2013年01月31日

長崎・上野彦馬生誕地(2012.12.19)

冬の朝はなかなか明るくならないが、その辺の事情は北国の稚内であっても、西の長崎であっても大差が無い…

前日の夜に長崎に到着し、一夜を明かして早朝から動き始めた。コンビニで珈琲を求めて啜り、その日の運行が始まったばかりの路面電車で移動した。「時間帯の割には?」と思える程度に多くの乗客が居た電車は、寧ろ“夜”のような街並みを走っていた。

電車を下りて、有名な眼鏡橋を視に行こうと歩き始めた。電車は存外に多くの乗客を乗せて動いているが、未だ行き交う車や通行人は多くない静かな街並みを行き、電車の停留所に在る周辺図で見当を付けた辺りをゆっくりと目指す。

やがて川が在って橋が架かっている、眼鏡橋の辺りに着いた。「この辺りだ!」と周囲を視る。

↓すると、こんなものが…
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見覚えが在る“坂本龍馬”と、「誰だった?」と咄嗟には思い浮かばなかった人物が…よく見ると、“上野彦馬”と在る…

暫し考えて思い出した。「有名な坂本龍馬の肖像写真を撮影した写真師」が上野彦馬であることを思い出した。“史上の人物”としては「屈指の人気者」で在る坂本龍馬との関わりで、上野彦馬の生誕地を示す記念碑に、上野彦馬自身の像と並んで坂本龍馬像が登場した訳である。坂本龍馬は有名な写真のポーズだ…

長崎は、かの坂本龍馬が活動した街で、彼の足跡を訪ねて市内を巡るというのも、長崎ではなかなかに人気が在るコースらしい。という訳で、「彼の有名な写真を撮った人に縁の…」と眼鏡橋の近くにこの碑も登場したのだろう…

この碑を視てから、私は眼鏡橋を視て愉しんだのだったが、偶々出くわした上野彦馬という人物に一寸興味を覚えた。

肖像写真が残って、それが少し知られた人物であると…「写っている人物」は話題になることが多いが、「撮影者」は「名前が出る場合も在る」という位であろうか。“写真”というものが日本国内で撮影されているのは、江戸時代の終わり頃で、“普及”という次元になるには相当の時間を要した訳だ。坂本龍馬のような、幕末期に活躍した人達辺りから、その姿が写真に残っているのだが、「それを撮影」ということであれば、「日本史上では最初期の写真撮影者」ということになる。

上野彦馬は天保9(1838)年生まれで、明治37(1904)に逝去しているそうだ。

上野彦馬は、オランダ軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトを教官とする医学伝習所に学んだ折りに写真の事を知ったようで、、文久2(1862)年には江戸に出ていて、同年中に長崎に戻って“上野撮影局”という「日本最初の写真館の一つ」を開業したのだという。幕末期には長崎で様々な人物の撮影を手掛けることになった。

明治時代になってからも、上野彦馬は写真家として活動を続けている。彼は西南戦争を取材して写真を撮影したことから、「日本初の戦場カメラマン」とも言われるようだ。

全くの偶然で、なかなか興味深い人物の存在を思い起こすことになった…それにしても…「日本で最初の方」に写真を手掛けた上野彦馬のような人達は「銅像を暗い早朝に、カメラ手持ちで手軽に撮影出来るようになり、撮った画は現像しなくても視られる」という状況を想像しなかったことであろう…
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2013年01月30日

特急<スーパー宗谷2号>(2013.01.28 稚内駅)(FotoSketcher)

冬の朝に稚内駅から出発する場面では、「未だ明け切らない薄暗さ」の中で列車に乗り込む…

そういう状態の中で乗客を迎える列車…何か「美しい」と思う…

↓稚内駅で乗客を迎えている<スーパー宗谷2号>を水彩画風にしてみた…
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この列車が南下を始めると、進行方向左側から明るくなり、列車が南下するに連れて日が高くなり、スッカリ明るくなるまでに多少居眠りもしてしまっていると、何時の間にか音威子府、名寄と駅を過ぎ、名寄以南は車輌の高速性能も活き始める…

そんな「冬の列車の旅」は好いが…最近は運行の乱れがやや目立つ…今季は妙に雪が多く、「雪が多めな時季」も“前倒し”加減である…
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稚内駅(2013.01.28)

稚内・旭川・稚内と特急<スーパー宗谷>で往復して戻ったばかりだが…何か久し振りにこの通称「朝の列車」に素直に乗車して往復したような気がする…“青春18きっぷ”や“三連休おでかけパス”が在るような時季、私的な移動では普通列車を利用することを好むからである…

激しい風雪等で列車運行の乱れが続発していた状況下、天候が回復しても「大丈夫か?」と気になってしまい、早起きをしてしまった…

↓天候が穏やかな日の早朝…麗しい光景だと何時も思う…
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↓改札横の硝子越しに、待機中の列車の姿が見える…
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↑こうして硝子越しに見える、稚内駅を出る列車は…1日に特急が3本、普通列車が5本である…

↓朝・夕の<スーパー宗谷>は261系気動車で運行される…
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↑最高時速130kmの高速性能が活きるのは、路盤が整っている名寄以南である…

遥かな札幌へ向かう列車に、どんどん乗客が吸い込まれる…稚内市内の住宅地の広がり按配に鑑みて、南稚内駅で乗降する人の方が多いようにも見受けられるが…稚内駅は「始発であって終点である」駅だ…

↓<スーパー宗谷>は基本的に4両で運行されるが、2両増結で6両運行になる場合もある。この日は6両運行だった…
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↑稚内駅のホームは、この「6両運行の<スーパー宗谷>」がすっぽりと収まる長さである…

南稚内駅から乗車する人が多いので、稚内駅で指定席に座ると「やや空いている?」と思う場面も多いのだが、南稚内で席は埋まる…その後、列車が南下するに連れて乗客は多少増える。音威子府や名寄から乗車する人が目立つ…旭川では降りる人も乗る人も見受けられる…そして列車は札幌へ向かう…

こうして、駅の照明を受けて光る列車を視ていると…「乗客の数だけの“物語”を載せて、雪の鉄路を行く…」等と気障なことを思い浮かべてしまう…
posted by Charlie at 07:48| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月29日

ビデオ『EXP. "SUPER SOYA #1" at Asahikawa Station』(旭川駅の<スーパー宗谷1号>)

旭川から稚内へ引揚げる際、<スーパー宗谷1号>に乗車した…<スーパー宗谷1号>という呼称よりも「(札幌を)朝出る特急」、「(稚内に)昼に着く特急」と呼び習わされている列車のような気がするが…

考えてみると、「旭川から稚内へ引揚げる」という場面でこの列車に乗ったのは…昨年2月に今は“臨時運行”しか無くなった<日本海>に乗車して京都から北海道へ引揚げる計画を立てたものの、運休になったので新幹線を乗り継いだ際、「道草してしまえ!!」と旭川に寄ってから稚内へ向かった時…それ以来、約1年ぶりのような気がする…その少し後にも乗車したように記憶しているが、あの時は札幌駅から乗車したのだった…

↓何となく思いつき、S95の動画撮影機能を利用し、半ば雪に覆われた鉄路を進んで旭川に着く列車の姿を収めてみた…


この列車は基本的に4両編成のディーゼルカーだ…1号車と3号車が指定席、2号車と4号車が自由席だ…

札幌・旭川間、殊に滝川以北は「特急列車ばかり」なのだが、この区間の看板列車<スーパーカムイ>の「代わり」に旭川以遠に向かう列車を走らせて、それが走る時間帯は「代わり」に利用するような状況になっている時間帯が在る…故に、札幌・旭川間では「半ば当然」な自由席が多めに設定されているのであろう…今日は自由席を利用したが、酷く混んでいた訳でもなかった…

旭川から稚内へ引揚げる場面で、最も気に入っている列車は…「早朝6時5分に出発する普通列車」だったりする…
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旭橋(2013.01.28)

天候の崩れによる列車運行の乱れを危惧していたが…旭川に出る用事が在った1月28日は好天に恵まれ、列車も無事に動いた…

旭川では「晴天でよく冷えた…」という雰囲気になっていた…そんな中だが…旭川に着いて足早に歩いていると…多少汗ばむ場面も在った…

用事の在るエリアを目指していて、若干時間も在ったのだが…そんな中で「旭橋が近い」ことに思い至った…

↓冷えた青空に、古めかしい橋梁の姿が映える!!
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初めて間近で視て…「映画『アンタッチャブル』に出て来るシカゴの橋…ケビン・コスナー演じる財務省派遣の取締官が、ショーン・コネリー演じる老警官と出くわした場面の…あの橋!!」と妙に気に入って以来、この旭橋に関しては、可能な機会には写真を撮っている…

↓こんな、鉄骨の組み合わせの妙を感じる角度の画も好きだ…
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↓1月28日の旭川…
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用事が終わり、一寸したお付き合いも在った後…「是非寄りたかった場所へ向かう…」と他の皆さんと別れて動いた…気に入っている<ア・エヴァンス>に寄って軽く呑んだ…居合わせた皆さんともお話しし、一寸愉しいひと時…そして戻ったが…何か目が冴える…「無理に眠らずとも…」と開き直って写真を整理してみたが…明日は朝の列車で稚内に引揚げるのだが…「いい加減、明日のこと、考えた方がいい♪」という按配だ…
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2013年01月27日

稚内:荒天後の好天(2013.01.27)

窓辺が明るく、薄曇か晴天という状況で、強風の音もしないので戸外に出てみた…

↓晴れ渡っていた!!
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↓前日の同じ場所の様子…
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↓酷かった吹溜りも撤去されている…
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↑これが、「この時季の普通な感じ」だ…

↓前日の感じ…これは「異状!!」である…
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戸外を歩けば、市内線のバスもタクシーも行き交っていて、自家用車の数も多い…通行人も、前日のような按配ではなく、辺りとして―何時も通行人は少なめだが…―は普通な程度に視掛けた…

↓鉄道の状況…
平成25年1月27日19時19分時点の情報です
▲運転見合わせ
 ・宗谷線 名寄〜稚内間 
  上り(稚内→名寄方面) : 終日運転を見合わせ
  下り(名寄→稚内方面) : 札幌 17時48分発(名寄 20時07分発) 稚内行き 特急スーパー宗谷3号のみ運転

 ・釧網線  緑 〜網走間 
  上り( 緑 →網走方面) : 釧路15時53分発 網走行き普通列車より運転再開
  下り(網走→ 緑 方面) : 網走18時50分発 釧路行き普通列車より運転再開

▲特急列車の運休
・稚内 13時45分発 札幌行き 特急サロベツ      :全区間運休
・稚内 16時51分発 札幌行き 特急スーパー宗谷4号:全区間運休

↑相変わらず運休が目立つ…激しい吹溜り等で難儀しているのであろう…

↓関係者の努力で、街の中は「この時季の普通な感じ」を取り戻した感だが…
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↑この路を直進すると…サウナが在る…昨日は荒天で休業していたらしいが…今日は行ってきた…

マダマダ“影響”は残ってしまうのか??
posted by Charlie at 19:43| Comment(0) | HDR/稚内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月26日

稚内の吹溜り(2012.01.26)

↓一寸思い付いて戸外へ…何か酷い…
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↑拙宅前の通…埋まっている…誰かが歩いた足跡が…

風の音が凄まじい…現在もその強風が続く…

方々に吹溜りが…酷く降っていたことは間違いないが、「降り積もった雪」以上に「吹溜り」が目立つ…

↓稚内駅の辺り…
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↑ひっそりとしている…

↓鉄道はこういう状態…
平成25年1月26日16時54分時点の情報です
▲運転見合わせ (普通・快速列車)
○宗谷線 名寄〜稚内間 ※終日運転見合わせ

▲運休(稚内方面特急列車)
・札幌  7時48分発 稚内行き 特急スーパー宗谷1号 : 全区間運休
・札幌 12時30分発 稚内行き 特急サロベツ : 全区間運休
・札幌 17時48分発 稚内行き 特急スーパー宗谷3号 : 全区間運休
・稚内  7時10分発 札幌行き 特急スーパー宗谷2号 : 全区間運休
・稚内 13時45分発 札幌行き 特急サロベツ : 全区間運休
・稚内 16時51分発 札幌行き 特急スーパー宗谷4号 : 全区間運休

なお、明日(1/27)稚内 7時10分発 札幌行き 特急スーパー宗谷2号も全区間運休となります。


都市間バスも止まっていて、市内バスもタクシーも見掛けない…何処かの自家用車、除雪作業の車…「お互い、どうして外に居るのでしょうか?」というような目線で擦違う通行人も稀…そんな状態だった…

↓客も出ていなければ、従業員の往来も困難…方々で臨時休業の店が目立つ…
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↑ここの歩道…吹溜りで塞がってしまっていたので、引き返した…

こういう中「店舗の在る建物に店主氏が住んでいる」というスタイルの小さな喫茶店が健気に営業していたので、そこで一息…

↓こんな日でも開いている店が在った…何となくカップ麺等を買い込んだ…
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とりあえず“大雪警報”というような状況は脱したようだが…強風は続いている…
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2013年01月25日

旧門司税関(2012.12.22)

門司港駅周辺の門司港地区には、貿易港として栄えた歴史を伝える様々な建物が残っている。

↓旧門司税関の建物も、そうしたものの一つだ…
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↑貿易関連の事務を取扱った役所の庁舎だっただけに、「港を見渡す」ような塩梅の場所に佇んでいる。創建当時には無かったであろう関門橋が背後に覗く…

↓陸の側…入口側はこういう感じ…
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1909(明治42)年に門司税関が設けられ、1912(明治45)年に庁舎が建てられたという。昭和の初め頃まで、ここが庁舎として利用されていたという。利用されていた期間は20年間程度ということになるだろうか?

税関の官制が成立してから、九州の税関は“長崎税関”の下に各港の支署が設けられていたようだが、1909年に門司の支署が独立した。九州北部で興った各種の産業が盛んになり、港の貨物扱いが大きく伸びていた様子が伺える話しだ。そうした状況を背景に、門司港地区に様々な建物が登場し、それが現在も伝えられて親しまれている訳である…

1927(昭和2)年に、別な庁舎が完成して引っ越し始めたということだが、1928(昭和3)年には「税関の官制を廃止して海運局に統合」という出来事が在ったらしい。そのまま戦時下を経て、1946(昭和21)年から税関が再開され、門司税関は九州の各支署を管轄する税関となった。その後、1953(昭和28)年に至って長崎税関が独立したとのことだが、所謂“戦後復興”で各地の産業が甦り、港での貨物扱いも増えた様子が伺える。

現在の門司税関は九州の東側(長崎税関管轄地を除く福岡県、唐津市や伊万里市等佐賀県の一部、長崎県の対馬市や壱岐市、大分県、宮崎県)と山口県を管轄区域としていて、“門司港湾合同庁舎”を本拠地に、各地に支署や出張所を設けて活動中だ…

門司港の旧い庁舎だが…1994(平成6)年に北九州市によって、往時の姿をより良く伝える現在の姿に改修したらしい…現在は催し物会場、休憩所、展示スペース、展望スペース等として利用されているようだ。

歴史的な建物が多く残る門司港地区の中で、この旧門司税関は一際趣が在るように思った…
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2013年01月24日

“メガ・マック”(2013.01.21)

「食物の好き嫌いだけは罷りならぬ…」が“我が家の家訓”というように心得、何でも「美味い!!」と“完食”し、“昔のプロレス中継”風に言えば「彷徨える食欲」とでも呼ぶべき私だが…

↓これは1個で充分だ…
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↑ミートが4枚…企業秘密だという“ビッグマックソース”がたっぷり…

思い付いて、たまに頂くと妙に美味いのだが…
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2013年01月23日

稚内港北防波堤ドーム(2013.01.23)

前の晩…午後8時頃に横になった…気付けば深夜2時…「すっかり眠ってしまった…」と何か勿体無い時間の費やし方をしたような、後味の悪さのようなものを感じながら…また眠りに落ちた…

そういうことをして…気付けば午前6時…何時の間にかやってきた朝である…

戸外の気配…穏やかな天候の日に感じられるものである…一寸外に出てみた…

↓この辺りも除雪が進んでいて、「異様な雪の多さ…」という雰囲気が抜け、「1月下旬から2月の、やや雪が溜まった時季」という具合になったような気がする…
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気温は氷点下4℃程度と思うが…風が微弱で、然程「厳しい」感じでもない…

↓久々に「稚内港の朝陽」も視て、平日朝なので素早く引揚げた…
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このところ、稚内は穏やかな天候…好ましい傾向だ…

↓昨年12月とこの1月に稚内で撮影した画はこちらに纏めた…
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2013年01月22日

鹿児島中央駅(2012.12.17)

例えば“みかん冷蔵倉庫”というような地元の北海道では聞いたことがない―北海道で柑橘類の栽培は…少なくとも農業として採算が取れるような規模では不可能であるように見受けられるのだから…―ような看板が見えることも在る、見慣れない車窓を眺め、暗くなって何も見えずに退屈してしまったり、何となく居眠りをしながら列車等で旅をするのは愉しい。正しく「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」を巡るような旅である。

そんな様子を“アルバム”に整理しようと思い立ち、編集作業を始めた時、“表紙”に採用したのは…

↓早朝の鹿児島中央駅の写真だった…
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↑愛用のS95で強引に“手持ち撮影”してしまった写真だが…なかなかに気に入っている。

拙宅の最寄駅ということになる稚内駅は、白い外壁の建物である。そこを発って、辿り着いた先の駅が黒い外壁…何か「遠い国へ…」というような感慨が沸き起こる…

「宮崎県、大分県方面へ北上…」と思い立ち、早朝の“始発”というような列車を利用することにした。鹿児島中央駅は「賑やかな場所」というイメージだが、そんな早朝の時間帯はひっそりしている。九州新幹線の起点・終点になることから「新たなデザインで改装された」という駅だが、「忙しい一日に向けて目覚め始める」という時間帯の雰囲気が好い…

私が未だ小学生だった頃になるであろうか?当時の国鉄が運行していた寝台特急…通称“ブルートレイン”が大変に注目されていたことが在った。色々な列車を紹介する本等が出回っていて、随分と目を通した。その中では「東京・西鹿児島」という運行の列車が「最長距離の列車」ということで紹介されていた。

実は…鹿児島を初めて訪ねた際…より正確には…枕崎を目指した2011年12月、深夜帯に入ろうかという時間に鹿児島中央駅に到着した時だったが…ふと「小学生の頃に本に出ていた“西鹿児島”という駅は何処なのだろうか?」と思ったのだった…実は“西鹿児島駅”が改名され、現在の“鹿児島中央駅”になっている。程なく「そう言えば!!」と思い出したが…

この駅だが…1913年に初めて“武駅”(たけえき)として設置され、1927年に“西鹿児島駅”に改名された。1970年代以降、特急などの優等列車は西鹿児島駅発着ということになった。故に“ブルートレイン”が注目された頃、発着駅として“西鹿児島”が紹介されていたのだ。1996年には現在の駅舎に建て替えられ、2004年の新幹線開通を機に“鹿児島中央駅”に改名された。

という訳で、“鹿児島中央駅”という名前になってから10年足らずなので、「中央駅」という通称の他、現在でも「西駅」という旧称が人の口の端に上ることも在るようだ…

この黒い駅舎だが…1996年に登場した時は赤い駅舎だった…これは2010年に改装され、現在の黒になったそうだ…更に…この鹿児島中央駅は、JR九州の駅としては、博多駅、小倉駅に次いで乗降客が多い駅らしい…

また何時か、辿り着いてみたい駅だ…
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2013年01月21日

桜島の眺望(2012.12.16)

大阪で、熊本で、続けざまに雨に降られて、雨の中を歩き回って酷く濡れた状態で夕刻の鹿児島に着いた。屋台村で言葉を交わした方に「明日は朝陽が観られると善いですね…多分大丈夫でしょう…」と言って頂いて、それに力を得て宿に引き揚げ、備え付けのコインランドリーで酷く濡れた上着等を洗って乾かした…

前夜に確り洗って乾かした上着を引っ掛け、暗い間から動き始めた。路面電車に乗り込み「次はいづろ、いづろ通です」(単純に停留所名を繰り返さないのが鹿児島の流儀…)のアナウンスを聴き、下車して“ドルフィンポート”を目指した…

↓暁の海に桜島!!大変気に入っている光景に出会うことが出来た!!
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↑この山が秘める“力”が分けてもらえるような…そんな気にさえなってしまう光景だ…

“ドルフィンポート”というのは、港を望む辺りの商業施設のことで、正確には「フェリー等が発着している辺りに整備された緑地」に行くと言うべきなのかもしれないが…この場所は初めて鹿児島に至った2011年12月に知った場所で、あの時は枕崎を往復して鹿児島に着き、「日没も近いのか?」と直ぐに目指したので、私にとっては「鹿児島と初対面した場所」というような趣さえ在る場所だ…

どなたかが「“良い眺め”(いいながめ)と記憶すると善い」と仰っていたが、桜島は標高1,117メートルだそうだ…鹿児島の市街から見ると東側に位置する…故に鹿児島に居れば、朝陽はこの桜島から降り注ぐことになる…

この日は午後から若干雲が多めになってしまったのだが…朝の様は素晴らしかった!!

叶うものなら…色々な季節の、色々な時間帯の桜島を眺めてみたいものである…

追伸

↓2011年にも出会っている桜島…
>>鹿児島 桜島の眺望(2011.12.19-20)
>>鹿児島 仙巌園(2011.12.20)
posted by Charlie at 23:38| Comment(0) | HDR/2012年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

熊本の路面電車(2012.12.15)

何となく路面電車が好きなのだが…九州で路面電車と言えば、長崎電気軌道、熊本市交通局、鹿児島市交通局のものが知られていて、筑豊電気鉄道という会社の列車が路面電車タイプの車輛で運行されているらしい…

昨年12月に九州を訪ねた折り、長崎電気軌道、熊本市交通局、鹿児島市交通局の各路面電車にとりあえず乗車した。鹿児島と長崎では路面電車に随分お世話になった…しかし熊本は…「とりあえず乗車」という塩梅である…

熊本駅の新幹線と反対側、在来線の駅の前は、駅の出入口から真っ直ぐ進んでそのまま屋根の在る停留所に入ることが出来るようなデザインになっていた。ここから路面電車に乗車出来る…

↓熊本の路面電車は、熊本駅前に待機して、沢山の乗客を乗せて出発する…
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熊本の路面電車も、駅の観光案内所等で“一日券”が売られていて、気軽に利用出来るのだが…結局、熊本駅と熊本城を往復しただけだった…

熊本の路面電車…次々に大きく曲がって、「場所を選ぶ」かのように軌道が敷かれていて、何か次々と進行方向が変わっていたような気がしたが…「街の新旧の市街を大きく回って走っている」という印象を抱いた…

熊本の路面電車は、近年各地で目立つようになった低床式の新車輛の導入が余所より早い等、なかなか積極的な運営が為されているらしい…

新旧様々な車輛が見受けられるというのは、余所と同じだ…

↓やや旧い感じの車両に広告塗装!!こういう感じ!!存外に好きだ…
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結果的に「九州7県に足跡!!」という旅行をしてみたが…強めな雨で、方々歩き回るのを諦め、早々に鹿児島を目指したということで、熊本に関しては「やや印象が薄い」感を免れない…そして…路面電車にも「もう少々乗りたかった」感じである…

「敢えて」とか「故意に」というつもりは無いのだが…旅行に出ると何となく、今般の熊本のような「何か心残り…」というような事柄が発生してしまう…或いは、そうした「何か心残り…」というようなことが、時間を掛けて熟成し、「次なる旅」へ誘うのかもしれない。2011年には、「稚内から枕崎までの全行程を列車で」ということを成し遂げて満足した他方、「縁が薄かった九州に関して、福岡と鹿児島しか視ていない?」という“心残り”を感じ、それが時間を掛けて熟成し、結局「九州7県に足跡!!」ということになったのだ…

追伸

因みに「日本全国の路面電車」ということになると、上述の長崎、熊本、鹿児島も含めて以下の19らしい…(ウィキペディア参照) 

・札幌市交通局 - 一条線、山鼻西線、山鼻線(札幌市(実質的には一直線であり単一路線として1系統のみ運行されている。)
・函館市企業局交通部 - 本線、湯の川線、宝来・谷地頭線、大森線(函館市)
・東京都交通局 - 荒川線(東京都)
・東京急行電鉄 - 世田谷線(東京都)(ただし併用軌道区間はほとんど存在せず、大半が専用軌道である。)
・豊橋鉄道 - 東田本線(豊橋市)(線名は一つしかないが、実際は途中の井原から分岐する支線があり、終点の異なる2系統が交互に運行されている。)
・富山地方鉄道 - 市内軌道線本線、支線、安野屋線、呉羽線、富山都心線(富山市)(2010年に新規開業した富山都心線をのぞく各線は実質的には一直線であり単一路線として運行されている。)
・富山ライトレール - 富山港線(富山市)
・万葉線 - 高岡軌道線(高岡市・射水市)
・福井鉄道 - 福武線(併用軌道は福井市内のみ)
・京阪電気鉄道 - 京津線、石山坂本線(併用軌道は大津市内のみ)(京津線は、全長64mの鉄道線用車両を使用して京都市営地下鉄東西線に乗り入れている。日本で唯一の地下鉄に乗り入れる軌道線。)
・京福電気鉄道 - 嵐山本線、北野線(京都市)
・阪堺電気軌道 - 阪堺線、上町線(大阪市・堺市)
・岡山電気軌道 - 東山本線、清輝橋線(岡山市)
・広島電鉄 - 本線、宇品線、江波線、白島線、皆実線、横川線(広島市)
・土佐電気鉄道 - 伊野線、桟橋線、後免線(高知市・南国市・いの町)
・伊予鉄道 - 城南線、大手町線、花園線、本町線(松山市)
・長崎電気軌道 - 本線、赤迫支線、桜町支線、大浦支線、蛍茶屋支線(長崎市)
・熊本市交通局 - 幹線、水前寺線、健軍線、上熊本線、田崎線(熊本市)
・鹿児島市交通局 - 第一期線、第二期線、唐湊線、谷山線(鹿児島市)

近年「乗車した!!」と言える程度に乗車したのは…札幌、函館、嵐電(京福)、阪堺、長崎、鹿児島である…

「一寸乗った…」というのは…岡山、広島、熊本である…京阪もほんの少しだけ乗車した…

「かなり以前に乗車したことが…」ということなら東京の都電も乗車している…

或いは…ここに在るような路面電車に乗ることを目的に「全国路面電車巡り」というようなことをするのも面白いかもしれない…
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2013年01月20日

飫肥・豫章館(2012.12.17)

北海道に居ると「九州は凄く温かいのであろう…」と想像する。12月に九州各地を巡った際、日中の最高気温は概ね10℃前後で、日が沈む辺りや早朝は5℃や3℃という場面も在ったようだが、「凄く温かいという程でもない」という状態だった。とは言え、「多少風が冷たい…」という程度で、「歩き回って汗ばむ訳でもなく、悪くない…」程度に思っていた。「本気で寒い」と感じたのは、日没辺りに上った長崎の稲佐山の山頂位なものだった…あの時は3℃程度に気温が落ちてきた中、標高300m以上で吹曝しだったので「体感は氷点下?」という状態に陥り、多少キツいものも在ったが…

そういう状態ではあるが、「九州は凄く温かいのであろう…」と想像する範囲を超えて温かかった場所も在った…宮崎県の飫肥である…

宮崎県という場所は、九州出身の方、九州各県で言葉を交わした方、その他九州各地の様子を知る方が「あそこは温かい…」と一様に口を揃えるような場所である。

宮崎から日南海岸に沿うように、時々内陸側にも入りながら延びる日南線の列車で飫肥を往復した。宮崎を発った時には多少雲が目立ったが、次第に天候が好転してくるような状況であった…然程の厚着はしていなかったのだが、静かな飫肥の街を歩いていて「多少暑い…」と思えて、上着を脱いで「半袖Tシャツの上に薄い長袖シャツ」というような、冬季であれば「屋内に居る場面」のような服装で歩き回ったが、それで汗ばむ程になった…列車本数が少なめな日南線の南宮崎行を逃したくないと速足で歩いた後には、結構な汗もかいた…あの時は飫肥駅の駅員さんも上着を脱いでワイシャツ姿だった位だ…多分15℃前後…否、20℃近くになっていたのかもしれない…氷点下で積雪も多々在るような地域から訪ねた身には驚くべき状態だった…

飫肥は、そういう「非常に温かかった場所」として記憶に残るのだが、同時になかなか雰囲気の好い小さな城下町であったことも記憶に残る…「地方の小規模な城下町」ということでは、飫肥は各地のそうした場所の中では、「大変に佳い型でその雰囲気を伝える場所である」と言って差し支えないであろう。

薩摩・大隅の島津家と争った日向の伊東家が拠点を置いていた飫肥は、豊臣政権期以降、伊東家の知行地の中心となった。伊東家は飫肥の城を所謂“近世城郭”と呼ばれるスタイルのモノにして城下町も整備した。そして江戸時代を通じて飫肥は伊東家の城が在る城下町だった。

飫肥はその城下町の面影を伝えるものが、然程広くは無い領域に多々残っていて、同時に“城下町”という雰囲気を大事にする街並みの整備が為されている…

そんな城下町の中心で在る城の側に近付くと、なかなかに雰囲気の在る建物が散見するのだが…「向こうに見えるのが城門??」という辺りに、なかなかに風格が在る旧い邸宅が見える…

そのなかなかに雰囲気の在る邸宅…それが豫章館(よしょうかん)である…

↓「何だろう??」と、思わず覗いてしまいたくなるような感じの入口である…
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1869年(明治2)年の“版籍奉還”後、各地の大名は“知藩事”ということになった。飫肥で“知藩事”となった伊東祐帰(すけより)が飫肥城から城下の屋敷に移り住んだが、その屋敷が豫章館である。

豫章館は飫肥城の門を出て直ぐの場所に在る。庭の北側に大きな楠(予章木)が在ったことから、豫章館と名付けられたという。“楠”は古くは“樟”と書いたそうだ…

↓一見すると簡素な感じだが、丁寧な造作の「上級な人達が暮らした場所」という風格が在る…
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↓建物の周辺も、「手入れに手間が掛かりそう…」と見える“枯山水”風を基調に纏められていた…
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1871(明治4)年には“廃藩置県”が実施され、各地の“知藩事”は“華族”ということになり、原則的に東京に住むことになった。豫章館が「知藩事の邸」だったのは、極短い期間であったことになる。
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2013年01月18日

宮崎駅(2012.12.17)

未だ暗い鹿児島中央駅から817系電車に乗って北上した…途中、朝早くの仕事や、交通の関係でこの列車を選んだと見受けられる何かの用事で出掛けている人、「学生服に野球帽」というような沿線の高校でスポーツ系の活動に勤しんでいると見受けられる若者がパラパラと乗り降りしているような長閑な状態が続いていた…その間、次第に明るくなる車窓をのんびりと視ていたが、都城辺りでかなり明るくなってからは様子が変わった。空席が目立っていたものが、座席は全て埋まり、立っている人達も多くなった…

そんな通勤・通学の様子を視ながら辿り着いたのが宮崎駅である…随分大勢の人達が出入りしていて賑わっていたが、「一寸、御手洗いを拝借…」等と駅でゆっくりしていた間に、大勢の人達は既に散ってしまっていて、存外に静かな駅になっていた…

↓宮崎駅の出入口はこんな感じになっていた…
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北海道のように、相対的に歴史が新しい地域では、鉄道の主要駅は「街の真ん中」のような場所になっている例が多いように思う。が、九州各地を含めて、鉄道が街にやって来た時点で、「古くからの繁華な市街の端」になるような場所に駅が開設されている事例も多い。そういう地域では、駅周辺は「新興の市街」という趣であったり、「街を代表するような様々なモノからやや離れている」という様子である。

宮崎駅に着いてみて…ここは「鉄道が街にやって来た時点で、“古くからの繁華な市街の端”になるような場所に駅が開設されている」例の典型かもしれないと思った。駅前に立ってみて、「新興の市街」としての賑わいという程のものも感じ難かった。バスやタクシーが行き交う場所の他、何やら広場のような広い敷地が目立った…そして、そこに植えられていた植物だが、「北国から辿り着いた」私の眼には若干の驚きだった…「アメリカ製のテレビドラマで見る、フロリダのマイアミにでも在るような…」という「温暖な土地柄でなければ育たない」と見受けられる種類ばかりなのだ…

↓駅の構造物以上に、植えられている木が目立つ感じがした…
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↑或いは、駅は他所でも視掛けるような感じだったので印象が弱く、植えられている木の印象が強かったのかもしれない…

宮崎駅は、高架線の上に4本のホームが据えられていて、高架の下に相当する部分が建物になっていて、駅事務所、券売場、売店、喫茶コーナー等々が入居している。外側は高架線の駅のテリトリーに相当する部分を覆う“壁”のようなものが据えられている。

高架部分を天蓋のようなものが覆っている訳でもない。各ホームに雨を凌ぐ屋根は据えられているのだが…4本のホームだが、所謂“島式”という形状で2面である。概ね、南側へ向かう列車が発着する2本と、北側へ向かう列車が発着する2本に分かれている。この2面のホームを下りた場所に各々改札口が在る。列車を利用する際には、「○○行は?」と発車するホームを確認して改札を潜ることになる。北海道内の帯広駅がこれと同じ方式であったことを思い出した…

↓流石は宮崎県の県庁所在地!!宮崎県を代表する銘柄の焼酎が駅構内で売られていた…
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↑静かなホームでぼんやりと、乗る列車がやって来るのを待つ…そういう光景が妙に好い…

正直なところ…「この駅は改装工事の最中か?」と思った。そして…“壁”のデザインが、何となく近隣の“立体駐車場”の“続き”のようにも見えた…この宮崎駅は、街を線路が分断するような型になっていたことから推進した高架の完成を受けて1993年に現在の型になったのだという…

↓何か「南国に特有な木々の中で静かに乗客を迎えてくれる駅」という感じがする…
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今回は…この駅から日南線の列車に乗り込んで飫肥へ向かい、飫肥から引揚げて南宮崎に着いて、南宮崎から大分へ移動したということで、余りこの駅の周辺を視る機会は無かったが…何か「不思議な印象」が残る駅であった…
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2013年01月17日

長崎・シーボルト記念館(2012.12.19)

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト…何か興味が湧く人物である…19世紀の出島にやって来た医師で、後年は寧ろ博物学者として知られた人物ということになる…

長崎を訪ねた時、このシーボルトに因むモノを視るか、縁の場所を訪ねてみたいと思ったのだが…その双方を満たしてくれる場所の情報を得た。「シーボルト記念館」である。

シーボルト記念館は1989年にオープンした長崎市が運営する施設である。シーボルトの歩みや事績を伝える展示が観られる記念館が、彼が活動していた“鳴滝塾”跡地に隣接して建っている。「シーボルト記念館を訪ねる」ことにより、彼の歩みに関する展示に触れると同時に、彼が活動していた場所の跡にも立ち寄ることが出来る訳だ。

長崎市内で色々な場所を訪ねる際には、イラスト地図が入っている路面電車の一日乗車券が非常に有難い。(そして“500円”なのが重ねて有難い…)その一日乗車券を駆使して“新中川町”(しんなかがわまち)という停留所を目指す。長崎の路面電車は、存外に交通量が多い道路に敷設された軌道を往来しているのだが、新中川町停留所からシーボルト記念館を示す案内標識に従って歩き始めると「車がすれ違うのもギリギリ」というような細い路地が入り組んだ住宅街に入る。多分10分弱だと思うが、シーボルト記念館までは存外に歩く。

「もう少し先なのか?」等と思いながら細い路地を進むと、住宅に貼り付けられた住所表示に“鳴滝”の文字が見える。シーボルトの“鳴滝塾”の名前の由来となっている地名が、現在も住所として残っていることが判った。

やがて…シーボルトの胸像がひっそりと佇む“鳴滝塾”の跡に至る…シーボルトは、当時の日本の医師や、科学技術に関心を寄せる人達が渇望していた欧州の知識をこの“鳴滝塾”に集った彼らに伝えた。そして医師として、病人や負傷者の治療にも協力した。更に彼は、ここで多くの人達から日本に関する情報や資料を得ていた。シーボルトが活動していた頃には、家屋も在って、人の往来も盛んであったのだろうが…

↓現在では「静かな住宅街の一隅を占める空地」という以上の形容が難しい感じになっている。
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↓上記の標柱の他、シーボルトの胸像も在る…
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↑これはシーボルトの晩年の風貌をモデルにした像だ…

跡地に在るシーボルトの胸像は、本来のモノが戦時中の「金属製品供出」で損なわれてしまったことから、残っていた石膏型を利用して戦後に再現されたものだという。

その像を眺めながら考えたのは、“鳴滝塾”の場所がぼんやりと思っていた、或いは勝手に想像していた以上に“出島”からの距離が在ったということだ。“出島”から“鳴滝塾”跡地を路面電車で動くと、何となく「昔からの長崎の町を殆ど端から端に横切る」ような感じがした…

↓その“鳴滝塾”跡地を見下ろすような隣接地に、シーボルトが生まれたドイツのヴュルツブルグや、日本を去ることになった後に住んだというオランダの諸都市を思わせるような、煉瓦積み風外観の記念館が佇んでいる…
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「外国人を顕彰する公立の記念館」というものは余り例が無いらしく、この“長崎市立”の記念館は、その種のモノとして最初の例らしい。とは言え、「往時のシーボルトの活動」は「長崎の地元の歴史の大切な一部」である。それを“市立”の施設で伝えることに、何らの違和感も無い…

これまでに読了した様々な物語に登場したシーボルトや、シーボルトの周辺の人々のことを想い起こしながら、静かな住宅街に佇む胸像を見詰め、なかなかに要領良く纏められた記念館の展示を見学したのだった…立ち寄ることが叶って善かったと思う…

>>シーボルト記念館(Siebold Memorial Museum)
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2013年01月16日

小倉・常盤橋(長崎街道起点)(2012.12.22)

小倉駅から小倉城方面に向かい、周辺を歩いていると「長崎街道起点」なる表示を見掛けた…

「長崎街道?」と興味が湧いたので、近くに足を運んでみる…

↓「江戸時代風」の姿になった橋が在った!!
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↑これが小倉の常盤橋である…

「長崎街道」とは、江戸時代に長崎との往来を確保するために整備されたもので、小倉・長崎間の25宿、57里(228km)の道程である…

↓常盤橋の辺りに説明の掲示が在って、「長崎街道」が紹介されている…
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↑九州の古くからの地名には不慣れで、どういう場所なのかも不案内な場所が多いのだが…「こういう経路で、昔の人は長崎と他の地域との間を往来したのか…」と図面を見入ってしまった…

一寸、ルートを調べてみた…

小倉常盤橋(福岡県北九州市小倉北区室町) - 起点

黒崎宿(福岡県北九州市八幡西区黒崎)

木屋瀬(こやのせ)宿(福岡県北九州市八幡西区)

飯塚宿(福岡県飯塚市)

内野宿(福岡県飯塚市)

山家(やまえ)宿(福岡県筑紫野市)

原田(はるだ)宿(福岡県筑紫野市)

田代宿(佐賀県鳥栖市)

轟木(とどろき)宿(佐賀県鳥栖市)

中原(なかばる)宿(佐賀県三養基郡みやき町)

神埼宿(佐賀県神埼市)

境原(さかいばる)宿(佐賀県神埼市)

佐賀宿(佐賀県佐賀市)

牛津宿(佐賀県小城市)

小田宿(佐賀県杵島郡江北町)

北方宿(佐賀県武雄市)

塚崎(柄崎)宿(佐賀県武雄市)

嬉野宿(佐賀県嬉野市)

彼杵(そのぎ)宿(長崎県東彼杵郡東彼杵町)

松原宿(長崎県大村市)

大村宿(長崎県大村市)

永昌(えいしょう)宿(長崎県諫早市)

矢上宿(長崎県長崎市)

日見宿(長崎県長崎市)

長崎(長崎県長崎市) - 終点

私自身も「長崎から小倉」を移動したが…私の場合は長崎・佐賀間の普通列車、佐賀・博多間の特急<かもめ>、博多・小倉間の普通列車という経路を通っていて、「長崎街道」を迂回した型で動いている…少なくとも「長崎→佐賀→小倉」の“三宿”は通っていて、3箇所共に宿を取って短いながらも滞在した訳だが…

参勤交代の大名、長崎出島のオランダ商館関係者、幕末期に活躍した色々な人達が往来した街道の起点だった場所に立ったというのは、とにかくも非常に興味深かった…

江戸時代に“長崎”は特殊な存在であったかもしれないが、明治期以降も重要な港町であったことに変わりはなく、例えば郵便制度が出来た際には長崎へ向かう郵便物はこの「長崎街道」を通ったそうだ…

↓そうした故事を意識して、この小倉の常盤橋近くに在る小さな郵便局に「明治時代の初めての郵便ポスト」を意識したデザインのポストが設置されている。
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↓こういうような考え方も在るらしい…
>>長崎街道 〜長崎街道を活かした地域づくり〜
↑例えば“ポスト”はこういうような「長崎街道を活かした」という考え方で登場したモノの典型例であろう…それの善し悪しはどうでもいい…「そこに先人の足跡…」と近隣の何気ない場所に“浪漫”が感じられるという状況は羨ましい気がする…

この小倉の常盤橋…「ふらりと立ち寄って、気に入った」という場所である…
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2013年01月15日

キハ54(2013.01.05 南稚内駅)(FotoSketcher)

一輌のみで運行されるキハ54…「北海道のローカル線!!」という風情が漂う車輌だ…

1月4日の広範囲に亘る運休の後、1月5日に早朝から列車を乗り継ぎ南稚内駅に着いたキハ54…

↓ライトの灯りばかりが目立つ有様を“水彩画風”で…
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↑この日は南稚内・稚内間が「除雪困難」に陥ったため、“稚内行”ということになっている列車の運行は、この南稚内駅で終了してしまった…やや珍しい…

過日知人に「“キハ”とは?」と尋ねられたが…それは「気動車の普通旅客車」という意味の符号である…

キハ54…この辺では特急列車以外の普通列車は尽くこの車輌なので、何か妙に愛着が在る…
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2013年01月13日

稚内にまで現れた“くまモン”(2013.01)

熊本県のキャラクター“くまモン”が大人気であることは聞き及んでいた…

熊本で、実に多彩な“くまモン”のグッズを視掛けたのだが…その後、鹿児島、宮崎、大分、長崎、佐賀、福岡…九州の何処へ行っても“くまモン”を視掛けた…

自他共に認める「九州の玄関」というような位置にある博多駅や福岡空港に止まらず、随分方々に“くまモン”が居て驚いた…

長崎の喫茶店でこの“くまモン”を視掛けた際、「熊本から出張?お土産ですか?」と店のおばさんに話し掛けると「長崎でも売ってますよ!!」というお話し…今や「何処にでも居るのが当然…」というようなお話しである…

そして…

↓稚内の副港市場にまで…
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余りに驚いたので、九州では敢えて何かを求めた訳でもなかったが…入手してしまった…「北海道出張だモン」とのこと…

>>くまモンオフィシャルサイト
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2013年01月11日

下関・ふく刺しぶっかけ丼(2012.12.22)

小倉駅で列車に乗ると、例えるなら「札幌の地下鉄で“新さっぽろ”から“大通”へ向かう」ような感じの乗車時間で、列車は海の底を潜って下関に着いてしまう…

幅が狭い海峡の底にトンネルを掘っている訳だから、「市内の地下鉄」のような乗車時間で県境を越え、海を越えると言って愕くには値しないことなのかもしれない…

小倉で思い付いて下関を訪ねてみた…何やら工事中だった駅周辺からバスに乗り、港の方に出てみた。住民や来訪者が散策するように整備された港の一隅を歩き回った…

“下関”と聞くと、かの“関釜フェリー”のようなものも活躍していて、何となく「貿易港」というイメージを抱くのだが、ここはなかなかに大きな「漁港」でもある…

「漁港」としての下関…様々な海産物が集まる地域ということになる。故に住民や来訪者に向けて、海産物を活かした料理を提供するような場所が目立った。それらを何となく眺めていたが…私自身も、“海産物!!”というイメージの地域に住んでいて、見掛けるモノに関して格段に珍しいとも思わなかったのだが…

↓これを見掛けた時には、思わず足を止め、20秒程度じっと凝視してしまった…
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“下関”と言えば「河豚(フグ)」だ!!これは「“海産物!!”というイメージの地域」(=北海道・稚内)に住んでいても、余り馴染みが無い…下関を訪ねた思い出に、河豚(フグ)を頂いてみるのは大変に結構なことと思えた…一般的に河豚(フグ)は若干高価だが、私が見付けたのは手頃な価格帯のメニューだ…そして私は「○○丼」というような、「ご飯に具材を載せたモノ」が大好きであったりもする…「是非頂かなければ!!」と暖簾を潜ったのだった…

↓下関ではマンホールの蓋にまで河豚(フグ)がデザインされている…この河豚(フグ)は「山口県の県魚」なのだそうだ…
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更に…乗客が多かったので写真こそ撮らなかったが、路線バスのシートの布地に河豚(フグ)があしらわれていたモノも視掛けた…方々に河豚(フグ)が見受けられる下関だった…

下関など西日本では、河豚(フグ)の事を濁らずに「ふく」と呼ぶ場合が多いようで、「ふく料理」というような看板も下関では見掛けた…序に、門司港等の北九州市内でも見受けられたが…これは、フグが「不遇」に繋がり、フクが「福」につながるからなど諸説が在るがはっきりしないようだ。私が思わず足を止めた店でも「ふく刺しぶっかけ丼」と濁らない方の表記を用いていた…

↓頂いてみた「ふく刺しぶっかけ丼」…
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↑淡白な“ふく”と酸味を帯びたタレが合う!!実に佳かった!!「あと2杯位は食べられそうだ…」と思った程である…

「下関の“ふく”を頂いた!!」と満たされた感じで歩き始めると…対岸の門司港へ渡るボートが出ている場所に至り、「どの道、宿を取った小倉に向かうことになるから…」という事由も在って、同時に「面白そう!!」とボートに乗って門司港へ向かったのだった…
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小倉駅・かしわうどん(2012.12.22)

博多から早朝の列車で出発し、小倉駅に着いてみると「朝早くから、そこそこにお客さん…」と見受けられるスタンドがホーム上で営業していた…

↓スタンドには「かしわうどん」の看板が見受けられた…
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「“かしわうどん”とは?」という好奇心が湧き上がった…朝にうどんを一杯…“朝食”には好適かもしれない…

↓こういう具合に出て来た…
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↑「なかなか美味そうだ…」という視掛けに違わず、これがなかなかに佳かった!!!

“かしわ”とは…鶏肉の肉そぼろのことらしい…これが柔らかいうどんと、なかなかに相性が良い!!スッキリした感じながら、ハッキリした鶏出汁のスープがまた非常に好い!!どうもこの“かしわうどん”というものは、小倉を含めて九州北部では非常にポピュラーなモノらしい…

大変に美味しく、そして瞬く間に頂いたのだが…“常連”らしい方が、何やら“回数券”のようなものを求めている様子を見掛けた…根強いファンに支えられていると見受けられる…確かに、この味で350円という手頃な価格であって、直ぐ近所や頻繁に通り掛かる場所で売っているのであれば…“回数券”を求めて通ってみたくもなるであろう…

こういう「駅のホームのスタンド」というようなもの…何となく好きだ…
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2013年01月10日

鹿児島で視掛けたEF81 303(2012.12.16)

鹿児島では仙巌園周辺から、石橋記念公園を経て、鹿児島駅辺りまで歩いた…振り返ると「存外な距離」を歩いたことになるが、沖の桜島を眺め、“ぢゃんぼ餅”を頂き、興味深い石橋と“記念館”を視てという状況で鹿児島駅周辺に至ったので、「路面電車で中央駅傍のホテルに引揚げるためにあの停留所へ…」と最後は歩調が速まり、然程苦でもなかった…生憎、雲が多くなって行ったが、雨に降られなかったのは幸いだった…

その鹿児島駅の周辺だが、JR貨物が基地にしていると見受けられる広いスペースが見られた。何やら貨車や機関車が散見した。そんな様子を遠くに望みながら進んだのだが、何やら「不思議な色?」と思える車輌に気付いた…

貨車の場合、様々な色のコンテナを載せていることも在り、時には「何だろう?少し目立つ…」というものに出くわす可能性も在る…しかし機関車の場合は、或る程度決まった色になる…確か、国鉄時代は直流電化区間は青基調で、交流電化区間は赤基調で電気機関車を塗装していた筈で、“JR化”以降も基本は変わっていなかった筈だ…だから交流電化の九州で、貨物列車の牽引に使用される電気機関車を視掛けるとすれば、赤基調の筈だ…

しかし私が気付いたその車輌は、遠目に「電気機関車?」という型をしていたにも拘らず、何やら「鈍い金属色」に見えた…

私は「正体」を探ろうと、辺りの様子を伺った…何やら駐車場になっている場所と、件の不思議な車輌の見える場所との間には低い金網フェンスが在る程度で、一寸様子を視て不思議な車輌の「正体」を知るには問題が少なそうだった…

↓近付いてみて、眼前に在ったのはこれである…
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↑電気機関車だった…EF81の303号機である…

EF81は“直流区間”、“交流50Hz区間”、“交流60Hz区間”と日本国内の鉄道の電化区間―異なる3方式で順次電化が進められた…―で採用されている各方式に対応し、長距離の列車を牽引して活躍出来る電気機関車である。例えば日本海縦貫ルートでは、途中で“交流50Hz区間”、“交流60Hz区間”が切り替わるのだが、この機関車はその変化に対応してそのまま走り続けることが出来るのである。昨年の1月末に乗車した青森・大阪の夜行列車<日本海>を牽引していたのはこのEF81型だった…

↓因みにこれが青森駅で待機している<日本海>牽引のEF81である…
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EF81は、1968年から1979年まで製造された機関車であるが、“JR化”の後になる1989年と1991年、“後継機”登場が遅れていたことからJR貨物が若干の追加製造を行ったという。現在では“後継機”に入れ替えられ始めているようだが、既に少数派となった長距離の客車による旅客列車の牽引、貨物列車の牽引に現在でも大いに活躍している機関車だ。

303号機である…これは「湿気の多い関門トンネルで、主に本州と九州とを往来する旅客列車の牽引に運用する」という意図の下、4輌だけ製造されたという代物の中の1輌だ…ステンレスの車体で、無塗装の金属色が目立つ特徴である…

この「300番台」だが、関門海峡から他所に転出した2輌が、ステンレスのボディーに赤系の塗装を施された…それは後に関門海峡に還ってもそのままになった。そうした事情で、この「剥き出しの金属色」の機関車は2輌しか無いらしいのだが…その中の1輌を間近で視ることが出来た!!

嘗ては、東京から本州を縦断して下関にやって来た客車に繋がれて、客車を九州に送り届ける役目を専らにしていたこの機関車だが、現在は各地に赴いて貨物列車を牽引している…私が視掛けた303号機…本州方面から鹿児島まで、重い貨物列車を牽引して来て、引揚げるまでの束の間、待機していたのであろう…
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2013年01月09日

門司港の“焼きカレー”(2012.12.22)

門司港駅…文字通りに北九州の港に設けられた駅で、嘗ては本州方面から航送されてくる鉄道車輌や船で到着した乗客を迎え入れ、逆に本州方面へ車輌や乗客を送り出した駅である。九州の鉄道の“零哩”(=起点)となっている地点だった…この辺りは、鉄道の拠点であっただけではなく、海運の拠点でもあり、色々なモノが残っている…

碌な計画も無しに九州に上陸した際、訳も判らずに立ち寄り、酷い雨に見舞われたので駅を眺めてから“帰国”の航空便のことを慮って本州方面へ引揚げたということが在ったのだが…小倉を拠点に周辺を動き回ろうとした今回に関しては、天候もまずまずであったことから門司港駅周辺を歩き回る機会を設けることが出来た…

門司港駅周辺を動き回っていたのだが…“焼きカレー”という文字を随分と頻繁に視掛けた…

“焼きカレー”?門司港地域の“名物料理”らしい…多分、小倉に押さえた宿に着いてからは「日中の“動き過ぎ”で草臥れて動けない…」であろうから、その“焼きカレー”なるものを「遅めの昼食?早過ぎる夕食?」な時間帯に試食しておくのも善いかもしれないと思い始めた…

門司港駅周辺を含む北九州市では条例が在って、何処でも勝手に煙草を点ける訳にも行かないので、コンビニの前の灰皿の辺りに佇み、一息入れながら「“焼きカレー”なる見知らぬ料理を頂いてみようか…」と思案してから歩き始めた…

↓すると何やら妙なモノが飾られていたのに出くわした…
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↑旧い建物が残る門司港辺りには妙に似合いそうな、旧い車輌だ…

写真等を撮り、何気なく車輌を眺めていると、そこはカフェの真ん前で、カフェでは“焼きカレー”を出しているらしいことが判った…「遅めの昼食?早過ぎる夕食?」な時間帯であった…休日ながら、店は然程混んでいなかった…好都合である…

↓そして頂いた“焼きカレー”である!!
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店毎に各々の流儀が在るようだが…この店では、アジア諸国のスパイスを色々と使って工夫したという辛口ルーをライスに載せ、それにチーズを振掛けてグラタンのようにオーブンで焼いている。これは多分、普通にカレーライスとして頂いても「連日ランチ!!」に堪える美味いカレーだと思うが、「焼く」ことで香ばしさが増していて、グラタンのような食感が不思議な味覚を醸し出していた…ガツガツと勢いよく頂いてしまった…

全く初めての食感で、愉しく美味しく頂いた“焼きカレー”である…どうもこれは、何処かの喫茶店で、残ったカレーライスをオーブンで温める…「焼く」ことをして賄いにしたところ、「“メニュー”にしても善いのでは?!」ということになり、それがなかなかに好評を博したところから門司港地区で一定程度普及したらしい…言ってみれば「ほんの一手間」なのだが…これが意外に佳いモノを産出す…

この“焼きカレー”を頂いた店を立ち去る際、店の皆さんと言葉を交わした…「北海道!?明日お帰り?!あんなに寒そうな場所へ?」と同情された…私も、些かそのように思わないでもなかったが…帰ってみれば雪が酷く増えていて、その後も雪の多さが非常に際立った感じになることを、あの門司港の長閑な状況では想像だにしなかった…
posted by Charlie at 19:46| Comment(0) | HDR/2012年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

“どトンコツ”を謳う博多ラーメン(2012.12.23)

或いは「稚内以外では潰しが利かない…」というような状況であっても、「札幌育ち」の私としては、“ラーメン”と聞けば第一義的に「札幌の流儀」であり、第二義的には随分以前に他界した伯母が営んでいた小さな町の食堂で供されていたような「旧き善き北海道の塩ラーメン」である。その他は「何処かの地域の郷土料理」というような認識になってしまう…

かなり古い話しだが…東京で「札幌の流儀」を謳うラーメン店に入り、「なるほど、これは!!」という味噌ラーメンが出て来ながら、「札幌の流儀」では不可欠な“南蛮”と呼び習わす一味唐辛子が置いていない状況、そして他の客が味噌ラーメンにコショウを振っている様を視て、どういうものか著しく気分を害したことが在った…爾来、「不慣れな地域でのラーメン」は避けていたかもしれない…殆ど四半世紀も経って、こうしてネタにするのだから…私の「当時の憤激」の“大きさ”を想像して頂けると思う…近年になって漸く「何処かの地域の郷土料理」というような認識で「各地のラーメン」をそれなりに楽しめるようになってきたことに気付いている…

福岡で、古くからの友人と会って昼食を愉しむという段取りになっていた。「好き、嫌いを超越した、“福岡!!”なモノ…」と“どトンコツ”を謳うラーメン店に案内してくれた。悪くない趣向だ…

↓こんな店構えで、博多駅から福岡空港に向かう途中に在る…
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福岡空港…これは結構「愕くべき存在」だ…繁華な博多から「直ぐ!!」なのだ…福岡は、“札幌”のように九州という島で最大の都市であり、総人口も似たようなものであろうし、各種の交通機関のハブで、周辺の多くの市や町が“通勤・通学圏”になっているという状況も似ているかもしれないが、「空港と都心の近さ」では圧倒的だ…稚内も「車で20分程度で空港」と「かなり便利」ではあるが…福岡もそういう次元で空港が在る…しかも、冬季には打てない野球チームの打率位の割合で欠航する、指折り数えるような航空便が発着する稚内空港とは「全く次元が異なる!!」ような、自他共に認める「九州の玄関」という大空港である…

その福岡空港と博多駅との間に在る伝統の店…ファイターズの好敵手であるホークスの選手やコーチ、或いは監督や球団関係者の残した記念品が入口辺りに飾られていたりする…また知っている、よく知らない含めて、数え切れない程の芸能人のサイン色紙も壁一面に溢れていた…

↓「全部乗せ」というモノを頂いた…これが存外に好かった!!
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友人によれば「創業以来の数十年のエキスが…」という濃厚なスープが身体に沁みる…或いは“味噌ラーメン”に通じるものが在るかもしれない…

チャーシューや味付き玉子等も、永年愛されているモノだけに、なかなかに完成された味わいだ…実は、あの味付き玉子が早くも多少懐かしい感じさえする…

「博多の流儀」では“替え玉”なるものが在る。これを初めて経験した。スープをいきなり全部頂いてしまわずに少々残し、“替え玉”として小皿に入った麺を追加して注文する。その麺をスープに浸して、「一寸余分に頂く…」という仕掛けである。悪くない…

この麺だが…多分茹でる前も真っ直ぐな、「極細い生パスタ」のような麺なのだと思う。正しく「微妙に芯を残す、“アルデンテ”の細いパスタ」のような食感だ。“替え玉”ということで追加してみたくなるのも頷ける…

「微妙に芯を残す、“アルデンテ”の細いパスタ」のような食感…「硬めな麺」ということになるのだが、博多ではこの“硬め”に「拘り」も在るようだ…陣取った席から見える辺りに「バリカタ、ハリガネ、コナオトシという商品は在りません」というような貼紙が在った。友人に尋ねると、この“バリカタ”、“ハリガネ”、“コナオトシ”というのは極々硬く麺を茹でるようにという符牒なのだそうだ…伝統を誇る老舗だけに、「自信を持っている加減でラーメンの麺を提供」ということで、こうしたリクエストを断っているのであろう…こういうようなリクエストをせずとも、「微妙に芯を残す、“アルデンテ”の細いパスタ」のような食感の、充分に「美味い硬めな麺」が味わえた…

或いは、友人のお蔭で「博多の流儀のラーメン」の“典型”に近いモノに出会えたかもしれない…なかなかに興味深い経験だった…
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2013年01月08日

817系(2012.12.17 鹿児島中央駅)(FotoSketcher)

“電車”というのは「電動機(モーター)を単独または複数の車輌に分散配置し(動力分散方式)、自身の動力で走行する鉄道車輌」のことである。

路面電車では“単独”の車輌にモーターを据えている例が殆どだが、JRグループ各社や私鉄各社のモノでは「複数の車輌に分散配置」という例が多い。

「複数の車輌に分散配置」…よく視掛けるのは「3両で一編成」とか「4両で一編成」というタイプであろうか?或いは「2両で…」とか「5両で…」、「6両で…」というのも在る…

JR九州で近年多くなっているモノは「2両で…」のタイプと見受けられる…

↓九州各地で、思わず“イラスト風”にしてみたくなる、こんな車輌を視掛ける機会が多かった…
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↑これを817系電車と言うそうだ…画は、未だ暗い鹿児島中央駅から宮崎方面へ発つ列車である…

2001年に福岡県に登場し、以後は長崎県、佐賀県、大分県、鹿児島県、宮崎県と運用地域が拡がったようだ。昨年12月の九州で多く視掛けた「2両」の他に「3両」も在るという…「2両」のモノは、所謂“ワンマン運行”にも使われていた…

この車輌…私自身は鹿児島中央・宮崎間と長崎・佐賀間で乗車したのだが、南宮崎駅、博多駅等でも視掛けた。何かスタイリッシュで気に入った!!

そして…

↓形状を強調しようと“ペン画風”にしてみたが、シートの座り心地が好い!!
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この817系に採用されているようなシート…自宅で利用出来るような型で売っていないものだろうか?「余り高くないのなら」という留保条件は付帯するが、入手可能なら、自宅で毎日座って寛ぎたい感じであった…
posted by Charlie at 23:39| Comment(0) | FotoSketcher/鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする