目瞭然な感である…

“201”の方は、「懐かしい風景」というようなテーマの、街の風景を撮ったやや色褪せた写真に登場する路面電車の車輛がそのまま残っているかのようである…他方の“5001”は、如何にも「新型登場!!」と極々近年に紹介されたモノのように見える…

↓“201”と“5001”に関して、少し調べてみた…

<200型(201型・202型)>
1950年に登場した車輛。当初は“トロリーポール”の集電装置を備えていたという。1969年にワンマン運行向け改装が施され、1980年代以降には方向幕の改良や冷房設置等も行われているという。奇数番号は日立製作所製造、偶数番号は日本車両製造である。日立製作所製は頭文字の「ヒ」(“ひとつ”)に通じるから201形、日本車両製は頭文字の「ニ」に通じるから202形としたのだという。

<5000型>
2011年に登場した車輛。最新型の「超低床車」である。3つの部分が連結された構造で、前後の“A”、“B”に台車を備え、中間の“C”が「フローティング」となっている構造。延長16.3mというが、「乗降スペースからはみ出しそうな感じで停車」している様を視ても、他の電車よりも長いことは明らかだ。因みに、上記の200型は11mであるという。

“201”は、登場してから「60年以上」である!!“5001”は未だ運行が始まったばかりだ…この両者が「何ら特別なことが在るでもない、非常にさりげない様子」で並んでいるのだが…恐らくは、長崎で「普通にルーティンを組んで運行に充てられている車輛」(長崎には、特別な催しに際して使用される、更に旧いモノも在る…)としては、最も旧いモノ(=“201”)と最も新しいモノ(=“5001”)とが並んだことになると思う。

この様を停留所で見掛けた時には「見事な新旧対比だ!!」と少し驚いたが、旧い方の“201”が登場してから「60年以上」とまでは思わなかった。

“60年”と言えば…“201”と同年に生まれた人であれば、成人して仕事に就いて、永く活躍して、「御苦労様でした」と一線を退くに至るような年月である…“201”が登場した1950年頃は、長崎が戦後の殊更に困難な状況から抜け出して、やがて訪れる高度成長に向かって行こうとしているような時期に相当すると思う。そう思うと、“201”は「長崎の戦後を見詰めながら街を往来していた」という存在ということになる…

“5001”は、「停留所で段差無く乗降可能」ということで「誰でも安心して安全に乗降可能」な“超低床電車”を国産化―欧州諸国で盛んに導入されていたことから、「日本初登場!」の頃は欧州の車輛のライセンス生産方式であったという…―しようとして登場し、各地で活躍している「リトルダンサー」―“little dancer”(小さな踊り子)だが、「リトル(小さな)段差」という洒落にもなっているらしい…―というシリーズの一つである。長崎では“5001”が登場した後、同型の“5002”も登場している。

“5001”が、隣りの“201”のように「初登場から数十年」というようなことになる頃…どのような新しい車輛が登場していることだろうか?そんなことを思うと、路面電車は「時空を超える!!」存在のように見えてくる…
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2013年02月19日

長崎平和公園(2012.12.20)

長崎市内を動き回るのに便利な路面電車の“一日券”は、ホテルのフロント等で売られている。これを事前に求めておけば、500円で朝から晩まで動き回ることが出来る…

12月19日にこの“一日券”を多用し、12月20日も滞在したホテルから去る前にフロントで“一日券”を求めた。“一日券”には路線図が在って、主な名所のイラストが最寄停留所に示されていて、ハッキリ言えば「とりあえず電車の“一日券”を求めて、図を視ながら殆ど一日中、市内巡りをして愉しむことも出来る」状態だ…私自身、それに近い状況であった訳だが…

その“一日券”の路線図を視ていて、遠い記憶が呼覚まされた…小学生の頃、担任の先生が「九州の長崎へ行って来た…」というような話しをしていて、有名な平和公園の像の写真を見せてくれたような…そんなことが在った気がした…確か、先生は全国研究発表会か何かで出掛けたというような話しをしていたように記憶しているが確かではない…

そういうことが在った御陰で「長崎の原爆」に関する事項が記憶に残り、その後も色々なモノを眼に留めると何となく読んでいた…1945年当時、米軍は2方式の爆弾を用意した。その中の1つは広島で使用された…これに関しては、広島を初めて訪ねた折りに資料館を詳しく見て来た…もう一つの爆弾…ハッキリ言えば、一つ使った時点で「日本の戦争継続の意図を粉砕」というような目的は達せられた筈だが…「別な方式のモノを試用」という意図が在ったのか、或いは目的が達せられていないということになったのか、2つ目の爆弾は上空へ…そして、当初の投下予定地域の天候が不良であったことから、爆弾は長崎に投下されてしまったのだった…

その爆心地周辺が、戦災犠牲者を悼むと同時に、平和を祈る公園として整備されている訳で、私はそこを訪ねておきたかった。例の“一日券”の路線図にも有名な像のイラストが在って、公園が示されているのだが…最寄りの停留所がよく判らない。複数の場所から行くことが出来そうである。長崎の路面電車は停留所間の距離が短めで、何処かへ行く場合「A停留所またはB停留所、更にC停留所も可」というケースが多い。平和公園もそうだと思ったが、とりあえずホテルの方に尋ねてみた。松山町(まつやままち)の停留所が最寄と確認した…思わず口を突いたのは「長崎に初めて来たからには、平和公園に在るあの有名な像を視てから帰らなければ…」という言だったが…ホテルの方は笑って送り出してくれた…

電車に乗車したのは大波止(おおはと)という停留所だった。海が見える辺りになる。そこから、1日動き回って多少馴染んだ各停留所が並ぶ、存外に交通量が多い国道を進む。「道路の上に線路」が在る“併用軌道”が大半だが、一部区間では「線路のみ」の“専用軌道”になっている。電車は「寧ろ住宅街」というような辺りに入って行き、やがて目指していた松山町に着いた。電車の線路の辺りから道路を渡ると、階段とエスカレーターが備えられた、小高くなった公園の入口に至った。

↓冬の北海道は雪と低温で管理がままならないことから公園の噴水は停止してしまう。そんな土地からここを訪ねると、「豊富な水量で小さな虹が掛かる噴水」に圧倒される…そして小さな虹を視て、この地に込められた“祈り”のようなものを感じる…
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↓素晴らしい青空の下、噴水の向こうにあの有名な像が鎮座している。
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↑「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」という意図が込められた像だという。原爆から10年を経た1955年に完成したそうだ。

↓像の手前の水面に、像の姿が映り込んでいる…
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現在は公園になっている辺りだが、往時は刑務所が在り、職員と収監されていた人達は…全員が原爆の犠牲になったようだ…広場の隅に往時の辺りの住宅地図を再現した掲示が在ったが、普通の民家が集まった地区に刑務所が在ったというような様子であった…

↓小高くなった辺りを降りて、少しだけ進むと、往時の“爆心地”にモニュメントが建てられていた…
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小高くなった、有名な像が在る辺りから降りた“爆心地”周辺も公園風に整備されている…

↓傷付いた、または力尽きた子どもを抱えて悲嘆に暮れる女性の像が在った…
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↑「被爆50年」のモニュメントで、「住宅地への爆撃」となった原爆で、女性、子ども、高齢者の犠牲が目立ったという事実を忘れないようにしようというメッセージが込められているという…

↓平和公園を含む長崎を中心とした12月20日の画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - DEC 20, 2012' set on Flickriver

昨年12月の旅の記憶に関して、ランダムに書き綴ってきたのだが、この平和公園のような「戦禍の記憶」を伝える場所に立ち寄ると、過酷な状況を乗り越えた先人の努力に敬意を表したくなると同時に、何の心配もなく気侭に歩き回ることが出来る“平和”に感謝しなければならないという気持ちになる…

こうした“平和”な状況の中、色々な土地に立ち寄り、様々なことを考え、また学ぶことも出来たように思う…
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2013年02月17日

稚内副港市場(わっかないふっこういちば)(2013.02.17)

ハッキリ「吹雪?」と思える状態も見受けられた前日に比べると、今日は寧ろ好天と言える状況だった…時折「晴れているのに雪が多少宙を舞う」という、「俄か雪??」と思える状況も見受けられた…

こういう日は「一寸歩く」には好適である…「サウナに行く」と言い習わしているが、拙宅から概ね15分程度で着く“稚内副港市場”に行ってみた…

↓何か催しが在るでもない日の10時台は、未だ広めの駐車場も空いている…
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↓何かの団体がバスで立ち寄り、休憩を取ったり、中の店で土産を見繕う様も見受けられるようになった…
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オープン前に“ふっこういちば”という施設名称を聞き、「復興?戦争とか災害でも在ったか??」と思ったが、“副港”のことだった。写真を撮ったのは陸側、国道40号の方向からだが、反対側は底曳船の基地になっている繋留濠である“第一副港”であり、それに因んだ命名ということだった…

↓2月の画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - FEB 2013' set on Flickriver

↓因みにウェブサイトはこちら…
>>稚内副港市場-お土産・温泉・お食事などが入った日本最北端の複合施設-

今日は、午前中にここのサウナを利用し、午後からは気侭に眠ったり起きたりという過ごし方になってしまった…「休日らしい」ということになるのかもしれないが…
posted by Charlie at 19:39| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビデオ 札幌の路面電車:コカコーラ塗装(2013.01.02)

年末年始を過ごした札幌で路面電車を眺める機会が在ったが…

“コカコーラ塗装”のものが、何となく気に入った。「白い雪が在る街路を行く赤い車輌」というのが好い…

↓すすきの停留所を出発する様子をS95の動画機能で撮ったが、それをHDR画と組み合わせて編集した…
posted by Charlie at 14:31| Comment(0) | Movie Maker | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月16日

“ミルクコーヒー”(2013.02.16)

降雪が断続…殊に昼辺りから降雪の頻度も量も多くなり始め、多少風が強くなると視界も悪くなった…「吹いてきた」という表現が登場する状況だ…

↓こんな日に外出すると、道草で温かいモノでも頂いてみたくなる…
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所謂“カフェオレ”だが…立ち寄った近所の老舗喫茶店では、“カフェオレ”という言い方が普及する以前からの言い方を踏襲し、“ミルクコーヒー”と呼んでいる…
posted by Charlie at 22:14| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

稚内駅(2013.02.16)

昼辺りから降雪の頻度も量も多くなり始め、「吹いてきた」という表現が口を突くような感じになった。

↓稚内駅辺りに立ち寄った…
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↓やや風が強まり、雪の細かい粒子が宙を舞う…
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昼頃からは、こういう具合に降雪が断続し、何時の間にか夜である…
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ビデオ 稚内・抜海駅のキハ54(2013.02.14)

先日、抜海駅に立ち寄った折り、「1日に僅か5往復停車」の列車が間もなく到着することに気付いた…

↓「一寸、撮ってみよう!!」と思い付いて列車の画を…駅の写真と組み合わせて編集した…


好天で雪の嵩がやや減った中だが、冬から春へ移ろおうとしている陽射しを受けて輝く雪は眩しい…そういう中を銀色の車体に赤いラインのキハ54が進む…「この辺の鉄道らしい」雰囲気が出ていると思う…

因みに、抜海駅に停車する5往復の列車は何れも普通列車で、全てこの「キハ54の一輌運行」である…
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2013年02月15日

稚内・抜海(2013.02.14)

稚内市の領域は700平方kmを超え、日本海側からオホーツク海側までの海岸線延長は90kmにも及ぶ。その日本海側、街の中心部から南西側の郊外に抜海(ばっかい)地区が在る…

抜海地区には漁港が設けられ、沿岸部では漁業が営まれている。内陸に少しだけ入ると、広大な牧草地が拡がっていて、酪農が営まれている。荒涼とした海岸線に築かれた、留萌方面に延びる道路は良く整備されていて、一般道ながらも雰囲気はバイパスのようだ…

↓漁港の一隅に、かなり古びた小さな社が在った…
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↑この辺りは、昔はなかなかに賑わった漁村であったと聞くが、現在は大変に静かな地区だ…

↓冬になると、漁港の辺りに何故かアザラシが集まる…
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>>ビデオ ネルパ―稚内・抜海港のアザラシ―

↓漁港から歩けば30分から40分は掛かってしまうが、内陸側に鉄道駅が在る…
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↑やや旧いが、かの高倉健が主演した映画『南極物語』で、この駅が映っている場面も在る…稚内⇔南稚内⇔抜海という順番で駅が配置されている。稚内・南稚内間は「直ぐ!!」だが、南稚内・抜海間は存外に遠い…

↓抜海駅の駅舎に在る時刻表…
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↑停車するのは5往復の普通列車…各列車、ディーゼルカーのキハ54が一輌で運行している…

時には立ち寄ってみたい静かな地区である…
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2013年02月14日

ビデオ 「ネルパ」―稚内・抜海港のアザラシ―(2013.02.14)

他地域では間違いなく「寒いですね」が挨拶代わりになるような気温でも、この時季の稚内でとりあえず“プラス気温”になれば「温かいですね」という話しになる。所詮、暑さや寒さは“相対的”なものだ…

こうした状況になると、一定以上の交通量の道路では、積雪や凍結が融けて舗装が覗くようになる…そうした中、郊外の抜海(ばっかい)に出向いた…

冬季の間、抜海の漁港にはどうしたものか多数のアザラシが集まって来る…アザラシはオホーツク海側に多く、日本海側には殆ど居ないらしいのだが、近年は流氷が少なくなって移動し易くなったのか、彼らは宗谷海峡を越えて日本海岸に現れるようだ…

そんなアザラシ達だが、日本海側に在る抜海漁港周辺の居心地が好いらしく、毎年のように現れ、その数も最大事には“数百”という次元になるらしい…これを眺めに抜海漁港に立ち寄る人も在ることから、何時の頃からか“観察小屋”まで設けられるようになっている…

折角、抜海周辺に出たので抜海漁港の様子を伺った…

↓LUMIXのデジカメを駆使し、動画も撮影してみた…

↑タイトルに採用した「ネルパ」というのは、ロシア語(нерпа)で「アザラシ」を指す語である…

時間帯によって、ここで視えている様子よりも数の増減は見受けられるという。冷たい風の中で、日向ぼっこ風に横たわっていたり、頭だけ出して海水に浸かっていたり、泳ぎ回っていたりする…何か…妙に長閑だ…

↓抜海港の様子…
wakkanai097 - View my 'Bakkai in Wakkanai on FEB 14, 2013' set on Flickriver

アザラシが何処かの河口近辺に迷い込んでいるのが見付かると、愛称が付いて見物人が繰り出すという現象が伝えられる…ここでは「毎年見受けられる当然な状況」という受け止め方になっていて、特段に騒がない…

それにしても…ある程度簡単に立ち寄ることが出来るような場所に、毎年のようにこれだけ多数のアザラシが現れるという状況…存外に貴重かもしれない…
posted by Charlie at 22:30| Comment(0) | Movie Maker | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月13日

《РУССКИЙ ТЕРЕМ》(ルースキー・テーレム)の稚内公演を…

稚内副港市場の建物にはサウナが在る…午後5時40分頃に拙宅から歩き始めると、午後5時55分頃に到着する…玄関前の灰皿の辺りで一息入れて館内へ…

夕刻は比較的静かなのだが、何やら「皆さん、こんばんは…」とマイクを通した声が聞こえてきた…

↓声の主はこの方…稚内の対岸、コルサコフに住む「サハリン屈指の日本通」かもしれないレオニード・ミロノフ氏である。
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↑学校の講師を務め、中高生相当年齢の生徒に日本語や日本文化を教えて活躍していて、一部の教え子は卒業後に進学して日本語を専攻していたりする…稚内とサハリンとの交流に在っても色々と活躍していて、今回は《РУССКИЙ ТЕРЕМ》(ルースキー・テーレム)のアテンドをしながら、公演の司会を務めている…

過日、稚内副港市場に立ち寄ったのはこの公演が“休演”の火曜日だった…折角なので、公演を聴くことに…

“公演”と言えば「観る」という感じだが…今般は「聴く」としたい…

↓この4人のヴォーカリストによる、「女声4部合唱」風にアレンジされた様々な歌がなかなかに好く、「公演を聴く」という言い方が似合うのだ…
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真ん中ではなく端に陣取っていたので、写真を撮るにはやや不便だったが…

↓各楽曲共になかなかの熱唱だった…
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↓彼女がソロパートを歌った部分が在ったのだが、なかなかに個性的な佳い声だった…
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今回は多数のアーティストの中からの選抜でグループを組んだらしい。4人の女性ヴォーカリストについては、ベテラン2名、若手2名という組み合わせだが、恐らく声質や音域でバランスを考えたのであろう。各楽曲共に重厚で、聞惚れてしまう…

この午後6時の公演では、最終盤に「カチューシャ―モスクワ郊外の夕べ―カリンカ」のメドレーをやるのだが…ハッキリ言って、そのメドレー1つを聴くだけでも、この場に寄る価値が在ると思える程だ…

↓「聴く」としたが、「観る」部分も…
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↑今回は男女ペアのダンサーが帯同している。彼らの様子を視ると…ロシアで伝統的に得意なフィギュアスケートの「ペア」や「アイスダンス」を想い起こすものがある…

↓更に忘れてならないのは、アコーディオン!!これは彼の地では「バヤン」と呼ぶそうだが…
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↑グループのリーダーでもあるアンドレイ・メリニチェンコさんが渋い!!

何気なく出掛けて、素敵な歌を愉しみ、身体を解してゆっくりし、道草で食事まで愉しんで帰宅した次第である…

この《РУССКИЙ ТЕРЕМ》(ルースキー・テーレム)の稚内公演…2月28日までだ…(火曜日が休演)
posted by Charlie at 23:52| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月12日

ビデオ 歩道橋から望む札幌の路面電車(vol.01-03)

愛用のデジタルカメラS95は、振り返ると2010年秋から使用しているのだが、その「動画撮影機能」に着目したのは2012年の年末だった…年末に「音威子府の蕎麦を求める」という、戯れに“出前”と呼んでいる用事を足していて、何気なく思いついて試行すると、存外に巧く出来たので多少利用するようになった次第だ…

もう少し早くこれに思い至っていれば…12月に九州を訪ねた折りにも使用していたことであろうが…こうした“れば”は野暮というものであろう…九州に関しては、何時になるか判らない次の機会を期す他無い…

年末に「動画撮影機能」に気付き、年始にそれを色々と試行することになった。その動画の整理…それ以前に“優先順位”が高いと思われる写真の整理等が在ったことから、一部は「後日のお楽しみ…」ということにしてしまっていたのだが…今日になって、思い付いてその「動画の整理」に着手してみた…

↓札幌の路面電車だ…

↑遠くから緑の標準塗装を施した電車がやって来て、手前から遠くに白い電車が行く…

振り返れば…1月2日だったが、特段に用事らしい用事が在ったでもなく、朝からふらりと街へ出て、何気なく路面電車を眺めながら半日強を過ごした中で路面電車の写真や動画を撮っていた…或る意味で、非常に贅沢な時間の費やし方かもしれない…

↓こうした、少し高い場所からの画が、なかなかに好い…

↑手前から黄色の電車が現れ、遠くへ去って行く…

↓歩行者、乗客と電車の距離感、電車と車の距離感、電車のスピード感が、この高めの場所からの画では判り易い…

↑遠くから赤い電車がやって来て、手前に向かって来る…

札幌の場合、路面電車の軌道を跨ぐように歩道橋が在る箇所が数箇所在り、その一部はこうした画を撮影し易い状態である。ミニ三脚を持ってこの歩道橋に行き、歩道橋の手摺等を利用してカメラを動き悪いように据える…そうすると、安定した画が撮れる…ただ、歩道橋の真下を電車が通過する際に、歩道橋が若干揺れて画も揺れる場合が在るのだが…それは“臨場感”というものであろう…

最近、路面電車のことを話題にする機会が在ったのだが、札幌の路面電車に関して「他所に比べて車内が狭くないか?」と仰った方が在った…

電車の車内というものは、中のレイアウトや、車体の形状の多少の違い、更に言えば中の色彩によって、広く見えたり、逆に狭く見えたりということが在ると思う。加えて…路面電車は運行事業者毎に「レールの幅」(“軌間”とか“ゲージ”と呼ぶ…)が異なるので、自ずと「車体の幅」が違って広く見えたり、逆に狭く見えたりということが在る筈だ…

札幌の路面電車の軌間(レールの幅)は1067mmだ。これはJR在来線(旧国鉄)と同じである。多少なりとも乗車した経験が在る路面電車では、岡山のモノが同じ1067mmだ…

路面電車では、新幹線と同じ1435mmが採用されているものも在る。乗車したことが在る路面電車では、阪堺、広島、長崎、熊本、鹿児島がこれである…

この何れでもない1372mmというモノも存在する…東京の都電や函館がこれに該当するのだという…

札幌を含めて、各地のこうした画…今後も機会が在れば撮ってみたい…
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2013年02月10日

ビデオ 美味しい旅(2012年12月)

何時の間にか2月の半ばに至ろうかという時季に入ってしまったが…昨年12月の旅行のことは未だ記憶がかなり鮮明だ…

過日、旅行のアルバムを纏めてみたが、意外に「各地で頂いて記憶に残る美味しいモノ」が多く在った…

↓その「美味しいモノ特集」で、写真からビデオ風スライドを纏めてみた…


「何処へ行かなければならないという程でもなく動き回り、辿り着いた場所で目に留めたモノを頂き、また次の土地へ…」という雰囲気が、何となく“追体験”出来そうな感じに纏まった…

こういうのを眺めながら…“次なる機会”を想う…
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2013年02月09日

稚内:アイスキャンドル(2013.02.09)

この時季、北海道内各地では色々な催しが在るようだが、稚内でも行われている…

今日の催しに向けて、昨日は荒天傾向で準備が出来なかったようだが、今日の午前中に準備を整えて無事に開催に至ったようだ…

↓“アイスキャンドル”というものを飾っている…
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“アイスキャンドル”…容器に水を張って戸外に置き、氷のランプの傘を用意し、それに蝋燭を灯すというものである…

↓稚内駅の様子…
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↓稚内港北防波堤ドームの様子…
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↑蝋燭を灯すことから、照明を落としている…奥の方は出店をやっているようだ…

例年、この時季は用事を抱えて出掛けていて、今日の様子は初めて視た…今日は風も弱めで、この種の催しには好適な日であった…
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稚内:冬の晴天(2013.02.09)

このところは「荒天を嘆く」ばかりであったが、今日は「好天を愛でる」という状態になった。久々な感じがする!!

↓荒天の中では寒々しい感じがしないでもない白い壁のビルだが、好天の下では映える!!
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↓空の蒼が硝子に映り込む…
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「荒天を嘆く」ばかりでは気持ちも荒んでしまう…陽射しは嬉しいものだ…但し、「一日中氷点下の気温」というのは変わらないが…

↓2月に入ってからの稚内…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - FEB 2013' set on Flickriver

↓序に…昨年12月から今年1月―先々月と先月―の稚内…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - DEC, 2012 - JAN, 2013' set on Flickriver
posted by Charlie at 21:46| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする