2012年12月31日

小倉駅の「鉄郎とメーテル」(2012.12.23)

「鉄道車輌や駅周辺のオブジェ」というものは、国内外を問わず“写真好き”を捉えて離さない…拙作に関して、国内外で閲覧されているFlickrに公開すると、この種の写真には国内外から一定の反響が寄せられることも在る…

↓下記はそうしたものの一つだ…小倉駅の“新幹線口”(永く寧ろ“北口”と呼ばれていたようだ…)に在る…
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私の世代なら、かなり広く親しまれているキャラクターだと思う。かの『銀河鉄道999』の鉄郎とメーテルである。

アニメで彼らが未だ様子を視ていない新しい星の駅に着いた時「○○駅に着いたね…」というような鉄郎の台詞が在るのだが…初めてこれを視た時、「メーテル!!小倉駅に着いたね!!」と未だ視ぬ街への期待を込めた鉄郎の台詞が聞こえたような気がした…

更に…小倉駅を離れる場面でこれを視た時には…「君も出発するんだね…」と鉄郎に声を掛けられたような気がした…

『銀河鉄道999』の世界では、大宇宙の様々な天体を結ぶ航路が“銀河鉄道”と称されていて、宇宙船は列車を模した型で実際に“列車”と呼ばれている。中でも“999”は、昔の日本の急行・特急のような外観である。“列車”の先頭は蒸気機関車の“C62”そのものの形状である…駅から煙を吐いて発進する“999”はどんどん速度を上げ、汽笛を鳴らしながら走り、やがて空に向かって延びる急勾配を駆け上がり、暗い夜空の彼方の宇宙へ飛んで行く…

この『銀河鉄道999』…鉄郎は“永遠の命”というものを手に入れる旅に出ようと999乗車を目論み、メーテルに導かれて乗車する…旅の途上で鉄郎が色々な経験をして、“人生”について、“幸せ”について考えるというようなストーリーだ…

そういう大宇宙の鉄路を旅している「鉄郎とメーテル」が小倉駅で旅人を迎え、また見送っている…「駅前のオブジェ」として、これ程「気が利いている!!」モノも他に例が無いのではないかと思う…

この「鉄郎とメーテル」が小倉駅に在るのは…『銀河鉄道999』の作者である松本零士が、小倉駅の在る北九州市出身であるからだ…

↓「鉄郎とメーテル」のオブジェ…メーテルの方は、顔がアニメや漫画そのものではあるものの、「細身の女性で、こういうような背格好の人…居そうだな…」というバランスでベンチに静かに座っている…鉄郎は?漫画そのものを立体化していて、何となく不思議な感じがする…
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「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」へ至るような旅が好きだ…“鉄郎”程に波乱万丈な旅をするでもないのだが…一人で勝手に旅に出るのは善いが…“メーテル”は…居ない…
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ビデオ SAPPORO UNDERGROUND(札幌の地下鉄)(DEC 2012) vol.01-03

愛用のデジカメS95の“動画機能”が存外に愉しく、何となく試しているのだが…

「札幌の地下鉄」というのは意外に面白い被写体かもしれない…

高校生の頃は毎日のように地下鉄で通学していた…当時とは地下鉄も様子が変わっている…

@ホームに何時の間にか安全扉=高校生の頃、ホームから線路に鞄を落としてしまって慌てたことが在ったが…現在ではそういう心配は殆どない…

A録音の車内放送=以前は乗務員がマイクを持って「地下鉄を御利用頂き、ありがとうございます。次は…」と案内していた…

B一部駅名の多国語表示=以前はそういうものが無かった…

C駅番号=これも外国からの来訪者が増えている最近のもの…

こういうような様子の変化が目に留まるが、変わっていないのは「トンネル内の硬い床の上を“ゴムタイヤ”を装着した車輌が駆け抜ける独特な音」である…

↓南北線すすきの駅


最も旧い南北線…やや狭隘な感じもするホームに安全扉…些か窮屈な感じもする…電車が発車した後もトンネル内に残る“音”が好い…

↓東西線バスセンター前駅@


↓東西線バスセンター前駅A


3路線が交差する大通駅の東側の駅…意外によく利用している…利用する方面と利用しない方面の構内案内放送の音が被るのが面白い…

↓「90秒以内」のビデオであればFlickrに入れられる…該当するモノは入れてみた…
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posted by Charlie at 13:22| Comment(0) | Movie Maker | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビデオ 鹿児島の路面電車 (DEC 2012)

愛用のS95での動画撮影…12月の旅行の中では敢えて試みなかったのだったが…画像は非常に多く撮影していて、未だに整理中である…

未だ未整理の画も多いのだが、これまでに整理した中では、例えば鹿児島の路面電車の画は非常に気に入っている…

↓その鹿児島の路面電車の画を利用して創ったもの…

↑朝から夜まで動いている電車の感じが巧く表現出来ていれば幸いだが…

またこの電車に会いに行きたいものだ…
posted by Charlie at 01:11| Comment(0) | Movie Maker | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月30日

旭川駅(2012.12.29)

朝の列車で稚内を経って旭川に至ると、大概は改札を一旦潜って待ちに出て、軽く食事をするのだが…“出前”の荷物も在ったので、何となく駅のホームでゆっくりしてしまった…

荷物が在ったことも、そうした行動の理由だったが…それ以上に「嘗てこんなに好天だったことが在ったであろうか?!」と思える程に天候が好く、光が注し込む駅のホームが心地好かったのである…やや冷えていたが…

↓名寄駅で、半ば駆け足で跨線橋を渡って乗り込んだキハ54が旭川駅に…
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↑ステンレスの車体が日差しに輝く…跳ね上がって車体後部に付着した粒子の細かい雪や氷が“時季”の厳しさを物語る…

↓岩見沢へ向かう711系電車…
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↑車体の“赤”が眩しい…高架ホームへ出入りする口の硝子張りの部分に“赤”が映り込み、何か「空気に色が着いている」ような按配である…

↓旭川を発着する<スーパーカムイ>の画が入ったラベルの“ワンカップ”…
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旭川駅から歩いて20分程度の場所に在る会社の製品…美味い!!

年輪を刻んだ赤い車体を輝かせている陽射しを受ける街や石狩川、沿線の森や田園を眺め、オリジナルラベルの容器に入った、旭川の酒造の伝統を受け継ぐ美酒を舐めながらの旅…素晴らしい!!!

↓大変な好天に恵まれた12月29日の稚内・札幌間の移動…(※後刻、写真を追加)
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音威子府駅周辺の排雪(はいせつ)作業(2012.12.29)

札幌で馴染みの“休憩所”に入った。札幌は少し湿った雪が降っている…随分と天候に恵まれた日に稚内・札幌間の移動をすることが出来て幸運だった…

大変な好天に恵まれた稚内・札幌間の移動であったことから、些かの写真撮影も愉しむことが叶った。順次写真を公開中である…

↓音威子府の駅前の道を行き、振り返ってみたという画である。
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↑道の脇の「雪の小山または壁」が既に堆くなっていて、駅―バスターミナルを兼ね、鉄道駅事務所とバス会社の窓口が在る。外、蕎麦のスタンドに廃止されてしまった天北線の紹介をしている展示コーナー、御手洗が在る…―の建物前辺りに“交通整理員”の姿が認められる…

私には「音威子府の蕎麦を出前」という役目が…近所で求められる店を2軒程知っているのだが、その中の1軒を目指そうとした。すると何やら作業中で“交通整理員”が居た。

雪が堆くなってしまうと道路の視界が妨げられて危険なこともあり、酷く溜まった辺りで、ロータリー車とダンプカーが出動して排雪(はいせつ)作業が行われる。北海道内各地では馴染みの光景だが…普通は1月後半や2月によく視掛ける光景で、12月中にやっているのはやや珍しい…今シーズンは、積雪期に入ってから直ぐに雪が多い感じになって行った訳だ…

この道を行きたかった私は、“交通整理員”に「通って構わないですか?」と遠慮がちに声を掛けたが、彼は「どうぞ!!」と応じた。後ろから「歩行者1名行きます…」と聞こえる。関係者間で無線連絡をしているのであろう。“1名”は私だ…

↓これがロータリー車…前面の赤い金具が回転して雪を掻き集め、上方のアーム状の部分から雪が吹き飛ばされる。ここではダンプカーの荷台に雪を送るのである…様子を見ていると、一台のダンプカーの荷台が一杯になるまでに2分掛かるか掛からないかだ…威力絶大である!!
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↑北海道が管理している道路なのか、或いは北海道の機関が管理している車輌を借りて来たのか、“北海道”という大きなマーキングが見受けられる…

↓道路面の雪を削って平らにするような仕事をする車輌も出動していた…
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こうした「特殊な作業車輌」のようなもの…なかなかに画になる!!

雪国では、道路の安全を確保するために、多くの皆さんが懸命に働いている…

↓大変な好天に恵まれた12月29日の稚内・札幌間の移動…(※後刻、写真を追加)
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因みに…この排雪作業中の道を往来し、音威子府の蕎麦を仕入れて、札幌へ“出前”を無事に済ませた…
posted by Charlie at 11:55| Comment(0) | HDR/音威子府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月29日

ビデオ 旭川駅(2012.12.29)

思い付いて音威子府で“動画”を撮影してしまったのだったが、旭川で乗車する列車までやや間が在ったことから…今度はミニ三脚にS95を据えて動画を…

何時も駅で撮る写真の「延長線上」のような感じなのだが…ミニ三脚にS95を据えると、少し落ち着いた感じで撮影出来る…

↓特急<スーパーカムイ>が出発する様子…

↑785系電車が警笛を鳴らして発進する様が好い…

↓網走方面からの特急<オホーツク>が到着し、札幌へ向けて出発する様子…

↑運転士が交代している…183系ディーゼルカーがエンジンを唸らせながら発進する様が好い…

殊に北海道以外にお住まいの皆さんに…北海道の列車の様を御覧頂きたい…
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ビデオ 音威子府駅 (2012.12.29)

大変に天候に恵まれた中、稚内から札幌まで南下したのだが…

音威子府駅で思い付き、愛用のS95の「動画撮影機能」を試用してみた…

冬の蒼天の下に光が溢れ、氷点下10℃程度に冷えた空気の中でディーゼルの排気が立ち上り、列車が到着し、そして出発していく…

↓到着する様子…


↓発車する様子…


何時もこういう具合に…或いは立つ位置が異なる場合も在るが…音威子府駅で<スーパー宗谷>を見送る…

実はこれ…不意に思い付いて「手持ち」で撮影している…短時間であるため、“手ぶれ”は少なめだが…
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鹿児島の路面電車(2012.12.16)(FotoSketcher)

↓鹿児島では、この型の新しい電車に出くわす機会が存外に多いような気がする…
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何か、「緑の芝生が敷き詰められた軌道を、黄色の電車が行く」というのが「鹿児島の路面電車」の最近のイメージかもしれない…

この“黄色”…「南国の太陽」というイメージで選ばれたそうだが…

↓それなら従前からの標準的塗装に採用されている“オレンジ色”も捨て難い…
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“オレンジ色”等と書いて思い出したが…鹿児島県は柑橘類の栽培も盛んなようだ…

何れも大胆なタッチの“イラスト風”の画にしてみた…四季折々の画でも撮れるなら…カレンダーにでもしてみたい感じだ…路面電車は画になる!!
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長崎の路面電車(2012.12.19)(FotoSketcher)

長崎を訪ね、着いてから立ち去るまで、随分付き合ったのが路面電車である…

↓「標準的な塗装」であるという「クリーム色と緑」の電車だが、この些か古めかしいタイプにはよく似合う…
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電車を運行する“長崎電気軌道”は“広告”にも熱心で、車体を大胆に塗装する全面広告に関しては「全国の草分け」的存在らしい…それでも、“景観”に配慮して、屋外広告に関する基準や規制に鑑みて慎重に審査した上で“広告塗装”を施していて、しかも「全車両の4割程度」に抑えるようにしているのだと聞く…

ということで、些か古めかしい車輌に似合う「クリーム色と緑」の電車は視掛ける機会も多い…

↓この色合いと型は大胆なタッチの“イラスト風”が妙に似合う…
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2012年12月28日

博多駅(2012.12.21)

九州最大の鉄道駅…博多駅…九州最大の都市、福岡のメインとなる駅である…東京・名古屋・大阪からやって来る、或いはそちらへ向かう東海道・山陽新幹線が、また熊本や鹿児島へ向かう九州新幹線が発着する他、近郊から遠方まで九州各地へ向かう列車が往来している…

この博多駅は、昨年の九州新幹線の全通を機会に、大型商業施設を備えた駅ビルも整備したのだが…

↓12月のイルミネーションは華やかだ…
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↓昨年も思ったが…
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↑「日本一華やか」と言っても過言ではないかもしれない…

実はこの博多駅については、利用した各列車の乗場と、若干の土産売場に、“水戸岡展”の会場しか視ていない状況だ…何れゆっくりと視てみたい場所である…
posted by Charlie at 21:03| Comment(0) | HDR/2012年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長崎の路面電車(2012.12.18-20)

大分の老舗百貨店“トキハ”の前から「長崎県営バス」に乗車し、終点の“長崎駅前”に着いた。文字どおり「見慣れぬ路の果ての見知らぬ街」で辺りは既に「子どもは寝る時間」の暗さだった。時季である故に、イルミネーションも見えたが、他に各種の広告看板や街灯の光に信号機のランプ、更に行き交う車のライトが見える…

バスが着いたのは“ターミナル”のビルで、“駅”は存外に交通量が多い、なかなかに幅の広い道路の向こうだった…禁煙の車中から出て、煙草を点け、辺りを眺めると「とりあえず駅の辺りに近寄るには、歩道橋を渡ってみるしかない」と理解出来た…

そして煙草を消してから歩道橋に上がった…「ゴォー…ガタッ…ゴォー…」という独特な走行音が聞こえ、眼下を駆けるランプの強めな光が近付く…路面電車だ…

「シュー…」というブレーキ音がして走行音と混ざり合い、やがて電車は減速し、歩道橋の下に停車した…乗客が下車する…彼らは停留所の端部に繋がった階段を上がり始めた…歩道橋が「駅の跨線橋」のような状態になっていた…

↓長崎駅前で初めて視た路面電車…
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という具合に、長崎に着いた瞬間に路面電車と出くわした。そして、長崎滞在を通じて、この路面電車と付き合うことになった。

長崎の電車は“長崎電気軌道”という民間会社によって運行されている。1914年に会社が設立され、1915年から電車の運行を続けている。

長崎の電車は、何となく“レトロ”な感じがする。1960年代辺りに導入された車輛の数が多めで、現在でも主流を占めているようだ。

↓こういう具合のモノが多い…塗装はクリーム色と緑の2色が“標準”らしい…
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↓運転士が乗っていなかった方の運転台を撮影してみた…何か旧い感じだ…
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他方で、もう少し時代が下った車輛や、最近流行の低床式の車輛も見受けられる。低床式の車輛は未だ数が少なめであるようで、見掛けると「おぉ!?」と思わず注目してしまう…

↓“新型”の車輌が現れると、なかなかに目立つ…
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車内では次に停車する停留所を告げるアナウンスの合間に料金の案内が在る。これを聞いていると…「大人120円、子どもさんは60円です。釣銭が無いように御用意願います」と言っていた。“子どもさん”と“さん”が付いた…これがやや独特なように思えた…この料金は一律である。運転系統の始まりから終わりまで乗り通しても、1停留所の乗車でも同じだ。「日本一安価」な料金かもしれない…

現金の他、ICカードの乗車券も在る。広く普及している様子だった。これに関してだが、お金をカードに入れることを“積増”と言っていた。何年も前に東京方面に出て“PASMO”を初めて利用した際、駅に据えられた機械でお金を入れることを“チャージ”と言っていた。が、ここでは“積増”だ…「カードに積み立ててある電車の運賃に供するお金を増やす」のだから“積増”ということであろうか…他にもこういう言い方をしている地域が在るのかもしれないが、初めて出くわした…

この“積増”だが、運転士席の脇にある運賃箱・両替機と一体化された機械で行う。運行中、進行方向の運転士の脇だけではなく、後ろの機械も利用可能で、それを使って“積増”をやっている人達を何度も見掛けた…

↓こういう機械が車内に2台据えられている…
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この路面電車に関しては、“長崎電気軌道”が出資している商業施設の一隅に“資料館”が設けられていて、戦災や自然災害も潜り抜け、永い間街の人々の暮らしに役立ってきた経過が判るようになっている…

↓これがその資料館の入口である…
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長崎の電車は「安価な料金で気軽に利用して街の中を動き回る」ためには好適だ。今回は随分とお世話になった…
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2012年12月27日

長崎の「“食べる”ミルクセーキ」(2012.12.19)

↓「どんなことをして作るのか?」と暫し考え込んでしまった…
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↑これが「長崎の流儀」のミルクセーキだという…

卵黄、ミルク、甘味料が加わった“ミルクセーキ”そのものな味なのだが…「ジェラート?」という具合に仕上がっている…

「不思議なモノだ…」と眺めながらも、スプーンで掬いながら頂いている間に…「美味い!!あと2つ位は行ける…」等と味に魅了されてしまっていることに気付き、「流石に“おかわり”も?」と苦笑いしてしまう…甘過ぎず、爽やかだ!!暑い時季なら…涼を求めて“おかわり”してしまったかもしれないが…

↓12月19日の長崎の画…
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佐賀城本丸歴史館(2012.12.21)

何日間かの旅から戻ってみると、何時も「あそこでもう少し時間を費やしても善かった筈だが…」などと振り返ってしまう。私には、多少「忙しく動き回り過ぎる」傾向が在るかもしれない…

今般の旅では「今回、とりあえず行っておかないと、“次”は何時か?或いは“次”というものが在るのか否か…」などと考えながら動き回り、何時しか「九州7県全てに足跡を!!」というようなことになってしまっていた…

そういう文脈で佐賀に立ち寄った…だからと言って、「とりあえず足跡」というだけでもない!!佐賀には、訪ねてみたかった場所が在ったのだ!!

その一つが、佐賀城の本丸である…

当日は、早朝に戸外に出ると小雨が降り始めたが、結局のところ午後に佐賀から離れる辺りまでしとしとと雨が降り続いた…佐賀駅のコンビニで思わず傘を求めてしまった…(その傘は、その後「福岡・札幌」の機内、新千歳空港・旭川・稚内の列車の中に確り持ち込まれた…佐賀で求めた傘は確り拙宅に持ち帰った…)

↓駅の辺りから…15分前後は歩く距離であろうか?他の場所にも寄りながら、佐賀城に着いたが、古くから残る門が迎えてくれる…
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佐賀というのは、北に玄海、南に有明海を擁する佐賀県の内陸、県のテリトリーの真ん中辺りを占めている。「平野の真ん中」のような感じだが、ここに“平城”と呼ばれる佐賀城が在る…

佐賀城は、戦国期に肥前で大きな勢力を持っていた龍造寺家が利用していた拠点の後に、今日の佐賀県の大半を領地とした鍋島家が入って築いた城だった。結局、幕末期までの永い期間、佐賀城は鍋島家の当主の居城で在り続け、その城下町であった佐賀は、明治期以降も佐賀県の行政の中心ということになった。

佐賀城だが、鍋島家が最初に築いた建築群は18世紀に消失してしまっていて、二の丸に当主の居館、政庁を兼ねた御殿が建てられていた。この御殿が1835年に消失してしまった…それを受け、本丸に当主の居館、政庁を兼ねた御殿が新たに建設された。ここが、明治期以降になっても色々と活躍していくことになる、幕末期の佐賀の人達が動いていた場所ということになる。

現在、“歴史館”となっている佐賀城本丸の建物は、幕末期の御殿を再現したものである。残念ながら全部が再現されているのではないのだが…“歴史館”は、その幕末期の人達が動いていた建物を再現した場所を利用して、鍋島家の指導下で「余所に先駆けて」色々なことに取り組んだ経過や背景、佐賀が輩出した明治期に活躍した人達のことなどが判るような展示がされている。

↓未だ再建されて日が浅いようだが…この建物の前に立つと幕末期へ時間旅行でもしているような気分になれる…
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佐賀の鍋島家は、幕府の命で“長崎警固”という役目に就いていた。交代で長崎に進駐し、有事に備えるという任務が在り、それを担っていた大名達の一画を占めていたのだ。そうした中、当時は未知のものであった「欧州流の技術」に触れる機会が在り、「余所に先駆けて」色々なことに取り組むこととなるのである。そうした状況を紹介する展示を視たが、偶々長崎を視た後にそうしたものに触れたことから、その印象が強いものになった…

↓今風に言えば“オフィス”に相当する場所、家中の催事を行う“ホール”に相当する場所、高位の人達の“控え室”のような場所、“キッチン”等色々な機能を持つ部分を順次建てたらしく、建物は色々なモノを寄せ集めたような感じがした…
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↑何気なく視ていると「大きな寺」というような感じもしないではない…

この他、この佐賀城の資料館には“北海道人”として見逃せない展示が在る…島義勇に関係する事項だ…

何処でも小学校で「郷土の歴史」というようなことを習う…最近の様子は知らないが、少なくとも札幌で過ごした小学生の頃―酷く昔のことだが…―、何やら“副読本”が在って、札幌の街の起こりについて習った…そこには“島判官”という人物の古色蒼然たる写真が在って「北海道開拓の中心的な街とすべく札幌の街を建設する計画に関わった功労者」として紹介されている。この「島判官」が島義勇で、佐賀の人である。

正直なところ、小学生の頃に副読本で視た「島判官」が佐賀の人で在ることを知ったのは比較的近年のことだ…この人は、佐賀では幕末期から明治期に活躍した“賢人”に数えられてはいるものの、地元でも然程知名度は高くない様子だ…勝手な想像だが…鍋島侯が明治政府の中で「蝦夷地開拓の責任者」というようなことになり…鍋島侯は「誰ぞ、善き者に差配させよ…誰ぞ居らぬか?」と元の家中の士を思い出し、箱館を訪ねた経験が在ったという島が居たことに気付き、「その方を蝦夷地へ差し向ける故、善きに計らえ…」というようなことにでもしたのであろう…

その島義勇に関係した資料館の展示…「南が上、北が下」の形で描かれた、樺太、北海道、千島列島の地図である…“館内資料展示撮影禁止”なので写真は撮っていないが、私にとってはかなりインパクトが在った…

“城”と言えば、天守閣や櫓のような高い建物が目立って、見栄えもして、人気もあるのかもしれない。が、ハッキリ言えば、それらの建物は「優先度が高い施設なのか?」という存在である…実は“城”で最も大切なのは“戦時”に用いることが基底に在る以上「防衛拠点」、「要塞」としての“縄張り”と呼ばれる施設配置が何よりも重要であり、また江戸時代のような“平時”ということであれば「当主の居館」、「政庁」、「賓客の接待」というような機能を負うことになる“御殿”と呼び習わされた建物の方が余程重要なのである。

佐賀城は、その大切な“御殿”を、それも「幕末期の様子」を巧く再現している。なかなかに好かった…

↓読んだことのある佐賀関係の本…

>>『幕末維新と佐賀藩』
=江藤新平等のことを解説している新書…

>>『円を創った男』
=明治初期の大隈重信の活躍を扱った小説…

>>『酔って候』
=4人の大名を各々の主人公に据えた4編が収められていて、1編が鍋島侯を主人公としている…

佐賀を含み、九州各県や山口県辺りでは「近代化遺産」と呼ばれる、幕末期から明治期に当時の最新技術を採り入れて殖産興業を目指した痕跡を“世界遺産”にしようという動きも在るそうだ。佐賀には船の修理や造船に供する目的で建設された「初めてのドック」の跡も在るという。そんな場所など、佐賀に関しては「更に行ってみたい」場所が色々と出て来そうだ…

↓佐賀城を含む12月21日の画…
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2012年12月26日

鹿児島・石橋記念公園(2012.12.16)

鹿児島市内の周遊に便利な“シティービュー”というバスに乗っていると、「石橋記念公園」という停留所の案内が在る。

何の知識も無いままにこの「石橋記念公園」等と聞くと、「何かで立派な事績が在る石橋某さんという人が居て、その関係か…或いは石橋某さんという人が整備していた御屋敷の庭園のような場所が公園化されているか…」等と思ってしまったが…それはトンチンカンな話しだ…

「石橋記念公園」とは、文字どおり「石造の橋の歴史を伝える公園」である…

鹿児島市の中心を流れる 甲突川(こうつきがわ) には、かつて上流から 玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋 の5つの大きな石橋が架かり、「甲突川の五石橋」として親しまれていたという。

この「甲突川の五石橋」は1840年代に相次いで建設された。かの調所広郷が貯めた資金が投下されたらしい。岩永三五郎という石工が肥後から招聘され、その指導下で工事が進められたという。

1990年代に至るまで、橋は現役で利用され続けていたが、1993年の水害で新上橋と武之橋が流失してしまい、他の3つも被害を受けてしまった。堅牢な石造の橋も、150年を経て川を巡る状況が変化してしまっている中で、水害に敵わなかった…

やがて橋は新たなものを架けることにして、3つの石橋は別な場所に移して、文化遺産として後世に伝えることに決した。その「文化遺産として石橋を後世に伝える」ための場所が「石橋記念公園」である…

今般、私は磯海水浴場の辺りからゆっくりと歩いてこの石橋記念公園に向かった。公園に着いてみれば、近隣の小学生位の子ども達が遊んでいたり、もっと幼い子ども達とそれを見守る親達が居たり、近所に住んでいるか勤務しているらしい人達が足早に通り抜けたりと、「街の一隅の公園」として活用されている感じだ…座って休む場所も在り、また御手洗いや飲料の自販機も据えられていて、歩き回る途中に寄ってみるにも好適である…

↓これが最初に視た玉江橋…
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↓こちらは高麗橋…
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↓そして西田橋…
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公園に在る3つの橋の中、建設当時に「最も力が入った」とされているのが西田橋である。これは鹿児島の城から九州街道へ繋がる道筋に相当する場所に架けられた橋である。島津家中の人達が往来した場所だ。石造の橋の以前には、木造の橋が架かっていたというが、その木造橋時代の欄干に据えられていた青銅製の擬宝珠が移設されている。

この西田橋は「重要橋梁」という扱いで、城下町側の方に門が設置され、通行が管理されていたのだそうだ。この門は西南戦争の頃まで在ったということで、写真も在るようだ。この石橋記念公園では、その門も再現されている。門は時代劇に出て来る「旗本の屋敷」か何かのような代物で、この前に佇むと、何となく「開門!!」等と“門番”でも呼んでみたいような気分になる…

↓これがその再現された門…
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西田橋が移築された場所が、なかなかに好い。江戸時代の石造の橋の背後に桜島が見える!!

私が訪ねた日は、午前中によく晴れていたのだが、昼頃からやや雲が多くなっていた。それでも遠くの桜島が見えていた。初めて見た光景だが…思わず口を突いたのは「銭湯の壁の画のような…」という感想である。

鹿児島と言えば…「南国の青空に映える桜島」という状況が似合いそうだが、この日のような趣も悪くはない…桜島に関しては“仙巌園”の建築群の瓦屋根が並ぶ向こうに見える、昨年出逢った風景も気に入っているが、この“西田橋”と共に在る様も素晴らしい。空の様子が変われば、光加減も変わって、ここの見え方も千変万化であろう…何時か、この日とは異なる表情にも出会ってみたい…

西田橋の傍に“記念館”が設けられている。ここの展示が非常に面白い!!ジオラマとビデオで、西田橋の建設工事の工法や様子が解説されている。加えて、公園に移設した際の、往時の工法に準じて行われた工事の状況の紹介も在る。こうした展示が愉しいのだが、この展示の図録(DVD付)が「500円」という驚くべき価格で売られている。間違いなく価格以上に価値が在ると思った。

図録は秀逸である…記念館で愉しく視た工法に関する展示の解説の外、図録に在った“現役”で利用され続けた石橋の経過を写真で説明していた頁が興味深かった。

↓これが図録だ!!
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「後世へ伝えたい!!」という強い意志の下に移設された価値在る石造の橋が据えられた公園で老若男女が寛いでいる…そして石橋に関して興味深い解説が視られる記念館まで在る…何か「先人達の遺したモノに対する畏敬と矜持、そして愛着」が感じられる場である…私としては「鹿児島のお奨め!!」に挙げたい…
posted by Charlie at 21:05| Comment(0) | HDR/2012年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿児島の路面電車(2012.12.16)

鹿児島の路面電車は、路上に敷かれた線路の大半、交差点以外の箇所が「芝生敷き」になっていて、「緑の絨毯の上を電車が行き交う」ような感になっている。これが独特な景観を産み出していると思うのだが、昨年初めて出逢って以来、非常にこれが気に入っている。

電車は1回乗車すると160円だが、“1日乗車券”なら朝から晩まで何回乗っても600円である。市内を動き回る場合、この“1日乗車券”はかなり有難い…今回は12月15日夕方に鹿児島入りしたが、“1日乗車券”を売っている鹿児島中央駅の観光案内所が閉まる前に訪ねて、12月16日用に求めておいた。御陰で、12月16日は朝の未だ暗い間から電車の乗って出掛けて暁の桜島を眺め、“観光電車”に乗り、日が落ちた頃に“みなと大通”のイルミネーションを眺めに行くなど、文字どおり「朝から晩まで」電車を活用した。

↓朝の暗い間から、電車は街を走り回っている…
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↓鹿児島駅前に3本の“ホーム”が設えられている。ここに到着すると、暫く停車していて、また各々の行先に向かって行く…
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↑左側が新しめな1000型…右2両は数が多く、様々な塗装が見受けられる9500型…

↓上記の左側、新しめな1000型の車内…
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↑殆どの電車がロングシートである…

↓日が少し高くなると、陽射しに電車のカラフルな色が映える…
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↑緑とオレンジの車体に“ワンマン運行”を示す白線…これが鹿児島の路面電車の“標準的塗装”だという…

↓繁華街・天文館辺りでは、多くの車の真ん中に電車が悠然と走っている…
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↓日がかなり傾いて、また灯りが眩しくなる中でも電車は仕事を続けている…
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電車内では、停留所の案内アナウンスの録音が流れるのだが、これが「やや独特?」と思った。

例えば…「次は“天文館”…“天文館通”です」、「次は“いづろ”…“いづろ通”です」、「次は“市役所”…“市役所前”です」という具合である…「停留所のフルネームを繰り返す」のではなく、「停留所の通称の後にフルネーム」という体裁になっている箇所が存外多いことに気付かされる…

訪ねた先で、電車等の車内アナウンスを聴くのは意外に面白い。そしてそういうのを楽しみにしている面も在るのだが…

例えば京都や大阪等では、「札幌等で耳に馴染んでいる調子」とは「明らかに抑揚が違う」のが判る場合が在る。例えば札幌にも京都にも「地下鉄東西線」というものが在るが、両市内のバスで地下鉄駅の前、またはその傍の停留所に着く前に乗り換えの旨が伝えられるが、両者の「地下鉄東西線」の抑揚は明らかに違う。また、京都や大阪では「○○前」と言う場合の“前”の抑揚が違う。

そういう「違い」に気付くと愉しいのだが、鹿児島の電車では、そうした意味での違いには気付かなかった。上述の、一部停留所の停留所名の伝え方が独特なことに気付いただけだった。

鹿児島の路面電車に乗ると、何時もそれなりに乗客が居て賑わっている感じがする。聞けば、この電車を運行する鹿児島市交通局の電車部門は黒字なのだそうだ。

↓12月16日の鹿児島の画…
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posted by Charlie at 20:04| Comment(0) | HDR/2012年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西田橋(鹿児島・石橋記念公園)(2012.12.16)(FotoSketcher)

↓若干、絵画風のアレンジにしてみたが…
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↑初めてこの光景に出逢った時…「銭湯の壁に在る画??」と思ってしまった…

鹿児島の石橋記念公園には、3つの旧い石橋が移設されている…

甲突川には5つの石橋が在り、1990年代まで150年間程も利用されていたが、5つの中の2つが水害で損なわれたことから、貴重な文化遺産である橋を護って後世に伝えようと、3つの橋を公園に移設した訳である。

その3つの中、画の西田橋は鹿児島の城から九州街道へ続く道筋に相当し、島津家中の人達が他地域との往来の際に必ず通った橋ということだ。かの小説『生麦事件』に島津久光侯の壮大な大名行列の描写が在ったのだが、その種の行列が行き交っていた訳だ…或いは、島津斉彬侯の指示で各地を訪ねて仕事をしていた若き日の西郷隆盛もこの橋を渡ったことであろう…

そういう「重要橋梁」だったため、城下町側に門を設けて出入りを管理していたそうだ。門は西南戦争で消失したそうだが、この公園では門が再現されている…

↓「明治時代初期の写真」を思わせるようなアレンジにしてみた…
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この場所!!なかなかに佳い…

↓序に、雑誌上のエッセイなどに添えられている“イラスト風”で…
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↓鹿児島の画を利用したモノをこちらにまとめた…
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posted by Charlie at 08:19| Comment(0) | FotoSketcher/鹿児島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月25日

稚内…1962年…

嘗て稚内には米軍基地が在った…1972年まで、Wakkanai Air Stationと呼び習わされた米空軍の施設が在った…

多くの米軍将兵が稚内に赴任して仕事をして、また他所の任地に転出して行っている…そうした関係者による写真や映像というモノが残っていて、ネット上でも時々視付けることが在る…

そうしたモノの一つに出くわした…大分のネットカフェで過ごしていた際に偶々視たモノだが、これがなかなかに佳い!!

↓<Wakkanai 1962-1963>(9分58秒)


1962年から1963年に撮影された8mmフィルムを編集した映像である。今では様子が大きく変わってしまっていて「何処??」という場所も在るが、「あそこはこういう具合だったのか!」と判る場所も多い。

稚内を御存じない方にとっても「1962年頃の北海道の小さな街の様子」というのは面白いのではないかと思う。

是非とも広く御覧頂きたいと思い付き、ここで御紹介したい…
posted by Charlie at 06:48| Comment(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月24日

旭川・稚内―鉄路259.4km(2012.12.24)

「時刻表」の“宗谷本線 下り”の頁…「旭川―名寄―稚内」の列車を調べる…

321D― 6:05 旭川 7:46 名寄
4325D― 7:50 名寄 8:52 音威子府
4327D― 9:20 音威子府 11:52 稚内

↑こういう3本の列車が記載されている…

が…これは、旭川で乗車すると、そのまま稚内に着くことが出来るのである…“単線”の宗谷本線は、擦違う列車を待ち合わせる都合等で長時間停車が多く、長時間停車する場合に“列車番号”が切り替わるのである…

↓こういう具合に「稚内―旭川」のサイドボードが掲げられる…
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↓発車の20分位前に、暗い旭川駅にキハ54が現れる…
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↑氷点下10℃クラスの寒さの中、照明に浮かび上がる銀色の車体は冷え切っている感じがする…

↓北上する列車の進行方向右側が次第に明るくなり、名寄辺りでは朝陽に空気が染まる中に列車が佇む様が視られる…
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↓音威子府では、南下して来る列車が待っている…
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↓やがて札幌へ向かう特急<スーパー宗谷>を見送ることになる…
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↓幌延での15分弱の停車が程好い休憩になる…
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↑この先は「最終区間」という趣になる…

↓稚内の手前で降雪…雪を巻き上げて列車は走る…後ろは雪塗れになる…
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↓今季は存外に積雪が多い稚内である…
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最近は他所に出掛けると、復路にこの列車を利用するケースが多い…早朝、旭川駅周辺のコンビニで朝食に加えて“呑み物”等を仕入れ、旭川駅を発つ辺りで食べたり呑んだりで、やがて居眠りでもしている間に稚内が近付く…なかなかに好い…

↓12月24日の旅…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - DEC 24, 2012' set on Flickriver
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2012年12月23日

885系(2012.12.20 長崎駅)(FotoSketcher)

小倉・博多間で乗車した特急<ソニック>…883系に乗車してみたかったので、その登場を期待していたが…結局、佐賀・博多間で乗車したことの在る885系だった…何らの不足や不満も無いのだが、出来れば「乗ったことがない」車輌に乗ってみたかった…普通は新しい885系の登場を大歓迎するが…私は883系を期待していたので、多少残念ではあった…

↓これが885系である…
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↑長崎駅で初めて間近でゆっくり眺める機会が在った…後、佐賀・博多間で乗車する機会が在ったのだが…

885系は2000年に初登場している。長崎・博多間の<かもめ>で使用されたのだったが、その後はこの形式を大分・博多間の<ソニック>でも使用するようになっている。普段は福岡の車輌基地に在って、現在は特段に<かもめ>用、<ソニック>用の区別無く運用されているのだそうだ…

当初の<かもめ>は黄色のラインが入っていたが、現在ではそれを後発の青色のラインに合わせてしまっている…

初めてこれの写真を視た時、何か「ドイツのICEにこういうような形状のモノが…」と思った…カーブの多目な区間での減速を抑えるべく“振り子”機構も導入されている。乗車していてもそのシステムが作動しているのが判る場合も在る…

この車輌を多くしたことで、JR九州は主要都市間の高速化体勢を増強することに成功した訳だ…この独特な形状…“イラスト”風にすると映える…
posted by Charlie at 22:37| Comment(0) | FotoSketcher/鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

787系・883系(2012.12.22 博多駅)(FotoSketcher)

JR九州で独自に開発している近年の特急型電車…何れも鮮烈な印象を与えてくれるのだが…

↓駅でこうやって並んでいる様を視掛けると嬉しくなってしまう…博多駅で視掛けた…
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↑右が大分へ…左が長崎へ…それぞれ出発に向けて待機中だ…

右が883系で、左が787系である…どちらかに、多分乗ることになる…楽しみだ!!

画は、何か朝の薄暗い中でも独特な色が記憶に残ることから、“水彩画”風にしてみた…
posted by Charlie at 08:24| Comment(0) | FotoSketcher/鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

飫肥・厚焼玉子(2012.12.17)

飫肥…難しい字だが「おび」と読む…日露戦争の頃の外務大臣だった小村寿太郎の出身地というのが知られているが、小さな城下町である…

好天に恵まれ、12月だというのに上着を脱いで長袖シャツで歩いて平気な位の陽気の中、若干の汗までかきながら城下町を歩き回った…

歩き回っていると「厚焼玉子」なるものが売られているらしい掲示を視掛ける…気になる…

↓城の近くの店で休憩を取り、これを頼んでみた…
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「黄色の羊羹??」と思った…とりあえず頂いてみた…はんぺん…ゼリー…プリン…そういう感じがする不思議な食感だった…

聞けば、これは卵黄を解いたものを濾して、粒子を細かくしたものを“型”に入れてゆっくりと蒸し焼きのようにして作るらしい…手が掛かっている…

街で視掛けたのは、これを持ち帰りの土産として売っている様子だった…直ぐに帰るのなら、一つ買って行きたいところだったが…マダマダ先が長い時点だったので、そういうこともしなかったが…

長い歴史を誇る街には、独特なモノが伝えられている場合が在るが、この飫肥の玉子焼などは、そういうモノの好例であろう…何時かまた頂きに行ってみたいものだ…

↓飫肥の様子を含む12月17日の画…
wakkanai097 - View my 'Photomatrix - DEC 17, 2012' set on Flickriver
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2012年12月22日

“コレクション”について…

順次HDR画を公開し、撮影日付毎の“セット”を用意しているが、その“セット”を集めて“コレクション”を用意した。

>>Collection: Photomatrix - Trip in DEC 2012
↑クリックして頂くと、各“セット”が表示される。御覧になりたい“セット”をクリックして頂くと、画の一覧が出る…

画は後刻・後日追加して行くので、この「>>Collection: Photomatrix - Trip in DEC 2012」は益々充実する筈である…
posted by Charlie at 06:12| Comment(0) | HDR/2012年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

“ちゃんぽん”と“皿うどん”(2012.12.20)

旅先で、特段に「訪ねた先の名物料理」に拘泥する訳でもないのだが…長崎で何となく“ちゃんぽん”を頂き、気に入ってしまった…

そこで…「発祥!」を謳う老舗を訪ねてみることにした…

老舗…立派なビルになっているのだが、入場無料の資料館が設けられていた…1899年に創業したという店と初代店主の歩みが紹介されている他、“ちゃんぽん”や“皿うどん”の起こりが紹介されていた。

↓入口の階段に、妙に凝った飾りが見受けられた…
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“ちゃんぽん”は福建省の料理と似ているが、長崎で独自に工夫されたものであるという。

“ちゃんぽん”という名の起こりには諸説在るらしい。「色々と混ぜ合わせたもの」を意味するという説や、店に出入りする中国系の人達、殊に苦学している若者と店主達が交わす会話に頻出した「確り飯は食っているか?」に相当する挨拶言葉の表現が、街の人達に「あの料理の名前か?」と誤解されて転訛したとする説等が在るという…

↓これが“ちゃんぽん”である…
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一寸調べると、“ちゃんぽん”の麺は「長崎県内で製造され、また“唐灰汁”と呼ばれる長崎独特の梘水で製麺したもの」と規定されているのだそうだ…スープは豚骨と鶏がらを組合わせて作るものらしいが、これも美味い…

更に…“皿うどん”…これは所謂“あんかけ焼きそば”のようなものが定着しているが…起こりは“ちゃんぽん”と同じ「やや細いうどん」のような麺を使い、少なめなスープで味を着け、“ちゃんぽん”のような具を入れたものだった…何か“焼きうどん”に似ている…“うどん”と聞けば「丼!!」という状況だった時代に、「皿に載って出て来る」というので“皿うどん”という呼び方が定着したのだという…

↓これが登場当初の姿を受け継ぐ“皿うどん”である…
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今回…実は“ちゃんぽん”、“皿うどん”の「何れかを頂く」つもりで老舗を訪ねたが…メニューを視て48秒程度思案し…結局、両方頼んでしまった…「迷った時」はこの方式が善い…(大食漢にのみ許される方式かもしれないが…)

この“ちゃんぽん”、“皿うどん”双方の「発祥」の味を受け継ぐものを存分に愉しんだ…

>>因みに…訪ねた老舗のウェブサイトはこちら…
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長崎・眼鏡橋(2012.12.19-20)

“眼鏡橋”は、長崎の代表的名所の一つに挙げても差し支えないものであると思う。

“眼鏡橋”というのは、本来は「二連アーチの石橋」を指す一般名詞―「アーチ橋自体と水面に映る橋とが合わさった姿が眼鏡のように見える」というのが語の起こりらしい…―であるようだが、固有名詞的に用いられる場合も在ると見受けられる。長崎のモノは、その固有名詞的に用いられる例であろう…

長崎の眼鏡橋は1634年の竣工と伝えられる。江戸時代を通じて“眼鏡橋”は俗称だったようだが、明治時代に入った1882年、公式に“眼鏡橋”という名になったのだそうだ…

石造のアーチ橋…古くから栄えた地域ならではのもので、その種の建造物を眺めるのは好きだ。この1634年竣工と伝えられる長崎の眼鏡橋は、江戸時代を通じて各地に造られた石橋の「先進事例」となったと見受けられる代物である…

長崎で早朝から動き始め、関心の在るモノを色々と視ようとしていたが、最初に早朝の暗い間に立ち寄ったのは眼鏡橋だった…

↓未だ薄暗い、周囲の灯が残る時間帯の様子…
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↑この時間帯…曇天だった…

長崎の眼鏡橋は、延長が22メートル、幅が3.65メートル、川面からの高さは5.46mだという…実際に視ると…「思ったより大きい」とも「思ったより小さい」とも感じる…やや微妙な大きさだった…

その眼鏡橋を視て、ミニ三脚を駆使して夢中で写真を撮った…なるほど「アーチ橋自体と水面に映る橋とが合わさった姿が眼鏡のように見える」というのは本当だ…

やがて…長崎に滞在していた間に天候が好くなったのだが…「あの眼鏡橋…青空の日中はどういう具合に見えるのか?」と思い始めた…

↓思い始めた頃には路面電車の車内だったが…電車が最寄停留所を通ることに気付き、一寸寄ってみた…
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↑空の蒼と石の色の対比が素敵だ…

きっとこの橋は、季節毎、時間帯毎に豊かな表情を見せてくれることであろう。大規模な修理が施された経過も在るようだが、この橋は370年以上も街の人達と共にあったのである…

長崎を去る際、「あの眼鏡橋の少し趣が異なる様子…きっと見てみたい…」等と考えてしまった…
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2012年12月20日

長崎夕景(稲佐山からの眺望)(2012.12.19)

深く入り込んだ湾の両岸に在る平地、埋立地、丘陵部に縦横に、また立体的に市街が拡がる長崎は、鳥瞰するとその複雑さがなかなかに面白く、殊に夜景の美しさが知られている。

12月19日は朝から曇天であったが、昼食時間帯の終わりそうな辺りから青空が覗いた。街を鳥瞰するには好適だ。これは視ておきたい!!

手軽に長崎の夜景を愉しむには…ロープウェイが好い…街のやや北側になるのであろうか?高さが300メートルを超える稲佐山に、約5分で上がることの出来るロープウェイが在る。山頂に設けられた展望台から街を望むのである…

>>長崎ロープウェイ

この日は“始発”辺りから路面電車の“一日券”を大いに利用していたが、ロープウェイ乗場との往来にもそれを使った。

宝町電停で下車…長崎の路面電車の停留所には、周辺地図や名所の案内等が掲示されていて、意外に便利だ。

宝町電停に着いて、その地図を見た。ロープウェイ乗場らしいものが最初は判らなかったが…少し先の稲佐橋というものを渡って、山側に進むと在ることが…多分、標識のようなものも在るであろうと思いながら歩き始めた…

思ったとおり、標識のようなものも在り、特段に迷うこともなくロープウェイ乗場に着くことが出来た。

この記事の題名…敢えて「長崎夕景」としたが…所謂“夜景”は、日没少し前に視るポイントに着いて、「日が沈んで、街に灯が入り、輝きを増して行く」ような状況を視るのが好みだ…但し、これをやるには多少時間も要るのだが…

その“好み”に合わせた行動のため、辺りがマダマダ明るい間に動いた。日没時刻が17時17分と調べていたので、17時台に入る辺りでの現場入りを目指した。お蔭で標識や看板が見易く、全く初めてでありながらも全く迷わずにロープウェー乗場に至ったのだ。途中「→500m」というような看板を視て「遠い?」とも感じたが、歩いてみればそれ程でもない…

巧く写真が撮れなかったのだが、ロープウェイは「昨年リニューアル!!」というマダマダ真新しい感じのモノで、文字通り「硝子の小箱」のようであった。床と天井以外は全て硝子張り…「空中の眺望を!!」という次第だが、人によっては「怖くない??」と思うかもしれない…私は「○○と田舎者は高い所が好き」というのを地で行く面が在るので、高度が上がる瞬間毎に変わる景観を存分に愉しみながら山頂に至ったが…

現在は、来訪者が必ずしも多くもない時季であると思うが、時間がやや早い間に山頂展望台に着いたので、「絶好!!」と思える場所を確保出来た。柵に、器用―「極東随一の不器用な男」である私だが、こういうことだけは要領が良い…―に“ミニ三脚”を載せ、写真も愉しむ。展望台の吹き曝しの屋上で眺望を愉しむことが出来る…

↓日没直後辺り…空には紫を帯びた「夕焼けの残滓」が見受けられるが、未だ街は「昼間の終焉」という按配で、灯りは目立たない…交通量が多い箇所に、車のテールランプの赤が目立つ場合が在る…
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↓日没から15分程度を経ると、灯りが目立ち始める…
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九州入りして以降、「多少風が冷たくなって…」程度に思うことは何度か在ったが、稲佐山山頂は「真面目に寒い」と思った。多分4℃か3℃程度であったと思うが、風が冷たく、手が悴み、多少“電池切れ”傾向な身体にそれがキツかった。上着のポケットに押し込んだままだったニットのキャップや手袋を思わず着用した…

↓日没から30分以上を経ると、複雑な地形に拡がる街並みの建物の灯り、車輌の灯り、港で活動する船の灯りが、“ナイトブルー”を深める空の下で映えるようになる…
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↓少しだけ西に眼を転じてみた…未だ「夕焼けの残滓」が見受けられる…
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寒さが堪えるようになってきたので、この辺りで引揚げた…

今般の写真は…「出来上がりを視なければ、どういう按配なのか、よく判らない…」という“長時間露光”を駆使した。“電池切れ”傾向な状態で休みたかったことと、早く確認したいという気持ちが相俟ってそういうことにしたのだった…更に、出来た画を視て「これは正しくHDR向き!!」と思ったのだった…

写真談義になっているが…よくコンパクトカメラのフラッシュを点けて夜景を撮っている方を視掛けるが…多分、多くの場合には目の前の柵か何かが写るばかりで、景色は撮れない…“発光禁止”にして、カメラが動かないようにした方がベターだと思う…

それにしても、稲佐山から望む長崎の夕景…素敵だ!!「1000万ドルの夜景」と言うそうだ…こういうのは「100万ドル」と言うのが多く…或いは“インフレ”なのか?とにかくも「限りなく高い価値」が在ることは疑いない…

「限りなく高い価値」が在る長崎の夕景・夜景…好天の日には是非足を運びたいが…今のような時季は“防寒装備”を忘れずに…

>>稲佐山から望む長崎の夕景を含む12月19日の画… (後刻・後日追加予定)
posted by Charlie at 06:36| Comment(0) | HDR/2012年12月の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする