2013年01月17日

長崎・シーボルト記念館(2012.12.19)

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト…何か興味が湧く人物である…19世紀の出島にやって来た医師で、後年は寧ろ博物学者として知られた人物ということになる…

長崎を訪ねた時、このシーボルトに因むモノを視るか、縁の場所を訪ねてみたいと思ったのだが…その双方を満たしてくれる場所の情報を得た。「シーボルト記念館」である。

シーボルト記念館は1989年にオープンした長崎市が運営する施設である。シーボルトの歩みや事績を伝える展示が観られる記念館が、彼が活動していた“鳴滝塾”跡地に隣接して建っている。「シーボルト記念館を訪ねる」ことにより、彼の歩みに関する展示に触れると同時に、彼が活動していた場所の跡にも立ち寄ることが出来る訳だ。

長崎市内で色々な場所を訪ねる際には、イラスト地図が入っている路面電車の一日乗車券が非常に有難い。(そして“500円”なのが重ねて有難い…)その一日乗車券を駆使して“新中川町”(しんなかがわまち)という停留所を目指す。長崎の路面電車は、存外に交通量が多い道路に敷設された軌道を往来しているのだが、新中川町停留所からシーボルト記念館を示す案内標識に従って歩き始めると「車がすれ違うのもギリギリ」というような細い路地が入り組んだ住宅街に入る。多分10分弱だと思うが、シーボルト記念館までは存外に歩く。

「もう少し先なのか?」等と思いながら細い路地を進むと、住宅に貼り付けられた住所表示に“鳴滝”の文字が見える。シーボルトの“鳴滝塾”の名前の由来となっている地名が、現在も住所として残っていることが判った。

やがて…シーボルトの胸像がひっそりと佇む“鳴滝塾”の跡に至る…シーボルトは、当時の日本の医師や、科学技術に関心を寄せる人達が渇望していた欧州の知識をこの“鳴滝塾”に集った彼らに伝えた。そして医師として、病人や負傷者の治療にも協力した。更に彼は、ここで多くの人達から日本に関する情報や資料を得ていた。シーボルトが活動していた頃には、家屋も在って、人の往来も盛んであったのだろうが…

↓現在では「静かな住宅街の一隅を占める空地」という以上の形容が難しい感じになっている。
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↓上記の標柱の他、シーボルトの胸像も在る…
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↑これはシーボルトの晩年の風貌をモデルにした像だ…

跡地に在るシーボルトの胸像は、本来のモノが戦時中の「金属製品供出」で損なわれてしまったことから、残っていた石膏型を利用して戦後に再現されたものだという。

その像を眺めながら考えたのは、“鳴滝塾”の場所がぼんやりと思っていた、或いは勝手に想像していた以上に“出島”からの距離が在ったということだ。“出島”から“鳴滝塾”跡地を路面電車で動くと、何となく「昔からの長崎の町を殆ど端から端に横切る」ような感じがした…

↓その“鳴滝塾”跡地を見下ろすような隣接地に、シーボルトが生まれたドイツのヴュルツブルグや、日本を去ることになった後に住んだというオランダの諸都市を思わせるような、煉瓦積み風外観の記念館が佇んでいる…
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「外国人を顕彰する公立の記念館」というものは余り例が無いらしく、この“長崎市立”の記念館は、その種のモノとして最初の例らしい。とは言え、「往時のシーボルトの活動」は「長崎の地元の歴史の大切な一部」である。それを“市立”の施設で伝えることに、何らの違和感も無い…

これまでに読了した様々な物語に登場したシーボルトや、シーボルトの周辺の人々のことを想い起こしながら、静かな住宅街に佇む胸像を見詰め、なかなかに要領良く纏められた記念館の展示を見学したのだった…立ち寄ることが叶って善かったと思う…

>>シーボルト記念館(Siebold Memorial Museum)
posted by Charlie at 18:31| Comment(0) | HDR/2012年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする